聞こえなかった声
「ねぇ、一緒に遠くにいかない」
そんな事を私が思っているよりはるか遠くを眺めるように、私に話しかけるのは小学校 一年生の時から友達で親友になった、凛陽。今はお互い中学校二年生だから、八年ほどの付き合いになるけど、凛陽の考えていることは今でも時々分からない、でも大体は私にいたずらをしたいだけで、深い意味はない。もう十九時なのに、明るい夜道を一緒に帰っていると、今日観た映画のことをどうしても思い出してしまって、そんな事を言いたくなるのは私でも分かる。だから、もっと大人になったらねと、映画に出ていた私達と同じような歳だけど明らかに私達とは違う世界を生きている人の真似をして返事をする。凛陽は私の下手くそな真似をすごく面白がるように笑って、笑い過ぎて涙を浮かべながらそうだねと返した。そんなに笑わなくてもと思うと、凛陽は怒らないでよとまた笑いながら、私の肩を軽く叩く。殆ど表情に出してないつもりだったのに、私はあまり表情を凛陽みたいにくるくると変えられる人間ではないから、昔から無愛想と言われ、からかわれてきた。でも、彼女はそんな私の表情にすぐに気がついてくれる、それが唯一の親友になれた理由なのかもしれない。
「明日は月曜日だから、学校だね」
凛陽は嫌だねと、短く地毛のくせに茶色っ気の混じった髪の先をくるくると指で巻きながら、いかにも面倒くさいという表情をしている、私も確かにと同意する。あぁ、本当に夏休みが待ち遠しい、どこかに出かけるという予定はまだ全然ないけど、凛陽と毎日の様に遊べるだけで楽しみ。そんな事を考えていると、凛陽は私の考えはお見通しというように、夏休みになる前に定期試験があるよと言ってくる、そして続けて私をからかう。
「結衣はいつも欠点ぎりぎりだからね」
反射的に、今回こそは学年一番取るよと、全く実行できる気がしないことをつい口走ってしまう。凛陽は、それは無理だよ、なぜなら私がいるからねと笑いながら返してくる。
そう、私より凛陽の方が圧倒的と言っても過言ではないぐらい頭が良い。特に英語は外国人に道を聞かれても、すらすらと教えてあげられるぐらい話せる、対して私は未だに基本的な単語すら覚えていない。まぁ、英語を仮に話せても私じゃ外国人とスラスラ話すことは無理だと思うけど。来年は受験だから、そろそろ本格的に勉強をしなければいけないと思っているけど、なかなかやる気が起きない。これでは駄目だとは分かっているけど、将来なりたいものがまだ全然見つからない、目標がないとやる気は起きない、これもただの言い訳なのだろうけど。
それにしても、凛陽の今日の表情はどことなく暗い、人の表情を読むことも苦手な私だけど、彼女のことはかなり気がつけると自負している。前に凛陽と約束を一つだけした、思ったことはちゃんと口にだすこと、私は読めもしないのに人の顔色を伺って、思ったことを自分の中で完結させてしまうことがある、そんな私を思って決めてくれた大切な約束。だから、聞いてみることにした。
「凛陽、なんか悩み事でもあるの」
なんとなく暗いオーラみたいなのが見えるよと、少し茶化して言うと、凛陽は一瞬、本当に一瞬泣きそうな顔をして、いつものニコニコ表情で言い放った。
「気のせいだよ」
お互いの家の道の分岐点に来たので、じゃあねと二人で手を振りながら家に帰った。あの時の、泣きそうな表情はなんだったのかな。明日聞けそうなら聞いてみようと考えながら、ベッドにうずくまり夢の中へと入っていった。
どこからか声が聞こえる、これはお母さんが私を起こしている声だ。寝ぼけた目でスマホを見るとアラームは自分でしっかり止めていた、完全に無意識でアラームを止めてしまうのはやめたいなと思いながら、のそのそと布団から出て顔を洗いに行く。夏は冷たい水で顔を洗うのがすごく気持ちがいい、一気に目が覚めるこの感じが、私は密かに好きだったりする。
朝ごはんを食べにリビングに行くと、ニュース番組はいつも通り今日の運勢占いを映している、私の今日の運勢は三位らしい、特に気にもとめずにパンを食べる。今日からまた、一週間が始まるのかと思うと憂鬱な気分に朝からなる。まだ家からも出ていないけど、もう帰宅したくなる。
そんな事を考えていると、時間が近づいてきた。朝はいつも凛陽と二人で登校している、でも、私の方が早く待ち合わせ場所に来る、きっと今日もそうに決まっている。行ってきますと、お母さんに聞こえるように声に出して、待ち合わせ場所に向かう。学校にスマホを持っていくのは禁止だけど、みんな内緒で持ってきている、私も例外じゃない。とはいえ、学校でスマホを使うことは殆どない、使い道は凛陽に早く来ないと遅刻だよと、伝えるぐらい。待ち合わせ場所に着いても、まだ凛陽はいない。取り敢えず、もう着いたよと送ってみる。
古びた木製のベンチと屋根があるだけのこの場所で待つこと五分、全く反応がない。この場所は私の家からは少し離れているけど、凛陽の家からすごく近い。暇なので、彼女の家まで行ってみようと、ベンチから立ち上がり、歩き始めた。いつもではないけど、凛陽の家まで迎えに行くこともある、私は一人で学校に行くのが好きじゃない、凛陽が風邪で休むときは、私も理由をつけて休む時もある。
凛陽の家に着いて、家まで来たよとスマホで送ってみる。少し待っても、返事がないからインターホンを押してみる、ピンポーンと凛陽の家でインターホンが鳴り響く。音が鳴り響いてから、一分。あれ、反応が全然ない、いつもなら凛陽のお母さんが、インターホンからもう少し待ってねとか言ってくれるのに。まさか、家族全員寝坊しちゃったとかかな、それは流石にないと思うけど。少し悩んで、家の方に電話をかけてみるけど、誰も出ない。どうなっているのかなと思いながら、家の玄関の扉に手をかけると鍵がかかっていなかった。この時、少し嫌な予感がした、まるでそこから先は別世界のような。こんな言い方をすると、小説の読みすぎだよと、また凛陽にからかわれてしまうなと思いながら、家に入る。お邪魔しますといつもより声を張って言ってみたけど、誰も出てこない。凛陽の家には昔から何度も遊びに行ったこともあるし、凛陽のお母さんやお父さんは家族のように扱ってくれる。それでも、勝手に入るのは少し戸惑う、でも、このまま玄関先で待っていても意味が無さそうだったので、リビングに行ってみる。
静かな家に自分の足音だけが聞こえる、少し歩くと、リビングへの扉の磨り硝子に人影が見えた。なんだ、いるのだったら返事ぐらいして欲しかったよと思いながら扉を開けると、足が床に着かず、首もとの紐で空中に吊されている凛陽のお父さんがいた。
私は腰が抜けるというのをこの時初めて体験した、呼吸が浅くなり、過呼吸のようになってしまう。恐怖のあまり、腰が抜けた状態で無理やり体を動かして逃げ出そうとすると、お風呂場の電気がついていることに気がついてしまった。さっきより明らかに行ってはいけない何かを感じる。それでも私はお風呂場の扉を開けて、異様な臭いが充満する中で見てしまう。そこには、凛陽と凛陽のお母さんが手足を手錠で逃げ出さないように固定され、変わり果てた姿でいた。とっさに出せる限りの最大音量で叫んでしまう、私はまさか自分がこんなアニメの女の子の様な悲鳴をあげると思いもしなかった。
そして、私は気を失って倒れた。