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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~  作者:
<3>魔王鳴動と開催前夜の狂争曲の章
81/123

(3-24)

『おほーーーー! よぉ~~こそ~~~~王子様ぁ~あ! 最果てのパーティー会場へっ!』


 異形の人間に引きずられてきたのは、廃棄場の終着点。

 出迎えたのは、張りのあるテノールの男声。胡散臭いカタコトの発音。

 そこで待ち構えていた――ステッキを持ち、ハットをかぶり、異常なほどに丸々とした体躯で、珍妙な黒ずくめの格好をした髭面の男。両手を広げて歓待の姿勢を見せる。

 テスタードはのちに知ることになるが、それはタキシードの一種であり、失われた〝始祖〟の時代に着られていた衣装であった。


 しかしそんなことよりも真っ先に彼の目を奪った姿がある。リスティアだ。

 男の背後に突き立てられた廃材に、全裸で(はりつけ)にされている。陵辱された気配は見受けられないが――

 テスタードの胸に激しい憎悪の念が渦巻いてゆく。


『き、さ、まっ…………!!』


 リスティアの方も襟首をつかまれて現れた彼の姿を認めて、死にそうなほどに青ざめた顔で引きつり声を上げた。


『……! テスタ、様? テスタ様! そんな、そんな――』


『大丈夫、だ……かならず、なんとかする』


『っ……』


 今すぐどうこうされる気配はないと踏み、ざっと周囲を見渡す。

 その場所は、廃材のひと山がどかされて広間になっていた。

 一番奥に磔にされたリスティア。広間の中央あたりに、白いクロスが敷かれた長テーブル。正体不明の布包みが四つ置かれている。周辺には十数体の異形兵たちがもの言わず待機している。状況は絶望的――


『おほーーーー! 王子様きたきた! キタキタ記念すべき日が! にょっほほ、にょっほほ……あんれぇ?』


 ぱちぱちと手を打ち鳴らしながら右往左往とステップを踏んでいた男が、もう一度テスタードに顔を向けて……止まる。

 正確には、彼を持ち上げている異形兵に。


『ひぃ、ふぅ、みぃ……ひぃ、ふぅ、みぃ…………ひぃ。……お前ダケなのデスかぁ?』


『――』


 異形は返事を発しない。しかし。


『なんとおおおおおおおおおおおおッッ!!』


 道化のような態度を取る男は、滑稽に両腕と片足を上げて驚きを表現した。


『え……ウソ!? あれだけ送ったのに、ひとつだけ……!? ひとりで八つも倒しちゃったの? ひぃふぃみぃ八つ! ひぃふぃみぃ八つ! ウソでしょ……ワタクシの旅団、弱すぎ!?』


『――』


 そして、テスタードの視界が傾いで、落ちる。

 彼を持ち上げていた異形体が倒れたために。


『……ココノツ』


 異形体の腹はスーツの内部で溶け崩れていた。


『イェアーーーーーーーーーッッ!!』


 男が両拳を突き上げて最高潮に達したように絶叫した。リスティアが怯えに震えて、それがまたテスタードの苛立ちを加速させる。


『すーーーんばらしィ!! ここのつ! 信じられない快挙! この日のタメに特別にチューンしたというのにィイ! なんという力の結晶! ――アナタ、ドームのシト全部より強いじゃないデスか?』


『……てめぇ、は。だれだ』


『これは失礼』


 寝転んで目の前までにじり寄ってきていた男のウインクを首だけで避けながら声を搾り出すと……男は唐突に真顔に戻った。

 ぱちんと指を鳴らすと別の異形兵が寄ってきて、再びテスタードの首を持ち上げる。


『ワタクシ、このようなモノでございマす。どうぞお気軽に〝ロス〟とお呼びくだサーイ』


 その顔前に、内ポケットから取り出した長方形の紙を、両手で恭しく提示した。

 こう書かれている――『魔王崇拝結社〝不死旅団〟統括救済取締役ロスト16』と。

 と、紙の上に立体映像(ホログラフ)の男が浮かび上がり、無駄に陽気な音楽とともにステッキを振り回しながら踊り始める。


『この世の終わりは近い! 安心・安全・親切をモットーにアナタの国政にもっとも合った理想的な救済プランをご提供! 粛清、水詰まり、鍵の紛失等の相談も承りマース。魔王様と一緒に暗黒の時代を駆け抜けマショウ! 魔王様がいればオールオッケェェイ!! 入団も自由! 布教ノルマナシ、助け合い、文句のひとつも出ないアットホームな雰囲気の旅暮らシデ~ス! 不死旅団! 不死旅団! ア~~、すばらシき~~、死と暗黒のセカイ~~~LaLaLa~~~♪』


 紙吹雪が舞い、なんの種類か分からないデフォルメした動物たちと手を取り合い、また踊り狂う……


『……お前、か。ドームの〝外〟からやってきた連中、とかいうのは』


『ハイ。お父上サマ方には快い歓待で格別によくシていただき。それだけでなくワタクシどもの活動にも大変なご興味と共感を賜りまシて~~』


『てめぇ、がっ……ドームの内紛をふっかけ、やがったのか!』


『トンでもございまセーン。ワタクシはただただ、オウサマが国を蝕む病におココロを痛めてらっしゃったからぁ、ご相談に乗って差シ上げただけなんデ~ス!』


 くしゃっと歪めた顔面を両手で覆って唐突に泣き声を出す男。

 次にはやはり唐突に泣き止んで、こんなことを……言った。


『ワレワレは、その黒奇病の根絶のタメに旅をシているのデスよ? …………ってね?』


『な、に……?』


『アナタのことはご家族から聞き及んでおりンマーーーーッシた!!』


 無駄に通りのよいテノールが響く。ばっと両腕を広げ、芝居がかった歩調で広場を練り歩きながら。なにもかもが胡散臭い。


『アナタはすばらシィーーーーイ! 幼くシてワレらの偉大なる神! 不滅なる魔王様の撒かれた救いの〝因子〟を見出シ! ワタクシが諸国を巡り、こつこつコツコツと布教段階から始めて進めてキタ活動ウォウ! だれに言われるともなく自ら突き進めていてくレターのデスから! それも! この〝最後〟の地で!!』


『なんの、ことだよ……』


『ノンノンノン。隠さなくとも大丈夫デース。ワタクシはすべて分かっているのデ~スから。ワタクシはアナタの理解者デ~スよ?』


『…………』


『ワタクシたちは魔王崇拝結社〝不死旅団〟! この不浄なる世に救済をもたらす真なる神、不滅なる魔王エグゼィドノノゥンキア様を信奉シ、この世にお招きすることを望むモノ! 黒奇病とは福音の〝印〟(しるし)! アナタが見出シ、集めていた〝因子〟とは、魔王様をこの世に招く呼び水なのデース! ワレワレわぁ、ソレを長年長年追い求めてきたのデス! 長いこと長いこと長いこと!』


 男の言っていることはさっぱり分からなかった。魔王? そんなものは知らない。しかし神妙に聞き入る表情を取り繕う。

 テスタードは男の話を聞く態度を示しながらも、閉塞した情報領域を必死にこじ開けようと試みる。だが作業は遅々として進まず、男自身にも広間を囲う異形の布陣にも隙はなく、失いすぎた血液と精神力に、視界はどんどんとかすんでいった。

 しかし、聞き捨てならないことも、男は言っていた。


『王室、が。俺の存在に……気づいて、いた?』


『兄上は、アナタのことをずいぶんと気にかけてらっしゃいマしたよ?』


 それだけでテスタードは真実を察した。自分がなぜ死なずに済んだのか。確実に自分を殺すはずだった毒物をすり替えたのが、だれであったのかを。


『兄、が……俺、を』


 男は広場中ほどにある白いクロスが敷かれたテーブルまで戻り、そこに置かれていた四つの布包みのうちのひとつを抱えて、戻ってくる。


『イエ~ス! 兄上はアナタが野心を持っていたとワタクシに打ち明けマーシた。であるからアナタが黒奇病を発症シた時、死なずに目覚めればー? アナタは研究を完成させて王宮に返り咲こうとするかもシれないと考えたのデース。そシてそれを監視シていれば、アナタが完成させた研究を公表する前にソレを横取りシて、歴代かつてない絶対なる地位と名声を得られると企んでいたのデースよオホホ! なんというすばらしい発想! おカゲでアナタというすばらシい希望が潰えずにスンだのデーースから!! にょーーほほほ!』


『はっ……はは、は。なん、て……馬鹿な、やつ…………』


 乾いた笑いが漏れた。呆れ。虚しさ。そういった諸々が混ざり合った乾いた息が。

 いったいだれが毒に細工を施していたのか。親か、臣下か。――ひょっとしたらだれかひとりくらいは、自分のことを想ってくれていた人物がいたのかもしれない。恨み言とともにメッタ打ちにされて、ほうほうの(てい)で逃げ帰って丸まってすごした孤独な夜には、そんなほのかな暖かみにすがってもいた。

 自分が研究を完成させて、その助けてくれた王宮のだれかと手を取り合うことができたなら――ひょっとして廃棄街区に留まらずドームそのものもよくしていけるかもしれない。

 そんなことを考えていた時期も、あったというのに。


『テスタ、様……!』


『ははは……まったく……本当に…………』


『ハイ。感動のゴ対面』


 ロストが彼の目の前に差し出した包みの布をほどくと、生首が現れた。

 およそ二年ぶりに見る、兄の顔だった。


『――――』


 一拍の思考の空白を抜け……テスタードはまぶたを閉じた兄の顔から、男の背後にあるテーブルへと目を向けた。そこにある同じ布包みが、あと、みっつ――


『ま、さか』


『ハァイ! ご家族全員そろってらっシゃいマすよ?』


 ロストは中身に軽い気体でも詰まっているかのように軽やかに跳ねながら――いや、明らかに浮揚している――テーブルへと戻り、兄の生首を置き直した。

 早口にまくしたてながら、次々と残りの布をほどいてゆく。


『だってだってダッテェー。このシトたちバカなんだモン。あんナニ相談に乗ってあげたのにィー。あんナニワタクシの救済をよろこんでいたのにィー。王宮まで攻め込まれそうになるとアナタがいるこの町に〝天墜〟を落とすって言い出すんだモン。シょーもないから全部解決シてあげたのに今度は怒り出すシ、ワタクシの救済計画の全部を教えてあげたらワタクシを殺すって言い出すんだモンなぁ。殺すなんてナンてひどい! 人間性を疑う!! シょせんヤツらの末裔か!! クソダボがッッ!! せっかく記念すベキ式典には特等席を用意シてあげるつもりだったのに! でもワタクシは優シいからちゃんと席には呼んであげたのデス! ほらネ!!』


『……!』


 そこに王族、かつての家族の首が並んでいた。

 王。王妃。第一王子。第二王子。全員そろっている。

 彼らの死を突きつけられても、それ自体に対してテスタードの心にはほとんど波は立たなかった。仮にもこの国の頂点の魔術士として絶対の力を誇っていた彼らの首を、こうも簡単に取ってきておもちゃのように並べる男の力の異常性に胸を冷やすくらいだ。

 だが、リスティアの顔がいたましく歪むのは耐えがたかった。一刻も早くこの馬鹿げた状況から連れ出してやらなければならない。


 テスタードの回復状況は変わらず芳しくない。せいぜいが平時の一パーセントといったところか。

 魔術を使うとしても、最小の構成が一発限り。

 ゆえに選択肢は無数。異形どものコントロールをロストが掌握していることに賭けて、悟られずにヤツの情報に潜入して一撃必殺で脳を焼く。どうにか経路を工面して仲間に信号を送って助けを呼ぶ。リスティアの戒めを破って走らせる…………


 決定的に、足りていない。どれもこれもが不確かで、無視のできないリスクが多すぎた。

 そして〝不死旅団〟の長ロストは、そんなテスタードの胸中を見透かして試しているかのように笑みを向けてきている。

 結局テスタードは、時間の引き延ばしを選択した。


『てめぇ、は、なんだ…………!』


 だが同時に、もっとも重要な項目でもあった。この男の正体、実態、こんなことをする目的――力の大きさ。

 それらを知らずに挑むのはあまりにも危険すぎた。今のままではリスティアひとりを逃がすていどの好機も作れない。


『オゥフ。ワタクシデースか?』


 男は再び、ぽーんぽーんと弾むボールのように回転しながら飛び跳ねてきてテスタードの前に着地。先ほどと同じ名刺を差し出した。


『ワタクシ、このようなモノでございマす。どうぞお気軽に〝ロス〟とお呼びくだサーイ』


 また馬鹿みたいなホログラフが踊り出す。


『……』


『イヤハヤほんとにもーネー。もっと早くに出会って入信シてもらっていれば、キャンペーンで色ンナ特典を進呈シていたんデスけどネー。ゴリヤクの高い魔王サマピンバッジでショ? いつでも魔王サマと一緒の魔王サマアップリケ入り靴下にシャツに枕カバーでショ? お土産にピッタリな魔王サマタペストリー? 世界救済パンフレット特別号に? 月間〝崩壊世界を歩く〟マボロシのバックナンバーボックス? スーパーチャネリング交信による魔王サマインタビュー風全信者垂涎の著書〝明日、世界を救済する〟マデ!?』


 なんの理屈が働いているのかポロポロぽろぽろと、次々と男の手のひらから物品がこぼれ出してくる。


『――なーンて。今日世界が滅びるのでこんなモノぜーんぶ意味ないんデスけーどネ!』


 それらすべてを地に落とし終わり、最後には男の白い手袋の手のひらだけが残った。


『…………』

『…………』


 しばしの、沈黙ののちに。


『ワタクシがナニモノであるのか、おシりになりたい……?』


 男の表情が、静かに、変わっていった。

 テスタードは無言で、目の前いっぱいに広がる男の髭面を睨み続ける。


『では――アナタにコレを差シ上げまショウ。お近づきの印デス』


 男が新たに内ポケットから取り出して差し出したもの。それは――


『――』


『ウツくシいでショウ?』


 テスタードは一時状況の危機も忘れて、それに見入っていた。男の両の手のひらの上に輝く結晶。それは純白に透き通り、きらきらと、どこまでも美しい輝きをこぼしていた。


 それは、魔術触媒だった。

 この町で作られる最高純度の触媒をはるかに上回る、いやそれどころか王宮にいたころに使っていた触媒でさえ薄汚い石ころに見えるほどの品質の。

 こんなものは、見たことがない。こんなものがこの世に存在し得ることすら、テスタードは今、初めて知った。


『かつテ、アナタたちを栄華の頂点にマで導いた輝きデース。身の丈を超えたチカラ。神々のナミダ。堕落の実。コレがアレば、アナタは史上モットモ至上で至高で究極で極悪で最高でサイアクの術を振るうことがでキルでショウ』


『……』


『試シてみたくは、ありマせんか?』


『っ…………』


 突如目の前に突きつけられた果実に、テスタードは隠していた胸中すらむき出しにしてあえいでいた。

 この純度の触媒があれば、男の言う通り、今の自分でも王をはるかに超えた極大の力を振るうことができるだろう。ひとりひとりが王族級の力を持つ異形の雑兵も、王たち三人の首をたやすく取った男も……この場にいるものすべてを造作もなく叩き潰せるだけの力を。

 だが間違いなく罠でしかなかった。テスタードはわずかに開かれた情報領域の知覚を結晶へと伸ばす。

 ……トラップやロックの類は一切かかっていない。完全に純粋な状態で、結晶の力はテスタードに対して開かれている。

 それどころか男自身、防御の構成も一切まとってはいない。ただただ読めない笑みを浮かべてテスタードの双眸を捉えていた。この男はなにを考えている?


『っ』


 テスタードは決断を下す。結晶へと意識をつなぎ、命じる――我に従えと。

 男の手の上で結晶がほどけて、溶けていった。

 その力を掌握する。食らい尽くす。


『ホホッ――――ホーホホホ! おほーーーーーっ!!』


 男が跳ねて飛び退って奇声を上げる。迎え撃つ構えだ。

 ――やってやる。

 男の意図は、撃ち合いだ。こちらを上回ろうという意思。その挑戦を、テスタードは受けた。

 これだけの〝力〟を目にすれば、改めて痛いほど理解するしかなかった。どの道このまま時間を稼いでもふたりに活路はなかった。これだけの力があってようやくだったのだ。ならば〝力〟が目の前にぶら下がった今こそが最大にして最後のチャンス。

 向こうは最初から格上? その上で、こちらを確実に上回る確信を持っている? どうだっていい。


 今の自分が敵わないのならば、今この瞬間、その自分をも上回って下してみせる。最高の構成を。最大の密度を。全部の経験を。すべて超えて。慢心し、わざわざ力を差し出したことを後悔させてやればいい。

 莫大な力が巡る。その力の一端を使い、テスタードは閉じていた自分の情報領域を強引にこじ開けた。

 暴走術式による『モンスター化』を経て、自分の領域は今までの数十倍まで膨れ上がっている。そこにこの純度の触媒すべての力を乗せれば、顕現する事象は乗倍をはるかに超えて跳ね上がるだろう。相手の目算を超える可能性があるとすれば、ここしかない。

 莫大な力が巡る。構成が詰み上がってゆく。最高の力へと。緻密の極致へと。至高の高みへと。


『おほーーーっ! おほっ……おほーーーーーーーッッ! すばらシい! すんごい力が織り成すタペストリィ! なんて……なんてウツくシいのーーーーー!! ゲラゲラゲラゲラ!!』


 そうだ。

 テスタードは確信する。

 王さえはるかに凌駕する力へと至った。目の前に転がる王族たちが百人束になって逆立ちしても絶対に抗えないだけの力。これを受けられる個人なぞ、この時代には(・・・・・・)絶対に存在しない。


 同時、それだけの確信を持ちながら、この術さえ囮にすぎない。

 最優先項目はリスティアの救出。最大の攻撃力で注意を引きつつ、同時に広間全体へ自爆覚悟の情報崩壊嵐をしかけ、敵の反撃を封じ、彼女の戒めを破って退散する。

 式は、攻撃式の記述の中に重複記述として分散して隠匿されている。攻撃式が発動してからでなければ正体は分からない。


『――』

『――』


 ひとつ、ふたつと、青色の光が降り注ぎ始める。広場に立ち尽くす異形の者たち、そして腹を抱えて高笑いを続ける男の頭上へと。加速度的にその密度と圧力を高め続けてゆく――

 ――死ね。

 意思が命じるまま、光が、男たちの頭上から打ち落とされ――


『――――ばあああああああああああああああああアっ!!』


 男が突き上げた両腕に、そのすべてが受け止められた。

 攻撃式。そして、隠蔽していた本命の式も。すべてが。

 なんの抵抗もなく。

 一瞬で。


『――――』


 テスタードの思考が、空白に支配される。

 力が、掌握され、収束し、男の頭上へと渦巻き始める。


『すごォい力ァ! これをォオ!? 束ねテ、束ねテ、束ねテ、束ねテ、練っテ、練っテ、練っテ、練っテ、練っテ、練っテ、練っテ、練っテェ!? ――――ホォォオオオオイ!!』


 そして男は、振り回していた両方の指を、身体ごとあさっての方向へと傾けた。

 崖の上の〝ドーム〟へと。

 その瞬間――ドームを丸ごと包む巨大な蒼き光輝が――


 空から、打ち堕とされた。

 烈光が夜闇を圧倒的に押し広げてゆく。破壊された大気が猛烈に荒れ狂い、激震が地にあるものを叩きつけるほどに揺り倒した。

 その目を焼く輝きの中で、ドームの影が溶けて、崩れてゆく。

 崩れて、すべてが空へと堕ちてゆく……!


 天墜。この国の王だけが継承していたはずの〝始祖〟の術――違う。そんなものは未完成の劣化品にすぎなかった。これが、これこそが、真なる〝始祖〟の術。完成されし至高の力。そう本能で理解するしかないほどの天上の式。


 光はドームを包む範囲には収まらず、崖を削り、テスタードたちの頭上を圧迫しながらも、どんどんとその制圧の範囲を広げていった。

 ドームから、廃棄場……廃棄街区……壁を越えて……遠く遠く……人類の手が及ばないはるか彼方の天空にまで。


『………………!!』


 魂を揺さぶる激震の中、テスタードは頭上に落ちた光の天蓋を愕然と見果てていた。

 ガチガチと打ち鳴らした歯の音は決して揺れのためではない。ごまかしようのない圧倒的恐怖。絶望の色に、彼の顔は塗り潰されていた。

 勝てない。

 自分が、王族が一千人いても無理だ。ヒトの領分を越えている。こんなものがなぜこの世界に存在している――?

 コイツはいったい『なん』だ――!?


『フハァーーーッハハハハハハァーーーーーーーーッ!』


 ギクリと視線を落とす。

 地を押し潰さんと降り注ぐ蒼き光のその下で。彼を見下ろして轟然とそびえる黒のシルエットをテスタードは見ていた。〝不死旅団〟のロスト。


『いかガカァーー!? これが力! クソったれな〝ヤツら〟が恐れて封じ込めたこの力!! コレがワタクシ! ロストナンバーの16ダァ~~~ア!!』


 ギョロリ、とロストの目玉がテスタードを射抜く。


『ワタクシは〝不死旅団〟の導師! ワタクシだけが持つエル・サイコロジィ・チャンネルにあのお方は語りかけてくださったァ! たァたタァ! のダァ!! ワタクシは不滅なる魔王エグゼィドノノゥンキア様の敬虔なる使徒ォ! ゆえにワタクシは導師ナノダァ!』


『――』


『カミサマ気取りのクソ罰当たりなクソッタレ魔術士どもは滅んだァア! ヤツらが消えてワタクシは残ったァア! でアレば今こそ今コソイマコソが! この世に真なる神であり支配者であル不死魔王を招聘シィィイイイイッッ…………この世を真に滅ぼす時ィィイイイ~~~~~~イッ・イッ・イッイイイ~~~~~ヒッヒッヒッヒ……!! それがワタクシッッ! なンて純粋! なンて必然で! なンてすばらシぃ~~い! それがワタクシィ! 滅びろシトの世ヨォ! 魔王サマのお声を聞けなかった哀れで不完全なナンバーズどももすべてすべテェェエ! ワタクシが救うゥウウウりゃ~~~~~~~アッッ!!』


 光が、止んでいって。


『……お分かリ、いただけたカナ? ボーイ?』


 ロストが、胸板に手を当て、慇懃に礼を取る。

 異物が完全に取り払われて、夜天には滅多に見ることのできない星の河が広がっていた。目が痛いほどのオーロラが揺らめき、いまだ吹き荒れる大気の破壊的な奔流が雷のごとく轟きを上げている。

 ドームは――長らくこの町を見下ろし、押さえつけ、守ってきた支配者たちの都は――影も形もなく消滅していた。

 あまりにも、あっけなく。

 ここにひとつの歴史が終焉を迎えたのだ。


『……』


 テスタードには、よく分かった。分かるしかなかった。

 目の前にいるのは、怪物。

〝始祖〟さえ超えるかもしれない超常の存在。人理の外側に外れたもの。狂った世界が産み落とした悪霊だ。

 こんなものの前にヒトの意思なぞなしに等しい。自分が間違っていた。天災と同じだ。すべてはこの男の狂気の前に区別なく滅び去るのみ。それが遅いか早いかの違いしかない。

 テスタードの内側には、もうこの男をどうにかしようという思いはなくなっていた。天才ともてはやされた自負も。随一と言われた実力も。なにもかもが先の大魔術に吹き散らされていた。


『テスタ様……逃げて……お願い……』


 だが、たったひとつだけ残っていたものもあった。

 リスティアにも分かっただろう。生き残る術はないのだと。

 絶望に顔を白くしながら、テスタードが力を残している可能性に賭けて、震えながら呼びかけてくる。

 その声が、彼の心を縛る鎖となった。

 吹き荒れる恐怖と絶望の嵐の中で、彼をつなぎ止めていた。

 恐怖は消えない。絶望には抗えない。だが、立ち向かえる。

 テスタードはまっすぐに男を見返した。


『結局……てめぇは俺に、なんの用なんだ……』


『やはりアナタはすんばらシぃ~い』


 男は鷹揚に両腕を広げて賞賛し、歩み寄ってきた。

 そして彼の耳元で、言った。


『統合式を使ってくだサーイ』


 と。


『なに……?』


 一拍、テスタードには男の言っていることが分からなかった。


『……ハ。なにを、言い出すかと思えば……馬鹿か。なら、こんなことをしなくても放っておいてくれりゃ、今夜には、』


『それじゃダメなんデース――ダメ。ダメダメダメダメ! ダメなのっ!! んムゥーー!!』


 男は突然に怒りのボルテージを最大にして、尖らせた唇とともに真っ赤な顔を突きつけてきた。

 肝を冷やすテスタードの胸中を知ってか知らずか、顔を離し、バッと夜天すべてをかき抱くように腕を広げる。


『そんなちっぽけな術じゃダメダーメなーのデース! そんなんじゃダメ! 世界を終わらせられナーイ! そんなんじゃワタクシのシてきた意味はワタクシがボクがアタシがオレがワレがワラワがワァアアアアアタクシがぁあ~~~~~~~あ!!』


『っ……』


『ダカラネ?』


 くるりと身体ごと回って振り返り、ロストは要求を告げた。


『〝完全なる〟統合式を使ってくだサーイ。最小じゃない。この世に存在すルすべての〝因子〟を巻き込んで! アナタが! 〝核〟となっテ!! アナタが! 魔王の依り代となり! アナタが! ワレワレの〝神〟になるのデェエ~~~ス!』


『……馬鹿かっ!』


 テスタードは吐き捨てる。そんなことは不可能だ。


『〝因子〟そのものに集合性は、ねぇよ! だから俺たちもリスティアの能力を借りてここまで実現した。この世界のどれだけの規模に〝因子〟があるのか知らねぇが、離れ離れなソイツらを全部巻き込んで集めるなんざ不可能だ』


『ホホーン。やはりアナタはすばらシ~いですね~ん。そこはそれ、ワタクシがちゃんと〝準備〟をシてきて差シ上げまシたのでご安心シてくだサーイ』


『なに……?』


『紳士的マジックバッグ……ォオオオオップン!!』


 男が両手を掲げた頭上の虚空から、広間の中央に落ちてくる。振動で王族たちの首が地に転がった。

 それがなんであるかが分かり、彼の顔がまた恐怖と嫌悪に引きつる。


『ここマデ集めるの……苦労シたんデスよ?』


『まさか、てめぇは……てめぇ!』


 男の最初の言葉を思い出す。活動。この地。諸国を巡り。〝最後〟の地。

 目の前にある、五メートル大はある黒い結晶。それは間違いなくテスタードがこの町で集めていた〝因子〟の抽出物と同じものだった。

 いや、ところどころから腕や苦悶の顔などが生え出している――決してまっとうな方法で集めたものではあるまい。


『こんなサイズの……てめぇは……いったい今まで、いくつの〝国〟を……!』


『ンァア。この国四百個分くらい……だったカナァ~ア?』


『っ……!』


 子供が、踏み潰したどうでもよい虫のことを思い出すかのようなしぐさ。表情。

 テスタードは苦悶に顔を歪める。

 ダメだ。この男は完全に本物の怪物だ。なんとか彼女だけでも逃がす契機を探ろうとしたが……こいつの言いなりになっていれば本当に世界が滅びかねない。そう確信した。


『……っ。ダメ、だ』 


『……ホワァイ?』


 一瞬で激発寸前の無表情に変わり、男がまた鼻先まで顔面を突き合わせてくる。

 綱渡りをする心地でテスタードは、ひとつひとつの言葉を紡ぎ出す。


『失敗する、からだっ。お前、その〝因子〟……保有者の人間丸ごと(・・・)強引に変換して固めやがったな。整合性もクソもなく、無理やりにっ。全部の〝因子〟つってたな……はっ、どうせ全部集めるんだから同じだろうと思ったんだろうが、そんなムチャクチャで歪な塊を使えば、本来の統合式は成り立たねぇに、決まってんだろう、が』


『…………』


『仮に……そんなことをしてみろ。その塊に引きずられて、この町の住人も、術者の俺も、〝因子〟ごと巻き込まれて死ぬ。そのあとだれが式の制御をする。そもそもどれだけの被害が出るか……流入した〝元情報〟――てめぇは魔王とか言ってたか――それの破片の影響だけでも、星が消えるぞ! だれも生き残れない! いくらてめぇでも、』


『シャラァアアップ!!』


『!』


 びくりと震えて彼は言葉を止める。

 今にも破裂しそうなほどに顔面を赤く染め上げたロストは、怒りのままにテスタードの鼻に指を押しつけてきた。


『黙るがイィ~~イッ、死の王子ヨ! そう言う貴様ラは今宵ナニをシようとシていた!? 今さら善人気取りカッッ!』


 次いで振り返り、リスティアへと。その罪の大きさを示すかのように両の(かいな)を広げて。


『ドームのニンゲンどもを皆殺シにシィ! ナニも知らぬ同胞を騙シおおせ! 己たちだけで助かっテ逃げようとシていたのだろォオオオ~~~~~~が! 今さらニンゲンみたいなこと言うんじゃありまセーーーーン!!』


『っ』


 耐えられないように、苦しげに、リスティアが顔を落とした。


『悪魔ども! チクショウ! 人間性を疑う! お前ラ人間じゃありまセーーン!! 何千モノ屍を築き、踏みつけ、その上に自分タチの国を立ち上げようと目論んでいた貴様こそまさに死の権化!! 死と破壊と殺戮と混沌を司るワレらの神の教義に則れば、貴様らの罪状はぁっ……罪状わぁああああっっ………………はぅあっ!?』


 拳をにぎりしめて全身全霊震えていたロストは、硬直する。


『教義に、則れば……則れば…………』


 脂汗をダラダラと流しながら、右の異形に、左の異形にと視線を彷徨わせ……

 次に振り返ってきた時には、しゃくり上げながら涙を流していた。


『貴さ……アナタ、はっ……! …………なンテすばらシいシト……だっ……!!』


 本気で泣いていた。


『……』


『ナンという徳の高さッ!! すンばらシい! アナタを前にはワタクシなぞかすむ! 穴があったら入りたい! このような輝きに気づかずワタクシはエラそうに説教をシていたナンて!! アナタこそ、アナタこそ真なる魔王サマの使徒にふさわシィ~~イ!!』


『……』


『ユー! ワタクシたちの教祖になっちゃいなヨ! このこのぉ!』


 なれなれしく肩を組んで頬を(つつ)いてくるロストの髭面をテスタードは凄絶に睨みつけた。この男はなぶってでもいるつもりか。

 だが引きつけを起こしたようなロストのしゃくり方は本物だった。まったく感情が読めない異常な精神構造は、その〝力〟の代償なのか。


『グスっ……でもダ~メ。教祖の座はワタクシにお任せくだサーイ。アナタにはワタクシたちの神になってもらうといウ大切な役割があルのデスかーらネ。サ、そういうわけデスからよろシくお願いシますよ、先生』


 ロストが朗らかに肩を叩いてくる。


『……』


 やはりダメだ。この男には理屈が通じない。完全に壊れている。活路が見つからない。どうすればいい?

 この男はこちらを逃がす気が毛頭ない。このままではこの男の言う通りに統合式を使うしかない。それではだれも助からない。だがこの男はこちらを逃がす気が毛頭ない。

 力がほしかった。この狂物を上回る力さえあれば。すべてを下し、皆を、リスティアを、助けてやることができるのに……


『……』


 テスタードはうなだれ、限界まで絞っても勝機を見出せない頭から冷えた汗を落とし続けていた。


『コレだけお願いシてもダメなんデスかぁ……ではやはり、お姫サマにお手伝いシていただくシかありマせんねぇ?』


『…………は?』


『ちょうど、〝効果〟が現れ始メタようデースよ』


 顔を上げた先――磔にされたリスティアに異変が現れていた。

 息が深く、荒く、苦しげで。著しく発汗して白い肢体のほとんどを濡らしている。思えば先ほどから少しずつ精気をなくしていた――

 テスタードの中で一気に激情が突き上げた。


『てめぇ――テメェ! リスティアになにをしたぁッ!!』


『簡単デース。だってアナタみたいなシトにはこういうのが一番キくでショ? なのでこれからアナタにやる気を出シてもらう〝ショウ〟のために~?』


 ロストは満面の笑みでリスティアを示した。


『彼女の〝機能〟のロック、外シちゃいマシた!!』


『!!』


『ショータイッ!』


 パチンと男の指が鳴り、何人かの異形兵が、廃材の山の影からなにかを引きずり出してくる。

 それは、金属の檻。聞こえてくるのは怨嗟と苦悶のうなり声。

 なかばモンスター化した人間――数百人のドーム民たちが、ひしめいていた。

 いくらドームが混乱していたからといってこんな量の発症者が都合よくいるわけがない。ロストがなにかしたのだ。リスティアにしたように。


『サテ~、今の彼女は~? 自らの意思に関係なく無尽蔵に〝因子〟を招き寄せる状態なワケでシて~』


『やめろ……』


 すべて言わずとも、もう分かっていた。こいつがリスティアを連れ出した理由が。


『さぁゆきなサイ。彼女がお前タチの救いの女神デーース!』


『やめ――!』


 もう一度指が鳴り、檻が開け放たれた。

 男が、女が、子供が――すべてが雄たけびを上げながら、リスティアに目がけて群がっていった。本能で知ったのだ。彼女へ近づくほどに、自らの苦しみが取り払われてゆくことを。

 リスティアの顔が恐怖にひび割れる。


『オガァアアアアア!』


『ィイイイイイイイイイ!』


『アギャッ……オ、ギャッ! イギ!』


 発症者たちは互いを押し退け、踏みつけながら、彼女の磔を登ろうとあがき続ける。どんどんと先行者たちを押し潰して死体の山を築き上げ、彼女へと迫ってゆく。


『あっ……あああああ、あ、あっ…………あああああああああああっ!!』


 リスティアの絶叫が発症者たちの声さえ押し退けて響き渡る。

 黒い〝邪黒色〟の靄が彼女の周囲を渦巻き、吸い込まれてゆく。リスティアの口が膨らみ、一気に吐瀉物が流れ出してくる。発症者たちはなお止まらずに山を登り、むさぼるように彼女の足へしがみついて爪を立て、啜るように歯を突き立ててゆく。鮮血が滴り、また別の意味でリスティアの顔が苦痛に歪んだ。

 テスタードは叫んだ。叫んでもがき狂った。彼を捕まえる異形兵はびくともしない。


『貴っ様ァアアアアアア!! 殺す! 殺してやるぞぉおおおお!!』


『ソウ! 殺しマショウ! すべて全部! ソレこそが唯一の救い! その憎シみを解き放つのダァ! この場に残された最後の〝力〟に……手を伸ばせェエエエ!! ハハーーーハッハハハァーーーー!』


 男が示す手の先には、最大の〝因子〟結晶。

 テスタードは、もうそれしか見られなくなっていた。この場に残されし最後の〝力〟。魔王の力。すべてを、あのロストさえたやすく滅ぼせるであろう破滅のトリガー。

 式はこの手の内にある。発動に元手はいらない。結晶は魔術触媒でできている。あとは意識を接続するだけ。

 すべてがそろっていた。

 だが。


『ダ、メ……テスタ様……お願い、やめ、て。わたし、は、大丈夫、だからっ……!』


『っ……!』


『消さない、でっ……あなた、が守ろうとしてくれた、未来を。あなたが見せてくれた、希望をっ!』


 その言葉が、笑顔が、彼の心臓を縛りつけた。


『わたし、も、戦って……見せるから……!』


 ひびが入るほどに歯を食いしばり、テスタードは〝因子〟結晶へ伸ばしかけていた意識の手を断ち切った。


『ナンデーーーーーーーーーーーーーーー!?』


 ロストも絶叫した。

 顔を歪めてステッキも投げ捨てて地に転がり、手足を振り回しながら大泣きした。


『ナンで使ってくれないノ~~~~~!? せっかくここまでがんばってキタのにィイ~~~~~イ! こんなのイヤだよォオ~~~~~! セカイ滅ぼしたいヨォ~~~~~、パッパァ、マッマ゛ァアアアアアアアアア~~~~~~~~ア゛!!』


 このふざけた男の野望を挫く手段もまた、テスタードの手の内にある。最小式を使ってしまうことだ。

 そうすれば男が集めた結晶は砕け散り、自分たちからは〝因子〟が取り除かれ、目の前の発症者たちも崩壊する。

 だがリスティアが犠牲になる。ここで最小式を使えば、統合モデルに収束するはずの〝因子〟が、〝機能〟を強制的にこじ開けられた状態の彼女に流れ込むはずだ。彼女は耐えられない。

 なにより仮に助かったとしても、その後ロストは自分たちを殺すだろう。この町の全住人も。


 できなかった。

 リスティアが連れ去られた時点で、いやロストがこの国を訪れた時点で詰んでいたのだ。


 残された選択肢は、ふたつのみ。

 ひとつは、最小式を使うこと。

 自分とリスティアは殺されるが、町の仲間たちがひとりでも逃げ延びる可能性に賭けて。リスティアを犠牲に、彼女の意思と、助かるかもしれない仲間たちの命を守る。

 ひとつは、最大式を使うこと。

 星さえかき消す滅びの力。魔王とやらの力を自分に使い、今この世にあるおよそすべての〝因子〟をさらい集める。できるかどうかも分からない制御を試みる。ロストさえたやすく潰すことのできる力だが、失敗すればリスティアも仲間もすべてが滅ぶ。十中八九失敗するが、リスティアも同時に助ける方法はこちらしかない。

 最小式を使ってしまえば、その可能性も消えてしまう。

 だから――できなかった。決断することが。


『…………』


 リスティアの苦悶が、ロストの嗚咽が、発症者たちのうめきが、木霊する。

 どれだけ煩悶を続けただろう。

 いつしか、あたりは静かになっていた。リスティアと発症者たちの苦しむ声がほとんどなくなっていたことに気がつき、テスタードは下げていた顔を持ち上げた。


 その場のほとんどの〝邪黒色〟を吸い込み、リスティアはぐったりとしていた。

 聞こえる荒い息は、発症者のもの。彼女の足にすがりついていた者のうち、男たちの手つきが変わっていた。無我夢中に爪を立てるのではなく、何度もその感触をたしかめるように、なでさするような手つきに。荒い息とともに。

 発作による苦しみが緩み、わずかに回復した知性で――気づいたのだ。

 目の前にあるのが、瑞々しい裸の女体であったことに。


『……!』


 ほとんど虚ろになっていたリスティアの瞳に今までとは別種の恐怖と覚悟の色が宿る。

 死の危機が一時的に去った男たちは、極限まで起動された生存本能から、リスティアの女としての身体を求めようとしていた。


『テスタ、様。お願い……ごめんなさい。見ない、で……』


 無数の男たちがまた別の目的で山を登り始める。欲望に炙られきった息を吐き出しながら。

 彼女の股と胸、その女としての象徴の部分に手を伸ばしてゆき――

 テスタードの思考はそこで弾けて、終わっていた。


〝――死ね〟


 その〝声〟が、自分のものなのか、それとももっとほかの場所から降ってきたものなのか……テスタードには分からなかった。


 リスティアに触れようとしていた手が一斉に落ちる。

 男も女も。すべてが山から転がり落ちて、山の下にいた者たちもくずおれて、動かなくなる。

 絶対に選べない二択の極限の狭間で、絶対に認められない絶望の瞬間に。

 テスタードは、選んでしまった。

 最大式を。


〝死ね〟


『――』

『――』


 異変を察知して身構えようとした異形兵のいくつかが、命じるだけでその生命を終わらせてゆく。そんなに救われたかったのか。望みとあらば皆殺しにしてやろう。哀れな塵芥(ちりあくた)ども。

 世界のことなんか知ったことではない。本当はどうだってよかった。滅びを望むのなら勝手に望んで焦がれていればいい。滅びがあるというのなら滅びればいい。滅びてやる。滅ぼしてやる。

 けど、ソイツは、駄目だ。ソイツだけは。終わった世界の片隅で。だれよりも弱く、強く。自分を殺しながら、自分を与えながら、人に寄り添って滅びに抗っていたソイツの。


 ――その女の尊厳だけは、絶対に渡さない。


〝死、ネ〟


 また異形が潰れてゆく。


〝死ね、シね、死ネ、シネ、シネ、シネ――〟


 潰れてゆく。潰れてゆく。潰れてゆく。簡単に。


〝ハ、ハハ……ハ〟


 ――ぐちゃぐちゃになったテスタードの意識の中で、ただその思いだけが形を保っていた。

 ――そのために必要なこととは、つまるところ、死だ。すべての愚か者どもの滅びだ。それが(あがな)いだ。


『グスッ……ウェッグ…………パッパ、マッマ……ヒック。ヒグ……?』


 地面でベソをかいていたロストの双眸が……見開いてゆく。希望の灯を見たように。

 ……ふらふらと近寄ってくる。

 救いを求めている目だ。


『ォ……ォオオオ! …………ワレらが、〝神〟よ……〝神〟よ………………ぷちゅあ』


 だから、救ってやった。

 すべての情報構造が見て取れていた。なんてちっぽけで、哀れな、虫。救われて当然だ。

 こいつの意識の片隅にあった残りの十五体も、探し出し、みじめにどこかの地を這いずっていたので、救ってやった。


 改めて広間を見るが、ロストも、異形兵も、すべて潰し終わっていた。

 だが本当にこれで終わりだろうか? まだまだ救ってやらねばならぬものが多すぎるのではないか?


『い、いやあああああああああっ!? テスタさ――テスタァアアアッ!!』


〝――!〟


 突如上がった声にリスティアのことを思い出し、彼女を縛る磔に〝死〟を与えた。


『あぅっ』


 戒めが砂となって崩れ散り、彼女は死体の山を転がり落ちてしまう。

 よかった。すまない。早く逃げろ。

 ――逃げる? なにから? それは、なんだったか?


『い、いやだ、いやだ、いやだ、テスタ……テスタ、テスタ!』


 リスティアは転げ落ちた地を必死に這いずり、めちゃくちゃに涙と鼻水を流しながら、こちらに近寄ろうとしてきている。

 救ってやりたい。

 いやその前に、彼女を泣かせた愚か者を、その愚かさから救済するべきか。それは――


『お願い……今、いくから。今いくから。大丈夫、だから。わたしが、あなたを……わたしの力があればっ……わたしが全部……いやだ、お願いっ……わたしが、いくまで……! お願い、お願い、お願い……!』


 リスティアの力?

 ――思い出した。

 彼女を助けなければならない。仲間たちも。そのために最大式を使った。

 制御しなければならないのだ。

 ほんの一瞬でいい。

 ロストが強引にまとめ上げて作った歪な〝因子〟結晶。それに引きずられてこの町にいる皆の存在情報丸ごとが取り込まれようとする一瞬間。そこに割り込んで、強引に皆の〝因子〟以外の情報をキックアウトできればそれだけでいい。それ以上は望まない。そのあとにくる災害については、もう賭けだ。

 ここまでやれたのだ。やり切ってみせる――

 広間中央。ロストが遺した〝因子〟結晶が、今、解け散り。




〝――――――え?〟


 テスタードの意識は、広大無辺の闇の中に放り込まれていた。

 なにもつかめない。なにも読み取れない。なにも把握できない。

 あまりにも広すぎて。あまりにも深すぎて。星ひとつない宇宙丸ごとひとつの中に放り込まれた、たった一個の素粒子のように。

 なにもできない。


〝――集まったか〟


 声が聞こえた。上、下、左、右、内、外、すべての方向から。

 そのあまりの巨大さに――テスタードは恐怖し、叫んでいた。


〝だれだ――なんだ、お前は!!〟


〝我か? 我は――――〟


 声の主が、ただ、笑みを深めたような気がした。

 ただそれだけの意思の揺らぎで、テスタードの意思は粉々に砕け散っていた。

 そして――




 再び目を開いたテスタードは、見た。

 黒い霧が吹き荒れている。

 空気はねっとりとした熱を帯びていた。

 濁った視界の中で、山積みになった発症者たちの死体がすべて崩れて〝邪黒色〟の流れに合流していった。


『テ、スタ……!』


 リスティアの姿も、黒の激流に翻弄されつつあった。

 動きたいが、まるで身体が石になってしまったかのように動けなかった。


『リスティア!?』


 聞きなれた仲間の声に、振り返らなくとも、その姿を見ることができた。


『リスティア!! テスタは――――』


 そして、呑み込まれていった。

 渦巻く激流にもみくちゃにされながら、こちらへ手を伸ばし……


『テ――!』


 その全身が黒く崩れ散っていった。駆けつけてくれた仲間全員が同じ運命をたどる姿が、すべて、克明に見ることができた。

 それだけではない。町の全域を『視る』ことができた。自分たちの帰還を待っていた者たち、不安そうに抱き合って空を見上げる者たち、すべてが崩れて巻き上げられてゆく。


『テスタっ……!』


 手を伸ばしてくるリスティアを、テスタードは見ていた。

 傷つき、疲れ果てた身体で、懸命に、手を伸ばしてくれている。

 彼も手を伸ばそうとしていた。だがまったく身体は言うことを聞かない。感覚がないのだ。

 ダメだ。リスティア。逃げてくれ。

 そう願うが、彼女は手を伸ばすことをやめない。

 この手は、動かない。


『っ……!』


 そして、彼女の姿も黒の奔流の中に消えていった。


『ひどい、よ……』


 最後に、そう、彼女の声が聞こえたような気がした。

 次の瞬間には見える世界のすべてが吹き荒れる〝邪黒色〟に飲み込まれていた。


『――――――アアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』


 彼は、自分が叫びを上げていたことを思い出した。


〝ははははははははははははははは――〟


 滅びの風とともに吹き荒れる哄笑が、聞こえたがために。

 深き破滅の洪水の水底で、テスタードは、見た。

 はるか高みから轟然と自分を見下ろす、君臨者の姿を。

 コレが、すべての始まり。

 コレが、元凶。

 コレが、連れてきたのだ――!!


『か、な、ら、ず!』


 彼は嵐の中心で、自らの肺を握りつぶさんとするほどに強く、言葉を搾り出していた。


『かならず……滅ぼしてやる!』


〝ふははははははははははははははははは――!!〟


 哄笑が響いている。

 彼をあざ笑っている。


〝力を欲したのは、貴様だ!〟


 そう。


〝開放を望んだのは、貴様だ!〟


 そうだ。


〝貴様が――〟


『アアアアアアアアアアアアアアアア――――ッッッ!!』


〝貴様が――欲したのだ!!〟


 ――その通りだ!!


『かならず――絶対に――てめぇを、滅ぼす。滅ぼして……やる!!』


〝よかろう〟


 魔王は、傲然と、言った。


〝貴様に、我の力を授けよう――この世の終焉を見届ける、我が『眼』となれ! 我を追ってくるがいい――〟


『かならず!』


 それが――約束。この日に交わされた、己を縛る呪いの御名。

 彼の終わりの日。

 そして始まりの時だった。


〝我が名はエグゼルドノノルンキア。最果ての魔王のひと柱――『不死大帝』なり! この世の終焉に在る名であり、貴様の魂へ永劫に刻まれる名である!〟


 彼は叫び続ける。

 嵐はいまだ吹き続けている。

 洪水は止まない。

 その激流の中、どれほど身をすり減らして、削られていっても。

 彼は、叫び続けた。



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