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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~  作者:
<3>魔王鳴動と開催前夜の狂争曲の章
77/123

(3-20)


 スフィールリアは、テスタードが幽閉されたという施設に足を踏み入れていた。

 あのあと、フェイト上級生に引き会わせてもらった貴族の馬車に乗せられて、とある軍庁舎に連れていかれた。貴族とはそこで早々に別れて取調室のような狭い部屋で十数分を待たされ、やってきた役人に目隠しを施された上でまた馬車で移動。さらに別の建物に連れていかれて徒歩にてまっすぐだったり曲がりくねった道をゆき、長い階段を上り下りし、空間転送と思しき移動も繰り返すこと数十分かけて……ようやく目隠しを外された。


 すべての手続きを整えていてくれたというのは本当だったようで、目隠しを取られた部屋に迎えにきた職員は彼女になにも聞いてくることはなかったし、身体検査、書類の記述作業などもなかった。

 ただ、この施設とこの施設で目にしたものを一切口外しないことの旨だけを、ついでのことのように念押しされた。

 その後は武装した職員五名に囲まれた上で長い廊下を歩いた。

 当然ながら施設の場所も、名称も分からない。だがかなりの規模があり、王都内かは分からないが、どこかの地下なのではないかと思えた。行き交う職員が着ている制服は、軍関係に詳しくないスフィールリアの目から見ても違和感を覚えるデザインをしていた。根本から性質が違うのかもしれない。


 やがて巨大な、十メートル高はある門扉の前にたどり着いた。

 職員の一名が門前の窓口に口を利き、重い振動とともに、三重になっていた扉が上下左右に開かれてゆく。


「……!」


 吹き込んできた風と目の前の光景に、スフィールリアは息を呑む。

 扉の向こうは断崖絶壁になっていた。

 直径で二百メートルは下らないであろう、巨大な穴の淵。底の方には膨大な三色の光の渦が対流している。内部は普通の空間ではないだろう。

 その穴のほぼ中心部に、四角いレンガ製の〝部屋〟が浮いていた。

 外壁部には部屋と部屋の継ぎ目のような切断面があり、どこかの建物の一角をそのまま切り取ってきたかのようである。上辺四隅に巨大な杭と鎖を打ち込まれて吊り下げられており、唯一それだけが部屋をつなぎ止める楔だ。

 いつ落ちてもおかしくなさそうな危うさがあった。

 職員のひとりが淵にたたずむスフィールリアの肩へ手をかけてくる。


「あなたは余計なことを考えてはならない。異変があった場合、あなたもろともこの〝牢〟は落とされることになっている」


「……分かってます」


 彼女の返事を待ってから、彼女と職員一名が立つ床面が切り離された。見えないレールの上を滑るようにゆっくりと、牢屋の入り口へと近づいてゆく。

 牢屋の入り口にたどり着くと職員は鍵を開け、そこで待つ姿勢を見せた。

 スフィールリアは慎重な心地で、建物の内部へと足を踏み入れていった。


「……」


 実際、内部は両面が鉄格子で区切られた牢屋構造になっていた。本当にどこかの収容施設から切り取って運び込まれたものなのかもしれない。


「テスタード……センパイ……?」


 薄暗い廊下はそう長くはない。テスタードの姿を探しながら進んでゆく。

 廊下を進むこと中ほど、右手の鉄格子の中に倒れている人影を見つける。スフィールリアは駆け寄っていた。


「! テスタードセンパイ!」


 最初に見た瞬間は、この期に及んでもふてぶてしく寝転んでいるのかと思った。しかし呼びかけても反応はない。

 意識がないようだった。


「センパイ……」


「起こさないでおいてやれ」


 と、真後ろ側から唐突に声がかかり彼女は飛び上がるほどに驚いて振り返った。

 そちらの牢にいたのは、タウセン・マックヴェル教師だった。


「タウセン先生!」


 壁面に背中を預けた教師はこちらの視線に気がついてか、手首に嵌められた細いリングを見せてきた。


「タペストリー領域を閉塞させる品だ。綴導術士を封じるならば本来これだけで充分なのだがな」


 念入りなことだ。と皮肉げに笑って。

 タウセンは改めてスフィールリアを見返してきた。


「よくここにたどり着けたな」


「キャロちゃん先生とフェイト先輩が手伝ってくれて……なんとかみんなが助かる方法を見つけ出してきてくれ、って……」


 タウセンは、また小さく笑ったようだった。


「相変わらずあきらめが悪いな、君たちは」


 三秒間、沈黙を挟んで。


「あの……テスタードセンパイは……?」


 心配げに視線をやるスフィールリアに合わせて、タウセン教師も倒れている彼を見やった。


「命に別状はないようだが……かなり無茶な検査を強いられたようだ。戻ってきたのは先ほどだが、その時から意識がない」


「そんな……」


 しかし、


「寝てたわけじゃ……ねぇよ…………」


 うつぶせに(たい)を投げ出していたテスタードが、わずかに身じろぎをした。スフィールリアは鉄格子にすがりついて呼びかけた。


「せ、センパイ!」


「ただ、ぐだぐだしゃべくる気力も、なかったし、こんな陰気な場所で話すことなんざねぇし、な。黙ってた、だけだ」


 寝返りを打って横向けになったテスタードは、肘をつき、かなり億劫そうに身を起こしてから、タウセンと同じように鉄格子側の壁際に背を預けた。


「大丈夫、なんですか……?」


「はっ、大丈夫に、見えるかよ。――で。なにしにきた」


「……」


 やはり直前まで意識がなかったのではないだろうか? ともあれ、スフィールリアはなんと切り出してよいか分からずに閉口した。


「……分かりません」


「おいおい。そんな気楽にこられる場所でも状況でもねーだろ」


 テスタードは呆れた風に天井を仰いで笑ったようだった。一旦口を開いたことを契機に、スフィールリアは顔を上げて言い募っていた。


「キャロちゃん先生とフェイト先輩が手伝ってくれたんです! なんとか王室と取引できる材料を見つけてきてくれって! そうじゃなくても大変な状況だから、せめてセンパイの顔だけでも見られないかって! なにが起こったのかとか! なんでこうなったのかとか……どうしたらいいのかとか、って、いろいろ……」


「……」


「……正直、なにから手をつけたらいいか、分からなくて」


 テスタードは黙って話を聞いていた。しだいに彼女の声がしぼんでいっても。

 再びの沈黙が落ちた。


「俺がどうなるか、聞いてるんだろう?」


 やがてテスタードが聞いてきた。気を利かせてくれたつもりだったのだろうが、彼女はすぐには答えられなかった。答えられずにいると、彼の方からその答えが返ってきた。


「まぁ、妥当なところで封印処置ってところだろうな。連中の検査の方向性から、なんとなくは分かるさ」


「……」


「まったく下手こいたぜ。次に目覚めるのはいつだろうな。人類が滅びたあとか? それも悪くねぇけどな。へへっ……」


 やはりなんと返してよいか分からず、スフィールリアはちらりとタウセン教師の方へ視線を投げた。


「タウセン先生は……」


「わたしの心配は不要だ。命までは取られないだろう。先日、使者がきてな――代わりに、わたしが今まで築いてきたすべての研究成果、資産ともどもに没収というところで手打ちになりそうだ。最初から半分はそれが目的の拘束だ。<アカデミー>に戻ることは、もちろんないだろうな」


「そんな……」


「そのあとはどうしようかな。君の師のように、各地を放浪するのもよいかもしれない。それともいっそ、君の師を探し出して弟子入りでも頼んでみようか」


「いやそれは……」


 スフィールリアは彼が師と並んで歩いている姿を思い浮かべて顔を苦くした。正直、師の色に染まってゆくタウセン教師の姿は見たくない気がした。

 タウセンは気が抜けたような吐息とともに肩をすくめた。


「冗談だ」


「はっ。いいご身分だぜ」


 テスタードも投げやりに笑うので、スフィールリアもそちらへ顔の向きを戻した。


「そういうわけだから、こっちはゲームオーバーさ。おとなしく帰って、尻尾巻いて逃げろ。それが正解だ」


「……」


 彼女はまた、しばらく黙り込むしかなかった。

 たしかにそうだ。最初から分かっていた解答だ。それこそが最善。ほかはすべて、次善とすら呼べないあがきだ。

 すべては分の悪い賭けにすぎない。なにもかもが不透明で、あやふやで。そもそも、賭けにすらなるのかどうかというところを判明させるために支払われたリスクだった。キャロリッシェたちは、そのために自分をここまで送り出した――

 だが。

 スフィールリアは腿の上に置いた両手を握り締めて、声を絞り出していた。


「……いやです」


「おいおい」


 テスタードは再び笑う。

 スフィールリアはまっすぐに彼の横顔を見すえて呼びかけていた。


「フェイト先輩も言ってました。あの魔王の使徒に関する有益な情報があれば、王室とも取引できるかもしれないって! あの使徒が動き出すまでがチャンスなんです! なにか――なにかないんですか!? このままじゃキャロちゃん先生も、フェイト先輩も……学院長先生も!」


「……」


「あたしたちだって……」


「お前の目的は、それか」


 不意を突かれて彼女はかすかに肩を震わせた。

 それだけじゃない。でもだからこそ、違うとは言い切れなかった。自分が学院で目指したかった道――それを諦めたくなかったから。そして、たとえ駄目でも、せめてなにが起こっていたのかを知りたくてここまできた。それもこれもすべて自分自身の欲求のため。

 自分はたしかに、自分自身のためにここまできたのだ。


「……そうです」


 スフィールリアは一時の逡巡のあと、うなづいた。単純に「違う」とだけ告げても彼は見破りそうだったし、そういった〝嘘〟は嫌うのではないか。短いつき合いなりにそう思った。なにより、今の彼に嘘はつきたくなかった。

 テスタードは彼女の素直な答えに、ふん、と鼻を鳴らして笑った。見え透いた嘘をつかなかったことには及第点。しかし同時に「やはりな」と納得したような、それでいて見限るような冷たさも混ぜて。

 彼とて、いや彼ほどの人物だからこそ、今まで彼を利用しようと近づいてくる人間は多数見てきたはずだ。

 それが取引であるならばよし、そうでないなら、決別するまで。そうやって学院を渡り歩いてきたのだ。

 スフィールリアも彼の笑みから漠然と察することができた。だからただそうとだけ思われるのがいやで、言い募っていた。


「でも、センパイがこのまま問答無用で封印されちゃうのだっていやです。フェイト先輩も、キャロちゃん先生もそう思ってくれたから、協力してくれたんです!」


「どうだかな」


「なんで――!」


 どうにも取り合おうとしないテスタードに焦れて、叫びかけて……スフィールリアはなにかに気づいたように力を抜き、呆然とすらしながら、つぶやいていた。


「なんで――どうしてそんなに、冷静なんですか。まるで――助かりたくない、みたいに」


 話をし始めてからあった違和感だった。

 ――なにかがかみ合っていない。それが『なに』なのかが分からなくて不安だったのだが……ぼやけていた違和感の輪郭がわずかに見えてきたような気がして、彼女は余計に不安になった。

 転んだまま起き上がらない〝黒帝〟じゃない。そう思い込んでいた。だから、たどりつけないはずのスフィールリアが現れたことに、外界との接点が現れたことになんの反応も見せないことが不自然でしようがなかったのだ。


 スフィールリアの問いかけとも言えないつぶやきに、テスタードは再度顔を向けてきていた。

 そこに笑みはない。怒りもない。どの表情とも言えない、空虚な無表情があった。

 スフィールリアは、自分が彼の心中の核心に触れてしまったことを知った。

 彼は自分の状況を諦めている――いやそれすら違う。

 こうして、状況の打開点となり得る自分がきた。それでもその手を取ろうとしない。むしろ拒絶しようとしている。

 彼は、自らの破滅を望んでいる。

 そうとしか思えなかった。


「どうし、て……」


 テスタードはなにも言わない。また顔を逸らして、正面だけを見ている。

 静かな拒絶があった。

 スフィールリアは途方に暮れてしまった。どうすればいいのか。

 時間だけが流れてゆく。


「魔王を討つのではなかったのか?」


 唐突に口を開いたのは、背後のタウセン教師だった。

 彼はただテスタードを見ていた。その口調は世間話のようになんの他意も感じさせない。

 テスタードもタウセンを見つめ返した。その視線は触れれば切り裂けそうなほどに冷たい。余計なことを、とでも言いたげに。

 だがタウセンは微動だにせず受け止めるだけだった。


「……?」


 スフィールリアにはさっぱり事情が分からない。

 やがて彼は教師から視線を外し、不安げな彼女を一瞥し、また視線を外した。


「……そうさ。俺はそのためだけにこの三年間、すべてを準備してきたんだ。だけど、それがなんだってんだ」


 言葉の最後でテスタードは、吐き捨てるように、笑った。


「いったい、なんの意味があるってんだ……」


「センパイ……?」


 力なくうなだれるテスタードの姿があった。

 そこに〝黒帝〟はいなかった。力強く、不遜で、恐れはなく。だれからも畏怖された〝黒帝〟という偶像は存在していなかった。

 なにかに打ちひしがれ、磨耗し、叫びを上げる力さえ残っていない。

 そんな、スフィールリアが知らない、見たこともないちっぽけな男ひとりが、そこにはいた。


「アレは、魔王の眷属。俺は、それを呼び込んだ重罪人。そう聞いてきたんだろう?」


 やがてなにかを諦めるように小さく笑いを吐き捨て、テスタードが、そう言った。


「それは、あの人が」


 スフィールリアは知っている。テスタードが召喚しようとしていたのは『学院の秘宝』ではないか。そこで、あの上級生がなにかをしたのだ。そんなことはだれの目から見ても明らかだったではないか。

 だが、否定しようとした彼女をテスタードは遮った。遮って、言った。


「その通りなんだよ」


 と。

 数秒の空白が挟まった。


「え……」


 スフィールリアは、意味が分からず、呆けた声しか出せなかった。

 そんな彼女へ、ついに自棄の笑みを見せたテスタードが淡々と白状する。


「それこそが、そもそもの俺の目的だったんだよ。――魔王をこの世に召喚する。俺はそのためにこの学院に入ったんだ」


「そっ……!」


 ごくり、と。スフィールリアは詰まった動揺を飲み込み、どうにか言葉を搾り出した。


「な、なんで。だってあの『召喚機』は、」


「最終的には魔王を召喚するためのものだ。じゃなけりゃ、あんなに頑丈に作るわけないだろ?」


「じゃあ、なんで『学院の秘宝』なんて」


「今まで俺がしてきた研究の裏打ちと補強のためさ」


「研究って――」


「魔王エグゼルドノノルンキアを滅ぼす。俺はそのために全部を準備してきたんだ」


 話が最初に戻る。

 一拍の間、彼女の頭の中は真っ白になってしまう。そんな彼女にテスタードはさらに告げた。


「もちろん、こんな王都のド真ん中でやらかすつもりじゃあなかったぜ? どこか遠く、人里には影響も及ばない場所――そうだな、<キクリエリウム大列剣脈>の西か北あたりが候補地だった。だが他人からすりゃ大した違いはないだろうな。俺が負ければ魔王は野放しになって、世界そのものが滅びてたかもしんねぇんだからな。そうすりゃ、結局のところ俺は、世界に弓引く極悪人の大罪人だ。そうだろ?」


 スフィールリアは、まだ、なにも言えない。


「だから、なにも間違ってねぇんだよ。お前は世界を滅亡させていたかもしれねぇ犯罪者を助けようと思ってきたのか? キャロリッシェも、フェイトのやつも? 違うよなぁ?」


 さらに、テスタードは続ける。それまでの意地悪な口調を消し、今度は諭すように気配を変えて。


「――それにな。お前は自分のためにここまできたと言ったな。まだ俺に価値があると思ってるみたいだが、そいつは間違いだ。もし仮に俺の罪が許されて、釈放されて、なおかつあの魔王の使徒を無事に倒して、さらに学院が原形を留めて無事にコンペ祭が開催されたとしても……無理だ。分かるか?」


 スフィールリアは俯いたまま、視線だけで彼に疑問を送った。


「タウセンと同じさ。今はそれどころじゃねぇんだろうが、間もなく俺の全財産は国に没収される。当然だな。国を転覆させるようなテロリストに力を残しておくはずもない。

 ――まぁ待て。それは俺が今さっき言った条件と矛盾するって言いたいんだろ? もちろん、もし俺の罪が帳消しになるなんて奇跡が起これば、財産の没収は一時的なもので、あとになれば返還されるだろう。だが間に合わない。今後の俺に危険がないかどうかをたしかめるために没収した財産を一から調べ尽くして、俺の素行も見張って、その上で正式かつ面倒な手続きを経て、返還はそれからになる。下手すりゃコンペのあとだ。仮に直前に返還が果たされたとしても――間に合わない。お前のレポートを作成するに足る環境はもはや俺の下にはない。俺についてもお前の望むものは手に入らない」


「……」


「分かったら、帰れ。今ならまだ間に合う」


 記憶の封鎖と学院からの離籍など安いものだ。離れた地に落ち着いて、平和に暮らせ。と、テスタードは言った。

 スフィールリアはどこにも反論の材料を見出せなかった。

 彼の言う通り状況は詰んでいた。ディングレイズという超大国に国家転覆の容疑をかけられ処分を待つばかりな状況の彼を救い出す糸口は限りなく細い。

 その上で、彼女の目標を達成することは困難。

 あの使徒との戦いになれば、大勢の人が死ぬかもしれない。

 あまりにも乗り越えなければならない壁が多すぎる。


「……」


 帰れ。と、もう一度、テスタードは言った。

 スフィールリアは目を閉じていた。

 これまであったいろいろなことを思い出す。いろいろな人の顔も。

 力の意味に悩み、迷っていたアイバ。辺鄙な故郷の物流を支えるために綴導術士を志したフィリアルディ。偉大な家族の重圧に負けずに輝こうとしているアリーゼル。両親の誇りを見失いながらも頑張っていたエイメール。


 フィースミールに憧れこの道へ進み、今では学院長の片腕とまで言われるタウセン教師。フィースミールの直接の姿を知るフォマウセン学院長。彼女に任されてこの学院を背負ったという。

 どういう理由からか何十年も学院に居座り続ける裏サークルの首領。『学院の秘宝』を追うラシィエルノ。ほかにも。イガラッセ教師。教頭先生。フォルシイラ。アレンティア。フェイト。ジルギット。キャロリッシェ。清掃のおばちゃん。掲示板の窓口の先輩――ほかにも――ほかにも――。

 皆、それぞれが違った理由でこの地に集まり、自分と関わってきた。そのすべてが人生であり、きっと譲れない宝物なのだ。

 今その流れの先端に、テスタードという人物の顔が追記されていた。

 そして。


「……」


 閉じたまぶたの裏側で、最後に浮かんだ顔は、あの〝扉〟の前で出会ったフィースミールだった。


「いやです。このままじゃ、帰りません」


「……」


 気がつけば、すんなりと、テスタードの目を見てその言葉は滑り出ていた。


「じゃあ、どうすんだよ?」


 嘲るようなテスタードの声にも動じずに、スフィールリアは自分の要求を告げていた。


「センパイのこと、教えてください」


「……は?」


 馬鹿にしたものではなく、予想外のことだったのか、本当に呆気にとられた声だった。

 しかしスフィールリアは知ったことではなく、ずいと鉄格子ぎりぎりまで身を乗り出して要求を続けた。


「あたし、センパイのことまだなんにも知らないです。どうしてこの学院にきたのかとか、なにをしてきたのかとか、どうしてこんな事態になったのかとか! それを知らないまま、なんにも分かんないまんま全部あきらめて忘れちゃって学院から去るなんていやですよ! なんでセンパイの中からあんなものが出てきちゃったんですか? なんでセンパイあきらめちゃってるんですか? なんで――」


「いや、おいおい」


「――なんで、センパイは魔王を倒さなくちゃいけないんですか……?」


「っ――」


 最後に返ってきたのは「お前それは聞くなよ」というような苦しい類の舌打ちだった。

 がしかし、当のスフィールリアは闘志すら感じられる爛々とした輝きの瞳で見つめ返すだけだった。


「……お前、ここまで散々聞くなよオーラできあがってるところで……チッ……なんで、そんなことお前なんかに話さなくちゃならねぇんだよ」


「あたしが知りたいからです。センパイが帰れって言ったからです。あたしこのままじゃ帰りません! 全部洗いざらい話してもらって納得したら帰ります!」


「だから! 手前勝手に人様の事情に首突っ込むんじゃねーよ!」


 テスタードが手首の拘束具を叩きつけてガツンと鉄の格子が鳴ると同時、さらに強い力でスフィールリアが金のバングルで打ち返していた。


「だから! それをしにきたんじゃないですかッ!」


 まったく悪びれない反撃に、さすがのテスタードも黙る。


「あたしは――」


 反響が収まり、スフィールリアは自分の胸に手を当てて、まっすぐに宣言していた。


「あたしは――首を突っ込みにきたんです。自分から。センパイの事情に」


「…………」


 テスタードの顔は、徐々に彼女の言葉が浸透してきたかのように苦くなっていく。


「っ~~~~~~~~~!」


 最後には苛立ち極まったというように髪の毛をかき回して、そっぽを向いてしまう。

 再びの沈黙。

 しかしスフィールリアはあきらめない。


「……センパイは、どうしてあの時、あたしのところにきたんですか」


「……」


「あたしなんかより、ほかにもっと頼れそうな人とかいたんじゃないですかっ? フェイト先輩とか! キャロちゃん先生とか!」


「……」


「……あたしじゃ、ダメですか? こんなあたしでも、少しはセンパイになにか認めてもらえてたのかなって……うれしかったのに」


「……」


「センパイが背負ってたもの……だれのためにがんばってきたのか! なにと戦ってきたのか! 抱えていたもの、ほんの少しでもあたしに分けてほしいって……あたしじゃそれ、ダメですか?」


「ダメだね。勘違いだ。恥ずかしい思いしたな。帰れや」


「……帰りません!」


「かーえーれーや!」


「帰らないったら帰りませーんー!! センパイのこと知るまで絶対の絶対の絶対に帰りませーーんーー!!」


「おぉ~~、じゃあーいろや! 干からびるまでここにいろやぁ!! トイレ休憩とかもナシだかんな少しでも離席したら失格だからなはいスタートォ!! もう逃げられませェん!!」


「なんでそんなこと言うんですかズルいですよセンパイたち牢屋の中におトイレあるじゃないですか不公平ですズルいズルいズルいそんなこと言ってあたしが開き直って目の前でおトイレし出したらどーするんですかいいんですかぁ!」


「おぉ~~そしたらじっくりたっぷり穴の一番奥まで観賞してやるからよォ! しっかりこっち向いて大股開きでやれよなァ! 楽しみにしてるぜゲヘヘェッ――!!」


「信じらんない最低バカ無理えっち帝国スケベ変態んきぃいいいいい~~~~~~~~~~~~い!!」


「本当に綴導術士かね君らは……」


 頭を抱えるタウセンの前で、ふたりはぜぇはぁと肩で息して睨み合っている。

 さすがに入り口の方から見張りが顔を出して「どうしました!」と非難がましく呼びかけてくる。スフィールリアがけろっと「あっなんでもないでーす!」と愛嬌よく叫び返してから、また不機嫌顔になってテスタードの前に座り直して不退転の姿勢を見せるので、テスタードの方も顔を背けて正面を睨みつける作業に没頭し始める。


「完全膠着だな」


 ため息をひとつ。タウセン教師が、動かないスフィールリアのうしろから声を投げてくる。


「話してやれ」


 テスタードは、答えない。


「どうせ状況の打破を考えていないのなら、ここで君の人生は終わりだ。ならば……いいのではないか? こんな奈落にまで君を追いかけてきた女の子ひとりにくらい、自分の足跡を残しておいても」


「……」


「それに、わたしも気にはなったのでね。最後の時、なぜ君は彼女を頼った? 本当に後悔は残らないか? 本当にこのまま追い返してしまって、それが永の別れになっても? わたしからはなにも話さん。それが契約だからな」


「センパイ……?」


 彼女を見てもいないのに、彼女の瞳が不安に揺れるたび、テスタードの顔は苛まれるように歪んだ。


「君が話せ。君の人生だ」


「…………」


 しばらく、彼は黙ったままだった。

 一分、二分と時がすぎてゆく。何分経ったか分からない。どれだけでも待つつもりだった。


「――くそっ」


 やがてテスタードは、息が切れて観念したように横手で鉄格子を叩いた。その力は押しつけるほどしかない弱々しいもので、表情とともに痛恨という感情が伝わってくる。


「はっきり言って、俺の不覚だ……。これっぽちも似てなんかいやがらねぇのに……お前なんかに、あいつの、あいつらの顔を重ねちまった……。なんでだろうな。そうさ。俺の弱さだよ。俺が弱かったんだ」


「リスティアさん、ですか……?」


「そうだ」


 テスタードの目が彼女の視線を真正面から捕らえる。まったく直感から湧き上がってきたつぶやきに、彼はまったく窮することなく即答した。

 彼の瞳に戻っていた意思の輝きは、いつもの〝黒帝〟のようでいて、違う。

 それは追い詰められた男の目だ。逃げ場を失くし、覚悟を決めた者の――

 背負ったすべての罪を暴露することを決意した顔だった。


「俺の――俺が幸せにしてやると決めた――俺が、助けてやれなかった女の名前だ」


「――」


 気迫の圧さえ感じさせるその悲壮さに、スフィールリアは一瞬だけ呑まれた。

 工房で一度だけ聞いた名前。そのひと言で彼の表情に精彩を与え、しかし次に彼が見せた失望の色は奈落のように深かった。それだけで、もう二度と踏み込めないのだとスフィールリアに確信を抱かせたその人の名。

 それはきっと今も癒えぬ彼の傷口だ。今もう一度、自分はそこに踏み入ろうとしている。傷口は引き裂かれるだろう。彼は泣き叫ぶかもしれない。彼が大切に抱えていたものを暴き、尊厳を踏みにじることになる。もう逃げることは許されない。


「そんなに知りたいというなら教えてやるよ。俺というおぞましい歴史を、俺の罪も――全部な」


「――はい」


 スフィールリアは、ただ静かに男の視線を受け止めた。

 ふん、と息を抜いてテスタードもスフィールリア寄りの壁に背を預け直す。

 すでにして疲れ果てた風に天井へと視線を彷徨わせながら……滔々と、語り始めた。


「つっても、どこから話したもんなんだか。そもそも……そうだな。そもそも俺は、お前たちと同じ時代の人間じゃない。歴史の系譜から消し去られた国から再構築されてやってきた異物なんだよ。なんて言うんだっけか。そうだ。お前たちが言うところの――」


 テスタードは己の胸に手を沿え、悪魔が自己紹介をするように、暗く笑んだ。


「――〝帰還者〟、なんだよ。俺は」


 スフィールリアの双眸が、静かに見開かれる。

 だが、それだけだった。タウセン教師も特になにか言ってくることはない。スフィールリアは表情を戻し、うなづいた。


「まぁ、そんぐらい度胸は据わってるか。安心しろ。俺はちと特殊でな。『オランジーナ・ミッシェリカ』みてーなことは起こらねーからよ。俺を『編んだ』ヤツが、俺の情報構成の終端をしっかりと『閉じた』からだ」


「センパイの故郷も、その、〝霧〟に……?」


 テスタードは手のひらで否定し、タウセン教師に話を振った。


「分からんね。どーなんだ?」


「不明だ。君自身と、君から聴取した情報を元にアーカイヴを辿ろうと試みたが、ほとんど再生ができなかった。大深度の〝霧〟に沈んだ線も濃厚ではあるが、要因はもっと別のなにかである可能性も否定できないな」


「だそうだ。だが俺が〝帰還者〟と同分類される存在なのはたしかなのさ。俺の存在情報は一度、国と一緒に崩れ散った。その上で再構築され、〝帰還者〟と同系統の莫大な〝架空情報領域〟を手に入れた」


「厳密には〝帰還者〟とは〝霧〟の消失プロセスから帰還した者を指すので、彼を学説上においては〝帰還者〟とは断定できない。しかし彼が持つ情報領域――タペストリ領域の広さと特性は、たしかに〝帰還者〟のそれにいくつもの点が酷似しているのだ」


「……」


 さて。と、テスタードはここで区切る。次に再び遠い目をして、おそらく自らがやってきた地を見果てながら――


「こいつは、その、歴史から消え去った『いつか』で『どこか』の話だ。荒れ果てて、ジリ貧で、救いのない世界で……やっぱり救いようのねぇバカな人間どもがのたくってて……その中のひとりが、そうさ、俺だったんだ」


「……」


「だけどそんなクソみたいな世界でも一生懸命に生きて、あがいてるやつらもいて……俺はそいつらに出会って……救われて…………そして――――すべてを壊したんだ」


 ――彼は、語り始めた。



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