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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~  作者:
<3>魔王鳴動と開催前夜の狂争曲の章
98/123

(3-41)


「! 動くぞ!」


 だれかの言葉通り、魔王の使徒が動き始めた。

 滑らかな純黒の球体。その大部分を占めているのではないかというほどに大きな〝一眼〟を鋭く引き締め、黒き鎖の先にいるテスタードを睨みつける。

 認識したのだ。

 彼が、邪魔者たちの中核たる存在であることを。


「まずい! 完全に〝黒帝〟を狙ってる!」


「本陣の初撃はどうした!?」


 予定では、縛鎖が発動したのち、反対方向にある術士本陣から初手の極大攻撃が行なわれるはずだった。

 しかし、使徒の反応が早すぎた。

 攻撃術式の進捗を伝える通信の中に本陣の焦りが見える。

 なにかをした様子はうかがえなかったが、どうやら使徒側からの妨害があったらしい。構築修正に二十秒遅れる旨と、〝黒帝〟に退避を含めた時間稼ぎの要請が、悲鳴そのものの勢いで繰り返されている。

 致命的な二十秒としか言えなかった。

 どよめきが上がる中、教職員棟の上に立つテスタードは動かない。迎え撃つ構えだ。


「防御する気か……!?」


「抜剣!」


 魔剣を掲げると同時に躊躇なく号令を上げたのは第一聖騎士団長のアルフュレイウスだった。


「しかけるぞ! 奴の敵意をなんとしてもこちらに引きつけるッ!」


「しかし隊長、我が隊の役割だと!」


 最強の防御力を誇る第一聖騎士団の主たる役割は陣形の守護だ。ゆえに全隊も各所に分散しており、十全に攻撃力を発揮することは難しい。さらに攻撃をしかけたあとの使徒の反撃から、術士勢力を守る手がなくなってしまう。しかし。

 結界が成功した瞬間、すべての部隊が展開を始める手はずになっていた。すでに大多数の人員が配置につくべく飛び出しかけている。

 この状況で初手による打撃がこず、魔王使徒の敵意が〝黒帝〟を葬った次に全周囲へ及べば、どうなるか。

 選択の余地なぞない。


「最速でしかけられるのはウチしかない! 彼が死ねば作戦が根底から瓦解する。やるぞ――!」


 その時、全回線から割り込む声があった。


『第一は動くな! わたしがいく!』


「!」


 見えていないはずのこちらの動きを読んだその声の主を確認する間もなく振り仰げば、(きらめ)く〝気〟の光点を流星の尾のように曳きながら魔王使徒へと向かって空を駆け上がってゆく人影がひとつ。

 事実を確認した通信役が叫びを上げる。


薔薇の団長(ハートローズ)が強硬先制をしかけます!!」


「アレンティア・フラウ・グランフィリア!」


 高等奏気術〝虚空瞬歩〟にて〝気〟を炸裂させながら空を蹴り、同時に音速の〝茨の道〟に進入。ノルンティ・ノノルンキアの周囲を螺旋状に周回し始めていた。

〝気〟の炸裂する断続的な爆発音が、花火の連発のように大気を震わせる。

 テスタードに迫ろうとしていた魔王使徒は、その割り込んできた存在を巨大な眼で煩わしそうに追い始めた。

 各所から感嘆と驚き、そして期待の声が上がる。


 足がかりがなにもない(くう)の〝座標〟に足を固定し、さらに〝気〟を炸裂させることで推進力を得る〝虚空瞬歩〟は熟達した奏気術者であっても到達は難しい超高等技巧。それも本来であれば危急の状況に体勢を立て直したり、不意を突いて起死回生の一撃を放つなどの一発技としての用途がせいぜいであり、正しいと言われるような技術だ。

 空中を高速で移動、ましてや音速の領域で用いるような技では到底ない。少なくとも一般の認識の上では。

 聖騎士団クラスであればたしかに使い手はいる。空中機動を可能とすることもできる。直線でなら、同じ速度も。


 しかし、あれは、アルフュレイウスでも難しい。

 座標の固定と音速レベルでの高速連続変更。それに合わせた安定した足裏への〝気〟の供給と出力。身体各所の強化と保護。空気抵抗と慣性のキャンセル。なにもない空中では、それらすべてを〝気〟による情報干渉で行なわなければならない。なにも問題なく周回しているところを見ると、おそらく衝撃波の発生緩和まで行なっている。


 まさに奏気術の極致。〝多重交響楽唱(オーケストリオ)〟と謳われる、アレンティア・フラウ・グランフィリアの真髄と言えた。


「……すまん。頼む」


 だれもが固唾を呑んで見守る中、大気の尾を引く螺旋機動は、徐々にその包囲を狭めていった。




(こっちが見えてる……眼はいいわけね)


 総体としては螺旋を描きつつ緩急も交えた不規則な乱機動で撹乱を試みるアレンティアは、数秒という短い時間制限の中で、攻撃をしかける最善の機会を見計らっていた。

 しかし〝眼〟の前を通る時には、かならず魔王使徒と視線が合致する感覚がある。

 兆候すら見せずに本陣の術式を妨害した点からも、単なる視力以上の〝感覚〟を持っているのは間違いない。


(……でも、なに。なにか……『違う』気がする。ズレてる(・・・・)?)


 これは漠然とした違和感にすぎなかった。

 人々が〝茨の道〟と呼ぶこの技は、実はただ単純な音速移動の世界というわけではない。


『音速の〝中〟の世界』なのだ。同じ世界を見られる人間は果てしなく少ないので、説明が難しいことなのだが。

 簡単に言うと、『普通の時(あちら)』と『道に入っている時(こちら)』とで、基準となる速度が入れ替わっている。入れ替わった世界に足を踏み込むのだ。


 ただ音速で動いているだけなら、どんな行動、風景も、すべてが一瞬間ですぎ去ってゆく。音速で剣戟を交わしたなら、自分自身ですべての動きを知覚してはいない。すべては身体に刷り込まれた自動作業の連続であり、本能の領域だ。


 だが〝茨の道〟にいる時は違う(・・)

『普通に動いている感覚』なのだ。

 普通に走り、普通に見て、普通に剣を振るう。

 それとほとんど同じ感覚でこの状態の彼女は世界を知覚している。だから自分の動作も体操ぐらいのレベルでほぼ把握できているし、周囲の状況を観察もできる。


 とはいえ普通にてくてく歩くことができるわけでもない。彼女は全動作において紛れもなく音速で動いている。足の動きも、身体強化も保護も――すべては音速で動くべく動作している。

 なのに知覚は『そう』なるのだ。〝茨の道〟にいる間は音速こそが基準値になる。なのに、音速で動くことをやめれば〝茨の道〟にはいられない。矛盾しているようでも、事実として『そう』であるのだとしか言えないことなのだが。


 ――ともかく。

 彼女が〝茨の道〟にいる時、すべての風景、すべての人々はゆっくりと、常に遅れて動いてゆく。だれも彼女を目に留めることもない。

 彼女を孤高にし続けてきた技だ。


 しかし魔王の使徒から感じる〝視線〟の追随は、違う(・・)気がした。

 単に超越的な動体視力で彼女を追っているのではない。同じ世界の側から、同じ基準で睨みつけられているような――そんな気がしたのだ。

〝茨の道〟の常連者であるアレンティアの常識から考えればあり得なさそうなことではある。

 ノルンティ・ノノルンキアはその場をまったく移動していない。回転や振動すらしているわけではない。それなのに音速で動く〝茨の道〟と同じ世界にいられる道理はないのだ。


 だが、魔王使徒はたしかにこちらを捉えている。

 だが、同時に、なにもしてこない。

 向こうもまた、こちらがなにをするつもりなのかをうかがっているのだろう。今はまだ。

 見極められた時に先制攻撃を食らう。あるいは興味を失い再び〝黒帝〟がターゲットされる。時間はない。

 であれば――


「だぁっ――――!!」


 アレンティアは足先に込める〝気〟をさらに爆発的に放出。〝茨の道〟すら超えて、一気に自身が出せる最高速度に到達した。


〝――!!〟


 一瞬とも言えない一瞬間。魔王使徒の視線が自分から外れ、たしかにこちらを見失った手応えがあった。

 その瞬間に彼女はノルンティ・ノノルンキアの〝背中〟部分に取りついていた。

『赤き薔薇の長剣』を突き立てる。白き石のごとき刀身はなんの抵抗もなく純黒の皮膚を突き破り、潜り込んだ。

 そのまま――超高速の回転機動で、広範囲に渡って魔王使徒の肉体を切り裂く!


〝ギッイィイイイイイイイイイイイイイイ!?〟


 音速を超えた大範囲攻撃。刻まれた薔薇模様の傷痕は、判を押したように瞬時で現れる。

 膨大な紅い血のしぶきと、びっくりしたような使徒の絶叫が噴き上がった。


「だぁああああああああああああああああ!!」


 アレンティアはこの機に可能な限りの速度と力を以って魔王使徒の背部に〝茨〟を刻み続けた。二度三度四度。叩きつけるように多重の薔薇模様を刻み、彼女はそこで攻撃を終えた。

 血にまみれた球体を蹴りつけて離脱を図る。


 事前情報ではこの魔王使徒は〝視線〟を力の媒介にしている。眼を潰すのが攻撃としてはもっとも効果的だ。しかし敵の視線はこちらを捕捉できる。自分を向いている砲台に真正面から突っ込むのは、さすがに愚策すぎた。

 だが今は使徒の敵意さえ引きつけられればいい。その点において、彼女の攻撃は間違いなく成功を収めていた。


「――――!」


 離脱を終える間もない一瞬間にノルンティ・ノノルンキアの体が反転。巨大な単眼が彼女を捉える。

 憎悪に満ちたその視線から膨大な力が流れ込み、閃光となって空中にいる彼女を包み込む。アレンティアは顔を覆い、まとった鎧の薔薇に全力の防御を命じていた。

 人間ひとりに対して、あまりにも巨大な爆炎が空に花開く。


「………………ッッ!」


 閉じた目蓋の上からも視界を炙る焦熱の中、装甲面を構築する薔薇がいくつも滅び去ってゆくのを感じ取りながら、なんとか(こら)え切る。

 同時、アレンティアもまた怒りとともに反撃の反撃たる一手の準備を終えていた。


「燃え散りなさい――!」


『赤き薔薇の長剣』の刀身に呼びつけまとわせていた数万輪の薔薇を一気に燃え上がらせる。その数十メートルにも及ぶ灼熱の茨の塊を、魔王使徒に向けて叩き下ろしていた。


〝キュイッッ、……ィゥゥウウウウウン!〟


 真正面から圧倒的な炎に包まれ、非常に悔しそうな使徒の苦鳴が響く。

 すべては、たったの数秒間のできごと。

 彼女が無事に着地を果たそうというころになって、ようやく人々の歓声が聞こえ始めた。

 だがアレンティアは気を抜く余裕もなく上空へ遠ざかる魔王使徒の姿を睨みすえていた。

 ――再生している。それも尋常でない速度で。

 あれだけの攻撃を受け、さらに炎で傷口を炙られたにも関わらず。まったく有効打になっていない。

 事前に伝えられていた可能性のひとつが頭をよぎる。

 あの使徒もまた〝不死大帝〟の名に連なる通りの不死性を備えているのか。だとしたら――


「!」


 懸念が打ち切られる。

 アレンティアが着地を果たした瞬間、彼女の腰にある短剣がまばゆい輝きを放ち始めた。

 その輝きが、伝えてくる波動が、雄弁に物語っていた。

 今ここで、わたしを振るえ――と。


「力を、貸してくれるの――?」


 アレンティアは躊躇いなく『白き薔薇の小剣』の柄を握り締めた。

 ――抜ける。

 疑念が確信に変わる。不安が全能感へと昇華する。

 今や鞘と柄をつなぎ留める強固な茨の封印は解かれていた。

 美しき白の刀身が姿を見せ始めると同時、強烈な輝きがこぼれて迸る。

 アレンティアはもはや上空の魔王使徒だけを見据え、腰の『白き薔薇の小剣』を最小の円弧で鞘走らせていた。


「せぇええええええええええっ――――い!!」


 一閃。

 静かで、美しく。使徒の威容が吹き荒れる台風であるならば、それはその暴風の傍らで人知れず飛び立った小鳥の羽ばたきのような――そんな小さな斬線にすぎなかった。


 この瞬間になにが起こったのかを理解したのは彼女自身だけであっただろう。

 いや。彼女自身にすらそれが起こったのが自分の仕業であるという視覚的事実を理解していただけで、実感として信じられたわけではなかった。


 剣が触れたわけではない。猛風が立ち起こって向かっていったのでもない。

 それなのに――斬線の延長線上にいた魔王使徒、ノルンティ・ノノルンキアの巨体が――


 一刀両断の下、横一文字に真っ二つにされていた。


〝ギッ――――〟


 魔王使徒にすらなにが起こったのかの理解は及ばなかっただろう。次の瞬間、血が噴き出すよりも早く。上げかけた悲鳴さえもが凍りつく。

 まるで巨大な爆発が起こったかのように――いや爆発そのものの勢いで。

 真っ二つになった使徒の断面が凍りつき、ガラスのような氷結の大華が咲いた。


「……!」


 剣を振り抜いた姿勢のままで絶句しているアレンティアの手の先にて、『白き薔薇の小剣』はなにかを断じるかのように一瞬で鞘を身にまとい、再び強固な茨の封印の内にその身を眠らせる。

 同時、小剣から意思のようなものが伝わってくる。この戦いにおいて貸すべき力は貸した、というようなものが。

 不思議なことに、腰にあった鞘は姿を消していた。

 魔王使徒の巨大な単眼が濁り、光を失ってゆく。

 その事実を裏づけるかのように、真っ二つとなった魔王使徒は力なくその身を地へと向けて落とし始めた。




「っ……? あっ……?」


 数秒経ち、ようやく、だれかが呆けた声を漏らした。

 ゆっくりと、落ちてゆく、ノルンティ・ノノルンキア。

 再生は、しない。していない。

 ただ落ちてゆく。

 その事実をさらに数秒間、染み込ませるように確かめたのち。


「あ――」


 ごくり、と驚愕と畏怖の感情に喉を鳴らしてから。拳を振り上げたのは<薔薇の団>のだれかだった。


「討ち、取ったり……我らが第三聖騎士団、アレンティア・フラウ・グランフィリアが――魔王の使徒を――討ち取ったりぃ――――!!」


 その声を皮切りに、一斉にアレンティアを讃える歓声が巻き起こった。

 会戦からまさかの十数秒で神話にすら歌われてもおかしくはない戦いに終止符を打った偉大なる剣士に対する賞賛、そして犠牲なく戦いが終わったことへの喜びの声が。


「…………」


 しかし熱狂の渦の中、アレンティアと一部の者たちだけが、一抹の不安と疑念の視線を落ちゆく魔王使徒の屍骸に固定していた。

 いくらなんでもあっけなさすぎる。

 本当に魔王の使徒は倒されたのか? ならばなぜ、自由速度で落下を始めない?


『――戒を! 総員警戒を解かないでください!』


 通信回線(ワイヤード)から全員の耳を恐れの混じった声が叩く。

 その通信のうしろで、術士本陣からいくつもの混乱した声が錯綜しているのが伝わってくる。


『ノルンティ・ノノルンキア周辺の界面偏向曲値、2208960から……下がりません……上昇してゆきます!』


『敵側召喚式の構築が再スタートしている! 死んでいないぞ!』


『見ろ、あれを……!』


「み、見ろ!」


 同時に各所からも同じような声がいくつも上がった。


「なんだ、あれは……?」


「眼が……」


 熱狂は、不可解から、やがて混乱へ。そして今やすべてが不安へと変わっていた。

 幾人もの者たちが指で示すその先で――力なく下降してゆくノルンティ・ノノルンキアの〝底面〟で、新たなる〝眼〟が開こうとしていた。

 その視線は地上に向けて開かれている。まるでその場にいる虫けらすべてを睥睨するかのように。


「伝承の〝邪視〟のひとつか!?」


「なにをする気だ……」




 術士本陣最奥部では次々と観測されてゆく膨大な情報と、未知なる状況への困惑の声が入り乱れていた。


「ノルンティ・ノノルンキア底面開眼部からタペストリー投射が始まっています! 性質(フォーカス)は不明! 敵術式発動まで残り推定百二十秒! 構築速度が速すぎます! 解析は間に合いません!」


「範囲は結界全土! 規模は17986479! 対象の現在の最大境界存在幅径値とリアルタイムで連動しています!」


「全力攻撃ということなのか……!?」


 フォマンセンは少なくとも表面上では落ち着いた様子で、オペレーション班に呼びかけた。


「三重結界路の範囲内に封じ込められてはいるのね?」


「は、はいっ!」


 フォマウセンはうなづき、全体へ発する指示を決定した。


「全体、全力防御体勢を」


 その言葉を受けて周囲の者たちが戸惑った顔色を浮かべる。


「防御、ですか……?」


「よ、よろしいのですか? 敵の手が成立する前に手を打った方がよいのでは」


 という声が上がるのも当然のことで、この戦いにおける全力防御とは、本戦のために王室と真理院と<アカデミー>それぞれが所有するSランク以上の最秘宝も持ち出した最上級の強化付与をも用いるということを意味する。

 彼我の存在の規模が塵と月ほどにも違うこの戦いにおいては、防御こそが最大の要にして使い切ればそこで命運尽きる命綱でもある。そう何度も使えるものではないこれを使うということは、いきなり切り札を一枚切ることにも等しい。

 だがフォマウセンは冷徹に断じた。


「対象の現・最大タペストリー規模であれば、一定以上の陣形密度を組めば現在の聖騎士団の装備と我々の強化付与で耐え切れるわ? 敵側の構築速度が速すぎる上にこちらの攻勢で止め切れなかった場合には最悪の被害を被ることになります。――相手は圧倒的格上よ。こちらに損耗が発生するほどに勝機は薄くなる。敵の手の内のほとんどが不明な段階では、防げる可能性があるものはすべて防いでゆくしかないの。今はこれが最善。早く指示を」


「――っ、は、はい!」


 一斉に全体に向けた全力防御陣形の指示が飛ばされる中、フォマウセンは忌々しく、上空の魔王使徒を睨みつけていた。

 こちらも切り札を一枚捨てることにはなるが、明確に致命傷を負った次に打ってくる手だ。相手の一手もまた同等以上な価値のカードである可能性は低くない。


「さて……見せてもらうわよ。そちらの手札の一枚を」




「全体、最大防御陣形ーっ!」


「盾の出力を最大にせよ! 出し惜しみはなしだ! 今この瞬間にすべてを投じるつもりで構えよ!」


「強化付与式構築開始、発動までテン・カウント!」


 次々と波のように号令が広がってゆく中、最前列に並んだ防御役の聖騎士たちが、大地へ打ち付けるようにして厚さ300ミリメートルを超えたの建材のような巨大な盾を構えてゆく。


 身長にして二メートル半を超えるほどの度を越した重甲冑に身を包む彼らの兵種は『超重歩兵』と言い、その構造と強度は甲冑というよりはパワード・スーツと言った方が近い。最新鋭の技術と素材によって構築された人工筋と聖騎士クラスに合わせてチューンされた増幅気奏機構(オーラ・ブースター)の併用によって、その鈍重そうな見た目に反し機動面・仕事面においては最大で着用以前の百倍近い力を発揮できる。

 これを装備した聖騎士団は、その可能稼動時間内において、全世界のいかなる国家にも手がつけられない化け物集団と化す。


 また、その中でも防御に特化した型である超重『防型』兵である彼らが装備する〝盾〟は『超重装備』を前提とした〝気〟の大出力に対応した専用装備であり、その単体防御力はSランクモンスターの攻撃さえもたやすく弾き返す。さらに密集して共鳴使用することでより防御力と効果範囲が拡大される。


 ディングレイズ王国の長い歴史の中でも持ち出された回数は数えるほどしかなかった、紛れもない大規模戦争用装備である。


 今回はさらに重ねて綴導術分野のタペストリー構築論に沿った理論的配置まで行ない、この装備がスペックとして出せる最大の防御力を発揮した上で、秘宝も用いた、綴導術という学問の歴史の中でも類を見ないほどに最上級な強化付与までを施す。

 その、上空から見れば星座でも描くような規則性の見られる陣形の効果範囲内に、綴導術士や補佐を始めとする非戦闘要員、攻撃役の聖騎士隊たちが大急ぎで集まってゆく。


「各班の長は点呼を! 漏れがいないかかならず確認を!」


「落ち着いて! できるだけ小さく身をかがめて、対ショック姿勢を! 衝撃に備え、目を閉じ、耳を塞いで、常に口を半開きにしていてください! 最外縁部にいる方は〝盾〟の騎士から最低でも三メートル以上の距離を取ってください!」


 という大声の指示が飛び交う中、使徒方向最前列で盾を構える超重聖騎士のひとりは、鎧の機能によって拡張された感覚にて、脚部の装甲面に触れる手の感触に気がついた。


「……?」


 見下ろせば、ひとりの少女が自分のすぐ足元にうずくまっている。


「理論上は耐えられるから大丈夫、数字はウソをつかないから大丈夫、先生もたぶんウソつかないから大丈夫、みんな一緒だから大丈夫……!」


 ひざを押し込むように畳んでしゃがみ込み、ぎゅっと目を瞑って耳を塞いで、耐えるように震えていた。しかし片方の手は自分の足を掴んだまま。当然、三メートルの距離など取ってはいない。危険だ。力場と共鳴場に巻き込まれる。


「……」


 首から提げた――ひざの内側からこぼれだしている――タグを見れば、この近辺配置の術者補佐のようだった。最後列の人員だ。肩にかけた自前だろうアップリケつきの布カバンにはこれでもかというほどの回復剤ほかアイテムが詰め込まれ、はみ出してすらいる。

 おそらく学院生だろう。

 この国、この王都、そして自らの学び舎とその果てにある夢を守るため、恐怖を乗り越えてこの戦いに志願してくれたのだ。

 彼女のすばらしい勇気と情熱に胸の底より敬服の念がこみ上げてくる。騎士はその心に応えたいと思い、彼女へ話しかけていた。


「離れてください」


「っ……? は、はぃっ!?」


 少女は驚いたように顔を上げ、自分か? と表情で問いかけてきた。どうして耳を塞いでいるのに声が聞こえたのだろうか、とも言いたそうである戸惑いも含んだ顔に騎士は鎧の内側で笑みを漏らしながらも、うなづき、再度語りかけた。


「落ち着いて。すぐに離れてください――かならずお守りします」


 自分でも驚くほどにやさしく、力に満ちた声だった。貴女のような立派な人が怯える必要はないのだと、そのための自分であるのだと。伝えたかった。

 あのような化物に比してたしかに自分はちっぽけで頼りなさすぎるかもしれない。しかし彼女の勇気が自分に伝播したように、自分の言葉で少しでも彼女の不安を和らげられたならば、と。


「……」


「ですので。さぁ早く」


 少女はなにを言われているのかよく分かっていない表情を見せていた。

 しかしすぐに自分が集団から離れていた事実に気がつくと、こくこくとうなづき大慌てで避難の輪に加わっていった。

 次に同じようにしゃがみ込んで両耳をしっかり塞ぎ、どうですかとでも言いたげに力のある表情で、食い入るように見つめてくる。

 騎士は苦笑いしながら『目も閉じて』という旨のサインを自分のバイザーを指で叩いて送ると、正面を向き直り、気合いを入れ直した。




 魔王使徒、第二の眼が開いてゆく。


『術儀密度、臨界点。発動兆候を確認。推定シックス・カウント。五、四……』


「開き切るぞ……」


「くるならこい、きてみろ……!」


『ゼロ・カウント――』


 ノルンティ・ノノルンキアの〝眼〟が開き切る。

 不安と緊張を押し殺したどよめきが満ちる中、魔王使徒の一手の発動を告げる声が――

 投射された莫大なタペストリーと、そこへ流れ込んだ巨大な力が――


「……っ!!」


 発動した。

 光も、熱も、音も――なにもなかった。

 衝撃すらも。


「っ……。……ぅ。あ……?」


 だれかが呆けた声を、どこへともなく投げかけた。

 なにも、起こってはいなかった。

 防御陣形は少しも損なわれてはおらず。痛みを訴える者もいない。だれかが呪われたといった様子も。

 地面の芝は熱に焼かれたでもなく普段通りと青々しく。学院敷地の風景も、建物も、すべてが元のままだった。

 ぽつりぽつりと状況の是非を問う声が上がり始める。

 多くの者が目を閉じていた。そのため起こった変化に気がつくまでには、そうして数秒以上の空白が開くことになった。

 そして。


「なっ……に……」


 友軍の損耗状況、状況そのものの変化を確認すべく怪訝にあたりを見回し、上空を見上げて…………やがて感じた違和感の正体に次々といきついてゆく。


「なっ……! み、見ろ!」


「な、なんでだ、あれ……」


「うそでしょう……?」


 だれもが空を見上げていた。

 そこには――目を閉じる前と同じく――魔王使徒ノルンティ・ノノルンキアの姿がある。

 ただし。

 ふたつに割れてもいない。氷結もしていない。血のひとしずくも滴ってはいない。

 ひとつの傷も負ってはいない、滑らかな漆黒の球体。

 現れた時とまったく変わらず。

 きれいさっぱり無傷となった魔王使徒の威容が、ただ悠然と浮かんでいた。


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