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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~  作者:
<3>魔王鳴動と開催前夜の狂争曲の章
86/123

(3-29)


 店自体が開いているか心配ではあったが、やはりというか、<ネコとドラゴン亭>はしぶとく営業していた。


「魔王の使徒が相手と言えども、さ。そう安々と店を明け渡してやるわけにはいかないからねぇ。威信に関わる」


 と穏やかに笑うのはマスター。独自の情報網で学院に起きた異変の正体を知った上での言だから大した根性である。

 といっても、単に脅威度を正確に把握していない可能性は否めない。スフィールリア自身にだって実はよく分かっているとは言えない。スケールが違いすぎる相手だ。

 しかしまぁ本当に正しく把握していたのなら、どこへ逃げても無駄だという結論にはなるのかもしれなかった。テスタードたちの言が正しければ瞬きするていどの労力も用いずに惑星さえ苦もなく一瞬で消滅させられるというのだからどうしようもない。

 店の方は閑古鳥だった。周辺の住居はほぼ避難が完了していて人っ子ひとり見かけない。店内にも数名の、いつも見かける老人などが静かに座っているだけである。


 その中に、キアスの姿はなかった。

 いつものカウンター端の席に、いつもの酒が入った彼のグラスはある。

 聞けばなんでもちょうど入れ違いの形で王室からのエージェントがやってきて、魔王使徒対策への戦力としての打診をしてきたのだそうだ。今は店の裏にいって話をつけている最中だという。

 完全に先を越された形だ。だが仕方ないので、そちらの話がつくまでひとまず待たせてもらうことにしていたのだ。


「……あのー。おじちゃんは逃げなくていいんですか?」


 手持ち無沙汰なスフィールリアは暇つぶしついで、疑問半分で、これまたいつきてもこの店にいて酔いつぶれている中年に声をかけていた。

 元戦士職のマスターや現役最高峰のキアスはまだ分かる。しかしこの中年の正体はさっぱり知らないのだが、どう見ても戦えそうななりには見えないのだ。であるのにどうしてこうも泰然として飲んでいられるのだろうか?

 と、思ったのである。


「……スフィーちゃん」


 すると、おじちゃん。

 いつもの通りの穏やかな調子で、こんなことを問うてきた。


「おじちゃんはね、たしかに戦う力はない。非力で、ちっぽけで、なんの取り柄もない存在だ。だけどね、こんなおじちゃんでも恐ろしい魔王の僕にだって立ち向かうことができるようになる、魔法のような『おまじない』があるんだよ。……なんだか、分かるかい?」


「……」


 彼女は素直に首を横に振った。そんなすごいおまじないがあるなら商売になるかもしれない。ぜひとも聞いてみたいところだった。

 そして、おじちゃんは『おまじない』の正体を告げた。


「それはね、お酒だよ」


 スフィールリアは脳みそが真っ白になった。真っ白になったまま、なにも考えることができなくて、まったく処理できなかったおじちゃんの言葉を無意味に吐き返していた。


「お酒」


「そう。お酒だよ。……お酒があればね。いい気分になって、なんだかよく分からなくなって。おじちゃんみたいなどうしようもない存在でも、魔王が怖くなくなるんだ。これさえあればおじちゃんみたいな人でも、ドラゴンにさえ立ち向かう歴戦の戦士たちと対等になれるんだよ」


「それっていろいろとダメなのでは」


 ぴたり、と。

 おじちゃんの動きが一瞬だけ止まったような気がした。気がしただけで、錯覚だったかもしれない。

 そして。


「ダメじゃないよ。ダメじゃ、ないんだ……」


 おじちゃんはいつものように穏やかな微笑みを湛え、首を振り、またいつものように安酒を舐め始めた。


「……」


 ぽんと肩を叩かれて振り返ると、カウンターから出てきていたマスターが静かにかぶりを振っているところだった。


「魔王が直接この店に乗り込んできて彼を脅かしても、きっと彼を酒から引き離すことはできないだろう。死すら彼と酒を分かつことはできないのかもしれない」


「それほどですか?」


「ジュースおごるから。そっとしておいてやってくれ。さぁもうこっちにおいで」


「それほどですか!? なんかすいません!」


 と言いつつ言われるままにカウンター席に着き、ちゃっかりジュースはもらうスフィールリアだった。


「ごちになりまーす!」


 うれしくて足をぷらぷらさせながら出されたコップにありついていると、新たに来客があった。


「はーもう嫌よねぇ。王都の夏って降る時はドサっと降るんだから。……あらーん、スフィーちゃんじゃないの~? どうしたのこんな時に? アイバのバカならさすがにこれないと思うけど。まぁアタシの知ったことじゃないけ、ど、ね。んふ」


「シェリーさん! あの、姐さんも避難してないんですね」


 隣に座って夏に相応しい感じのさわやかで洒落た酒を注文した武器屋の店主はウィンクをかまして当然のように宣言してきた。


「当然でしょーん。アタシの()たち、いったいいくらすると思ってんの。魔王の使徒サマだかなんだか知らないけれど、お金払ってくれないなら場所譲ってやる義理はないわね!」


「あ、あはは」


「でも湿気はダメね。一日以上降ると粒子が反応しちゃって、金物独特のニオイが鼻についてアタシダメなのよ。だからコッチに退避してくんの。どーせこんな状況じゃ商売は上がったりだしさぁ。なによもう。王城のふもとにこんなイイオンナがやってるイイ店があるんだから聖騎士団でもなんでもまとめ買いしてってくれればいいのにん。スフィーちゃんは避難これから? 大変よね、学院のド真ん中にあんな黒くて大きなモノが現れちゃうだなんて。はっきり言って卑猥だわ。信じらんない。存在自体が下品なの。乙女の敵!」


「あはは……まぁ、これからソイツをやっつけてやるつもりなんですけどね! 安心してくださいよ!」


「……なんですって?」


 ピタリ、と。シェリーは明確に動きを止めた。

 急速と真剣な顔になり、彼女の顔を覗き込んでくる。


「ねぇスフィーちゃんもう一度聞いてよいかしら。あなたなにしにここにきたの?」


「キアスさんに護衛をお願いしようと思ったんです」


「アレと戦うために?」


 かぶりを振る。


「王城にいくんです。キアスさんには、その護衛に」


「……」


「アレとも戦うと思います。でもその前に、どうしてもしなくちゃいけないことがあるんです」


 少しの間、シェリーは彼女の顔を見つめていた。

 次に、深く長く、ため息を吐き出す。


「分かったわ。よく分かった……ちょっと、待っていなさいね」


「はい?」


 そして席を立つと、足取り早く店を出ていってしまう。自分の店に入ってゆくのが見えた。

 よく分からずにいると数分後、シェリーが普通に戻ってきた。小さな布包みを手にして。

 シェリーが包みを外すと、控えめではあるが彼女の店らしい優美な輝きを持つ短剣が現れた。


「はい、スフィーちゃん。ひとまずこの()あげるわ」


 当たり前のように差し出してくる。

 スフィールリアはよく分からずに短剣の動きに目を合わせ、それから顔と声を上げた。


「えっ?」


 シェリーはやれやれと言った風にほほに手を当てながら、彼女の疑問とはまったく別のことを愚痴のように言ってくる。


「あなたにあげた先代の『ミルパラート』『ミルブレイド』の姉妹系……と言えば聞こえはいいけど、あの子たちの開発前段階の試作品なのが申し訳ないのよね。でも前段階の品だけあってピーキーな面はあるけど、扱い切れればあの()たちにも負けないだけの働きぐらいはしてくれると思うの。今はこれで我慢してちょうだいね」


「い、いやいや。ちょっとシェリーさん。あげるってそんな簡単に! 結局前の短剣たちだって支払いうやむやにしてもらってるのに、いただけませんよ!?」


 だがシェリーは悩ましく息を吐くと簡単にかぶりを振ってきた。


「なんだそんなつまんないこと……? いいのよ。こんなことは前段階の投資。〝次〟に取りかかるまでの『つなぎ』なんだから」


「え? 次? つなぎ? え?」


 とことんシェリーの意図が分からないでいると、その武器屋の店主。ひとまずカウンターに短剣を預け、神妙な面持ちで、彼女の両肩を持ってきた。


「そ、次。ねぇスフィーちゃん。相談なんだけどさ。……あなたのための武具を、アタシに作らせてくんない?」


「ぶ、武器? あたしの、ですか?」


 うなづく。


「お願い、と言ってもいいかもしれない。予感がするの――予感がしていたのよ。あなたについていれば、アタシの武器の可能性の奥を見せてくれるかもって。あなたはきっと特別な存在なの。特別な運命を御するなら、従えるものだって普通じゃダメなのよ。だからお代はけっこう。むしろこっちが払いたいくらい。だからお願い、うなづいてちょうだい」


 ちょっと剣幕と言葉が普通じゃなくなってきて、スフィールリアは慌てた。


「いやいやいや! あたしなんてそんなちょっと周りが普通じゃないかもしれないだけの、普通の町娘ですから……!」


「ううん、そんなことないわ。そんなことはないのよ。いい? ――身の丈に合った武器じゃなかったのよ。『ミルパラート(あのこ)』も『ミルブレイド(あのこ)』も……だからあなたについてゆき切れずに、なんとかあなたを助け、その機能を終えたの。人には運命があるけれど、剣もまたその人の運命に引きずられるのよ。そして、時に惹かれ合うの」


「……」


「身の丈に合っていない〝力〟は、大きすぎても、小さすぎても、その者や周囲の者へ不幸を撒き散らすわ。だからね、こんなことを言って脅しているみたいで嫌なカンジなんだけど……あなたも自分に合った武器を探さなくちゃダメなの。現に前のふた振りだって、決して粗悪な品なんかじゃなかったって保証できるのよ。……でも、短いうちに滅んだ。この()にだっておそらく荷が重い。きっとそう長くは保たないでしょう。でも使ってやってちょうだい。この剣たちの新しい〝次〟を見るために」


「う、うう……」


「アタシが、見たいのよぉっ!」


「うー……!」


 スフィールリアは困り切ってマスターを見た。見たが彼は穏やかな様子のままでかぶりを振るだけだった。


「どうやら本気だ。なに言っても駄目だねぇ」


「そう言われましてもぉ。あたしそーいう大げさな話はほんとニガテで……買い被りすぎですってほんとに……」


 肩を離したシェリーはそれまでの真剣すぎる態度を変えて、大仰にやれやれのポーズを取った。


「もぉん。そんなことないわよぉ。それにね、それこそそんなに大ゲサに取ってくれなくていいのよ。モニター! そういうものになってほしいのよ、うん。それならいいでしょ、ね!?」


「も、もにたぁ?」


 また、うなづいて、マスター。


「そういうのもあるねぇ」


「そうよぉ。スフィーちゃんたちだって、新しいレシピ作ったら試しに通常じゃない安値で使ってもらって感想お願いしたりするでしょ? コッチじゃ理髪師の見習いとかだってよく修行のためにモデルをキャッチして店にきてもらって格安だったりタダだったりで髪切ったりするし、裁縫の丁稚だって腕試しの小物や修繕タダでやったりするんだから。なによ。なんも珍しくないじゃない! ほぉらねっ?」


「うっ……た、たしかに」


「でしょぉ? むしろ値段と重要度が高くなるほど、製作側がお金払うことだってあるわよ。ましてや生命を直接預けるものでしょ? リスクに対して報酬を宛がうんだからタダでも安いわよ、はっきり言って? スフィーちゃん、おかしいんだぁ~」


「ぐっ、ぐぐぐぬっ」


「都会じゃフツーなんだけどなぁー。うん。はっきり言ってフツゥ~。都会だからねぇ~ん。スフィーちゃんって遅れてるんだぁ~。あっ、田舎出だからぁ~? でもそれって乙女としては言い訳よねぇ~~」


「ぐっ……わ、分かりましたよ!!」


 このころにはもう顔を真っ赤にしていたスフィールリアは、ついに決壊した。


「あたしだって女の子の端くれっ! 都会の流行にだってちょちょいっと乗れちゃうんですよっ! そのお仕事、受けて立ちますとも!」


「きゃースフィーちゃんステキー! ジブンを飾ることに貪欲な乙女は幸せになっていいのよ!」


「君たち、武具の話してたんだよね?」


「ああ。鋼鉄と暴力の権化のことだ」


 ずし、と圧力を感じさせながらグラスの置かれた席についた巨漢は、紛れもなく待ち望んでいたキアス・ブラドッシュその人だった。


「あ、キアスさん!」


「あまり物騒な話は好かないな。君には似合わん」


 さっそく自分の分のコップを持って寄ろうとしたところ、シェリーに肩を持って止められた。


「待ーった。ちゃんと短剣持っていくの」


「あ、は、はい。すみません。ではこれは、ありがたく……!」


「うん。……それとさぁ、スフィーちゃん? スフィーちゃんの田舎って、たしか、フィルラールンでよかったのよね?」


「あ、はい。そうですよ」


「ちょっと遠いわね……」


「え?」


「――で。前に研ぎで持ってきたあの包丁だけど……アレを打った刀匠がアタシにソックリで、その町で営業してる……だったわよね?」


「……? そ、そうですね。『オヤジさん』の包丁ってすごく出来がいいから、普通に研いでもすごいんだけど、シェリーさんに頼んだら絶対もっとよくなるって思って。この辺じゃオヤジさんレベルの包丁ってなかったし、あの買いたての切れ味が懐かしくてつい……」


「うんうんそうでしょ。正しい判断だわよ。正直なハナシ、買った時よりも気持ちよかったでしょ? 仕上げが雑で、とことん腕を錆びつかせてやがるんだって、使い古しからでも分かったもの」


「?」


「あら、そんなことなかった?」


「い、いいえ! はい! シェリー姐さんは最高っす!」


「うん、やっぱスフィーちゃんはイイ子!」


「う、うわ、うわわっと?」


 突然にがしがしと頭をなでられてスフィールリアが戸惑っている間にも、シェリーは再度うなづいて、なにかを得心しているようだった。


「うん、うん。……なるほどよく分かったわ。それじゃあトーメンの方針も決まったことだし、アタシも今のうちにトンズラしちゃおっかな!」


 シェリーが口をつけていなかった注文分のグラスをくいっと煽り、タンと景気よく置いた。


「え?」


「……店を空けるのかい? 君が? まさかね?」


 グラスを拭いていたマスターもちょっと目を見開いているが、シェリーはかまわずエプロンの裏ポケットから鍵を取り出すと、彼に放り投げてしまった。


「そのまさかよ。アタシがいない間、しっかり風通してあげといてちょーだい」


「……まぁ。かまわないが。〝増築〟の件かい?」


「そんな、と、こ、ろ。じゃあスフィーちゃん、あのイヤらしい玉をやっつけて、王都が平和になったらまた会いましょう。それまでその()で保たせといてねぇん?」


「は、はいっす姐さん! オス!」


 がんばってね~。

 と、ひらひらうしろ手を振って、シェリーの姿が雨に煙る王都へと消えていった。


「……?」


 マスターと顔を見合わせるも、彼にも分からないらしく、上品に肩をすくめてくるだけだった。

 なんだか呆気に取られてこめかみをぽりぽりしていると、横合いから届いたキアスの声が、彼女の意識を本来の道へと復帰させた。


「ひょっとしてだが、わたしになにか用だったか?」


「……あ、そうだ! キアスさんキアスさん!」


 とてとて彼の下まで駆け寄り、スフィールリアは、まず懸念事項についてを尋ねた。


「あのぅ~、時にですね。王宮のエージェントの人の打診っていうのは……?」


「時間はかかったが、断ったよ。大勢の部下とその下にあるさらに大勢の無辜の生命を預かるなど、正直わたしには荷が重い。護衛職ならともかく、な。わたしはもう工房騎士ではないのだから」


「ほっ」


 胸をなで下ろしているスフィールリアへ、キアスはグラスをかたむけながら、視線だけを送ってくる。


「……依頼、か?」


 うなづく。


「は、はい。お話が早くて助かります。どうしてもキアスさん級の人にお願いしたいんです。どうかなにとぞ――ひとつ!」


 姿勢を改めて思い切りよく下げた彼女の頭が上がるのを待ってから、また、手短に聞いてくる。


「こんな状況でか?」


「はい。こんな状況だからこそ、です」


「危険な場所か」


 問われてスフィールリアは考えてみた。危険であるとも言えるしないとも言えると思う。

 彼が負うリスクはないとフォマウセンは言ったが、それとは関係なく、これまで自分がしてきた苦労が思い起こされてきて……彼女の中で据わっていた覚悟が、さらに据わってゆくような気がしてきた。

 すると、スフィールリアは自然と断定形でうなづいていた。腰に手を当て、静かな怒気と一緒に、言葉を吐き出していた。


「はい。ちょっと、王様のところまで――ひとこと言ってやろうかなと」


「……?」


 しばしキアスは視線を上向かせて、なにかの理解に努めようとしたようだった。

 数秒後、彼は珍しく、小さく笑いの息を吹き出していた。


「たしかに――危険な場所だ」


 言いながら彼が顔を向けていたのは、こんな時でも平静にグラスを磨いているマスターだった。


「だれになにが似合わないんだって?」


「間違えたかもしれん」


「あ、あの……ごめんなさいちょっぴりウソです。キアスさんにリスクはないはずなのであの」


 雲行きが怪しくなってとたんにしどろもどろになり始める彼女を、キアスはグラスを置いた音と、差し出した大きな手のひらで止めてきた。

 そして、言った。


「引き受けよう。いつもの料金でかまわない」


「っ……! ありがとうございます! 百人力ですよやったー!!」


「どうかな。王宮は戦闘力では測れない、海千山千の怪物ぞろいだぞ。アクセサリー以上の期待は禁物だな」


 そんなことはない!

 ――と言おうとしたところで、店の隅の方から別の声が割り込んできた。


「王宮に乗り込むアクセサリーだとぅ? 馬鹿野郎が。そんじゃあオメェ、一着必要になっちまうじゃねーか」


「?」


 剣呑な声音とともにふらふら歩み寄ってくるのは、これまたよく見かける職人街の老人たち三名だった。ずっと店の隅の椅子で固まって飲んでいた。


「え、あの……」


「親方」


 話しかけられたこと自体に驚いている風なキアスに、先頭の老人が、枯れ木のような指を突きつけた。


「オメェそんな不細工な格好でついてってよ、ソッチのきれいな姉ちゃんの足引っ張りにいくつもりなのかい。粋の世界ナメてんのか。金は持ってるか?」


「……ない。作れるのか?」


 グラスを持ち上げて中身の薄めた安酒を示しながら問うキアスに、老人たちはとことん呆れ顔でため息をついた。


「お嬢ちゃん、一応聞くが、いつなんだい?」


「あ、明日の午前なんですけど……!」


 老人はまた舌打ちと一緒に荒く息を吐いた。


「ッカ! そんなんで仕立てられる店はねぇわな。まったくバカにしてやがる話だ!」


 老人の剣幕に若干おろおろしながら、スフィールリアもそうだったと心の中ではうなづいていた。

 キアスを護衛に誘うんだったら彼の服も必要になるのは道理だった。いくら王城で着衣のレンタルをやっているとて、彼ほどの体格に沿う紳士服まではないだろう。もしも仕立てるにしても、職人が通常かける時間があってさえ扱いがたい巨漢のはずだ。


 フォマウセンがそのことに言及しなかったのは単純に時間と必要がないのだと考えたためかもしれないが、何度もキアスに助けられているスフィールリアとしては困ったことだ。彼だけに恥をかかせるのは嫌だった。

 しかしキアスの方はというと、平然としたままこんなことを言う。


「……だろう、な。だったら逆に、彼女を際立たせるピエロにでも徹するさ。せいぜいな」


 再び傾けようとするグラスを、老人の細い手が押し留めた。


「だから、どこまでバカにしやがるんだオメェはよ。オメェに言ってんだ」


「あ、いえあの親方さん、あたし! あたしが悪いのでごめんなさい!」


「――オメェにゃ絶対必要になるし、晴れ舞台だからってよ。だからオメェの〝結婚〟の時ゃー作ってやるってあれほどよぉ、引退前の老人が恥ずかしげもなくお節介焼いてやったんじゃねーか」


「……」


「だのに勝手にしくじって勝手にいじけやがって。あの日からロクなもん食ってねぇクセしやがって、勝手にどんどんブクブクと余計な筋肉つけてきやがった! いくら人生捧げてきた職人の技つったってな、そんなんじゃ何回仕立て直したって足りねぇんだよ! 毎日足運んでなぁ、不恰好に膨らんでくテメェの背中目分で計ってがっかりする職人の気分も考えたことあんのかぃ、オゥ!」


 スフィールリアはぱっと表情を明るくして老人に向き直っていた。


「お、親方さん! ひょっとしてそれじゃあ!?」


「ああ、ばっちり一式なぁ、今日までのこのドバカのド級体型に合わせてあんだよ! 完璧にな! それがオメェ……さんざくら老いぼれ待たしといたと思ったら、今度はいきなり今日の明日だぁ? 職人馬鹿にすんのもいい加減にしやがれってんだい。金払え、金! そんで、いい加減もうどこにでも持ってっちめぇ馬鹿!」


 スフィールリアも親方たちと一緒に詰め寄った。


「キアスさん、受け取りましょうよ! こんなにステキでいいことないですよ! 感謝して受け取りましょ!?」


「い、いや……だから金が。あの時の祝いの品なら、金はいらないという話だった気もしているが……」


「ッキャロィがそりゃオメェが勝手に馬鹿げた値段で命張ってんのが悪ぃんだろが俺たちが知るかいな。それがオメェ、カッコつけて、なーにがいつもの料金だ! ……あの話もナシだ! ほんとに何回仕立て直したと思ってんだもうとっくに『あのころの原型』なんて残ってねぇんだよ! 腹ぁくくれや若造めがぁ!」


「む、ぅむ……」


 キアスが、とてもとても珍しく、口をもごもごとさせている。

 スフィールリアは「ふっ」とわざとらしく格好つけて笑い、金貨の入った財布を取り出した。


「親方さん、あの日の花婿さんのおべべはいくらだいっ」


「おっ。明朗会計! 気持ちのいいお客さんだねぃ!」


 丸ごと投げ渡された財布から必要分を取り出して仲間に配り始める様子を見て、さらに珍しくキアスが慌てて、立ち上がりかけた。


「ま、待て! なんで彼女から金を取っているんだ、せめてツケで話を――」


「馬鹿かオメェ引退した貧乏職人がこれ以上待てるかい。オメェも技で食ってんなら職人の技に敬意ぐれー払えってんだ。ったく」


「必要経費ですから! お気になさらず!」


「い、いやしかし」


「じゃあーツケておきますよ。それなら今の話で通ってるじゃないですか」


「おぅおぅ、そうしろそうしろ」


「い、いや、それでは相手が……」


 まだ納得しないキアスに、スフィールリアは腰に手を当てて宣言した。彼が相手だから座っていても目線は下だが。


「もう。ゴネるんなら依頼キャンセルしちゃいますよ? そしたら服も必要なくなるし、せっかくのお祝いと心づくしもナシですからねっ!」


「ええ……」


 理解できないように、キアスの眉が下がっていった。

 スフィールリアは得意げにふんと鼻息を鳴らしているし、旧知の老人たちはうれしそうに金貨を握って「へっへっへ……」と意地悪く笑っている。マスターは単なるそういう装置であるかのようにグラスを磨き続けている。役には立たない。


「なんでわたしが君に脅されているんだ……なんだ……? キャンセル……? 待ってくれ、そうすると君は……つまりどういうことだ……?」


 しばし、キアスは両手に包んだグラスの底を見つめて動かなくなった。


「…………」


 やがて力尽きた風に、もう一段階ほど、顔の位置を落とした。


「もうそれで頼む……」


 スフィールリアは頭上に輝く勝利の星を指差した。


「世界一の紳士服、お買い上げーい!」


「これでバカみたいな服からも開放されて明日からちったぁーマシな暮らしができらぁな。毎度ありな」


「いえいえ、こちらこそ助かりました!」


 スフィールリアは返された財布をポーチにしまいながら、解決した問題に心底からほっとしていた。


「ったくオメェはよ。こんなお嬢ちゃんにバカでけぇ借金こさえやがって。なにが最高峰のSランクなんだ。ちったぁー現実見えたか?」


「……金は、返す。この剣でな」


「おうそうしろそうしろ。お姉ちゃん、遠慮しねーで、これからたっぷりコキ使ってやってな?」


「は、はぁ。あはは……」


「…………はぁ……………………」


 心底から疲れた風にため息をついてグラスを傾けようとしているキアスの足を、老人たちが蹴突く。


「おらっ、オメェはさっさとくるんだよ! 合わせだ合わせ! ほら立て!」


「…………」


 ずし、と非常に重々しい動作でキアスが立ち上がる。ふてくされているような、泣きそうな、よく分からない苦い表情だ。


「あ、ではキアスさん。明日はどうかよろしくお願いします。朝、ここにお迎えにきますので」


「……ああ」


 彼女の顔も見ず、囚人のようにうなだれて出口まで連行されてゆく。


(怒らせちゃったかなぁ?)


 少し強引だったかもしれない。

 後悔はしていないが、だからと言ってせっかく少しは仲良くなれたのだから、これをきっかけに敬遠されるようになるのはヤだなとも思った。


「おう姉ちゃん、大船に乗ったつもりでいてくれな。この戦艦と巨森剛猿(ドカンダ)の間の子みてぇなバカげた破壊装置をよ、貴族サマが何度でも招きたくなっちまうくれーの一品に仕上げてやっかんな!」


「あ、はい! ……キアスさん、楽しみにしてますねっ!」


「…………」


 やはり、キアスはこちを見ることはなかったが……


「……あまり期待は、するな」


 そう言い、引かれながら姿を消す彼の耳は、ほんの少し赤く染まっていた。


「バッチリ手入れも叩き込んでやる。まっとうな客としてなら弟子の店に紹介してやるが、つまんねぇことでボロにしてきやがったらたたっ返すからな!」


「服に気遣った動き方は得意じゃない」


「バッキャロウがオメェ、一回や二回ドラゴンとタイマン張ったって破けるようにゃできてねぇよ。ナメてんのか」


「パンツなんか特にがんばったかんのぅ。その服より動きやすいはずじゃ……でも剣帯はいかんのぅ……どう考えても合わんのぅ。おおそうだ。これからは素手にしろ素手に。素手でドラゴン()れ。な?」


「それより、虫に気をつけぇよ? なんと言っても服の天敵がソレだからねぇ。あと型崩れしないよう、ハンガーは専用で料金は――」


 がやがやと、去ってゆく――


「……」


 しばしぽかーんと固まっていたスフィールリアの顔に、にんまりと笑みが湧き上がってくる。

 出口を指差して、同じように口を開けていたマスターに、


「……照れてた。見ました? キアスさん、かわいいなぁ。えへへへ……!」


「鬼神も形無しだね」


 肩をすくめ、マスターは、珍しいものを見せてくれた礼にということでもう一杯おごりを出してくれた。酒を割る目的の果実液を、水だけでなく抽出果糖液や綴導術工房から仕入れた香料に味覚情報フレーバー各種で配合したノンアルコールのカクテルだ。普段飲んでいる水で薄めただけの果実ジュースではなく、ほんの少々お高い、この店こだわりの品だ。


「わぁ!」


「だいぶ疲れているね。気も張っているようだ」


「いやー。まだまだ、これからなんすよ」


「それはそれは」


 くぴ、と普段よりずっと果実感(ジューシィさ)の強いカクテルが入ったグラスを傾けて、スフィールリアは大きく息をついた。

 どうにか、ここまでは漕ぎ着けた。

 彼女がやりたいこと、勝利のためにそろえなければならない条件は、大きく分けてみっつある。


 ひとつは、没収されるテスタードの財産を回収すること。これについての本番は、実は魔王使徒を無事撃退したあとになる。まずはそのための挑戦権を作る段階の四分の三ほどを、仲間たちのおかげで完遂できた。あとは時間で追加の注文が集まり、おそらくは大丈夫だろう。


 ふたつは、王室との司法取引。テスタードが持っている手札の有効性を認めさせ、彼を無罪とさせること。そのついでに自分たちについての処分も追求もナシにしてもらって、今後も無事に学院ですごせるよう必要条件を整える。

 これについては謁見予約は姉弟子に頼りきりだし、護衛に関しても意外なハードルはあったものの本人にリスクはほぼ発生しない話にすぎないので、この段階まではそう難しいことじゃなかった。

 本当の本番は明日だ。向こうにとっても無視できない重要なカードであるとは思うが、やはり実際にどう傾くのかまでは分からない。


 そして、みっつ。――魔王使徒ノルンティ・ノノルンキアの撃退、だ。

 これは前述ふたつを完遂の上で果たされなければならない。彼女にとっては。


 要するにみっつのうちどの要素に関しても一番大事な部分はまったく手つかずの未知数で残されているわけだが、それでもここまでくるのに費やした道のりを考えると、どっと疲れが()しかかってくるような気持ちだった。


 もうこの時点で国宝破壊事件の時なみに疲れている気がする。事件のケタが違うというフォマウセンの言葉がようやく実感されてきた。早く休みたい。フォルシィラの毛並みに顔を埋めて一日中寝たい。暑がっても嫌がっても知らない。

 コトリ。

 と、目の前に置かれた小さなグラスから、マスターに視線を移す。


「……」


「ほんの少しだけアルコールも入っているが、すっきりしていて、よく気分を落ち着かせる。しっかり眠りたい日の、ベッドに入る前にちょうどいいんだ」


 磨き終えた最後の食器をしまいながら、


「そっちは餞別だ。王様と対決しにいくのに、疲れの出ている顔じゃ決まらないだろう? わたしも興味が沸いてきたし、早仕舞いして明日は早起きするつもりだ」


「……ありがとうございます!」


 戻ってくる気力を感じながら、スフィールリアは不思議な紅い珠が沈んだ、澄んだ琥珀色のカクテルを持ち上げた。

 明日だ。明日のことさえやり切れば、すべての条件は整い、あの使徒の対策に集中できる。

 その一念を誓い、するりと流れ込んでくるさわやかな風味を染み渡らせた。


 そして、王城へと乗り込む、四日目の朝が訪れる――


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