(3-36)
「アレンティア・フラウ・グランフィリア!?」
「はいどーも!」
アレンティアはスフィールリアをキアスと挟む形で後方の聖騎士団に対峙しており……明らかに彼女を守護する姿勢を見せている。
手には抜き身の『薔薇の剣』。
その刀身を持ち、柄をキアスに差し出した。
「丸腰じゃキツいでしょ」
「やめておく。わたしが扱えるとは思えないし、君以外がそれを持っても戦力が半減する。慣れない武器を振るぐらいなら素手の方がマシだ」
「りょーかい」
再び、構え直す。
ここにきてようやく貴族陣から悲鳴が上がった。
「なぜ――なぜあなたがっ!?」
「王の御前で抜剣など!」
「『ガーデンズ』の所持者が……ただでは済みませんぞ!」
「いやです……なにかの間違いです! みなさん剣を……いえ、王よ! 話し合いを!」
事態の変遷に理解が追いつかず、ただ最終的に目の前に現れた光景だけが叫ばれている。
だが、実際にはもっと危うい均衡の中にこの広間はある。
「……アレンティアさん」
視線は前方から逸らせぬまま、気持ちだけていど振り返るスフィールリア。こんな時でもアレンティアは気楽だった。
「いやはやー、思い通りにいかない時ってあるよねぇ! しかたないしかたない! まー切り替えていこーよ。これからどうしよっか? 手伝うからさっ!」
「……すみません」
「いいのいいの!」
「あはぁ……!」
陶然とした息を吐き出しているのは状況の元凶でもあるシリェーニャの小男。大気を、状況を、緊迫を。すべてを受け止めるかのように両腕を大きく広げ、恍惚とした表情をどこへともなく向けて涙まで流している。
「ここかぁ……俺様の運命はよぉ……〝黒帝〟ぇ! お前はこんな形で俺様との約束をぉ……!!」
この中で一番戦えなさそうなくせに一番堂々としているのはなんなのか。頭がおかしいのか。単にそうであるなら分かりやすくていいが、そうでなかった場合は果てしなく面倒だ。妙なことをしてこれ以上事態を悪化させてほしくはないのだが、この状況を切り抜ける自信があるようにしか見えない。
ひょっとしたらどの相手よりもまず先にブチ殺すべきなのかもしれないがそれはそれで面倒なのが腹立たしい。
ちなみに不良シスターの方はと言うと、どういうわけかこちらもやる気満々の様子で腰溜めに身構え「薔薇の御大と一緒に戦うのって初めてじゃねぇ?」とか話しかけている。「そー言うけど丸腰だし大丈夫? 足引っ張らないでね」とか返されているがそういう問題じゃない。フォマウセンでもひと目見て分かるほど彼女は聖騎士団に対抗できるレベルではない。なのになぜこうも血気逸れるのか。
フォマウセンは頭痛がしたような気がして、ため息をつきながらこめかみを押さえていた。この動作ミスター・タウセンに似てるだろうかなど思いながら。たったそれだけで身構えた聖騎士団長たちがビクリと動くていどのことさえ煩わしい。
(すべてを思いのままに、などと大それたことまで考えたわけではないのだけれどね)
アレンティアの言葉に心底から同意する。まったくままならない。それどころか、どうしてこううまくない方にばかり転がっているのか。
(フィースミール師。わたしはまだまだ謙虚さが足りないのでしょうか?)
「……よくは、ない。よくはないぞ、アレンティア・フラウ・グランフィリア!」
第一聖騎士団長。アルフュレイウス・ディウヴォード・パルマスケス。
フォマウセンに対峙し、ストレスから汗を滲ませた苦しい表情の彼の呼びかけに、アレンティアが気配だけを振り向く。
その彼女に六花元帥が非難の指を向けた。
「どういうつもりだと聞いたぞ! 今すぐに武装を解除し、申し開きをしてみよ!」
アレンティアの返信はあっけらかんとしたものだった。
「いやー、それは、ちょっと。かっこ悪すぎるんで。アレンティア・フラウ・グランフィリア、この子に味方します! ごめんなさい!」
「貴様ぁ、陛下を裏切るのか……!」
「やだなぁ! 最初の契約任期はもう果たしてて、あとの更新はわたしの自由意志ってハナシだったじゃないですかー」
「くっ、のっ……!!」
憤怒の色に顔を染める元帥に入れ替わり、再び、第一団長。
「お前の剣は、そんなことのためにあったのか」
「剣の意味……ですか? いやぁ申し訳ない。未熟者なもんで、まだまだそんな域じゃないんですよ」
「それを探す旅だったと聞いた。だから俺は、お前はこの城に、この都にそれを見出したのだと思っていた。ともにこの国と陛下をお守りしてゆくのだと。それが……これかッ!」
「どんなことだと思ってくれているのか分かりませんけど、わたしには今のところこれ以上のことは分かんないんですよ。アルさんなら、分かりますか? わたしが分からないことも、わたしに見えないものも、わたしがほしいものも。全部教えて、導いてくれますか?」
「……分かる。ある! お前の剣は陛下のような主に仕えるべきものだ。個人よりも大きなものに。大きな剣を! より多くを助ける、正しい方へ! 陛下の下にはそれがある。必要ならばいいだろう俺が導いてやる。だから今は剣を引け!」
「わたしの剣はいつだってわたしより大きくて……あの日、ハートローズをわたしに預けた兄貴の……みんなに見えてるわたしに近いわたしになれたかどうかさえ、わたしには分かんないですよ」
「今は分からなくともいずれ分かればいい! なんとかしてやるから今は退けッ!」
結局アレンティアは笑みの吐息とともに首を横に振った。息と一緒に小さく聞こえた言葉は、うらやましいです、だった。
一連のやり取りの最後に、王が声を出した。引き留めるように手を出し、悲しそうに眉を下げて。
「いってしまうのかい?」
これにも、彼女は惑いなく答えた。非難ではなく、自信に満ちた笑みで。
「あなたが、奪う者になるのなら」
「…………」
王は衝撃を受けたように目を見開き……次に、玉座に沈み込んだ。深く深く息をつきながら振った頭を抱えている。いたましい姿だ。
だが聖騎士団長の離反とはそれだけの大事だろう。特に対魔王使徒会戦を控えた今となれば。
聖騎士団の面々も動けずにいる。
状況の是非を問いたいこともあるだろうが、やはり彼女の力を分かっているからか。
今の彼らは正規武装ではない。そこに無手とは言え聖騎士団長級と名高いキアス・ブラドッシュに彼女まで加われば、与える重圧は相当なはずだ。
この数の差であれば敗北はあり得ないが、損害もどれほどになるか分からない。
もうひとつ。あるいはこの二名より強い均衡の要素が、フォマウセンだ。
正直な話フォマウセンであればひとりでもこの場の戦力は無力化できる。多少難しいができる。スフィールリア、キアス、アレンティアを守りながら、ぐらいなら。
だが、できない。
そんな問答無用なことをすれば彼女たちは人類の敵になる。その先に守る者の幸せはない。その選択肢はナシなのだ。
だから、まだやっていない。永遠にできないのだと察知される前に――そしていざともなればやらねばならぬというところに至る前に。
なんとかしなければいけない。
緊張の糸は限界に近かった。もうすぐだれが始めるともなく戦闘が始まってしまうかもしれない。
そこに、動きを示す者が現れた。
「……このようなことを、諸兄のような信念ある強者たちに述べるのは、まことに恥ずかしいことなのだが」
緊迫した沈黙の中、おもむろに紡がれたキアスの言葉が、大きく静かに響く。
「夜明けまで……だ」
「…………」
「わたしには難しいことは分からないし、すべてを覆すほどの巨大な力を持つでもない。理想的な解決法だって持ってはいないし、諸兄ら全員を相手に勝てるとも思ってはいない」
す……と、彼の無骨な手が、その胸に添わる。
白みがかった青い花の飾りに。
「だから――夜明けまで、だ。こんなわたしだが、ようやく信義と呼んでもいいかもしれないものが持てそうなんだ。もう二度と知ることがないと思っていたこの花の意味を伝えてもらった恩義だけは死んでも果たしたいと思う。夜明けまでわたしは絶対に倒れない。いくら笑ってくれても構わない……だがなにとぞ、諸兄らはそのつもりでかかってきてくれ。覚悟がない者は討たないと約束しよう」
重圧が増した。
だれも動けなくなる。
それは気迫だとか殺気だとかいうものがキアスひとりから放射されたというのではなく、彼の言葉を受け止めた聖騎士団の面々からにじみ出る緊張やストレスが形作る空気だった。
「こいつぁおもしれーや」
事態の推移を玉座うしろの特等席から見守り、最初に出た言葉がそれだった。
妹が食ってかかる。
「面白くありませんわよお兄様のおばか! ああせっかくのお客様が、おまけにアレンティア様まで……そうですわ! お兄様のどちらかが全裸になって奇声を上げながら飛び出していけばこの事態を吹っ飛ばせるのでは? さ、ではジャンケンしてくださいね!」
「そりゃ吹っ飛びはするんだろうけど」
「ええと、そうだな。お前がいけば?」
「なんという破廉恥! 信じられないほどのエッチ魔人……お兄様たちはどっちか無事ならいいですけどわたくしには換えがいないじゃないですか。お誕生日のプレゼントということでひとつ。やってはくださいませんか?」
「本気で言ってるんだよなこれ? お前、ぼくたちの認識そんな風だったのか……」
「つぅか何回誕生日あるの? すごいよな。別次元の生き物。脱皮でもしてるのか」
「してますが。おふたりはしないので?」
「本っ気でお前の部屋を根こそぎ荒らして皮が発見できないまで安心できないからやめろな……? やるとなればやるからな……?」
「ああ常に新鮮な驚きを与え合える家族……」
「いい話風のつもりかっ」
「あいたっ! そんな本気で……うう。では、どうするって言うんです」
「やれやれ。お前ならもっとマシなプランがあるだろうに?」
「さぁ……どうでしょうか?」
「まぁ、放置だな」
発言に。
「……」
「……」
しばし注視してきていた兄と妹が、同じように視線の向きを戻した。
「ですよね」
「これだけそろってしまえばね。ほかにないだろう」
「はぁ~。せっかく盛り上がったと思ったのに結局予想づくめなんて。つまんないですわ」
「お前まさかそのためだけに裸踊りとか言い出したの――?」
(いいや間違いだ。おもしれーって言っただろうが)
予想づくめと言えばそうだが、そうではない。そう思えないのは彼らが知らないことがあるからであり、彼らの興味の外側にあるということだ。
このふたりに足りないものがあるとすれば……それだろう。必要外のものへ向ける興味。
妹はそうでもなく、実際ギンギンに興味を抱き始めているようだが――彼は今のところ彼女の何歩か先のところにいる。
まぁつまり彼女なぞには渡さないということだ。
固まっている聖騎士団の面々の中。<薔薇の団>の陣。
ウィルベルト・ホーンはしばし呆気に取られた表情をしていたが、やり取りの一連を見て、やがて……
気が抜けたようにひと息、笑った。
(まったく)
「副長、どうするんです! この状況は……!」
背後から部下のひとりが押し殺した声をかけてくる。肩に手をかけてくることはなかったが、それを思わせるぐらいに切迫した声を。
「気合を入れろ。戦える、戦うべきだと思う奴だけ構えろ。隊長は……強いぞ」
ウィルベルトはアレンティアから目を離さず、必要なことだけを告げた。
「アホみたいにな」
「そりゃ知ってますがね……はぁ。まさかこんな形で隊長とやり合うことになるとは」
マズい。――マズい、マズい。
第一聖騎士団長『白竜皇』アルフュレイウス・ディウヴォード・パルマスケスは、じっとりと滲む汗が襟下に流れ込んでゆくのを感じながら、増した重圧のサイズを計り知ろうとしていた。
(マズい)
とにかく、そのひと言しか出てこない。
「おいおいおい……夜明けまでだとぅ? おいおいおいそりゃあつまり……とことん楽しめるっつーことじゃねーかよ、おいおいおいぃ……!」
「たいちょ、みなぎってる前に武装武装! これこれ! 斧持ってくださいよ斧! 早く!」
「あぁ? 斧ってお前……素手相手になに言ってんだそんなモン持ったらあっという間に終わっちまうだろがバーカ! そう、アレ……〝ふぇあ〟じゃない!」
「素手ってなんのことですか『薔薇の剣』がいるじゃないですか! 『崩撃の砕禍』があったってアブないんですよ! ほら早く!」
「あぁ……? だからお前……なに言ってるか分かんねぇもういいわ……引っ込んでろよ無戦力なんだから……」
「ひ、ひどい……こんなに傷ついたの初めて……」
ガランドールが横で付き人となにか言い合っているがそれはどうでもいい。
キアス・ブラドッシュ。
まったく計り間違えていた。甘く見すぎていた。
<ロガァティール氷結山地>の絶対氷壁に巨大なクレーターを作った。<エボント大裂密林>にて巨森剛猿の王と素手で渡り合って殴り殺した。跳ね飛ばしたドラゴンの首に頭を突っ込んで噴き出す血を飲み干しながら笑っていた。
今まで尾ひれがついてるのかついてないのか分からぬ武勇伝や噂の類は何度も聞いた。何度か通りがかりを装いこの目にしたこともある。
実力は聖騎士団長クラス。それは間違いない。しかし装備面は信じられないほど質が低く、人望も連携もない。総合して、決してどの団の長であろうと劣る面はなしと評価していた。
それは、間違いだった。
勝てない。
正しく勝てるイメージがまったくもって湧いてこない。
覚悟のサイズが違いすぎるのだ。
相手は無手。特別な装甲もない。常識的に考えて、完全武装の自分が勝てない道理はないだろう。実際、戦えばまったく問題なく勝てるのかもしれない。
それでも……
(ダメだ……)
アルフュレイウスは抜いていた聖騎士剣から本来の兵装である『剣鱗』にジリジリと手を移そうとして……やめた。取り止めるしかなかった。たちまちにキアス・ブラドッシュの注意が向いてきたからだ。手をかければ最後、その前に彼が動き出して戦端が開かれる。
今この場この状況の聖騎士団の士気と装備では絶対に太刀打ちできない。何人が無駄死にすることになるか分からない。
もしもこのまま戦闘が開始されてしまえば、予感そのままとはいかずとも取り返しのつかない結果になるのは目に見えている。
「へっへっへ。ずっと気になってたんだぜぇ……どっちの一撃が重いか、それをよぉ……早く、まだかよ、いつまでお見合いしてんだ……早く! たっぷり交わし合おうぜぇ……!」
「た、たいちょ、斧斧! 斧です! わたしあきらめませんからね! おーのー!」
真っ先に動き出すとしたら、やはりこのガランドールか。
だとすれば自分も同時に動き出すしかない。
もっとも加減が利かない者同士のぶつかり合い。それは最悪の組み合わせだ。だが、いざとなればやるしかない。しかしそうまでして得られるものはなんだ? それは陛下に捧ぐべき正しい道であるのか?
分からぬまま、『白竜皇』は答えぬ剣に答えを求めるように、何度も柄を握り込みながら機を計っていた。
(マズいぞ……)
なぜ、こんなことになったのか。
大六花元帥は緊迫と困惑の渦に精神の半分までを漬からせながら、まったくもって理不尽な状況を睨みつけていた。
なにもこちらとて本気であの娘を痛めつけたり生命を脅かしたりしてテスタード・ルフュトゥムを恐喝するつもりではなかった。こちらも人間ではあるのだ。
いや。止むを得なければそうしたが、その前に娘が協力的になって獄中の男の説得に参加してくれさえすればよかったのだ。そのための脅しも用意してはいたとはいえ。
一斉の捕り物劇もそのための演出にすぎない。絶対的な数の差。そのすべてが聖騎士団員であるという事実を、面圧力で以って叩きつけて気力を根こそぎ奪えればそれでよかったのだ。
だが娘は折れなかった。
たわみもしなかった。
それに留まらず、どういうわけか第三聖騎士団長が寝返った。離反自体驚きではあるが……勝てるはずがないのに、寝返った。
特定の人物やチームに興味を持たなかったはずのキアス・ブラドッシュは命を賭して護るとまで言う。
すべてが理屈に合っていない。姿形だけが同じの別の世界にでも迷い込んだのか。あるいはそれと同等の反則を使われているような気分だった。
「アルフュレイウスっ」
「……」
「……アルフュレイウスっ」
「っ!?」
肩をつかむと『白竜皇』は、まるで死神に捕まったことを確信したみたいに身体を跳ねさせて振り返り……非常に迷惑そうな顔をした。
だが、詫びとか、そんなことをしている場合ではない。
「なんだ、この状況、体たらくは。なぜ動かぬっ!」
「……動けません」
自慢の『白竜皇』から搾り出されてきた言葉は予想できたことでもあり、信じがたいものでもあった。
そんな驚愕に目を見開く彼の横では<真理院>院長が諦めとも呆れともつかずやれやれと首を振っている。
「勝てやしませんよ、フォマウセン殿には。挑発なさるなら思い切り願いますよ。どうせこの場の全員死にますが、苦しみたくはないし苦しんでほしくもない。まったくやってくれましたね。終わりです、この国は」
「っ……!」
腹立たしいヒョロ男の腹に一発こぶしを沈めてやる妄想を払い、再度気つけでもするつもりで強く第一聖騎士団長の肩と注意を引く。
「なんです!」
「彼女は気にせずよい。手は出してくるかもしれんが皆殺しなどあり得ん妄想だ。――それより娘だ。娘の身柄を押さえるか、最悪のど元まで迫って心を折れればいい。障壁はキアス・ブラドッシュとハートローズだ。それであれば制圧か迂回が可能かっ?」
標的は戦闘力も持たぬ娘と聞くにアルフュレイウスの表情は不快げにしかめられたがやはり論じている場合ではない。
が、返ってきた答えは今度こそ信じられないものだった。
「全滅します」
「なんだと……!? 相手は『ガーデンズ』持ちと言えど完全武装がひとりと無手がひとり。あとはオマケのようなものでは――」
アルフュレイウスはなにもかもが煩わしい風に首を横に振った。
「覚悟のサイズが違いすぎました。自分でも正直信じられない気持ちですが……正しく勝てるイメージが、どうしても抱けない。手負いの獣だとか、そういったものに、どうあがいても想定以上の損害を強いられることがあるのと同じです。まったく意味が分かりませんがなぜか<薔薇の団>の士気が一番、というか尋常じゃなく高いですが……それでも無理です。ハートローズからもキアス・ブラドッシュと同等以上の気力を感じます――退くべきです」
「……」
「もしも退けぬというのであれば、そしてそうまですべきであるなら……この場の全戦力。使い潰すつもりでお命じください。どうにか可能な限りの手傷を負わせてみせます。――その後、王都内にて足が弱ったところに残りの戦力を投じ、封鎖を駆使し、地理も利用して包囲制圧を。叱責覚悟で述べますが、おそらく、それでようやくです。今の彼らと戦うべきではありません」
「なんっ、だとっ……!?」
正直本当に叱責したい。
眩暈がするようだった。
だが彼の嗅覚は本物だしこういう時に嘘をつく軟弱者でもない。なによりみなぎっている気迫が本気だ。コンディションは最高に近い。その彼が無理だと言っている。
「……!」
元帥は得体の知れない化け物を見るような心地で、スフィールリアを見た。
彼女はこの状況にあって微動だにしていない。媚もなく、怯えもない。ただ決然と意思の光に双眸を輝かせて(錯覚だ。この城の照明がすばらしいだけだ)王を見上げている。彼にも、聖騎士団長たちにも見向きもしない。
まるで、絶対に自分に届く刃などないと分かっているかのように。
そんな妄想を信じられるのはよほどの馬鹿か、あるいは。
(胆力だけは聖騎士団長クラスだとでも言うのか……?)
怖がらせると言ったが、あの娘の心を折るなど可能なことなのか?
「アルフュレイウスっ」
「……なんです!」
「あの娘はなんだっ。彼らの、どれほどだと言うのだ。あの娘がそうさせたのか!?」
そんなことまで自分に聞くのかと言いたげに迷惑顔をして……『白竜皇』は注意と構えを前に戻しつつ、かぶりを振った。
「……分かりません。ですが、言えることがあるとすれば、ひとつ」
「なんだっ。なんでもいい。言え!」
「彼女は、変化をもたらす者だということです。アレンティア・フラウ・グランフィリアもキアス・ブラドッシュも……その変化を受け入れた上で、今の彼らとしてそこにいるんでしょう」
「ふん、変化。変化だと? もっともだな」
その正体が分からなければ対処のしようもないではないか。
しかしアルフュレイウスは、彼が思い浮かべていたことよりももう少しだけ即物的なことを言ってきた。
「であれば、我らも決めるしかないでしょう! ――変化を。するか。しないか。手を取るか。払いのけるのかを」
「……」
「いずれにせよ急いでください。ガランドールなど抑えが利かなさそうでいつ飛びかかってもおかしくないですし、そうでなくともこの均衡は長くは保たない。向こうの覚悟が決まっている以上、動き出せばあとは引き返せぬ惨事が待つだけですよ。せめて貴族様方だけでも退避勧告をっ」
引き換えせぬ惨事とは、なにか。
アルフュレイウスの言葉が真実となるのであれば、第一、第二、第三の聖騎士団が壊滅しアルフュレイウスとガランドールが戦闘不能。さらにその後に不明な損害。切り札となり得る『薔薇の剣』を持つアレンティア・フラウ・グランフィリアまでもが欠番した上で、万全の状態の魔王使徒会戦を迎えること――
「っ……」
ごくりと喉を鳴らす。
娘を捕まえて一か八かの交渉材料にしてみるという、想定内の中でも最悪で、しかし最確のプラン。絶対な数の利。武力の開きがあった。
それが、捕まえるどころか脅しつけることもできない。相手の最強の駒が変化し、こちらの最強の駒は覆り、逆に総取りにされる危険まであると言う。
捕まえることができても、心を折ることができるかどうかさえ怪しい。
幾多もの修羅場を経験してきた大六花元帥は、戦略も理屈も超えた打倒できない状況を前に、ただ理解が及ばず反芻をするしかなかった。
――なぜ、こんなことになった?
もうひとつ。
これから、どうなる?
ということを。
永劫のように長く、しかし永遠には続き得ない拮抗の果てに。
「……スフィールリア・アーテルロウン殿。君はこの状況をどう見ているのだね?」
怒りの中に、だれもと同じく切迫したものを混じらせ、法務大臣が搾り出す。
フォマウセンは、それはお互い様だろうという気持ちで人知れず息をついた。
「……」
スフィールリアは王を見ている。
この状況が始まってからこちら、彼女だけが最初から一ミリたりとも足場を動かしていなかった。
「だれもが望んでいない状況に出てきて、だれもが望まぬものを引っ張ってきて……この結果に満足かね!? 少しでも責任を感じるならば周りの者に退くよう声をかけるべきだ!」
スフィールリアは視線さえ落とさず、冷たく突っぱねた。
「この状況があたしの意思によるのだと思うならそれは間違いです。この場にいるのはすべて自分の意思でここにいる人のはず。たかだか数分前と立ってる向きが違うくらいのことが、いったいなんだって言うんですか」
「欺瞞か! それがどれだけ重大なことか分からぬとでも言うのか! 言えるつもりかッ! だとすれば君は偽悪者ですらない。そこの男と同じ悪党だ! あるいはテスタード・ルフュトムとも――」
「黙れッ!!」
裂帛の声で大臣の非難をかき消し、スフィールリアが腕を振り払う。
「!!」
忍耐の限界が彼女を激発させたか。そのまま推し進めてゆく。あるいは毅然としているつもりで、にらみ合いのストレスに強く当てられていたのかもしれないが。
ともかくもう止まれまい。
「そして、くどい! 意思の話だと言ったはずだ! だれも望んでいない状況? よくそんな嘘がつけますね。だれもがなにかをどうにかしたいと望んでいて、その中で自分にできることやしたいことを考えて、持ち込み合って……みんなそれをしてて、そういう話し合いをしてる人たちのためにきたんだ! その中に必要な席がなかったから用意しにきたまでのこと! その彼ですら自分のものを諦めてまで差し出せるものを用意してきたのに、あなたはさっきからなんだ!」
「なに……!」
「あなただけが人間として自分の意思を示していない! 国! 政治! 道理! 無理! 役職だか役割だかの中でしか話をしない。本当は必要なことが分かってるくせに、人じゃない人よりも大きい形態を装って、本音を隠して本当はしたくないのにみたいな顔してる。なのにあなただけは人に人の意思と道を問う――邪魔だ! 総取り? やればいい! 人より大きなものになっていいところだけブン取って悪いものを全部封じ込められるつもりでいるなら――やってみればいい! だけど、あたしは絶対に許さない!」
「……」
「言っておくけどここまできたら死なばもろともなんだ。ここでとっ捕まって脅しの材料にされるぐらいなら心配しなくてもここのだれの手も使わずに自分で死んでやるからセンパイに伝えろ! あたしはあたしの意思のために首からド派手に噴水上げておっ死んだって! ミスった恥ずかしい笑ってくれって伝言と一緒に! あの人はそーいう人だから絶対笑うし、それを見て全部浅はかで小賢しくて小細工だったって、後悔すればいい! あとは勝手にがんばれ!」
最後の方はもう、息が続くまでなにか言ってやろうという意味不明な意地が見えていたが。
叫びが終わり。
しん……と静まり返った広間に、スフィールリアの荒い息だけが聞こえていた。
数秒経ち、いつだれがなにを言うのか、だれもが無責任に待ち……
数分が経ってゆく。
結局、だれもなにも言えない。
静寂だけが積み重ねられてゆく。
戦士たちの睨み合いの中、重い沈黙だったものが……今は冷えた湖の底のような静寂だった。すべてが明瞭で、在りのままの。嘘がはびこれぬ、本質の世界のような。
それが錯覚であることは間違いがなかったが、しかし、次に大臣からこぼれた言葉はそんなものさえ確信させざるを得なかった。
「それが……わたし、だ」
沈黙に――注目に。
冷たさと、透明さに。
耐え切れぬように搾り出された声はかすれて細く、目の前の少女にも、だれにも目を合わせられない。それでも避けられぬ懺悔のように。
「わたし、なのだ。わたしはそのわたし以外にはなれない。……ならない。たとえ君が知らず、君に認められない世界であっても。悲嘆に暮れる何人にうしろ指を刺されようと。それがだれであっても」
「……」
「それが、必要なことだからだ。それに生涯を賭そうと、捧げようと思ったころの自分を……間違いだと認めることは――たとえここまでくるまで、何度そのころの自分に、欺瞞と偽装と繰り返してきたとしても――認めることは…………」
「…………」
「ありは、しない」
彼は最後までスフィールリアとも、だれとも目を合わせなかった。
ここまで状況がこじれたが、しかし分かる者なら分かる。これは明らかにプランを組んだ、そして踏み切った法務大臣の失態である。それを彼自身も自覚はしているのだろう。
スフィールリアの返答は冷たかった。
「……なら。その判断が下せないなら、せめて下せる人に託してください。その人の意思を聞いて、立ち向かうべきだと思うならあたしもろとも排除すればいい。それまでは黙っていてください」
「…………」
軽く鼻音を立てながら、目元を拭い――再び王を見上げ始める。
すべての視線が、意識が、王へと集まってゆく。
フォマウセンもこの期におよんで余計な繕いや手出しはすまいと考えていた。悪く言えばなるようになれというやつだが。しかし、こうも思う。
王はまだ決定的なことをなにも言っていない。だがここまで状況がこじれ、最後までなにも言わずに済ますはずもない。彼女と同じく、この場のだれもがそのことを信じているようだった。
だから静かに玉座を見上げて、待った。
スフィールリアは王を見つめ続ける。
王も、すでに受けたショックからは立ち直っていた。静かなる眼差しで彼女の叫びを聞いていた。
それから十数秒。澄んだ視線を交錯させていた王が、不意に、ふっ……と微笑する。
「困ったね」
「……?」
スフィールリアの瞳がわずかな惑いに揺らぐ。王はその光を、慈しむように受け止めながら――続けた。
「人の意思とは難しいものだ。たゆまず進みたいと在るのに、交錯すればぶつかり、からまり、色も太さもうまく合わず、みなでひとつの絵を紡ぎ出すのは難しいものだ」
「陛、下……?」
「だが、それでも人の意思は前へ進む。考えるまでもないこと。彼の助力なしにして魔王使徒打倒はあり得ない。我々は我々の全力を以って人の世を助ける意思に応えるべきなのだ。針のむしろがなんだというのだろうね」
「!」
「我らの血肉は、それでは絶えはしない。傷は癒える。癒せるうちであるならば」
「陛下っ、それではしかし!」
「国難だよ、これは?」
重鎮のひとりの叫びに、ひどく明快な回答。
「とは言え、判明している困難も、無理性も変わるわけではない。不可能なものは不可能。ならばそれらを覆して進むためにわたしにできることは、ひとつしかない。そもそもこの場に出そろったものの姿を見れば、最初からほかの選択肢などはなかったのだ。――ゆえに」
「まさ、か――」
「こうするのだ」
王が、その腕を掲げる。
高きより彼らを見つめるなにかへ捧ぐよう。
あるいは、請い求めるかのように。
「――」
見上げるスフィールリアの眼前で、謁見の間が変化してゆく。
光が揺らぐ。降り注いでくる。
謁見の間の照明が落ちて、暗くなったと錯覚したのは――その輝きが物理の領域を超えて思えるほどにまばゆく神聖なものに感じられたからか。だれもが同じように感じているに違いない。
「エストラルファ・ファル・ディムオール=ディングレイズの名においてここに請い願う。今こそ託し継がれしこの〝王権〟を執行し、新たなる約束の印を紡ごう。人の子らの意思を導き給え」
光が降り注ぐ。貫くように。染み入るように。絶え間なく揺らめき、広がり、かき抱くように。人なる子らを、祝福するかのように。
あまりのことに理解が追いつかずうろたえる声たちが木霊する。中には彼ぞ神々の遣いであったのだとひれ伏す者までいた。
「うひひひっ。〝王権〟の発露! この目で拝むのは初めてだぜぇ……!」
「それは違う。古き友人よ。〝王権〟は常に働き、我らとともにある。約束を守る限り、約束は守られ続ける。認識の違いは危険だよ?」
掲げた掌にこぼれる光を集め宿しながら、王が簡単な注釈を加えるていどの軽さで訂正を入れる。
「へっ、陛下! お考え直しを! そこまでせずともきっとなにかよき解消法が!」
続いて、輝きのまばゆさに目をくらませながら、法務大臣が。
必死の様子で玉座の王に呼びかけている。
「あるかもしれないし、ないかもしれない。たしかなのは時間がないということだ。そしてわたし自身も感銘を受けた。その意思、その勇気に応えたいと思う。――さて、美しいお嬢さん」
そして、王の視線が、再びスフィールリアに降りた。
「っ――」
「これから、わたしと貴女の間に約束を交わしたいと考えている。契約、あるいは拘束と言ってもよい。あなたがわたしとの約束を守る限り、あなたがわたしに望むものは果たされる。わたしがあなたとの約束を守る限り、わたしがあなたに望むものは果たされる。どのようなことがあろうとも。かならずだ」
スフィールリアは、魅入られたように王から視線を外せなかった。
「わたしがあなたに約束するものは――テスタード・ルフュトムと、彼に関わったすべての者の日常と環境の保全。あるいは必要となる修復。処分、立場、待遇、すべてを、元の通りに。しかしながら約束を履行するために、どうしても願わねばならない妥協点と協力には応じてほしい。具体的には事件の中核を担う一部人物に関して形式上絶対に避けられぬ刑罰そのほか安全を計るための処遇。そしてテスタード・ルフュトュム君本人に関して、やはり安全を計る形式上必要となる一時的拘束措置や、調査協力などだ。これについては丁重に扱うことを約束する」
「……」
「そして、あなたがわたしに約束するものは――魔王使徒が打倒されるまでのテスタード・ルフュトゥムの協力の保障。あなたが先に提案してくれた内容の協力、そして事後に関しては今しがた述べた妥協と協力を彼がしてくれる限り、約束は履行される。――ただし、この約束には、約束が守られなかった時の違約代償が設定される。約束が不当に破棄された時、この違約代償は強制的かつ絶対に徴収される。たとえ約束を交わした者が死していても、である。できない約束はするべきではないということだ。そのリスクも承知していただきたい」
話が進んでゆく。
大臣たちは、非常にうろたえた様子で視線を王と彼女の間で右往左往させている。
「さて、わたしから渡すものについては少々特殊で一律な条件がつくが、基本的にあなたが望むように望んで構わない。が、さほど興味もなさそうだし、今すぐに思いつきはしないだろう。これは約束の重大さを認識したあとで釣り合うと思うものを決めてくれてもよいので、今はわたしからあなたに望むものを提示しようと思う。わたしが、あなたに望むものは――」
そして――言った。
「あなたの輝きを譲っていただきたい」
鼓動が跳ねた。隣に並んできていたフォマウセンも息を呑んでいる。
なんのことを言っているのか。そんなの、たったひとつしかない。
その、たったひとつのことを言っているとしか思えない。
「――」
「あなたの内に光る、〝黄金〟のごとき輝きを。それがあれば、もしも今回失敗したとしても――人の世は続くだろう。人の世は導かれるだろう。充分すぎるほどに釣り合いが取れていると言える。あなたの内の光とともにある信念により、彼を助けようと決めたあなたの意思の価値だとわたしは思っている。それはあなたの意思にも沿っていることと思うが」
「……」
「いかがだろう?」
「……」
スフィールリアはただなす術もないように立ち尽くし、光に吸い込まれるように王を見上げていた。
「き、君、やめたまえ! 悪いことは言わない! 条件ならもう一度話し合えばいい! ただそれだけのことではないか――」
視界の端の玉座下で、法務大臣が狼狽も露わに手を伸ばして制止をかけてくる。王ではなく、明らかに心の底から彼女を案じている。これだけでどれほど事態が深刻で重要であるかがよく分かる。
次に、隣のフォマウセンを見た。
「断りなさい」
すべての覚悟を決めたような冷たい無表情で断じる。
「……」
スフィールリアの思考は、一瞬ていどだった。
「っ……!」
そして、意を決し――うなづいた。フォマウセンにではなく、契約の輝きを携えた王に。
「約束は交わされた」
輝きが一層煌き……収まってゆく。
王の手の中の光が消えると同時、スフィールリアの胸元に同種の光が灯り、その光もすぐに彼女の胸の内側に消えてゆく。
「っ……」
がくりと膝を着く。
「スフィールリアっ?」
一瞬だけ身体の境界を超えて自分が大きくなったような強い錯覚を覚えて、怖くて力が抜けた。全身が熱を持ち、ふわふわしている。彼女を支えたフォマウセンが強い視線で壇上の王を射抜いていた。
「大丈夫、です」
「異常はない?」
「……はい。収まりました。大丈夫です」
「そう……」
一緒に立ち上がり、玉座前に並ぶ。
すべてが終わり。
謁見の間が静かな喧騒に満ち始める。
状況が分からない者。憶測する声。すべてが分かっている者は少ないだろう。
それらの中で、再び向かい合うスフィールリアらと重鎮たち。その姿は互いにひどい有様だという感想がぴったりだろう。
ほとんどは戦闘直前の取っち散らかった構図のまま。その中で構え直したりうろたえたりして向きが変わったりとか、そんな状態のままなのだ。
そして、お互いの顔にあるのは困惑。警戒。疲弊。
あたかも泥仕合のあとのようだ。いや、そのものか。
「諸君」
ぎくり、といった様子で我に返り、重鎮たちが姿勢と向きを戻す。
それを見た貴族勢や騎士たちもその場で姿勢を正していった。
こんな状況だから、ただひとり平静な王の穏やかな声はむしろ厳かにさえ聞こえてくる。
「我らに戦う術を携えてきてくださった友人たちと、ここに盟約は交わされた」
『…………』
「現状で望み得る、最大にして、最良の配剤を得ることができたと言えるだろう。あとは最善を尽くすだけだ。力を合わせ、この困難を乗り越えようではないか」
ぽつり、ぽつりと、雨粒が落ち始めるように。
ひとつまたひとつと拍手が重なり、最後は万雷の唱和となってゆく。
「さぁ、このように詰めていてはお客人をお家にお送りできないよ。迎えと同じように、敬意を以ってお見送りしようではないか」
王の号令でようやく空気が平常に戻り始めた。
混乱のさなかで取り落としたり散らかったりしたものを拾いながら、貴族と聖騎士たちが元の並びに戻ってゆく。
その合間を安堵とともに待つ中で、唯一しょぼくれているシリェーニャの男がさびしげにつぶやいていた。
「なんだ……まだだったか……俺様の運命は…………」
まぁそれには関わらないようにして、スフィールリアはちらと王を盗み見た。
王はまだ彼女を見ており、にこりと優しげに微笑んでくる。スフィールリアは恥じ入る気持ちで目を伏せた。
結局、自分は言いたいことをわめき散らすだけの結果になってしまった。言うつもりでなかったことや、言うべきでなかったことまで含めて。
エストラルファ王はきっと最初からテスタードの取引と開放には応じてくれるつもりでいたのだろう。それをこの自分では分からないことや知らないこと、できないことも全部ひっくるめて使い分けて、最終的に自分の願いを聞いてくれたのだ。
(この人が、この国の王様なんだ……)
もう二度と会う機会はないかもしれないが、心と目に焼きつけておこう。そう思い、スフィールリアはもう一度玉座に座す王へ視線を戻した。
「……それでは、フォマウセン・ロウ・アーデンハイト学院長殿。あなたとは改めて今後の作戦についての意見を交えたい。このあとにもう一度ご足労願えますでしょうか」
「ええ。身内らを送り次第に、すぐにでも」
元帥の言葉に微笑みとともにうなづき、フォマウセンがスフィールリアの背に触れる。
「お客様がご退場なさいます」
送迎の音楽が奏でられる。三人で深く礼をし、スフィールリアたちはきた時と同様に万雷の拍手に見送られて謁見の間の入場門をくぐっていった。
◆
扉が、閉められて。
「……はぁっ」
スフィールリアはまた力が抜けてがっくりと膝を折った。すぐうしろにいたキアスの大きな手が、倒れる直前で捕まえてくれる。
「す、すみません」
「いや。……なんというか、無茶をしたな。肝が冷えた」
「まったくよ?」
腰に手を当てフォマウセンは本当に怒っているようだった。
「断りなさいと言ったでしょう。あなた、自分がなにしたか分かってる?」
正直、さっぱり分からない。
リスクがあることであったのは承知だが、ほかにどうしようもなかった。
「分かんないですよ……学院長は、なにか知ってるんですか?」
「……正直、今日は驚くことばかりだわ? わたしも目の当たりにしたのは初めてだし、詳しく知っているわけではないのだけれど。あれは――」
「〝王権〟さ。この国の王だけに許された力! 世界を統べる権能だ!」
「……」
声の主は、たしかめるまでもなくシリェーニャのボスだ。立場や場所柄上まさかスフィールリアたちと一緒に退場させるわけにはいかなかったので、分けて先んじて退場していた。
待っていたようだ。
鋭い目つきを向け、葉巻に火をつけながら。
「心配しなくともバクダンみてぇなリスクはねぇよ――約束を違えない限りはな。ただし気をつけろ。判定はある意味厳しくもあり容赦もねぇ。認識を取り違えたりナメたりしたマヌケな歴代の中にゃそれで命を落としたり支配域をごっそり失ったり、あるいはまったくの別人になっちまったような奴もいるって話だからなぁ」
「お詳しいのね?」
「まぁな。こちとらウン百年のつき合いだ。…………そん代わり、効力は絶大だぜぇ。交わす約束にもよるがどんなことも思いのままよ。できねぇことはねーし、叶わない願いはねー。制限の中にある限り、無制限の力だってぇ話さ。まぁ俺様も知ってるのはこんなぐらいよ。知ってることと分かってることってのも別モンだしな。大事なのは正体やからくりを考えるよりも『つき合い方』を間違えねーことよ。認識はオーケィ?」
葉巻の先を向けられて、そこでようやくスフィールリアは話が自分に向けられていたことを知った。
つまり王の言葉は文字通りに解釈すればよいのだろう。約束を履行する限り、約束は履行される。かならず、どんなことがあっても。それによって現実的な無理を覆し、テスタードの開放を可能とする。にわかには信じがたいが効果の実証者が今こうして目の前にいる。
すさまじい力だ。
「あ、ありがとう、ございます」
「いいってことよ。盟友のよしみだ」
盟友、という言葉でテスタードのことを思い出す。いったいどういうことなのか聞いてもいいのだろうか。
「そ、それによ」
……と、思っていると。
シリェーニャのボスは急に気弱な声になり、もじもじと、震える小動物のように縮こまりながらスフィールリアを見た。
「あ、あんたぁ、恐ろしいヤツだからな。王様ん城乗り込んで、王様も貴族も聖騎士団も丸ごとひっくるめてケンカ売っちまうなんて……と、トンでもねぇ女だ。そんなヤツに目ぇつけられちまったら、た、たまったモンじゃねーってモンよ……」
「…………」
「ほ、ほんとにトンでもねぇ女だ。あんたみてーなヤツはよ、い、いずれとてつもねぇ恐ろしいことしでかすに決まってんだ……そん時絶対に関わっちゃいけねぇし、目ぇつけられても、ダ、ダメなんだ……だ、だからよぉ!」
頬を薔薇色に染め、もじもじキョドキョドしながら擦り寄って……
「こ、これ……」
ス、と差し出してくる。
ボスと組織の連絡先が併記された個人名刺をスフィールリアの手につかませると男は信じられぬほど機敏な動きで飛び退った。
「……」
「か、勘違いすんじゃねーぞ!? ソイツは絶対に使わねーでくれって意味で渡すんだからなっ!? なにかあった時はソイツを思い出して……絶対に使わねーでくれ!! 絶対に頼っちゃいけねぇ、頼れねぇ男の名前として記憶してほしーんだ! 絶対に俺様を巻き込まねーでくれ! いいな、絶対だぞ!?」
「……分かりました」
「本当だな!? 分かったんだな!? よし分かったじゃあ俺様ももういくぜ。こんなところ、なによりアンタみたいな恐ろしい女とは一秒だって一緒にゃいたくねぇ! 絶対によろしく頼むぜぇ、お嬢ちゃんよォ――――!」
回廊に続く階段を下ってゆく。手を振りながら。
姿が見えなくなるまで、彼は上気した満面の笑みで振り返り続けていた。
「たっはー! お仕事終了! そんじゃあたしもオサラバすっかねぇ。いくらいい稼ぎつったってこんなシケた場所はいるもんじゃないわ。そんじゃスフィーちゃん、またお祈りにきてねん! お布施してくれたらありがた~いご利益があるグッズあげるからね!」
不良シスターも去ってゆく。
「……それはすぐにでも捨てた方がいいな。関わり合いにならないのが身のためだ」
キアスが言う。なんとなく場の空気をわしづかみにされていたので動くに動けず、椅子のようにスフィールリアをもたれさせたままだ。
「う~ん……本当になにかあってかち合った時に覚えてない忘れてたでは危ない気がするので。とりあえず記録という意味で、しばらくは保管しておきます」
「そうか。まぁ危なかったら言え。わたしも記憶しておく」
「ありがとうございます」
「……はぁ。すぎてしまったことをいつまで言ってもしかたがないけれど」
フォマウセンがため息をつきながら起こしてくれる。
改めて、見下ろしながら、
「気をつけなさい、スフィールリア。陛下があなたの秘密を知っているはずはないけど、なにかは察知しているのかもしれない。契約による拘束の副作用も分からないし、異常があったらすぐに知らせなさい。かならずなんとかしてあげるから。いいわね?」
「は、はい。あの……」
「なにかしら?」
スフィールリアはふたりに向き直って、頭を下げた。
「ありがとうございます。おふたりがいなかったら、なにもできませんでした。勝手なことして……迷惑もかけて……」
ふっと息を抜きフォマウセンは彼女の頭に手を乗せた。
「いいわ? わたしもわたしの望みに従っただけ。あとは結果オーライにできるよう全力を尽くしましょ!」
「はい!」
こうして、スフィールリアは無事に帰還を果たすことになった。
王城を出るころ、雨は、もう降り止んでいた。
◆