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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~  作者:
<3>魔王鳴動と開催前夜の狂争曲の章
88/123

(3-31)


「交代だ」


「おう、お疲れさん」


 王城のとある一角にある、地下通路。

 なかばにある守衛室にて兵たちはいつものように当番を交代する。

 そこ(・・)は、王城に勤務する者たちの間では簡単に『地下番』と呼ばれている。

 文字通り地下階部分にあるこの〝通路〟の番をすることが、彼らの役割である。

 地下番とひと言に言っても数種類はあるのだが、不可思議な逸話に満ちたこの王城のこと。この地下通路番も、兵たちの間では、意味の分からない謎の当番として有名なのであった。


「……っあー。今日も今日とて退屈だったわぁ」


「お前たちはこれで明日以降の当番は白紙なんだろ? 避難するのか?」


「いや。俺は茶でも飲んでから考える。こう退屈だと身体が鈍っていけねぇよ」


「第一、今から避難つったって、あのカイブツ横切らなきゃいけないだろ? ここにいた方がいくらか安全な気がするよ。たとえ王都が更地になったとしてもこの城だけは残るさ」


「違いない」


 ローテーション制で回ってくるこの地下通路番で、彼らがするべきことはシンプルである。

 ひとつは、〝入城門〟である〝部屋〟の掃除。

 もうひとつは、その〝部屋〟への〝来客〟を監視し、応対することである。


 来客に立ち会った経験を持つ者はいない。

 王城勤務者の先達たちから脈々と語り継がれてきた範囲だけで、少なくとも数十年間は。

 一度もあの〝部屋〟への来客を見た者はいないのだ。

 だが王室がこの役割の稼動を欠かしたことは、一日たりとて――ない。

 それどころか一週間の中でもっとも重要度が高い当番であるとすらされていて、単なる一兵卒には割り振られない。ある一定以上の経験年数と階級を経た者たちに回され、事前の研修――〝部屋〟の手入れや、来訪者への応接方法などだ――も、かなり入念に行なわれるほどだ。


 たしかに通路の構造を考えればこれ以上に重要な場所はないと言えるだろう。いっそ異常であるとまで言える。

 この通路は王城に入れる数少ない〝非公式門〟だ。担当する検閲や入城審査の窓口も存在していない。

 おまけに、謁見の間と王の居室に直通している。

 それが意味していることとは、すなわち――無条件・無制限にて王に直接会いにいけるということ。それを許される立場にある者だけが、あの〝部屋〟を訪れるのだ。

 VIP中のVIP専用の場所ということになる。

 そうでなくても王の居室にまで直通しているような通路なのだから、もしも不届き者などを見逃せば大変なことになる。


 しかしながら不思議なことに、その点についての『心構え』は一切教えられることはない。

 いわく――この入城口へ至るまでの道は術的な隠蔽および防御が施されているために選ばれた者しか入ることはできない。防衛面の責任を司る部署は別にある。

 そのため、〝当番〟に当たる者が防衛面での責務を問われることは一切ない――と。

 ゆえに番人の役割は、来客への応対だけである。

 だが、あの〝部屋〟への来客を見た者はいない。

 だから、一週間のうちでもっとも退屈な当番でもある。


「しっかし、こんな時にまで地下番って必要なのかねぇ?」


「ああ。魔王の使徒と決戦が始まるかもしれないってのになぁ」


「市民もほとんど避難して、だれがくるって言うんだかな。こんな時にあの〝部屋〟を通るモノつったら……」


「幽霊……か?」


「そんぐらいのモンだろうなぁ」


「馬鹿野郎が」


〝部屋〟は、応接室となっている。

 少々手狭ではあるが、贅をこらした調度品に囲まれた立派な造りをしている。その品格の高さがあの〝部屋〟の想定している〝客〟の重要度も示していると言えるだろう。だから一番緊張するのが、部屋の掃除に当たる時だ。かなり古くから在る部屋なので、調度品ひとつを取っても歴史的重要文化財クラスの品がゴロゴロとしている。傷をつけようものなら一生分の給金を捧げても弁償できない。

 とはいえ、それさえ無事に果たしてしまいさえすれば、あとは勤務時間がすぎるのを思い思いに待つだけの作業が続くだけだ。番に当たる兵たちの気が鈍るのも当然ではあった。


 一日中、一年中、常に明かりが灯された地下の部屋。

 だれもいない。だれもこない。くるはずもない部屋。

 だが、常にだれかを待っている。だれかがくることを当たり前のものとして準備されている――

 静謐に満たされ、物言わぬ古めかしい調度品に囲まれた空間は、いつも得体の知れない存在感を彼らに押しつけてくる。

 姿も見たことのないこの〝部屋〟の主が、常にソファの一角に座り、来客を待っているかのような。そんな錯覚をもたらすのだ。


 ゆえに兵たちの間ではこう囁かれる。あの〝部屋〟は幽霊が使うためのものなのだと。

 今日も彼らはいつも通りに茶をすすりながら談笑に興じる。会話の内容が<アカデミー>にいるという魔王の使徒の実際の脅威度というものに変わってはいても、本質的な部分に変化はない。

 だから、その変化にだれかひとりが気づいたのは、単に交代時間の狭間で人数が増えていたタイミングであったからという――確率の問題にすぎなかった。


「……」


 カップに口をつけていた体勢のままで、あるひとりが固まっていた。

 そして、そのまま――だれにともなく声を出す。


「おい」


 残りの三人は最初に男を見た。次に、男の視線の先を追った。

 そして、全員が黙った。


『…………』


 それはふとしたある時、半開きになっていた扉の隙間からなんの脈絡もなく血まみれの女が覗いてきていたことに気がつき、叫びを上げる前。

 その一瞬間の空隙のような――そんな無表情だった。

 全員の視線の先にあるのは壁。壁には古びた二本の剣が交差してかけられ、その刀身に挟まれる形でミニチュアの暖炉のような照明具が埋め込まれている。

 この照明には火が点けられない。火を近づけても燃えないのだ。

 それが今――灯っていた。

 青白い炎が煌々と、音もなく揺らめいて存在を主張している。


『…………』


 この照明具の役割を、彼ら全員が知っていた。研修でまず言い渡されることであり、この照明具の監視こそが、彼らが部屋に詰める理由であるからだ。

 ――この炎が灯る時こそが、〝部屋〟に〝客人〟が現れる時。


『っ……!』


 悲鳴は上がらなかった。ひとりを契機に、全員が音を立てて椅子から立ち上がる。

 互いを見合わせる顔色は蒼白。だれの表情も一様に『信じられない』と語っていた。

 それは、まさに幽霊との遭遇に等しいものであった。



 無音の部屋。

 スフィールリアたちは豪奢なソファに座り、居心地悪く待ち続けていた。

 部屋は応接室のようだった。

 暖炉があり、ソファがあり、中央の卓には湯気のくゆるティーカップがある。

 地下室なので窓はない。代わりに窓枠を意識したのであろう立派な額縁にはめられた風景画が二面にかけられ、入り口には装飾に凝った甲冑が守りに立っている。

 そのほか、暖炉や棚の上に置かれた金細工の象や振り子時計。棚のガラス張りの中に見える立派な書物などなど……。

 あまり広くはないが、かなり気品の高い造りであることだけは分かる。

 部屋に案内してくれた老人はてきぱきと三人分の茶をこしらえ「ここで待てばあとは案内の者がきて陛下の下まで通してくれる」と言い残すと早々に去っていった。


「あのお方はね」


 スフィールリアが顔を青くして固まっているのは、隣に座るフォマウセンの、こんな言葉のせいだった。


「第十六代ディングレイズ国王を務めたお方――歴代ディングレイズ王族の偉大なる〝祖霊〟なのよ」


「そ……そ……れ、い……」


「いかにも。ディングレイズ王族は生ある者としての務めを終えたあとも、新しい王を助けるために国を見守り続ける――そんな言い伝えを聞いたことはあったけれども。わたしも実在を確認したのは初めてだわ? あのお方の晩年の肖像画を目にしたことがあったので気づけたけれど……まさか、という気持ちしかしないわね」


「あ……あはは…………」


 ぽたり。

 きゅっと閉じた腿の上に汗が落ちる。

 祖霊。霊。幽霊。おばけ。

 優しい感じのイイおじいさんだなぁなんて思っていたのに。まさかそんな存在だったとは。


「……まぁ、怒ってはいらっしゃらなかったようだし。寛大な采配に感謝をして、もしも今度お会いする機会があったらきちんと今回のお礼と無礼の謝罪をしておくようにね?」


 彼女が青い顔をしている理由を勘違いしたフォマウセンは気楽にそんなことを言ってカップを傾けている。


「……」


 チコ、と時計の分針が鳴る。静寂に満ちた部屋内ではそれだけが実在する音源だった。

 ちらと見るのは壁の一面の風景画。描かれているのは、あの小庭園だが――遠方で庭の世話をしているらしき見覚えのある人物のうしろ姿。部屋に入った時は、果たしてあっただろうか?

 スフィールリアはきつくまぶたを閉じて思考に没頭した。


(おじいさんはイイ人。偉大なる祖霊であっておばけじゃない。『偉大なる祖霊』と『おばけ』は別物、別物、別物。だってイイ人だからオバケじゃないしつまりオバケじゃない…………決定! おじいさんはオバケじゃない! やったぁーあ! おめでとうあたし! ありがとうおじいさん! 世界はこんなに美しい!)


 裁決は下された。グッとこぶしを握り、スフィールリアは開放感から爽やかに顔を持ち上げた。

 もう一度風景画を見ると小さな老人がこちらを向いて片手を上げていた。スフィールリアはにっこりと笑って手を振り返した。


「なにしてるの?」


「なんでもないです! お茶を飲みます! おいしい! おいしいおいしいおいしガフッ――ゴホゴホゲホガフ!」


「なにやってるのもう!」


「しゃべりながらガブ飲みするからだ」


「ゲッホ、ゲホ……だいじょうぶでづ。ざずが、王様が淹れだ文字通りのロイヤルミルクティー。生半可な゛気位では太刀打ちでぎないってことなんでづね゛、ごほっ」


「ねぇあなた、大丈夫?」


「大丈夫でず。落ち着いてま゛ずよ。今あたじは極めでグールなんでず」


「落ち着いているかどうかは聞いてないんだけど……落ち着いてないってことなのね?」


「無理もない。まさか王に直行でお会いできると言われてはな」


「ソウデスヨネ。ソウナンデス。ウン。ソレソレ……」


 ドレスを着る前で幸いだった。押さえた口元からまだポトポトとミルクティーを落としながらあえぐ彼女の背をフォマウセンが気つけもかねたように強くさすってくれる。


「しっかりしなさいな。あなたはこれから、我ら、誇りあるアーテルロウンの名に連なる一名として海千山千の猛者たちの前に立つのよ?」


「アーテル、ロウン……ごほ」


「そうよ? この際、利用できるものはなんでも使うんだから。<アカデミー>学院長であるこのわたしが目をかけ、そして綴導術の祖であるフィースミール師から連なる者として、ね。胸を張りなさい!」


「……はい」


「ほらお口拭いて!」


 フォマウセンの取り出したハンカチで口を拭われてむぐむぐしていると、対面のソファに座るキアスも心なしかそわそわし始めていた。

 気持ちはよく分かる。自分も王に会うという上にアーテルロウンの名を背負って立つのだと考えると、また別種の重圧がかかってくるようだった。

 むぐむぐしながら、目の前にあるフォマウセンの美しい顔を見つめていた。

 アーテルロウンの名に連なる者。フィースミール。師匠。そして学院長先生。フィースミールから学院を受け継いだ女性(ひと)――

 わたしも、自分で思っていた以上に『ここ』に愛着が湧いていたっていうことかしらね――

 思い起こされたのは、その言葉、その横顔だった。


「……どうしたのかしら?」


 いつの間にかフォマウセンの手は止まっていた。よほどまじまじと見つめていたらしい。


「いえ、あのぅ」


 特に考えや用件があったわけではない――と思っていたのだが、言葉はするりと喉を通って出ていた。


「学院長先生が学院を受け継いだ時って……『どう』だったのかな、って」


「どう?」


 きょとんとしてから、フォマウセンは、笑ったようだった。

 仕上げとばかりにスフィールリアの口周りをひと拭いしてからハンカチを畳み、座り直す。


「そういえば……あなたにあの人のお話をしたことって、なかったわね?」


 言われて、ドキリとした。そういえばそうだ。あの人のことを世界中でだれよりも知るであろう人がこんなにも近くにいたのに、何度も機会はあったのに、一度もそこに触れたことはなかった。

 それは、なぜだろう。


「……」


 そんなスフィールリアの心中を知ってなのか、横目でクスリと笑い、フォマウセンは――昨日の夕飯でも教えるみたいな気楽さで『その時』のことを語ってくれた。




 百年前まで――フォマウセン・アーテルロウンはエムルラトパ大陸の東に所在する秘境に工房を構えていて、俗世とは縁遠く暮らしていた。

『とある存在』の加護により、空気は澄み切り、年中が氷に閉ざされた聖なる高地だ。人里は遠い。たまに彼女を表敬訪問する高名な術士と交流をしながら、個人的な依頼や研究に没頭する日々だった。

 そんなある日に、〝彼女〟は訪れた。

 コン、コン――

 扉を叩く音。何年かぶりの来客に心の中で新鮮な感情が浮き上がるのを感じつつも、しかし作業中であった彼女はキリがつくまで待ってもらうことを簡単に決めていた。彼女を訪れる者のたいていは心得ていることだ。

 コン、コンコン、コン――


『はいはい。もうちょっと待ってちょうだいな』


 コンコンコン!

 がしかし、今回の客はずいぶんとせっかちさんのご様子だった。

 と思っていたら、玄関口からこんな声が届いてきた。


『フォンちゃぁあああん……!』


『……フィースミール師?』


 珍しいどころの来客ではなかった。なんと敬愛する師がわざわざ訪ねてきたらしいのだ。

 だからフォマウセンは驚きとともに一拍だけ顔を上げ、また作業に戻った。


『フォンちゃぁああん! いるんでしょぉおおおお! ねぇお願い開けてぇえええ、助けてぇ~~~!』


『……』


 フォマウセンは作業を続ける。

 師が会いにきてくれた。うれしい。

 師に、最後に会ったのは数百年前だろうか。魔王領域の連続顕現などで世界に破滅的な異変が起こっていた時期に、のちに勇者と呼ばれることになる戦士の情報を別宇宙から引き込んだり、その勇者を折を見て導いたりする役を彼女に代わって何度か請け負ったり……などということの手伝いをして以来だ。

 その時だってこんな声で助けを求められはしなかった。きっとただごとではないに違いない。

 だが作業は続ける。


『……』


 はて、いったいどのような用向きだろうか。今は王都で<王立アカデミー>なるものを建てて若き術士の育成に当たっていると風の便りでは聞いていたが――

 コンコン……コン……コ……

 …………カリ。

 ……カリ、カリカリカリカリ…………


『フォンちゃっ……フォンちゃあっ……ぐすっ、なんで……どうして……開けてくれないのぉ』


『……』


『もうダメ、ダメなの……わたしじゃもうダメなのぉ……滅ぶ……滅んじゃう、全部壊れちゃうのぉ……早く開けてぇえ……!』


『……』


『グゥちゃんじゃ絶対ダメなの、もう、もうフォンちゃんしか頼れる人いないのぉ……開げてよぉ、助けてぇえええ!』


『もうちょっとですから。もうちょっと』


 カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ…………


『ふうっ、こんなところでしょ!』


 六時間後にフォマウセンは大練成にひと区切りをつけた。まだまだ序盤もいいところだが、とりあえず練成維持で止められる段階まできた。並の術者ならどうやって止めているのかも理解できないだろう小さな理論的隙間の位置だが、ほかならぬ師の、ただならぬ訪問とあってはこんな技だって使う。

 ちなみにその間ずっとカリカリ音は続いていたので師はまだ去っていない。すべては大丈夫だ。


『はいはいはい、今開けますから。フィースミール師――』


 ガチャ――

 開けた瞬間、凍った涙と鼻水でグシュグシュになった師がまろびながらつかみかかってきた。


『フォンぢゃあああああ゛あ゛!!』


『きゃあっ?』


『フォンぢゃっ、うぇっ、ぉぁぅっ、フォンちゃっ…………どおじて……どお゛じでこんなイジワルをするの゛ぉおおおおお!! こんなに困ってっ……こんなにお願いしてい゛るのにぃいいいい!!』


『いえあの、練成の途中でしたのもので』


『昔はあ゛んなに素直で優しい子だったのにぃい~~~~~~~~!!』


『…………』




「……と、いう感じだったわ?」


「えぇ……」


 スフィールリアはどんよりと疑義の声を上げていた。


「なにかしら?」


「いえあの、あたしの中のフィースミールさんはなんていうかもっとこう」


「でも、そういう人だし?」


 憧憬とともに構築してきた女神のようなイメージ像が、ガラガラと崩れてゆく音が聞こえるような気がした。

 がしかし、気を取り直した。あの偉大で優しいフィースミールが鼻水を凍らせながら泣き叫ぶほどの大事があったのかもしれない。


「魔王の使徒なんて比じゃない大事件が起こったんですね……!」


「なに言ってるの? 経営難よ?」


「……」


「その話はわたしも聞いたことがある。現学院長殿にまつわる、もっとも有名な話だ」


 そう。

 それが、当時の学院が抱えていた問題だった。有名な話である。


「フィースミール師は偉大な術士だけど、いろいろとこう……浮世離れしすぎてるところがあってね。その中には金銭感覚も含まれていたのよ」


「……」


 あまり知られてはいないことだが、<アカデミー>は、フィースミールが構えて暮らしていた小さな工房に数名の信奉者が集まって教えを請うていた姿が原型となっている。

 それが王都の発展とともに次第に人数と規模を大きくしてゆき……やがては王の庇護下に入って〝王立〟学院の体を取るようになったのだ。


 だが、彼女の崇高なる理念の下に、彼女の基準で(・・・・・・)一人前の綴導術士を何人も育て上げるということは……生半可な道のりで達せられる業ではなかった。

 膨大な時間、圧倒的な理論、天文学的な予算……それらを次から次へと湯水のように投じてなお、一人前にまで育つ者は少なかった。


 仕方のないことだった。術士が『育ってゆく』ということは本来そういうことなのだ。

 だがそこまでしても落伍(ドロップアウト)してゆく者というのはどうしても出るのだから金を出す方としてはたまらない。正真正銘伝説の、神話にも名が出るほどの術士が長を務める学び舎ともなれば志望者もどんどんと集ってきて……王室が学院に投じる予算も加速度的に増大してゆき……


 ついに、学院は解体の危機に陥ってしまった。

 むしろそれまでの数百年間を持ちこたえたディングレイズ王国の国力と王家の懐の広さが尋常ではなかったのだ。だが限界というものもあった。

 すでに学院は各国各所にも莫大な負債を発行している状態であったが、フィースミールはそのことに気がつかないどころか発想さえせずに、伸びやかに術士が育ってゆける理想の環境を目指してしまった。

 国からしてみれば国民からの悪感情も高まりすぎており、完全に首が回らない状態というやつだった。


 もう学院を畳むしかない。

 フィースミールに頭を垂れて使者がそう進言するころには、本当に言葉通りそうするしかない状態になってしまっていたのだ。聖女なぞ赤子、時に女神とまで同一視されるという存在の彼女がお願いをしてみても、変わらない。それほどまでに。

 そして失意と絶望と涙と鼻水を垂れ流しながらフィースミールが頼ったのが――愛弟子フォマウセン・アーテルロウンだった。


 結果を言うと、彼女は学院を変えた。

 無期制であった学院はこの時から六年制に姿を変える。

 志を持つ者すべてに平等なる機会を――その基礎思想は変えずに掲げながらも貴族・上流階級には優先的な特権を与えて入学を募った。

 寄付の大きさに応じて決まる特典を用意して莫大な金を集めた。

 また明確にカリキュラムを設定し、貴族平民にかかわらず入学希望者には大きな入学金と、年度ごとに応じた学費を課す。

 それらを元手に各地より優秀な術士を教師として招致。教師にも専門設備や研究室を始めとしたさまざまな特典を与え、その仕事を生徒に手伝わせることで非画一的かつ実践的な意味での『実力の飛躍』を目論む。


 同じ目的で学院内外で発生する仕事を学院内に集める依頼(クエスト)システムを構築。

学院内部そのものに莫大な金の流れの〝種〟を作った。

 またこうして生み出される仕事と物流の混沌(カオス)をあるていどのレベルで把握・制御するために学院内で独自の階級制度を設けた。これは学院内特典とも連動し、生徒の競争心を煽ると同時にカリキュラムの算定にも役立ってゆく。

 そうして学院内に集まり発生する数多の成果物やその構築理論を、利益と協力を見返りとして各国に提供することを約束した。それらは特に医療・軍事面において巨大な利権と需要、そして成果を生んでゆくことになる。


 それを成立させるために幾多もの条約が結ばれていった。条約の副産物としての利益と事業も雪だるま式に増えてゆき、またそのための新たな条約――各国の力学が絡まり合っていった。

<アカデミー>を無視できる機関は、どんどんと少なくなっていった。

 今では<アカデミー>が声をかけて顔を向けない機関はほとんど存在しない。予算がほしい、人がほしいとつぶやけば、どこかが動く。

 数百年間嵩み続けて今もなお残る天文学的な借金に目をつむっても、長い目で見ればそれ以上の利益が期待できる。そう思わない者がいないほどに学院にうごめく金は巨大になった。


 そう。

 今在る学院の姿のほとんどを作ったのが、フォマウセン・アーテルロウンその人なのだ。

 大改革だった。

 彼女は経済・経営のみならず政治の才能まで持っていた。だからこそ並み居る猛者たちの欲望も理想も巻き込んで巻き込んで――学院をここまで大きくしてこられた。

 そして、この改革は今も実行段階にある――


「だから今の<アカデミー>関係者は、学院と言えばこのフォマウセン殿だと口をそろえて言うのだそうだ。かの偉大なフィースミール様ではなく、彼女だと」


「……ほげぇ~」


「そんなにキラキラしたお目目で見ないでちょうだい、なんだかムズムズするわね? ……アメ食べる? 高級品よ?」


 もらったアメをころころしながらなおも輝いた眼差しで見つめていると……フォマウセンはまんざらでもなさそうな顔を一度逸らしてから、また向き直り、スフィールリアの髪の毛をなでた。


「だから……そうよね。まだまだこんなところであの場所を手放してやるわけにはいかないものね?」


「学院長、先生?」


 その手つきが妙に愛着にあふれたものだったので、スフィールリアは気恥ずかしさと疑問を同時に顔に出していた。

 スフィールリアには分からないことだったが、この時のフォマウセンはこんなことを考えていた。

 ――目まぐるしい日々を送っていた。それまでの鬱憤と一緒に、次々と難癖難題を押しつけてくる偏屈たちと議論を戦わせる毎日。

 学院長であるフィースミールが彼女の執務室を訪ねたのは、そんなある日だった。

『縫律杖』と、手提げ一式だけの簡単な旅荷を携えて。


『フォルシィラとケンカしちゃった』


 その微笑はすぐに見分けがつくものだった。


『この地を離れるのですか?』


『ええ。探しにいくの』


『……えーと。それはドレですか? 前におっしゃっていた……〝黄金〟の可能性?』


 フィースミールは答えなかった。ただあの微笑を浮かべている。


『ありがとうね、フォンちゃん』


 フィースミールは彼女に、この学院にきてくれたこと、救ってくれたことに関連する礼や思い入れなどを述べ、学院を頼むと言い渡すと、そのまま去っていった。

 目が回るような日々は、変わらず。数日後には呼びつけていたタウセンが現地での問題を片づけて到着し、入れ違いの形になったことをずいぶんと悔しがっていたが。

 フィースミールの言葉も、微笑の意味も、忙しい毎日の中に埋没していった。会うのはまた数百年後になるかもしれない。そんな想いとともに。

 そして、この子が現れた。思いがけない形での師との再会だった。


「わたしは、あなたに乗ってみることにしたの。あの人が預けたあなたが『まだだ』と言うのなら、わたしの役割もきっと、まだなのだろうから」


「は、はぁ」


「そう思うことにしたのよ。だから預けるわ? その分しっかりやってちょうだい。――っていうことが言いたいのよ。上下と左右とうしろは、わたしたちが完璧に守ってあげるから、あなたは前だけ向いていなさい」


 しっかりなさい!

 と仕上げにポンと頭を叩いてフォマウセンは片目をつむってみせた。


「……うす!」


 スフィールリアはもう一度、しっかりうなづいた。

 ちょうどその折で、扉の一方の側から硬質の音が響いてきた。

 不規則に金属がすれる音。床を叩く音。だれかが慌てて駆け寄ってくる。そんな音。

 バダンと音を立てて扉が開かれる。顔も真っ赤に、汗だくになって顔を見せた二名の兵士たちの視線が、スフィールリアたちと交錯する。


「……! ぅ、あっ……!?」


 その時の彼らは、いるはずのない幽霊を見たような顔をしていた。

 スフィールリアがどうしたものかと分からずにいると、兵の片方が絶望的に気づき「馬鹿!」と叱責して、もうひとりも同じように気づいた顔になり、ふたりしてその場に膝を着いて頭を垂れた。


「も、申し訳ございません! ノックを――失念してしまい」


「大変な……ご無礼を!」


「かまいません」


 静かに声をかけたのはフォマウセンだった。

 視線だけを向け、超然とふたりを見下ろして、言う。


「陛下は」


 顔を上げてよいと言われていないためか、きつく床石だけを見つめながら兵らが答えた。


「ハッ! お迎えの準備が整いましてございます」


「ご案内は、わ、我らが……ご不満がございましたら即座に別の者を呼びつけ、い、いたしますので……」


 フォマウセンが、いかにもという動作でゆっくりうなづいた。


「かまいません。陛下はなんとおっしゃっておりましたか? そのような無駄に割く時間が、この国に許されているのでしょうか。すぐに案内をしてちょうだい」


 その言葉でまた兵たちは装飾鎧が音を立てるほどにビクリと震え上がった。


「申し訳ございません! た、ただちに」


「御前、失礼いたします。お荷物は、わたしが」


 彼女たちが立ち上がる前に兵たちが回り込んできて、立ち上がる手伝いをされる。あんまり大仰な扱いのせいでむしろ心臓のバクバクが戻ってくるスフィールリアだった。

 そんな彼女を見つつ、フォマウセンが緊張する兵たちにさらなる追撃をかけた。


「ああ、その荷物だけど――そういえば陛下にお会いする前にこの子たちの着物を変えたいの。着つけ人を用意していただけるかしら? できれば理容師も。陛下にお会いするのだもの、当然よね?」


「はっ。ご用意してございます! ではそちらへ、ただちにご案内を!」


「上等なものなので、くれぐれも丁重にね?」


「かしこまりました!」


 紙箱二式を抱える兵の顔がもう泣きそうだった。

 なんだか自分の分の緊張まで持っていかれてしまった気持ちで同情するスフィールリアに、フォマウセンがいたずらっぽくウインクを投げてくる。

 どうやらこちらの緊張をほぐす――というか砕く――方策だったらしい。あちらの表情や対応からとっさに決めたことのようだが、それでもこうまで圧倒的格上の態度を自然に示せるのはさすが学院長と言うべきなのかもしれなかった。

 おまけに、王がこちらを迎える準備を終えたと告げられたあとにこちらが準備を始めるというこの所業。やりすぎだ。

 が、こちらの意思は充分に(むしろ必要以上に)伝わったらしかった。

 通路をエスコートする兵たちの足取りは式典(パレード)で王の車を護る近衛兵のごとく厳格であり、同時に、始終心配になるほどに脂汗を流していた。




 通路の終端で風体の違うもうひとりの男性が待ち構えていて合流する。こちらは侍従に近い黒服をまとった厳格な顔立ちの紳士であり、この通路に関連する部署の支配人であると名乗った。

 うやうやしく頭を下げる男性を前に、兵たちは青い顔をしていた。

 これはこちらの来訪が異常であるというのとは別に彼らの間でなにかがあったなとスフィールリアは直感した。

 扉の先は来賓用の準備室になっているようだった。壁一面の大きな鏡、無数のドレッサーその他の器具がずらりと並び、数名の男女スタッフがそろって頭を下げてきた。


「それでは、この者たちの案内はこれにて。以降、陛下の下まではわたくしめが担当させていただきますので、準備が整いましたらお声がけくださいませ」


 と扉のすぐ外で直立不動の姿勢を取っていた二名に、男性がちらと目配せをした。小さな棘を刺すような動きだった。

 すると二名が三人に対して、大きく頭を下げてきた。


「この度は、この危急の際にご足労いただいたにもかかわらず大変なご無礼を働いてしまい――まことに申し訳ございませんでした!」


「え、ええとあの……なにか、手順に不備があったんですか?」


 ついにスフィールリアはたまらなくなって聞いた。

 男性がうなづいて促すと二名は頭を下げたまま見えていないはずだったが、震えて、白状をするように搾り出した。


「は……我々は、重要な来賓の最初のご案内という任に就きながら……」


「怠慢により、入室の報を見すごし……お客様の大切なお時間を、まったく無意味に奪ってしまいました……」


「まことに、申し訳ございませんでした」


 引継ぎ、支配人の男性も直角に頭を下げた。


「い、いえ。いいですからそんなの……」


 あの〝部屋〟がなんだというのか。温度差にドン引きしたスフィールリアが告げるとまず男性から頭を上げ、二名も直立不動に戻った。が二名の顔はなお疲れ果てたように青いままだった。この顔を彼女は経験から知っていた。


「あのぅ、ひょっとして、おふたりには罰が?」


「はい。このようなことが今後の歴史において二度と起こらぬよう、監督責任者であるわたくしを含めて厳格に処罰を行ない、人選の基準についても見直しを徹底いたします。ですのでなにとぞ此度のことはご容赦いただきたく……」


 うわぁ……と胸中でうめきながら、再度直角になろうとする男性を慌てて止め、スフィールリアは急いで語りかけていた。


「あの、その処罰って、ひょっとしてあたしたちが納得できる形になるよう口を挟むことってできますか?」


「はい。お客様が望まれる処分がございましたら最大限の範囲で融通させていただきます」


「では処罰は一切ナシの方向でお願いします」


 彼女はもうほとほと疲れた気分で飛びついていた。勘弁してほしい。ただでさえこれから王様という人に会うのに、ひょっとしてこれは事前にこちらの心労を重ねておく作戦なのかとまで思ってしまう。

 兵の二名は、直立のまま、目を見開いていた。


「は……」


 あいまいな返事に念を押す。


「えっと、お説教とかは仕方がないかもしれませんけど。でも懲戒処分とか、減俸とか、そういう規則的な、物理的な、有形的な、一切の処分を与えないでほしいです。一切です」


「かしこまりました」


「ほんっとーにお願いします! 曲解も拡大解釈もナシで! ほんっとーーーに!」


「必要でございましたら念書もご用意いたします。わたくしと、人事総責任者と、国王陛下の血判つきでいかがでございましょう」


「そこまでしなくていいですすいませんでしたごめんなさい!」


 またドン引きしながらフォマウセンとキアスを振り返ると……ふたりはとことん興味なさそうに肩をすくめて同意してきた。


「では、ご意向に寸分違わずそのようにさせていただきます。深きご厚情、この場を代表いたしまして感謝申し上げます――それでは準備が整いましたらお声がけをくださいませ」


 一礼をしてから、男性も外に出て扉を閉めた。兵士たちは、扉が閉まるまでずっと、深く頭を下げていた。


「は……はひ……は」


 スフィールリアはその場にへたり込んだ。


「もういや……もうこのお城に関わりたくない……」


「いやいやいや」


「これからだぞ、これから」


「なんなら今から遠隔操作できるあたしソックリの人形の作成を……」


 室内に残っているスタッフが顔を見合わせた。


「真理院の工房って今空けられるのかしら……」


「わたしたちでは……とりあえず支配人を呼び戻して、オーダーを、」


「本当にすいませんでしたお願いですから真に受けないでください」


 スフィールリアは床に座ったまま深く頭を下げた。




「それじゃあわたしはちょっと情報収集してくるわ? ここまで深く入り込めたからね」


 と言ってフォマウセンは別の扉から出ていった。キアスも男性スタッフに連れられて別室にいった。

 鏡の前に座るスフィールリアのななめ後方で、着つけ師と、エプロンにそれぞれ(はさみ)や櫛一式と化粧道具一式を収めた女性スタッフ三名が、なにやら話し込んでいる。彼女らはフォマウセンのオーダーにより、この子はいろんな意味(・・・・・・)で無知なので容姿と衣装を見て最適な処置を頼むと言い渡されている。


「お召し物、失礼いたします」


 着つけ師の女性が箱を開けると、例のドレスがふわりと広がった。

 目を見開いて、スフィールリアと見比べて、また話し込み始めた。


「まぁ! ……これは……まぁ……!」


「これは……一度お召しになっていただいた姿を見て全体のイメージを……」


「そうね……ひょっとしたらお化粧も……かなり慎重にならないと……かも……」


「仕立て側の意図はつまり――」


「なんてこと。これはわたしたちへの挑戦と言っても――」


「我々は――最小限で、最大の――」


「――で――最高の――」


 ものすごく難しい顔をしている。そんなに似合わないということなのだろうか。学院長はなぜそばにいてくれないのか……


「あの……」


 三名の声がぴたりと止まった。彼女を見て、にっこりと笑みかけてくる。

 スフィールリアも、笑った。それは捕食される寸前な小動物の反射行動に近かったかもしれない。


「え、えへ……」




「どう? 準備はできたかしら?」


 化粧室に戻ったフォマウセンの視線にまず入ったのは、スフィールリアのうしろに立って鏡に映る王城スタッフの顔だった。

 それぞれの道具を手にしたまま恍惚の表情を浮かべている。

 フォマウセンはこの顔を知っていた。最上の仕事を果たした彫刻家や芸術家が己の作品の造型をいつまでも眺めていたいと願う、自己陶酔の表情。職人の(かお)だった。


「……」


 ちらりと、彼女らが見ている下方に視線を落とす。

 振り返ったスフィールリアを見て硬直し……呆れ半分と冗談半分に、こう茶化した。


「あなた、普段からもう少しおしゃれにしておく気はない?」



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