欠落品とご主人様
雨上がりの空は星空さえ隠し吐く息を白くさせる。
裸足の足は冷え切り感覚をなくした。
乾いた涙が頬を引っ張る。
所々に傷付いた体から流れる血だけが温かい。
ここは静かな森だった。
遠くから聞こえる遠吠えに、恐怖で震える心は消えてしまった。
静かに流れる時間に身を任せ瞳を閉じる。
足音が近づいてくる。
私は逃げない。
「何をしているの?」
瞳を閉じているのに、顔を覗き込まれているのがわかった。どうやら視線を合わせてくれているらしい。
「落ちてるの。」
私の答えに、ふっと顔にかかった息で相手が笑っているのがわかる。
知らない相手が私に触れられる距離にいるのに、不思議と恐怖はない。
「変な子だね。」
失礼な事を言われていると分かっているのに、私の顔に笑顔が浮かぶ。
「あなたこそ、変な人だね。」
相手が笑い出した。耳に心地いい声が私の警戒心をなくしていく。
「随分と落ち着いているけど、ここが何処か知らないのかい?」
優しい手が私の頭を撫ぜる。
もっと撫ぜて欲しくて自然と擦り寄ってしまう。
「死の森だと聞いたことがあるけど、私はまだ生きてるわ。」
もっと撫ぜて欲しい。その声を聞かせて欲しい。その気持ちに突き動かされ瞳を開ける。
目の前には漆黒が広がっていた。
「あれ?目が見えるんだね?ずっと閉じているから見えないとかと思ったよ。綺麗な真紅だね。血の色みたいだ。」
漆黒が笑う。冷たい瞳は声のイメージとは真逆で驚いてしまった。パチパチと瞬きを繰り返す私を笑いながら見つめる彼は、まさしく夜の気配をまとっていた。
「夜の闇より濃い黒を始めて見たけど、今は見えない空の星より貴方の瞳の方が好きだわ。ねぇ、貴方は何故ここにいるの?」
私の答えに驚いたのか少し固まった後、漆黒の彼は私の頬を撫ぜながら笑う。最初に見た笑顔よりも泣きそうな顔で。
「…本当に変な子だね。僕は夜が活動時間なんだよ。ここは僕の散歩場所のひとつ。変わった気配がするから近付いたら君がいたんだ。ふふ、こんなに変な子だとは思わなかったけどね。」
死の森と呼ばれる場所を真夜中に散歩をするだけでも怪しいのに、彼からは隠しきれない血の匂いがする。
「私は落とされた場合がここだっただけ。選べなかったけど貴方に出会えたから、落とされた場所がここで良かった。貴方はこれからどうするの?」
頬を撫ぜる彼の手を両手で掴み口付ける。
「…僕はそろそろ家に帰るよ。君はどうする?」
口付けられた手を不思議そうに見つめながら彼が私に問いかける。
「拾っていいよ?捨てられホヤホヤだから安心の処女だし何より可愛い!ほら、幼女好きでしょ!遠慮なく拾うがいい!!」
私は彼の手を離し遠慮なく抱きつく。離すつもりはない。
「…え?こんな幼女は求めてなかった…。でも拾わないと無茶しそうだから一緒においで?」
ため息をつくと彼は私を抱き上げてくれた。視界が広がる。暗い暗い夜の森。私の吐く息だけが白い。抱きしめられているのに、彼の体温を感じられなくて私は笑った。
「いきなり笑い出したけど、何がおかしいの?」
動く私を抱え直しながら彼は歩き出す。
光の届かない闇の中でも森は彼を傷付けない。
「本当に私を拾うと思わなかったの。ねぇ、私が人と違うの嫌じゃないの?人の耳の上には飛べないけど羽があるでしょ?鳥の尻尾も付いてるのに。人からは四つ耳の欠落品って呼ばれるのよ?それとも貴方も人じゃないから関係ないのかしら?」
楽しくて心から笑ってしまう。
こんなに笑ったのは生まれて初めてかもしれない。
「あぁ、流石に見てすぐ分かるよ。夜の闇にも輝く白銀の髪は君に似合っているし、小さい耳の上にある柔らかい羽も君が笑うとパタパタ動くから面白いし、尻尾も長くて綺麗だと思う。始めて見たけど人が言う欠落品って可愛いものだね。まぁ、確かに僕も人ではないけど美しいものを愛でる心は持っているさ。」
人ではないという彼の言葉は、人と呼ばれる者達よりも温かい。
「ねぇ、貴方が死神でも夜の番人でも私には関係ないわ。私を受け入れてくれた貴方を私も受け入れるだけだもの。拾ったからには最後まで面倒をみてね?嫌がられても私が貴方を気に入ったから離れる気はないけど。」
私の言葉に彼の足がとまる。
「やっぱり僕が拾ってよかった…。君みたいな子は僕に束縛されるくらいが丁度いいよ。ねぇ、誓って?僕だけを見て、僕だけを感じて、僕だけを求めて?もし誓いを破るなら、僕に食べられてね。」
狂気さえ感じる言葉に私は歓喜する。
彼こそが私の理解者。唯一の存在。
「誓うわ。私は貴方を離さない。」
乾いたはずの涙が零れ落ち、頬を伝うぬくもりは私の心も満たしていく。
「ふふ、僕も君を離さないよ。死ぬ時は一緒に死のうね?大丈夫。なるべく痛くしないようにするし、死んでからも一緒にいるから。これから君と過ごせると思うと忙しくなりそうだなぁ。あ、仕事も手伝ってもらおうかな?君なら簡単に覚えてくれそうだしね。仕事の時は僕が主人になるから指示に従ってね?痛い事はしたくないから逆らったら駄目だよ?」
頬に流れる涙をすすりながら彼は私に囁く。
「じゃあ、ご主人様って呼ばなくちゃ!お仕事もなるべく早く覚えるから側においてね?死ぬ時が一緒なら不安もないし、ずっと一緒にいられるなら何でもするわ。そうそう、お風呂もご飯も寝る時も一緒ね!」
張り切って彼に口付けて、2人の初めてが血の味だったのは良い思い出だ。
それが私とご主人様の出会いの物語。
「あの頃は可愛かった…って言いたいけど、昔も今も君は変わらないよね。」
頬杖を付きつつ私を見つめる彼は、美味しそうに紅茶を飲みながらも遠い目をしている。
「ご主人様は、ミステリアスな雰囲気だったのに、今はロリコン変態太ももフェチだから、時間の流れって残酷だと思います。」
綺麗な紅茶の噴水を見つめながら、素早く机から書類をどかす。
慌てず騒がず迅速に。
「くっ…、まぁ、否定はしないけど君限定だからね!君こそ珍しく悩んでるから心配してみれば、水着と下着の違いについて考えてるとかやめてよ!」
「やはり、布の違いでしょうかね?個人的には下着が水に濡れて肌に張り付くのを恥ずかしがる女性が好きです。」
咳き込む彼の背中を撫ぜながらも自分の意見は譲らない。
「可愛い顔してマニアックなこと言うの本当にやめて!何なの?親父なの?何が君を駆り立ててるの!?」
涙目で嫌がる愛しのご主人様に、私は満面の笑みで親指を立てる。
「その顔最高です。」
拾われた彼が本当に死神と呼ばれていたり、一緒にいるうちに私まで堕天使と呼ばれたりもするけど私達は今日も楽しく過ごしています。
あ、私を捨てた人達には復讐したりされたりするけれど、それはまた別の時にお話ししますね。
それでは、またお会いできる日を楽しみにしております。