(3-22)
また、一年がすぎてゆく。
駆け足に。ひとつ、ひとつ、消えてゆく灯火を、大切に抱きかかえるように――
『そういうわけで、これからのリスティアにはこの統合モデルに沿った範囲で〝因子〟の吸収を使ってもらうことになる。ほかの発作や看取りに関しては……俺の中和式を使う。まだ今際の苦痛に関してはリスティアには及ばないが……かならず完成させてみせる。残り時間がもっとも短い諸兄には思うところもあるかもしれないが、どうか、承服してほしい』
『まぁ、それはいいぜ。我が一区は承諾する。それでリスティアの負担は減るんだよな?』
『いや。むしろ最初のうちは頻度も跳ね上がると思う。今までは避けていた中規模の発作症状にも手を出すことになる。……すまない』
『むぅ……』
『その代わり、リスティアに取ってもらった変性〝邪黒色〟情報子は、彼女のデータが書き換えられる前、つまり彼女に固着する前に俺が統合モデルに固定する。計画が軌道に乗ればリスティアの症状進行は止まるし、間違いなく負担は軽減される』
『その、統合モデルに彼女の情報を移動させるために、お前と彼女がモデルを共有するんだろう? 危険じゃないのか? その……リスティアとあんた、両方』
『ぶっちゃけ、リスクはある。臓器をひとつ共有するようなものだからな』
『リスティアは、それでいいのか?』
『はい』
『二区も承諾だ。長老に言い渡されたあの日から俺たちの下駄はあんたに預けたんだからな』
『三区もだ。全会一致だな』
『感謝する』
『……てったぁおにーちゃんはねー、りすてぃー様がほかのりーだーたちに〝ちゅー〟するのがいやなんだよね!』
『はっ?』
『えっ?』
『だっておにーちゃんたち前あつまったとき話してたもん! じゅみょーがきた順で〝やくとく〟で〝うらみっこなし〟なんだって! みんなひそかに〝あこがれてて〟〝ねらってる〟だから〝にらみきかせる〟のがたいへ――――むぐむむ!!』
『ばっ……こらっ! いやいやいや! 違うんだって! ほ、ほら年寄り連中集まるとつい暗い話になるからさぁ! これはその時のちょっとした冗談みたいなもんで!』
『そうそうそう。そうそうそう。まじめな話、前からそういうのどうなんだって議題には上がってたんだよ! だからリスティアはだれのものでもない、往生建前に使ってそーいうことさせるのはやめようって〝協定〟作ってたんだ! なっ? リスティアなっ?』
『睨む。全会一致で睨む』
『……』
『……』
『リスティア!?』
『っ……』
『発作が……増えてるのか? ……いつからだ。なんで言わなかった』
『あ、あは……みんなには言わないで……ください。言ったらみんな、わたしに、頼れなくなるっ――から!』
『……準備できた。実行するぞ。できるだけ深く息してろ』
『それ、は…………テスタード様の』
『さすがに町の物資状況もある。これからは俺の個人分の触媒を、半分君に使う』
『でも……』
『でもじゃない。つらいなら言えよ。俺たちだってあんたにおんぶに抱っこされるだけのヤワじゃない。それぐらい分かるだろ』
『でも、わたしは……』
『……』
『わたしは。みんなの希望、だから……』
『……じゃあ、今度からは俺だけには言ってくれ――いや。言え。かならずだ。発作の時だけじゃない。苦しい時、つらい時。悩みとかも。ちゃんと言え。全部聞いてやる。とにかくなんとかしてやる。俺は天才だからな』
『……』
『俺の触媒半分もやるんだ。そんぐらいの報酬は支払えよ』
『テスタード、様』
『ああ』
『苦しい、です』
『見れば分かる。見たからな』
『つらい、です。怖い、です。他人の痛みが、自分の中に流れ込んで――流し込み続けて。自分を壊し続けてるみたいで。壊れていく自分を眺めてるみたいで――』
『……』
『――怖い、です』
『かならず俺がすべて解決してみせる。それまでの辛抱だ。……だからこれからは、ひとりで潰れるようなことは、するな。だれにも言えないと思ったら俺に言え……いいな』
『……はい』
『雪が続くなぁ! 暑いったらねぇよ!』
『稼ぎ時稼ぎ時!』
『テスタ様みてみて、こんなにとった!』
『おれの方がおおいんだぜ!!』
『お前ら調子乗りすぎんなぁ! どーせ〝ライン〟に乗せて分配すんだからなぁ! 寿命縮めても取り分は増えねーぞッ!』
『ジャンジャン作って〝上〟からかっぱいでやんぞぉ!』
『ウェーーイ!!』
『〝恵みの雪〟……ですね』
『……ああ』
『ちょっと前まで、あんなに〝怖いもの〟で、静かだったのに。テスタード様が、変えてくれたんですよ』
『いや……俺は。自分のことで精一杯で。全部そのためで』
『みんな、よろこんでるじゃないですか。テスタード様は立派な人です』
『……』
『よかった。テスタード様に出会えて』
『俺も。……そうだと、思う』
『ずいぶん育ちましたね』
『ああ。もうすぐだ。もう少しで、みんな助かる』
『テスタード様も、王宮に帰れますね』
『テスタード様?』
『……』
『……いや、なんでもない。いこう』
『なぁテスタード。お前とはいろいろあったけどさ、感謝してるよ、俺たち』
『個人の枠を超えて、区域を統括して行なう生産ライン。区域ごとに一括した役割を分担して全区でひとつになるシステム……初めはなに言い出すんだって思ったが』
『研究に必要だったんだ。町にある全物質のクオリティを底上げした上で、こっちに集中して回してほしかった。……それだけだよ』
『それでも、だ』
『最初は大変だったけどなぁ。ラインの役割に応じた報酬制。そいつを納得させるにゃ多少力ずくでも睨みきかせるしかなかったし。今でも大変だけど』
『だけど廃棄場の縄張り争いも物資の取り合いもなくなったよね。きっと三区の先代が一番よろこんでると思う。あたしも感謝してる』
『ドームじゃ作れない物資も出てきたおかげで今まで以上に上との取引も上手くいってる。もう俺たちのこと無視できなくなってんだ。ははっ!』
『――俺たち、こんなことできたんだなぁ』
『えへへ……』
『たぶん、この中で俺が一番早く死ぬ』
『……』
『後釜はお前にいたく入れ込んでる。まぁ、安心してこき使ってやってくれよ』
『死なせない。その前にすべて片づけてやるさ』
『頼もしいな。……さ、しみったれた話はナシだ。食ってくれ! なんと野菜に〝色〟がある! 灰色使用率ゼロ! こんな料理きっと〝上〟でも出せないぜ! 王子様もびっくりに違いない』
『ああ、美味いよ……世界で一番美味い』
『研究日誌――日目――』
『テスタっ! エリーのやつが憲兵に! あのアマついにドームの工場に手ぇつけやがった!』
『捕まったのか!』
『逆だ! 取り押さえにきた憲兵の身包みかっぱいで今こっちに向かってきてる! お前に捧げるとか言ってんだ! この研究所はもうだめだ! 今すぐ隠れないとお前の正体が上に――』
『くそっ……あの女っ…………!』
『知ってるか? なんか、最近〝外〟からここまでたどり着いた集団がいるんだって』
『〝外〟から? よく生きてこられたな』
『ああ。〝上〟から〝落とされて〟きた大人が言ってたんだ。なんかキナくさいらしい。王室に取り入ってるらしくて、黒奇病の新しい政策とか言って、かなりの強権を振りかざす準備が進んでるとか』
『王室が……』
『黒奇病の発症率もかなり増えてきてる。投げ落とされてくる死体の量、見たろ』
『このこと、テスタには……?』
『…………』
『――誌――日目。統合モデルの構築は順調。しかし知れば知るほどに、疑念が――』
『俺は――なにを呼び出そうとしている――? 黒奇病は根絶できる。だがしかし――その果てにあるものは――――この値は、おそらく――――』
『――――本当にこのままで…………いいのか…………?』
『っ………………』
『……〝大人〟たち、増えてきてんわよね』
『ああ』
『〝上〟の〝因子狩り〟とかいうのが激化してきてるんだとよ。バカだよな、なんにも知らねぇくせに。ちょっと体調壊したヤツから疑って、告発されたら〝下〟にポイだぜ』
『こっちの苦労も考えろってんだ。食料増やしやがれ』
『無理だろ。食い扶持減った分を自分たちで食ってんだからな』
『いや、実際問題そんなこと言ってる場合じゃなくなってきてるんだぞ。その、なんだ。意識の差とかがな……』
『実際は発症してないわけだからね……』
『新参な上、〝上〟にいたころの差別意識がまんま残ってるからな。ウチも住居や距離に関する主張とかが……』
『壁の外に叩き出しちまえよ!』
『あたしの弟分、布を分けてあげようとしたら叩かれたんだよ!? だったら勝手に干からびればいいじゃん!!』
『全員がそうってわけじゃない。発症の違いはあるとはいえ、同じ境遇にハメられた者同士なんだ。ラインにも汚染されてない人手は欲しい。考えないとな』
『ラインか……せっかく軌道に乗り始めたのに。このまま増えたら、支えきれるのかな?』
『頭いてぇな……』
『……』
『――テスタードきてくれ! 戦力が必要だ!』
『女子供が大人たちに襲われた! 間に入ったリスティアが連れていかれて!』
『……! どこだッ!!』
『やっぱもう無理だ。急いで第四区の草案を――』
『でも実際どうするの。このまま分散させておくのか。それとも大人だけ寄せ集めるのか』
『あり得ない。ただでさえ子供は大人に従え、発症者は健常者に奉仕しろだの散々権利を主張してきてるんだ。お互いの感情もパンパンだし、今ここで大人だけ寄せ集めたら団結して蜂起してくるぞ。ドームの下にドームがもう一個できるだけだ。また昔に逆戻りする』
『だが、それじゃ区を増やすだけで現状は変わらないわけだろう? リーダー候補は何人かいるけどやっぱり押し出しが今まで以上に強いヤツじゃないと……それだったら俺たち三区で囲んで睨みきかせた方が』
『だから、あり得ない! あいつらリスティアを渡せって言ってきてるんでしょ!? リスティアを独占して自分たちの子供生ませて能力を量産するって! そんな根拠どこにもないのに! 今まで何回危ない場面があったと思ってんの!? これであいつらのテリトリーに厚みを持たれたら、次は奥まで引きずりこまれて間に合わない! あの薄汚いクソッタレどもの慰み者にされるんだよ!?』
『連中はいつ自分たちが発症するのか、それとも本当にもう発症してるかもって、怯えきってヤケになってる。症状を身代わりすることができるリスティアを、喉から手が出るほど独占したい気持ちは分かる。みんな、同じだ。だからみんなで護ってきたのに……』
『……やっぱりダメだ。リスティアを俺たちの、あいつらのはけ口にすることだけは絶対に許さない。ライン新設の問題もあるし、しばらく四区の話は凍結しよう。武装体制を強化して俺たちの意思と結束を示すしかない。……たとえ血を流すことになっても』
『全会一致、ね』
『しかし、ラインか……それも問題だよな。このまま人口が増え続けるなら絶対に追いつかなくなるし、いずれ第四ラインは作らなきゃならなくなる。そうなると結局第四区の話は出さざるを得なくなる』
『ああ。全員でリスティアを護るなら、独占はできない。彼女の力を分け与えることを条件に連中の頭を押さえるとしても、結局リスティアの負担が……』
『……』
『なぁ……〝落とされて〟くる大人たちの中にさ。こっちのラインを探るスパイとか、いるかもな……』
『あり得る。最近は〝上〟の連中が直接視察に降りてくることも多い。今はだいたいあしらってるけど、内部工作員との接触が本命なのかも』
『例の、よそ者っぽい連中の姿も報告がある』
『テスタ様……大丈夫かな。正体がバレたら』
『今どうしてる?』
『地下の研究室。食料とか身の回りのもん、信用できる連中で回してできるだけ外に出ずに済むようにしてあるよ。リスティアも預けてある。あいつと一緒なら安全だしな』
『……最近、さ。テスタ様、研究室にこもってるよね。今の話なしにしても。すごく辛そうな顔してること多いよ』
『研究の進捗のことも、ここしばらくは話さなくなったよな』
『行き詰ってる、のかな。俺たちはあいつにも負担をかけすぎてる。責任感じさせちまってるなら、一度話をしなきゃだめだな』
『でも、症状の中和式はグングンすごくなっていってるんだよ? なんか、むしろ……それでどうにかしようとしてるみたい、な』
『もう分かってんだろ。あいつが悩んだり二の足踏んだりするのは、俺たちのことを考えてる時だ。なにかリスクがあるんだ。俺たち全体、そして今の状況を秤にかけても動き出せないぐらいのなにかが』
『……』
『なにがあっても、俺たちはあいつらの仲間だ。あいつは俺たちを裏切らない。だから俺たちはあいつを裏切らない。あいつに俺たちの力が必要になったら絶対に助ける。この先になにが起こってもだ』
『――』
『これも全会一致、ね』
一年が、すぎてゆく――
「みんな分かってた。もうこの国はダメなんだと。ドームから投げ込まれてくる発症者の死体は増え続けていた。もう大人だろうと安心じゃない。市民層の大人の数も三分の一が発症、死滅するに至り……国は恐慌状態に陥った。
王室はまったく無根拠に自分たちを含めた〝因子〟非保有者だけを選別して残りすべてを切り捨てる絶対選民政策を掲げてドーム内での内乱が発生した。王室に切り捨てられた市民たちがその中で力ある者を権力者として擁立して強大な力を持つ王室に抗った。さらにその分裂政権の中でも健常者と発症者の垣根は取り払われず、疑わしい者は容赦なく捨てられた。ドームの中に無数のドームができあがったんだ。
さらに……その憎しみの矛先はドームの下……俺たち廃棄街区にも向けられ……発症者たちが築き上げた資源を丸ごと奪い取る計画が囁かれ始めていた」
少年少女たちの取った強硬姿勢は大人と子供、健常者と発症者の頑なな二分構造を作り出していたが、それが逆にこの二者内それぞれの結束を強固なものとしていた。おかげで〝ドーム〟が内乱状態に陥る事態になっても、町全体のコミュニティとしての原型は留められていたのである。
そしてドームの敵意が町に向けられ始めたことで、大人たちもそれまで信じていた神話を捨てざるを得なくなった。いつかは帰るのだと思っていた故郷が、変わり果てて自分たちによだれまみれの牙を向けてきた。
さらに、続々と追い立てられてくる新しい大人たちが〝上〟の狂った現状を泣き叫びながら訴えかけることで、それまで発症者と健常者の違いでまとまっていた〝大人派閥〟を維持できなくなったのだ。もう、自分たちが信じてきた垣根は終わったのだ。
ほどなくして二者は歩み寄る。
培われた悪感情を消せるわけではなかったが、それを置き去りにしても立ち向かわなければならない脅威が、自分たちの頭上から降り注ごうとしていた。
――〝戦争〟が、始まろうとしていたのだ。
『テスタード、様……?』
『リスティアか……』
『明かりもつけないで……最近、眠ってますか? 夜以外ずっと中和式を使い続けて。少しぐらいなら、わたしも、』
『呼んでるんだろ、リーダーたちが?』
『……はい』
『リスティア』
『はい』
『〝壁〟の外に出よう』
『――――』
『この国はもうダメだ。だけど、戦争も論外だ。俺たちは負ける……いくら割れてるからといっても頭数だけじゃドームには勝てない。王はほかの人間が持っていない、〝始祖〟の文明から継承した強力な術を独占してる。そうじゃなくてもいまだ強い血のつながりで、王族と下位の貴族とでは雲と地ほどの力の差がある。王室の力は……それぐらい、強大なんだ』
『……』
『俺ひとりが放り込まれただけで、この町はこれだけ発展した……分かるだろう?』
『それなら』
『ああ。明日、俺からみんなに話をする。今まで俺が隠してきたことも全部。でもその前に、君だけに、聞いてほしいんだ』
『……はい』
『この争いは意味なしの、底なし沼だ。〝因子〟の非保有者なんかいない。この国の全国民が〝因子〟を保有している。超越値を取る〝因子〟マップがそれを物語っている』
そして、それは大きなひとつの『なにか』を構築・現出させるための設計図だ。
『それ』の完全現出規模は――銀河団。
数千億個もの星が内在する銀河が、さらに数百から数千も寄り固まった集合体。
導出される〝因子〟を完全と言えるレベルで集めて収束を実行した場合、最低でもその銀河団に及ぶ範囲の宇宙が現出の余波だけで食い潰される。
これがテスタードの算出した事実だった。
『もちろんそれは今はまだ存在していない分も含めた〝ほとんどの因子〟を集めた場合の話だ。俺がやろうとしているのはそのうちの最小単位での実行だから星が消えるほどの災害は起こらない。だけど、俺は……!』
テスタードは恐れた。これほどの災厄をくしゃみていどの影響で引き起こす『なにか』とは何者なのか。本当に、一部だけだとしても呼び出してよいのか。もしも黒奇病を取り除いて生き延びたとしても、次の瞬間『それ』に殺されるだけなのではないのか?
それだけではない。
『それだけじゃないんだ。この世に存在し得る黒奇病の〝因子〟は、すべてが必要不可欠なわけじゃない――俺が最小単位での実行を計画したように、だ。
これがなにを意味するか。使い捨てだよ、リスティア。極端な話が、俺が用意した最小単位だけでもいいんだ。ほかの〝因子〟は、すべて〝召喚〟の確度を上げるための〝予備〟であり〝捨て駒〟……この構成には、明らかにその意図が透けて見えている』
『なにが……起こるんですか』
『――〝放棄〟だ。不要とされて式から弾かれた〝余り因子〟は発症して、今まで死んでいった者たちと同じく〝無駄に終わった因子〟として保有者ごと崩壊して消失する。生き残れるのは……わずか、一部だけ、なんだ』
『じゃあ、もしかしたら、わたしたちも……』
『いや。廃棄街区――発症者の大半は安全なはずだ。〝因子〟への親和性が高いから発症するんだ。活性した〝因子〟は召喚式として自分に隣り合っている〝因子〟を確率で覚醒させる。つまり俺が導き出した近似値節に当てはまる〝因子〟が、偶然的に活性化して集まったのが、俺たちなんだ。弾かれる〝因子〟は、むしろ非発症者たちだ』
『じ、じゃあ』
『ドームの人間はまず間違いなく全滅する。今この廃棄街区にいる大人たちも生き残れない。なおかつ、発症している仲間たちも全員が無事に済むとは限らない。いや、犠牲は間違いなく出ると思う』
『…………』
『このままドームとの戦争に入れば高い確率でこっちが負ける。いやよしんば勝ったとしても回復不能な損害は避けられない。俺たちが俺たちとして生き残るためには、新しく生きる場所を壁の外に求めるしかない。だけどそのためには、俺たちからは黒奇病が取り払われてなきゃならない。そのための犠牲を払った上で』
『ここにはもう、住めないんですか……?』
『統合モデルを使った場合、集めた分俺たち個人の比じゃない変性〝邪黒色〟情報子が吹き荒れてこの地は汚染される。だから新天地でこの式を使うこともできない。やるなら、今、ここしかない』
『……』
黒奇病の〝因子〟保有者は国民全部。
放置すれば遠くない未来に絶滅する。
唯一テスタードの術を使った場合のみ、わずかな人数が生き残れる。
もうこの国は駄目だ。黒奇病への恐怖と狂気に呑み込まれて引き返せない場所まで突き進んでしまった。あまりにも多くのものを虐げ、切り捨ててしまった。もう王室、この国に、黒奇病を受け入れて最後まで生きてゆく力はない。
賢いリスティアは、すべて分かっているだろう。
『テスタード様が……今から王室に、力を貸せば。あなたがドームの戦を治めて。すべてを治めて。この国すべての人たちの上に……立てば。犠牲は出ます。それでも、テスタード様、あなたなら、もしかして、もしかしたら……』
だから、テスタードはかぶりを振る。
『いらない。王座も、国も、世界も。そんなものよりも、俺は――君だけがほしい』
『っ――』
『俺と一緒にきてほしい。俺だけのものになってくれなんて言わない。それでも……守らせて、ほしい…………』
『……もう一度。もう一回、聞かせてください』
『君がほしい』
『うれしい、です』
『……』
『わたしを、連れていって……』
リスティアはすべて分かった上で受け入れてくれた。
彼女はこれから全員に必要になる光だ。自分だけのものにすることはできないし、きっと彼女自身これまで通りにふるまうだろう。
だけど、この時だけ。
この時だけ、自分だけにくれる、表情。言葉。声。息。熱――
それだけで、すべてが救われていたと思った。
『テスタ……様、は』
『うん……?』
『明日、みんなに話して……みんなが賛成、したら』
『ああ』
『統合式を……使う……んですか……?』
『やる』
『……震えて、ます』
『笑っちまうだろ。覚悟を決めた。決めたのに……どこまでも、覚悟しきれない。怖いんだ。それでも、こんなナリのまま、正しくなんかないまま、俺は最後の一歩を踏み出すと思う』
『……』
『最悪、だよな。全然潔くない。直視して、顔を上げてる覚悟もなくて、俺はこんなことをしようとしてるんだ。怖くて、挫けそうで……俺は……君を言いわけにして。そんなものすら盾に取って。君が断れないようにして、こうして君にすがりついたんだ。あんなにみんなが君を大切にしていたのに。こんな理由で、みんなを裏切った。君に傷をつけた。蹴飛ばしてくれていい…………だけど今だけは』
『……』
『俺に……勇気を、くれ…………』
『お手伝いするって、言ったじゃないですか』
『……』
『わたしも……おんなじ、です。本当は、あなたに会う前からあなたのこと、知ってました。なにをしようとしているのかも。噂を聞いて、遠くから見てたんです』
『……』
『唾をかけられるのを知ってて、町のみんなに診察をさせてくれって、声をかけて。殴られるって分かってて、苦しんでいる人に、駆け寄って。あなたなら、わたしと〝同類〟になってくれるって、そう思ったから、声をかけたんです。そのために、機会をうかがって……あなたが苦しんでるって、知っていたのに』
『……』
『発作が起きた時……わざと、あなたに気づかれるようにしました。あなたなら、町の人たちに言わないで、わたしの役割を変えないままで、わたしの怖さや苦しさを受け止めてくれるって思ったから』
『役、割?』
『そう……です。この能力で、わたしはこの町に受け入れられた……この能力があったから町のみんなに大切にしてもらえた。もう、やめることなんてできない――でも、怖くて! 苦しくて! つらい、です……テスタ様! …………でもやめるなんて絶対に言えなくて。つらいなんて言ったら、きっと町のみんなは。もうわたしに……頼らなく、なる。〝普通〟になってしまう。頼ってもらって初めてわたし、生きてこられたんです。そうじゃないと耐えられなくて――こんな世界が怖くて、苦しくて――絶対に手放せなかった。ずるいん、です。みんな同じなのに。みんな一生懸命生きてるのに。わたしは……。一番、ずるくて、一番、弱くて』
『大丈夫だ、リスティア。そんなことは、ない』
『テスタ様がこうやって抱きしめてくれる人だから、わたし、はっ…………わたしがこの役割を手放さないまま、都合よくわたしの苦しみだけを背負ってもらえると思って、わたしは……。あなたがそのためにもっと自分に鞭打って、研究に縛られるって分かってたのに』
『生きがいだったさ。本当はほかのことなんかどうだってよかった。そう思えるぐらいに』
『すがっていたのはわたしの方です。でもあなたのことが好きでした。あなたに会いにいくまでには、もう。あなたの気持ちも知っていたのに今日まできて……嘘にしかならないかもしれないけれど……。あなたはいつか王宮に帰る人だと思ってた。気持ちを打ち明けたら、いかないでってお願いしたら、振り向いてくれるかもしれない。でもこれ以上あなたを、わたしの汚い欲望で穢したくなくて……だから……』
『……』
『だから……あなたが〝一緒に〟って言ってくれて…………すごく、うれしくて』
『リスティア』
『だから、わたしはあなた以上の罪人です。わたしがほしいなら、どうか言ってください。命じてください。全部――全部、支払います』
『分かった。リスティア』
『テスタ、様』
『お前は、俺だけのものになれ。お前は、俺が連れていく――』
『は、い――』
『リスティア――』
『あなたが進むためにわたしが必要なら……好きなだけ、使って、ください。っ、どんな時でも、どんな場所でもかならず――応えて、みせるから――』
『リス、ティア』
『ずっと、ここにいるから……』
翌日、旧廃棄街区三区の総意として、ドーム〝脱出〟の裁定が下された。