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(1-08)

 うん。とうなづき、タウセン。


「……まあ、イガラッセ先生に関しては今までの特監生やその他の生徒との取引でも、これといった問題は起こしていない。先ほどの通り君がどの仕事をこなしてゆくかは自由だ……あの膨大な量の水晶水をなにに使っているのか。〝そこ〟にさえ踏み込まなければ大丈夫だろう」


「は、はい」


 タウセンの声音は、少しだけどこちらを気遣う風でもあった。なんだかんだで心配はしてくれているのかもしれない。


「それで、タウセン先生。今日はなんの用事だったんです」


「ああ、そうだった。また、上手くやれているかどうかを見にきたんだが……」


 もう一度、スフィールリアとフォルシイラのふたりを、じっくりと見比べる。


「ふーんだ。なんですか先生今さら? そんな心配してくれなくったって、ちゃんと上手くやってますよ。ね、フォルシイラっ」


 抱きつかれたフォルシイラがビクっと震えた。


「お、おう。この通りだぞ」


「……」


 タウセンは無言で、まだ見つめてきている。


「な、なんだ?」


 そして、ため息。


「……妖精を恐怖で支配したところで、いいことなんかひとつもないぞ」


「ぬがっ……!」


 先日は見てみぬ振りをしようとして今日のこの言いざまである。スフィールリアもカチンときた。


「だって、仕方ないじゃないですか……ちょっと強引でも、あたしにとってのデッドラインってもんを伝えておかなきゃどんどんエスカレートしてたし」


 むくれて言うスフィールリアに、タウセンはしかし、明確な返答を寄越すわけではなかった。


「……そのこと自体はいい。だが、本当に君と彼の関係がこのままなら、君は嫌でもこれから思い知ることになるだろう」


「……」


 スフィールリアは、むくれっ面のまま、なにも言わない。

 ――と言いつつも、タウセンにも実は分かっていた。彼女が彼の言葉の通り、フォルシイラを恐怖で支配するつもりでなにごとかをしたわけではないのだということは。

 だからこそここぞとばかりに食ってかかってくるのだろうと思っていたのだが……彼女は、なにも言ってこない。

 タウセンは覚えた違和感に「ここだな」というある種の確信を得ていた。


(昨日も思ったが、この子は妙なところで、突然、大人しくなるな。我慢強いのか、なんなのか)


 かといってあと数日は続くと予想していたフォルシイラとの関係の均衡は、こうしてあっさりと(そしておそらく思い切った手で)破ってしまっている。

 タウセンの本当の心配ごとは、彼女とフォルシイラの関係ではなく、彼女自身の内面についてだった。


 特監生は、その立場に至るまでの過去背景から、表面上からは分からない、様々な問題を抱えていることが多い――

 分からないからには、関係の浅い人間ではいざという時に力になってやれないということなのだ。

 それが〝帰還者〟という自らの出自に端を発しているであろうことは分かるが……。

 まだまだつかみきれていないなと、タウセンは自分自身に言い聞かせた。


「まあ、君なりに上手くやっていけそうだと言うのなら、わたしからもこれ以上言うことはない。なにか問題がありそうなら相談には乗るので言うように。いいね」


「……はぁい」


「そうだ。これも渡すつもりでやってきたんだった。――君の始業予定が決まったぞ。よかったな。学院長がかなりの無理を圧して、君の始業もほかの生徒と同じ日程に間に合うようになった。この書類に君が最初に受ける講義の行なわれる建物と部屋番号その他が書いてあるので目を通しておきなさい」


「えっ、ほんとですか!? やったぁ!」


「しっかりやるんだぞ」


 そう言って、タウセンはその場をあとにした。


「えっへへー、やったねー♪ うれしいなぁ。フィリアルディとも、ひょっとしたら会えるかも。あっ、タウセン先生の授業を受けることもあるのかなぁ」


「お前がアイツの授業を選択すれば受けることになるだろう。最初の講義でもたぶん説明あるけど、ここの授業は最初のころ以外は、基本的に全部選択制になってるからな。決めるのは全部お前だ」


「そっかぁ……ねぇ、フォルシイラ?」


「ん? なんだ?」


 フォルシイラは、なんの気なしとスフィールリアの顔を仰ぎ、


「ごめんね?」


「……」


 その、突然の謝辞に、閉口した。

 一瞬だが――彼女の表情が、なんだか泣き出しそうなようにも見えたからだった。

 その、表情が――


『おい娘、いったいどういうことだこら! 俺に、俺だけに、ここに残れだと……なんの冗談なんだよ!』


『わたしは、大切なものを探しにいかなくちゃいけないから。だからフォルシイラには、ここの子供たちを見守っていてあげてほしいの。……これからこの学院を訪れる、たくさんの、未来たちを』


『嫌だね。そんなもん、知ったことか! なにが〝黄金の可能性〟だ……そんなものあるわけない! 俺がお前以外の人間なんか認めるもんか! 人間なんか嫌いだ! 人間しかいないこんなとこに俺だけ残るなんてのも、ごめんだ! お前なんかも、もう大っ嫌いだ!』


『……ごめんね、フォルシイラ』


 ――あの時見た、表情に――


「っ……」


 ぶるんぶるんと頭を振って、フォルシイラは夢想を振り払った。


「……別に、気にしてるわけじゃない。俺もやりすぎたかもしれない……本当は、あんなに怒るつもりじゃなかった」


「……そっか」


「……うん」


「うんっ」


 最後にうなづく彼女の笑顔は、なぜかとてもうれしそうで――思い出の中にいる『彼女』も、きっとこんな風に許してくれるのではないかと思わせてくれた。


「じゃ、早速お風呂、入ろっか!」


「えっ」


 と情けない声を出すも、今度にスフィールリアが向けてきた笑顔は、本能的に凍りつかざるを得ない類の笑みだった。


「なんでも言うこと聞くって、言ったよね?」


「う、うう」


「さっ、いくよっ。このために二階より先にお風呂場掃除したんだから」


「ううう」


 スフィールリアに後足を持たれ、フォルシイラは。

 前足で立てた爪をカリカリと言わせながら、お風呂場まで引きずられていった。


「うーん、脂が厚すぎてほとんど泡が出ないなぁ。一番泡立ちがいいっていうの買ってきたのに」


「う~」


「一回流してもう一回洗おうね。はい、耳畳んでねー……ざっばーーん」


「うう~~」


 そして、最初の講義の日が、訪れる――



 春の十四日。

 スフィールリアは渡された書類に記された指示に従い、第十講義棟3-9教室の扉をくぐっていた。


(うわぁ……すごい人がたくさん。これ全部同級生で、おんなじ授業受けるのかな?)


 と、せいぜい人口百人にも満たない町から出てきたスフィールリアが驚くのも無理はないことだった。

 教室内は講師の上がる教壇を囲んで扇型の階段構造になっており、ずらっと並んだ木製机には、実に百名近くの生徒が居並んでいたのだ。

 故郷の町と同じだけの人数、年齢もさまざまな男子女子が講義前の時間にて、友人との談笑や、もしくは新しい友人作りのための話題作りに勤しんでいる。

 それでも、教室内のすべてを満たすには足りていない。

 本当にすごい学校にきたんだなとスフィールリアの胸に実感が灯ってくる。


「スフィールリアっ!」


「?」


 入り口付近でひたすらぽかーんとしていたところに突然名前を呼ばれ、ちょっとびっくりしたスフィールリアは、きょどきょどと左右を見回した。

 声の主は、そのどちらでもなく、正面から現れた。

 上品にウェーブした亜麻色の髪の毛をうれしそうに弾ませ、笑顔で駆け寄ってくる少女は――


「あ……! フィリアルディ!」

「スフィールリア!」


 もう一度名前を呼んで、彼女はすぐ前にたどり着いた。

 それほど長い距離を走ったわけではないだろうが、胸に手を当てて息をついて。


「よかった……今日、ひょっとしたらあなたがこないかって、ずっと探してたの。スフィールリア……」


「あ、そうなんだ? えへへ。名前も覚えててくれたんだね。うれしいなぁ」


 実際、知り合いと呼べる同級生がいないに等しかったスフィールリアなのでこうして真っ先に話しかけてくれる人物がいたのは本当にうれしかった。


「あっ……ご、ごめんなさい。まだほとんどお話もしてないのにファーストネームだなんてわたしってば。その、アーテルロウン……さん」


 しかしフィリアルディの方は彼女の言葉で真っ先にそのことを思いついたらしく、申し訳なさそうに目を伏せた。スフィールリアはからからと笑って、彼女の肩を叩いた。


「いいーっていいーってそんなのー。あたしの名前なんてそんな大したモンじゃないんだし! それに、名前で呼んでくれた方がうれしいよ。あたしもあなたのこと、フィリアルディって呼びたいもん。だめ?」


「……ううん。わたしも、そっちの方がうれしい」


「ほんとっ? あーよかったぁ。なんだかいろいろあったから、友達ってまだひとりもいなくてさびしかったんだぁ」


「わたしも……同じ地方からきた人がひとりもいなかったからひとりだったの。スフィールリアみたいな人と知り合えて、よかった」


「えへへ」


「ふふっ」


 照れ隠しに笑うと、そんな風に笑み返してくれる。それはまるで、春の野花のような笑顔だった。


「あたし、どこ座ればいいんだろ? フィリアルディのそばだったらいいなぁ」


「それなら、席はどこに座っても自由だよ。わたしの左がまだ空いてたから、あそこに――」


 と、自分の座っていた席を示そうと指を向けかけて……気がついた。

 いつの間にか、教室内が静まり返っていたことに。

 そして、そのほとんどの生徒たちが自分たちを注視していることに。


「え? ……えっ?」


 ひたすらおどおどしていると、ほど近くの生徒が教室後ろの扉に指を向けて、静寂の原因を知らせてくれた。

 その扉から半身を覗かせて、何度も手招きしながら呼びかけてきていた人物は……


「あ、学院長先生。どしたんですか?」


「スフィールリア。スフィールリア・アーテルロウンっ。おいでなさいっ」


 なんとフォマウセン学院長その人であった。

 そんな大人物に、名指しで呼ばれていたのだ。注目されない方がどうかしていた。


「ああ、はい、はい。すんません今いきます」


 が、今いちよく分かっていないスフィールリアは昨日の今日会ったノリのまま気楽にとてとてと駆け寄っていった。

 扉を出ると、見たことのある紙箱を抱えた学院長。そして、タウセン教師も付き添いで控えていた。


「ああ、間に合ってよかった。あなたに渡さなくてはならないものがあってね。つい先ほどできあがったから届けにきたのよ」


「え~。またですかぁ?」


 そ、また。と抱えていた紙箱を開けると――出てきたのは、またしても先日と同じ黒板(たしか、導宝玉板(どうほうぎょくばん)といったか)だった。


「またこれですか?」


「そう。といっても、今度は特注品なのよ。手を触れてごらんなさい?」


 スフィールリアは最初は若干嫌な顔をしたが、言われた通りに触れてみる。

 すると……


「あれ? 〝青〟だ……」


 その通り、本来の彼女の色であるはずの〝金〟は現れず、基礎色である〝青〟が現れたのだった。


「ああ、よかった。成功のようね。これであなたも、自分の〝色〟がバレないようビクビクしなくて済むでしょう?」


「あ、ありがとうございます」


「で、あなたに渡すのは計測用のではなく、正式な備品としてのこちらの方。これからの六年間ずっと使うことになるから、大切に扱うように。――で、学院生活の本格始動の前に、大切なお話があります」


 渡されたのは、先日もセットで目にした、スゴロクのようになっている方の導宝玉板だった。


「大切なお話?」


 そう。と、真面目な面持おももちでうなづく学院長。


「スフィールリア。あなたが〝帰還者〟であること……〝金〟の素質を持っていること。これらのことは、『本当に信頼できる友人』以外には決して明かさないように。そして、だれかに打ち明けた時は、かならず私たちに相談するように。かならず。約束なさい」


「……」


「すでにミスター・タウセンからも、本学院が普通の学校とは違うということの片鱗は聞かされているはず――あなたが持っているこの事実というのは、この場所においては、あなたが今まで恐れていたことよりも、もっともっと多くの困難をあなたにもたらしかねないの」


 スフィールリアが、今まで恐れていたこと――そのために負うことになった傷の数々。

 それはだれよりも彼女自身が分かっていることだった。

 だからスフィールリアは、一切の反駁もなく、無言でうなづいていた。


「……だから、この人となら、どんな困難も乗り越えられる――そう思えるお友達に出会えるまでは、あなたのことは一切の秘密。なにかあればわたしかミスター・タウセンが相談に乗るわ。あなたの顔は覚えさせておくので、いつでも学院長室にくるように。……昨日今日出会ったばかりで姉弟子だとか家族だとか気取るつもりはないけれど、よろしいこと? これでもわたしは、ヴィルグマインよりは親身になってやれるつもりですからね?」


「あははっ、そりゃきっとそうですよね。……はい、ありがとうございます」


 よろしい。とうなづき、学院長。スフィールリアの肩をくるりと回して、教室へ向け、


「それじゃ、頑張りなさいなっ。これがまだなにものでもないあなたの第一歩っ!」


「はいっ」


 ポンとひと押しして、教室へ戻ってゆく彼女の背を見送ったのだった。




「さぁ、これですべてのお膳立ては整ったわけで……あの子たちがこれからどんな成長を見せてくれるのか、楽しみではありませんか、ミスター・タウセン?」


「楽しみではありません。これからどんな面倒ごとを起こしてくれるのかを想像するだけで頭痛がしますね」


「あら、まあ」


「……だいいち、よろしかったのですか? スフィールリア・アーテルロウンをあの教室に割り当ててしまって。あの教室には……」


「それもまた、一興ではないかしら? 〝似たもの同士〟、どんな化合を見せてくれるのか楽しみです」


「やはりですか……知りませんよ、わたしは……」


 そう言いつつタウセンは、置き去りにしてきた心配事を振り返るように、ため息とともにつぶやきをもらしていた。


「〝金〟と〝黒〟の少女たち、か……」



 スフィールリアが教室に戻ると、先ほどの静寂とはまた違った意味で熱のこもった注目が、彼女に向けられることとなった。

 ざわ……

 ざわ、ざわ……


 ――あの子、だれ? 学院長が直々に教室に出向いて、話しかけられるなんて。

 ――なんか、すっげぇ親しげだったよな……信じらんね。

 ――あたしあの子知ってるかも。入学式の日に綴導術使って不良を追っ払ったって……教師クラスの……

 ――この教室ヤバいんじゃないのか? フィルディーマイリーズ家の秘蔵っ子もいるんだぞ……


 といった具合である。

 さきほどよりもずっと騒がしいのに、そのどれを取ってもスフィールリアを向いているのだ。

 はっきり言って、重い。


「う、うう……なんなのよぅ」


「あ、あのね、スフィールリア。学院長って、わたしたちからすると雲の上の人で――」


「それは学院長ともあろうお方が、直々に教室に出向いてまでお声をかける新入生なんてものが通常あり得ないからですことよ。もう少し、ご自分のお立場を自覚なすった方がよろしいのではなくて?」


 ざわ……!

 ――いったぁーー~、さっそくフィルディーマイリーズ家の秘蔵っ子……!


「?」


 フィリアルディの背後から聞こえてきた声に、疑問符とともに覗き込む。


「あっ、こないだのお人形みたいなコ!」


「あなたには言われたくありませんわね」


 スフィールリアの突然の不躾な言葉に仏頂面を返したのは、アリーゼルだった。


「どうやら、退学の危機は無事に乗り越えたようですわね。ご入学おめでとうございます、と言わせていただきますわ」


次に彼女が見せた笑顔は試すようなものだったが、当のスフィールリアは暢気なものだった。


「ああ、うん。なんとかね、えへへ……。え~っと――」


「アリーゼル・フォア・フィルディーマイリーズ、ですわ。よろしければ以後お見知りおきくださいませ」


「おおっ。お嬢様っぽい! あと、こないだはありがとねっ」


「? なにがですの?」


「だって、あなたもフィリアルディのこと助けようとしてくれてたでしょ? あの時は気がつかなかったけど、あとになって気がついたの。だから」


 まったく分からないというように首を傾げていたアリーゼルだったが、スフィールリアの言葉を聞くと、頬を少しばかり染めながらそっぽを向いた。


「……ですから別に、わたくしは王都七柱の一家であるフィルディーマイリーズ家の一員としてなすべきだと思うことをしようとしただけですわ。わたくしが直接なにかしたわけではありませんし。まったく……そろいもそろってお人よしさんですのね」


「あっ照れてんの? かぁーいいねっ。好きな食べ物なに? 貴族様なんだ? アリーゼルって呼んでもいい? でもなんであたしが退学になりかけたの知ってるの? あ、何歳?」


「そんなにいっぺんに言われても分かりませんわよっ!」


 ぱっと回り込んで畳みかけてくるスフィールリアの勢いに照れ隠しすらままならないのだった。

 顔を真っ赤にして突っぱねるアリーゼルの様子は普段の貴族然とした物腰が引っぱがされて、歳相応のものになっていた。

 そんなふたりのやり取りを見て、フィリアルディは、くすりと笑う。

 大声を出してから周囲の注目に気がついたアリーゼル。後ろ手に髪を整え、呼吸も落ち着け、吸った息の次にはすらすらと答え始めた。


「おっしゃる通り、一応、当家はディングレイズ王家より貴族の位を授かっておりますわ。好きな食べ物? ……なんの意味があるのか存じませんが、常食ならまあ、お肉料理など好きですわね、特に煮込み料理など。嗜好品という意味でしたら城下西区<パルッツェンド>一号店のケーキ、特にチーズケーキなどが絶品ですわね。アリーゼルと呼称してよいかどうかについて、構いませんわ、ご自由にどうぞ。あなたの事情を知る理由については、まあ、事情を聴取される際に先生方からうかがったということで。十四歳ですわ」


「おお~~」


 スフィールリアは、ぱちぱちと拍手を送った。


「でも、パンツの色が抜けてるよ?」


「聞かれていませんわよっ! セクハラですの!?」


「えへ。引っかからなかったか~」


「どんな目的でなんの意味があって引っかけるおつもりなんですの……! ていうか引っかかっても答えませんわよ!」


「青かな? 色のコーデ的に」


「違いますっ。推・理・を・始・め・な・い・で・く・だ・さ・い・ま・し……!」


 ――お嬢様の今日のパンティの色は青以外。メモメモ……。

 ――は~、夢が広がるなぁ~。

 ざわざわ……。


「~~~っ」


 早くもファンを獲得しつつあるらしいことがうかがえるざわめきに、アリーゼルは顔を真っ赤にして両腕をぷるぷると震えさせた。


「かわいいなぁ……」


 そんな彼女を見てスフィールリアも、性別が逆だったら一転して危険なつぶやきを漏らしながら、ほんわか表情を和ませている。

 アリーゼルは観念したようにぐったりとして、ため息をついた。


「はぁ……なんだかもう、いろいろどーでもよくなってきました」


「ごめん」


 一度ジロリと見やってから、アリーゼル。気を取り直したらしく、澄ました表情に戻り、言ってきた。


「まあともかく。無事に始業までこぎつけたと言っても気をお抜きにならないことですわね、これからが本当の試練なのですわよ――退学の危機も乗り越えたというのなら、ここが対等なスタート地点でもあるわけですし」


「えーっと……うん?」


 よく分からないような顔を返すスフィールリアに、アリーゼルはくすりと涼しく、余裕のある微笑みを送った。


「退屈させないでくださればよろしいのです、ということですわ」


「退屈なの? 遊ぶ?」


「それを伝えたかったんですの。ではわたくしはこれにて。おふたりも先生がいらっしゃる前に自分の席を確保した方がよろしいですわよ」


 まったく取り合わず、まさに伝えることを伝えるだけ伝えたといった風に、アリーゼルは一方的に打ち切って自分の席へと戻っていった。


「なんだったんだろ? ……はっ! ひょっとして貴族様だからあたしの態度が失礼だったとか。どど、どうしよっかフィリアルディっ。あたし明日には湖に浮かんでるかも。樽とかに詰められてっ」


 それはどうだろうかとあいまいに笑いつつフィリアルディは、人間を湖や海に浮かべる(というか沈める)のは違う類の人種であるということは指摘しないでおいた。

 ついでに、アリーゼルがスフィールリア退学の危機に、なんらかの救援の一手を差し挟んだのだということも。


 寮に入り、フィリアルディもアリーゼルに関するいくつかの情報を手に入れていた。

 彼女はきっと、ライバルが欲しいのだ。

 綴導術師の名家に生まれ。幼いころから英才教育を受け。家の名に恥じぬ非凡な才を開花させて、この<アカデミー>に飛び越しで進学してきた。

 そんな彼女につきまとう憶測や噂は、たとえ貴族の身分を使うことなく一般生徒として入学したとしても、尽きることはないのだろう。

 だから、願った。

 競争心に駆られた敵愾も、嫉妬にまみれた噂話も、全部全部を正面から受け止めてなお爽快に吹き飛ばしてしまえるような――そんな競争ができる好敵手の存在を。


(きっとなれるよ。スフィールリアなら)


 密かに高鳴る胸へそっと手をそえ、フィリアルディは微笑む。

 この子と一緒にいると、なんだかわけもなく元気が沸いてくるような気がする。

 この子ならきっと学院のだれもが思わなかったようなすごいことや、面白いことだって見せてくれそうな気がする。そのことを十何年も前から知っていたような――そんな気にさせてくれる。

 だからフィリアルディはスフィールリアを応援してゆこうと決めた。


 自分の目的だって忘れてはいない。自分をここまで送り出してくれた両親や兄妹に報いるためにも、知識と技術を身につけ、立派な綴導術士になって村へ帰るのだ。

 そのためにも有望株なスフィールリアの傍にいることは、きっと、とてもすばらしい刺激になるに違いない。


(それにスフィールリアって思い込んだり頑張りすぎちゃうところがあるみたいだし、わたしがブレーキになってあげなくちゃいけないよね)


「? どしたのフィリアルディにやにやしちゃって? ……はっ。まさかフィリアルディ……アリーゼルとふたりで共謀して……あたしを……!?」


「ぷっ。違うよ」


「ほんとう? 嘘ついてる人間は嘘でも本当って言うって師匠が言ってたから本当って言っても分かるよ?」


「はいはい。もうすぐ先生きそうだから席に着いちゃおうね。こっちだよ」


 やんわりスフィールリアの肩を押して席へ誘導するフィリアルディ。ほどなくして初日の講義を受け持つ教師が現れて、どこか別棟から瀟洒な鐘の音が響き、始業の刻を告げた。

 講師の簡素な自己紹介と挨拶ののちに開かれた初日の講義の内容は、主に歴史になぞらえた綴導術の起こりと理念について。

 これからすごす六年間の学業の大ざっぱな階梯の内容、基本的な講義のシステム。そして学院の基本構造や、その内部で運営される、まず新入生が関わりそうなさまざまなシステムなど……そういった基本事項の説明会という色合いが深かった。



「さあ、では早速最初の講義ですが――皆さんにはまず〝綴導術の起こり〟……綴導術というものがなぜ、なんのために在るのか。そのことを理解してもらいたいと思います」


 肝心な講義の内容だが、それ自体はスフィールリアを始めとして、大多数の新入生たちも承知済みな内容が過半を占めていた。

 それもそのはずで、この<アカデミー>を目指してきたということは、だれしも少なからずは綴導術についての基礎知識を身につけているからだ。実際に現役の綴導術士に師事していた者も珍しくはない。


 とはいえ個々人それぞれの苦労を乗り越えてようやくやってきた憧れの<アカデミー>、最初の授業である。

 志も新たとすべく、全員が講師の言葉に耳を傾けていた。


「綴導術――世界の根源に働きかけ、その様相、物質の形相を紡ぎ導いてゆくこの秘術が体系化され、世に広められ始めたのは、今からおよそ1200年前。〝偉大なる始祖〟フィースミール様によることだとされています」


 知った名前が出てきて、スフィールリアの表情にも緊張が宿る。

 1200年という数字にも驚いたが、同時に「ああやっぱり」という納得もあった。

 というのも、スフィールリアは師であるヴィルグマインからしてが人間のケタを外れたとんでもない高齢であることを知っているからだった。

 ――この学院はね、スフィールリア。フィースミール師が立ち上げた学び舎なの。

 ――わたしがそれを引き継いだのはかれこれ百年ほど前のことだけれどもね……。


(……)


 綴導術士とは、世界を構築する根源たる情報へと働きかけることができる人間である。

 そうであるならば、〝ニンゲン〟という生物の在り方――それどころか〝生命〟〝魂〟と呼ぶべきものの情報にも手を加えることができるということなのだ。

 いつか、彼女の師はこう語った。

 巨大な力を持つ綴導術士は、その力を行使するたび、力(術)の構成を精緻にしてゆくたび、その存在を<アーキ・スフィア>へと近づけてゆくのだ、と。

 それは、自身の存在を肉もつ〝生物〟から純粋な〝情報生命〟へと置換してゆくということ。

 自らが〝自覚する<アーキ・スフィア>の一部〟となり、自らの情報を自ら作り出し循環させる。

<アーキ・スフィア>が〝在る〟限り、自身もまた存在し続ける――


 1200年。人は生き、そして死ぬ。彼女はどうだったのだろうか? 膨れ上がり、研ぎ澄まされていった結果、不死とも思える存在にまで純化した、暖かくも心優しい綴導術士は。

 1200年。友が親となりその孫もが老いて逝く。王国が変わり、文明が変わり、言葉も変わり、地形もが変わってゆく様を眺めながら……なにを思っていただろうか? なにを目指していたのだろうか?

 その〝道〟の途中で、自分と出会ったのだろうか?


(あなたの起源は〝ここ〟にある……)


 学院長の言葉が嘘などではなかったことを彼女は知る。

 フィースミールが学院の祖であったこと、ではない。

 自分が、〝彼女〟に救い出されてここにいる〝スフィールリアという個〟が、なぜ今在るのか。そのことをずっとずっと疑問に思い追い続けていたことに、である。

 からっぽの自分――

 だれにも知られず、〝なかったこと〟になっていたかもしれない自分――


(あたしは、あなたのことが知りたい……)


 夢より淡く朦朧と。恋よりも強く、陶然と。

 広大な教室と多くの級友のただ中にあり、霞の海をひとり歩くような心地で、スフィールリアは引き続いて講師の紡ぐ声に耳を傾けた。

 それは、神話。

 それは、物語だった。




 かつてこの世界には〝魔術士〟と呼ばれる、人知を超えた力を操る人間たちがいた。

 彼らは綴導術士たちと根元は〝同じ〟存在と言えたかもしれない。

 ただ彼らが綴導術士と違ったのは、綴導術士らが蒼導脈に触れて新たなる物質のカタチを紡ぎ導いてゆくのに対して、彼らは物質の在りようを強引に崩して変容させる。また、物質をエネルギーへと換え、破壊や動力へと用いるという点だった。


 物質の形相を崩壊させて得られる莫大なエネルギーは、人類が持てる文明の栄華を、極致と言える段階まで押し上げたという。

 物質の正しい姿を捻じ曲げてまで作り出された新しい素材は、天にまで届く尖塔をいくつも――地平の見渡す果てまで埋め尽くすほど建造することを可能とした。

 そのひとつひとつの内部には数千万もの人々が暮らし、雨にも嵐にも脅かされない安全で豊かな日々が約束されていた。昼にも負けぬ灯火が常に満たされ、夜の闇と寒さに怯えずにすむ世界が約束されていた。


 天候さえもが人為的に作り出された。

 春に芽吹く菜も、夏に溢れる果実も、秋に恵みこぼされる種も、冬を生き延びる草であっても、一年なん時だろうと収穫ができた。

 距離が克服され、ほとんどの病が克服され、痛みが克服され、老いさえ克服されようとしていたのだ。


 ――この大地のほとんどに〝ヒト〟は満ち満ちていたのだという。

この大地にすら収まり切れず、天をも貫き渡す塔を創り出して、さらに〝その先〟にある大地にまで住処を求めるほどに。

 人々は、魔術士たちは、思っただろう。

 冬を下した。夜を下した。

 老いを下した。病を下した。

 距離すらも我らを妨げる壁になぞなりはしない。どこにでもいける。どこにだって存在できる。

 自分たちは〝神〟の座を約束された種族なのだと。

 しかし、それら人造の恵みのすべては、ほかの〝なにか〟を犠牲にした末に得られる代替物でしかなかった。


「そして、世界は崩壊しました」


 ――〝霧〟

 今ではただそう呼ばれる、その存在によって。


「〝霧〟を知らない人はこの中にはいないでしょう。ですが聞いてもらいます。それこそが、わたしたち綴導術士が背負うべき使命のひとつなのですから。

〝霧〟の発祥について――いったいいつ発生し、どこから広がり始めたのか。これについてはなにも分かっていません。理由のひとつには当時の〝彼ら〟の文明末期の情報が皆無に等しいことが挙げられます。

〝彼ら〟がその存在の可能性を予見し、戦争のための〝兵器〟として人為的に発生させたのか。あるいは〝霧〟の発生により〝彼ら〟の文明もまた疲弊退行し、失った力を取り戻すための略奪戦争として戦争が起こったのか……。

 研究の界隈では後者であろうというのが主勢を占めますが、実際のところそれを裏づける根拠とできる痕跡は、今日に至っても、なにひとつとして発見されてはいません。

 いずれにせよ、〝彼ら〟は互いに争った。

 世界を引き裂くほどの争いの中、疲弊し……〝霧〟の中に姿を消したのです。

〝彼ら〟も〝霧〟を退けることはできなかったのです。退ける術を持たないがために問題を置き去りにするしかなかった……最後に、滅んだ。

〝霧〟のよりどころとする原理と法則については、現在最新の綴導術理論を以ってしても未だに分かっていません。〝霧〟の持つ性質が、綴導術とも、この世界のあらゆる法則に対しても、あまりに異質すぎるためです。

 では〝霧〟とはなにか。

 それは、それこそ理論もなににも頼らない表現をするなら――

〝霧〟とは――世界を消すものなのです」


〝霧〟は、すべてを消し去る。

 そこに存在する草木や建物、生き物も…だけではなく。

 空気も、温度も、重さも、方向も、光さえも。

 果てには、そこにあったはずの思い出や記憶、記録……〝歴史〟と言うべきものまでもが、〝世界〟から消えうせる。


『なかったこと』になる。

 どこからともなく漂い、たゆたい……〝霧〟に包まれた世界はやがて、自らを忘れるように消えてゆくのだ。

 そう。極寒の地に迷い込んだ旅人に訪れる、眠りのように。

 消えてしまったものがどこへゆくのか、どのような形になるのか。

 そして、〝霧〟がどのようにして存在を『消して』いるのか。


 それはだれにも分からない。

〝霧〟が世界を消すの一切のプロセスへアクセスができないためである。

 観測しようにも、物質が消失する際の一切の反応が得られない。そもそも〝霧〟そのものを採取して解析を行おうとしても、〝霧〟自体から得られるデータがまったくない。

 その存在を裏づける一切の値が得られない。


〝無〟いのだ。

 ないものを観測することはできない。〝無〟というのは、綴導術士たちにとってすら、それこそ〝存在しない〟ものなのだった。


「〝無〟とはなにか。

 それは哲学、または神的な〝絶対無〟と呼ぶべき純粋概念などではなく、本来わたしたちにとっては物質が〝有る状態〟に対する対義語としての便宜的な定義にすぎません。

 真空の状態にあってもインフレーションの揺らぎによって、この便宜的な〝無〟は〝有〟へと転じるからです。

 しかし〝霧〟は違う。

〝霧〟は最終的には重力や色、空間――〝時空〟をも消去してしまう。これでは三次元世界に住む我々にとっての〝有〟と〝無〟の、双方もが消えてしまっていることになる。

 ではこの場合の〝消える〟とは、なんなのか? 便宜的な〝無〟ですらない、〝霧〟のもたらす〝無〟とはなにか?

 フィースミール師は、結論づけました。

 ――<アーキ・スフィア>の消滅。

<アーキ・スフィア>の情報を強引に捻じ曲げて自らの望む形相・様相を求めた魔術士たちの技は、<アーキ・スフィア>の消滅を招いたのです。

 在るべきでない形に姿を捻じ曲げられた情報たちは、その強引な変性のプロセスにおいてそぎ落とされた情報の〝断片化〟を起こしていたのです。

 本来であれば〝断片化〟された塵のような情報はゆっくりと他系の世界構成情報クラスターへと吸収され、世界構築の一部へと還ってゆくはずだった。

 しかし惑星を埋め尽くすほどの文明の過渡期に無尽蔵と振るわれた魔術によって発生した断片化現象は、他系への吸収の許容枠を超えて、無意味化した塵同士の独立したクラスターの形成へとつながったのだと。

 それらひとつひとつは他の情報素子との結びつきを持たないがために、次に無意味系クラスタに起こったのが――〝意味消失〟でした。

<アーキ・スフィア>総体における循環を失った断片たちの、それが末路だったのです。

<アーキ・スフィア>そのものに、〝消失〟という概念が生じたのです。

〝霧〟とは<アーキ・スフィア>に空いた〝空隙〟にすぎないのであると。

 それがフィースミール師の出した〝霧〟発生の結論でした。

 この空隙である〝霧〟の上に重なったあらゆる事物・事象は、底なし沼を踏んだ鹿のように飲み込まれて、消えてしまう。

 そう。この世界に住む我々の前には本来現れないはずの〝絶対無〟とも思えるものが、我々の前に現れたのです」


「……」


 講師の声以外、教室内は静まり返っている。

 スライド式の二面黒板にはすでに語る口のままに講師の書きつけた用語や数式の羅列で埋め尽くされ、それらすべてを理解できている者もいれば、半分も理解できていない者もいた。

 しかし、だれもが理解していることはあった。


「この〝霧〟の発生と進行を食い止める。……綴導術とは、そのために存在しているのです」


 多くの生徒が重苦しい表情でうなづく。

 彼らの目には教師の書きつけたひときわ大きな字面が浮かんでいる。

 E・F・M。エンハンス・フォームド・マテリアル。E・F・ロジック。


「〝霧〟の発生を突き止めたフィースミール師が踏み込んだ『もう一歩』がここにあります。綴導術によって<アーキ・スフィア>の面から〝より強い情報〟を持った物質を生成する。従来よりも強く、それでいて正しき物質の編成を紡ぎ出し再び<アーキ・スフィア>内への循環へと還すことにより、〝霧〟に侵食され続ける<アーキ・スフィア>の保全とする。

 それこそが、綴導術の使命」


 それこそが、綴導術の持つ〝もうひとつの顔〟だった。

 彼らの作り出す物品・素材は余人では作り出せない特別な性質が持たされる。だからこそ彼らのもたらすアイテムの数々は世界中の需要を呼ぶ。

 しかし、彼らがそうした特別な生産活動を行うのは『だからこそ』という理由があったのだ。


「かつて世界を崩壊へと導いてしまった先人たちと同じ力を持つわたしたちの、それこそが役割なのです」


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