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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~  作者:
<3>魔王鳴動と開催前夜の狂争曲の章
99/123

(3-42)


 教職員棟の時計尖塔回廊から状況を見渡していたテスタードも、起こった事態に呆然と立ち尽くしていた。


『どういうことだ! あれだけダメージを負わせたはずだろうが!』


『分かりません! 解析不能! 取得データが不足しすぎています!』


『傷だけじゃない。黒い鎖もなくなってる! どうなってる――!』


『打ち込んだアンカーも落ちてる! 現在巻き戻し作業に向かっているが、すべてが同時に落ちたなら絡まってる可能性がある! 時間がかかるぞ!』


『本陣! どうすればいい!』


 耳につけたワイヤード端末から、各所の混乱が伝わってくる。


「なんだと……」


 テスタードは呆然と、己の手のひらに目を落とした。

 そう。

 女聖騎士が与えたダメージだけではない。

 会戦直後に打ち込んだアンカーも、彼が打ち込んだ『魂の束縛』(ブラック・チェイン)の効力も、完全に途切れていた。

 まるですべてが『なかったこと』にされたかのようだった。

 先ほどまではあった、使徒と直結し、使徒を縛っていた感覚。その手応えが一瞬で消えた喪失感に震えすら起こる手のひらを、握り締める。

 次の瞬間――ズズン、と学院敷地全体が揺れて膝を着く


「っ……!」


 作戦区域内全体の人間が同じになっていた。

 身体が重い。全身を糸でびっちり地に縫いつけられ、泥の底に沈められたかのように空気がまとわりついて動き難い。

 バランスが変わったのだ。『魂の束縛』が解けて使徒のサイズが元に戻り、設定された結界密度が圧迫を受けた。見かけの上で破綻を避けようとする結界が過剰負荷を通常空間にフィードバックしている――

 ハッと顔を上げて我に返り、テスタードは本陣に向けて呼びかけていた。



 真っ先に状況を理解し、混乱に陥ったのは術士本陣であった。


「馬鹿なっ!」


「なぜだっ! なにが起こったァ!!」


「分かりません! 解析不能! 取得データが不足しすぎています!」


「幻惑かなにかではないのかねっ!? 向こうにも多少の知恵はあるだろう!?」


「タペストリ領域範囲、領域深度、術儀界密度、存在幅径値、すべて……すべてが会戦直後の近似値です――完全に回復しています!!」


「――くそったれがぁ!」


 首脳陣営のひとりが痛恨のにじみ出た叫びとともに机を叩きつけた。

 その気持ちに心底から同意しながら、フォマウセンは目の前の使徒の姿と手持ちの情報を頭の中に駆け巡らせていた。


(瞬時復元? あれだけの量を本当に一瞬で? ――それは投射直前の数値上ではありえない――それとも存在のリザーブ? ――時間の巻き戻し? ――多重存在――それではオリジンのスイッチが――損耗も余波もなしに――)


 フォマウセンも他に消されぬ声で鋭く問いかける。


「攻撃的世界検閲の痕跡は!」


「ありませんっ――兆候さえ!」


 ――ありえない。

 魔王使徒のあの振る舞いは、この世の法則に対して明確に違反している。

 学院最高である彼女の知識と頭脳を以ってしても、その回答にいたるまでがせいぜいだった。情報が足りなさすぎる。

 分からないことへの夢想は捨て、首を振る。認めるしかない。

 事前に懸念されていた事項のうち、最悪のひとつがそのベールを脱いで姿を見せたのだ。


 不死性。

 それも、それまで受けたダメージすべてを瞬時にリセットするというおまけつきで。

 フォマウセンは机の上のこぶしを握り締め、悠然と浮揚する魔王使徒の姿を睨みつけていた。


「あと、何回、それを使えるの……!」


 その言葉で、ギョッとしたような視線が彼女へ集まる。

 そう。

 そうだ。

 あの能力が使用できる条件と回数。これによって今後人類側が打てる策と勝算が、信じられないほどに大きく変わってくる。

 もしも、上限が存在しないのであれば。その場合は……。

 一同の表情に絶望の一滴が投じられようとする直前、フォマウセンは周囲を見渡し、それを断じる一言を放った。


「能力として引き出される不死性なのであれば、阻害さえできればいいのです。皆様方は、今は全体への指揮を。まずは当初の予定通り、攻撃術式を叩きつけて使徒の敵意をこちらが引き受けます。その後に作戦修正案の立案を」


「お、おぉ……!」


「そうだ。その通りだ。わたしは……」


 悪夢から覚めてゆくように青くしていた顔を振り、首脳陣ほか各種要員たちが立ち直ってゆく。

 だれにともなくうなづき、彼女は解析情報面担当のオペレーション要員に問いかけた。


「それで。あの回復術式の構築から発動までの間に、なにか異常な点はあって?」


「現在、解析チームが全力で当たっています。ですが構築の値が飛び飛びで、およそ使い物になるデータが取れているとは言えません。ただ……」


「ただ?」


「……ただ、対象の存在値がそれまで連続的上昇を示していたにもかかわらず、タペストリー発動の瞬間に、一気に現在の値に『飛び値』したという報告があります。通常の法則ではあり得ない現象だそうです」


「やはり、なにかが隠されているわね? 分析を急がせて。こちらでも可能な限りあの化け物の情報を引き出してみせます」


 その時、ズシンと地面が揺れて、多くの人員が上から押さえつけられたかのように机へもたれかかった。

 本陣とは反対方向にある教職員棟より、テスタードからの切迫した通信が届いた。



『使徒が動き出すぞ! 上がっていってる!』


『あれじゃ届かない!』


『術儀密度、活性、上昇中!』


 使徒が上昇してゆく。結界の天蓋を目指して。


『結界密度イエロー・ゾーン! 第一・限界許容域を3ポイントオーバーしていますっ』


『動力値を落とせ! このままだと総体が破綻するぞ。少しでもいいから時間稼ぎを――』


『ダメです、α1-3、出力下がりません。霊基圧力が拮抗衝域に支配されて減圧が始まりません。近づくことさえできませんよ!』


 縛鎖を打ち込んだ際に向いていたはずの敵意まで喪失しているようだった。魔王使徒はその単眼を、今では学院を封鎖する結界へと向けていた。


「本陣! 学院長ッ!!」


 テスタードは返事を待たないままに怒鳴りつける。


「アイツ『魂の束縛』まで無効化(キャンセル)しやがった! 今すぐ打ち込むからあとはなんとかしやがれ!」


『――できるのかしら?』


「負担だがやるしかねぇだろうが。後先考えんのは余裕を作ってからだ」


『こ、〝黒帝〟――お待ちください! まだ全体の防御陣形からの再展開が完了していません。今、先ほどのように敵意を引かれるとフォローができません! せめてあと二分、時間を――』


「馬鹿野郎! 向こうのポテンシャルが高すぎるっ! 〝束縛〟ついてない状態じゃ抜かれるんだよ!」


 事実、こちらから観測できる使徒のエネルギー上昇率が高すぎた。

『魂の束縛』にて基礎能力値に制限がかけられていなければ、使徒はこの結界を撃ち抜くことができるのだ。綻びが生じれば結界は圧に負けて崩壊する。そしてそれは、十数秒後の未来だ。

 結界がなければ被害はどこまでも甚大に広がってゆく。やるしかない。

 静かに。氷のような学院長の声が、混乱渦巻く喧騒を貫いて彼の耳朶を打った。


『やりなさい』


「言われなくてもやるわ――いくぞ、『魂の束縛』(ブラック・チェイン)!!」


 すでにまとめ上げていたタペストリーを開放し、渾身の力で叩きつけるように発動させる。

 ごっそりと力のリソースが削られる感覚とともに、再び自分とノルンティ・ノノルンキアの間に巨大な黒き鎖がつながれるのが分かった。結界内圧力も消え、身体の自由が戻る。


〝――――ッ!!〟


 その瞬間、最初と同じようにビクリと身を震わせた魔王使徒が、思い出したようにテスタードへと忌々しげな単眼を向けた。

 視線に、力が注がれてゆく。


『くそっ、敵意がまた〝黒帝〟に向いたぞ!』


『だめだ高度が高すぎる! 第一(われわれ)でも到達に時間がかかる! ハートローズは無理か!?』


『ごめんなさい、結界境界が近すぎて無理です! あの位置だと結界ごと切り裂いて近づくしかないけどそれじゃ本末転倒だよ!』


「チィッ」


 テスタードは背後の『晶結瞳』に向かって駆け出しながら再度本陣へと向けて怒声を張り上げた。


「本陣! 初撃のやつがまだ保持してあるだろ! ヤツの真上にブチ込んで高度を下げろ!」


『その位置だと想定規模の効果が見込めませんよ!』


「俺が一撃目を叩き込んで少し落とす! タイミング合わせて直後に並列起動しろ! それで威力を合わせりゃ野郎落ちる! 注意逸らせる! 一石二鳥だろうが!」


『待て! アレを使うつもりかね! 威力が高すぎる上にそんなペースでは君のリソースが持たないぞ!』


 割り込んできたタウセン・マックヴェルの声に、テスタードは必死を通り越して笑みになった形相で静止を却下する。ちょうど到着した巨大『晶結瞳』の壁面へ手をつき、上空背後に魔王使徒の凶悪な視線を感じながら。


「うるせぇうるせぇうるせぇ! こちとらもう野郎にターゲットされてんだよ! ケツに火ィついてんだ、やるったらやるぞ!」


『仕方がないな――〝黒帝〟サイドのタペストリー増幅に気を配れ! 3ロジック内の誤差で合わせるぞ! 結界路の瞬間オーバーロードも準備! ――無理でもやれるところまでやれっ!』


『総員、衝撃に備えてください!』


 背後の視線にどんどんとおびただしい力が流れ込んでゆくのが分かる。


「へへっ――こいよ、こいよ、こいよ! てめぇのターンじゃねぇんだよ、馬鹿が!」


 ジリジリと焼けつくような焦燥の中、テスタードはまずカバンから宝石のような『超級グラン・ジェム』を取り出して『晶結瞳』の内部に差し入れ、解凍を開始。


 次いですかさず取り出した『レベル30・キューブ』に力を注ぎ込み、半起動状態にて、慎重に『晶結瞳』に差し入れてゆく。

 本来なら安定剤や大量な『水晶水』も用いて安定・誘導環境を作らなければならないがそんな猶予はない。純粋情報記述面の腕で補うしかない。


「焦るな、慌てろ……!」


 焦りがダイレクトに反映されたぼやきを漏らしながらも、極めて慎重かつ繊細に合成を開始。段階ごとに合わせて次々と色の違う石も投げ込んでゆく。

 やがて『キューブ』がジェムと同じ緑色に変じたところで、彼は成否の確認もせずに変質『キューブ』を取り出した。


『キューブ』の形状は内側から膨れ上がり、溶け崩れかかっていた。

 だがとことんどうでもいい。失敗していようがどうだろうが、暴発炸裂する前に敵の頭に届けられればそれでいいのだ。テスタードは即座にきびすを返して使徒方向に向け通路を駆け抜け始めた。


「いって……こいやぁ!!」


 自動到達機能は壊れている。振りかぶり、全力で投擲した。

 間髪入れず左手に持っていた鎖つきレンズを突き出し、その範囲に『キューブ』と使徒の姿を重ねて捉える。


「『迷惑火の粉のエリィコルト』!」


 瞬間、法具が発動。乱転移を繰り返した『キューブ』が、最後には魔王使徒の直上に現れ――

 爆発した。


〝ッッッギィ――――!?〟


 漆黒の巨体を覆い包むほどの緑色の大爆発がのしかかり、使徒が驚いたような声とともに視線をブレさせ、力を霧散させた。

 直後。

 その爆発を数十倍する烈火の爆裂が咲き乱れ、広大な結界の天蓋に広がり切るほどの猛火を振るう。しかしエネルギーは瞬間的に最大出力を超えて強化された結界の形の中に封じ込められ、外側まで漏れ出ることはない。

 瞬時に使徒の表面が泡立ち、弾け、蒸発してゆく。

 結界力場の方向調整によって威力が圧縮されて跳ね返った極大爆発に押され、使徒の高度が叩き落される勢いで下がってゆく。

 地上ではあまりの大威力に耐えかねて、身を伏せた者たちから無数の絶叫が上げられていた。

 ここからでも肌を焼く爆風に漆黒の髪を煽らせ、テスタードは渾身の力で振り上げたこぶしを見せつけながら、落ちてゆく忌々しい使徒へ罵倒を送っていた。


「よっしゃあ!! 頭が高ぇんだよ!!」



〝……! ……! ……!!〟


 膨れ上がり続ける大爆発に押されながら、魔王使徒はその力の流路をたぐる。

 この力は、今の自分を害しうるものだ。放置すれば主人から与えられた自分の役割を損なわせる可能性がある。

 主人と同じ匂いを漂わせ、この身を縛る鎖。

 存在を圧縮し、顕現範囲を封鎖する窮屈な結界。

 地上をうろちょろして敵意を向けてくる小動物たち。

 忌々しい。忌々しい。忌々しい。本当に――


〝……〟


 ギロリ、と。使徒はその視線をテスタードから、術士本陣へと反転させた。

 視線は力の経路となり、瞬時に望む座標へと力を届ける。

 生じた閃光が爆裂し、術士本陣の敷く防御障壁に遮られた。



 二度三度と光が閃き、術士本陣を揺るがしてゆく。しかし届いてくる通信は緊張に満ちていながらも、決して暗いものではなかった。


『障壁、情報遮断強度に問題なし! 本陣に損害はありません!』


「よし……よし! やりましたよ隊長! 注意を本陣に引きつけた!」


「これでようやく当初の予定通りの運びになるな。次は、今度こそ我々の出番だ」


 アルフュレイウスが視線を向けた学院中央部では、今も魔王使徒直下にて決死のアンカー・パイル巻き取り作業が慣行されていた。


「アンカー打ち上げ準備ー! 順次に打ち込んでいけぇ! 仕切り直しだ!」


 大砲の音とともに、ひとつ、ふたつとアンカー・パイルが打ち上げられて、鋭い光を宿したブレード面が球体の底面に打ち込まれてゆく。

 使徒は一向だにせず術士本陣への攻撃を続ける。本陣から届く通信の声に問題はないが、噴き上がった粉塵ですでに本陣の姿は見えなくなっていた。


『全体の再配置完了!』


 同時、本陣から見て左翼方向の部隊から数十もの光条が閃いて、魔王使徒の側面に爆裂した。

 最低でもBランク以上で構成された攻性術式、攻性アイテムの混成重攻撃。これが<アガルタ山>のレッドドラゴンの群れであったならばボトボトと地に落とせていたところだろうが魔王使徒に痛痒の気配はない。事前情報の通り、ほとんどの攻撃は使徒表面に展開された理論障壁によって阻害か解体を受けていた。

 使徒は一瞥もくれずに本陣を見つめ続ける。三度四度と光が閃き本陣を揺るがしてゆく。

 だが、これで問題はない。


「――そろそろ調子に乗りすぎだぞ」


 真逆の右翼方面から、使徒側面に、十数名の聖騎士が迫っていた。


「攻撃開始ッ!」


 Bランク以上の兵装が、生理反応的に左翼方面の攻撃へと偏って手薄になっていた理論防御面を破って突き刺さる。それぞれが習得している奏気術を活用した固有武技が一斉に炸裂して、一瞬間、使徒の側面がたわむほどの威力となる。


「散会!」


「二陣!」


 追撃に固執せず傷をつけた面を空けるようにして離脱した聖騎士たちと入れ替わり、数名の『超重〝攻型〟兵』が取りつく。

 腕と一体化した、大砲も連想させるデザインの〝大槍〟が傷口に打ち込まれる。

 槍に走る幾条もの光のラインは臨界を示しており、それが、


〝排撃〟(リジェクション)!」


 炸裂した。


〝ッッキ!〟


 大気を連続して震わせる轟音が上がり、今度こそ魔王使徒の側面に大穴が開いた。

 理論障壁が反射で右側に注がれるが、遅い。攻撃隊はすでに離脱し、再展開された障壁の内側に膨大な血液が張りついて真っ赤な壁を形作った。

 瞬間、魔王使徒の球面がぐるんと回転。見開かれた眼が、まだ空中の離脱軌道にある攻撃隊を捉えた。

 閃光が。


「おごあッ――――!!」


 彼らを飲み込んだ。悲鳴は地上の面々から。

 一秒後、白銀の鎧から煙を上げた聖騎士たちが自由落下で地面に叩きつけられる。

 地に跳ねてからぐったりとしたのは一次攻撃隊の面々。『超重兵』は膝を着き姿勢制御を開始している。


「『超重兵』はすぐに下がれッ! 点検を受けろ! 防御隊前進!」


「回収班を守れ! 負傷者回収、急げェ!」


 攻撃の要であり全損による減少が許されない『超重兵』は負傷者に構わず後退を開始。入れ替わるように『超重〝防型〟兵』一名を中核に構成した防御隊が前進。うしろに隠れてついてくる補佐系回収隊を守りつつ、担架に乗せられた負傷兵たちとともに後退してゆく。


 その間に後衛攻撃術士隊が次々と重攻撃を繰り出しては使徒の攻撃を相殺、防御隊への負荷を減らす。たまに飛んでくる術士勢への『やっかみ』攻撃は専属の防御隊が防ぐ。また、さらに合間で別の直接攻撃部隊がスタンバイを開始している。




「えっと、安全は……大丈夫ですか? いいですかっ? 応急処置! 装備剥奪からっ!」


 中衛層まで下がって安全が確認されたところで、回復班と合流した回収班のうち、技術技能兵が慌しく負傷兵の装備を引っぺがし始める。まだ熱を持っている部分は回復班が指示を聞きながら対応アイテムで冷やす。


 大陸でも最高クラスの聖騎士団装備だが、魔王使徒相手にはやはり万全とまではいかない。高価な全身鎧フルプレートの表面は溶け崩れかかっていた。

 内部からところどころを骨折したり火傷を受けた生身が現れ始めて、場慣れしていない回復班から押し殺した悲鳴が上がる。


「意識はあるか?」


「大丈夫です。いけます。すぐに復帰するので回復を」


 意識がある者と重傷者が確認されてゆく。装備が溶け固まって身動きが取れなかった者たちはすぐに起き上がって求めるような視線を回復アイテムへ向ける……が、それは班長が押し留める。


「アンタたちは後だ。そうだ回復薬は今すぐ処置が必要な重傷者たちに。急げよ! ――アンタらはすぐに彼らを搬送陣地に運んで、そこで回復と装備を受け取る。そうすれば俺たちの手が数人分空くし、アンタもむき身であのデカブツにブチ当たらずに済む。回復もできる。そうだったな? アタマの熱は取っ払えたか?」


「ああ。そう。そうだ――そう。すまない。了解です」


「よしいけ! 頼むぞ!」


 重傷者への措置を終え、再利用可能と判断された装備パーツとともに、必要人員が負傷者を運んで結界外へと走ってゆく。後衛陣地にたどり着けば馬車が使用できる。そこで緊急工房に再利用パーツを投げてからは早いはずだ。


「よし、次だ。休む暇はないぞ。補給班の順路変更を取りこぼすなよ!」



 作戦の全体が動き始めていた。

 怒号、悲鳴、振動と、散発的にこちらまで届いてくる攻撃が入り乱れる戦闘域中層の様子を、スフィールリアたちは装甲遮蔽体の影からうかがっていた。


「よし、そろそろ俺たちも出よう。スフィーちゃん、いけるか?」


「はいっ!」


 うなづく。是非もないことだ。ここで自分だけ怖気づいているわけにはいかない。


「よし、いこう。最初は声かけていこうか。3、2、――1!」


 状況を見ながらうしろ手に手早くみっつ指を折って――飛び出した。

 隊列は彼女を囲んでほぼ逆三角の形状に。役割は、先頭をゆく指揮者が一名、彼女とほぼ併走するやや防御重視装備が一名、しんがりを警戒する攻撃役が一名、だ。全員がフットワーク重視の軽装タイプ。

 それぞれの行動目的に従って右に左にと動く隊の隙間を、時折交わされる先頭の手信号とともに駆け抜けてゆく。

 ペースを維持しながら数百メートルを走ったところで、状況にひとつ、変化が起こった。


『使徒活性上昇、推論値Bを突破。『魂の威光(ソウル・リング)』が可視化されます』


「あれは……!」


 走りながら見上げた、目指す使徒のさらに頭上に。現れ始める。

 黒い――光。

 光が周囲を照らし出すように、現れた闇の円環は周辺の光を吸い込んで薄暗い暗闇の領域を放射していた。

 その本体である黒い多重の円環は、見知らぬ知性文化がもたらす呪文か文様の合成のように、複雑怪奇でいて背徳的神聖さをかもす編み模様を空に展開していた。使徒本体よりも広い。


「たまげたわね! 輪っか五本持ちとは!」


 しんがりの女騎士が呆れた声を上げている。

 以前に見た魔竜エルバルファも一本の『輪っか持ち』であったが、それでも迫力は腰が抜けそうにすごかった。五本となると想像もつけられない。


「どれぐらいすごいんですかっ?」


「そうね。自壊しかけて暴走した、上位エンシェントドラゴンとかぐらいかね! ――そうよね!」


 先頭の騎士が手信号だけで肯定のサインを送っている。


「国家壊滅級の災害指定物件だよ。聖騎士団(ウチ)なら最低三軍完全稼動体制(フルメン)が満場一致で派遣決定される! 足りないかも! スフィーちゃん見たことある!?」


「ないですよそんなの! ……ひょえ~え!」


 そんなものに向かってカチコミをかけにいっているのだからテンションも入り乱れてヘンな声だって出る。

 拘束式と結界、ふたつの力に存在を押さえ込まれていてそれなのだ。

 だが、戦闘区域に展開できる聖騎士団は二軍までだ。しかも予備隊を含めた下位組織も引き連れていないので本当の意味での〝団〟単位のみ。大丈夫だろうかという思いは、思うだけにしておいた。


 やがて、前衛エリアに差しかかる。隊列を狭めながらも足は速めてゆく。中衛エリアを駆け抜けるよりも、むしろ進行速度は上がっていた。

 最優先保護の指定を受けた彼女たちのタグを検知して、周辺の隊が防衛の姿勢を取りながら道を明けてゆく。また通信による指示で彼女たちから離れた場所や後衛が攻撃役に選ばれて魔王使徒の気を引き、攻撃の手はまるで及んでこない。


 手振りで彼らに礼を伝えながら……前衛エリアさえも抜ける。

 一メートルの太さを超えて巨体をつなぎ止めるアンカー・パイルの巨鎖よりも少し内側――ノルンティ・ノノルンキアのほぼ真下。

 結界圧力最密集ポイント。結界〝柱〟の外周だ。


「着いた!」


 これ以上は先に進めない。結界外周と同じく物理化して頂点から落ち込み、また循環してゆく結界柱は、巻き込まれれば脱出ができなくなる。

 同時に、削れ落ちてゆく魔王使徒の〝情報〟も含んでいる。が、結界路を通る際には結界構造の一部として変化してしまう。その前の段階で、こうして人員が出向いて直接読み取るしかない。

〝柱〟底面の直径は百メートルほど。見れば薄紅色に可視化した壁の向こう側に、もう何組かの自分たちと同じ役割を負った班が手を振ってきているのが見えた。こちらも振り返し、大きな肩かけカバンを地面に下ろした。


「情報取得を始めます。警戒をお願いします!」


「分かった! 落ち着いてかかってくれ!」


 聖騎士三名が彼女を囲って警戒態勢に移る。

 スフィールリアはカバンから取り出した数本の読み取り針を〝柱〟の壁面に差し込んだ。

 カバンの中で連結されたいくつかのフィルタリング機器が、内部の理論精霊の判断により断片化した無意味情報を選り分け、なおかつその中で意味再構築できそうな情報群候補を汲み上げてゆく。

 また、自らの装備したインカムにも機器をつなぐ。彼女のインカムは特別製で、作成したデータを本陣および〝黒帝〟側と送受信ができる。送信機能をオンに。


 右手はカバン内の球体に触れ。左手には直接記述が可能なタイプの記録媒体(データプレート)

 結界路からの受信受諾を受けてインカムの経路がグリーン表示になったのを機に、スフィールリアは情報取得を開始した。


「うへ。これはすごい……」


 触れた瞬間、肉体面で眩暈を錯覚する情報量がなだれ込んでくる。

 滝雨のように落ちてゆく青、赤、緑で認識される情報断片。

 これが、ノルンティ・ノノルンキアからはがれ落ちた情報の抜け殻だ。魔王使徒が行なう召喚術式の断片も含まれている。

 オリジンを示す情報は使徒から離れた時点で消失し、使徒が修復した術式本体に再付与されているのでこれらを拾っても術式の掌握はできない。だが、中身の入っていない模造の器を作ることはできる。作成したテンプレートは最終的に使徒の召喚式を乗っ取った時に役に立つ。


 すべてを拾う必要はない。総合的な情報の解析は本陣に送信して、あちらの再精査スタッフがやってくれる。自分の役割はこの中から特殊かつ不明な役割(ステータス)を付与されている断片を探し出して本陣と〝黒帝〟に投げることだ。ついでに、彼らの負担軽減のために気づいた構築パターンがあればそれも付与しておく。

 それが、今回の〝素材採集〟だ。

 しかし長くその場に留まることは危険を増大させるし、ひとつの地点だけではすべての情報は取得できない。


「スフィーちゃん、三分! 停留限界時間だ。いこう!」


「はい」


 今回はハズレだった。最低でも中衛まで撤収し、使徒に接触の痕跡を悟られないよう一定期間の収束期間を設ける必要がある。そしてまた交替しつつ、収穫があるまで、収穫を必要分繰り返すまで、何度でもこの作業を繰り返さなくてはならない。


 召喚式への直接接触は魔王使徒の敵意を引く最大の要因だ。悟られた際の危険度は彼女らが一番大きい。

 だから、接触と離脱の時こそ慎重にならなければならない。焦って手順を誤れば気づかれる。

 間違えなければ大丈夫だ。〝蚊〟と同じ作業だと思えばよい。気づかれないように刺して、気づかれないうちに抜く。刺した跡がなくなるまで待つ。

 機材を停止し、欺瞞情報の送信完了を示す安全ランプが灯るまで待つ。インカムの送受信機能も同様だ。

 ゆっくりと、針を抜き取ってゆく。

 すべてを収納し終え、立ち上がる。


「いけます」


「よし。ルート3-2-9で確保済み。予備は3-1-4だ。いこう」


 作業中に連絡確保した護衛班の地点を目指して走り出す。

 (アンカー)の範囲を抜け、前衛エリアへ。走る。中衛エリアの目前で。


『情報値異常増大! 全体、警戒してください!』


「!!」


 思わず振り返る。

 声が早いか、魔王使徒の身体が膨れ上がっていた。

 と思うほど急激に皮膚を突き破って、使徒の背中に――山のように黒い結晶が盛り上がってくる。使徒の姿がハリネズミのようになる。

 そして、結晶が爆発して、大量の破片が打ち上げられた。


「うおおっ!?」


 そのうち小さなひとつが(人間大ぐらいだ)行く手の地面に突き刺さり、隊は一時警戒に足を止めた。

 結晶は即座に変化する。

 一拍だけ溶けて地面に吸い込まれるように小さくなったあと――急激に生え出した植物のように伸び、絡まり――二メートル大の、ひとつのヒト型になる。


 ねじくれたツタだか角だかをそこかしこに生やした黒い魔人は即座に目の前の敵性体を認識。先頭の聖騎士に向けて、トゲのついたこぶしで殴りかかってきた。

 跳びながら腰溜めの剣で受けた聖騎士がうしろにぶっ飛んでいく。女騎士が入れ替わりに前に出て、盾の騎士とともにスフィールリアをかばう位置へ。


「間抜けっ! ――スフィーちゃん、周囲を見ながら適度に離れて!」


「は、はい!」


 叫び返している間に、解凍式の大盾を展開していた聖騎士が魔人の攻撃を受け止めていた。広がる〝気〟の波紋と足元に伝わる振動が衝突の強さを物語っていた。


「こいつ……強いぞ!」


「どれくらい!?」


「推定B……いやA!」


「マジかよ……くそが!」


 盾が足止めしている間に飛び上がった女騎士が魔人の体格に比して小さすぎる頭を聖騎士剣でブン殴った。本来の狙いは胴あたりだったようだが遮られたのだ。

 初撃でぶっ飛ばされた聖騎士が駆け足で戻ってくる。

 盾の騎士も〝気〟を炸裂させて魔人にたたらを踏ませ。三人、居並ぶ。

 魔人は、後退した距離を早足に歩んできている。


「ほらな、だから言っただろ!?」


「言ってない!」


「スフィーちゃん、大丈夫かっ?」


 スフィールリアは黒い半透明な魔人の胸を指差した。


「はい! あれ! 胸のとこ!」


「ああ、胸の中に〝本質核(コア)〟みたいのがある! いかにもってカンジだ」


「さっきアレ狙ったのよ! でも思った以上に硬かったから一人じゃキツい」


「得意技だ。俺が削る。両方か片方だけでも上げてくれ!」


「了解!」


「コンカッション・パイル、セット!」


 聖騎士剣の先端に見てる目の方が焼けつきそうなほどに鋭く、緑色の〝気〟が収斂してゆく。

 盾の騎士が出ると同時、魔人も大上段から拳を振り下ろした。

 先の経験を踏まえてか、両腕ででだ。


「破ァ!」


 騎士もまた両腕で応じた。真上へ突き上げた盾が、触れる直前に大出力の〝気〟を放出して衝突――爆発。

 魔人の両腕が跳ね上がった。

 盾の下をかいくぐるように。男が前に出ていた。


「オオォアッ!!」


 柄頭が芝につくほどの異様な前屈姿勢から。流星のように飛び上がり、その瞬間にはのけぞった魔人の分厚い胸板が派手に爆砕していた。

 さらに続く。爆砕の反動で地に叩きつけられた騎士と瞬時置換したと思う速度で飛び上がっていた女騎士が、逆手に持った剣を胸部に突き立てようと――


 そのころまでには騎士三名が悟っている。浅い(・・)

 半透明な黒色結晶胸部の爆砕跡は、種のようなコアに至る手前で止まっていた。さらにこれまでの感触から悟る。貫けない。魔人が、のけぞる体勢を利用して、同等の次撃モーションに入っている。おそらく自らの胸ごとサンドイッチにして叩き潰すつもりか。離脱は間に合わない。次の瞬間には――


「ぅがっ!?」


 衝撃は背中ではなく目前からきた。魔人の攻撃はまだ届いていない。

 目指していた胸部装甲がさらに爆発していた。砕け飛ぶ破片が顔を叩き、爆風が身体を巨体から引きはがそうとする。一瞬の混乱の中、女騎士は見た。

 砕けた胸部装甲の中央。コアが露出している。


「!!」


 女騎士は強引に足を伸ばした。魔人に触れた足底を〝気〟で固定。吹っ飛び、落ちかけていた全身を渾身の力で引き戻し。


「どぉうおりゃっんが!!」


 コアが、砕け散った。

 女騎士は力を失って倒れ込む魔人の腕の輪の中で、着地した。

 顔を見合わせる。


「…………」


 振り返ればそこには、女騎士の脇下を狙って『収束型・レベル3キューブ』を撃ち出した姿勢でいるスフィールリアの姿があった。


 ……などなどということが。

 うまくいったからには、彼らの目から見ればあったはずだ。スフィールリアは全員無事なのを確認して胸をなで下ろした。

 騎士たちが歩み寄りながら声をかけてくる。


「……助けてくれた? よね?」


「は、はい。間に合ってよかった……」


「……どう分かった(・・・・)んだ?」


「俺、手加減してなかったぜ。抜けると思ってた」


「アレの構成情報が、回収してた使徒の断片と余剰情報断片流に似てるって思ったんです。現れる瞬間から。だから構造を計算して剣の〝気〟の情報量と比較して……ギリギリで間に合いました。演算サポート用にココに常駐させてた精霊を改造しちゃいましたけど。返す時に怒られちゃいますかね、てへへ」


 トントンと頭を差す。

 聖騎士たちはまた顔を見合わせていた。そして。


「参ったわ」


「助かった。ありがとう」


 三人そろって、拳を差し出してくる。スフィールリアも理解して、握った手をコツンと合わせた。

 同時に、状況に目をやる。

 魔人との遭遇は彼女たちだけではなかった。飛び散った破片は無数あり、そこかしこで応戦が繰り広げられている。混乱の声とともに。


『本陣より全体へ! 状況整理中! 全体各自、指揮班に従って応戦してください! 指揮班から絶対にはぐれないで! 見失った班は一度合流地域に撤退を! 余力がある班はサポートしてください!』


『非戦闘員の保護を最優先! 各指揮班は敵性体情報を可能な限り正確に報告してください!』


『こちら前衛班10-18班! 敵性ヒト型無数! 推定ランク最低A。こちらの攻撃に応じて防御力が上がる。数が多すぎて使徒に手が回らない』


『こちらもだ。今攻撃されたらマズいぞ。待て。なんだアレは――うぉあ!?』


『こちら前衛6-20! 中衛層に発見して応戦中だがヤバいのがいるぞ! 最低ランクS! ふた回りはデカくしたヤツだ。大至急応援を要請――繰り返す! 最低ランクSだ! 大至急で――』


 こちらから見える遠方でも、なにやらデカいものを相手にしていると思わしき土柱が上がっている。そうでなくても、今相手にした魔人が、見える範囲だけで百体近くはいる。

 ひとまず、直近でこちらをターゲットしている個体はいない。今のところは。

 それを確認して、四人は顔を合わせた。


「Sだって?」


「あり得ない話じゃない。今のヤツだって下手したらSって硬さだった」


「マズいな」


 一方でスフィールリアは顔を青くして立ち尽くしていた。


「気づかれたんだ……。て、手順は間違えずにできてたはずなのに」


「落ち着いて。そうだとしてもたぶんスフィーちゃんじゃない。見て」


 見上げた使徒は彼女たちには背を向けて、真反対方向の地面を攻撃していた。錯綜する情報に注意をかたむければ、魔人もあの方向のエリアに集中しているように思える。

 作業前、手を振り合った仲間の顔が思い出された。彼らが去ったはずの方角だ。

 呆然とするスフィールリアの肩を女騎士がつなぎ留めるように強く持ち、戦士三人。短く言葉を交わして決断を下す。


「どうする」


「手を貸してやりたいところだが……作戦通り、撤退だ。この状況はどう考えてもヤバすぎるし、キリがない。俺たちが潰れちゃ意味がない。予定より多めに下がるぞ」


「分かった、いこう。スフィーちゃん、気になるだろうけど……」


 スフィールリアは顔を揉んで、気を取り戻した表情でうなづいた。


「はい!」



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