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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~  作者:
<3>魔王鳴動と開催前夜の狂争曲の章
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■ 6章 深い水を抜けて(3-18)

 雨が、降り始めていた。


「なんだ、アレ」


 フォルシイラは<近くの森>の一番高い木の上に登って、学院敷地の中央に浮かぶ純黒の物体を眺めていた。


「なんかヤバそう。スフィールリアのヤツ大丈夫かな?」


 ぴょい、と地面に降り立ち、小屋に戻って、玄関前で彼女の帰還を待っていると。

 雨に煙る森の入り口から、目当ての少女が歩み出してくる姿が確認できた。


「……」


 スフィールリアは全身が濡れるのにもかまわずにゆっくりと歩き、玄関の鍵を開けて中に入っていった。


「おう、お帰りだな。なぁなぁ、アレ見たか? すごくヤバそうだぞ。しばらくここにこもってた方がいいんじゃないか?」


 彼女の腰元にまとわりつきながらあとを追うが、


「……」


 彼女はなにも言わず、身体も拭かずに工房へと入り……席に着いて、机の上に突っ伏してしまった。


「……大丈夫か? なんかあったのか?」


「……」


 数分間、彼女はそのままだった。

 ふと顔を上げ、目が合う。

 彼女の双眸は憔悴し切っていた。


「……フォルシイラ~~~!」


「な、なんだなんだ!」


 突然がばと抱きつかれて、フォルシイラは体毛に水分が染み込んでくる感触にギョッと耳を立てた。


「大変なことになっちゃったよぉ~~~」


「分かった、分かった。話聞くけど……せめて身体拭いてからにしてほしいんだが……」


「うおおおお~~~~~~~~ん…………!!」



 スフィールリアは学院内を奔走していた。

 アイバや、フィリアルディたちの姿を探して。

 あの直後に気づいたことは彼らの姿が見当たらないことだった。どうやらアイバが強引に時空を切り開いた影響で、それぞれがバラバラの場所にテレポートしてしまったようなのだ。

 上空に浮かぶ、無数のライトに照らし出された常識外れに巨大な漆黒の球体。そしてテスタードのことも気になったが……まずは〝外〟に脱出したはずの仲間を探して無事を確認するのが先だと決断していた。

 しかし、すでに数十分の時間が経過している。

 深夜だというのに、学院は混迷のただ中にあった。


「なんだ、なんだアレ――!?」

「バケモノだ――」

「計測器の存在量が振り切れてる。普通の生き物じゃないぞ――!」

「ライトを当てるな! 下手に刺激するな! 教職員棟と放送室に連絡を――」


 教師、生徒の区別もない。だれもが起き出した寮棟や研究棟の窓から身を乗り出し、あるいは友人や生徒の姿を探して、あるいは各所への状況確認に向けて駆け回っている。


「アイバ、フィリアルディ――どこ――アリーゼルー! エイメールー!」


 叫んでも返事はなく、届いてくるのは騒乱ばかりだった。

 数秒、途方に暮れてたたずみ――次に向こうも自分を探しているのではないかという発想に思い至った。


「っ……!」


<近くの森>の工房に戻ってみようときびすを返したところで、建物と建物の間から伸びてきた手に捕まり、路地の闇に引き込まれた。


「っ……!? むー! んむーー!?」


 うしろからがっしりと押さえ込まれて、恐慌に陥りかけたところで口も塞がれる。

 猛烈な血臭に包まれ、さらなるパニックを迎えようとしたところで――

 しかし次に耳元で聞こえてきたのは、馴染みのある声だった。


「静かにしろ。俺だ!」


「……テスタード、センパイ?」


 緊張を弱めると向こうも戒めを解いてきて、スフィールリアは呆然と闇の中の彼に向き直った。


「無事か」


「こっちのセリフですよ! なにがあったんですか? 大丈夫ですか? ってまたハダカじゃないですか!?」


 が、彼は答えず有無を言わさぬ勢いで彼女の肩をつかんでくるのだった。


「細かいこと言ってる場合じゃねぇ。分析や説明はあとだ――頼みがある。ひとまずかくまってくれ。そのあとに遣いを頼みたい。俺の工房にいって、言う通りのものとエレオノーラをだな――」


 ただならぬ状況と気配に、スフィールリアはひとつひとつ「うん、うん」とうなづいて彼の要求を理解した。とりあえずではあるが。


「と、とりあえずコレ。腰だけでも隠してくださいよ」


「悪いな……」


 差し出した上着を躊躇なく全裸の腰に巻きつけるテスタード。謝辞を告げてくる態度にも余裕がない。彼自身、かなり気が動転している様子だった。


「とにかく、落ち着いて状況を話し合いましょう」


「お前の工房は、この近くか?」


「あっちの森の中です」


「いこう。できるだけだれにも見られないうちに」


 慎重に路地の外の様子をうかがい、合図と同時に飛び出す。

 薄明かりの中で走るテスタードの全身は、乾いた血にまみれていた。

 やはり最後の瞬間に見た姿は正しかったらしい。全身が吹き飛んでから、あの奇妙な肉の塊の中に再生したのだ。

 混乱のさなかにある学院の中で、テスタードの異様を見咎める者は少なかった。

 やがて講義棟の敷地を抜け、<近くの森>の闇が見え始めてきたところで、スフィールリアは安堵の息を漏らした。

 が、その瞬間にテスタードから体当たりを食らい、吹き飛んでいた。


「きゃあ!?」


「っ!」


 地面に着くころには彼も身体を離しており、受身は取りやすかった。ごろごろと転がって顔を上げると、一瞬前まで自分たちがいた地点に、白く輝くナイフのようなものが突き立っているではないか。


「……!?」


 ゾッと胸を冷やす間もなく、周囲の地面より、まるで影が滲み出すように数個の人影が浮かび上がってくる。

 黒衣の集団。つま先から手先まで、顔すらも見えない。男女の区別もつかない。


「〝カラス〟か!」


 速やかに包囲を狭めようとしてきていた無言の集団は、彼の叫びに意表を突かれたとでも言うように、一瞬だけ動きを止めた。


「『フラガイン』!」


 その機を見逃さなかった〝黒帝〟が一瞬で魔剣を召喚する。

 そして、そこまでだった。

 魔剣を振るおうとしたテスタードが、まさにその正面にいる黒衣の挙動で動きを止める。


「……」


 黒衣は、彼の背後に向けて、指を差し向けただけだった。

 彼が振り向いた先で、スフィールリアが捕まっていた。

 彼女も警戒はしていた。していたのだが、唐突に足元の地面から浮き上がってきた新手の黒衣に対応し切れなかった。

 黒衣は、なにも言わない。


「せ、センパイ……」


「……へっ」


 テスタードが魔剣を捨て、両手を挙げる。

 魔剣は役割を果たすことなく砕け散った。同時、歩み寄った複数の黒衣に腕をねじり上げられ、森とは反対の方向に連行されてゆく。


「せ、センパイ!? ――ちょっと離してよ、お前らだれだよ! センパイどこに連れてく気だ! ちょっと待ってってば!」


「逆らうな。こいつらは〝カラス〟だ。学院の、秘密特殊工作部隊のな――いでで! へへっ!」


「センパイ!」


「逆らわなければ、少なくともお前は殺されないさ。軽く記憶の操作ぐれーはされるかもだがな。短いつき合いのよしみで言ってやるのさ。悪かったな。じゃあな」


「センパイ!!」


 そのまま、〝黒帝〟は学院の闇の向こうへと連れ去られていった。

 どれだけ抗おうとも、うしろから押さえつけてくる黒衣の腕はビクともしなかった。

 スフィールリアは開放されることなく、その足で、教職員棟まで連行されることになった。



<アカデミー>教職員棟。

 学院長室からも、敷地に浮かぶ巨大な球体の姿はよく見えていた。


「魔王〝不死大帝〟が使徒――ノルンティ・ノノルンキア」


 学院長は、振り返らず、ただ厳しい眼差しで正面だけを見据えている。


「伝承の通りの姿だわね。違っていたなら、少しはごまかしようもあったのだけれど」


 学院長を始めとした<アカデミー>上層部は、いち早く物体の正体にたどり着いていた。

 すでに王室にもその正体と出現の報だけは入れてある。王城からもあの異形は見下ろせているだろうが。今頃は大混乱していることだろう。


「~~~~~~~~~~~~っ!」


 タウセンは彼女の背にある唯一の窓から物体の威容を見つめ、痛恨の表情で目じりを揉みしだいていた。


「なんでコンペ祭の準備をしていて、魔王の使徒なんてものが出てくるんだ! これだから特監生というのは……!」


「タウセン・マックヴェル教師」


 振り返らないままの、学院長の呼びかけに。


「はい」


 タウセンは速やかに彼女の背中へ向き直った。


「後見人であるあなたは、特監生テスタード・ルフュトゥムの存在が、かの魔王に関連していることを知っていましたね? その上で、彼を王都、この学院へと引き入れた」


「はい。間違いありません」


「よろしい。あとの処分については追って通達がゆくでしょう。では、お連れして」


 床面から滲み出すようにして現れたのは、スフィールリアたちを捕らえたのと同じ黒衣たちだった。

 彼らが両脇を持ってくるのに、タウセンは逆らわなかった。

 誘導されるままに、部屋の出口へと向かってゆく。


「すまないわね……」


 扉に差しかかり、かけられた言葉には、苦悩と苦渋の味に満ちていた。

 ドアが開くと、そこには同じく黒衣に両脇を固められたスフィールリアの姿があった。


「先生……?」


 これから捨てられる子猫のような顔をしているスフィールリアだったが、タウセンは特になにも声はかけなかった。今は彼女にとって、それがベストだ。

 彼女たちと入れ替わりで部屋からの一歩を踏み出し、タウセンは、横目だけでスフィールリア、そして学院長を振り返った。


「いえ。世話になりました。お元気で」


 扉が、閉ざされた。




「……」


 ようやく黒衣たちの拘束から開放され。

 入学からこちら、何度も足を運んだ学院長室で。スフィールリアはこれまでにない気まずい沈黙の中、学院長と向かい合っていた。


「さて、黙ってばかりいてもしようがないわね」


 観念したように吐息をついて、口を開いたのは学院長だった。

 かすかに肩を震わせて顔を上げ、スフィールリアも彼女の顔を正面に捉えた。

 学院長は、笑ってはいなかった。


「まず、あなたのお友達の安否について。これについては全員、補足できているわ。アリーゼルさんとフィリアルディさんは軽症を負い、現在は第三講義棟の救護室で休ませているわ。エイメールさんとおつきの方は寮棟にて待機中。ロイヤード君は非常事態につき<国立総合戦技練兵課>に呼び戻されて待機任務中。あなたのことをひどく心配していたので、無事であることだけはこちらから全員に伝えてある。安心できたかしら?」


「ありがとう、ございます」


 心の底から安心したのは事実だ。だがスフィールリアは礼を言いつつ、胸のうちにざわざわと膨れ上がる不安を隠し切れなかった。


「あの。でも、どうして……」


「……」


 という言葉しか、搾り出せなかったが。


「あの黒い物体はね、」


 学院長はチェアを回転させて窓の外へと半身を向けた。そのまま、一聞では関係がないように思えることを告げてきた。


「ノルンティ・ノノルンキアと言うの。伝承に伝えられる〝魔王〟エグゼルド・ノノルンキアの、三柱の使徒のひとつだと言われている」


「……」


「魔王エグゼルド・ノノルンキアは『最果ての魔王』とも呼ばれている。一説によれば、世界の終焉に現れる魔王のひと柱であるともね。伝説は伝説。どこまでが正しいのかは分からない。でも伝承通りのあの姿を見るに、楽観視ができる状況とは、とても言えないわね? これがこの世の終わりの予兆だなんて、思いたくもないけれども」


「……あの、」


「スフィールリア」


 学院長は、そこで再び正面に向き直ってきた。


「単刀直入に言うわね。今回のこのできごとは、はっきり言って、以前の『ウィズダム・オブ・スロウン』破壊事件の比ではない惨事なの。あなたにも、学院を離れてもらうことになるわ。同じアーテルロウンの名を持つ者として、あなたと、あなたが大切に思っている人だけはどうにか守ってあげたかった……これがわたしがあなたにしてやれる、今の精一杯なの」


 スフィールリアは、彼女の言葉の細部を聞き逃してはいなかった。


「あたし、も……?」


 うなづく。


「フィリアルディ・マリンアーテ。アリーゼル・フォア・フィルディーマイリーズ。エイメール・トゥールス・アーシェンハス。そしてあなた。今回の事件の発生を間近で目撃したあなたたち全員。問題となる記憶を削除したのち、別件の理由をつけて退学処分という形で処理を進めるわ。すべてが詳細に露見する前に、そして王都におけるわたしの力が失効する前に、速やかにね」


「そんな」


 ここで初めて、学院長は表情らしい表情を見せた。苦悩と疲労の色しかうかがえなかったが。


「あの魔王の使徒についての詳細はまだ分からない。だけどもしもアレが本当に〝不死大帝〟に連なる存在だとすれば、それは――〝不死大帝〟の実在証明にもなる。〝神々〟と同等以上の規模を誇る超絶なる存在。ソレの召喚方法を一部、ほんの少しでも知る人間は危険すぎるの。その手法が確立されれば、超大国ですら容易に滅ぼす兵器になり得る。だからあなたたちの記憶を消して、学院から遠ざける。その上で、事件の中核となる存在を消去すれば……あなたたちだけは、助かる可能性が見えてくる」


「事件の、中核って……」


 呆然とつぶやいてから、彼女はハッと気づき、学院長へと顔を突き向けた。


「テスタードセンパイは!? タウセン先生はどうして連れていかれたんですかっ!?」


 学院長は、静かにかぶりを振るだけだった。


「悪いけれど、彼らの行く先を伝えることはできないわ。本当にごめんなさい」


「っ、待ってください! センパイはなにもしてないんです! センパイに仕返ししようとした上級生の人がいて、ああ、そうじゃなくて、そもそもその人のうしろにいる<焼園>っていう組織みたいなのが怪しくて!」


 スフィールリアは慌てて食い下がった。頭は混乱したままで、確証も得られていないことばかりで、自分でもなにを言っているのかまるで分かっていなかったが。

 そして、学院長の表情にも、変わりはなかった。


「<焼園>という影が王都、そしてこの学院に潜んでいることは知っているわ。彼らがなにかの目的に従って執拗に、こちらの追跡の手も逃れながら活動していたこともね」


「……」


「今回ばかりは、わたしも、やってくれたわねという気持ちだわ? わたしが退陣する前に、なんとしても彼らの尻尾だけはふん捕まえてやるつもりでいる」


 だが、彼女がテスタードらについて追加の言及をしてくることはなかった。

 スフィールリアは愕然と、腕を。そして顔を下げた。

 なにがどうしてこのようなことになっているのか、なにが起こったのか、さっぱり分からない。

 しかし状況は目の前にある。

 きっと今、彼女には及びもつかない力学の中で、話は進行していっているのだ。

 学院長は政治的なことを言ったが、それだけではない。それとは別に、物理的に存在するあの怪物への対処も行なわれなければならないに違いないのだから。


 採集地に現れた魔竜だとか、そんなレベルじゃない。世界に終焉をもたらすかもしれない魔王の使徒だ。戦いになれば――戦いにすらなるのかどうかは別として――どれだけ甚大な被害が出るか見当もつかない。

 今はどういうわけか学院の外に出ようとする動きはないが、明日、あるいは数時間後は分からない。

 アレが敵意を以って王都に侵攻を開始すれば、何万人という死者だって出るかもしれない。


 そもそも明日明後日にこの国が残っているのかどうかすら。その事態に直面した人々が、どう動くのか。どう動いているのか。

 そんな途方もない状況の中で、学院長は自分たちだけでも救おうと優先的に手を打ってくれたのだ。

 そんな彼女に、どうしてこれ以上を言い募ることができるというのだろうか。


「……」


「こんなことでお別れだなんて。残念だわ、スフィールリア?」


 学院長は、最後に、さびしげに笑いかけてくれた。

 スフィールリアは失意のまま教職員棟の玄関口から一歩、踏み出した。

 雨が、降り始めていた。 



「というわけなんだようおおおおおおおおん…………!!」


「な、なるほどなぁ」


 スフィールリアはひとしきり泣いて、少しだけ落ち着きを取り戻した。


「ほら、とりあえずタオルな」


「ありがと……」


 フォルシイラの口から受け取ったタオルで頭を拭き始めていると、玄関口からノッカーの音が響いてきた。


「魔術士のイェルおねーさんがきましたよー!」


 ポンと現れてフフンと胸を張るノックンの頭を指先で撫でてやってから玄関へ。


「す、す、す、スフィーっちー!」


 ドアを開けると、ひどく慌てた様子でイェルが取りすがってきた。


「あ、あ、アレ見たっちかぁ!? なんかザワザワするから起きてみたら、トンでもないものが浮いてるんだぁ! 『精霊球』がめっさガタガタ怯えてるがよー!」


 と、イェルは胸元からペンダントを引っ張り出した。先端にある指先大の水晶は、不安定に赤色の明滅を見せている。


「んん。なにかと思えば精霊王じゃないか! コイツ復元してたのか!」


 スフィールリアのうしろについてきていたフォルシイラが、ペンダントを見て耳と尻尾をピンと立てた。イェルは一時だけ恐慌状態から脱し、きょとんと首をかしげた。


「……フォルっちは分かるっちー?」


「古い馴染みっていうかケンカ別れっていうか。思い出したらムカついてきたぞ。しまってくれそんなモン」


「う、うん。ゴメン……」


 と、ペンダントをしまってから、イェル。

 ハッと顔を上げて、再び恐慌状態に陥っていった。


「どどど、どうしよう~~~! どこに隠れたらいいかなぁ!? 学院――いや王都の外に出てた方がいいかも!? 一緒に逃げようよ~~!」


「…………」


「……スフィーっち? ど、どうしたがやー?」


「えっと。あのね、イェル……」


 スフィールリアは彼女に事情の一部を話した。主に、あの怪物の正体と、自分が学院を去る旨のことを。


「えーーーーーーっ!? そんなーーーー!?」


「だから、イェルも一旦王都を出た方がいいと思う。いなくなる前に顔見ておけてよかったや……」


「そ、そんなの嫌だよぅ。せっかくお友達になれたのに! スフィーっちがいなくなったら、あたいっちこの学院でひとりぼっちの魔術士だよぉ!」


「……」


 イェルが両肩を持って取りすがってきて、お互いの目に、じわりと大粒の涙が浮かんだ。

 次にはひしと抱き合ってスフィールリアは二度目の大泣きに入っていた。


「うおおお~~~~~~~~~~ん!!」


「うえええ~~~~~~~~~~ん!!」


「うるささが二倍になった! もうカンベンしてくれ~~~……」


 結局、その後十数分間、ふたりは泣き続けた。




 ようやくふたりが泣き止み。

 開放されたフォルシイラは工房の窓の外に視線をやった。


「しっかし、魔王の使徒ねぇ……。600年間この学院に住み着いて、いろんなものがポンポン出てくる場所だなぁって思ってたけど、そんなモンが出てきたのは初めてだなぁ。俺様ビックリだぞ」


「うん……」


「まぁ、よかったじゃないか。あんなもんからはさっさと尻尾巻いて逃げるのが正解だろ。残念だけどさ、命があるだけめっけもんだぞ。俺様も逃げよっかなぁ?」


「……一緒にくる?」


 クスンと鼻を鳴らしながら問いかけると、フォルシイラは床にぺたんと寝そべって気楽に答えてきた。


「そだな。考えとくよ」


「うん……」


「とりあえず、荷物とかまとめといた方がいいかもな? 学院出たあとはどうするんだ? まさかウィルグマインのヤツを探すだなんて言わないよな?」


「師匠を探してもなんにもなんないよ。身の振りは……とりあえず、フィルラールンに戻るかも」


「あたいっちも一緒にいっていい? ひとりぼっちで綴導術士さんの総本山にいるのはつらいし、南の方はまだいったことないし……」


「うん、いいよ。一緒にいこっか。心強いよ」


「やったぁ。えへへ」


 弱々しく笑い合って、ふたりは指を絡めた。


「フォルシイラ見たらきっとみんなビックリするよね。あぁ、でもその前に、フィリアルディたちとも話し合いたい。それでどうなるってわけでもないだろうけど……話し合って、気持ちに整理をつけたい。教室のみんなにもお別れしておきたいし。キャロちゃん先生にも」


「……」


「あぁ、そうだ。グズグズしてる場合じゃなかった。状況がこんなだし、いつメチャクチャになるか分かんないし。寮棟にいってみんなの顔見ておかないと」


 タオルで頭をかき回しながら工房をウロウロし始めたスフィールリアは、やがていてもたってもいられないという風に玄関口へと向かう。


「い、今から出かけるん?」


「待て待て、せめて着替えて、傘持ってからいけ」


「あぁ……そうだよね……」


 忙しなく二階へと駆け上がっていって、簡単なシャツとパンツ姿になって戻ってくる。そのまま靴をはいて玄関に手をかけて。


「スフィールリア」


 振り返ると、フォルシイラの静かな眼差しがあった。


「あきらめちゃうのか?」


「……」


 一時、その意味を考えて。

 彼女は表情を隠すように頭をかいて、扉に向き直った。


「分かんない。きっとあきらめたくはないんだと思う。でも今は、分からないこととか、どうしようもないことが多すぎて、さ。…………とりあえずいってくる、ね」


「分かった。待ってるな」


「待ってるっちー……」


 彼女は玄関を出たあと、一度だけ小屋を振り返った。

 短い間だが、いろいろなことがあった庭だ。友達とも出会えた。この場所でがんばっていこうと思った。

 それも、もうじき終わる。


「っ……」


 スフィールリアは泥で靴が汚れるのにもかまわず、がむしゃらに走り出していた。


「くっそおおおおおおおおおおおお!!」


 広がる傘も邪魔だったので畳んで走った。

 とにかく、走っていった。



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