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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~  作者:
<3>魔王鳴動と開催前夜の狂争曲の章
74/123

(3-17)


 光が、満ちて、すぎ去って――


「……!」


 いつまで経ってもまぶたの裏を焼く光が消えないことを訝り、スフィールリアたちは恐る恐る目を開いていった。


「こ、ここが……」

「<封印書庫>……なんですか?」


 真っ白い空間に、彼女たちは立っていた。

 白い――地面と空間の区別さえつかない。果てがあるのかどうかも分からない。

 そんな空間に浮いたおびただしいほどの書架の姿が――近くには林のように、遠くには星のように、見えている。

 静かだった。


「こ、これはっ!」


 声を上げたのはアリーゼルだった。

 右手の書架にある一冊を取り、興奮した様子で手の中の書物をくるくると回しながら眺めている。


「サジタマリカ著作『深遠の都』……はるか西方大陸の神名図書館にわずかばかりの部分写本が残されているだけの……サインも本物ですの……本物ですの……!」


 そして、金縁が施された豪奢な書を開こうとして、


「開くなッ!!」


 先頭にいたテスタードの切迫した怒声で、彼女はビクリと震えて開きかけた表紙を閉じた。


「な、なんですの」

「そいつはトラップつきだ。分不相応なヤツが開くと、その深遠の都とやらを食い尽くした魔物が出てくるぞ」


 断片的にでも内容を知っていたアリーゼルだったので、その言葉は彼女を震え上がらせるのには充分だった。


「……!」


 彼女が本の表紙を頑なに閉じたのを確認して息をついたテスタードは、次に苦い記憶をかみ締めるような顔つきになって、彼女の手の中の書物を眺めた。


「初めて遭遇した時は何度もぶっ殺されながら逃げ出すので精一杯だったな…………この面子と装備じゃ絶対に勝てん。皆殺しになるぞ」


「ななな、なんでそんな書物がこんな入ってすぐの場所にポンと置かれてますの!」


「知るかよ。ここの本どもは自由なんだ。いいか、命がいくつあっても足りないし、無駄な戦闘をしてる時間もねぇ。絶対にここの本は開くんじゃねーぞ」


 こくこくとうなづき、アリーゼルが本を元の位置に戻した。


「基本的に、ここにモンスターの類はいない。触れなくてもいいものに自分からわざわざ触れなきゃ安全だ。お前らも興味本位で本の中身を覗こうだなんて考えるんじゃねーぞ」


 アイバがまじめな顔つきで挙手をして、テスタードに尋ねる。


「では、俺たち護衛を随伴させた理由は?」


「たまにいるんだよ。こっちに興味を持って、向こうから接触してくるような本が」


「なるほど、了解だ」


 うなづき、アイバとフィオロがそれぞれいつでも振るえるよう武器を手に取った。

 彼の言葉の意味するところは、つまりモンスターの接近に気づく暇がないかもしれないということだった。

 周囲は書架に囲まれている。そこからいきなりボトリと落ちてきた書物から魔物が顕現しないとも限らないのだ。

 足場は風景の保護色になって見失ってしまいそうな白い石製の通路が一本。『召喚機』がギリギリ通れるていどの幅しかない。

 戦闘になれば、これとメンバーを同時に護りながら進むのは難しそうだった。


「目的地は<封印書庫>の中心部だ。いくぞ」


 テスタードが歩き出し、一行も予定されていた隊列でついていった。




 白い通路は基本的に一本道で、行き止まりになると円形の広場になっていた。そこから進み方を心得たテスタードが転移術式を起動して、また別の通路に移る。そしてまた別の通路へ……。

 案内役の人間がいなければ、すぐに道に迷って帰れなくなってしまいそうだった。

 ふと、書棚の間の宙からふわふわと漂ってきたものを手に取り、スフィールリアは不思議そうに首を傾げた。


「? なにこれ?」


 水筒だった。表面の布張りが擦り切れて、ひどくボロボロな。

 一瞥だけ振り返って寄越されたテスタードの言葉に、彼女はゾッとしてそれを投げ捨てた。


「ここに挑んで、迷って帰れなくなっただれかさんの装備品だろうさ」




 黙々と歩み続ける。


「この<封印書庫>って、いったい、だれが作ったんでしょうか」


 歩き始めて十数分。ぽつりと口を開いたのは、入って当初より不思議そうに周囲を見回していたエイメールだった。

 行進はいたって平穏で、わざわざ自分から書に触れなければ戦闘も起こらない。

 生徒組の四人はどの書物この書物にも興味を惹かれてはいた。せっかく学院の伝説の一端に手を触れているのだから、なにかの成果を持ち帰りたい。しかしテスタードの厳命によって仕方なく無視を決め込んでいた。

 結果としては退屈そのものであり、気になっていたことでもあったので、すぐに全員が話題に乗っかっていた。


「話の出自は定かではありませんが、少なくとも四百年は前から存在が示唆されていたらしいですわ。姉たちの話によると」


「四百年……てことは、学院長先生が就任するよりも前からかぁ」


「ど、どう見ても人工物よね、通路も、書棚も。いったいだれが、どんな技術で作ったのかしら……」


「……」


 ここでスフィールリアが思い浮かべていたのは、フィースミールの名だった。

 この不思議に満ちた学院を創設したのが彼女なら、<封印書庫>を作ったのもまた彼女なのではないか……?

 と思ったのだが。


「だれが作ったとか、そういうもんでもねーかもしれないけどな」


 テスタードがどこか気のない風な声音で割り込んでくる。


「どういうことですか、センパイ?」


「なぜここの本どもが〝本〟という形を取ってるのかってことさ」


「……」


「それは、〝ここ〟が<大図書館>の一部だからだと俺は思ってる。知識を求めて<大図書館>に訪れる人間たちの意識が、概念が、ここの知識たちに本、そして図書館という形状を与えているんじゃないか、とな」


「つまり、前にセンパイが言ってた<封印書庫>に指向性を与えた存在っていうのは……あたしたち学院生全員……?」


「さてな。だがここの空間は広大すぎる。その『だれか』さんとやらがチマチマと通路作って本棚浮かべて本拾って収納して……なんてことやってたら千年あっても足りねぇだろうな。強いて言うなら<大図書館>をああいう構造にデザインした人間にはなんらかの意図があったとは思うがな。だけどそんな成り立ちの定義や推測に、なんの意味があるんだか」


 その言葉の最後で、ふと〝黒帝〟がなにかに気づいたように上空へと顔を向けた。

 一同も合わせてそちらを見やる。

 はるか上空。真っ白な空間において遠近を確認できる基準は書架の群れしかないが。

 そこに、存在していた。


「汽車ですの」


 アリーゼルがぽかーんと開けた口のままでつぶやきを漏らす。

 彼女の言う通り、そこにいたのは機関車だった。


「汽車ってなに? あんなの見たことない」


 背伸びをしてもっとよく見ようとしているスフィールリアに、一時だけ、アリーゼルとフィリアルディが向き直った。


「南出身ならそうでしょうね。北方にはああいうものがあるんですのよ。北方大陸・東方大陸との交易点も多いですからね」


「わたしも途中まで、ああいう汽車に乗ってきたんだよ」


「へぇ~~」


 レールもない空間で、ぽっくぽっくとどこか暢気な蒸気を上げながら、全員が見上げる先の書架群に寄り添うようにして待機している。そこが駅だとでも言うように。


「…………」


 よく目をこらすと、その書架の傍らで、なにかがモゾモゾと動いているような気がした。

 やがて汽車は目的を遂げたとでも言うように汽笛の音を上げると、いずこかの空へと走り去っていってしまった。


「なんだったんですのあれ……」


「俺にも分からん。前はアレをとっ捕まえてみようと思ったこともあったがうまくたどり着けなかった。だが、どうやらアレは、どこからかここの本どもを運搬して循環させたりしているらしい」


「なんのために!?」


 パニックを起こしかけているアリーゼルに、テスタードは遠い目で汽車を見送るままにかぶりを振った。


「だからさ、そーいう問いかけは、自然界をだれが作ったのかとか、生態系内の動物に対して『お前はなぜその姿をして、その役割を果たしているのか』って聞くようなものなんじゃねぇの。と、俺は言いたいわけだ。俺たち同様、ヤツらも自分がどこから発生して、なんのためにあんなことしてんのか、知らねーんじゃねぇのかな」


「そんな適当な存在がいるわけ……」


「ここは通常の空間から切り離された一種の情報領域だ。俺の理論で言うところの『大元』からこぼれ出した膨大な量の知識。そこから生じ、そこから再生構築された情報どもが、この空間に適応して、いつしか独自の生態とも呼べる機能を獲得していたからといってなんら不思議には思わないね、俺は」


「……」


「アイツを眺めてる時、ふとそんなことを思ったのさ。いくぞ」




 さらに歩き続けた。


「でもわたし、先輩に聞いたことありますよ。どこかにこの世界を一からデザインした『なにものか』が実在するんじゃないかって説があるって」


 と、口を開いたのはまたしてもエイメールだった。

 テスタードがとことん興味なさげに、むしろどこか呆れた風味で彼女の言を補足した。


「アーキテクチャー論か」


 これにぴくりと耳を動かしたのは、アイバだった。


「なんだ、それ? ムズかしい話か?」


「……。要するに、この世を創造した唯一神みたいな存在が実在するんじゃねーかって話さ」


 ちらりと一瞥してからのテスタードの言葉にアイバはポンと手を打った。


「おお! すげぇ分かりやすかった!」


「一発で性質見抜かれてるよアイバ……」


「う、うるさいな。で、でさ。その〝アーキテクチャー〟ってのは、なんなんだ? どんな意味なんだ?」


「……」


 一時だけ面倒くさそうな沈黙を挟んだテスタード。しかし退屈なのは彼も同じなのだろう。

 気が乗らない風ながらも、語り始める。


「ニンゲンという生き物は神から愛され、作り出されるべくして作り出されたという風に考えるヤツは多い。この宇宙の物理定数、そしてこの惑星の大きさや、太陽までの距離が、今よりもほんの少し違っただけで人間は生存できなかっただろうと言われている。こういった事柄を突き詰めてみると、この宇宙のなにもかもが、人間という知的生命種が誕生するに適したように作られているように見える。こんな考え方を『人間原理』と言うんだが」


「ふ、ふむ。なるほどな。それで?」


「アイバ君、大丈夫? 無理してない?」


「汗がすごいですよ。お水飲みます?」


「や、やめてくれ! 俺を気遣うな!」


 そっとハンカチや水筒を差し出してくる少女らにアイバは激しく拒否反応を示した。


「……。で、だ。それを綴導術士どもがさらに突き詰めたみてーな話が『アーキテクチャー論』だ。広大な<アーキ・スフィア>を見渡すと、どう考えてもそれをデザインした連中がいるとしか思えないというような構造に突き当たることが多い。世界をケーキでも切り分けたみてーにきれいに十二分割した<アーキ・スフィア>基底部の〝ガーデンズ〟。上位構造につながっていると思わしき〝神域〟。世界(アーキ・スフィア)の局所的変動時に、まるでそれを治める使命を与えられたかのように発生する、〝絶対色〟を持った英雄。などなど、だ。これらの整然とした〝機能美〟を見て、<アーキ・スフィア>をこのように設計記述した〝始原の執筆者(アーキテクチャー)〟がいるのだと信じて疑わない一派がいるのさ。そんな連中のことを『アーキテクチャー論者』と呼ぶ。まぁ、およそ科学的とは言いがたい熱狂的な連中だが」


「宗教ですわよね、どちらかと言うと」


 思い浮かべて気疲れしたかのような吐息を漏らす〝黒帝〟とアリーゼル。


「そ、そうなのか?」


「ソイツらの主張によると〝始原の執筆者(アーキテクチャー)〟は、人間という種族のために世界のすべてをデザインし、そしてすでに世界の始まりから終わりまでの『すべて』の執筆を終えているのだそうだ。要するにこの世はアーキテクチャーという神が人間のために作ったものであり、過去から未来のできごとまでのすべてが決定されている。だからそよ風ひとつが吹くことから人間が死ぬことまで全部も決められたことであり、大局的に見れば、それらは全部人類への愛によって構築されているって言うんだから、そりゃもう、あとは崇めるぐらいしかやることがねーわな」


 話が期待していたのとぜんぜん違う向きになっていることがありありと分かる様子で、アイバは顔をしょげさせていった。


「な、なんだ。なにかと思ったら、そーいう話だったのか……」


 が、テスタードは振り返らずに真面目な声音のままで続けてきた。


「だがそれは、あくまで極端な方向に突っ走っていった連中の話さ。そもそも『アーキテクチャー論者』ってのは、綴導術士の間で囁かれる『アーキテクチャー仮説』を噛み砕いて解釈して取り込んだ外部の神学者や一般人どもが大半なんだ。中には逆にそいつらに取り込まれた綴導術士たちも含むんだがな」


「丸ごと根拠がない話でもない、ってことか……?」


 うなづく。


「――実際に<アーキ・スフィア>の作りには不可解なほどに整った部分が多いのも事実だし、そういった構造の果てに〝神域〟、その向こうにいる〝神々〟と呼称される上位情報構造の謎が隠されているんじゃないかと研究を続ける機関も少なくはない。

 またこれは『アーキテクチャー論者』の主張の基になった部分だが、世界は基本的に未来へ向かって進んでいるように見える。<アーキ・スフィア>の構造を見ると、未来の構築は過去そして現在の宇宙の運行速度を常に上回っていないと説明ができない。

 ではその未来や過去を常に〝記述〟し続けているのは何者なのか。それを行なう『なにか』のことを仮に〝神の筆〟と例えることがしばしばある。

 しかしこの世界という枠組みの中に生きている俺たち生命は、この世界の仕組みの外側を見ることができない。常に〝現在〟に生きているから〝未来〟に追いつくこともできない。だから実は未来へ向かって生きているつもりの俺たちには、すでに先行して記述を行なっている〝神の筆〟が、執筆途中のように見えるだけなのではないか……とする仮説が大本なんだ」


「……」


 見かねたフィリアルディが、背伸びしてアイバの顔の汗を拭ってやっている。


「……要するに。俺たちより早く動いててどーしても追いつけねぇ神サマの手の〝残像〟を見てるだけなんじゃねーかってことだよ。俺たち人間は」


「お、おぉ……!」


 無限に続く闇の中に光明を得た感じでアイバの表情に救いの色が広がってゆく。

 そういえば教官さんを捉えようとするともう別の場所にいるんだ、といつもボヤいていたなとスフィールリアは思い出していた。

 実に彼に適した例え方だったなと思えた。


「俺たちから見た未来は常に不確定だ。だが〝神〟から見た世界はどうだろうか。

 世界は常に不確定であるがゆえに、あらゆる未来の方向へ転がれるように〝遊び〟が用意されている。サイコロを振って一が出た世界もあれば六が出る世界もあり得る。学校に出席した場合の自分の世界とサボった場合の自分の世界。そういったすべての可能性に対応しているのが宇宙ってもんだ。

 では確定する未来についてはどうなのか。多世界解釈で世界を見れば未来の増殖度は無限と言ってもいい。その無限に広がる世界を、〝アーキテクチャー〟は無限の速度で執筆し続けている。

 逆に言うと、すべての可能性がすでに用意されているのなら、そのどれかひとつに俺たちが着地したところで、それは『予定通りなこと』にすぎないのではないか? 俺たちが見ている世界は、選び取ったつもりの未来も、アーキテクチャーから見れば執筆を終えた〝分岐点〟のひとつにすぎないのではないか? ――これがアーキテクチャー仮説の噛み砕いた概論だ。理論を感覚的に説明するために擬人化を行なった結果、外部の人間にそのままの解釈で伝わっちまったというのが実際のところだな。ままあることだ」


「……」


「俺たち人間は宇宙法則の外側では生きられない。星々の明かりが何万、何億年前の姿を示すように。光よりも速く膨張してゆく宇宙の先端に追いつけないように。だけどもしかしたらその枠組みを超越して存在する構造が、未来や過去を作り続けているのかもしれない。俺たちはそのことを現在としてしか認識できない。その機能を俺たちは仮に〝始原の執筆者(アーキテクチャー)〟と呼んでいるんだ」


 アイバは、肩に担いだ聖剣の柄下を見ていた。なにかを思うか、あるいは、問いかけるかのように。



「ここだ。ここが、<封印書庫>の中心だ」


 最後の空間転移を終えた先の通路には、書棚がなかった。

 見晴らしのよい白い石の一本道。

 円形の行き止まりまで歩いてゆく。

 その先に、膨大な量の〝光〟が渦巻いていた。


「……!」


 圧力さえ感じさせる奔流。嵐と言ってもよさそうだった。

 見果てることさえできない深奥から、途切れて見えなくなる彼方まで。とめどなく噴き出しては昇ってゆく情報の洪水だと術士の少女たちには理解ができた。


「こんな、これだけの情報量が……いったいどこからくるって言うんですの……」


 同時に、以前に聞かされたテスタードの言葉にも納得がいっていた。

 これは、図書館がどうだとかいうレベルではない。彼が言うような『大元』とでも呼ぶべき存在を仮定しなければ、およそ説明もつかない。この<封印書庫>に存在する書籍たちは、この空間に関連づけられた<大図書館>によって与えられた指向性に捉えられえて漂う、ほんの『水しぶき』の一部ようなものにすぎないのであると。


「これが、『大元』から漏れ出す情報の、ほんの一部分……」


 この奔流の『大元』とやらを正しい形で呼び出し、自由に任意の情報にアクセスすること。

 それはともすれば、世界の覇者の座を手に入れることに等しいのではないか?

 息を呑む一同に、テスタードは淡々と『召喚機』の布を取り払いながら告げるだけだった。


「実際には呼び出してみなくちゃ分からんという面はあるがな。だがコレを見て分かっただろ。肩透かしを食ったとしても、コンペを引っくり返すぐらいのものにしかならんってこった。おら手伝え助手ども」


 しかし、彼の声を遮ったのはアイバだった。


「気をつけろ。――なにか、くるぜ!」


「……!」


 アイバが振り返って警戒しているのは彼女たちがきた〝出入り口〟の広場だった。

 そこの中心に、静電気にも似た小さな電光が踊る。

 戦闘の陣形を取る一瞬前には、現れていた。


「いやぁ、出迎えご苦労ご苦労。ショーの時間には間に合ったのかな?」


 軽薄な拍手とともに円形から歩み出してきたのは、先日一方的に絡んできては一方的に炎の中に消えていった、イルジースという男だった。

 モンスターでも出てくるのかと身構えていた一同から、やや肩透かしな空気が放出される。

 が、場所とタイミングを考えるに、手放しで出迎えてやるわけにはいかないことも全員が理解していた。


「うひぃっ!?」


 唐突に真横の足元が弾けて、男は怯えて通路の幅ギリギリまで飛び上がった。


「動くんじゃねーよ」


 ニヤニヤ笑いで告げたのは『レベル1・キューブ』を打ち出した体勢の〝黒帝〟だった。


「目的はなんとなくつーか思いっくそ分かるけどな。どうやってここまできた? はっきり言うがな、テメーごときが入り込んで無事で済むところじゃねーよ、ここは」


 イルジースは自分が立つ足場の下に広がる無限遠を見て明らかにガタガタと震えていたが、テスタードの言葉に気がつくところがあってか、余裕ぶった態度で前髪を梳き上げて見せた。


「ふ、ふふ……! その口ぶりだと、やっと思い出してくれたようだな? こんな懐に入り込まれるまで敵の名を忘れているだなんて、ずいぶんと、う、うかつじゃないか。ええ?」


 ああ。とあっさりうなづきテスタードが認める。


「イルジース・マルコットー。てめぇから名乗ってくれたおかげで検索しやくて助かったぜ、マヌケが。一年の時の『ぶっ殺してやる連中リスト』を見返してみたら一番最後の方にあったわ。メインの復讐相手の、金魚のフンみてーな連中のひとりさ」


「なんでそんなもの今も取ってあるんですか……」


 たらりとひと筋の汗を流すスフィールリアだったが〝黒帝〟の返答はまたしてもあっさりとしていた。


「復讐の復讐を企てるヤツがいたらすぐ分かるだろ。この単純バカみてーにな」


「はぁ~、なるほどぅ」


「ばば、バカって言うな! それに、なんだその位置づけはっ!」


 イルジースを見やる〝黒帝〟。

 ニヤニヤと、見てきた書類を読み上げるように解説し始める。


「とにかくどうひいき目に評価して取り繕っても、どーしようもねーレベルで雑魚としか言えないレベルだってんだよ。――イルジース・マルコットー。マルコットー子爵家のひとり息子。家柄も本人も大したことねーくせに、親の持つ交友関係を笠に着て勘違いしてるおめでてーボンボン貴族様だ。自分が所属してるカーストの上位貴族生には必死にゴマすって、下位や一般生には暴君のように接する、典型的な『貴族生』のひとりだ。自分の家柄やグループの力をチラつかせて一般生下級生女子に愛人契約や猥褻な行為を強要するなどして、学院側からも何度か実家に警告が飛んでるぐれーだ。悪評や陰口の件数だけは一丁前だな、ははっ」


「うっわぁ…………」


「な、なんだその目は! なにか言いたいのか!? お前ら何様のつ、つもりだ! かか、下級生、しかも一般生のくせにっ!?」


 ここまでを聞いての女子陣はドン引きを通り超えた冷たい半眼になっていた。とりわけ、アリーゼルが放つ嫌悪のオーラはイルジースにも見え見えとしていただろう。


「四年生まで上がれたのも、実は家柄でもましてや本人の実力のおかげでもねぇ。学院に多額の寄付をしている、実家の後ろ盾にいる有力貴族サマがお情けで口利いてくれたからにすぎねぇ。だが本人もそのことは認識しておらず、実はコイツの両親が裏で必死こいてその上位貴族に夜通し頭を地面にこすりつけた結果仕方なく動いてやった結果と言うんだから笑えるよなぁ」


「なっ……!?」


 イルジースは水を浴びせられたかのようにうろたえていた。


「なんだ、それは!? なんだお前らその目は! う、ウソだからな!? 〝黒帝〟の悪辣な捏造だ!」


「ウソなんかじゃありまっせーーん! お前あのあと俺に復讐するために親の力を使おうとしたんだよなぁ。だけどお前を説得してその報復行為を思いとどまらせたのは、ほかでもない…………〝だれ〟だったのかなぁ!?」


 凶暴に笑って追い討ちをかける〝黒帝〟の言葉に、男は記憶をたぐり……青ざめたようだった。


「まさか……」


 轟然と、這いつくばる敗者を踏みにじるように睥睨して〝黒帝〟が告げる。


「なんのために俺があれだけの〝準備期間〟を使ったと思ってんだ。てめーら貴族組はやたらと家の威光を負ぶさりたがるクセに、学院の〝外部〟で起こってることにゃ目も向けねー。おかげさまで動きやすかったぜ。探られて痛む腹ぁ抱えてねー有力者なんてめったにいやしねーからな。どんなヤツでも回り道すれば圧力はかけられる。だれも手をつけてねーお宝がザックザクな気分だったぜ」


 むろん、話せと言われて素直に隠しごとを話す有力者たちもいない。だから優秀な綴導術士である彼がどんな手を使ったのか、むしろ想像に難くなかった。

 だからこそ、信憑性という点では疑いようもない。


「…………」

 沈黙は長かった。


 イルジースは顔を真っ赤に染め上げ、両のこぶしを握り締めて震えている。

 全員が、冷たい眼差しを彼に向けていた。

 やがて、


「……に、しやがって」


「はーん?」


「バカに――しやがってバカにしやがってバカにしやがって――いつも! あの時も今も!! なにが〝黒帝〟だ! たかが一般生のくせに! 一般生のくせに――お前ら――その目でぼくを――見るなァ!!」


 爆発した。

 力みすぎて泡でも吹き飛ばしかねないほどの勢いで前のめり、わめき散らした。

 スフィールリアとフィリアルディは怯えるように眉をひそめて。アリーゼルはただただ嫌悪の表情を。エイメールは、どこか痛いものを感じるかのような眼差しで。

 みな、冷めた心境で彼を見つめ続けることしかできなかった。

 これもまた、学院という場所に横たわる現実のひとつだった。

 見ている世界が違う。住んでいる世界が違う。両者の間には、次元の隔たりにも等しい溝が存在していた。


「――くそっ」


 実際力みすぎて酸欠になりかけたのか、ふらついた頭を振ってから、イルジースという男。武器か切り札の存在でも思い出したかのように悪辣な笑みを浮かべ、『召喚機』の横にいるテスタードを指差した。


「おとなしくしてれば見逃してやったものを! だがまぁいいさ。警告を無視したな――その落とし前をつけさせにきてやったのさ、ぼくは! 怯えるがいい、慄くがいい! ふははははは!」


「そうだな。わざわざ真正面から、バカ正直にな」


「……へっ?」


 笑みのまま即答したテスタードに、乗りかけていた調子を外されたイルジース。

 その背後に、目では追えないスピードで、アイバが回り込んでいた。


「あぎ!?」


「事情は知らんけど、悪いな」


 腕をひねり上げられて苦痛のうめきを漏らし、男はあっけなく身動きひとつ取れなくなった。

もがくことぐらいはできるだろうが、痛みでそれどころではないようだった。


「は、離せ、離せぇ! <国戦課>の訓練兵風情が……どうなるか分かってるのか、覚悟しとけよ……あぎゃぎゃ!?」


「いやー。すんませんけど、場所柄、危険なことされるとね。どうなるか分からないし、正当防衛ってことで」


 アイバは特に力を変えていないようだったが、振り返って怒鳴ろうとしたせいだろう。男は次には涙さえ浮かべて懇願していた。


「や、やめて……折らないで……!」


「いやそこまではしないっスけど」


 とそこで、アイコンタクトで是非を問われてテスタード。うなづきで『そのまま』と伝えて、『召喚機』を乗せた台車から頑丈そうな縄を取り出していた。

 ぴしゃん。と〝黒帝〟の手の中で縄が鳴く。


「ひっ!? な、なにを……」


「いやはや実際、迎えにいく手間が省けたぜ。正直、邪魔者の正体も妨害の手段も分からねー。調査する手間も時間も惜しいときた。そんなところに自分からノコノコとやってきてくれるんだからなぁ」


「え……? え……?」


 アイバに捕まえられた哀れな男の下に、歩み寄りながら。


「お前の身柄はコンペが終わるまで俺が拘束する」




「ち、ちくしょう! 離せ! この縄を解け! な、なんたる仕打ちだ、許されないぞ!!」


 数分後。

 テスタードは鼻歌を吟じながら、円形の中央で上機嫌に『召喚機』の準備を進めていた。

 男はアイバとフィオロに見張られつつ、円形の端に置かれている。


「……」


 一方で〝黒帝〟を手伝いながらもどこか哀れを催しているのは女子四人組だった。

 その表情は一様に『まぁ、そりゃそうだよねぇ……』と言いたげなものである。

 なんらかの手段を用意し、こちらの活動を明確に妨害すると宣言している者が目の前に現れたのだ。拘束して、目的の期間がすぎるまで封じておくのが一番手っ取り早い。

 まぁこの彼の様子を見るにちょっと脅せばその手段というものについても容易に口を割りそうではあるが……それはこの試験稼動が終わってからということだろう。

 外に出れば刺客の失敗を知ったバックボーンが新たな手を打つかもしれないが、この<封印書庫>、この一本道にいる限りはその点も安心だ。稼動試験は滞りなく進む。いいタイミングとは、そういうわけだった。

 与えられた手口さえ吐かせれば、内容次第だが、敵の次手もたやすく封じることができるだろう。〝黒帝〟ならば。


「お、おいそこのお前! ぼくの縄を解いてくれ! 解いてくれたら、今なら愛人にしてやってもいい。よくしてやるぞっ、うんっ?」


 アイバたちの近くに置いていた部品を取りにきたスフィールリアは、目を合わせないように淡々と準備を進める。

 ダン! とアイバが床にかかとを打ち下ろし、男はまた「ひいっ!?」と情けない悲鳴を上げた。


「……なぁ、スフィールリア。このお坊ちゃま、少し静かにさせてもいーか?」


「とりあえずガマンしといて。ケガさせるとあとで面倒になるかもしれないし」


 とそこで、テスタードが意地の悪い笑みで振り返って、こんなことを言った。


「いいこと思いついたぜ。考えてみりゃ、ソイツがここに入り込める技術もなにもねぇことは成績や実績から見ても明らかだ。後ろ盾の手引きで入ってきたのさ。たぶん守衛もソイツが<大図書館>に入る姿は見てねぇ。通路の外は無限の擬似空間……」


「!」


「落ちても……だれもなにも見なかった。どうだ?」


「……!」


 イルジースは恐怖に顔を真っ青にしてから……観念したように、うなだれた。

 ふん、とつまらなさそうに鼻息を鳴らしてから、テスタードは調整作業に戻っていった。


「つくづく想像力の足りねーバカだぜ。なーにが愛人だ。貴族がそんだけ横暴きかせられんのも、学院っつー超法規的な閉鎖空間にいられる間だけだっつーの。いくら貴族だからってんなことばっかしてりゃ、外に出たとたん世論からフクロにされるに決まってんだろ。なんのためにお前らの親が学院内で揉めごとをもみ消せる構造を作るように力を注いでるのか、考えたこともねぇんだろうな。だからお前の親、すっげー必死なんだぜ?」


「あ、そうなんですか?」


「まー実際、そこのおバカさんほど過剰に勘違いなさってる貴族生も珍しいでしょうよ。むしろグループの方々も、いい加減彼の尻拭いをさせられるのにウンザリしてらっしゃるかもですわね? 学院から家に警告がゆくというのは、かなりあとがない状態ってことですわよ」


「っ……!」


 アリーゼルの眼差しに、またもイルジースはうつむかせた顔を真っ赤に力ませていた。


「ま、貴族生全員が雑魚クズってわけでもねーけどな。気骨のある連中もいる。綴導術関連の品は高額で、だからなんだかんだ、家の財力であるていどまでの先行教育を受けられる貴族組は一般生の大半より何歩も進んだ状態でスタートするわけだ。見下すヤツも出てくるわな」


 と、立ち上がるテスタード。機材のチェックと調整を終えたようだった。


「始めるか」


 テスタードが『召喚機』の前に立ち、内部術式を監視するボードを渡されたスフィールリアがその少しうしろに待機する。残りのメンバーは念のため、円形広場の外縁近くに下がらされた。


「起動する」


 動力を入れる。機材の一部である宝玉に手を置き、〝黒帝〟が膨大なタペストリーを編み始めた。


「動力正常。起動術式A-1番からA-12263番まで全部青ランプ。Bスタート」


 あらかじ試験の手順を教えられていたスフィールリアが、落ち着いてボード内に表示されてゆくステータスを読み上げてゆく。


「A-18022番に黄色ランプ」


「直した」


「A-22102からB-24884まで青ランプ。『召喚機』、起動しました」


 うしろに控えていた一同から「おぉ~……!」と静かな歓声が上がる。

 牙のように突出した部分に支えられるオーブのように、半透明な球体が現れた。その球面情報領域にはまだなにも書き込まれていない。待機状態に入ったのだ。


「内部のホログラフィック・キューブ・メモリーへの術式書き込み、全部青ランプです」


「うし。次は予備のメモリーキューブだ」


 テスタードが装甲の一部を開き、内部から透明の六面体を取り出す。入れ替わりでケースから取り出した同じパーツを内部にはめ込む。

『召喚機』は、起動用の術式と召喚用の術式の2セットで運用される。

 起動用の術式を情報媒体に記録しておけば、次回からは自動で起動手順をこなせる。そのための大事な最初の記録手順だ。


「二個目のメモリーキューブ。書き込み完了。エラーなしですね」


「次な」


「は、はい。召喚術式っすね」


 起動術式自体がかなり複雑なものだったが、テスタードは疲労も見せずに淡々と次の段階フェーズに移行した。


「召喚術式、スタート。A-Dの5600まで青ランプ。10000……16000……基礎部分終了。全部青ランプです。召喚術式、投影開始」


 台座の上の情報球面が変化し、視覚化された莫大な術式陣が投影され始めた。


「問題……なさそうですね」


「まぁ、な。分かってはいたことだ。<賢人の茶会>の連中の言ってることはたしかに不可解だが、こちとら何度も確認したからなぁ」


 術式陣の輝きを見上げながら当然のようにつぶやくテスタード。実際、機材にもなんら問題は見受けられないように思われた。

 スフィールリアから見ても、召喚自体は、まず間違いなく成功するだろう。

 だとすれば、残る可能性は……


「センパイとラシィエルノ先輩が追いかけてるものが、実はそもそもまったくの別物だったとか……?」


「それなら茶々入れされる言われもないんだがな……」


 彼自身、ここまでうまくいっている現状に肩透かしを食っているようではあった。あそこまで自信満々に言い放たれたので、予想もつかないトラブルでも生じるものだとでも思っていたのかもしれない。


「……まぁ。召喚してみりゃ分かることだ」


 と、再びテスタードが手をかざす。

 その時だった。


「く……くく、く!」


 振り返った先で、うなだれた姿勢でいたイルジースが、肩を揺すっていた。


「なんだ?」


 仕方のない子供の駄々でも笑うような顔でテスタードが彼を見やった。

 男の表情は、うつむいたままで、だれからもうかがえなかった。


「たしかにお前の『召喚機』は完璧だよ。完璧なんだろうさ。……だけどな、お前はなんにも理解していない。お前自身のことさえも。笑ってしまうよ、本当に。なにも知らないままに学院に潜入して、人間のように日々をすごしてるだなんて。バケモノめ。はは、は……」


「…………は?」


 テスタードは訝しげに眉をひそめた。

 どうせなにもできやしない。だがどこか得体の知れない不気味さを漂わせる彼の様子に、自然と『召喚機』を守るように身構えていた。


「<賢人の茶会>の警告もそうさ。お前は『学院の秘宝』という存在を勘違いしている。ぼくを拘束したことも見当違いだ。なにもかも見当違いだ。お前は失敗する………だけどなぁ……ぼくが言ってやったのはなぁ……違うんだ……それとも違うんだよ……ウゥ! ウェ!」


「!」


 テスタードは異変に気づいた。男がしきりに腹筋を躍動させて、えづき始めている。口腔の奥から唾液よりも粘性を感じさせる液体がこぼれ落ち出して、周囲の面々がギョッとあとじさった。


「アイバッ! そいつを道の外に蹴り飛ばせッ!!」


 テスタードが叫ぶ。だが突然の指示には躊躇が生じた。いくらなんでも無茶な要求だった。

 そして、それだけで充分だった。


「ぐ、ふ、ふ。お前の『召喚機』に問題はない。ぼくが身動きを封じられても問題ない。〝問題〟があるのは…………お前自身なんだから・なぁ!!」


 イルジースが大口を開けて顔を上げた時、その舌の上には純黒の結晶が乗っかっていた。

 胃液と唾液まみれのソレが、音を立てて床上に落ちる。


「ソレ、は――」


 テスタードの双眸が驚愕に見開かれる。

 彼以外の全員が状況を理解する間もなく、結晶は純黒の靄となって解体されていった。

 その靄が、呼ばれたようにテスタードの全身にまとわりつく。


「ば、か、な――――」


 次の異変はテスタード、そして『召喚機』に現れていた。


「が――はァアアッ!?」


 突然に苦しみ出した彼の口から、さらに全身から、爆発したように〝邪黒色〟の〝気〟が噴き出した。その〝邪黒色〟が、『召喚機』に投影された召喚術式へと乗り移ってゆく。


「ギ――な、ん――がふっ、ごぼ、お、あ、あ、あああああああ…………!!」


「センパァイ!?」


 助けに向かいたかったが、〝邪黒色〟の濃度が高すぎて、スフィールリアでも近づけなかった。


「なに……これ…………」


 情報球面が、歪んでゆく。急速に、禍々しく。

 勝手に『なにか』の〝召喚〟を……始めている!


「てめぇ――なにをしたぁ!」


「いひ、ひひひははははははは…………!」


 アイバが胸倉をつかみ上げるが、男は狂ったようによだれをたらしながら歓喜の表情で哄笑するだけだった。

 その足はガクガクと震えており、股間の部分の布がどんどん濡れていっている。それだけの怯えを示しながらも、笑っていた。

 狂気としか、言えなかった。


「お前が悪いんだぁ……散々ぼくをコケにしやがってぇ…………〝成功〟なんてさせない。死んだってお前を殺してやるんだぁ…………! 爆ぜろ〝黒帝〟ェ! そしてその正体をコイツらの前に――晒せぇ! グベュン!」


 アイバはとりあえず男を殴り倒した。

 状況はかまわずに進行してゆく。


「スフィールリア、下がれ! 『召喚機(ソレ)』から離れろ!」


「……でも!」


 もはや黒い奔流に隠れつつある『召喚機』の傍らで悶えるテスタードからも声が届いてくる。

 いや、声だけではない。〝邪黒色〟の渦の中から、彼女のつま先まで、転がってくるものがあった。

『レベル10・キューブ』だった。


「セン、パイ……?」


「ソ、イ、ツ、で……俺を、消し……飛ばせ!」


「な、なに言ってるんですか!?」


「時間が、ねぇ――なにかが、くる――俺の、中、カラッ! 今、俺、タペストリ……練れね…………やれ、ェ!!」


「……!」


 スフィールリアはガチガチと歯を鳴らしながら『キューブ』を拾った。だが、できなかった。


「ッ……!」


 それを悟ってか苦しみからか、渦の中から歯軋りが聞こえてくる。

〝邪黒色〟の奔流と『召喚機』の鳴動は加速度的に大きくなってゆく。


「スフィールリアっ!」


 アイバが彼女の腹を持って引きずってゆく。ほかのメンバーも、すでに出入り口の円形まで退避させられていた。


「空気がヤバい。逃げるしかねぇ!」


「ま、待ってよ!?」


「セリエス!」


 スフィールリアを抱えたまま片手で保持した世界樹の聖剣にアイバが怒鳴る。


《アーキテクチャーモード試行》


「うらぁ!」


 一刀を振るう。

 しかし空間に水を切ったような波紋が生じるも、以前のように空間を斬るまでには至らなかった。


「くそっ、こんな時に!?」


 その瞬間、背後の渦の中から、テスタードの獣の断末魔じみた雄たけびが響き渡ってきた。


「ぐっっ…………ガアアアアアアアアアアアアアア!!」


 次に渦の中から投げ飛ばされてきたのは、彼お馴染みの黒い〝触媒〟だった。同時、とにかく力任せに編み上げたとでも言わんばかりの、巨大で歪なタペストリ構成が展開される。


《空間連結情報に亀裂》


「!」


 アイバは即座に理解し聖剣を振るった。

 乱暴に二刀、三刀。空間に生じたあいまいな斬線を蹴破ると、<大図書館>前の暗い芝の風景が広がっていた。


「急げ!」


 気絶した男を乱暴に〝穴〟の外にブン投げ、続いて少女たちを次々と強引に追い立ててゆく。

 最後に暴れるスフィールリアを抱えて自分も〝穴〟の縁に足をかけ。


「……すまん!」


 ひと言だけ『召喚機』の方角に感謝の言葉を投げかけて、アイバは身を投げ出した。


「……!」


 外に飛び出した、最後の瞬間。

 スフィールリアは、『召喚機』の前で爆裂四散する〝黒帝〟の姿を見た。

 真っ白な空間を純黒の瘴気が満たしていって。

 夜闇に発生した大爆発によって<大図書館>の本館は押し潰され、吹き飛ばされていった。




 その夜。

 その空に現れたソレを、起き出しただれもが呆然と見上げることになる。


「う、く…………!」


 瓦礫と土砂の中から這い出して……

 スフィールリアも、空を見上げていた。


「テスタード、センパイ……?」


 立ち上がり、ふらふらと歩み出した先で。

 夜の闇よりも深い、巨大な純黒の球体が、学院の敷地上空に浮遊していた。

 魔王の使徒――ノルンティ・ノノルンキア。

 突如として現れた異形の存在により、この日、王都全域に非常警戒宣言が発令された。


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