(3-23)
黒い霧が吹き荒れている。
空気はねっとりとした熱を帯びていた。
仲間たちとともに見上げるのは、遠く崖の上にそびえるドームの影。そこから風の切り裂き音のように、小さく唱和した絶叫がこぼれ出して届いたようながした。
ふと、隣から肩を叩かれる。労わるようなその感触の強さに振り向く。
そこにあった黒く溶け崩れて変形した仲間の顔を見て――
テスタードは目を覚ます。
直前まで悪夢とともにあった熱病のごとき激しい熱は、リスティアの胸の中で汗とともに急速に冷えていった。
目を覚ました彼女に再び抱き寄せられ、テスタードは灼熱に干された遭難者が水を求めるかのごとくその肢体をかき抱いていた。
『かかれかかれぇ! さっさと交換しろぉ! 休んでる暇ねぇんだぞーー!』
『り、リーダー、班長! このままじゃラインが丸ごと擦り切れちゃうよ!』
『バカ! どーせ連中が攻め込んできたらラインもなんもかんもおしまいなんだよ! 時間の勝負だ!!』
十日間。彼女に支えられつつ、テスタードはこの町で行なう最後の仕事を突き進めていた。
廃棄街区三区の全生産ラインは、住民の最低限の生活物資の分を除き、ドームから課せられたノルマすらも丸ごと放棄して――あるひとつの目的に向けての全力稼動をしている。
『そっちはどうなってる?』
『かなりギリギリ。食料生産も限界まで絞って回してるし働き詰めだし、もしかしたらラインより人間が先に潰れちゃうかも』
『大人たちの人手がなかったら、まず無理だったな……』
『……その人たちにも、助かる、連れ出すって騙して……あたしたち、助かるつもりなんだね』
『それを今俺たちが言うことだけは許されちゃいけない。……それで今一番自分のことを追い込んでるのはアイツだ。今の俺たちがすべきことは、アイツに軽蔑されるぐらい堂々としてることだ。これは、あくまで俺たちが地区長として決定したことなんだ。そこだけは絶対に譲っちゃダメだ……そうだろ』
『……うん。分かってる』
統合式の実行後――生き残った者たちは、背負った罪業とともに旅に出る。
長く、険しい、移民の旅だ。
いって帰ってくる探索の旅ではない。帰る場所などない。いつたどり着けるとも知れない新天地まで、数百人の生活を支え続ける物資を維持するには、その場その場で自給していかなくてはならない。
水。食料。医薬品。予測が不可能な環境下を民を守りながら切り抜けてゆくための安定した魔術資源。ほかにも、ほかにも、ほかにも――。
それを可能とするための携行型各種半汎用生産設備の設計だ。
厳しい環境にも耐え得る頑強性。未使用時には解体の上分担で運搬し、また速やかに組み立てられる単純性。専用設備のない現地での整備・修理を考慮した容易かつ単純なメンテナンス性。さらに、旅の中途でいくつかの生産装置が壊れた時にパーツの流用や入れ替えで機能を継承・維持できる汎用性と、次世代が現地の物資と技術で改良を行なえる余地を残した発展性――
考えられる限りの必須要素を膨大な計算をかき分けて一心不乱に書き殴り、なお足りず、なお及ばずとばかりにいくつものブレイクスルーを繰り返す。
その中でも絶対に変更不可な仕様書と部品設計を優先して町の生産ラインに送りつけながら――それでもなお限界ギリギリまで仕様改変と再発注を行ない、残り時間、そして決壊寸前までフル稼働している生産現場と戦うようにして、今後の数年間から数十年間にも渡り大切な仲間たちの生命をつなぐための礎を削り出してゆく。
さらにそんな合間を縫い、テスタード自身が、彼にしかできない中枢部分やマテリアルの練成に向かう。
それは〝始祖〟の力を色濃く継いだ王家歴代の中でも天才と言わしめたテスタードの頭脳と能力を以ってしても命を削る難行であり、彼は文字通り痛めた胃の府から血反吐を吐き出しながら、国が常態であったなら何百年もかけてゆったりと至るであろう十日間を突き進んでいた。
常に限界を超えているストレスは恥も外聞もなくリスティアにぶつけた。
何度も何度も貪るようにかき抱き、これから行なう罪への恐れと、思うようにいかない設計構築の憤りと、それらが変換されて噴き荒れる獣欲とを、彼女に吐き出した。そして不安や行き詰まりを情けない泣き言とともに相談し、どうにか再び立ち向かう気力を得る。
彼女はすべてを承知で無条件に受け入れてくれた。何度ももののように扱って疲れ果てさせても最後にはうれしいと言いながら胸の中に招き入れ、彼が再び限界を迎えるころになればうしろから近寄って快楽と眠りの世界に誘ってくれた。そのおかげで彼は心理面・体調面の双方でギリギリ限界の場所に踏みとどまれていた。
彼女がいなければ土台からなにもかもが無理だっただろう。
『リーダー。また王室からの使者がきました。廃棄街区は我が王室による生存恩赦と庇護の義に報い、王家が戦を治めるための物資を速やかに上納せよ。これ以上の生産ラインの私的占有は見すごさないうんぬん。次は王自らが来臨して天空の槌とかいうのを振り下ろすことになるであろうかんぬん。――以上。なんとコレ、おーさま直筆の勅令書だそうです。最後通牒っすね』
『使者は待たせてあるのか?』
『いんや。防衛線総出でボコボコにして叩っ帰しましたよ。両足へし折ってやったから帰るのにだいぶ時間かかると思いますけどね』
『よし。ここがデッドラインだな。最終仕様書の納品がさっき、防衛線の維持もギリギリ、ラインの寿命もギリギリ……全部がギリギリいっぱいの、ギリギリセーフだ。テスタは本当によくやってくれた。モノホンの天才だ。……アイツが王だったら今ごろ、この国はもっと違ってたのかもな』
『あとは……突っ走るだけ、すね』
『ああ。ドーム内の分裂勢力がどれだけ保つのか、王室がしびれきらして強引にこっちを接収にくるのか。少なくともこうして警告送ってこっちからあきらめさせようとしてるってことは、向こうにもそれだけの余裕はないってことだと思うが……追い詰められたヤツがなにするか分からんのは俺たちが一番よく知ってる。とにかく、時間の勝負だ』
王と市民の分裂勢力たちの多重闘争は泥沼の様相を呈しており、日々散発的に、いくつもの勢力が入り乱れては互いに争いながら廃棄街区に攻め入らんとしていた。
この戦争がどちらの勝利に終わったとしても、ドームが黒奇病に加えて戦争被害で疲弊しきった国力を支えることは不可能なことはだれの目にも明らかだった。だから発展を遂げた廃棄街区を手に入れた者が次代の覇者になる。それが王室も含めた全勢力の共通見解であったからだ。
すなわち廃棄街区を焼け野原にすることは論外。加えてドーム内の争いで手がいっぱいであるために多くの人員を送り込むことができず、その上で睨み合う他勢力と小競り合いをしながら……という状況であったので廃棄街区が大規模な戦火に煽られることはなかった。
しかしそれでも廃棄街区の住民の多くは未熟な子供であり一個の魔術士としての戦力では雲泥の差があること、生産ラインの全力稼動に限界まで人員を割いていること、同じ理由で食料や兵站もギリギリでやりくりをしていること……などの要素が重なり、防衛線の現場もまた限界いっぱいだった。
そんな状態で、なにかの理由でドームから一気呵成に攻め込まれることがあればあっという間にこの町は蹂躙される。そしてそれはいつ起こっても不思議ではない。
廃棄街区も緊張の限界に達していた。
慎重に綱を渡るように……しかし火矢のごとく時はすぎてゆく。
そして、統合式の決行――少年少女たちは旅立ちの前夜を迎える。
終わりの始まりが始まろうとしていた。
『いよいよ今夜、か』
『静か、ですね……』
『静かじゃなきゃ困る――おう、テスタ。ちょっと遅いから心配した』
『ああ。すまない』
明かりが落とされた廃棄街区の一角で、テスタードは夜闇に隠れて集結していた少年少女たちに合流した。
決行はこの夜。各勢力が睨みを利かせている中で大規模な脱出を行なうには町の明かりが落ちるこの時しかない。
集結はほぼ完了を迎えようとしている。統合式に競合しそうな研究室の機材や素材の破棄を行なっていて少し遅れ気味だったテスタードは、不安と緊張にさざめきを発している群衆の中にリスティアの姿を探していた。
『リスティアはまだか?』
『ん、ああ。調子悪い家の準備手伝って一緒にくるはずだが……そういえばちょっと遅いな。手間取ってるなら手貸さなきゃだめだな』
『俺がいくよ』
『いや。子分送るからお前はいてくれ。今日の作戦は、お前がすべてなんだからな』
『……分かった』
彼らはこの日のために蓄えた旅の物資と設備を背負い、分散して町内に集合を開始している。
内訳は各区ごとに三から四つの班に分かれて。理由は、まず全員が一箇所に集まると大規模すぎてドームに気取られる恐れがあること。加えて迅速な行動が難しくなること。統合式実行の折に『弾かれた者』の〝邪黒色〟発現が集合することによる被害を少なくする意味合いも含まれている。
そしてもうひとつ。
脱出計画の真相を知らされていない大人たちはまとまって別の場所に待機している。すぐには解決できないしがらみがあること、今はもっとも結束して行動するためにとの建前によって。
彼らは今も地区長たちの言葉を信じて決行の時を待っている。自分たちがモンスター化する運命にあることも知らずに。その待機場所が全班に囲まれる位置であり、集団で発生したモンスターが暴れた際、もっとも有利に対処できる位置取りであることにも気づかず。ただ、信じて。
これらを気取らせないための班分けでもあった。
各所にいるリーダーたちの顔色は暗い。このことは住人のほとんども知らない。知っているのは、テスタードとリスティアと三区長、そして絶対に信頼が置けるほんの数人の子分だけだ。
統合式を発動したあとは、中央の大人たちがモンスター化して暴れ出すのを契機に各班長が戦闘と回避の指揮を執り、なし崩しに脱出と旅立ちを断行することになっている。
批判は起こるだろう。
ドームの全滅はいい。中央の大人たちの切り捨ても、状況を考えれば止む無しといずれは理解を得られるだろう。だが、仲間たちからも犠牲は出る。
もしかしたら運悪く恋仲の者も引き裂いてしまうかもしれない。
これから始まるつらく険しい旅のためには、最初のうちはそれらを強引に束ねてでも突き進まなければならないだろう。たとえ、自分たちがあれほど憎んだ王政と似姿になることだとしても。
彼ら三区画のリーダーは、テスタードだけにその責を負わせまいと、むしろ自分たちだけが責任の在り処になろうとしてくれているのだ。
やがて最後のメンバーの到着確認が終わり、あとは迎えを寄越したはずのリスティア一行を待つばかりとなっていた。
『チッ。おせーな……。あいつらなにやってんだ』
そろそろ焦れ始めたリーダーが毒づいて数秒して……路地から、送ったはずの子分たちが血相を変えて転がり込んできた。
『お前ら――』
『り、リーダー! ヤバいよ!』
子分たちだけ。リスティアの姿は、ない。
テスタードの胸中にざわりと不快な予感が競り上がる。
『どうした! 落ち着いて話せ。リスティアたちはどうした?』
『お、俺たち、アイツん家の連中が使う近道知ってたから……そっちからいったんだ! 途中ですれ違っちゃいけないからって思って。だからこれでもメチャクチャ急いできたんだ!』
『だから! 結果から言えやアホゥ! ドつくぞ!』
そして全力で走ってきたであろう彼らが唾を飲み込んでから、最悪な事態を口にする。
『そしたら、その道の途中で……死んでた! 殺されてたんだ、全員! リスティアだけいなかったんだよっ!!』
『なにぃっ!?』
『ッ!!』
『だから、絶対にこれヤバいって思って……リスティアがどうしたのか分かんなかったし探したかったけど、でもヤバそうだから真っ先にアニキたちに知らせなきゃってさぁ!』
『間違ってねぇ。お前らは最高の判断を――おい、テスタっ!?』
『俺が助ける! アンタらはここを頼む!』
それだけで、リーダーはテスタードの考えに至ったようだった。
『分かった! 手伝えることはあるか!?』
『俺は廃棄場に向かう! ――〝大人〟たちの確認を頼むっ! そこにリスティアがいたら――バレてもいい――信号弾を撃ってくれ! 助け出したら即座に統合式を実行する! あとは任せた!』
『分かった! かならずまた会おう!』
その声を背にテスタードは道を折れ曲がった。
テスタードは電撃的に脳裏で弾き出された状況を反芻する。
一家を殺した者がいる。その者がリスティアを連れ去った。〝脱出〟を目前に控えて結束したこの町でそのようなことが起こる可能性はふたつしかない。ひとつはなんらかの理由による大人たちの離反。もうひとつは〝ドーム〟だ。
いずれにせよ現在の町の状況からして連れ去られたリスティアの向かう先はたったのみっつしかない。
廃棄街区の地形はドームがある崖の下にこびりつくようにして広がっている。四方のうちひとつは行き止まり――廃棄場だ。
今、町の少年少女たちはこの廃棄場以外の三方に、大人たちを囲うように配置されている。
住人の集結までに町内で騒ぎが起こらなかったことから見て敵の数は少数。いかに精鋭であると仮定しても、足手まといを抱えた一家族を殺すことはできてもリスティアを連れた状態で集合した住人たちを相手取ることはできない。
だから、敵のゆく先は三通りしかない。
ひとつは町――〝壁〟の外。これは論外だ。
もうひとつは敵が中央の大人と仮定して、町の中心。
そしてもっとも可能性が高いのが、廃棄場だ。
だからリーダーには中央の確認を頼んだ。だいたい同じ速度で確認に向かった斥候が知らせてくれればテスタードはすぐに取って返して最速で事態を収拾できる。そうでないなら残るポイントはひとつしかない。もっとも遠いこちらへ最速で向かう。荒事や危機的状況に慣れたリーダーは彼と同じだけの速度で同じ想定を共有してくれた。
だからテスタードは全力で廃棄場を目指す。
敵が大人とドームのどちらだったとしても猶予はない。このタイミングで行動を起こされた理由にはこちらの保有している統合式以上の有力候補がないからだ。ただし、実行者であるテスタードではなく、すでに役割を終えたはずのリスティアをさらった理由が分からない点が不安材料ではあった。
いずれにせよリスティアを助け出したらその瞬間に抵抗を許さず作戦を実行に移すほかにない。その瞬間からドーム脱出が始まる。
テスタードたちふたりは町内において一時的に孤立することになる。中央の大人たちがモンスター化した中を、彼女を守りながら突っ切らなければならない。だが、やる――
徐々に廃棄場が近づいてきても、信号弾が上がる気配は一向になかった。
廃棄場が当たりだ。
テスタードは走る。だれもいなくなった町を。
慣れ親しんだ景色がぐんぐんとうしろに流れてゆく。土くれでできた家。灯火が落ちた町。それらと一緒に胸裏をすぎてゆくのは、この町に育まれた生活の日々だった。笑顔。涙。声。死んでいった者たち、今も自分の帰還を待っている者たち、自分が愛した者の顔――
リスティア。
彼女がいなければ自分はここから進めない。この手を取ってくれた。自分にだけ弱さを見せてくれた。上から睨め落とすのではなく。下から媚びへつらってくるのではなく。ただ隣に並んでくれた。
崖の下に投げ落とされて初めて分かった。王の下で暮らしていたころの自分の、どれほど空虚であったことか。そこに想い合う家族などいなかった。助け合う仲間などなかった。この町の住人が、仲間が――家族たちが、教えてくれたのだ。彼らを助けるために必要ならば自分は親でもなんでも切り捨てる。
だけど、リスティア。彼女だけはダメだ。彼女だけは捨てられない。
この先どれだけつらいことがあっても、隣に彼女さえいれば生きていける。
彼女とこれから見たい景色、見られるかもしれない未来。それを守るためならば、自分はこの恐ろしい世界全部が壁となって押し寄せてきても切り払って進んで見せる。連れていくと約束した。だからもう一度、その姿をこの肩の隣に感じさせてほしい――
廃棄場の入り口が近づいてくる。
ほぼ暗闇に溶け込んでいる廃材ブロックの山。そこから数人の人影が降り立って彼のゆく手を塞ぐ。
『死ね』
テスタードは初手からノーモーションで最凶の術式を解き放つ。一秒たりとてこの足を止めさせるつもりはない。
棄てられるより以前から密かに王の力を盗み見ながら開発し、今この時まで練磨し続けた式だ。王座継承のその時まで王が絶対者として独占する〝始祖〟の術にもひけを取らないと、天才テスタードが自負する撃滅の絶槍。
それは、妨害者のひとりが腰溜めに掲げた両腕によっていともあっさりと砕かれた。
『なにッ!?』
ここで初めてテスタードは足を止めた。
『王族クラスっ、か……!?』
必殺の術を防いだ人物はあっさりと言うには両腕をひしゃげさせて十数メートルの距離を押し込まれている凄惨な姿であったが、そもそもがそんなていどで済む代物ではないのだ。
間違いなく隙のない構成だった。力の総量なら現王にさえ迫る自分の一撃を、防いだ。認めるしかなかった。こんな、入り口にも達していない段階で。どう考えても足止めの捨て駒にすぎない木っ端要員だが、王族級の力を持っている。
それが、三体。
立ちはだかるそれらは、ひと言に異形だった。
獣のように前屈した体躯は異常な筋肉に盛り上がり、頭から足先までをぴっちりと黒い皮材で覆われている。頭部を覆うバイザーマスクは蟲の眼を思わせ口には生命維持装置を思わせる太いパイプが挿し込まれていた。ただでさえ筋肉が異常発達した身体の中にあって腕はさらに叩いて伸ばしたかのように野太く、そしてそんな腕部や肩、背、どころか明らかに脳に達している形で頭部にまで、奇妙な色合いの液体が詰まった巨大な試験管が打ち込まれている――
両腕を砕かれた異形体の肩に打ち込まれた試験管から恐ろしい速度で液体が注水されてゆく。
『ヴゥウーーーーーーーーッッ!!』
苦悶の絶叫を上げるくせに微動だにしないまま、ベキベキと音を立てて、そいつの両腕は完治した。
『ッ!』
テスタードは即座に命を棄てる決断を下す。ポシェットから両手につかめるだけつかんだ最高純度の魔術触媒を砕き散らした。
『崩壊しろ――!』
『!』
全身から、テスタードが膨れ上がったと錯覚するほどの、凄まじい量の〝邪黒色〟が噴きこぼれる。
次の瞬間にはテスタードは、今しがた回復した異形体の肩上に取りついて頭をわしづかみにしていた。空間転移。違う。相手との間にあった空間――いや世界存在そのものを丸ごと奪い取った。
強制的に掌握した存在情報はエントロピー・キーによって莫大純粋な〝力〟の〝素〟となりて、膨れ上がったテスタードの情報領域内を駆け巡る。
『グォアァッッ!!』
構成もなにもない。方向性だけを与えられたただのエネルギー塊が咆哮とともに投げ込まれて、異形体の頭部は爆散した。
『――』
『――』
そのころにはすでに残り二体が動き出している。
『ガァッ!!』
一直線でこちらに飛び込んできた異形の巨腕を片腕で受け止めながら、回り込んで狙い撃つ位置にいた異形に吼え猛って情報爆発そのものの式を叩き込む。
膨れ上がる圧倒的密度の情報構成をさばき切れずに異形の下半身が悲鳴もなく弾け飛んだ。そのままびちゃびちゃと音を立てながら両腕だけで迫ってくる。
時間はない。
『ぬうううううう!』
『――』
情報改変により跳ね上がった筋力で行なわれる壮絶な競り合いの裏側では嵐のごとき情報戦が繰り広げられていた。腕ごしに流し込まれてくる莫大な拘束系の式を片っ端から解体してゆく。
この町の住人どころかドーム民、貴族階級から見ても考えられない圧倒的な情報領域。まさにひとりひとりが王族級の力を持っていた。こんな化け物の集団とまともに張り合っても勝ち目はない。
現在のテスタードは端的に言えば命を燃やしている状態にある。
統合式の理論を構築する際に得た副産物。己の内に構築した架空の完全なる〝因子〟に対して自分の〝因子〟を活性。合一化を引き起こすことで〝本当の完全体〟に近い力を強制的に引き起こす。意図的な、半制御下にある暴走……モンスター化だ。
莫大な力を得る代わりにテスタードの存在情報面は恐ろしい速度でモンスターに近づいてゆく。途中で止めても元には戻らない。それでも止めずに引き返せない場所まで使い続ければこの肉体は一気に崩壊して巨大な力を持つだけの化け物に成り下がって、短い寿命の時まですべての破壊を始める。
『うお、あ、あ、あああああああ――――!!』
それまでに決着をつける。
異形どもは〝力〟だけは王族並だが情報構成の密度と繊細さにかけてはテスタードにはるか及ばない。対応へ至らないうちに圧倒的情報量で押し潰す。
目の前のコイツを押し切って爆散すればあとはうしろの半ひき肉を――あと少し――今――
『ッ――――!!』
その時、廃材の山の影から新手の異形体が顔を出す。ひとつ、ふたつ――六つ。奇怪な動きで飛び上がって着地を果たすそれらがこちらへ到達する前にテスタードは飛び退いていた。あと少しで倒せていた異形は競り合っていた腕のみを四散させるに留まっている。
『くっ……!』
八者に増えた異形から放たれてくる王族級の追尾機能つき攻撃魔術。転がり、打ち払い、吸収して、弾き返しているうちに、腕を失った異形も再生を完了していた。
『邪魔だッ!!』
焦燥の限界からブチ切れたテスタードはこの廃棄場のどこかにいるかもしれないリスティアを巻き込みかねないギリギリの出力で最大級の魔術構成を解き放つ。
地より噴き上がった無数の光の槍はあまりの巨大さゆえに津波と称した方がふさわしかった。異形どもの姿が呑み込まれ、町面積の半分を占める廃棄場の三分の一が蒸発してゆく。
『……はっ、ハァッ――――』
情報無視の結界の中、膨大な喪失感とともに膝へ手をつきながら、テスタードは荒れ狂う光のカーテンを睨み据える。情報崩壊までの時間はもう多くない。今ので何体倒せたのか。せめて手負いが二体までなら、充分に対処が――
『ぐガッ!』
いまだ消失していない光と破壊の檻を突き破って飛び出したのは身体が右半分だけになった異形。破れたマスクから露わになった大口の牙がテスタードの右腕をもぎ取っていった。
『く、そ……があああ!』
よろめいた振り向きざまに、着地もできず地に落ちていたそいつを粉々に分解する。
もう一体。今度はほぼ無傷だが全身が異常に膨張している。その内側にある情報構成も。自爆の式――
『ッ――――!!』
突進してきたそいつの頭部を残った左腕で受け止める。踏ん張りが利かない。足が滑る。瞬時に敵の全体情報を強制写植。キャプチャーした自爆関連の構成を情報領域の優位性にまかせて単純方式でかき消した。
しかしすでに発現していた情報崩壊分を整理し直した上で打ち消す余裕はまではなく、強引な介入式を割り込ませて強制的に意味消失情報へと変換。爆死は免れたが、瞬間的に発生した〝霧〟がテスタードの存在に亀裂を入れていった。
『く、そ――!?』
不発に終わった異形体がくずおれる。
噴き上がっていた光の波がたわみ、収束して、テスタードは目を見開く。そこには六体の異形体がいた。うち二体の姿が灰のように白化していて、崩れ散ってゆく。
二体の全情報領域を使い捨て――生贄――全ダメージの強制転嫁――無傷――残り異形体の数――――四体。
同時に飛びかかってくる。
構成の技量で及ばないことを察し、異形どももこちらへ直接情報を流し込む方針に切り替えている。
一番速かった正面の一体の腹へすれ違いざまで攻撃式を流し込んでやりすごし、次いで左手方向からの突進を受け止める。三体の攻撃式発動までの一秒弱以内でこいつを屠る――
『!!』
瞬間、組み合っていた左腕に伝わる衝突振。組んでいた異形体の背後に迫った異形の拳が、仲間の胴を貫いている。脳裏に先の光景が閃く。使い捨て。掌握された王族級の存在情報領域すべてが攻撃式となり、テスタードの内部へ――
『うおアアアアアアアアアッッ!!』
テスタードは己の全存在も押し込んで二体を爆散させた。情報経路であった左腕も破裂して砕け散る。
防御も捨てて全力を注いだテスタードに攻撃魔術が到達していた。腹を刺し貫かれ、左足を砕かれ、突進してきていた一体に組みつかれてもんどりうって倒れていた。さらにもう一体が飛びついてきて、圧倒的な巨体に前後を挟まれながらテスタードは吼え狂う。
『死ねえええええええええええ!!』
『――』
残った足で下にいる異形の胴を捕らえてありったけの式を流し込んでゆく。異形はこちらの肩をつかんで離さない。離さないまま、密閉スーツの内側でボコボコと泡立って崩れてゆく……
『おおおおおおおおおおおおおお――――っ…………!? 、カッ!?』
そこまでだった。
どす、と背中になにかが突き刺さる感触。テスタードの暴走式は砕け散り、情報領域が閉塞してゆく。テスタードは全身の力を消失させ、膨大な汗とよだれを垂れ流しながら、動かなくなっていた異形体の上に顔を埋めていた。
『か…………あ』
テスタードの襟首をつかみ、うしろに組みついていた異形が立ち上がる。
同時に、廃棄場のどこからともなく、何者かの声が降ってくる。
『にょーほほほ。捕まえマーシたか?』
ドーム。貴族。王族。だれのものでもない。知らない声だった。
『――』
『それじゃ、早く連れてきてくださーいネ? 主役がいなけりゃ始まらなイィイイイイじゃないのよ! お姫様もおめかしして待ちくたびれてイますよ?』
そして、テスタードは。
『――』
『主役! 主っやっくっ! が! やってっくっるっ! 早くっ! 終っわりのっ始まりィっ! にょーほほほ。よーーほほほほ……!』
開いた悪魔の口のように広がる廃棄場の闇の奥へと、引きずられていった。