■ 8章 王都壊戦(3-40)
「使徒、内部活性を確認。体内温度上昇中。召喚式・余剰断片情報渦流からのエネルギー変換が始まっています」
「使徒、周辺界面偏向曲値、プラス22000――108000――上昇中。A1プランの想定値と誤差20以内で偏向中」
「三重結界路の起動前活性をプランA1でスタート。リーディング・ポイント、コード〝黒帝〟は『魂の束縛』の読み込みを開始してください」
『了解した。A1ギリギリで釣り上げてく』
<アカデミー>使徒封印結界戦――術士本陣では、全作戦区域の状況をモニタリングした作戦指揮要員たちの情報解析と行動指示の声が錯綜している。
その最奥部にて、フォマウセン・ロウ・アーデンハイト学院長は表情も厳しく状況の開始を見守っていた。
「いよいよですな……」
早くも真夏のコップのように汗をかき始めている軍部上層格の男性の問いかけは、緊張を共有したいという申し出か、はたまたただ安心を与えてほしかったのか。フォマウセンは特にそのどちらにも協調することなく、ただ事実への返答としてだけうなづいた。
「そうですね?」
本陣は使徒を挟んで教職員棟の真反対に位置する。
拘束式を使用した〝黒帝〟から使徒の注意を逸らすための配置であり、使徒への最大の攻撃力を担う戦術面での要でもある。
全作戦区域中でもっとも強大な防御力が集められた、一番安全な場所だ。
せめて毅然と構えていなければならないだろう。
「この『出だし』の成否が王都の命運を決すると言っても過言ではない……」
「頼むぞ……!」
とはいえ緊張はもっともでもある。人類史においてそう経験できる戦いではない。相手を考えれば、後世の神話に残されても不思議はない領域での。
フォマウセンは安心ではなく別の緊張にすり返ることで彼らへの助け舟とすることにした。
「期待は禁物ですけれどね? 結界に魔王使徒を巻き込む調整のデリケートさは、控えめに言っても困難の極みですから。そのための予備プラン……というより、本命かしら? 結界予定地外の一番街区に待機させた戦力の方が大きいわけですからね?」
封印結界は単に発動させるのではなく、結界の完結構造に使徒そのものの存在も巻き込んで構築する。
それが失敗した時は被害を最小限に食い止めることは諦め、撤退しつつ学院外――王城から引き離す形で使徒を誘導して、王都そのものを戦場にする。
成功した場合には外周戦力は全力で学院に駆けつけて結界戦の交代戦力となる。そういう予備プランだ。
「あ、ああ――そう。その通りです、な」
軍人たちから波が引くように平静さが取り戻されてゆくのが分かる。失敗したのちにも役割が待っていることを思い出して。未知の状況、過分な責任の重圧がかかっていても、やることさえ明確になっていれば彼らは行動できる。
読み上げられる使徒のポテンシャルが上がってゆく。テスタードの拘束式の構築に触発されて。
フォマウセンも内心では緊張はしていた。
結界の構築は理論上では可能だが困難であることも事実。崖を転がり落ちながらいくつもの針の穴に糸を通し続けるような、向こう見ずな突発的判断と機械のような正確さが要求される。なおかつ、リハーサルはない。
だがこれを成功させられないなら勝ち目どころか、まともな負けの目さえ得られない。それこそが事実だ。あえて口にはしなかったが。
結界構築を成し遂げた上で、予定した歯車のすべてをうまく動かし出してようやくまともな戦いができる。
(頼むわよ)
フォマウセンは視線が貫く使徒の先のテスタード、区域内のどこかにいるスフィールリアと――そしてこの学院に残ったすべての勇気ある者たちの顔を思い浮かべて。
勝利に必要となる全要素を読み上げていった。
◆
「最終的な作戦プランを提案いたします」
謁見の間は先刻の騒動の時とはまた一転した様相を見せていた。
変わらないのは玉座に王がいること。
段下には王にも見えるよう横向きで巨大なボードが置かれてさまざまな資料が張りつけられている。一番大きなものは作戦地域たる<アカデミー>全図だ。
そのボードに向かい合う形で、作戦を把握しておくべき主要な人物たちがフォマウセンに注目している。
「まず、学院の封鎖結界を利用します。これがすべての要となります。本来であれば学院内で起こった汚染や災害を封じ込めるための結界ですが、内向きに完結しようとするこの力の内部に使徒を閉じ込めることで王都への被害飛散を防ぎ、同時に使徒の魔王召喚式の進行も多少ですが阻害することもできますわ」
学院地図に書き込まれた巨大な円は敷地のほぼ全部を囲っている。
要人たちが顔を見合わせたのは、これが一度は検討されたが棄却された案であるからだ。
「結界は使徒を閉じ込められないと、あなたが結論を出したのだと認識しておりましたが」
うなづき、補正を入れる。
「――でしたが、テスタード・ルフュトゥムの考案した『魂の束縛』の存在で状況が変わりましたもので。あらかじめ発動した結界密度を調整し、この拘束式で使徒の存在規模が再設定された段階で使徒そのものの元に戻ろうとする力を組み込んで結界に巻き込むことで、使徒の全行動に制限を与えると同時に作戦地域外への使徒の力の漏出も防ぐことが可能になります。なおかつ拘束式術者の負担軽減も兼ねます。きわどい調整にはなりますけれどもね? いかがでございましょう?」
話し合いを始める各部署上層部をよそに、六花元帥、および各聖騎士団長の表情はすでに決まっていた。元帥が振り仰いで、エストラルファ王がうなづく。
「是非もないことだ。やってくれたまえ。費用は一切気にせずにけっこう」
こちらもうなづき、続ける。
「本結界の脆弱性を補う形ですが、保険という意味も兼ねて、結界は最大で三重段階まで用意いたします。試算済みの増強工事をほどこし、最大でこの範囲までの地域をカバーします」
次に示した地図に描かれた円を見て少なくないどよめきが生じる。
結界は、第一段階が学院ほぼ全部、第二段階が王城を含めた貴族街の一部、第三段階が山岳部の半分以上に及ぶ城下三番外輪街区まで。
うろたえる側近らを代表して法務大臣が声を上げた。
「お、お待ちいただきたい! 王城が含まれているというのは、この城が使徒の攻撃に晒される可能性もあるということですか!」
「二段階以降の結界開放という事態になれば、そうなりますわね?」
「ま、待っていただきたい! それはまずい! どうにか王城だけでも範囲から外せないものか!?」
「残念ですが、そこまで繊細かつ強硬な調整をするには時間が足りませんの。こちらも一段階目でケリを着けられるように尽力いたしますので、ご納得いただけないかしら?」
「いや、かまわない。こちらは気にせず存分に力を尽くしてくれたまえ」
「陛下!? し、しかしっ!」
「わたしがここを動くわけにはいかないからね。失いたくない人員に関しては――そうだね。そこの『第五』の庁舎に移ってもらうのはどうだろう? あそこならこちらとの直通回線もある。少し調整すれば作戦指揮も支障ないはずだ」
「陛下を置いて我々がどこにゆけとっ!?」
この場において会議参加者の顔色は二色に分かれていた。大臣同様うろたえつつ怒っている者と、彼らの動揺に理解が及ばない者たちだ。大臣たちは、自らの保身を心配している様子ではないらしいことだけが分かった。
王が手だけで続けるよう促してくる。
「……では結界については承認をいただけたということで。次に使徒に対する具体的な戦略・戦術面としてのダメージリソースの構成ですが――」
と、また軍上層部の一名から手が上がる。
「そのことですが、一点確認しておきたい。フォマウセン殿ではあの使徒には対抗できないのでしょうか? 言っていることは自覚しておりますし心苦しいのですが。もしもそれでアレを倒せるのならば最良ではあるのでは。むろん、必要となるサポートを惜しむつもりはございませんが」
やや気まずく、あるいは気遣わしげに顔を見合わせる面々らに、フォマウセンは簡単にうなづいた。表面上では申し訳なさでいっぱいであるという鎮痛な表情を繕ってだが。
「結論を言えば、無理ですわね。あの使徒の存在規模を世界から完全に解消するだけの術を組むには、わたくしでは最低でも十日はかかりますので……時間が、圧倒的に足らないでしょう?」
驚き、次にうめきながら……男は頭を下げた。
これは最初にも幾名かに訊ねられたことだ。それで済ませられるならという当然の質疑だろう。
また別の重鎮が、すがるような調子で挙手をして問う。
「しかし……そう! であれば、フィースミール様ならばどうでしょう? かのお方の力添えを請えれば、おふたりであれば即時の討滅は現実的なのではないでしょうか?」
これには本心から申し訳なくかぶりを振る。
「申し訳ありませんが、わたくしの方から師に連絡を取る手段はないのです。現在の所在も。今彼女が現れていないのなら現状の材料で戦うよりほかはないのです。もしも対抗策の分担を行なう候補とするなら、可能性がまだあるのはウィグっ――」
「…………? フォマウセン、様?」
口を押さえてブルブルと震え始めるフォマウセンに、恐る恐る手を伸ばしかける大臣たち。
思わず言いかけてとっさに塞いだ口を握り潰したい衝動を逃がすよう、ゆっくりと、息を吐き。彼女は言い直した。
「……あるいは、タウセン・マックヴェルの制限をすべて解いてよいなら。即時の魔王使徒解消も可能性の芽が出てまいりますが」
「い、いや! いかん、それはいかん!」
「魔王を倒すのにそれと同等以上の力を持ち得る個を持ち出した上に、新たに作り出すのでは本末転倒だ! 我が国が攻撃対象になる!」
「公式な制限解除には条約加盟国の正式な審議を通した上でなければすべてが瓦解する! 本作戦の意義上、連絡自体がはばかられる以上それは! いざとなれば緊急回線の準備だけはしておきますので、今はどうか、それで……!」
「いかんて……!」
拒否反応は想像以上だった。しかたがないとも言えるので、ため息とともに引き下がっておいた。
「承知いたしましたが……全部とは言わずとも段階的な解除はご検討いただきたく思いますわ? 今後の<焼園>対策という点においても、学院側としても必要が生じてくるかと思いますので」
「わ、分かった、分かりましたから……! そういうお話であったならば……!」
もう許してほしいというような態度を取られるのも心外ではあったが……これもしかたがないと言えばそうなので引き下がる。彼らからするとつい先刻体験したテスタード・ルフュトゥムの問題をひと回り以上大きくして再体験するような話だからだ。
「理想を超えた材料を夢見るのは止めておきましょう。どの道あの魔王使徒を倒すなら、我々自身の持てる力で切り開かなければこの後こそが乗り切れぬ。そうでしょう?」
六花元帥の言葉に全員が飛びつくようにうなづいてゆく。これも事実ではあるだろう。
が、そんな彼らに水を差すようで悪い気はしたが……フォマウセンは補足を加えた。この戦いに関して認識の齟齬は危険となり得る。
「ひとつ、訂正を加えさせていただきますが。倒すというのは厳密ではありませんわ? ――倒せないのです。魔王の使徒は」
最初期から検討会議に参席している面々には理解の色がある。フォマウセンは続ける。
「……」
「存在の規模が大きすぎるためです。彼らの総体は〝世界〟そのものと言って過言ではないゆえに、その全体を消し去るには、この世界そのものをぶつけて消費し尽くすほどの力を行使しなければなりません。当然、それほどの存在が丸ごと顕現すればわたくしたちが今いるこの世界が破裂してしまう可能性もある」
一枚の資料を剥がしてどけて、下にあった補足用の資料を露わにする。
「今まで判明している魔王災害においてそれが起こらなかったのは、そのすべてにおいて顕現率がまったくの不完全であったか、あるいは魔王自身の規模がなんらかの理由ですでに損壊していたか――あるいは、うまく世界に定着できたから。ですが〝不死大帝〟は違う。破損なき完全なる魔王です。いえ、テスタード・ルフュトゥムの感覚と計算が正しいのならそれすらはるかに超越している。その〝不死大帝〟直属の眷属となるノルンティ・ノノルンキアの真なる存在幅径値は、概算でもかつての魔王を上回ります。比較値はこちらに」
大きく、どよめく。
「これは……事実なのですか、フォマウセン様!」
「妹分が持ってきたテスタード・ルフュトゥムの研究データを基に、つい先刻結果が出た試算です。右の比較値は……レヌア節最終期を終わらせる直因と目される魔王エドゥルムンギスの推定存在幅径値。記録されている中で一番正確とされる魔王の存在規模ですわね。それを、ノルンティ・ノノルンキアは完全に上回っています」
「……」
フォマウセンが出した〝節〟という語は、判明している大きな歴史体系のひとつのことだ。
世界が歩んできたであろう歴史は〝霧〟による消滅のせいで多数の虫食い、空白が存在している。そのために考古学、民族文化学的に関連が見つけられない『歴史の断絶点』が多く存在する。〝節〟とは、この断絶点の間に存在し、かろうじて掬い上げられた歴史の系譜だ。
歴史の〝節〟が終わるということは、文明――世界が一旦終息することと同義ということになる。
保持する力の性質にもよるが、ノルンティ・ノノルンキアは単体で人類史を終わらせる潜在力を秘めている。
沈黙は、そのことへの理解を示していた。
「ですが当然ながら現在学院内に居座っているノルンティ・ノノルンキアも、それだけの規模は示していません。〝本体〟はまだ入り込んできていないのです――言ってみれば、これまでわたくしたちの前に現れた魔王という存在は、わたくしたちで言えばそう……この腕の産毛の先端、数ミリだけが顔を出しているようなものなのですわ? さぞや窮屈なことでしょうね?」
と、自分の腕を示してなぞるフォマウセンの指先を、何名かが目を凝らして追っている。
「今目の前にいるあの使徒を倒しても、すぐに〝本体〟からの補給を受けて、また全快からの再戦になってしまいますわ? この〝毛先〟の径が、そのまま魔王使徒の放出できる力の総量――流路となる。蛇口の太さと水の量のような関係です」
「……」
「だから倒すというのは間違い。現世に『はみ出して』きているあの毛先を解消して、本体との接点にして供給口である〝蛇口〟を閉めなければならない。それが今回のわたくしたちの戦いなのですわ」
「…………」
沈黙は長かった。だが、それ以上に硬質であった。
かつて世界を終わらせた魔王と同等の存在。しかしその身は不完全なものであった。
だが、今回は違う。背後にいるのは完全なる魔王。究極の超越者だ。
天を突くような大嵐が迫ってくるのを見た時。身ひとつで立っている人間にできることはない。ましてやそれが、自分の立っている大地の数十倍にも及ぶ惑星の衝突であると知れば呆然ともしてしまうだろう。
本当になにかができるのか? できるつもりでいたのか? ――彼らの沈黙は、まさにそれと同質のものだった。
「……それは。本当に、可能なのでございますか」
弱気な声を責めることはできないだろう。だからここはきっぱり強くうなづいておく。
「可能ですわ。今はまだ、彼らはこの現世に自らが通る道をこじ開けようとして、か細い綻びに食い込んでいる段階にすぎません。であるからこそ、世界に食い込もうとしているこの魔王使徒そのものが、世界の穴を〝治療〟する特効薬にもなり得るのです」
もう一枚の資料を示す。
「魔王使徒が編んでいる〝召喚式〟がそれに当たります。いえ、正確には、これも召喚式などという生易しいものではないのですわね。綴導術、奏気術、魔術、そのいずれとも似通っていてながらも異なる、これは――〝歌〟なのです」
「歌……」
「そう。世界を変える歌ですわ」
「世界を変える、とは……?」
「先ほども述べました通り、そしてお手元に配った資料にもありますが、彼らは一説では異界の住人――この世界にとっては〝異物〟なのです。人体に菌が入り込めばたちまちに検知されて対抗されてしまうように、彼らはサイズという意味とはまた別に、そのままではこの世界にはいられないのです。これを専門の語に当てはめるのなら、世界値の差異、とでも言いましょうか」
「し、しかし。放置をしてはならないのです……よね?」
「しかり、です。放置は最悪の愚策となります。先の人体の例で言えば彼らは毒性が強すぎるために通常の抵抗力に任せるだけでは、世界に甚大な後遺症を残します。なによりサイズが問題ですね。身体の内側から自身の何十倍も巨大な生物が肉と皮を破ってでも居座ろうとしてくるわけです。世界という規模で見ればどうなるかは分かりませんが、人体として見ると……」
多くの人間が聞くまでもない理解とともに頭を振っているのを見て、フォマウセンも続ける。
「しかしながら単純に世界を壊したいだけならそんなことは構わないでしょうし、ほかにももっと安直なやりようがあるでしょう。彼らが今までそうしてこなかったのは理由があるのでしょうが――ともあれ。そこで彼らは世界に自分たちが安定して居座るために、世界に工作を仕かけようとしているわけです。それが、今回の〝歌〟です。魔王使徒は、自分たちが元々この世界の住人であったかのように世界に認識させるために、世界そのものの構造を『自分たちも込みの世界』として書き換えようとしているのです」
「世界を変えるとは……そういうことか!」
「なんという連中なのだッ!」
「ですが〝世界〟もまた黙ってはいません。強引に道を押し広げようとする魔王たちに対して、押し戻そうとする力、穴を塞ごうとする抵抗力が働きます。現世に食い込んだ魔王使徒の〝毛先〟を切り離して消滅さえすれば、あとは穴を塞ごうとする世界の抵抗力に助力をすることで、目先の脅威は退けられるでしょう」
「それが特効薬というわけか」
「そう。文字通りの鍵となります。魔王使徒が魔王の形に空けようとしている穴。それを作るための式。〝歌〟を、使徒に限界までダメージを与えて、消滅寸前まで削り込み、掌握して、逆利用します。あちらから開こうとしている〝鍵穴〟は、こちらから閉ざすための〝鍵穴〟にもなるのです」
おお……!
とどよめくと同時、いくつもの理解の声も上がる。
「それで、だからこその結界、か!」
「その通りです。被害の拡散防止ももちろんですが。塞ぐ〝蛇口〟の径、削らなければならない水の量は少ないほどよい。それは同時に魔王召喚の進捗の遅延にもつながります。もっとも、テスタード・ルフュトゥムの拘束式がなければこれも机上にさえ乗らない空想であったことでしょう」
「う、む……」
「最初からほかの選択肢はなかった。それは認めるしかありませんな」
排除派でなかった貴族たちからの視線に、この時ばかりは法務大臣ほか数名も針のむしろな様子だった。が、それもしかたあるまい。
「では次に。具体的な戦略・戦術面の提案とご相談を。作戦の要である拘束式を担うテスタード・ルフュトゥムの位置取りと役割ですが――」
◆
『使徒活性率上昇。〝黒帝〟は拘束式構築をA2に切り替えてください』
「了解だ」
魔王使徒を正面下に捉えた教職員棟のテスタード。
彼は『釣り針』と『錨』の役割を担う。
対魔王使徒専用固有存在拘束式『魂の束縛』はノルンティ・ノノルンキアとの距離が近いほど効力を発揮する。なおかつ、擬似的に術者と魔王使徒の存在を同一のものとして世界に認識させるがゆえに、術が有効である限り使徒は術者の付近を離れられなくなる。
そのため、結界の効力をもっとも強く集中できる結界中心地に近い場所に留まってもらうことになる。
同時、常に使徒の情報を読み取り、読み解き、本陣へ手渡す役割も負う。最終的には魔王使徒の召喚式を逆転させた〝送還式〟の実行術者にもなる。作戦すべての始まりにして、完結を担うのが〝黒帝〟の位置づけだ。
護衛はない。
全分担中でもっとも甚大に使徒の敵意を引きつける可能性がある役職だからだ。無駄な人的消耗が許されない作戦である以上、もしも使徒の敵意が向いた時は周囲のリカバーが効くまで自分で身を守らねばならない。
そのための装備は用意されている。彼のうしろには彼の工房から持ち出した上で宮廷<真理院>の手による機能的補強を施した巨大『晶結瞳』や解析補助装置を始めとし、いくつかの工房設備と素材・アイテム群が敷設されていた。
◆
「そして、彼の真反対の陣地に最大のダメージ・リソースを設置します。ここをもっとも強力な術士を集めた作戦指揮本陣とし、最強の攻撃力と最大の防御力を集中。拘束式と結界の発動直後である最初の最初に、最強威力の攻性術式をぶつけて使徒の全敵意を一手に引き受けます」
「ふぉ、フォマウセン殿、それはっ!」
「無茶な……いや。ずいぶんと大胆な作戦を立てなさる」
「使徒から見た拘束式の脅威度を考えますと、それしかベターにはなり得ないものですからね? それほどの強い手を叩きつけ続けなければ、テスタード・ルフュトゥムをどこに配置しようともそこが破滅の爆心地になる。護衛戦力のコストも常にかかりますし、巻き添えが生じるたびに立て直しを強いられていてはいたずらに消耗してゆくだけですわ?」
「う、む……」
「ならば惨たらしい手ではあっても、彼には独りもっともその役割に適した場所に孤立してもらって――本陣を中核に、周囲の全戦力で守ります。拘束式に釣られてあの目玉が食いついたところのうしろ頭から思いっきりブン殴り倒して、ブッ倒れたところをさらによってたかってタコ殴りにしてやるのですわ? もうこちらのことしか見れなくなるほどにね?」
「い、いや、そんなチンピラのケンカのように……」
「ふっ、はは! ……いや失礼。理には適っているのではありませんか。陛下、皆様、わたしは支持いたしますが、いかがか?」
「うむ……術士が集中して自己防衛を。さすれば本陣と〝黒帝〟、作戦最大の要となる二点の要素に対する護衛戦力も浮かせることができるというわけですか」
「なるほど……しかし。それでは弱点をふたつ抱えることにもなるのではありますまいか? 最強の攻撃力と、最大の防御力。前者は連発が不可能で充填期間中は攻撃による防御ができず。後者は常に張り続けなければならず消耗が著しい。本陣が潰されれば〝黒帝〟は完全に無防備です。このどちらかを全力で壊されれば作戦は修正不可能に瓦解するわけですから」
「そうですわね。ですから、聖騎士団を中核とした実働戦力部隊を第三の要としたく思うのです。学院構造と地形を最大に利用した上でね? これは陛下と皆様によるのちの援助のお約束をいただきたいのですが――」
◆
対使徒決戦、第三の要にして主力を担うのが、聖騎士団を中核とした包囲攻撃部隊である。
学院中心地に居座った使徒をこの場に係留しつつ戦うには聖騎士団全軍は配置できない。ゆえに最大二軍までを綴導術士との混成チームとして班分けして分散配置。いかに大陸最強戦力たる聖騎士団でも部隊の疲弊は免れないので、結界の外には即座に同じ役割を担える交代要員が詰めており、順調であれば一定期間ごとの交代と休息・回復のサイクルを回す手はずだ。
最前衛は最低でもAランク相当以上の装備で身を固めた『防御部隊』『装甲剥離部隊(一次攻撃隊)』『主攻撃部隊(二次攻撃隊)』の三種にて有機的な波状攻撃を行なう。
使徒の表面は常に召喚式の余剰情報断片を再利用した理論障壁に覆われており、これを抜けて攻撃を通すには最低でもBランクかAランク相当の攻性アイテムでなければならない。一次攻撃部隊である『装甲剥離部隊』はこれの解体除去を。続いて本攻撃部隊である『主攻撃部隊』が使徒本体への攻撃を担う。『防御部隊』は使徒の反撃に晒される彼らの盾となる。
そして中衛・後衛には術士メインによる遠隔攻撃部隊、攻撃補佐部隊、工兵部隊、補給隊、遊撃隊などが入り乱れて血液のように作戦区域を循環する。この層には多くの志願学院生も含まれており、あらかじめ聴取した学院内宝級、得手不得手分野、技能に応じた振り分けがされた。
さらに遠隔地――学院結界のすぐ外には臨時の拠点設備が置かれて、交代要員の待機所、負傷者の搬送治療先となる。また工房設備も置かれ宮廷<真理院>や王城周辺機関から有志で募られた職人らで回復薬の製造や破損装備の修理を行なうべく待機している。ここにも多数の学院生が補佐役で詰めている。
「しっかし、すげぇなこりゃ。俺たちでも落とすにゃ時間かかるぜ。ひょっとして<アカデミー>って反乱したらヤベェんじゃねーの」
「なに言ってるんです隊長はおばかさんなんですからー。綴導術士さんっていったらそれはもー、聖騎士を超えた潜在戦力なんですから。あの人たちが補助してくれたりうしろからおっきい攻撃してくれるからモンスターにだって勝てるし、強い術士さんを集めるだけでも国中から睨まれるんですよ? 聖騎士団だってあの人たちの対抗戦力的制御装置としての意味合いがつよいんですからねっ?」
「はぁ? なに言ってんだオメー無戦力のクセに人にバカとか。てかなんでココいんだよ。無戦力なのにバカとか。オメーの方がバカだ、バーカ、バーカ」
「ひ、ひどい……いつもひどいこと言われてるからちょっぴりお返ししようとしただけなのに……わ、わたしだって誇りある聖騎士団の一員なんですーっ!」
「はぁ~? オレたちがオマケみたいに言ってたクセに誇りとか……オメーは俺の鞘ってだけで正メンバーじゃねーし……しかも無戦力……うわぁ、大丈夫かオメー?」
「ひ、ひどい……こんなに傷ついたのはじめて…………」
彼らが見上げるのは学院中央敷地に点在する講義棟のひとつ。
学院の性質上ただでさえ堅固な敷地内設備だが、今はさらに特別な情報障壁層がコーティング付与された特殊装甲が被せられている。
学院中央敷地は円形に建物が連なり大部隊での討伐作戦遂行には支障をきたす。だから突貫作業で邪魔な建物は惜しげもなく排除した。しかしすべてを撤去するのではなく部隊運用の想定動線に合わせて、こうしていくつかを残し、装甲を施して〝盾〟の役割を与えたのだ。
大きな視点で見るとこれらは迷路の行き止まりのような構造がいくつかあり、予想される使徒の大規模・大範囲攻撃を閉じ込めて作戦区域全体へのダメージを食い止める防波堤にもなる。
突貫工事であるため全面を覆った〝鎧〟ではないものの、理論上では、敷地中心で戦術級の攻性アイテムが炸裂しても耐えられる仕様だ。
――主力攻撃部隊は彼らとなる。
本陣が巨大な攻撃を仕かける狭間で、実働攻撃部隊が魔王使徒の存在径を削り続けて本陣の防衛を行なう。損耗が起こるたびに交代をかけて、常に万全に近い状態で畳みかける。作戦が順調に回り続ける限りは、彼らが一番消耗を強いられる役割となるだろう。
そして今のところは順調であり、つまり遂行の時は近いということだ。
聖騎士団の士気は引き絞られてゆく弓のように高まってゆく。
『結界路活性、起動充足値に到達。使徒活性の必要充足値までは推定30』
『使徒周辺タペストリー界面偏向曲差に修正変更点12。メンテナンス班が作業に入ります。結界路部分調整に推定20』
『了解。〝黒帝〟は想定A2を維持の上情報構成を継続されたし』
『了解』
「たいちょ、たいちょ。なに言ってるか分かりますか?」
「分からん。が、分かるぜ。……睨み合ってんだろ。どんな手使ってくるんだって、向こうは気勢膨らませてよ、相手のコブシぶっ潰して飛びかかれる機を待ってんだ。こっちはソイツを狙って相手の力みを釣り上げてんのさ」
「なるほどぉ。……てっ、丁寧な事前説明があったにも関わらず場当たり的で本能的な理解力。さすが隊長ですね!」
「おめぇ覚悟しとれよ? これ終わったらおめぇの服の洗濯オトコ隊員の下着と一緒に放り込んでやるかんよお」
「そ、そんな! ひどすぎる……! ていうか今のを気づけるなんて……!」
「おめぇも懲りねぇよなあ」
◆
「聖騎士団の運用については仔細ありません。事前会議の運用と大局では差はありませんからな。しかし、いささか数には不安が残りますか」
「四番と八番、十一番は要請を受けて国外派遣中ですからな」
「しかし十二番が完全待機中であったのは幸いでしょう。彼女ひとりがいるだけでも全隊のポテンシャルは条件しだいでは数倍しますし、国外派遣隊にしても、この後我が国の戦力が疲弊していると思わせない予備戦力として有効です」
「それとまぁ、もうひとつ――スフィールリア・アーテルロウン殿についてですが。これは、フォマウセン殿?」
「ええ。召喚封印因子回収部隊――特殊遊撃隊への同道、ですわね? 本人の承諾も得ておりますわ?」
「もっとも使徒に近づき続ける危険な任務の核を担わせて〝黒帝〟殿への楔とする、ですか。たしかに学院でも有望株のひとりということで任務自体への適正は分かるのですが。少々、心苦しくはありますな。この期に及んで警戒のしすぎなのでは?」
「だが、だれかがやらねばならない役割でもある。予備も含めてすべてがギリギリの中での戦なのだから、兼ねられるものはできるだけ兼ねさせておきたいというのも分かる話です」
「これも選択の余地にはない、か」
「よいのではないでしょうか。わたしとしても<アカデミー>学院長殿がお目にかける有望者の才能を覗き見できる機会というのは、ええ、大変興味深いことですよ」
◆
「スフィーちゃん、大丈夫かい? お菓子たべる?」
「えっ、いいんですか大事な作戦なのにそんなの持ち込んじゃって。いただきますけど」
「いいのいいの。経口補給物資の一環だから。補給は大事だからね」
「なるほどぉ……おいしーですコレ! おいしーです」
「たくさん食べて隊長みたくおっきくなるんだよ」
「おっきくですか? 身長はあたし、頭打ちっぽいんですけどね、はは……」
「ん、む。いや、身長はいいと思うねそれで。うん、それぐらいが適正だ……」
「?」
「ウェホッ、ゲホゴホムフン。……いや。いいんだ。気にしないでくれ。緊張をほぐしてあげたかっただけだから。重要な任務だからね」
ああ、おっぱいのことかとスフィールリアは隊員の逸らした視線で気がついた。男の人は本当におっぱいが好きだなと。
体格に比しては大きい方だとは故郷にいる同性の友人たちにもお墨つきはもらっていたけどもう少し大きい方がよいのか。しかし身長と胸囲の成長は連動してるんじゃないだろうか。
これ以上大きくなるのか? と谷間を持ち上げていじっていると隣の隊員が命を握られたように「ウェホグホグフムン!」と咳払いを激しくした。見られたくないならそういう服装にすればいい話だし別に見てくれてもいいのだが。
それはさておき。
「緊張は、してないみたいだね。よ、よかったよかった」
「なにを今さらだぜバカ野郎。隊長とチーム組んで封鎖災害にトッ込んでく子だぜ、スフィーちゃんは? 必要とあらば魔王が目の前にいる状況下でもメシを作ってくれるに決まってんだね」
「てかさりげなくセクハラしてんじゃねーよバカオトコ。隊長がさっぱりしてるからってそれでいいと思うなっ! ごめんねスフィーちゃん、だからコイツらモテないのよね?」
「モテない以前に出会いがないんだ……任務訓練任務訓練待機任務訓練訓練。入ってくる女はゴリラぞろい……ああ、俺はこの出会いを大切にしたい…………」
「わかる……」
場所は、とある中衛班勢が待機する遮蔽装甲の影の、中層あたり。
正式な部隊名は伏せられた遊撃隊の一部として、スフィールリアは薔薇の聖騎士三名とともに紛れていた。
「緊張はしてますよ。責任重大ですからね」
彼女たちの役割は、変則的で、不確定で、かつ重要だ。
戦闘で削れてゆく魔王使徒に最接近を続けて情報を直接読み取る。その中で最終的に召喚式を〝送還式〟に反転させるのに必要と思われる〝素材〟を回収、本陣か〝黒帝〟に届けるのが主任務だ。これもまたもっとも危険で重要な役割と言えるだろう。
彼女たちの働き次第で、魔王使徒討伐の成否が決まるのだ。
そのために、彼女たちには全区域全部隊からの被・最優先補佐権限を付与されている。
「そこは任せてもらおうか。俺たちも、俺たち以上の人材はいないって自負がある」
「ああ、そうさ。さて、そろそろ遊びは終わりにしよう。気を引き締めるぞ。彼女に毛ほども傷をつかせれば預けてもらった隊長に合わせる顔がないと思え」
「なにが遊びは終わりだごまかせたと思ってんのかこのヴァカは」
「アレンティアさん……特攻隊長みたいな位置づけなんですよね。大丈夫ですかね……」
「心配ないない。ひょっとしたらあのデカブツも、彼女ひとりでヤッちまうかもな」
「はは、まさか……。よし、あたしも気合入れるぞ! アレンティアさんが少しでも楽できるようにがんばりましょう。みなさん、よろしくお願いします!」
『応よ!』
◆
「それは分かりましたが……しかし彼女の護衛が三番というのは。どうなのです、元帥殿?」
「どう、とは?」
「ですから、その……大丈夫なのか? という意味です。あの場において明確に離反の意思を示したアレンティア・フラウ・グランフィリアの団だということです。あとになって聞いてみればスフィールリア・アーテルロウン殿は『薔薇の団』そのものの作戦行動にも個人的関わりを持っていたというではありませんか」
「ほう。幾多もの強大極まる魔獣と邪悪なる敵対者に立ち向かい、力なき民の盾となる使命を果たし続けてきた、誇りある我らが国家守護最高位である聖騎士団の忠誠に疑問がおありである、と。それはたしかに重大事だ」
「そこまでは言っていませんがな……。いませんがね。しかし、アレンティア・フラウ・グランフィリアに至っては個人的交友も深いそうではありませんか。国が滅んでもしかたなしな災害の中核に陣取って戦おうというのです。しょせんは雇われの身とは彼女自身の言。いざ劣勢となれば国と部下を見捨て、先のあの場のように彼女と逐電を果たそうとはしない、と言えるのですかな? いかに『ガーデンズ』保有者とは言え、この大事な戦いの重要な位置に、そのような者を配置してもよろしいのかとわたしは」
「アー、なにやら、話の対象が逸れているような気もしますが」
「その……それについてですが、よろしいでしょうか」
「発言したまえ、アルフュレイウス」
「は。その、『薔薇の団』員については……配置について、問題はないかと。説明が難しいのですが、アレンティア・フラウ・グランフィリアが離反したあの場においてもっとも早く動揺から立ち直り、士気が高かったのが彼らですので」
「? ……分かりませんな、〝白竜皇〟殿。それは彼女についてゆくつもりであったという可能性はないのですかな?」
「ありません。わたしの見立てでもっとも『やる気』であった何名かに聴取をしましたが、彼らが言うところによると、その……当時の闘志というのはどうやら彼女と闘うつもりによるものであったようで」
「はぁ? つまり彼女には聖騎士団長たる資質ナシということで?」
「いっ、いえその! ……それも、違います。むしろ逆と申しますか。非常に理解され難いことであるとは存じて言うのですが…………敬意を抱くからこそ、挑みたいと言いますか。は、その……申し訳ございません」
「い、いや、いい、いい。君が悪いわけではない。たしかに理解は難しいが」
「ともかく。アルフュレイウスの言の通り、『薔薇の団』の士気と忠誠心に関しては問題ないということです。三番を充てた理由は貴公の言の通り、過去の関わりから少しでも彼女との連携が取りやすいだろう隊をとの観点からの配慮です」
「そうですか、うーむ」
「……アレンティア・フラウ・グランフィリアの処遇については、まぁ、後日。最低でも非公式の謹慎処分という旨は伝えており、本人も了承して今は自室でおとなしくしております。それに契約の続行に関してまで言えば、それは陛下の判断にも不備を唱えるものとなり得ると考えますが?」
「い、いえ! そこまでは! 本当に! ……本当ですよ!?」
「……こほん。よろしいかしら? ひとつ言わせていただきますが、少なくとも今はそんなことを気にしている状況ではございませんわよ? 単一で魔王使徒に対して効果的な上位武器は大変貴重で、それ一本の存在が兵百名の命の消耗を減らすとお考えくださいませ。『ガーデンズ』はその筆頭最上位ですわ?」
「武器のことはよく分からないのですが。それは、それほど重要なものなのですか?」
「なにを言う。かつては魔王にさえその刃を届かせた、レウエン・グランフィリアが振るった神剣だぞ」
「それもありますが、どう特別であるかということでございますわね。〝白竜皇〟殿がお持ちの『剣鱗』もそうですが、ある一定以上の領域にある武具は魔王のような高次存在に対する特別な攻撃能力を発揮するのです。通常であれば触れることも適わないか効力を無効化させられてしまうような存在に対しても、問答無用で刃を通らせることができる〝権能〟が付与されているのです。これも世界値と言うのですけどね。これはこの語が使われる本来の分野とは少々異なる意味合いで用いられるのですが」
「なるほど、『ガーデンズ』もそのひと振りであると……」
「というより、『ガーデンズ』こそがこの世に存在する最上位の世界値を持つのですね? 言ってみれば、この物質世界に干渉する『最優先権限』を持っているわけです。『ガーデンズ』武具がこの世で最強の存在であると言われる所以が、ここにある」
「ふぅむ」
「結論を申しますと、ゆえに『世界の敵の〝天敵〟』、なのですよ、『ガーデンズ』武具は。訪れた世界の危機に際し、神々――すなわち世界の〝修正力〟が英雄に対して〝絶対色〟や『ガーデンズ』を授けるのはこういう背景があると言われていますのね?」
「うむ、なるほどよく分かった。切り札となり得るわけですな、我らが『薔薇の女王』は」
「そう。彼女ひとりに戦わせるわけにはまいりませんが、それでも、最終的に使徒の召喚式を我々の手に届くよう開放するとどめの作業も彼女に担ってもらうのが一番なのです。わたしたちが自身の知能で解放式を組むには時間と余裕がシビアですし、その点世界の破滅を〝治療〟するために授けられた『ガーデンズ』なら、自動にして瞬時で、それを果たしてくれるはずですから」
◆
主に遊撃部隊を構成する第三聖騎士団『薔薇の団』のうち、中隊規模にて最大攻撃力のひとつを担う部隊の中で、アレンティアは魔王使徒ではないどこかの方向の空を見上げていた。
結界作成の進捗を交わす通信が静かに緊迫の音を調べる中、曇天を睨みつける彼女の横顔には珍しく険しさと憂いの色がある。
隊員も気にしている。ウィルベルトは歩み寄り、空気を変えるべく話しかけていた。
「隊長、なにを探してるんです?」
「うん。スフィー、今どこにいるかなって」
「ピリピリしてたのは、それですか」
「まぁね。気に入らないよ。脅すにしたってもうちょい綺麗にやってくんないもんかなー。結局はやり方だけ変えて人質なのは変わりないってどう思う?」
「だからこそ、護衛にはウチの団員を充ててもらったんじゃないですか。気休めかもしれませんが……あとは信じましょう。ウチのメンバーを」
「うん……」
アレンティアの顔色は晴れず、この空の下のどこかにいる彼女から意識を逸らすこともない。
(なにかあったら、すぐいくからね――――って感じか)
顔色は違うし、まったくの直感だが。謁見の間でスフィールリアに笑いかけていた時と同じ空気を感じた。
ウィルベルトはため息混じりに忠告を送る。念のためだ。念のため。
「あの。気持ちは分かります。ですが、自分の心配もしてくださいね?」
「分かってるよー。遅れを取るつもりはないって」
「そうではなくて……はー、やっぱり。隊長の立場もけっこう危ういんですよ。彼女の護衛にウチのメンバーを充てるよう嘆願しにいった時だって…………あー頭痛くなってきた。あの空気。隊長にも吸わせてあげたかったですよ」
「え、だってウィル君がすごい顔して自分にいかせてくださいって頼んできたんじゃない。そりゃもうすごい顔で。……あのね、あ、ウィル君って年下が好みだったんだねそこはちょっと意外だね。でもスフィーの心がほしいならもーちょっとやわらかくならないとダメかなー。あとわたしにももうちょい優しくなっても得だと思う。自慢じゃないけど波長が合うし仲いいからさー」
「………………」
「……妬いた?」
「……違います。あの、謹慎処分の件ですけど。自分隊長のことすっごい見張るつもりなんで。期間中、自由はないと思ってください」
「え。やだなんで。まさかのわたしもターゲット? ハーレム計画? 大・中・小と全部サイズそろえて鎖つけちゃう畑の人? いやー分かるよ、たまにいるいる。いるよねーBIGな夢追い人。でもさすがに飼い殺しは。ちょっとなー。どうかなのかなぁ、そういうの……」
「なんとでも言っていればいいんですよ。今回だれを一番怒らせていたのか、じきに知れることになるんですからね……!」
「や、やだなぁ、ははは……みんなの緊張ほぐそうとしただけなんだけどなぁ。ねぇみんな?」
全員が顔を逸らし、だれも目を合わせなかった。
『使徒活性度、第三シンザシース・ポイントに到達。結界路動力、α1-3を同時連結してください』
『了解。α1-3、各アーティファクト連結同時連結カウント……3、2、1……完了。結界路動力循環クリアー』
通信が結界構築の重要地点に差しかかる旨を告げる。
それと同時に起こった変化が、彼女たちを含む全作戦参加者に緊張のひと針を差し込んだ。
◆
『結界路動力供給値、問題なく上昇中』
次の瞬間、変化が起こった。
『使徒活性値に急変! 活性上昇率、B1……C2に変移!』
『こちらの意図に気づいたかッ!? 一旦引き下がって落ち着くかどうかを――』
『――お待ちを。このまま続けなさい。召喚式規模から出せるトップスピードは導出できてるわ? どの道一発勝負。全作業、最大の想定ルートで。やりなさい』
『こちら〝黒帝〟。オタついてんじゃねーぞ、こっちは余裕だから蹴つまづくならアンタらだ。想定ルート最終D5で組み上げる。足引っ張んじゃねーぞ――』
『全作業員に通達、ルートD5で結界構築をスタート! プロット・マップ修正は15ロジックごとに更新。かならず参照してください――!』
「雲行きが怪しいですわね……!」
中衛・強化付与指揮班の中でアリーゼルはうしろのメンバーを振り返る。
重要な通信は一定階級以上の役職者のインカムにしか伝わらないし、高価なものなので全員に受信機がゆき渡っているわけでもない。それでも不穏な空気は不確かな伝聞となって広がり、装甲障壁の影に詰めた人員たちの間に不安のざわめきとなって現れる。
「大丈夫ですわよ。結界が失敗しても、街まで一目散に逃げるだけです。少なくとも最初の一撃はこの建物が守ってくれますし、まず前衛部隊が展開する手はずなので逃げ切る可能性は充分にありますわ。我を見失って、余計な手順を増やさなければね」
それよりは大きめな声とともにアリーゼルが肩をすくめて見せると、少なくとも彼女の周辺には多少の落ち着きと静けさが取り戻されてゆく。
「う、うんうん。そうですよね……!」
「スフィールリア、大丈夫かしら」
彼女の班に指揮される下位班メンバーであるフィリアルディとエイメールもその中に含まれていた。
今度は全体ではなく、彼女たちだけに向け。顔を寄せたアリーゼルは小声でささやく。
「その際は中衛の一部から後衛は完全なる撤退で、強制的に王都外まで誘導されます。でも特別任務を受けている彼女は分かりません。引き戻されるかも。ですのでその時、わたくしたちは……」
理解は早く、うなづきも、たしかなものであった。
◆
『α1-3トップノード! 結界起動充足値オーバー、7ポイント!』
『使徒周辺の余剰断片渦最外輪が変則的すぎて掌握が難しい。70ロジック後でいい、〝黒帝〟側で予定を読み取れないか!?』
『最悪1万/Mbitレベルの界面崩綻じゃなければ無視していいっ! 総体が破綻しなけりゃ結界は自分で完結する! 縫製班はプロット・ポイントだけを死守しろ!』
「無理だバカっ――って違う、そっちのことじゃない! あーーーうるせーこのインカムうるせぇ! 必要なことだけ通せねーのかクソっ」
『急場の用意だったし、本来こんなに大人数で使うものじゃないのよ。我慢なさい?』
「俺なら作れるんだよ」
「テスタード様、でももーちょっと、やさしく接してあげてください。大変なのは皆様同じですし。あ! インカム外しちゃダメです分解もいけません! あとにしましょっ、ねっ? って術式を手放してないですよね!?」
「やってるわうっさい!」
「へみゅっ」
肩上でうるさい白猫を引っぺがして回廊に投げ下ろし、改めて眼下のノルンティ・ノノルンキアを睨みすえる。
着け直したインカムの中では、すでに結界構築の秒読みが始まっている。表層は慌しくても王都最高峰機関選りすぐりの術者たちだ。結界は完成する。
「うまくかき回したつもりなんだろうが、知能は犬以下か? おめーが相手にしてんのは弱っちろい個じゃなく厄介な集合なんだよ」
敵意と警戒ある巨眼と交錯し、ニヤリとする。
『三重結界路スタンバイ。起動カウント8。6――』
「『魂の束縛』、結界とコンマ03で起動する」
宣戦布告の時がくる。テスタードは目を閉じ意識を集中した。
短くもあり、永劫のように長く。目指していたのと違う場所で。少しだけ違う方を向いて。今、ここにいる。
こんな時は仲間の顔が浮かぶものかと思っていたが、まぶたの裏の暗闇は揺らぎもしなかった。
郷愁を振り払うよう、替わりに自分の意思で思い浮かべたのは、今もどこかにいる小生意気な後輩の顔だった。いつの間にか自分の力では思い起こすことも難しくなっていた仲間たちとの情景が、なぜ彼女を通すと簡単によみがえるのか、不可思議でしかたがないことだ。
(借りは、返す。お前の言う通り、この先にまだ道があるのならな)
『起動――』
一瞬で、天を覆う大津波のような勢いの七色のヴェールが競り上がってゆく。
目を見開き。いつ開いていたかも分からず。テスタードは拘束式に力を注いでいた。
『魂の束縛』――!
〝――――!!〟
振り下ろしたこぶしの先から、使徒の頭頂部まで。出現した純黒の巨鎖が貫くように魔王使徒の高度を一瞬落とし、今度はその底面に向けて地上部隊から十数本のアンカー・パイルが打ち込まれる。
使徒と直結する感覚。単眼が見開かれるのを見る。広大な暗闇と自分が入れ替わる一瞬だけの錯覚。喪失感にも似た圧倒的空虚に自我を保ち、己の存在を叫ぶ。あるいは魔王への果てなき呪いを。
「……ード様! テスタード様っ!?」
「っ……! へへっ……!」
膝を折り床に額を着いた姿勢で目覚め、膨大な汗を舐め取る白猫を抱え上げて起き上がる。
使徒は、60メートルあった直径を20メートルは減じさせていた。
〝……キィイイイイイイイイイイイ!!〟
どこから出しているかも知れぬ絶叫。かぶりを振るように震え、瞳孔は驚愕に開かれている。その姿に指を向け、ざまぁ見ろとテスタードは口の端を吊り上げた。
結界は発動した。使徒はその存在規模を大幅に制限され、感覚のズレに躊躇が生じる。
この直後、今にも。術士本陣から特大のパンチが飛んできて、それが宣戦布告だ。今にも――
「……?」
〝…………〟
巨大な単眼と同調して、ぱちくりとした一拍が流れ。
攻撃術式は、飛んでこなかった。
「おい…………!?」
己を捉える魔王使徒の単眼が怒りの様相に引き絞られ、〝黒帝〟は新たな汗をひと筋、流した。
◆