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(1-09)


 合間ごとの休み時間を取りながら四回目にして本日最後の講義を終えて講師が退出すると同時、教室内は一斉と賑やかになる。

 ある者はせっかくできた友人とすぐにでも話したいと言わんばかりに思い思いの席を陣取ったり、またある者はさらなる学友を獲得しようと、木の実を探す小動物のように忙しなく教室内を動き回り始める。

 しかし、やはり大半の生徒たちは教室を出てそれぞれの思うところへと向かうようだった。

 人数が人数だ。一斉に雪崩れ込んだために、最初はふたつある出入り口前が渋滞してしまったほどだった。


「ねぇ、スフィールリアはこのあと予定とかある? よかったらわたしと学院内を見て回りませんか?」


 そんな喧騒を眺めつつフィリアルディが丁寧に提案をすると、スフィールリアはまだちょっと警戒心の残る眼差しをして、一拍を置いてからコクコクとうなづいた。


「う、うん、いいよ。湖以外ならね」


 フィリアルディはにこりと笑って促すように席を立った。


「学院内に湖はないよ。それじゃあ、いきましょう」


 廊下へ出ると、まさに人の河が流れているようなありさまだった。

 それもそのはずで、今出てきた教室だけでも百人の人口を抱え込んでいたものを、さらに同規模の授業が複数セットも隣接する室内で行われていたのだ。

 結果として広大な講義棟教室のそこかしこから一斉に生徒が流れ出してくることになる。


「あれ?」


 なんとか講義棟の外に抜け出てから数歩して、スフィールリアが声を出した。

 生徒たちのいくらかは、これから王都へいこうだのどの店にゆこうだのと情報の断片を残しながら散り散りになってゆく。

 反して、なぜか半数ほどは、統制されているかのように一緒の方角向けて歩いてゆくのだ。

 まるで自分たちがどこへゆくべきなのか、それが当たり前の認識であるかのように人の河が流れてゆく。


 思わずスフィールリアたちも釣られて、十数メートルを歩き、戸惑った顔を見合わせた。

 なんだか、初めて向かう試験会場だとかお祭り会場を目指す最中のようなあいまいな冒険感があった。ふたりはそのまんまにあいまいな笑みを浮かべた。


「ねえ、フィリアルディ。なんかこれ、ついてった方がいいのかな?」


「えっと……わたしは学院内をいろいろ見ておきたかっただけだから。別に場所とか順番はなんでもいいんだけど」


 と、そんなところに。


「ついてきた方がいいですわよ」


 ちょうどふわりと優雅に金の髪をなびかせたアリーゼルが、いたずらっぽい笑みを浮かべながら追い越してゆくのだった。


「……」


「……」


 沈黙したのはほんの数秒。

 スフィールリアは、キランと目を輝かせた。

 ついでに言うとフィリアルディからは、彼女が口の形を猫のようにして笑うのが見えた。ニマリ、というよりは、ニャンマリ、という感じ。

 その両目は、今やしっかりとアリーゼルをターゲットにしていた。

 そして道端でじゃれる相手を見つけた猫のような足取りで駆け寄って(ぎょっとしたアリーゼルもほんの数歩ばかり駆け足したが追いつかれた)、アリーゼルの両肩に手を乗せた。フィリアルディも小走りで合流する。


「えへへ~」


「なっ、なんですのいきなり」


 スフィールリアはアリーゼルの肩を大味に揉みほぐしながら、にっこりと笑いかけた。


「アリーゼルってさ、なんだか学院のこと詳しそうだよね、あたしたちよりさ。ついていったらいろいろ分かるかなーって」


「だ、だったらくっつかなくてもいいでしょうっ。流れについていけば分かりますわよ!」


「いいじゃんいろいろ教えてよ~。あたしたちまだなんにも分かってないからさ~。よっ、大先輩っ。アネゴと呼ばせてくださいっ。肩でも胸でも揉みますよっ」


「だからやめ……あ、ちょ、ふぁぁ……なにこれ……やっ、――――! どどどこ触ってるんですの!」


「あれ。ノーブラだね。つけないの? つけてもいいと思うけど」


「……! なななどうしてそういうこと普通の声で言うんです! 最悪ですわ!」


 ――ふおおおおん! お嬢様はノーブラぁああん!

 ――夢が張り裂けそう……。

 ――明日も生きてゆけそうだよ。

 ざわざわ……。


「~~~っっ」


 どこかで聞いたような声が聞こえてきて、アリーゼルは顔を真っ赤に、腕をぷるぷるさせた。


「分かった! 分かりましたから! 離してくださいな!!」


「やったぁ!」


 スフィールリアは揉む手を離し、フィリアルディと一緒に彼女の横へ並んだ。


「なんなんですの……!」


「ぷりぷりしてるところもかぁいいなぁ」


 ほんわかと顔をだらけさせるスフィールリアを、アリーゼルは涙目で睨みつけた。


「もう、ダメだよスフィールリア。そういうことしたら……」


「えへへ~。だってさ~」


「ダメだよ。めっ」


 ぴっと差し出されたフィリアルディの指を眺めて、一拍。


「はぁい」


 素直にうなづくスフィールリアに、アリーゼルはため息をついた。




「おお、なにこれ……!」


 一行が人の流れの終わりにたどり着くと、そこには恐ろしいまでの人だかりがあった。

 とにかく、人、人、人、としか言いようがない。

 なにかを見物するように囲ってこうなったのは分かるが、中心になにがあるのかまではもはや絶対に確認不可能だ! と断言してもいいくらいのふざけた人数だった。

 もうだれがなにを言っているのかも分からないような熱気と喧騒の中、アリーゼルが涼しげなわけ知り顔でスフィールリアを見た。分かっていて、からかっているのかもしれない。


「お分かりになりまして?」


 しばらくぴょんぴょんと跳んでいたスフィールリア。

 げんなりと肩を落として彼女を見た。


「分かんないよ~。なに、見世物……? サーカスでもきてるの?」


「違いますわよ……あれですわ。ここからでも見えるでしょう。あの<クエスト掲示板>ですわよ」


 アリーゼルの指を追ってよくよく見てみると――たしかにそこにはいろいろな紙を張りつけられた〝掲示板〟と思しきものがそびえ立っていた。

 そびえ立っていたのである。

 掲示板、なんてサイズではない。いっそ城壁と言ったほうがまだしっくりくる巨大にして広大な範囲いっぱいに、びっしりとなにごとかを書きつけた紙が張り出されているのだった。

 あれだけ大きければここからでも目に入らないわけはなかったが、てっきり地面に珍しいものがきているのかと思ったので意識に入らなかった。


「クエスト掲示板?」


 ですわ。と淡白にアリーゼル。


「ここは通称<クエスト広場>――<アカデミー>内外から集まったさまざまな『お仕事募集情報』が毎日張り出されてますの」


(あ、フォルシイラが言ってたのってコレかぁ)


 アリーゼルがポーチから取り出した双眼鏡で掲示板を眺め始める。スフィールリアも片手で目元にかかる日差しを調節して、目を凝らしてみた。


「気を抜くということをせず自分の目標をしっかり持っている者なら、まあ、こうして早速自分でも取りかかれるお仕事を見つけにきますわよね。寮の仲間なり、先輩方なり、情報収集の手段ならいくらでもありますわ。

 ……こうしたクエストのポータルを知らないまま、入学できたからといって都の空気に浮かれていますと、あっという間に置いてけぼりを食ってしまうことになりましてよ。お仕事情報の獲得は生き馬の目を抜く競争です」


 今も掲示板ではハシゴを昇って張り紙の交換を行なう上級生や、主の指示でひたすら掲示物を剥がしに飛び回る小型の使い魔の姿が見えていたりする。


「そ、そっか。わたしたち新入生だと、特にできるお仕事なんて限られてるものね……奪い合い……は言いすぎだけど、早い者勝ちでどんどん手に入れていかないといけないんだ」


「言いすぎなんかではありませんわよ? まさにその通りです。そもそもライバルは新入生だけではないですし。スキルを身につけた上級生とて、基礎クラスのクエストを糧にしてはいけないなどという決まりは……ないですわよね?」


「う、うん。……うん。そうだよね」


「ではフィリアルディさん。これ、お使いになります?」


「え、い、いいの?」


「ええ。わたくしはほかにもツテや心当たりはありますし。

 それに始業数日は学院側からの指示で掲示板付近での上級生のクエスト観覧は自粛されてますの。これが普段でしたらサークルの勧誘や自発行クエストのアピールなど、毎日お祭りのような騒ぎですからね。上級生の方たちは、ほら、後ろのあの、サークル棟などに。

 ――今がチャンスですわよ」


 アリーゼルが言葉の途中で示したサークル棟という建物では、そこかしこの窓から双眼鏡を手に身を乗り出した生徒の姿が見える。木に登っている者までいるからすごい。

 なるほどとフィリアルディは気圧されたように声を出した。

 礼を言って持ち手つきの双眼鏡を受け取る。

 数十メートル幅はある掲示板の右へ左へと装置を泳がせて、目まいを起こしたようなため息をついた。

 スフィールリアも似たような状態だった。


「うへぇ、なになに……。

『急募! <アガルタ山>遠征メンバーあと二~四名。戦士職随行(紹介)者様には別途200アルン。募集者:マテリアルストレイジャー(サークル)』『猫探してください詳しくは窓口で。学内完結。募集者:個人(匿名)』『募集・〝生命の蛇杖〟の情報(特に関連の〝アーティファクト=フラグメ〟について)。確定情報報酬500,000アルン。募集者:サークル(匿名)』……?

 なんかもうどれがどれだか分かんないねぇ~、フィリアルディ~」


「うん……」


「左端側を見てるんですの? その辺りは主に<サークル>活動関連中心のクエストですわ。そのお隣が主に学院内で発行された生産系クエストで、上が生徒、下が教職員などからのクエスト。まあ他にもランクによる配置傾向などもありますが。

 ……中央ブロックはランクに寄らない〝新着情報〟。新鮮ですから納期猶予に安心して獲得にゆける利点があって、競争率が高くなりますの。あと右方は大雑把に言うと学院外からの委託クエストですわね。…………というかあなた、よく見えますわね……」


「ほへ~~。あ、うん。あたし目はいいんだ。50メートル先の本読めるよっ」


 アリーゼルの「野生児……」という声は、クエストという真新しい情報の奔流に心奪われた彼女には届かなかった。

 言われた通りのことを意識して視線を巡らせてゆくと、たしかにクエストはある一定の法則を持って振り分けられているようだった。

 これだけ膨大な量だと、そういったさまざまな〝分け方〟を把握して、自分の目的に沿った検索の仕方というのも身に着けなければならない。


「クエストランクなども見ておいた方がいいですわ。自分の分を超えたランクを受注しようとしても窓口で却下されます。張り出しの最初に大きく印字されているのがそれですわね。下は〝F〟から上は〝SSS〟まで。わたくしたち入学したての〝一般生〟は原則として、まだ最下限の〝F〟までしか受けられませんの」


「えっ。なんでそんなにケチなの」


「わたしたちで受けられるお仕事は、ほとんど……なさそうだね」


 疲れたように吐息を漏らして、フィリアルディが双眼鏡をアリーゼルに返却した。

 実際、〝F〟と表記されている張り紙はほとんど存在しないのだった。

 いや、かなりの量があったのだが、それらは中央新着ボードが掲示されるたび、ものの数秒から数分で、あっという間に剥がされていってしまっているのだった。

 最前列にいる新入生たちが、張り出しを見るや先を争うように窓口へ受注駆け込みをしているのだろう。


「ぬぅ~う。出遅れたのか……!」


「そういう判断は軽率というものですわ。ここにいる新入生全員がランクFクラスを求めてきていると思ったら大間違いです」


「? どゆこと?」


 きょとんとしたスフィールリアを見返すアリーゼルの笑みは、どこか挑戦的だ。

 それはこの場に満ちた聞き取るのも難しい喧騒たちの、裏に秘められた真意に対するものだったかもしれない。


「それはあくまでここに掲示されたお仕事を窓口で受注する際の規則にすぎないということです。

 もしも生徒自身にクエストを充分に完遂できるスキルと実績があったのなら、生徒自身のランクがクエストランクとよほど乖離していない限りは、発注者との直接のやり取りで取引を完了できるんですわ。発注者が『任せられる』と判断するならそれまでですしね。

 ……事実、今も飛ぶように剥がされているのはランクFのみ。ほかの掲示には、まだ、ほとんど手がついていませんでしょ?」


「あ……ほんとだ。Eとかはまだ全然残ってるや」


 でしょう? と面白そうにアリーゼル。


「ですからまずはここでEランク以上のクエストの概要と発注者を確認して、その足でご本人の下へ提案に向かう。そうすれば、今無理をして窓口で揉みくちゃになるよりも確実にお仕事にかかれるというわけですわ」


 つまり重要なのは、現時点での自分の実力の上限をどこまで具体的に把握できているか、ということらしい。

 道具や素材作成依頼を受けるにしても、その発注されたアイテムの名称や正体、それを作成するための素材や手順が分かっているかどうか。材料を手に入れるための流通経路を知っているかどうか。いつまでに用意でき、元手がいくらになる見込みか……。


 それらさえ道筋立てて見通すことができたのならば、受けない理由はないことになる。すぐに取りかかれるのだから、あとは競争だ。

 たとえランクFでも、簡単そうだからと言って無条件に引き受ければ痛い目を見る。達成ができなかった場合は違約金を支払わなければならなくなるし、相手の求めるレベルでの仕事ができなければ報酬に関わり、信用も落ちてしまう。


 逆に、『できる』という保障がありさえすれば、相手もランクにはさほどこだわらないのである。多忙であったり自分で都合できない理由があるからこうしてわざわざ手続きをしてまで掲示板に出張ってきているわけで、目的が最優先というのは、大半の依頼者にとっての共通事情なのだった。


「まあそいうことですので、その視点で改めて眺めてみなさったらどうです、おふたりさん?」


 再び双眼鏡を差し出してくる手を、フィリアルディはやんわりと断った。


「ありがとう。でもそういうことなら、わたし、よさそうだなって思ったお仕事の情報はもう覚えたから。あとでお話にいってみようと思う」


「あら、やりますわね。……それじゃ、あなたは? ずいぶん余裕ですのね」


 ついでという感じで双眼鏡を向けられたスフィールリアだが、こちらも頭に後ろ手をやって辞退の意を示した。


「あー、うん、あたしもいいや。考えてみたらあたししばらくほかの依頼やってる暇なさそう。大口の先約があるの」


 へえ? と意外そうに首を傾げるアリーゼルの表情は、なぜだかうれしそうだった。


「大変けっこう。そうこなくては。なら今日のところは、ここにももう用はございませんわね。耳煩わしいだけのこんな場所からはおさらばいたしまして、明日以降の勉学に備えるべきですわ」


「そうだね。じゃ、アリーゼルも一緒にいこうっ」


「はい?」


「あたしたち学院見物してるんだ。アリーゼルも一緒にいこう?」


「なんでわたくしがあなたなんかと」


「いいじゃーん一緒にいこうよ~いろいろ教えてよ~」


「ふぁ……だから肩揉むのやめ……だからなにこれぇ……っ、……! は、離しなさいっ!」


 未知への扉が開きそうになる直前でバシンと猛烈に手を弾いたアリーゼル。

 助けを求めるようにフィリアルディへ目を向け、


「よかったら一緒に、いきませんか?」


 困ったような、それでいて花のようにたおやかな笑顔に、アリーゼルはため息とともにうなづいた。


「……分かりましたわ」




「それで。なにを見にゆくんですの」


「じゃあ……<アカデミー・マーケット>は? 前は教材買出ししかしてなかったから、一度しっかり見ておきたくて」


「<アカデミー・マーケット>はまだほとんど休業状態ですわよ? まだ慌しい時期ですからね」


「うん。でもあそこなら大食堂もあるから。休憩にちょうどいいかなって」


 そういうことになって<アカデミー・マーケット>に足を向けようとしたところで……

 スフィールリアがまったく検討外れな方角を指差して珍妙なことを言い出すので、ふたりは首を傾げた。


「え? おーい、どこいくのー? 『お店』ならこっちだよー?」


「……なに言ってるんですの?」


「そっちは<大図書館>と<聖堂>だったと思うけど」


 アリーゼルはうなづいた。その方向には店なぞなく、フィリアルディの記憶が正しい。


「え。でもこっちだし。あたしここきて、最初にそこでお買い物したんだよ?」


『……?』


 ふたりは顔を見合わせ、とりあえず、彼女の言う方に向かってみることにした。興味がないこともなかったのだ。

 しかし……。


「ここ、ここ。ここだよ」


「……」


「……」


 なんとも言えない顔をしてその場所を見上げるふたり。

 そこは大図書館と大聖堂の間にある、隙間の空間だった。

 と言っても建物自体が巨大なので、隙間のスケールも五メートル幅くらいはあるのだが……。

 スフィールリアが無邪気に指差す空間は数十メートル高の壁に日光を遮られて薄暗い。雑貨販売よりは、どちらかというと個人同士の裏取引でも行なわれていそうな空気感がありありとしている……。

 当然、販売店と思わしきものは姿形もないのだが。


「……なんですの。お店なんてないでは、ありませんの」


「えー。でも、お買い物したもん」


「あ、あの。あのね、スフィールリア? それは、いつ……?」


「うんっとねぇ、夜だよ。十二時くらいかな? フォルシイラに買い直しいってこいって言われちゃって、でもお店なんて開いてないよねって思ってたんだけど、ここで明かりが見えたから入っていったらお店があったの。静かな感じのおじいちゃんがやってた。助かっちゃった」




 そう、それは桜の庭の小屋に入って初日の深夜のこと。

 フォルシイラにもう何度目か分からない買出しを命じられて城下町へ降りたスフィールリアだったが、開いている雑貨店などどこにもなかった。酒場にゆけば少量のミルクは置いていたものの、まとまった量の注文はできなかった。

 戻ってきた学院敷地内を途方に暮れながらぶらついているところに、この場所からぼんやりと漏れる灯りを見つけたのだった。

 今にして思えばそれは、店というよりは屋台車の類だったのかもしれない。


「……」


 吊るし紐で吊り下げられたさまざまな乾物。カウンター状になった陳列場にはいかにも<アカデミー>らしく綴導術に用いるらしい見たこともない薬草や宝石にも似た石類が並び、奥の棚には薬品だの正体不明の骨だのが収まっている。

 ほかにも本やアンティークじみた筆記具、鍋やら布やら、ハサミから包丁まで……思いついたもの詰め込めるだけ詰め込みました! とでも言うような猥雑とした〝店〟だった。


 そんな店の中央。

 奇跡のように開いていたその隙間に座布団を置き、あぐらをかいている店主がいるのだった。


「あのぅ……ごめんくださ~い……」


 かなり齢経た翁だったと思う。袈裟懸けする作業用エプロンと私服の中間といった印象を受けるゆったりとした布を、シャツの上に纏っていた。

 枯れ木のように痩せ細った腕の先に、妙に細長い変わった形のパイプを持ち、吸うでもなく小さい煙をくゆらせ続けている。

 ……眠っちゃってるかな? と心配し始めたところで眉毛で完全に隠れたまぶたを持ち上げ、店主は「いらっしゃい」と愛想もないが敵意もない声を返してきたのだった。


「今日の目玉は<赫皇竜レッド・エンペラードラゴン>の灼紅玉だよ」


「へっ? ああいいえ――そのぅ、あたし今、ミルクを探してて……」


 ミルク?

 と白犬の尾のような眉で半分が隠れた目を見開き、店主の翁。くぐもった声を出しながら肩を揺らし始めた。

 笑っているらしい。


「あー……なんかごめんなさい。あるわけないですよね、えへへ」


「あるよ」


「あるのっ?」


「ヤギ? ウシ?」


「あー、そ、それじゃ、ウシ!」


「昨日の朝絞りと、今日の朝絞り」


 黙考。昨日のにしてやろうかと考えかけたが、自分もこっそり飲もうかと思ったので、今日の分を選ぶことにした。

 待ってな。と言って身をひねり店の奥側へと潜っていった店主。次に出てきた時は一抱えのミルク瓶が一緒だった。


「あいよ」


 瓶は、まるで氷の蔵から出してきたばかりみたいにひんやり冷えていた。これなら鮮度の心配はまったくいらないかもしれない。

 お代を差し出すと、また交換で、一枚の見開きタイプのカードを渡された。


「なんです、これ?」


「カード。ポイントカード」


「はぁ」


「買い物一回で赤いスタンプ一個。100アルン(金貨)で青いスタンプ一個」


「んん……?」


「一定ごとに景品。マークついてるところね」


「おお……!」


 スフィールリアは驚愕した。そんな商売もあるのか。


「わぁー、面白ーい。すごいなぁ、楽しみ。えへへっ」


「……普通に入ってきたね」


「ああ、はいっ。灯りが見えたから」


「〝ウチ〟探してたんでなくて」


「? はい。ていうかあたしここきたばっかでなんにも知らないし。どこいってもミルクなくてすごく困ってて。……助かっちゃいましたっ」


 翁はもう一度肩を揺らして、笑ったようだった。


「新入生」


「あっはいそうです。って言っても、一回退学になりかけちゃったけど」


「特監生」


「そうそう、それですっ」


 そしてスフィールリアは無事にミルクを手に入れ、難を逃れることができたのだった。何度も店主に礼を言い、「またおいで」という声を背に、その場をあとにした。




「――というわけだったの」


 店があったという〝路地〟の突き当たり。

 再びアリーゼルとフィリアルディは顔を見合わせた。

 場所柄だけあって喧騒とは無縁な静けさに包まれた薄暗い芝の敷地は、ふたりの感じた空恐ろしさを否応なく増幅させてくれた。


「……ちなみに言っておきますけど<アカデミー・ショップ>関係者にご老人なんていらっしゃいませんことよ」


「……えと。それに、そんな深夜のお店の営業って、普通は認められないはず……よね」


「でも、お買い物したもん」


 フィリアルディとアリーゼルはもう一度顔を見合わせた。なにかを承知したように互いと瞑目して、ゆっくりかぶりを振った。

 そもそもこんな場所で店を開く利点や理由なんぞ、ちょっと考えればこれっぽっちもないわけで。

 こんな突拍子もない場所に開いている店があれば学院情報に明るいアリーゼルの耳に入っていないわけがないわけで……。

 そして――。

 その場所の地面には、そんなゴテゴテに物を詰め込んだ重量級の屋台車が停留していた痕跡なんか、少しも見当たらないのだった。

 ふたりはスフィールリアの肩を持ち、歩き出した。


「さぁ、<アカデミー・マーケット>はこちらですわ。どこへでもご案内しますわよ」


「ねぇ、スフィールリア。もう、夜にここに近づいたらダメだからね」


「え、あれ? なんで? どうしたのふたりとも」


「いいから、早く。いきますわよ」


「わたしたち、あなたのことが心配なだけなの。分かって」


「えーーっ? なな、なんでなんでーーーっ?」


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