(3-25)
◆
「次に目が覚めた時には、そこのタウセンがいた。俺は<アーキ・スフィア>上で孤立して漂っていた情報コクーンから実領域に復帰して……この〝現代〟にやってきた」
「わたしは彼の時代の情報をすべて受け取ることと引き換えに、彼の後見人となり、彼を学院に引き入れた」
そして、〝黒帝〟と呼ばれることになる男の研鑽が始まった。
魔王エグゼルドノノルンキアの討滅。
男は、ただそれだけのために走り始めた。
死に物狂いで知識を吸収し、技術を盗み、資金をかき集めて。学院に並み居る天才たちとしのぎを削り、超級の採集地にうごめく最強の生物たちと血肉を食らい合いながら。
賞賛と畏怖と敵意を一身に集め、数々の実績と名声と敗者を積み上げて、学院という燦然の塔を上り詰めていったのだ。
しかし実のところ彼にはそんな輝かしいすべても目には映してはいなかった。
彼が目指していたのは、そんなものでさえ圧倒的に届かぬ、もっとはるかなる高み――あるいはもっとも深き奈落の奥底。
そこで待ち受ける超絶なる存在へと身を投げ出し、己という刃を届ける。ただ、そのためだけに――
「俺にはもう、それしか残ってなかった。それだけしか許されない――許せなかった。俺にすべてをくれたあいつらを惨たらしく殺し尽くして魔王のエサにした俺は、せめて俺のすべてを捨ててでもあの魔王だけは滅ぼさなくちゃ。そうじゃなきゃ、俺はあいつらにただ謝るだけの資格もないじゃないか」
「…………」
「これが、俺の『すべて』だ。〝黒帝〟なんかじゃない。なにもない。最初からすべてをしくじっていて、負けていて、失っていて……あとはただみっともなくもがき回ってるだけの惨めなクソクズ野郎。そいつの、罪業の記録だ」
すべてが、語り終えられて。
「…………」
スフィールリアは泣いていた。
すべてを知り、受け止め、しかしなにもできずにただ彼の目を見ながら、静かに涙をこぼし続けていた。腿の上に握り締めた手だけを、震えさせながら。
テスタードはそんな彼女の様子を見て、静かに笑ったようだった。
「よせよ、馬鹿みたいじゃないか。こんなどこも見るとこなんかねぇ野郎のために、もったいねぇ。まったく、こんなモンのなにが〝黒帝〟なんだか。分かったろ。こんな空っぽの奴についてたってお前の得にはなんねーんだ。だから……お前のいるところに帰れよ」
「……帰り、ません」
スフィールリアはゆるりと首を振り、またこぼれてくる涙を腕で拭った。
「帰りたく……ありません。センパイをこのまま置いていきたく、ありません」
「おいおい、これ以上困らせねーでくれよ」
返事をしない彼女の正面に、テスタードは座り直してきた。その顔は、なぜか、どこか晴れやかだった。
「ここまで話したから正直に白状するけどさぁ――本当にお前、俺の思い出の中にいるアイツとも、アイツらとも、だれにも似てねーわ。だけどなんでかね……お前を見てたらアイツらの顔がちょいちょい浮かんでくるんだ。そしたら、なんだかんだでずるずるとお前をそばに置いちまって、この期に及んでも、お前を探しちまった」
「……」
「ほんと、なんでだったんだろうなぁ……。学院でも俺に真っ向から向かってくるヤツってもう少なかったし、そのせいなのか。俺の力を知っても怖がらなかったからなのか。怖がらず、何度もこっちに寄ってきやがったからなのかもしれねぇし…………はっ、けどいきなりンなこと言われても重いし、困っただろ? 昔の大切な仲間にあなたは似ています、だなんて言われてもなぁ。しかも代替物ときた。お前のことなんか見てなかったんだ。なんつーか、だから……悪かった、な」
「……」
「それでも、お前に全部白状したら少しは悪くない気分だったよ。こんなとこまで追っかけてきて、ぶつかってきて、まるで自分のことみたいにそんな風に泣いてくれて、な……うれしかったわ。最後のあの時に、駆けつけてくれたアイツらを見たみたいだったよ。だから…………お前はもう、お前の世界に帰ってくれ」
「……」
「俺の倉庫の鍵をやるよ。まだエレオノーラが粘ってるはずだから、デッドストックでもなんでも、今のうちに好きなモン持ってってくれ。エレオノーラも俺がいなくなったら学院には留まらないだろうから、あいつもお前のもんにしていい。あいつが持ってる俺のノウハウも全部やる。ああちなみにあいつは晶結瞳の妖精だ。役に立つ。…………最後まで振り切れなくてお前んとこにいっちまったのは俺のミスだ。だから、最後の最後の選択は間違わせないでくれよ」
お前は帰れ。ともう一度、今度はやさしく、テスタードは言った。
うつむいたままのスフィールリアは、もう一度顔を拭いながら問いかける。
「センパイ……もう、止めちゃうんですか?」
「ああ、まぁな。――あのクソザコにしてやられてみたら、なんかもうどうでもよくなっちまったよ。ほんと、なにが〝黒帝〟だ。こんなことでつまづいてる野郎が魔王なんぞに勝てるわけねーだろ。無理だ、無理無理」
とたんに軽薄な調子になってひらひらと手を振る彼を、スフィールリアはただ見ていた。
「だいたい、土台からして間違ってたんだ。魔王なんか倒したって俺のしたことは消えねぇよ。どの面下げて謝ろうってんだ? ははっ――ほんとバカみたいだ。俺はたださ、そうすることで俺の罪が少しでも清算できる気になって、アイツらに寄り添っているつもりでいたかっただけなんだよ。っとにくだらねぇ――どこまでも救いようがない。そんなことしたって、もう、俺はアイツらの仲間なんかじゃないってのに」
「……」
「最後には、最期まで手を伸ばしてくれてたリスティアまで裏切っちまった。俺は……ここで終わるべきだったんだ。アイツらに殉じようなんて考えるのもおこがましい。そんなチャンスも与えられず、アイツらが生きていくはずだったこの世界から永久に放逐されるべきだったんだ。それが一番正しい報いだったのさ」
そこまで言ってから、テスタードは改めてスフィールリアに目を合わせてきた。
しばらく、なにも言わずに向き合う。
答えは告げたと。そう彼の目は物語っていた。
それが、結論。彼がしてきたことは、ただの代償行為。
消えない罪業。そこから目を背けるための。奪ってしまったものたちへの弔いを演じ、ただ想いを寄せた気になるためだけの。それを遂げた時、彼に待ち受けているのは、やはり消えずに残っていた罪の記憶。永遠の呵責、ただ、それのみ。
そうなのかもしれない。頭のよい彼だからこそ、ごまかせない。目を背けたつもりになってもなりきれない。自分の心の中にある醜い事実も正確に見続けてしまう。だからそれは、かならず未来に訪れる、予言と同じ真実なのかもしれない。
それはあくまで彼の心の中でたしかに在る材料でできているもの。それを彼女に変えることはできないし、なかったことにすることもできない。できないのであれば、自分には、約束の通りに帰るほかに選択肢がない。
だけど、スフィールリアにはどうしても納得ができなかった。
納得したくなかった。
「本当に…………それが理由、ですか」
ぽつりと、ほとんど無意識につぶやいていた。
「なに……?」
つぶやいてから、スフィールリアははっとして口をつぐんだ。目の前のテスタードは怪訝そうな顔をしている。
勘違い――いや。
彼女を見つめ返してきている瞳の揺らめき。寄せられた眉。
スフィールリアは、信じて、進むことにした。
「センパイは……本当に『それ』が真実だと思ってるんですか。本当にセンパイにはその資格がないんだって。心の底からそう思って、道を閉じちゃおうとしているんですか?」
「どういう、意味だ」
「だって……おかしい、じゃないですかっ! リスティアさんは最後の最後までセンパイに手を伸ばしてくれてたのに、なのにっ……本当に、最後にセンパイを責めるようなこと言う女性だったんですかっ? 本当に愛し合っていて、お互い全部を預け合ってたんじゃないんですか? だったらそんなこと言うのはおかしいですよ! そんな弱い人たちじゃないって、そんなことで生きていられる世界じゃなかったって、話聞いただけのあたしだって分かりますよ! 変じゃないですか!」
テスタードは耐え切れなくなったようにつらそうに目を逸らし、顔を覆ってかぶりを振る。
「やめてくれ。なにを言い出すかと思ったら……くだらない。俺たちだってしょせんただの人間だ。全部がダメだと分かった時に心変わりだってするさ。俺は……たしかに、聞いたんだ」
「っ、それはっ……たとえば、センパイの罪の意識が作り出した妄想だったかもしれないじゃないですか! ううん、そうじゃなくって――センパイの中の現実のリスティアさんと比べてみて、どうなんですか。本当に『それ』は真実だって言い切れるんですか!?」
「っ……。うる、せぇ、よ……!」
思うところはあるのだろう。テスタードは顔を覆った手に、握り潰すほど強い力を込めて苦しんでいる。
そこに、背後のタウセン教師が冷淡に言葉をかけてくる。
「それをたしかめる術は、永遠に失われてしまっているがな」
「先生っ……!!」
スフィールリアは裏切られた心地で振り返ってタウセン教師に非難の眼差しを向けた。
しかし思い直して、再びテスタードに向かい合う。タウセンの言葉は、単なる事実という意味合い以上に正しかった。
仮に感情や感傷から納得を得たとしても、それは一時的なものにしかならない。『彼女の想いを信じる』などという架空の拠り所を作ったとしても、それでは今まで彼が行なってきた〝欺瞞〟と変わらないことなのだ。
彼をこの暗闇から引き上げるには、彼の心からの了承がなければならない。
そのためには、想像の産物では駄目だ。彼の心の中に実在する材料が必要なのだ。
実際にテスタード自身も分かっているのだろう。吐き捨てるように笑ってその案を棄却してくる。
「そうだ。妄想だろうがなんだろうが、それが俺にとっては〝結果〟だ。結局俺は、最後までアイツの手を取ってやることさえできなかった」
「……」
「アイツの声が……頭から離れないんだ……」
その声が、いつまで経っても彼を許してくれない。彼の魂を離さない。その声があったがゆえに彼は三年間、足を止めずに走り続けられた。同時に急き立てるように彼の背を押し続け、また彼の心を折り続けてもきたのだ。
だが、スフィールリアは標を見失わなかった。
「でも、無視できないぐらいには事実かもしれない。センパイは、その可能性も捨てて、自分ひとりを罪人だって決めつけちゃうんですか」
「……」
「リスティアさんだけじゃない、ほかのみんなだって! 助けようって思ったから駆けつけてくれたんじゃないんですか。黒い渦に巻き込まれて、センパイが統合式を失敗したって分かっても手を伸ばしてくれたんじゃないんですか」
テスタードは、答えない。
スフィールリアは、言い募る。たぐり続ける。彼の記憶、心の中にある情報の糸を。彼のことを今ようやく初めて、知ってゆくようにして。
「国民を生贄にして、和解した大人の人も騙して、仲間からも犠牲が出るって分かっててもセンパイに預けてくれたんじゃないですか。結果も、責任も、罪も……一緒に背負ってくれたはずじゃないんですか!? 結果も全部センパイに預けるって、約束したんじゃないですか?
約束したんだったら、その結果だって受け止めるべきなんです――受け止めるつもりだったはずなんです。もしも最後の最後で心変わりがあったとしたって、やっぱり嫌だって言ったって、変わらない。その未来の責任も先払いするのが約束ですよね? 約束って、契約って、そうやってするものじゃないですか。
センパイが見るべきなのは約束をしてくれた時点でのその人たちであって、結果が望むものじゃなかったからといってセンパイひとりが罪人になるだなんて、理屈がおかしいです! ……そんなこと分からないセンパイじゃないじゃないですか! 大切な人たちだったから……? ううん、本当に大切にしてたからこそ、そんな人たちとした大切な約束を結果と感情で捻じ曲げるなんて! おかしい、ですよ。どういう結論に転んでも贖罪のために命を差し出そうなんてしてた人が、そんなこと…………。そう……? ……そう。そうですよ……おかしい、変、ですよ…………?」
言い募りながら、スフィールリアの中にはどんどんと予感とともに、感じていた違和感の輪郭が見えてきていた。
「心変わりをしたのは……みんなじゃ、ない。センパイの、方…………?」
「……」
正面のテスタードは、答えない。うつむき、牢の薄暗がりの中になかば溶け込んでいるその姿に、予感はさらに高まっていく。
スフィールリアはたどり着いた可能性――結論を口にした。
「センパイ…………逃げるつもり、なんですか?」
暗闇が――膨れ上がる。
「――」
そう錯覚させるほどの圧力をともなってぬらりと伸びてきたテスタードの手を、彼女は避けられなかった。
「だ、ま――」
気がついた時には、両肩の服をつかまれるまま。
「れぇえええええええッ!!」
全身全霊の力により、スフィールリアは引き込まれて牢の鉄格子に叩きつけられていた。
凄まじい音が反響する。
「あぐ、ぁっ――!?」
息が詰まり、なにをされたのか一瞬分からなかった。
かろうじて目を開けてスフィールリアは純粋な恐怖に引きつり声を漏らす。
そこに、瞳孔が開ききってぎらついた眼光を放つ男の顔があった。
「勘のいいガキだな――勘のいいガキだなぁあああッ!! そろそろ黙れよオ!! でないと行きがけの駄賃で憑り殺しちまうかもなぁああッ!!」
地獄の底から響く咆哮のようだった。
「セン、パ……ッ……!」
豹変したテスタードは全身を使ってぎりぎりとスフィールリアの服を引き、離さない。服は私服ではなく採集地に向かう際にも着てゆく長期の旅にも耐えられる素材で編まれ相応に防御力も高い品で、彼の膂力でも引きちぎれることがなく、逃れられなかった。
鉄格子に押しつけられてあえぐ彼女にも構わず、男は暴かれた怒りと憎悪のままに叫び散らした。
「そうだ、その通りだ! その通りなんだよ! お前になにが分かる! なにがぁっ……分かっ……るぅううヴッ!!」
「きゃうっ!!」
吼えながら――何度も彼女を引き寄せて檻に叩きつけた。
何度も何度も。
「なにが仲間だ! なにがリスティアだ! お前なんかにアイツらのっ、なにを知った風にベラベラとォ! 語りやがって! 勝手に入り込んで……入り込んだ気になりやがってェ!! お前ごときがァ!! なにが分かるゥ!!」
「あっぐ! ぅあ! ああっ――」
「そうだ! 逃げてなにが悪いッ! お前になにが分かるッ! 俺のなにがっ! なにも知らないクセしやがって! 魔王の! なにが! 勝てるわけ――ねぇだろうが!! ねぇんだよ!! あんなモノの……俺の、研究の……なに、ガ、ァアアアッッ!!」
もう一度叩きつけられる――寸前で、はしとスフィールリアの伸ばした手が彼の腕を捕まえて、激突は阻止された。
「!」
「っ……。それ、がっ」
スフィールリアは格子のつけ根に片足を突っ張り、全身で踏ん張って膠着状態を作り出した。
互いに荒い息でつかみ合い、険しく視線が交錯する。
「それがセンパイの、『本当の理由』ですか!」
「ッ……!」
ぎり、と、憎悪に歪んだ口から軋る音が届く。
次には男の口からは、崩壊したような笑みとともに真実が吐露されていた。
「そうだ――そうだよ。絶対に勝てっこねぇって分かってたからな!」
「だから、逃げるんですか! 大切にしてたみんなへの想いを捨てて! 大切にしてくれてたかもしれないみんなの想いも捨てて! 終わるつもりだったんですか!」
「黙れ……黙れぇ!」
「みんなへの義理だとか資格だとか言ってたのもあたしに優しく振舞ってくれたのも全部! 全部言いわけだったんですね! 全部自分を都合よく終わらせるための!!」
「そう……だぁああああ!!」
もう一度テスタードが渾身の力を込めてきて結局スフィールリアはあっけなく力負けした。
また叩きつけられる。
「あうっ!」
テスタードは、今度は全身で引いて檻に押しつけるのではなく彼女の服を持ち上げて、彼女の顔を目の前まで引き上げた。
「てめぇになにが分かるんだよ……分かんねぇよなぁ? 俺の三年間……俺が三年間、どんな思いでやってきたか、なんてなぁっ! 俺の情報からヤツの存在を探って、調べて、導き出して…………調べれば調べるほど、明らかになってく…………知れば知るほどに……遠ざかって、ゆくっ……魔王という存在が、どれほどのもんなのかってッ…………!!」
「…………」
テスタードの腕に込められた力は、強まれば強まるほどに失われていった。語れば語るほどに、すべてが震えに変わっていっていた。
「最果ての魔王は…………神、だ。いや、〝神々〟さえ超えるモノだ。アレは〝神域〟よりももっと別で、もっと遠いところからこぼれ出した『なにか』だ」
それが、彼に突きつけられた三年間だった。
テスタードは学院の階級を駆け上がる一方で、魔王攻略のため、自分の内側に残された魔王の残滓情報をたどって敵の存在を知ろうと試みた。
その中で明らかになっていった魔王エグゼルドノノルンキアの全貌は、彼を絶望に落とし続ける日々と同義でもあった。
その存在規模。性質。破滅性。――ひとつを知れば百の可能性が生じ、千の疑問が渦巻く。
そしてまたひとつを紐解き――どれだけ知ってもどれだけたぐってもその存在の深奥にたどり着けない。
一日、また一日と彼の中で魔王の姿は膨れ上がってゆく。絶対に勝てない。想いは成し遂げられない。その絶望のサイズとともに。
「倒せない……んですか」
「〝不死大帝〟……〝不滅〟なんだ。文字通り、本当にな。どんな荒唐無稽な攻略法を探しても、実現性も無視して〝神〟さえ滅ぼす計算の中に叩き込んでも……最悪の深度の〝霧〟に落としたとしても消えやしない。――世界値が重複して矛盾してるんだ。総体になるとオルムス値も導出できない。もしも欠片を倒しても総体から再観測されて即座に復活する」
震えるテスタードに、彼女を持ち上げる力はもうない。スフィールリアは地に着いた足で立ち、彼の胸を見ていた。
「ヤツの矛盾した不死性を書き換えるには、宇宙丸ごとが、少なくとも数百億個分。必要に、なる……それだけの規模の<アーキ・スフィア>タイプの情報クラスターのすべてを、ヤツの書き換えに費やして与えて、ようやく、ヤツの不死性は数プランク秒単位での仮の整合性を与えられて無効化される。しかしその計算すら合ってる自信はまるでねぇ……は、はは。いや、たぶん、無理だ。この時点ですでに数百個は矛盾や無理性を無視してんだ……。その上で……いったいどれだけあるのかなんてもはや分からねぇヤツの存在領域を丸ごと一度に滅ぼせるだけの式をぶつけなきゃならない……ふふ、は! なんだよそりゃ、どうしろってんだよ。こちとらちっぽけな星の表面にこびりついてるニンゲンのたった一個なんだぞ」
「そん、な……もの、が……」
「だが、それでも彼は解答を導き出した」
スフィールリアがなにも言えずにいると、タウセン教師が割り込んでくる。今まで彼女が激情のまま痛めつけられていても口も出してこなかった彼が。
振り向くと、彼はこちらを見ていなかった。格子の前で壁に背を預けたまま。ただ正面だけを見ている。
「先、生……?」
「真に不滅なる魔王に『勝つ』方法。滅ぼせなくても、復讐を成し遂げる道。それは、」
「おい、だまれよ。なに勝手にしゃべってくれてんだ、殺すぞ」
テスタードは投げやりな笑いとともに教師に呪いじみた声を出す。そんな彼にも構わず、タウセンは続きを口に出す。
「――彼自身が魔王に成り代わることだ」
と。
「…………え?」
「情報の合一、だ。彼の不死性は魔王からの神性の流出によるものだ。彼の存在の一部は通常では気づけぬ経路で魔王に直結し、同期している。だからそれを逆に利用して、自己の存在すべてを、侵食感染する小さな改竄記述として流し込んで同一化する」
「……」
「あれだけの超越規模が多重に矛盾して集積している存在だからこそ、魔王という存在を解釈する時、その〝指向性〟が重要になる。そうでなければここではないどこかで、別の世界になっているだけだ。その〝核〟となる、ささやかな〝指向性〟――意思とでも呼ぶべきものに自己を混ぜる。その身を投げ出し、溶かし込み、消失させる。十中八九失敗するが、もしも上手くいけば魔王を統合制御していた意思は消失して、ただの超絶的規模を持った宇宙になる。失敗したとしても魔王の意思を変質させることでもできれば、もうその魔王は、彼が憎んだ魔王ではない。自己同一性の喪失。それが、彼の導き出した復讐の解答だ」
「っ……。そんなの」
「うん、彼に待っているのは永遠の破滅だ、な。もう決して滅びることはできない。変質をして彼もまた別の存在と成り果てるが、その不滅性によって彼の自我は永久に保たれる」
それだけならまだいいかもしれないが、もしも魔王の意思を乗っ取り切れなかった場合、彼は永久に魔王と闘争を繰り広げることになる。
変質した果ての彼が以前の魔王とほぼ同様の意思を形成して動き出さないとも限らない。その時彼は、彼の大切なものを食らい、彼があれほど憎んだ存在と同一のものとなって同様の滅びを撒き散らすことになる――
「唯一救われる道は先も言った通り完全なる対消滅のみだが、まずこれは無理だ。どうあっても地獄だな」
「センパイ……!」
淡々としたタウセンのすべてを聞き、スフィールリアはテスタードの顔を振り仰いだ。彼は自棄の笑みを浮かべている。
「なぁ、俺は……どうすればいいんだ?」
そのまま、くずおれていった。
肩の服を持たれたまま、スフィールリアも彼を引き上げる力を持たずに、座り込んでいた。
「教えてくれよ助手……そこまで言うんだったら……お前俺の助手だろ。だったら助けてくれよ。なにか教えてくれ。俺は……どうすりゃよかった。どうしろってんだよ!」
「……」
テスタードは再び吼えていた。だがもう彼女に当たる力はない。
「ああそうさ、最初から分かってたんだよ。勝てるわけない――全部無駄だったんだ! なんの意味がある! 最初から全部逆恨みの八つ当たりだったよ! 俺らは最初から巻き込まれただけ、俺が勝手に自爆しただけ! 眼中なんかじゃねぇ! 残ったカスが俺独り――アイツらの声を聞くことももうできねぇ――全部俺の勝手な独りよがり、だ……」
握り締めた拳は、震えているだけ。彼の力は、裡に向かい続ける。
一緒に、彼の顔も地に向かって落ちていった。
「なんの意味が、あるっ……逃げてなにが悪いっ! もうここで終わってもいいじゃねーか!? これ以上俺になにをしろってんだ! このまま続けてももっと悪いことになるだけかもしれねぇじゃねーか! ――――終わったっていいだろ!! 逃げてなにが悪い!! そうだよ怖いさ! あんなモノに飛び込まなくちゃいけねぇのかよ!? そうだ、お前らは一個の人間として死んでいった、だったら俺だってひとり分で終わってイーブンでいいじゃないか!? なんで俺だけが残されてこんな思いをしなくちゃいけない! そうだ、俺はお前たちを捨てる! だからもうお前たちも俺を捨ててくれ! 罵って唾を吐いてくれ! もう俺を苛むな!!」
「……」
「もう…………休ませて…………くれ…………」
最後には顔を落とし切り、〝黒帝〟でない男は涙を落としていた。
もう、彼は力尽きていた。とっくの昔に。出会うよりももっともっと前から。
「セン、パイ……」
それでも、まだこぼれてくる言葉があった。
「けど……それでも『あの声』が……アイツらの、顔、が……消えなくて…………」
落ち切り、力尽きて、胸の前で震えているテスタードからこぼれた言葉。
力尽きて、擦り切れて、なお出てきてしまうその言葉。
「……」
スフィールリアはこの男の深奥にたどり着いた。
光も届かぬ破滅の洪水の水底で、うずくまり、だれにも聞かれぬ泣き声を上げていた。
これが、彼の滅び。
家の力も社会知識もない段階から三年間で学院最高<金>の階梯に上り詰めた男の源。休まず走り続けて、身も心も削り続けて、とっくに力尽きていても、彼を動かしてしまう希望の光。
潰れたくても潰れられず、忘れたくても忘れられない。捨てることもできず、どうしようもないと分かっていても、彼を破滅の道へと突き動かしてきた。みじめに泣き叫びながら。必死に許しを請いながら。
その姿を、彼女は純粋に愛おしいと思った。
格好いいと――!
「センパイ」
スフィールリアは、あとはただ震えているだけのテスタードへと手を伸ばした。
そして、ゆっくり腕を回し、その胸に彼の頭を抱き寄せていた。
「帰りましょう……あたしたちの世界に」
「――」
「魔王なんて倒さなくたっていいです。もう止めましょう……。逃げなんかじゃないです。センパイはそんな風に逃げたりする人じゃないですよ。そう言って、自分は潰されて当然なんだって、悪者になる理由をつけていただけ。その人たちのために。……逃げだなんて言ってごめんなさい。やっぱりあなたは、優しい人でした」
「違、うっ……俺は!」
耐えられないように震える彼に、彼女は強く笑って、自信を持って訴えた。
「違わないですよ。センパイ、悪くないじゃないですか。ううん、そんなこと、関係ない。かっこいいですよ! リスティアさんの大切なものを守ってみせたんです。女の子なら絶対うれしいに決まってるじゃないですか。好きじゃない人なんて嫌ですよ。絶対にうれしかったはずです。世界と引き換えにしても自分を選んでくれた人が、世界で一番大好きな男の人だったなんて!」
「だが、最後に、アイツは」
「だから、『それ』を探しましょう」
「――――」
明確に理解の色を示した彼に、また、うなづく。
「探しましょう。きっとみんな、センパイ独りが地獄に落ちるなんて望んでないですよ。きっとなにかありますよ。センパイがまだ知らないことが。じゃなきゃおかしいです。センパイがしようとしていることは、センパイが一番大切に想っていた人たちが一番嫌だって思ってたことかもしれないでしょう。その可能性を見ないままでほかの道を閉じちゃって、本当にいいんですか? センパイはそんなことできる人じゃないですよ。方法は分からないけど……あたしが、お手伝いしますから」
「止めろ。だからそこは、話さなかった。なのに、どうしてお前は、アイツと――」
スフィールリアはかぶりを振る。
「あたしも、お手伝いしますよ。あたしの勝手でここまで踏み込んだんですから。だから……もう一度ここから、歩いてみませんか?」
それは、見えてきた新たな道。いや、最初から寄り添っていたかもしれないもの。
一見して一度は棄却された案と似通っているが、打たれるピリオドの場所が違うもの。
彼らの想いを信じると、架空の偶像を設置してすがり続けるのではなく。
『それ』の実在を、たしかめにいく。たどり着けるかも分からない、長い旅路だ。
それは、それでも消えることのない罪業を背負い続けるということ。
「向き合えと、言うのか…………」
「今、みんな、戦ってます。あの魔王の使徒が動き出せば王都が大変なことになって、そのあと世界も滅んじゃうかもしれない……一度はセンパイが守った世界じゃないですか。消さないで、って、あなたのリスティアさんが望んでくれた世界じゃないですか。今、もう一度みんなに、センパイの力が必要かもしれないんです」
「っ……」
「空っぽの、いらない人なんかじゃない。だからキャロちゃん先生だってフェイト先輩だってここまでしてくれたんです。あたしもですよ。ううん、きっと、もっともっとたくさん、センパイを必要としてる人、センパイが思ってる以上にいますよ。だからそれを、まだ閉じないでください。まだ捨てないでくださいよ。この先の未来に、まだ知らなかったものがたくさんあるかもしれないじゃないですか! あたしもこの先の未来に望みたいものがある。だから」
スフィールリアはもう一度だけ、彼を抱く腕に力を込めた。彼は、逆らわなかった。
ゆっくりと、触れているだけだった距離が、縮まって。
テスタードは静かに、彼女の胸に顔を埋めさせていった。
「もう少しだけ、がんばってみませんか…………?」
「…………」
それからは、言葉は生じなかった。
静かになった回廊の中、スフィールリアはただずっと、胸の中にいる彼の息遣いだけを感じていた。
何分間、経っただろうか。
「……ふっ」
笑うような息とともに、テスタードがこちらの肩を軽く押して、離れていった。
スフィールリアも気恥ずかしさからやや大げさに仰け反ってうしろに手を着いた。
「なにやってんだ俺は? お前みてーな生意気なガキに赤ん坊みたくすがりついて……馬鹿馬鹿しくて、泣く気も失せたぞ……」
「……」
かぶりを振り、顔を上げた時……そこには強い笑みがあった。
「俺はよ、貴族のボンボンも黙る〝黒帝〟サマだぜ? 分かってんのか?」
スフィールリアも、笑って、軽口を叩き返した。
「ナマイキな後輩は、本日のことをいつまでも忘れませんよ?」
「たかる気か」
「当然です。利用しない手はないでしょ」
「バカ言え。そんな暇ねぇぐらいにコキ使ってやるよ。コンペまでどんだけだと思ってやがるんだ」
「じゃあ、あのデッカい丸い黒いヤツをやっつけなくちゃいけませんよね」
「ああ――やってやる。てめーがまだ〝黒帝〟なんつうモンの力を信じてるんならな」
「……」
「なってやるよ、もう一度。お前が望む〝黒帝〟にな」
「センパイ……!」
スフィールリアは両手を組んでこみ上げてくるものを抑えつつ、再び鉄格子に詰め寄っていた。
「じゃあ、さっそく出してくださいよ! なんか有益な情報! どーせもうなんかあるんですよねホラホラ早くっ!」
「ないこともない、が……」
テスタードはあまり芳しくない顔色で、彼女の顔に手を伸ばしてきた。
横髪をどけて空けられたそこは、格子に何度も打ちつけられた跡が、赤くなって擦り切れている。
「悪かった、な。平気か……?」
「っ……!」
正面にある、心底から悔んだ顔。壊れ物をいたわるようになでてゆくその手が女性を愛したことのある手なのだと思うと、さすがのスフィールリアも心臓がバクバクしてくる。
リスティアさんもこんな風に触れてもらっていたのだろうかなどと野暮な想像をしてしまい、赤くなりそうな顔を離して隠した。
「だ、大丈夫です! これくらいで参るヤワじゃないっすよ!」
「そう、か……? とにかく、悪かったな」
「戻ったら、わたしのデスクにある回復薬を使いなさい。わたしも止めなかったしな、サービスにしておく」
「あ、ほんとですか? じゃあ遠慮なく」
「……いや。それならエレオノーラに言って、俺のを使ってくれ。それが筋ってもんだろ」
「え。い、いやー、でもほんとにそんな大したことじゃないですし」
「使ってくれ」
しごくまじめな表情。またスフィールリアの顔が熱くなってくる。
「……」
「引けは取らないと保障する」
「で、では……ありがたく……」
「ああ。そうしてくれ」
結局睨み合いを避けて、スフィールリアが引き下がることにした。
それもこれも彼のことを知って、距離が縮まった気がするせいだ。ファンクラブの人たちの気持ちがちょっと分かったような気もする。これが終わったら自分もどこかに入ってみようか……無所属じゃなくなれば追いかけられなくなって一石二鳥だし……。
「それで? 彼女を手ぶらで帰してもしようがないだろう。王室と取引できる鍵となる情報は、あるのかね」
「ああ」
スフィールリアが二者に向き合うよう座り直し、立ち上がりの会合が開始された。
「アレは、魔王の眷属。俺もあの夜に思い出した……あの目玉野郎は、最後のあの時に、魔王が俺に埋め込んだものだ。ヤツの存在は俺につながっている。だからそこに野郎を攻略する糸口ぐらいはある」
テスタードと使徒ノルンティ・ノノルンキアとの存在規模には大幅な差がある。
だから同期しているテスタード側から使徒の存在を引っ張り、実領域に投射される使徒の基礎存在値を大幅に拘束する。
それが可能なら、魔王使徒撃退の公算には星と地上ほどの差が出ることになるだろう。
「その式の大まかなデザインは、実はもうできてる。暇だったしな。あとはタペストリー領域の拘束さえ取れて、実際の構築をしてみるぐらいか。実際ヤツの前に立ってみれば、ほかにも色々、俺だけに読み取れることもあると思う。なん、だが……」
「? なにかマズいんですか?」
「君たちの本来の目的があるだろう。彼の没収される財産を、君たちの目的を妨げない形でサルベージしてやる必要があるのではないのか?」
それまで黙っていたタウセンの言葉に、スフィールリアは「あー」と呆けた声を出した。
「あのー、それって取引に含めることってできないんですかね? 力を貸す替わりに没収しないでください、みたいなことは」
「難しいだろうな。彼の罪を帳消しにするということは、彼の公式としての存在と罪状を認めた上でなければならない。そうでなければことが終わったあとの各国政府も納得はすまい。であれば正規の手続きは踏む必要がある。彼の存在をないものとするなら、財産も返したくないのが本音になるだろうな。彼に対する潜在的な恐怖までが消えるわけではないのだ」
「うーーん、そういう話はニガテで……」
「どちらにせよ、すべて君たちの言い分通りにというわけにはいかないぞというだけだ。国家の都合も認め、国家としての手続きを踏まえないなら、彼の今後にも社会的に安寧は訪れない。取引とはそういうものだろう?」
「要するに、お国の邪魔にならなければいいと」
「そうなるな」
「なら一応、ここにくるまでなんとなく考えてたことはあるんですけど……」
スフィールリアは、まだ漠然としているアイデアをふたりに話した。
ふたりの表情が明るい方向に動くことはなかったが……
「どうですかね……?」
まず、タウセンが。
「その方法を考えついて試そうとした学院生も、今までいなかったわけではない。だが条件や諸問題が非常に有機的かつ複雑すぎて、実際に実行までいけた生徒はわたしでも知らない。なおかつ、失敗すれば、君たちは多大な負債を負うことになるぞ」
「……」
次に、テスタードを見る。
彼は、うなづいてきた。
「俺の工房のカギを渡す。倉庫もだ。全部くれてやる。思うようにやってみろや」
「……はいっ!」
彼女が勢い込んで返事をすると、逆にテスタードは萎えたようにうしろに倒れて転がってしまった。
「……あー! なんだよテンテコ舞いじゃねぇか! こんなはずじゃなかった。あとは表彰式を寝て待つだけだったんだ。そいつが全部潰れて、その上コイツの面倒まで見てやらにゃならんとは!」
「かわいいカワイイ後輩に振り回してもらって幸せでしょっ?」
ほっぺに指を当ててふざけたスフィールリアにテスタードは「うるせぇっ」と悪態をつき、格子を蹴ってはやし立てた。
「話が分かったならさっさといけや! 王でもなんでもいいからドス利かせてケツ叩き上げてこい!」
「あー、はいはい。いきますいきます。じゃあ~チョチョいとお膳立てしてきますんで、待っててくださいよっと」
立ち上がり、ひらひら手を振って歩き出そうとする彼女を、タウセン教師が呼び止める。
「スフィールリア君。そのお膳立ての中に、ぜひわたしの復帰も含めておいてくれ」
「……」
その顔は、力強く笑っていた。
「手伝おう」
「……当然、です!」
胸の前で拳を握って返し、スフィールリアは出口の光に向けて歩き出した。
入り口を出ると、見張りの役人にほとほと困り果てたようなしかめ面を向けられた。
「正直肝が冷えっぱなしだった。異常はないと何度向こうに言い含めたことか」
「あー……たはは。す、すみませんお騒がせして。見逃してくれて、本当にありがとうございます」
「なんというかあなたは……すごい、な」
足場の石が動き出して、スフィールリアはようやく力が抜けてへたり込んだ。
「い、いや……正直もうへとへとで……」
「お茶でも出してやりたいがそうもいかない。用が済んだなら、あなたは速やかに退去しなければならない」
「はぁ~~あ。はは。休めるのはずっと先っすね」
「『ここ』を訪れるのは、みな、『終わってしまった』人間ばかりだ」
「……」
「多くは唾棄すべき重罪人だが、自らの終わりを望む者もいる。贖罪の祈りとともに。わたしたちは彼らに届ける言葉を持たないし、またその職域にあるわけでもない。ただ迎え入れ、見届けてゆくだけだ」
「……」
「だから、せめてこの石が届くまでの間は休んでいくといい。『ここ』から自分の足で立ち上がって出ていく者がいるというのなら……楽しみにさせてもらいますよ」
やがて足場が縁に到着して、スフィールリアは笑みとともに差し出されてくる手を取り、また歩き出した。
彼女が学院に戻るころには、すでに夜になっていた。
そこに、学院長は待ち受けていた。
「好き勝手に動き回って、少しは気が済んだかしら?」
◆




