(3-39)
「じゃあね、またおいで」
それからしばらくを幸せな満腹の余韻に浸らせてもらい、翁も竜に屋台を牽かせて去ってゆき。
アイバは庭に残ったスフィールリアに並んで腹を叩いた。
「いやー、食ったな! あんなうめーメシ初めて食った! 学院ってすげーななんでもあって!」
「それはよござんした。いつも遅い時間の営業だし店の種類も開いてるかもランダムだけど、お金とか時間とか余裕があったらおいでよ。一緒にいこ」
「あ、ああ。そだな」
「……」
「……」
沈黙。ののちに。
「えっと、それでさっきの『お話』だけど。聞くけど」
ぎくと震えたアイバだが、また意を決して姿勢を直した。
「お、おう――あのな」
「うん」
「聞いてみたいことがあっ――」
とそこで、ガサリと茂みが鳴ってまた邪魔が入った。
「チィース……なんだよ無駄に広くてウゼェなこの森、そしてこの住所」
「あ、センパイ。シャバ出られたんですね、お勤めごくろーさまです……あれ、アイバどうしたの? お腹痛いの?」
「ッッッ…………」
アイバは痛恨の極みでうずくまっていた。いや邪魔もなにも最初のは自分のミスだが……
「ほーう」
重罪嫌疑をかけられて拘束されたと聞いていたが――極めて普通に現れたテスタード・ルフュトゥムはアイバの顔横に一枚の葉っぱを差し出した。
「そーいう時はコレだ。途中で拾ってきたモンで未加工だが効くには効く。世界を滅ぼしたくなるぐらいニガグセーいけどよく噛めよ」
「ありがと……でも違うんだ……違うの……」
「そうか? 安くしとくんだがな」
未練ありげに、葉っぱを真新しいサイドポシェットにしまう。
「あたしの縄張りのものでチンケな商売しないでくださいよ……」
「一文無しナメんな。つぅか森の資源は平等だろ」
言いつつ〝黒帝〟も自身でみじめを自覚するようにそっぽを向いていたが……
「うまくかましたみてーだな。ほめてつかわすぜ、助手」
向き直ると、そう言って、笑った。
「チョチョいとだって言ったでしょ!」
ニヤリとした〝黒帝〟に、得意げなVサインを送るスフィールリア。その顔にある誇らしさは、彼の賞賛を受けてこそだと分かる。
「で、いつ出られたんです? なんか用ですか?」
「おう、夕前にはな。そっからずっと詳細聴取だのあの目玉野郎の前だの引きずり回されて……連中メシも寄越さねーでこんな時間になって放り出しやがって、くそ」
「あー、そっかぁ。なぁんだセンパイも、もーちょっと早くきてればごはん屋さんきてたのになー」
「はぁ? メシ屋ぁ? こんな時にこんな森に……ってなに言ってんだお前」
と、急にテスタードに顔を向けられたので慌てて肯定する。彼はますます大丈夫かお前らみたいな顔つきになった。
「ほんとですってば。屋台車だから別におかしくないですぅー。っあー、惜しかったなぁー、損したなぁーセンパイ。清らかな心を持ってないと出会えないんだな~きっと」
「なんか無駄にムカつくな……屋台、メシ……ってああ。パロさんの店か!」
ポンと手を打ちテスタードが得心顔になった。次には「なにが清い心だくだらねぇ」としかめ面になるが。
「<煌桜洞>だろ?」
「こーおーとー? なに言ってんですか?」
「……出せ。ポイントカード。今すぐ」
「……」
スフィールリアが取り出したふたつ折タイプのカード。それをジト目になったテスタードが引っくり返して突き返してきた。
「あ……こ、これかぁ」
アイバも覗き込んだが正直なにかの記号だと思った。……が、装飾文字だ。
「……」
スフィールリアはしばらく、なにかに気づいたようにカードの文字を見つめていた。しかしはっと顔を上げると〝黒帝〟に指を突きつけていた。
「……センパイがさんづけ!? なにか重大な呪いでもかけられてるんじゃ」
「ほぉ~う。そいつは興味深いなぁ? 詳しく調べたいからテメーのアタマを開けてもいいか?」
「うっ、だ、だって……タウセン先生ですらタメ口なのに……」
あのなぁ、とどうしようもなく笑えない出来の冗談を噛み潰すような苦い顔で、テスタード。
「なんだと思ってんだか知らねーが、あのジィさんはマジの別格だからな。対峙したら俺だってロクになんもできねーぞ」
えっ、とスフィールリアは声を上げた。
「強いんですかっ? 腕っぷちのハナシ!?」
「ああ、とんでもねーぞ。街じゃ大陸の最強はだれだの、何番の聖騎士団長とかどこの家とかくだらねー論議してるが……俺から言わせれば、なににおいてもあのジィさんだね。アレを抜かしてなにを語るんだって感じ。ソースのねぇパスタで喜んでんだから。笑っちまうね」
彼の語る口には熱がこもっていて、本当に心からそう思っているのだと分かる。
「ほんとにすごい人だったんだ……」
スフィールリアはしみじみとした息を吐きながら、改めて<煌桜洞>のポイントカードとやらを眺めていた。
次にちらとアイバの方を見上げてきた。
「……え、なに?」
「あんたの大先輩ってことよ!」
「なんでだよっ」
腰を蹴られて数歩ほど撤退する。まったく意味が分からなかったが、痛くはなかったし、彼女の顔は面白そうに笑顔だった。
「あー、メシ屋って言われても分からんかったわ。俺あの人の店は素材屋にしか当たったことねーし……そういえばメシもやってるとか言ってたな……」
「えーー! なに言ってるんですかあの人ごはんの人なんですよ! ていうかあたしなんか素材屋さんまだ二回しか当たってないのにー!?」
「いやそんなこと言われても俺の責任じゃねーし……そういや今までは、それ以外必要だと思ったことなかったしな」
「……」
「ハラでも減ったら、今度は探してみるかな」
とぼんやりどこかを見通しながら言うテスタードの表情を見て。
なにか変わったか? という直感をアイバは覚えた。
以前に会ったのは二回だけだが――そのいずれの時も彼は自信にあふれて不敵であり、他者としての介入や手心をためらわせる空気があった。だが今の顔を見ると、あれらが全部硬質の仮面であったのかとも思わせる。
スフィールリアもにっこりと笑ってうなづいている。
「うんうん。いーんじゃないですか。で、なんか用件だったんですか?」
「ああ。ちょっと顔見てこうかとな。それとうちのねこきてねーか。あったらついでに『晶結瞳』も――」
「デスダーーーード様ぁあああ!」
べちゃり、と。
屋根あたりの方向から滑空してくる形で、白い猫がテスタードの顔面に張りついた。
「デズダーード様、ご無事な姿を見られてぇ! もしテスタード様が帰ってこなかったらわだじはぁ! 拾っていただいたご恩をぉお! ヴォーーー!」
「分かった、わーーったから、ウザい、爪、ウザ……うぜぇ!」
引きはがして肩の上に乗せられなおもグシュグシュと泣いている白猫をともなってテスタードが『晶結瞳』の方に歩いてゆく。
「おうアレ借りるぞ」
「いいですけど、なんでです?」
「保険用に、拘束式を完全保存状態で記録媒体寄越せとか言われたんだよ。どーあがいても空白になる固有依存部分も可視化して記録するなら起動状態で強制的にダンプ・ショットするしかねーだろ。ったく、そんなもん作っても意味ねーってのに……専用の媒体練成しなくちゃいけねー上に工房空っぽにしやがって。今から城まで登って抗議する気力ねぇわ」
「ああいや、そうじゃなくて。それもご苦労様ですけど……わざわざ『晶結瞳』使う必要あるんですかって? エレオノーラがいるのに」
テスタードが補足してくる間、うしろ向きに担がれているエレオノーラもしゅんと耳を下げていた。
「コイツは特殊の上に特殊でな、元となったはずの主体としての『晶結瞳』を持ってない。だから能力を引き出す時は別の実在する『晶結瞳』に間借りする必要があるんだよ。ウチの『晶結瞳』が金魚鉢の親玉みてーになったのもその関係だ。主体がないゆえに元の道具のサイズに制限されない。利用する道具の性能全域に影響できる」
「面目ないです……」
「へぇ~!」
「ある意味俺様と同類というわけか」
すとんと屋根から下りて隣に並んできたフォルシイラが言う。
きらんと目を輝かせて。
「……まぁ、俺様の方がスペシャルだけどな?」
「ふーん」
「本当だぞっ!!」
必死にアイデンティティを保とうとする金猫を押さえつけて、スフィールリアは彼をクッション代わりにするべく引きずっていった。
「で、結局話ってなんだったの?」
隣に座るスフィールリアが覗き込む首を傾げてくる。
場所は家の屋根に上がり、ふたり。地面がまだ乾いていないからだが。
「まぁ、俺様もいるけどな」
誇らしげに目をきらんとさせて、フォルシイラ。
「ふたりきりじゃないとダメなら待つけど」
「さぁ話せ。王者な俺様が小物のどんな相談でも聞き流してやろう」
スフィールリアの背もたれになっているのはもう当たり前のことらしい。
「あ、ああ、いや。そんなことはない……と思う」
アイバはちらと庭を見下ろした。
〝黒帝〟は輝く『晶結瞳』の前に立ち黙々と集中している。どちらにせよこの距離とこの声では聞かれることはないだろう。
なので、意を決して……切り出した。ただ、彼女の顔を見ることもできなかったが。
「ええっと、お前ってさ。あのセンパイさんのこと」
「うん」
言う。意を決して。
「す、好き……なのか?」
「はあ?」
予想のどれとも違い――即答で返ってきた声はと言えば、それだった。かなり勇気を振り絞ったのだが。
拍子抜けして思わずスフィールリアを見た。彼女はものすごい馬鹿を見る目を向けてきている。アイバは慌てて身振り手振りで補足を加えた。
「い、いやだからさ。お前のこと聞いたんだよ。あの夜から今までのこと。かなりヤバい橋渡りまくってさ。だからその、そこまでするのは、その」
「……」
「好きだから、じゃないのか……って……」
「……」
「……思った、ん……だけど……ですけど……すいません」
最後は視線の圧力に負けて謝ったが、彼女はまだ視線を外さず、しばらくアイバを見ていた。
「……」
が、やがて嘆息すると、抱えた膝のうちに顔半分を隠した。
「ひょっとして、アリーゼルたちにもそう思われてるのかな……」
声はどこか、かすかに苛立ちを含んでいるように思えた。
「それは聞いてこなかったけどよ…………ち、違う、のか?」
スフィールリアは今度こそ大きくため息を吐き出した。
「なに深刻っぽい空気出してるのかと思ったら。……違うよ。ただちょっと、自分自身と重ねただけ。センパイのプライバシーでもあるし、言えないけどさ」
「……」
「そしたら、ムカついてきただけだよ」
とてもシンプルな結論を残し、沈黙が降りる。
アイバはしばらく言える言葉もなく彼女の横顔を見つめていた。その視線はテスタードの作業風景に固定され、静かに練成の光を照らし返している。
彼女が自身のなにを重ね合わせたのか。それはいくつか思い当たることがあるようでもあり、結局は分からなかった。
「えーっと……」
「なに。まだなにかあるの」
「い、いや」
これは言うべきじゃないなと考えが至る前にアイバは口を滑らせてしまっていた。
「お前自身としては、ど、どうなんだ? あの先輩のこと。少しは『好き』って気持ちとかあるんじゃねーか、って……」
言ってからしまったと思う。彼女の視線に妙に圧力を感じてしまっていたせいだ。とはいえ、勝手にプレッシャーを負っているのは自分自身の心だと自覚できてもいた。だからこその、しまった、だったのだが。
しかしもう遅い。スフィールリアはさっきと同じように『ハァ?』な顔を浮かべてから、ジットリとした目つきを向けてきた。
「なんでアンタにそんなこと聞かれてるのあたし」
「う、うん。そうだよねおかしいよな、は、ははっハハハ! ……ゴメン」
「……」
また数秒、ジットリと炙るように見つめられてから。
やはり繰り返しのように嘆息して、それでも一応は答えてくれた。彼女自身でも整理しながらという風に。
「どうかな…………まぁ、単純に女視点から見て、悪くないと思うけどね」
「えっ。そ、そうなのかっ?」
「うん。身長はそんな高い方じゃないかもしれないけどあたしからすればよっぽど高いし。顔も怖い表情してなければかなりいいと思うし」
「くっ、顔かぁ……くっ」
「うん。それに将来有望でしょ。お金持ちだし。アイバの一億倍ぐらい」
「うっ!」
「術士同士だからお互い目標にできそうだし、切磋琢磨っていうのか。尊敬し合えそうってのがいいよね。話も合わせられるし」
「ぐっ!」
「まぁ優しい言葉は期待できなさそうだけど……それでも優しくないってこととは違うし。なんだかんだで周りのことは気を配ってくれてるから、甲斐性はあるよね。ガサツじゃないっていうか。アイバと違って」
「うぐっ!」
結論として、と前置きして。
「もし告白とかされたら……考えちゃう、かな?」
衝撃は覚悟していた以上に大きかった。なにも言葉が出てこないほどに。やっぱりやめときゃよかったという念だけが漠然と頭の中を漂っている。
が、次にパッと種明かしでもするみたいに放り出された言葉はやはり予想の範疇にないものだった。
「でもあり得ない話ね。センパイ好きな人いるから」
「えっ!? そ、そうなのか!?」
あっさりとうなづき、スフィールリア。
「うん。たぶん今でも想ってる。ずっと昔から……これからもずっと。だからま、そんなの最初から考える余地もないことだよ」
今は気持ちよく足を投げ出し、〝黒帝〟を見るスフィールリアの笑みに偽装の色はない。ただ素敵なものを見つめている目がそこにはある。
今の話、そしてこの顔を見れば、なるほど自分がどれだけアホなことを言ったかよく分かる気がした。聞くまでもない話どころか、きれいだ素敵だと感じていたものを見当違いに茶化された気持ちだったのだ。それも観客である彼女自身を投入しようとする形で。
「あ、あー……」
しばしの失語状態を漂い。アイバは知性ではなく本能から、かろうじて適切な言葉をひねり出すことができた。
「ヘンなこと聞いてすんませんでした」
「ほんとだよ」
彼女が呆れた風に笑い、アイバもようやく平静を取り戻せそうだった。
それまで足を踏み込んでいた場所から明確な一線を移って、今は明らかに安堵している。なぜだかそれは死地を脱した直後の心境に酷似していたのだが。
「それに本当に正直なこと言うと、恋だのなんだのってあんまり考えてないんだよね。性じゃないし。学院でやりたいことだってまだまだいっぱいあるしさぁ」
「そ、そっか……そうだよなウン! お前らしいぜ!」
それはそれでギクリとしたが。
スフィールリアは正面を見ていたので気づくことはなく、疲労のにじんだ息を吐きながら自己完結ぎみな愚痴をこぼしている。
「やっぱりヘンかなぁ、他人のためにここまでするのって。うん。まーやりすぎだったよね」
「え。あ、ああ。いや、まぁな。お嬢様たちがどう感じてっかは知らないけど、俺はだから、そんな風に思ったからよ……」
「まぁね。あたしもあの時はイッパイイッパイだったし、そんなところになんかいろいろ畳みかけられて熱くなってたんだよね。あとはなんていうかもう……意地で」
「あのな。意地だろーがなんだろーが、普通のヤツだったらやり遂げられんねーぞ。どんだけ無茶なんだ」
と今度はこちらが呆れたが、
「うーん、たしかに。あたしだってこんなコトそうそうやってらんないよ。でもさ、しっくりはきてるんだよね。これが一番よかったって」
スフィールリアは彼を向き、にっこり笑って言ってきた。
「だからさ。もしもアリーゼルとかアイバがおんなじ目に合わされてたら……きっと同じことしてた」
言葉通り、すっきりとした笑顔を見て……
しゃっくりみたいな息から始まり、アイバは大笑いしていた。なんでか笑いがこみ上げてきてしまったのだ。いや違う。
はっきりと、うれしかったのだ。
「はぁ!? そこは感動して俺もだぜ、っとか言うところでしょ! 言いなさいよ! 感動して、感謝して、心の中のあたしのランクを昇格してよ! ギブアンドテイク、持ちつ持たれつ!」
「いや……くっく……ひっひ…………」
「なんだよ、友達甲斐のないヤツだなー!」
「ああ、俺もだ」
むっすりむくれている彼女に、存外すっきりと言えた。
彼女はまだむくれている。だが、ちらとこちらを見ている。
「……」
「たぶん、お嬢様たちもな。ていうかお前そんなこと言ってたらきっと俺らがお前を助けに回る方が多くなるぜ、まったく」
「……だれでもってワケじゃないし」
まったく分かってない。コイツは危険だと心底思った瞬間だった。
彼女が自分で言った通りだ。普通はそんなことはできない。続けていれば普通はどこかで潰れるものなのだ。普通である以上、いずれどこかで普通に訪れることだろう。
だから、自分たちが助けるか、守るか、止めるかしてやらなければならない。
「そうだといいけどな。手伝うぜ」
アイバは横に置いていた聖剣をポンと叩いた。
「アイバも……戦うの?」
「ああ。どっちみち<国戦課>は作戦補佐で参加決定してる。俺がやる気伝えたらもうちょい前衛寄りにいけるかもな。あとはお嬢様たちと同じだ。なんかあったら駆けつけるからよ」
「……」
「そんでカタがついたらネコドラ亭で祝杯だ。またいつも通り! お前がんばる、俺がんばる! また飲んで食う! これだぜ!」
「うん。……うん。そうだね!」
「やるぞー!」
「おーー!」
立ち上がってこぶしを上げるふたりを、作業を終えた〝黒帝〟が変な顔をして見上げてきていた。
「じゃあ帰る」
作業を終え、白猫を担いだ〝黒帝〟が言った。
「泊まるところあるんですか? ここ使ってもいいですよ。二階の寝室は無事なんで。ちょっと煤くさいですけど。あたしはここが直るまでは学院長とこに泊めてもらってるんで」
「別に、どこでもいい。雨も降ってねーしな。目玉野郎がよく見える屋上でも陣取って殺る気を蓄えるかね。それよりなんか食いモンくれ。野菜とかでいい。今日はもうなんもする気ねーからかじって帰るわ」
「あ! 食べ物ならはいこれ、どうぞ!」
差し出したのは玄関口から持ち出した紙箱。さっきアイバたちもいただいた品だ。
「王城名物『聖花まん』! 謁見のお土産にもらったんですけど。あ、ちなみに――薔薇まんはあたしが真っ先にいただきました」
「なんでドヤ顔なんだ? ムカつくんだよ」
ひょいひょいひょいと手のひら大の饅頭、残り全部が拾い上げられてゆく。
「あーーーー!」
ひと口で放り込まれた饅頭の一個を飲み下し、
「――甘い。次からはどっちでもいいように塩っ気と甘いの両方用意しとけ。いいな助手」
「助手っていうかそれもう子分じゃないですか! せめて一個返してくださいよ~、あとひとり分けてあげたい友達がいるんです~~」
「ふん?」
適当に一個が箱に戻されて……
テスタードは立ち去る気配を取り消し、工房内の素材群に目を留めたようだった。
「うまくやった、か」
「モチですよ。なに言ってんです。見ます?」
スフィールリアが菓子箱と一緒に持ち出してきていた紙束を渡し、それを〝黒帝〟が一頁一目ずつで読んでゆく。
「デッドストックはほとんど残ったか。そりゃこんな値段じゃあな……つかふたつ買い手がついてんのは正気なのかこいつら」
アイバも覗き込ませてもらって絶句した。特別に分けてリストされているらしい品の大半が赤線で潰されているが、ふたつだけ潰されずにマル表記されているものがある。そのゼロの数が、ちょっとよく分からない。ゼロじゃなくて記号の羅列に見えるレベルだ。
「まぁいいんですよ。売ることが目的じゃないですしね。センパイ言ってたじゃないですか。結果としてお店全体が目標を達成できれば勝ちだって。真似しました!」
彼女のVサインに不意打ちを食った顔で「む」と固まってから、〝黒帝〟は気が抜けたように笑った。
「ま、お前にしちゃ上出来だろ」
次に、ふふーんと鼻高げにしているスフィールリアから、アイバの方を向いてきた。
「な、なんだ?」
「いや。……悪かった、な」
「え? え、いや、な、なにがだ?」
「到底無理な指示を出した。人殺しになれとか……バカな要求だったろ。すまなかった」
と、しっかり身体を折って頭を下げてくる。スフィールリアはあんぐりしている。
アイバはうろたえた。
「ま、待ってくれよ、あれは俺がよ……」
ようやく、なんのことを言われているのかが分かった。大図書館の夜でのことだ。なにかしでかそうとしたあの上級生を叩き落せと叫ばれた。自分は動けなかった。
その結果は今目の前にある。後日にはさらなる結果が白日の元となるだろう。ノルンティ・ノノルンキアは現れ、王都の命運を賭けた戦いが開かれるのだ。決して無傷では済まされない戦いが。死者も免れないだろう。あるいは、全員が死ぬ。
「あれは俺が……悪いんだ。俺がするべきだった。そうすりゃこんなことにならなくて、コイツもアンタも危ない橋渡ることなかったし、それなのによ。あんたから謝られちまったら……」
拘束中、事情を聴取されたあとも――だれも口にはしなかったが。
その後悔が常にアイバの中に渦巻いていた。もし自分が迷いなく決断できていたら。
「申し訳なさすぎてよ……どうしていいか分かんねーぜ……」
「なに言ってんの。似合わないこと考えてんじゃないわよ」
足を軽く蹴られ、うつむいていた顔を上げると……
声とは裏腹に、スフィールリアは笑っていた。
「そんなのあんたの目指したものじゃないし、人ひとり殺して、みんなの代わりにあんただけが背負わなくちゃいけないことじゃなかったでしょ。全然問題が別よ」
「そうだな」
顔を向けると、テスタードもあさっての方を向き、かすかに笑みを浮かべていた。どこか空虚な笑みを。
「いつぶっ殺しただの、いつぶっ殺しときゃよかっただの……そういう世界じゃねーんだよなぁ、ここは。似合わねぇ。汚れる必要のねーヤツは、踏み込まなくていいんだ」
「……」
「野郎は、俺がぶっ殺す。俺が決着つける問題だ」
きっぱりと言って。
特に挨拶なく、テスタードは森の出口へと歩き出した。
確認せずとも分かる。彼が向いていた方向。そして進みゆく先には、魔王使徒の姿があると。
「うし!」
と顔を叩きアイバも、駆け出しながらスフィールリアに声をかけた。
「俺も途中まで一緒に帰るわ! 今日はありがとな!」
「がんばろーねー!」
うしろ手に手を振って、アイバは闇に消えて間もない〝黒帝〟の背中を追いかけた。心配はないだろうが、念のために。
少し話をしておきたいとも思っていた。なんとなく、キアスに覚えた直感と同じだったのだが。これからもつき合うことになりそうな気がしたから。
◆
そしてすべての人員の配置と役割の説明も滞りなく完了し――会戦の日が訪れる。
◆
教職員棟を目指し、テスタードは歩み進む。
そこが作戦配属先。もっとも頑健で、もっとも死に近い場所だ。
手渡されたインカムの機能はすでにオンになっており、作戦始動前の静かにして緊迫に満ちた無数の連絡事項を流し続けている。
逆Uの字になっている教職員棟敷地の中央に入り――朝もやの中、進む先に無数の人影が待ち構えて近寄ってくるのを察知していた。
互いにたどり着く。正面に立ったのは白金の鎧をまとった流麗の男だった。
「すまなかった」
「……?」
きっちりと身体を折って頭を下げた〝白竜皇〟に怪訝な顔だけを返す。
「アンタに、なにかされた覚えはないが」
そんなテスタードに、体を戻した聖騎士団長はまっすぐ目を合わせて、言う。
「それなら、それでいい。だが自分の行為のけじめはつけておきたかった」
「分からんが……」
「君の事情は少しだけ聞かせてもらった。ともに守ろう。この国と、この国の――未来を。君が要だ」
一方的にそれだけ言い、トンとこぶしで肩を叩くと、すぎ去ってゆく。
続き、彼の部下たちも。次々と去ってゆく。こぶしを当てながら。テスタードは押されながらもかまわずに進んでいった。
次に見えてきた人影はもっと多様でバラバラだった。キャロリッシェ教室の面々。
「激励にきてあげたぞーん!」
「別に頼んでねーよ」
「またまたそんなこと言っちゃって。命を預けて信頼し合った仲間はね、しだいにかわいートコを見せてゆかざるを得なくなるのよ。諦めて、覚悟しておくことね」
「なんで脅し風なんだ」
教師の肩越しに見れば、遠慮がちに控えた生徒たちの顔がある。その大体は「え、先輩こんなことになってるの? なにしたの?」という感じ。要するに、怯え。いつも通りということだ。
「……」
その中には、ジルギットの姿もある。冷めた目で。長らく教室の秩序を冷やし続けた〝黒帝〟の末路を見届けようとしている。
テスタードは分かりやすくため息をついて嘲笑った。
「はー雑魚い。せいぜいうしろに隠れて縮こまってろや。俺の邪魔はすんなよ」
「うーわかわいくねー……」
「はーいみんな! この戦いが終わったらテスタ君が豪華な昼食を奢ってくれます! お礼を言いましょう! さんはい!」
『ありがとーございまーす!』
「意味分かんねーよブァーカ!」
気が抜けつつきっちりそろった声は練習してきたもの以外にない。くわっと目を見開いてすごむがアホ教師には通じなかった。
「じゃー用件はそれだけだから。がんばってね~」
「ほどこさねーぞボケェ!!」
ぞろぞろと去ってゆく。
最後。正面玄関の柱にもたれて待っていたのが、アイバ・ロイヤードとキアス・ブラドッシュだった。
同時に身体を持ち上げ、歩み寄ってくる。キアスは無表情。アイバの方は軽く話したせいか気さくに手を上げて。正直なれなれしい。
「っ」
そしてすれ違いざま、同時に肩を叩き――去っていった。
強すぎてたたらを踏み、愚痴る。
「なんなんだ……」
なんのメッセージ性があったのか知らないが。体育会系というのがこれで的確に意図を読み取れるというのなら解剖して研究してやりたい気分だった。
「……」
無人の教職員棟を、黙々と登り。
たどり着いた時計回廊の先で、テスタードは下界を睥睨した。
視線の下には、暗黒の球体。
その巨大な単眼が開かれて――〝黒帝〟と不死大帝の僕の視線が交錯する。
〝…………〟
「いよう、兄弟。おねむの時間だぜ……永遠のな」
使徒活性のアナウンスが全回線に伝えられ、作戦が始まった。