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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~  作者:
<3>魔王鳴動と開催前夜の狂争曲の章
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■ 5章 焼園魔牙(3-14)

「テスタード様、起きてください、テスタード様!」


「う、ん……」


 だれかが身体を揺すってくる。

 その感触で、テスタードの意識は覚醒した。

 目を開いても、まだ視界はぼんやりとしていた。眼球が乾いている。よほど根を詰めたあと、ロクに睡眠時間を取らなかった時の症状だ。

 あいまいな景色の中に映る色は黒。こちらに手を伸ばして肩を持っている少女の髪の色だ。

 目の焦点が定まると、少女はぱっと身を翻して離れていった。そのまま、微笑とともに彼を見つめてくる。


「起きました?」


「あ、あぁ……ええっと。……なんだっけか」


 ソファから身を起こし、テスタードはボサボサになった髪の毛をかき回しながら記憶を掘り起こそうと試みた。

 そうだ。ここは自分の工房。たしか、スフィールリアに指示した通りの品を作らせている間に仮眠を取ると言って、穴に落ちるように眠りに就いた。できたら起こすように頼んでおいたのだ。あれから何時間眠れたやら――

 いや。


(……だれだっけか、ソレは)


「テスタード様、大丈夫ですか?」


 目の前の少女が、きょとんと首を傾げる。そうだ。今のナンチャラとかいうヤツじゃない――もう名前も忘れてしまった。

 指示を出しておいたのはこの少女であり、起こすように命じておいたのも彼女だ。

 そのはずだ。

 テスタードは自らに言い聞かせるようにして、少女の姿を凝視した。


「?」


 わずかにはにかんで傾けていた顔を徐々に訝しげなものに変えて、彼女は心配そうに駆け寄ってきた。


「テスタード様……本当に大丈夫ですかっ? なにか変ですよ? わたしが分かりますっ? ほら、指何本ありますか?」


 彼の目の焦点をたしかめるように立てた指や手のひらを顔の前で振って見せてくる。


「あーあー、分かるって」


「じゃあ、わたしは?」


 テスタードはややうっとうしそうにその手を遮って、少女の顔を正面から見た。

 背中まである艶のある髪は彼と同じ純黒――ここにいる者は全員がそうだ。

 理知的だが明るさを失わない紫色の瞳。ここにいる誰もが持っている憂いを共有し、しかし前を見ることを止めない瞳。彼女がここにいる多くの人間の密やかな支えとなっていることを、彼は知っている。

 テスタードは、彼女の名前を、呼んだ。


「……リスティア」


「よかった」


 ほっと一息をついて、再び離れてゆくリスティア。


「言われたもの、できましたよ?」


 研究室の中央近くまで歩いていって、練成器(ECC)を示す。


「ああ」


 円台型な装置の上には、二重になった円環が浮揚回転している。その中に、黒色の結晶が浮かんでいた。

 テスタードもボロのソファを立ち上がり、サークルの中から結晶を取り出した。


「ど、どうですか?」


「ああ、問題ないよ。いい品質だ」


「よかったぁ」


 少女は今度こそほっとしたように胸をなで下ろした。

 テスタードはその様子に息を抜いて笑い、研究室の隅まで歩いていった。

 そこに大人がひとり入れるていどの円筒形ケースがある。内部には今しがた彼女が作ったものと同じ質の大きな結晶が浮かんでいる。

 それに手の中の結晶を近づけると、結晶同士は水が合流するかのように滑らかにひとつとなった。


「ずいぶん育ちましたね」


「ああ。もうすぐだ。もう少しで、みんな助かる」


「テスタード様も、王宮に帰れますね」


「……」


「テスタード様?」


「……いや、なんでもない。いこう」


 扉を開けて、外に出る。

 日はもっとも高い場所にある。普段は薄暗い〝町〟もこの時間帯だけはまばゆく照らし出されている。

 降り注いだ陽光に、テスタードは手をかざして目を細めた。




 光が、弾けて――

 テスタードは意識を覚醒させた。


「目が覚めたかね」


「……ここ、は」


 身を起こす。あたりを見回す。

 暗い石室の中。

 自分が横たわっていた台座のかたわらに腰を下ろした男。その手のひらに浮いた灯明だけが唯一の光源だった。


「アンタ、は」


「わたしはタウセン・マックヴェルと言う。君を起こした者だ」


「……」


「悪いことをしたかな」


 不意に〝最後〟の光景が脳裏によみがえってきて、空っぽの胃袋が、なにもないすべてを吐き出そうとしてくる。その嘔吐感を無理やり押さえ込んで、彼は片腕で両目を覆った。


「ああ……最悪の、気分だ。最悪の……」


「そうか」


 タウセンと名乗った男が台座から立ち上がった。


「ここは時間の外側に放逐された、孤立した空間だ。この〝部屋〟以外、なにもない。なにも朽ちない。なにも起こらない。ここにいる限りは」


「……」


「わたしはこれから実領域に復帰するが、君もくるかね?」


 テスタードはなにも答えず立ち上がった。




「ここは」


 タウセンに連れられて最初に見た世界が、それだった。

 渓谷。一面が黒ずんだ茶色の。草一本として生えていない、荒涼とした。


「北方大陸――リンカーイェルバの辺境に広がる荒地だ。<呪いの渓谷>と呼ばれている。といっても君には、なにもかもが知らない単語にすぎないのだろうが」


「……」


「見ての通り、ところどころから黒い瘴気にも似た〝邪黒色〟の変性蒼導脈が噴き出していて、この地はもう何百、あるいは何千年間も不毛の地として放置されてきた」


「邪黒色……」


「この地にかつて――何千年前か、何万年前か、不明だが――君が住んでいた土地があったのだ。この地の〝邪黒色〟……〝呪い〟の正体を探って除去できないかと思っていたのだが」


「俺を……どうする気だ」


 男はただ、肩をすくめるだけだった。


「別に、なにも。今回わたしが受けた依頼はあくまでもこの地の〝呪い〟の原因調査と解消の糸口を探し出すことだ。君を殺したところでそれがなされるわけでもない。君の〝情報〟はこの地から完全に孤立しているからな。報告しても面倒なだけだから放置しようと思う」


「……」


「リンカーイェルバ皇国たっての学院への依頼というからきたわけだが、わたしにも荷が重すぎた。適切な規模の調査隊を何度でも送り込み、十年から数十年ごしを覚悟の大規模プロジェクトとして取りかからなければこの地の〝呪い〟は解除できない。そう報告して、わたしは巣に帰るだけだ」


「は、は。それは……都合がいいな」


「どこへいくのかね」


「俺をどうこうする気がないなら……放っておいてくれ。俺には……やることがある」


「知的好奇心のために、その目的というのを聞いても?」


 歩んでいた足を止め、テスタードはタウセンを振り返らずに答えた。どうせこの男にはなにも分からない。どうでもいい。


「魔王を……〝不死大帝〟を、滅ぼす。絶対に」


「……」


「俺にはもう、それしかないんだ……」


 再び、歩み出す。

 その背中にタウセンが声をかけたことで、彼の未来が動いた。


「〝不死大帝〟――エグゼルドノノルンキアか。最果ての魔王のひと柱だな」


「っ……!」


 テスタードは身を翻してタウセンに飛びかかっていた。ねじ伏せ、知っていることをすべて搾り尽くすつもりだった。

 が、それはなされなかった。彼は突如として見えない巨人に殴りつけられたかのように吹っ飛ばされ、荒野を十回ほど跳ね転がって……止まった。


「がふっ! 攻性……防壁! お、まえ、は……!」


「強力な〝魔術〟……かなり『扱い』慣れているな。なにより、変わった情報構成を行なう。やはり君は、わたしが求めていた〝系譜〟に近いところからやってきたようだ」


「ごほっ、ごっほ……くそ、が! 殺してやる!」


「わたしは〝綴導術士〟だ。君が〝魔術士〟である限り、わたしには勝てん」


「てい、ど……術…………?」


 その場で悶え続けるテスタードに、タウセンが、こんなことを言ってくる。


「わたしとともに、くるかね?」


「なん、だと」


「エグゼルドノノルンキア。魔王と呼ばれる存在は<アーキ・スフィア>上においては〝神〟と同等とも言える隔絶した情報クラスターのことだ。君は少々特殊な情報構造を持っているようだが、それだけでは魔王には勝てまい。情報、そして、準備期間が必要なのではないかな」


「情、報……準備……」


「わたしがこれから帰る場所には、それが行なえる環境がある。先人たちが築いた膨大な知識も。まぁ、生半可なところでないことは覚悟してもらうがね」


 テスタードは立ち上がり、タウセンに対峙した。

 数分間、荒野を駆け抜ける風の音を聞いたあとに……テスタードから口を開いた。


「……なにが目的だ」


 タウセンは即答してきた。


「君が住んでいた時代の環境、文明、君の記憶のすべて……あらゆる情報がほしい。あらゆるだ。それと、いくつかの研究への協力だ。その代わりに、わたしは君の後見人として学院入学に関するすべての面倒を見よう。もちろんその後に君は学院や現代社会のルールに拘束されるし、君の生活ややりようについては君次第になるがね」


「……」


「くるかね?」


 思案の時間は、さほど長くはなかったと思う。

〝黒帝〟という名が学院内で台頭してくるようになるのは、それから一年後のことになる。



「テスタードセンパイ、起きてくださいよ、テスタードセンパイ!」


「う、ん……」


 だれかが身体を揺すってくる。

 その感触で、〝黒帝〟の意識は覚醒した。

 目を開いても、まだ視界はぼんやりとしていた。眼球が乾いている。よほど根を詰めたあと、ロクに睡眠時間を取らなかった時の症状だ。

 いや、それよりも。目の前にいるこの少女は――!


「っ……! リスティアっ!」


「――きゃあ!?」


 テスタードはまったく本能的にその少女を引き寄せて抱きしめていた。


「き……きゃー! わー! ぬわー! ちょ、な、な、な、なんですかいきなりセンパイ離してくださいよきゃーわーいやー!?」


「っ……! っ……!? ……?」


 腕の中でジタバタと暴れる感触で、今度こそ彼は目を覚ました。

 力を緩めると、少女は慌てて自分の身体の上から起き上がり身を翻して離れていった。そのまま資材箱の物陰に半分隠れる。衣服をぱたぱたとはたいて直しながら、警戒する眼差しで見つめてくる。


「もう……起きました?」


「あ、あぁ……ええっと? なんだっけか」


 豪奢なソファから身を起こし、テスタードはボサボサになった髪の毛をかき回しながら記憶の照合を試みた。

 そうだ。ここは自分の研究室――ではない。工房。目の前の少女はスフィールリア・アーテルロウン。彼女に指示した品を作らせている間に仮眠を取ると言って、泥沼にはまるように眠りに就いた。完了したら起こすように命じていたのだ。おかげでひどい夢を見た――

 そう。


(あいつは。あいつらは、もう、いない。いるわけないのにな)


「センパイ、だ、大丈夫ですか?」


 目の前の少女が訝しげに首を傾げて、離れた距離を駆け寄ってくる。騒がしいやつだ。


「なんか変ですよ? ほら、あたしが分かります? 指何本見えますか? ほらほらほら」


 両手の指をグネグネと曲げたり立てたりしながら顔の前で振ってくる。分かるかそんなもん。


「あーあー、やめろやめろ、うっとうしい」


「じゃあ、あたしの名前は?」


 テスタードはその手を振り払って、少女の顔を正面から見た。

 短く切りそろえた髪は奇妙な雰囲気を宿す薄い金――ここらでは見ない色合いだ。

 明るく、闊達そうな眼差しはブルー。顔立ちはとんでもなく整っているが、ころころ表情が変わる。そこらの生徒に比べれば有能であることには違いないが、どうにも間抜けに見えるというのが最近得た最新の印象だ。

〝黒帝〟は彼女の要求通りに、呼んでやった。


「……助手1」


「……それ名前じゃないんですけど。とりあえずよかった。いきなりびっくりしましたよ」


 は~、と息をついて、再び離れてゆくスフィールリア。


「言われたもの、できましたよ?」


 工房中央付近まで歩いて、晶結瞳を示す。


「おう」


 超巨大な金魚鉢のような装置の内部に、白い湾曲したパーツが浮揚していた。


「ど、どうですか……?」


「ん。問題ねぇ。いい品質……いや。悪くない出来だ。基準値は満たしてる」


「よかったぁ」


 スフィールリアは今度こそほっとしたように胸をなで下ろした。


「……」


「なんです?」


 隣から見下ろしていると、きょとんとした顔が見つめ返してくる。


「……いや、なんでもねー。次かかるぞ次」


「うへぇ~」


 情けない声を上げてダレるスフィールリアを置いて晶結瞳からパーツを取り出し、さらなる準備に取りかかる〝黒帝〟。

 先日の<アカデミー・マーケット>での売り上げにより計画の目標値に到達した彼は、本格的に『召喚機』完成に向けて動き出していた。

 特に練成能力に長けているスフィールリアは工房に呼びつけて、もう何日も休憩の交代を挟みながらの連続作業を慣行している。


「とりあえずテメーは休憩だ。風呂でも入ってさっさと眠れ」


「やった!」


 と飛び上がってさっさと作業エプロンを取っ払うスフィールリア。用意してきた外泊セットからタオルその他の一式を持ち、うれしそうにシャワー室に向かってゆく。


「メシに出てもいいが、時間がきたら問答無用で叩き起こすからな。遅れんなよ」


「はーい!」


 鼻歌が脱衣スペースに消えてゆくと、入れ替わるように玄関口から『ビーー!』とブザー音が響く。

 玄関からは離れた端末に歩み寄り、ボタンを押しながら声をかける。


「だれだ」


「わたしだ。タウセン・マックヴェルだ」


 端末の向こう側から簡素な返事が返ってきた。


「波長を照合する。装置に手をかざしな」


「もうやっている」


 登録してある〝気〟の波長との照合が完了し、ランプがグリーン表示になる。テスタードがボタンを押して、玄関口からガチャンと全鍵が開錠される物々しい音が響く。

 彼が扉を開けると、そこには最後に会った時と変わらず無表情なタウセン教師の姿があった。


「久しいな」


「おう」




「石鹸、石鹸っと~」


 取り忘れた石鹸を荷物から漁っているとなにやら玄関口から話し声が聞こえてきたので、スフィールリアは驚いてそちらを覗き込んだ。

 相手がタウセン・マックヴェル教師だったからだ。

 なんと、ふたりとも、笑っているでなないか。


「な? ウケるだろ」


「相変わらず無茶をしているようだな」


 テスタードが身振り手振りを交え、談笑している。なごやかな雰囲気だ。

 彼女は普段見たことのないふたりの一面を見て内心ドギマギしたものの、ふたりの方に駆け寄っていた。


「テスタードセンパイ、危ない!」


「あん? なんだよ助手」


「君か。なんて格好をしてるんだ」


 石鹸を取りにきただけなので今の彼女はバスタオルを巻いただけの格好だった。しかしそんなことはどうでもよい。


「センパイ、その人から今すぐ離れてください。そいつニセモノです!」


「……は?」


 ふたりが同時、胡散臭そうに顔をしかめた。


「だってタウセン先生がそんなに楽しそうに笑うわけないじゃないですか。タウセン・マックヴェルという人間はね、そう……無機質で……薄暗くて、冷たくて、冷酷で……血も涙もないヤツなのよ。センパイの研究を盗むつもりか知らないけど、先生に変装すんならもうちょっと演技力を身につけることね!」


「……」


 びしぃ! と指を突きつけたスフィールリアを、しばしふたりは冷たい目で見つめていた。


「……で。なんの話だったっけ」


「君が三十体の氷帝竜に囲まれて、戦場跡に百メートル級のフロストフラワーが咲いていたというところだ」


「ああ、それそれ。それでその中によ――」


「ちょっとちょっと! なんで無視するんですかぁセンパイ!」


「うっせぇ!」


「あいた!」


〝黒帝〟からチョップを食らってよろめいた彼女へ、メガネのフレームを持ち上げたタウセンがきわめて冷たい眼差しを送った。


「君がわたしをどのような目で見ているのか、よぉおく理解したからな」


「う、ぐ……この冷たい殺気。まさか本当にタウセン先生……!?」


「この俺がニセモンなんざ通すわけねーだろが。この男はタウセン・マックヴェルだ」


「教師。をつけなさい、教師を」


「……」


 スフィールリアは頭を押さえながら、それでも違和感を拭い切れなかった。

 自分たちのような〝特監生〟を監督することがタウセンの裏の顔のひとつだ。テスタードも特監生であるので、こうして顔を見せること自体は分かる。

 しかし距離感が自分とは違う気がしたのだ。なんだか、世話の焼ける子供にでも接しているような。それも、よりにもよってこの〝黒帝〟相手にである。


「……なんだか先生、あたしに接する時との温度差ないですか? なんかずるい」


「ずるいって、君なぁ」


 そういう問題かね、と疲れた風にこめかみを揉むタウセン教師。これだ。これが通常の対応というものだ。


「ま、なんだかんだで一番付き合いのある教師だからな、コイツは」


「えっ、そうなんですか?」


 思い出すように小さくため息をついて、タウセン教師。


「彼をこの学院に連れてきたのが、わたしだからな」


 さりげなく放り投げられたひと言。


「……」


 そのひと言が頭に浸透してゆくにつれ、スフィールリアの表情は薄らいでいった。

 そして。


「ええええええええ~~~~~~!? そうなんですかあああああ!?」


「うっさい!」


「あいた!」


 再びチョップ。よろめくスフィールリア。


「……アンタも。余計なことは言わなくていいんだよ」


「つい、懐かしくなってな」


 ふっと微笑してから、タウセンは〝黒帝〟に向ける表情に陰りを見せた。


「まだ、やるつもりなのかね」


「当然だ。俺はそのためにすべての準備を進めてきたんだからな」


 即答する〝黒帝〟。その瞳には氷よりも冷たい情熱が宿っていた。


「……?」


 なんだか一気に空気が冷えたような気がしてスフィールリアはうろたえたが、テスタードは興を失ったように息を抜いて彼女とタウセンの中間に向き直った。


「で、なにしにきたんだアンタは」


「そうだった。君が先日行なったという〝商売〟について物議が醸されていてな。だれか君をこっぴどく叱ってやれないかということで、巡りめぐってわたしのところにお鉢が回ってきた」


「……」


 テスタードは半眼になり、スフィールリアはげんなりとうなだれていた。ではこれから説教か。

 と思ったが、タウセン教師は簡素にひと言、表情も変えずに言ってくるだけだった。


「あまり、無茶なことはしないように」


「おう」


 スフィールリアは叫んでいた。


「……えええええええええ~~~~~~!? それだけですかぁ~~~~~~!?」


 今度はタウセンも眉をしかめていた。


「相変わらずうるさいな君は。なんなんだね」


「だってあれだけ騒ぎにしたのになんですかそれだけってズルいですこれがあたしだったらこぉーーんなに眉毛も吊り上げて問答無用でウメボシとかゲンコツとかしてくるのにズルい! ヒイキしてるんじゃないですかせんせぇ!」


 タウセン教師のハーフリムメガネが、きらりと室内の照明を冷たく反射した。


「ほう。つまり君は今のでは満足がいかなかったと」


「えっ」


「融通を利かせてほしいと言う要望なら、聞かないこともないが」


 がし。

 と、タウセン教師のこぶしが彼女の両こめかみにセットされる。


「あっ。えへっ。いやあの」


「実はこれもわたしのところに回されてきている案件なのだが………………君が日々方々の女生徒との抗争で破壊した設備群の修繕費の予算構造に、ついに、そしてなぜかわたしの報奨の一部が組み込まれることになったんだがこれはどおおおういうことな・の・か・ねぇえええええええ!!」


「あっぎゃぎゃぎゃぎゃぎぎぐげあごがぎごひだだだだだだだだなにこれ痛い痛い痛いいいいいいいい!? すみませんでしたひわああああああああああああ!?」


 ひたすらもがき回って、三分後……。

 そこにはこめかみからシューシューと煙を沸き立たせて倒れふしたスフィールリアの抜け殻が転がっていた。


「これで満足かね……!」


「………………。うぅ…………今の絶対に私怨入ってたし…………だいたいタウセンFCの連中に目ぇつけられたのはタウセン先生があたしにそーやって過剰なスキンシップを取ってくるせぇーだし、そもそも連中の凶暴性はせんせーがアイツらを放置してるせいじゃねーかよぅ……」


「刺激さえしなければ彼女たちも大人しいのだ。君がわたしを怒らせるようなことをさえしてくれなければよいのだがね!」


 スフィールリアは半泣きでガバァッと起き上がった。


「だからって怒っても優しくしてくださいよ!? なんであたしばっかり!?」


「怒らせる前提かね! わたしは生徒を愛しているのだ。これは愛なんだよ」


「あーーー! 今の絶対に外の人に言わないでくださいよ! 絶対に連中勘違いするから!」


「あーはいはい、分かった分かった」


 心底厄介払いをするようにシッシと手を振り、タウセン教師は退散の気配を見せた。


「とにかくそういうわけなので、君たちもあまり派手な行動は自重するように。コンペ祭も近くてピリピリしている生徒もいるからな。自分たちの業績を納めたいのなら、他者の邪魔をしないことも大切だ。いいね」


「あー、へいへい」


「うっうぅ……」


 そうしてタウセン教師が工房をあととして、再び作業が開始されるのだった。

 その日も、交代の練成作業は深夜まで続いた。




「よし。これでメドがついたな。上がっていいぞ」


「……あー、やっと終わった!」


 テスタードが最終的な品質検査を終えて、彼も自分のソファにどっかりと腰を落とした。

 さっきまでの眠気もどこへやら、スフィールリアは作業エプロンを投げ出して荷物のまとめに入った。

 きっかり一分後、スフィールリアは荷物一式を背負ってスチャッとふたりに手を振っていた。


「じゃ、お疲れーす!」


「即行だなおい」


「せっかくですから、お茶でもいかがですか?」


 苦笑するテスタードに、妖精のエレオノーラ。

 彼女の提案に一拍思案したスフィールリアだが、かぶりを振って断りを入れていた。


「せっかくだけど、やっぱり早く帰って家で寝たいし。フォルシイラもなんだかんだで寂しがりなところあるしね」


「そうですか。夜も遅いですから、お気をつけてくださいね」


「うん、ありがとうエレオノーラ。あ、そうだ!」


「ん?」


 ぱんと手を打ち合わせてなにかを思い出したスフィールリア。

 玄関エリアから工房に戻って、キッチンスペースからガラゴロと台座を引き出した。

 かけられていた布を取ると、そこには野菜炒めを始めとした料理一式が載っていた。


「なんだ、こりゃ」


「なにって、晩ご飯ですよ。さっきの休憩時間に作っておいたんです。まぁ明日の朝ごはんでもいいですけど」


「まぁ、素敵!」


「はぁ~? 帰るんだろ、お前?」


 とまだ分からないような〝黒帝〟に彼女は苦笑して腰に手を当て、言ってやった。


「なに言ってるんです、センパイの分ですよこれ。センパイってばいつもジャンクフードかタブレットで済ませちゃうじゃないですか。たまにはちゃんと食べてください!」


「いらねー世話だ。栄養価はきちっと計ってる。万全だよ、お前なんかよりもよっぽどな」


「だから、作ったんです! 栄養はしっかりしてても、ちゃんとしたお料理を食べないとお口とか胃とかほかの内臓も弱っちゃいますよ? それに、タブレット飲み込むんじゃ味しないじゃないですか」


「そうですよね、スフィールリア様。もっとおっしゃってあげてください。テスタード様、ありがたくいただいてくださいねっ?」


「チッ。余計なことしやがって」


 正論も込みでの二対一では分が悪いらしく、〝黒帝〟も面倒くさそうにあさっての方向を向いてしまった。そんなところがちょっとかわいらしく見えて、スフィールリアはくすりと笑ってしまった。


「センパイってそういうところおろそかですよね。ちょっと意外っていうか。モテモテなんだから、料理してくれる『イイ人』とかいないんですか?」


「は~? いるかよそんなもん。めんどくせーだけだ」


「え~、ほんとですかぁ~?」


 と、わざとらしく声を間延びさせるスフィールリアに、テスタードは胡散臭そうに眉をひそめた。


「どういう意味だコラ」


「だって、ほらぁ。お昼に言ってたぁ……『リスティア』さんとかぁ~」


 瞬間。彼の両肩が、ぎくり、と震えた。


「……うるせぇな。お前にゃ関係ねーよ」


「ほらー。やっぱりいるんじゃないですかー。センパイが夢にまで見るだなんて、どんな人なんですかっ? あんなにアツくキュ~~~ッて抱きしめちゃいたいなんて……きゃー!」


「うるせえなぁ……」


 またそっぽを向いて耳をかっぽじっている彼の顔が少し恥ずかしそうに赤らんでいるのをスフィールリアは見逃さなかった。


「……『リスティアっ』!」


「うるせぇ!」


 今度こそ顔を真っ赤にしてソファにあったクッションを投げつけてくるので、スフィールリアは物陰に隠れつつ「きゃー!」と面白そうに悲鳴を上げた。次々と投げつけてくる。

 ……が、急激に冷めたように力を抜かすと、最後のクッションを枕に寝転んでしまった。


「……あれは、俺が悪かった。謝るから忘れろ。二度と言うな」


「……? は、はい。分かりましたけど……」


 そのままなんとなく気まずい沈黙が訪れて、一分間が経過した。


「……あの」


 と、こちらも思い出したように、再度スフィールリアを向いてくる。


「おう、そうだ。助手1」


「? なんです?」


「今回のお前の働きはなかなかのモンだった。ほめてやらなくもない、と言えるていどにはな。これで予定していた作成作業をだいぶ短縮できた」


「……」


「つまりだ、お前の出品物の用意のための時間もできたっつぅことだ」


「……! おぉ……!」


 彼の意図に気づいてスフィールリアの瞳が希望の色に輝いてゆく。そう、彼はそれも見越して今回の多少無茶とも思える行軍を計画し、彼女のことも呼んでいたのだ。


「というわけだから、今度お前の計画を聞いてやる。なにか漠然とでも案があるってなら、その内容も見てやらなくはない。プレゼン用意しとけ」


「……はい! よろしくお願いします!」


 スフィールリアは満面の笑みで勢いよくおじぎをして、玄関口に戻った。


「じゃ、ちゃんと食べてくださいね! あ、お皿とか自分で洗えます? 明日片付けにきましょうか?」


「いらねーいらねーよナメんな! お前明日は絶っっ対にくるんじゃねーぞウゼェ!」


「はいはい。分かりましたってば。それじゃね、エレオノーラ! 楽しかったよ!」


「はい! またぜひいらしてくださいね」


 いらつき気味な〝黒帝〟に追い立てられつつ、ふんわりとした猫妖精の微笑みに見送られて、スフィールリアは彼の工房をあとにした。




 その後……


「はぁ。めんどくせーモン置いていきやがったなアイツ。腐らせたら処理がめんどーじゃねーか」


 げんなりと台の上の料理を見下ろすテスタード。

 品目は簡単なもので、豚肉入りの野菜炒め、白米に、マグカップに注がれた琥珀色のスープ。

 ていねいにひと口大に切りそろえられたキャベツやニンジンは鮮やかに皿を彩っている。豚肉も焼き加減は絶妙なようで、ぷりっとした白身が照明の光を瑞々しく照り返していた。唯一謎なのは皿の底に溜まった極彩色で紫色の調味液だが、問題はないだろう。発光しているが、問題はない。大事なのは味だ。大丈夫だろうか?

 スープも簡単な品に見えるが、中に沈んだタマネギは芯がなくなるまで煮込まれているし、豊かな風味の中にほのかに香ってくるのは隠し味に溶かされたペッパーの類だろう。湖面にはパセリが散りばめられていて、見た目にも味にも手間を惜しんでいないことが分かる。白米も冷めてなお艶が残されていて、暖めれば炊きたての香りが湧き立つことだろう。

 意外と、料理の技術は高いようだった。


「ですから。ちゃんとありがたくいただいてくださいね、テスタード様」


「チッ。とことんめんどくせーな……」


 と言いつつ腐らせるのは以下同文なので、しかたなく料理が乗った台を自分の前に引き寄せるテスタード。

〝純粋記述〟に用いる黒い〝触媒〟を砕いて料理にふりかけ、手をかざした。

 彼の魔術が投射され、〝触媒〟が光の粒子となって消えていった。料理内の水分子が振動して調味液がふつふつと煮立ち、やわらかい湯気を立て始める。

 充分に料理が芯まで温まったのを確認して、次に足りない栄養素を見立ててタブレット各種をジャラジャラと振りかけた。


「またそんなことを」

「うるさい」


 そして大して期待はせず、乱雑にひと口目を放り込んだ。

 もぎゅもぎゅと顎を動かすと、なるほどたしかに歯茎と口腔の筋肉に、新鮮な刺激が広がってくる。なにより。


「ん」


 テスタードはひと声を上げると、ひと口目の咀嚼も終わらないうちに皿を持ち上げて、次々と料理をかき込み始めた。


「まぁ。お料理の味にはうるさいテスタード様がこんなに食いつくだなんて」


「あふぃふぁわふくへー。ふぁあふぁあろれきだな」


「ちゃんと飲み込んでからおっしゃってください」


 そのままテスタードは、休むことなく料理を平らげた。




「……いい人に出会えて、よかったですね。テスタード様」


 食後にスープを煽りながら、テスタードもうなづいて正直な感想を言っていた。


「ああ、アタリだな。スキルの伸びはメチャクチャだが、全体的に見れば図抜けている。今年の一年の中じゃアレが一番なんじゃねーのか。たぶん、だけどな。一年坊なんぞチェックしてなかったしな」


「そういうことじゃないんですが」


「は? じゃあどういう意味だ」


 エレオノーラは苦笑して「なんでもありません」とかぶりを振った。


「ではわたしは、明日の作業用の機材を調整しておきますね」


「おぅ。しっかり頼むぞ」


 宙を飛び、彼の姿が機材の影に見えなくなったころ、エレオノーラは彼に聞こえないようこっそりとささやいていた。


「テスタード様がこんなに長く工房に人を置いたのは、スフィールリア様が初めてじゃないですか」


 夜はふけてゆく。エレオノーラは天井を見上げ、夜空の下を帰路についているスフィールリアの姿を思い浮かべていた。


「……不思議な、人ですね」



 学院は眠らない。いつでもだれかがささやき、蠢いている。

 同じく、その夜。同学院内のどこかで。

 今日も夜を棲家とする者たちがささやき合っていた。


「……依頼の概要は以上だ」


「なるほどね。それで、ぼくのところにきたってわけか」


「そう。<賢人の茶会>の監視は我々で継続して行なう。その間に『学院の秘宝』に関する認識がもっとも浅い〝黒帝〟から……潰す。コンペ祭の前までに、確実にな。そのために必要な情報は手渡してやる。その資料を、上手く利用しろ」


「うん、うん。いいね。実に……いい! ぼくをコケにしたあの〝黒帝〟を、そんな大舞台の前に引きずり下ろしてやれるだなんて。最高だよ。最高の人選をしたよ、君たちは、ね」


「お前の私怨はお前が好きに晴らせばいいさ。こちらとしては、こちらとの利害さえ果たされればな」


「うんうん、分かってるよ。上手くやってやるさ。……それにしても」


「なんだ?」


「君たちは、本当に何者なんだ? まさか〝黒帝〟が『そんなこと』を企んでいたとは……いやそれ以前に『そんな秘密』を抱えていたとは……しかも、本人すら知らないうちにね、くくく……。だがそんなことを知っている君たちは、何者なんだ? この学院で、なにをしようとしている?」


「お前の知ったことではない」


「そうかい。ま、いいけどね」


 話はそれで終わりとばかりに、闇のさらに深い部分へと歩み去ってゆく男。

 が、ふと立ち止まり、振り返ってくるのが分かった。実のところその姿はすでに闇に溶け込み、見えなくなっていたのだが。

 しかし闇そのものがこちらを見つめてきているような。そんな想像に襲われて、生徒はローブの下で肩を抱えていた。


「我々は――<焼園(しょうえん)>。始原の庭を滅ぼし、失われた未来を世界に呼び戻すことを望む。覚えておくがいい。この学院、そして〝世界〟は、世界のものではない。この学院で生き残りたいのなら、我々の影は踏むな」


「だが、そちらから這い寄ってくることはあるんだろう?」


「……」


 答える声はなかった。

 一分待ち、二分待って……そこでようやく生徒は、男が立ち去ったことを知った。


「……ふ、ふ、」


 やがて生徒は自分が震えていることに気がついて、肩を抱きかかえる腕に力を込めた。

 がくがくと、震えはどんどん強くなる。


「ふふ、ふ……ふふふふふ…………!」


 これは、歓喜の震えだと思った。恐怖ではない。

 あの〝黒帝〟を殺すことができる。すべてが、すでにこの手の中にそろっていた。

 今まで知りもしなかった。ヤツの生きる目的。そしてヤツが大切にしているもの、ヤツが賭けてきたすべてを。この手でメチャクチャに壊してやれるのだ。

 これを喜びと言わずに、なんと表せばよいのだろう?


「ふふふ! ふふ、うふふふふふふふふふ――――!」


 彼は、しばらく薄暗がりの中で、笑い続けていた。その足を震わせてその場に釘づけにしている感情が、恐怖ではないことを己に納得づかせることができるまで。



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