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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~  作者:
<3>魔王鳴動と開催前夜の狂争曲の章
78/123

(3-21)


 テスタードの故郷は、おそらく今で言う北方大陸の南端付近に所在していたと思われている。

 人口は三千人未満。歴史は百年ていどの、小さな国だった。『ルフ・トゥム・ラトパ』という名前もあったかもしれない。

 しかしそんな名前も、国という体裁にも、さほど意味はなかったかもしれない。

 当時の環境は荒れ果てており、人類はかろうじて小さくまとまったコミュニティとそれを強引に維持する封建的絶対王政を形成してどうにか成り立っていた。それぞれが互いに国交や侵略を行なう余裕も活力もなく、自らの領域に閉じこもって、少しずつ縮小してゆく滅びの道を歩んでいた。


「まだ推測だが、彼のやってきた『時代』は、おそらく〝魔術士〟の文明が崩壊してさほど時期が経っていない年代だと思われる。原始大陸が粉々に砕け散るほどの〝崩壊〟の直後だ」


「……」


 そう。

 地表にあったすべての文明が地殻とともに砕け散り、環境はまだ激変期を抜けきっていない。 残された中央大陸の〝神滅の嘯楼〟が及ぼす影響力によって、時が、重力が、世界法則が虫食いバグによって荒れ狂い、数々の超常現象が跋扈する世界。


 情報空隙を埋めるべく吹き荒れた蒼導脈乱流が遺伝子異常によって死にかけていた生物を変質させて現代では考えられない異常な『モンスター』の数々を生み出し、汚染された海洋は禍々しく三色に明滅して夜を照らし生物はほとんどおらず、極寒と灼熱の土地が同居し、時空のねじれが渦潮のように大地と海と空を引きずりこみ、またあるところでは七色の太陽光が降り注いで浴びた者を結晶に変えた。


 あらゆる生命の種的活力は限りなく弱まり、人類もまた一部に祖たる魔術士たちの血を色濃く残しつつも、衰退の例外ではなかった。

 荒れ果てた地に実る作物はなく。人々はかろうじて残されていた魔術の力で強引に作物や家畜、そして世界の情報を変異させ、それでもなお足りていないていどの日々の糧を得るのが精一杯だった。

 同胞の姿を求めて〝探索〟の手を伸ばすこともできない。生存可能な土地が少なすぎたし、下手に領域を出れば、まず間違いなく次の生存領域にたどりつく前に死に絶える地獄だ。

 そんな異常環境から領域を守るためにも魔術は必要だったし、食い扶持を増やす余裕もまったくない。自分たちの分すら足りずに年々数を減らしているぐらいだ。


 だから、当時あった〝国〟に交流などというものはほとんどなかった。

 だから、強い〝魔術〟を使える者がより高い権力を握った。

 そうして自然発生的に形成された王家だった。

 特に魔術士の文明から強力な情報構成の〝術〟を伝承していた一族は『〝始祖〟たちの正統なる後継者』を名乗り、絶対的強権を振りかざしながらも、強く人類の生存領域を守り続けていた。


「その、いくつかあった〝聖王家〟のひとつが、俺の生まれた家だった」


 とは言っても、現代……どころか中世の王政や貴族社会とすらも比べられないほどに小さく、いびつな社会だった。

 結局のところ魔術の力の強さがすべてだ。それさえあるならだれでも支配者を名乗ることができる。

 魔術士としての素養は血であるていどは確実に受け継がれるので、王家は近親婚によって血の濃度と力を維持した。

 しかしただでさえ種としての力が弱まり、三十まで生きれば長寿に数えられる世界だ。近親婚はすぐに遺伝的欠陥を引き起こし、定期的に外部の血を取り入れなければならなかった。

 結果として、絶対的な王家もまた、徐々にその〝力〟を弱めていっていた。


「それだけじゃない――俺たちの〝国〟には、もうどうしようもない滅びの影が覆いかぶさってやがった」


 ――黒奇病。

 そう呼ばれる病が、このころ、国中に蔓延していた。

 いや。病であるのかすら定かではない。あらゆるものが異質な変異を遂げるこの世界では、それもまたそんな数ある変異のひとつでしかないのかもしれなかった。

 これを発症した者のタペストリーは、泥のような黒色……今ではテスタードが〝邪黒色〟と呼ぶ色に変質する。


〝邪黒色〟は周囲の蒼導脈循環と発症者自身の生命力を減衰させ、苦痛を伴う。

 やがては全情報領域を〝邪黒色〟に支配されて、黒色の奇怪なモンスターに変異してしまう。しかし凶暴性はあるものの、すぐに死んでしまう。

 多くは未成年の子供が発症する。思春期を終えた成人が発症した場合は例外なくモンスターへと変異して死に絶える。

 モンスターへの変異を免れた者も、だいたいは思春期を終えるまでは生きられない。王家や貴族階級の筆頭魔術士の力を以ってしても治療は不可能――


 そんなどうしようもない『滅び』が、ひとつのちっぽけな国を呑み込もうとしていた。

 テスタードの物心がつくころには四千人規模あった人口は三千人まで減り――さらにそのうち、一千人の子供が発症していた。

 実際的な〝邪黒色〟の影響、そして黒奇病は伝染するという根拠のない風説により、人々は恐慌に近い怯えとともに発症者の子供たちを町の〝外〟に隔離するほかなかった。


 廃棄街区。

 高台に建造された市民居住区画(ドーム)の外の崖の下。使用済みとなった有毒魔術触媒を始め、生成失敗した異常作物、エラーマテリアルなどを投棄・埋設する廃棄場。そこに高い〝壁〟を築き、子供たちを追い立て、閉じ込めた。

 日照は少なく、有毒の異臭が漂い、ドームシステムにも守られていない過酷な環境下の中に歴代の発症者たちが廃材で築いた粗末な〝町〟。

 子供たちは短い余命を生き延びるため、毎日高みから流し込まれてくる廃棄物の山に、争うように群がって今日の糧を得る。

 たとえそれが毒を帯び、生命の基幹を歪める〝異常〟を含んだ食べ物だったとしても。

 生活のために漁るエラーマテリアルが崩壊して〝霧〟と化し、日々少なからぬ犠牲が出るとしても。


 しかしてそんな〝廃材〟は、子供たちへの〝報酬〟でもある。廃材は百パーセントが純廃材ではなく、食料、物資において〝劣化度〟があるていど低いものも混ぜられるようになっていた。

 子供で発症者と言えど貴重な労働力には違いなく、さらには四分の三もの〝子供〟が発症してしまった状況においては、ただ捨てるのではなく『寿命までの使い捨て』をしなければならなかったからだ。

 魔術の力を持つ者は国が指定する練成を行なって上納し、力ない子供よりも上等な支給品も卸され、結果として発症者の中での有力者となった。力のない子供は廃材を固めて埋設する命がけの作業。あるいは力ある子供に奉公して命を削る作業を免れる。短い寿命が訪れるその時まで。


「そんな……ひどい」


「ひどくはねぇさ。それが当然だった――思えばあの時、すでにあの国は『終わって』いたんだ。半分以上の子供が発症して子孫を残すアテもない。王家は急速になくなってゆく〝力〟と求心力をつなぎ止めるために発症者の徹底隔離と根絶を掲げた政策を断行し、黒奇病の『因子狩り』を推し進めて、民を恐怖と疑心暗鬼で縛った。隔離政策の強行によって一時的に食料問題が緩和されて無事な民は王家を喝采するが、それがほんの一時のぬか喜びであることにはだれもが目を背けていた。そもそも黒奇病の発症原因と治療法が確立されてないんだから、そんな現状を危惧したってどうしようもねー…………『詰み』だったんだ」


「……だが〝希望〟はたしかに存在していた。そうだろう?」


「……そうだな。『あの時』は、まだ、な」


「…………」


 話はテスタード自身のことに戻る。

 彼は王家の三男として育った。


「まぁ今風に言うと、第三王子ってやつだな」


「えぇ~~……! センパイって、あだ名じゃなくて本当に王子様だったんですか……!?」


「文句あっかコラ」


「や、やだなあ滅相もない。いやぁ~、日ごろから気品に溢れてるなって思ってたんだよなぁ!」


「…………」


 テスタードは歴代でも類まれなる才能を継いだともてはやされながら育ち、彼自身もまたふさわしい業績を残そうと考えていた。

 兄は自分が継承する王座とまとめて娶るはずの妃たちを脅かされると思ったのかたびたび険のある態度を取ってきていたが、正直王座などどうでもよかった。また両親も長男の野心になど関心を示さず、彼の〝研究〟に期待を寄せていた。


 黒奇病の解明と根絶。この国の滅びを根本から回避する――それが彼の目標だった。

 実際にテスタードの術士としての素養は高く、すでに黒奇病を引き起こす〝因子〟の特定にまで至っていたのだ。

 これを実現すれば王家の力はかつてないほど高まるだろう。両親の期待はそれだけに高かった。自分自身もまた持って生まれたこの才能はこのためにあったのだと信じて疑わなかった。生まれながらにして民を導き、救ってやる存在が自分なのだと。


 寝首をかかれることを常に恐れる両親や兄や貴族たちとは違う。高潔なる自分の研究で多くの〝民〟が救われ、喜び、この国は正しく繁栄してゆくのだと。

 だが――


「すべては思い上がりの勘違いだった。俺は、なんにも分かっちゃいなかった」


 ある日、テスタード自身が発症する。

 王家は狂ったように恐怖した。王家の人間から発症者が出たとなればコミュニティを束ねる王政が中枢から瓦解しかねない。なにより、家族たちは、黒奇病の伝染を恐れた。

 大して議論が交わされることもなくテスタードは殺処分という運びになった。

 せめてもの情けにと渡された毒を飲み、テスタードの意識はそこで一端途切れる。


 次に目を覚ませば、そこは……崖の下の廃棄場だった。

 家族のだれかか、あるいは臣下のいずれが手を回したのか……ともかくテスタードは渡された毒物では死なず、そのまま汚染死体のひとつとして廃棄された。

 無数の発症者の死骸の山をかき分け、彼の第二の人生が始まったのだ。


「そこで俺は、あいつらと出会ったんだ……」


「仲間……だった、んですね……」


「いや。出会った瞬間半殺しにされた。仲間をどんどん呼ばれてとっかえひっかえで半日ぐらいボコされ続けた。もう死ぬと思ったから人数が少なくなった時を狙って見張りを半殺しにして、命からがら逃げ出して身を隠した」


「えぇ……」


 それがテスタードの現実だった。

 廃棄街区に放逐された発症者たちは例外なく市民層、そして王家を恨んでいた。

 テスタードが黒奇病の治療法を模索していることを知っている者は貴族階級内でも少ない。研究の横取りによる王座の簒奪を両親が恐れていたからだ。

 だから最底辺の彼らには、むしろ彼が私欲や好奇心から、彼らの兄弟にも等しい発症者の死体を検体として取り上げて陵辱しているのだと思われていたのだ。


 テスタードの居場所はゴミ溜めのような廃棄街区の中にすらなかった。

 が、まだ自分の研究をあきらめるつもりもなかった。

 その日から、もっとも有害な廃棄場の隙間が彼の寝床になった。朝は食料を求めて群がる集団の目を隠れて残飯とも言えない奇怪な有機物を漁り、昼は町に潜って有用な加工物をかすめ取る日々。

 町中で姿が見つかれば殺される勢いで襲われ、追いかけられ、廃材から築き上げた研究機材を打ち壊されて奪われる。

 発作――〝邪黒色〟の活性化に苦しむ者に駆け寄って未完成の中和処置を施そうとしても手を払われた。


 ほどなく、テスタードは廃棄街区最悪の鼻つまみ者として知れ渡っていた。

 恨みの対象であることは大きかったが、それ以上に術士としての力の強さが〝邪黒色〟の影響力にも比例していたため、恐れられてもいたのだ。

 それでも彼が殺されなかったのは、彼自身の術士としての能力の高さゆえのことだ。エラー品であるはずの廃棄物から彼がまとめ上げる品は町の住人にとって無視できない資源だった。

 しかし彼と対等に取引をしようとする者は現れなかった。脅すか、盗むか、奪うか、だ。


 研究はまったく進まなかった。

 粗悪な情報劣化廃棄物から作る機材はぬくぬくと暮らしていた王室で使っていたそれとはとても比べ物にならず、自分から抽出するデータだけでも到底足りない。それも隠れ家がばれれば襲われ、奪われてゆく。


 テスタードはこのまま孤独に、なそうとしていたことも叶わず死んでゆくのだと思った。

 こんな場所に堕とされても研究を続けようとしていたことだって、そもそも必要とされなくなった現実から目を背けるため。それすらこの町では憎しみを集めるというのなら――もう、なんの意味がある?


 暗く閉ざされた地の底で、擦り切れ、孤独に、テスタードは自分という短い歴史の終わりを見つめ始めていた。

 そんな時――テスタードは、出会った。

 彼女に。


『大丈夫……ですか?』


 もう何度目か分からないリンチを受けた路地の裏。突如活性化した彼の〝邪黒色〟の〝気〟に恐れをなして少年たちが逃げていったあとのこと。

 息を殺して苦痛が去るのを待っていた彼に、彼女はためらいなく歩み寄ってきた。

 殴りかかるためではなく。罵声をかけるためでもなく。

 彼の手を包むために。


『……!』


 その時の衝撃はいつまでも忘れることはできない。

 急速に苦痛がやわらいでゆく。彼女に手を取られた瞬間、テスタードの中に渦巻いていた〝邪黒色〟が退いていったのだ。


『つらい、ね』


 唖然とするテスタードに、彼女はそう言ってあいまいに笑いかけてきた。


『っ……!』


 彼女の言葉の意味を考える余裕はテスタードにはなかった。返事をする余裕も。もうずいぶんと孤独にすごして息を殺すことに慣れていたので上手く言葉を出すこともできず、彼女の手を振り払ってねぐらまで逃げていた。


 その夜は震えてすごした。

 混乱していた。恐ろしかった。彼女という存在が。自分の研究を根底から覆すかもしれない。自分という存在を必要なくするもの。自分に恨みを向けなかったもの。しらないもの。わけがわからないもの――


 数日間、雪が降った。

 世界法則の狂った空で生成された、魔術でも作り出せない、異常で有毒な金属の雪。

 廃棄街区の住人も閉じこもって静まり返った崖の底で、煙を上げながら白く金属コーティングされてゆく手つかずの廃材を漁るだけ漁った。


 その雪の三日目の朝、再び彼女と出くわした。廃材争いがない雨と雪の日なら姿を見せると思って待ち伏せをしていたという彼女は、中身に雪がかからないよう大切そうに袋を抱えて、また歩み寄ってきた。

 彼女に請われるまま案内した彼のねぐらで、彼は即座に彼女を殺しにかかった。

 彼女は抵抗しなかった。

 彼も彼女を殺せなかった。死を恐れていない瞳。ただ静かに映し返されてくる自分の怯える姿がひどく惨めで、突きつけていたガラスの刃を落とした。

 そのあとに彼女が渡してきた袋の中身は、食料だった。

 当時廃棄場の縄張りから完全に弾かれてがりがりにやせ細っていた彼は、二もなくかぶりついていた。

 そんな様子を見つめていた彼女は、次にテスタードの機材を見つめ、ねぐらを見つめ、そして彼が生成したいくつかのマテリアルをみつくろうと、これを対価にもらってゆくと言い残して町に帰っていった。


 以降、彼女は不定期に彼のねぐらを訪れるようになった。

 食料を対価に、彼の作る品を町に持ち帰ってゆく。

 やがて去り際にひと言を残し、出迎えにあいさつを交わし、またひとつふたつの会話が増えていった。テスタードは彼女の名前を知る。


『……おい』

『ん。なんです?』

『あんたは俺が、怖くないのか?』

『あははっ。そうですねぇ』

『……』

『少しだけ、怖いかな』


 いつしかテスタードは、知らず、リスティアの来訪を待ち望むようになっていた。


「思えば、あのころにはもう、あいつを好きになっていたんだろうな」


「その……似てたんですか? リスティアさんに。……あたしが」


「いんやこれが全然。俺自身どうしてそんな錯覚を抱いたんだか」


「おい」


 ねぐらが襲われる回数も目に見えて減っていた。

 そしてテスタードへの襲撃がなくなったころ、彼女がある提案を持ちかける。


「あいつが、俺を町に連れていってくれたんだ。あいつが俺の手を引いてくれた。あいつがいたから俺は薄暗い崖を出て、もう一度立ち上がることができたんだ。そうじゃなきゃとっくに生きる気力もなくくたばってた」


「……」


「どうして俺はあの時、あいつの手を振り払わなかったんだ……!」


 リスティアはテスタードを町へ連れていった。

 何人かのリーダー格の下に連れていって、術士としての彼の有用性を説いた。彼らが確保している物資を正当な対価を渡して加工してもらえば、町の状況は今よりもずっとよくなると。彼が行なっていた研究の概要とともに。

 自分たちを捨てた上で使い潰す市民区(ドーム)に頭を垂れて町のための物資をこぼしてもらっている彼らが抱くテスタードへの悪感情は他の少年少女たちの比ではなかった。が、だからこそ常に限界を超えている町の物資状況にとっての彼の有用性にはうなづかざるを得なかった。


 テスタードは監視つきで町での居住権を得る。

 とはいえすぐに隣人として認められることもなかった。

 むしろリスティアが積極的に彼をかばって住民へ融和を呼びかけている事実が彼らの悪感情をより凝り固まらせることになった。

 リスティアは、町の子供たちにとってある種の偶像のような存在だったからだ。

 それでも彼女だけは頻繁に彼の下に足を運び、住人たちとの架け橋たらんと努めてくれた。

 そして……


 彼が町に溶け込むまで、一年の時間が費やされた。

 平均的な寿命が二十六歳という世界。さらに、余命がせいぜい思春期いっぱいまでという発症者たちの間で流れる一年間だ。

 その間にあった壁も道のりも決して楽なものではなかった。

 それでも彼女とともに辛抱強く、根気強く、町に根を降ろしていった。

 やがて彼の作る物質に礼を言う者が現れ、彼の中和式に頼る者が現れ……彼の周りに少しずつ人が増えていった。

 まるで、ひとつふたつと……だれもいなかった夜の廃墟に、灯火が宿ってゆくように。

 いろいろなことがあった。何人もの同胞の死を見送っていった。


 町の〝長老〟も死んだ。十九まで生きた。


『まぁ……ずいぶん生きた、だろ。俺……がんばったよ、な、上の連中から、さ、取れるだけ……ぶんどってやってさ……な、リスティア……?』


『……はい』


『死なないでよリーダァ。アンタがいたからオレだち、これまでここまでまとまってこれたんじゃねーかよぅ……! 三十まで生きて、上の連中ひっくり返させてやるっで……いつもみたいに、明日も、ふんぞり返っててよぅ……!』


『リーダー!』


『リーダー!』


『は、はは……リスティア』


『はい』


『あんた、には、世話んなった。みんな世話んなった。俺、お前のこと、好きだったんだ……あんたは、みんなの太陽だ。か、ら』


『……』


『テスタード、のこと、助けてやってくれ……』


『リーダー!』


『思えば、さ。お、俺の親だって、貴族だったんだ、まさか、忘れてないだろ……も……いいじゃねぇか』


『……』


『そいつ、の研究は、希望、になる。この国……は、もう、ダメだ。お前たちは助かって、壁の〝外〟へ……だから、て、スタ……ド』


『……ああ』


『リスティア、を、支えてやってくれ……お日様、てのはさ、いつもまぶしくて、大変だろう、から、さ……』


『分かった……よ』


『はは……じゃあもう……大丈、だなっ…………ぐ、ぅうウウウウッ』


『リーダー!』


『な、なぁテスタ。アンタの中和式では』


『まだ、死に間際のは無理なんだ……すまない……』


『そう、か。リーダー……!』


『わたしが。リーダー』


『グ……は、は……いいって、リスティア……』


 かぶりを振って彼の手を取るリスティアの姿を、テスタードはいたたまれず背けていた視界の端で見つめていた。彼を囲って集まった者たちもそうだ。


『ああ……』


 彼の顔から苦痛が退いてゆく。にじみ出していた〝邪黒色〟が彼女へと移ってゆく。

 廃棄街区、いや、おそらくこの世界でひとつしかない、彼女の特異性だった。

 他者の〝邪黒色〟を自分にリザーブする身代わりの能力(ちから)。ひとりの分をすべて取り去れるのか、吸い込み続けるとどうなるかなどのことが分からないためにやりはしないが、こうして激しい発作や死に際の苦痛を和らげることはできる。

 テスタードの視界の端で、ゆっくりと、リスティアが彼に唇を重ねた。


『――――』


 ――ありがとう。

 最期は安らかな顔で、町を支えた〝長老〟はこの世を去った。こうやって彼女は多くの人たちを見送ってきた。

 だから、彼女は発症者たちにとって特別な存在だった。


 この日から、テスタードは本当の意味で町に受け入れられた。

 彼の研究にも住民たちは協力を惜しまなくなる。町中から集めたありったけの資材、なにより国すべての発症者から得られるデータが大きかった。むしろ王室にいたころよりもはるか順調に理論構築は突き進み、精度の上がった中和式でかなりの症状緩和が実現される。


『やりましたね、テスタード様!』


『あんたのおかげだ……だけど結局のところ式があっても触媒が必要になることは変わらないんだ。この町の現状じゃあ限度がある。根本的に……なんとか、しないと』


 テスタードが研究の発展と黒奇病の根治を急ぐ理由はリスティアだった。

 彼女の能力をできる限り使わせたくはなかった。


『……リスティアっ!?』


 人知れず――人の目を隠れてひとり苦みに耐えているリスティアを何度も見た。

 リスティアの能力は発症者の苦しみをやわらげるが、都合のよい代物でもない。発症者から〝邪黒色〟を請け負うほど、彼女の中には〝邪黒色〟の変性蒼導脈が蓄積されてゆく。より正確には自情報内における常態情報の比率が〝邪黒色〟側に傾いてゆく。塗り潰されてゆく。つまり能力の行使の果て、彼女は常に激しい苦痛を伴う発作状態になってしまう。


『今、できるだけ中和するから』


『ダメ、です。それっ……テスタード様の分じゃな、ですか。テスタード様、他人より、発作、ひどいんだか、らっ……』


『いいからっ。静かにしてろ!』


 リスティアは、それでも、いつもやわらかく笑っていた。

 彼女は決して弱音を吐かない。自分の苦しさを押し殺して、献身的に他人の苦しみを取り除き続けていた。

 ここにいる人間は全員が発症している。だから彼女のつらさが分からない者もいない。

 だから、みなの心にとって彼女はかけがえのない拠り所なのだ。


 リスティアの存在は〝希望〟そのものだった。

 発症者の中の〝因子〟情報はパッケージング総体として――つまり見かけの上では同一のものとみなせるが、最小単位未満に巻き込まれて隠されている部分の情報が個人ごとに異なる。まるで遺伝子情報のパーツのように。


 今まで得た発症者のデータの中で、まったく同じ〝因子〟を持つ者はほとんどいない。

 また、発症者の発する〝邪黒色〟の〝気〟は、他者の潜在〝因子〟を確率で呼び覚ます機能も持っていた。黒奇病が伝染するという根拠のなかった風説を証明することになってしまった。

 そして、リスティアはその個人ごとに違う、個人ごとにしか持てないはずの〝因子〟を自らに『呼び込んで』『収集』する能力を、生まれながらに持っている――


 テスタードは結論する。

 これは、壮大なパズルの欠片(ピース)なのだ。

 壊れた世界がもたらす、法則性のない天災などではない。

 もっと明確な意図を持たされた、いつか収束して完成されることを望む、どこかからばら撒かれた〝意思〟による設計図。


『黒奇病によるモンスター化は、発症〝因子〟に対する存在情報の適合性が〝高すぎた個体〟に起こる。親和性を示しすぎたために、それ単体では不完全な〝因子〟と合一を果たした結果として、〝因子〟に沿った生命体への変化を始めて〝不完全な完成体〟ができあがる。それ自体は個体としてまったく不完全でしかない。内臓一個、指一本だけで生れ落ちるようなものだ。だからすぐに死んでしまう』


 だから、一個の存在として最低限の成熟を迎えた〝大人〟の発症者からモンスター化する。

 子供は未成熟なために〝因子〟との同化が起きず、モンスター化はしない。しかし未成熟であるがゆえに存在情報変異と〝邪黒色〟による生命力そのものの減衰に耐えられない。個として完成する前に情報が変質しているから、正しい完成像=大人にまでたどり着けない。

 だが仮に大人になれたとしても発症したままでは同じことだ。いつかモンスター化するか、衰弱して死ぬ。


『だから、〝因子〟の完成像を構築できれば黒奇病は無力化できる。〝因子〟情報の総体は推測では超越値を取るが、結実して〝終端を持つもの〟として実領域に現れるために〝因子〟情報は〝折りたたまれて〟いると思われ、擬似的近似値循環節が生じる。そうでなければ〝因子〟保有者はこの世に〝無限に〟いなければならないことになる。

 おそらくこの〝不ぞろいな循環節〟がすべて重ね合わさることで、共鳴した近似値の総体によってこの設計図に描かれた完成体の現世への〝現出〟――〝召喚〟が行なわれるものと思われる。どれがモデルとして最適であるかという課題は残るものの、ともかくこのひとつを完成像の最小値として仮定義して〝因子〟統合モデルを構築。発症者の〝邪黒色〟から〝因子〟を集めて統合モデルに組み込んでゆく。情報の固着媒体には魔術触媒を用いる。必要とされる触媒の純度、総量も問題であり、これも最大の課題のひとつである――』


『統合モデルが保有する実在的な〝因子〟の総量が完成に対する必要充分量に至り、なおかつ〝因子〟保有者全体の保有〝因子〟量を上回った時……統合モデルの側による〝因子〟の能動的な収集・収束現象が期待される。

 ――つまり。人々から自動的に黒奇病の発症〝因子〟が取り除かれる。黒奇病は根絶できる。その鍵を握るのが』


『わたし……なんですね』


〝因子群〟におけるリスティアの〝役割〟が、おそらくそれだった。この世に散らばって蒔かれたピース。それが束なるための〝機能〟。

 そこに〝因子〟の選択性までは存在していない。ただ偶然的に〝因子〟を集めるだけ。〝機能〟の保持者が死ねば、また新しい保持者が生まれて、ふりだしに戻る。テスタードが導出する最小値を満たすにも何万、何十万年かかるのか分からない。途方もない時間の檻の中に投げ込まれた立体のパズル――


 だから、それを人工的に行なう。

 その果てになにが現れるのかは分からない。だけどこのまま、こんな薄暗い場所で苦しんで先細りながら死んでゆくのはごめんだった。

 なにより、この地獄からリスティアを開放してやりたかった。


『俺は……なにも分かっちゃいなかったよ』


「支配者の席から、そこだけじゃなにも見えない高い場所からすべてを見渡した気になって。顔も分からない〝民〟とかいう『なにか』を救ってやれる気になって。最後はみんな笑って感謝してくれるんだと信じて、疑いもしてなかった。そこには……だれも……いなかった」


『あんたが、教えてくれたんだ。リスティア。君が……連れてきてくれたんだ』


『テスタード様。わたしが――』


 また、一年がすぎてゆく。

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