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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~  作者:
<3>魔王鳴動と開催前夜の狂争曲の章
68/123

(3-11)


 その夜。


「…………」


 とある軍庁舎敷地の一角にある闘武演習場のど真ん中で、アイバは大の字になって星空を見上げていた。


 聖庭十二騎士団が三、<薔薇の団>の庁舎だ。


「おぉ、いてて……ちっくしょー。センパイさま方め、今日も好き放題しごいてくれやがって……あづづ」


 まぁ、正確には、精根尽き果てて倒れているだけだったのだが。

 目を閉じれば、日中に散々浴びせかけられた罵声が脳裏によみがえってくる。


 遅い。弱い。

 素の筋力ばかりに頼るな。〝足〟が全然使えていない。

 隊長が入れ込んでいると聞いてみれば。

 期待外れだ。

 彼女から、いったい今までなにを教わってきたというのか――


「……」


 思い浮かべる。彼らに勝てるイメージを。なんでもいい。あらゆる方向から。


「……ある。はずだ」


 真っ先に思いつく回答があった。

 ――アーキテクチャー・モード。

 世界樹の聖剣の覚醒時に、アイバ自身と聖剣が同調して発動する、あの力。

 聖剣の〝領域〟と溶け合い、ひとつになる、あの感覚。あの、全能感。

 もしもあの力を自在に引き出すことができるのであれば。おそらく、今のアイバでも聖騎士など軽くあしらえるだろう。


「……なぁ、」


 問いかけると、彼の傍らに転がされていた聖剣が彼の意図を汲み取って、言葉ではなき〝言葉〟でもって回答を寄越してくる。


《あなたは、アーキテクチャー・モードをまったく使いこなせていない》


「……」


《あなたが当機を完全に使いこなせると仮定して戦闘結果を試算した場合、部隊名・薔薇の団は実領域時間において、ゼロ秒で殲滅が可能である》


「はは……そりゃすげぇわ」


 乾いた笑いは、回答がまるで予想通りすぎたこと。そして自らのふがいなさを再確認してのものだ。

 聖剣の言葉は続く。


《しかしながら現在のところのあなたと当機の同調率は、数値化した場合、最高でも3%にすぎない。なおかつ、当機側からの強制接続による強制起動の連続試行においての同調成功率は1%に満たない。さらに、使用者であるあなたの存在情報は著しく磨耗する。非効率的ということである。これは先日の〝兵隊アリ〟との戦闘データを精査した結果である》


 兵隊アリ。

 変異した〝霧の魔獣〟の内部から出てきた謎のモンスター。

 無限に再生し、時空間破壊をも行なった。聖剣をもってしても討伐は不可能と言わしめた、紅き異形の甲殻体。光り輝く隠者のような存在の使徒。スフィールリアを狙っていた……。


「っ……!」


 不意と身体に力がみなぎり、アイバは聖剣を取って立ち上がっていた。

 目の前にあの紅き異形の姿を思い浮かべ、もう一度相対したつもりで担剣術の構えを取る。

 集中する――


《アーキテクチャー・モード、起動不許諾。同調率0%》


「……」


 見放すように灯りかけていた輝きを失わせる聖剣に、アイバは失望とともに力を抜き、語りかけた。


「……なぁ。つまり俺じゃ、お前を使いこなせないってことなのか?」


《否定する。アーキテクチャー・モードは、かつて一度は当機と存在を溶け合わせ、その身に当機の片割れである〝セリエスの躯体〟を残したアイバ・L・タイキ・ジュンイ以外の人間には使用はおろか知覚すら不可能なものである。アイバ・L・タイキはこの世界に降り立ち独自の判断に基づいた作戦行動を終えた末の結論として、子孫に〝セリエスの躯体〟を残すことを判断した》


「……」


《アーキテクチャー・モードは世界においてただひとり。〝セリエスの躯体〟を継承しているあなたにしか使えないものであると断言する》


「よく分かんねぇけどよ。じゃあ、本当ならお前を代々管理してるはずだった……なんだっけ……〝西の天境〟のヤツらだっけ? 連中でもダメなのか? 一応、向こうが本家なんだけど」


《肯定する。アーキテクチャー・モードは世界においてただひとり。〝セリエスの躯体〟を継承しているあなたにしか使えない》


「むぅ……」


 ではなぜ勇者の家系は本家と分家に別れ、『世界樹の聖剣』と〝セリエスの躯体〟を別々に管理することになったのか。疑問に思うことはいくつかあったが、唸っても出来がよいとは言えないこの頭では理解できそうにない。


「ご先祖様――勇者サマならよ、やっぱり俺なんかよりもよっぽど上手くお前を扱えたんだよな?」


 なにが足りないのかのとっかかりでも得られないかと考えての問いかけだったのだが、聖剣は彼の思惑とは少し違ったところを言及してきた。


《否定する。勇者の力であるアーキテクチャー・モードとの親和性は、最終的にはあなたが保有する〝セリエスの躯体〟の存在ポテンシャルに左右される。あなたたち〝魂の継承者〟一族が代を重ねた数百年の間、当機が〝セリエスの躯体〟に残してきた自己増設・自己改良プログラムにより〝躯体〟はその存在ポテンシャルを大幅にリサイズしている。当時の勇者――アイバ・L・タイキの同調率を100%と置いた場合、今現在のあなたが発揮できる同調率は概算にて300%を超えているはずである》


 つまりアイバが聖剣を使いこなせない理由は、紛れもなくアイバ自身にしか存在していない。と、聖剣は言いたいのだ。お前は勇者よりも上手く自分を扱えていなければいけないはずだと。

 アイバはがっくしとうなだれた。


「わーってるよ、俺の未熟は。分かった、その通りだ。俺が悪かった」


 結局のところは、手っ取り早く聖剣の力に頼ろうとした自分がバカの極みだったのだ。今のお前はそれ以前だと、聖剣にたしなめられた形だろうか。


「最後に、も一個聞きてぇ。あのへんちくりんなジジィと紅い蟲――あれは〝何〟だ?」


《……》


 聖剣から具体的な〝言葉〟は返ってこなかった。ただ、言外にした〝感覚〟は伝わってくる。

 今のアイバには、まだ知る資格がないと。


「ヤツらは、スフィールリアを狙ってるんだよな……?」


《不明》


 今度は返事がきた。本当に分からないのだろう。


「そっか。ありがとな」


 アイバは気を取り直して息を吸い、聖剣を正面に構えた。


「まずは、俺自身が強くなんねーとな!」


 気配を感じたのはその時だった。

 演習場に四方ある入り口の影から、歩み出してくる者たちがあった。


「よぅルーキー。ダメじゃないか、休める時に休んでおかないと。言ったろ」


「……」


 数は六人。ニヤニヤと含み笑いをしながら歩み寄って、アイバを囲んでくる。完全武装をしているが、アイバには見ずとも彼らひとりひとりの顔がよく分かった。


「探したんだぜ、呼びにいこうと思ったら部屋にいねーんだから」


「星空なんか見上げて、ホームシックになっちゃったかな?」


「さびしいこと言うなよ。なぁ? まだ研修期間は残ってるんだ」


 彼ら六人の剣は、すでに抜き身である。

 すでに戦闘中であると錯覚するほどビリビリと肌にくる〝剣気〟の中、アイバは悟られぬよう慎重に、自身のコンディションを臨戦態勢へと移行してゆく。


「じゃ。今日もたっぷりと〝鍛えて〟あげますか」




 演習場にて六人の隊員に囲まれているアイバを発見して眉をひそめたのは、本日最後の書類を確認しながら庁舎の廊下を通りかかったウィルベルト・ホーンだった。


「あいつら……」


 時間外の装備の帯出は厳禁である。いやそれ以前に、彼らはアイバになにをしようとしている?

 思えば、毎日のアイバの疲労度が普通のレベルでないと感じてはいたのだ。一応は入ってくる個々人のポテンシャルに合わせた研修メニューを(頭も抱えながら)組んでいたはずなのに。


「って、副隊長までいるし。どうなってるんだ? あのルーキーなにをしたんだ。まったく」


 厳密には今の副隊長はウィルベルト自身で、演習場に立つ年長の男ではない。アレンティアが現団長に就任する折に、前団長の推薦によりウィルベルトが副官に抜擢されたのだ。とはいえまだまだ上官としての経験も浅いことを自覚しているし、隊員の信望もいまだ篤い彼には、さまざまなケースについて相談に乗ってもらうことが多いのだ。そのせいか、いまだに彼のことを副隊長と呼ぶ癖が抜けない――


 それはともかくとして、ウィルベルトは執り行われようとしている『新人いびり』を止めるべく急ぎ窓を開け放ったのだった。

 そこにうしろから肩を引かれて、ウィルベルトは驚きとともに振り返った。


「隊長」


「ウィル君、お疲れさん」


 うしろに立っていたのは、アレンティアだった。

 そして、意外と言えば意外すぎることを聞いてきた。


「止めるの?」


「団の気品に係わります」


 心外の極みという風にウィルベルトは返した。

 聖ディングレイズ王国の武の頂点である聖騎士団の一角のことである。体育会系であることは否定しない。

 しかしそれとこれは別の話である。弱い人間を集団でいたぶって愉しむことを余興とするような人間は聖騎士には必要ないはずなのだ。というか、あってはほしくない、見たくはない光景であった。たとえ夜明けまでかかったとしても、両者の事情を徹底的に聞く必要がある。


 しかしアレンティアは険しい顔をしたウィルベルトを「どうどう」な手つきでなだめて、こんなことを言ってくる。


「まぁまぁ。少し待ってみてよ」


「なにを言ってるんです。第一、表ざたになったら全体の問題にもなるんですよ」


「いいからいいから」


「えぇ……?」


 あくまで気楽な調子の彼女に、ウィルベルトは胡乱な目つきで演習場を振り返ったのだった。




 さて、そんなウィルベルトが固唾を呑みながら見守る演習場の中心にて。

 アイバは全周囲に気を配りながらも、もっとも手ごわい正面にいる壮年の男から目を離さずにいた。


「やー……ほんっとーもうね、毎日毎日かわいがってもらっちゃって、もったいねぇつうかご苦労さんつうのか……皆さんもヒマだね」


 アイバの軽口にも彼らは担いだ武器をぽんぽんとさせ、粗野な笑いを返してくるだけだった。

 そして……次の彼の言葉に、聞き耳を立てていたウィルベルトは、ぽかんと口を開けることになるのだった。


「で、アンタたちはどうして……そんなに俺に肩入れしてくれるんです?」


 と。

 正面にいる元副団長の男が、ニヤリと口角を吊り上げた。




「……え?」


 呆けた声を出したウィルベルトの隣で、アレンティアがくすりと笑っている。

 そんな彼らをよそに、会話は続いてゆく。




「そいつはな、お前さんが、だれかを護りてぇって顔していやがるからさ」


「……俺が?」


 そんなものが顔に出たりするものだろうか。かなり胡散臭く思ってアイバは首をひねるが、


「いるんだろう、そんなだれかが?」


 自信満々に言われて、しかしアイバは、それが図星であったので否定ができなかった。瞬時に脳裏へ浮かんだのは、スフィールリアの顔だった。


「よく分かるのさ。分かっちまうんだ――ここにいるのはな、みんなお前と『同じ』連中だからだ」


 次の一言で、彼は声のトーンを一段落としていた。


「そして、失敗した連中でもある」


 ぐるりと手で示されてアイバは周囲の戦士たちを見る。彼らは変わらず瞳に強い意志の光をたたえたまま、やはり変わらずに笑っている。


「つらいもんさ。どれだけ自分を呪ったところで足りやしない。そんな経験を経て見えてきた新たな道というのもなくはないが……それでも常に思っちまうもんだ。『それでも、あんな失敗はなかった方がよかった』とな」


「あんたたちは、だから聖騎士になったのか?」


 さぁね、とでも言いたげに肩をすくめる元副団長。


 しかし次にはその笑みを消し、抗いようもないほどの気迫が込められた言葉を寄越してきた。


「護れよ」


「……」


「護ってやれ。お前さんが聖騎士団業務に関連する座学や講釈なんぞにいまいち力が入ってないことぐらいはみんな分かってるさ。となるとお前さんの希望する進路は、工房騎士ってところか? ああ、<国立総合戦技練兵課>の進路は、聖騎士一択ではないからな。だから――」


 彼が長剣を構えたことで、ほかの五人も今度こそ明確な臨戦態勢へと移行する。


「せめてそのために必要なことのいくつかを〝ここ〟から持ち帰ってもらおうってわけさ」


 それだけで卒倒しかねないほどの気迫が四方から吹きつけてくる。だが、彼らはこちらの準備を待ってくれている。その確信があった。


「いやぁ、護ってやるとか、そんなおこがましい話じゃないんすけどね」


 アイバはなんだかおかしくなって、決まりが悪く自分の頬をかいていた。


「ただ――隣に並んでいたいヤツがいるんすよ」


「ほう?」


 聖騎士たちはそんな彼を、面白そうに見つめている。


「アイツはすげーヤツで、ちょっと目を離してるとすぐにホイホイ先に――俺の届かない場所に――いっちまう。だから俺も、こんなところで立ち止まってるわけにはいかねーんすよ!」


 アイバも剣を構えた。


「ハードル上げたのはお前さんだ――恨むなよ!」


「っ――!」


 元副団長の彼が神速で迫り、戦場のすべてが動き出した。

 剣戟の音、挑みかかりながらアイバを煽る声、怒号。それらがやかましく響き始める。


 六対一だからといってひとりひとりの手数が減ったり、余る人員が出たりといったことが起こる生ぬるい超人たちではない。完璧な計算と長年の練磨によって構築された連携は休む暇もない連撃を生み出し、アイバだけが一方的に鎧や関節を打ち据えられてゆく。


「くぅっ……が! ぐ! あが! く、くそっ――」


「オラどうした新人! 言葉だけかよっ!」

「勇者の奥義は〝足〟と〝回転〟、そして〝地気〟のエネルギーだ! もっと踏ん張れ!」

「いちいち手数で対応しようとするからそうなる!」

「お前の護衛対象がここにいたらすでに百回は死んでるぞ!」

「思い浮かべろ! お前が護りたいソイツが悲鳴を上げているぞ!」

「そうだ! 助けを求め――お前の目の前でズタズタに引き裂かれて、死んでゆく様をなぁ!」


「……!」


 瞬間、アイバの脳裏に浮かんだのは――牛頭のモンスターになぶられ、押し潰されたスフィールリアの姿だった。

 二度と繰り返させまいと誓った光景だ。思い出すたび、思い出すだけで、全身に総毛立つような寒気と怒りが押し寄せてくる。

 しかし同時、気づいてもいた。いつしか自分でもフタをかけ、見ないようにしてきていた事実に。元気な彼女の姿を確認し、安心を得ようとしていた――逃げようとしていた自分にも。

 アイバは切れた。


「くっそ――があああああああああっ!!」 




「まったく……」


 ウィルベルトは自分が開け放った窓の枠を掴み、とことん呆れた風にため息をついていた。


「ね、邪魔しちゃ悪かったでしょ?」


「隊長、初日から知ってましたね? 意地が悪いですよ」


 恨みがましく見るとアレンティアは再び「まぁまぁ」と言って、煙に撒くように視線を演習場へ移した。


「どう見てる? 勇者君のこと」


「よくついてきてると思いますよ。普通の新人なら、とっくにへたばって今ごろにはもういなくなってるじゃないですか。才能がある。この王都にくる前には優秀な方に師事もしていたのでしょう、肉体もできあがってる。ああして副団長が見込むだけの『なにか』は持っているんでしょうね」


「お、大絶賛だね~」


 ウィルベルトはきりきり舞を踊っているかのようなアイバの姿を見ながら、うなづき、冷静な評価を下していた。


「結論を言うと――落第点です。このままなら研修期間の修了を待って、お土産と一緒にお帰りいただくことになるかと」


 庁舎のロビーには見学者向けの売店が存在しており、そこで<薔薇の団>や王国軍にまつわるさまざまな物品を販売している。中でも<薔薇の団>団章のレプリカは、特に子供層に人気がある商品のひとつである。これらは王都に散らばる十二の聖騎士団庁舎でそれぞれ売られているもので、十二種すべてをそろえた子供はヒーローになれるのだとか。


 一度でも聖騎士団に研修生として入団した者には、これよりはもう少し素材にも造りにも凝った本物に近いレプリカが、しっかりと名前入りで渡されることになっている。


 これもまた、冒険者が集う酒場などでは自慢の種にされることがしばしばあると聞く。が、実際にはそういった者は少数である、とも。

 一度は聖騎士というステージに足をかけたことがあるという栄光よりは、厳しい訓練の日々についていかれなかった自分へのふがいなさ、うしろ暗さの方が勝る……といった事情があるのだろう。


 ともあれ。


「ふーん?」


「素の筋力と、伝説の聖剣の力に頼りすぎている。なんでもひとりでこなそうとしすぎている。ほかにも、言おうと思えば言えることはいくらでもあります。ですがそれらのあらゆる弱点は、この<薔薇の団>で訓練と任務と交流を重ねていけば、いずれかならず克服して自分の血肉にしていける項目です」


 かなり多くある荒削りな部分には目を瞑らなければならないだろう。正式な試験項目において今のアイバが聖騎士団への入団の要項を満たしているかと言えば、ノーだ。

 しかし試験結果がすべてではない。最初から完璧な人間などいはしない。

 だからもしもあれだけの働きをする新人を目にしたならば、ウィルベルトなら――スカウトしていた。その新人が、アイバでさえなければ。


「あの才能は危険です。もしも彼が今のままウチに入団すれば、ただ強くなるだけ強くなって……いつか団全体を危険にさらすことになるかもしれません」


「うん」


 アレンティアも特に反論してくることなく、静かな様子で演習場の闘いを見守っている。

 そのことを意外に思いつつもウィルベルトは咳払いをし、言い直していた。


「今の彼に足りていないものを言葉にすることはできます。ですけど『それ』は、理屈ではなく彼自身が気づくべきことです。――その『なにか』を。この期間中に彼が掴むことができないのであれば、」


 もう一度、アレンティアはうなづいた。


「でも、その『なにか』についてはもう、わたしは心配いらないんじゃないかなって思ってる」


「大絶賛ですね」


 今度はウィルベルトが意外だという風に彼女を見た。


「……スフィールリアさん、ですか? 彼が言っていた、隣に並びたい人というのは」


「うん。で、あとは『きっかけ』さえあれば……ね?」


 その時ひときわ大きな轟音が響いて、ウィルベルトは視線を元に戻す。

 演習場の端の石壁が砕けて崩れ、派手に土煙が上がっている。隙を掴んだアイバが、ひとりを聖剣でぶっ飛ばしたらしい。


「……!!」


 ひとり分の穴が生じたからといって、そのていどで連携と攻撃力が鈍るような聖騎士ではない。即座にフォーメーションとリズムを変えて、またすぐにアイバは一方的に叩きのめされる側へと逆戻りしている。

 しかし、ウィルベルトはあることに気づき、驚愕に息を呑んでいた。

 増えているのだ。明らかに。防御以外の、反撃の手数が。


「学習していっているっていうのか……この、短時間に……!?」


 ゾクリと胸を冷やして演習場の様子に釘づけになっているウィルベルトの横でつぶやかれたアレンティアの言葉は、だから彼には届かなかった。


「この分だと、すぐに君が追いかける側になっちゃうかもね……?」


「……! ……!」


「今ごろ、なにしてるのかなぁ」



<アカデミー・マーケット>は学院正面門を入ってすぐ、大食堂と<アカデミー・ショップ>に挟まれた敷地に存在する。

 学院生は一律の金額を納めることでレンタル屋台を持つことができ、採集旅行や練成で入手した品を取引することができる。

 それだけではない。綴導術はさまざまな分野に関連しており、その中には料理も含まれる。

 彼らが作る料理には特殊な効果が付与されていたり、そういった研究関連からの着眼点による独創的なアイデアが盛り込まれていたりする。


 ついでに言うと、大食堂は各々が食事を持ち込んで食べるスタイルなので、軽食を提供する厨房などは備わっていない。


 午後の授業で難しい練成に挑む者、単に小腹を満たしたい者、ちょっと変わった効果つきの料理を求める工房職人や、刺激を求めてやってくる王都料理人等々……。


 こうして王都の工房からも客を引き込む一大マーケットができあがるわけである。


「で……」


この日……<アカデミー・マーケット>は、沸いていた。

 敷地の一角にある、とある貸し店舗のひとつでのことである。


「……どうしてわたくしたちが、このような格好をしなくてはならないんですのっ!」


 顔を真っ赤に染めたアリーゼルが、スフィールリアに食ってかかった。

 バニーガール姿で。

 バニーガール姿である。

 ぴょんとかわいらしく立ったウサギ耳。挑発的なタイ。胸元を大きく開き、股下のラインを惜しげもなく見せつける黒の衣装。女の足を艶かしく飾る網目のストッキング。そしてピンのヒール……。

 それが、バニーガールというものだ。

 バニーガール姿なのはアリーゼルだけではない。彼女の目の前にいる、スフィールリアもだ。

 それどころか、フィリアルディとエイメールまでバニーガール姿なのである。ついでに、「お嬢様だけにお恥ずかしい格好をさせるわけには参りません」とのことで、フィオロまでもがバニーガールだ。

 特にフィリアルディだ。胸のサイズが大きな彼女がバニーガール姿になってしまったのだからもう大変だ。


 ざわざわ…………!

 ――おい、なんだアレ。バニーガールがいるぞ!?

 ――マジでバニーガールだよ……メガネの子おっぱいでけぇ……!!

 ――いやいや、ちっちゃい子もなかなかいいぞ。大胆なバニー姿と膨らみかけの控えめな胸のギャップ、そしてホッソリとしたおみ足が……イイ!

 ――赤っぽい髪の子もなかなか……。

 ――あの従者っぽいバニーお姉さんもイイ。堂々とした佇まいがスラリとした足の美しさを引き立てている……。

 ――おい、あのバニー。あれ、最近ウワサの特監生の子じゃないか? かわいいじゃないか……。

 ――ああ。大きすぎず小さすぎず、絶妙なサイズのバストがプルンと持ち上げられていて、思わず上から覗き込みたくなるようなバニーガールの魅力を引き出している。それだけではない。ひとりひとりの体型に合わせて、最高の魅力を引き出すように仕立てられている……あの衣装をしつらえた男は匠だ。匠の技だ……。

 ざわ……ざわ……!


 ……という具合である。

 スフィールリアはどうどう、と両手を振ってアリーゼルをなだめた。


「まぁまぁ、アリーゼル。かわいいよ」


「そういう問題ではありませんの!」


「う、うう……は、恥ずかしいよぅ」


「あ、フィリアルディ。そんな風に胸を隠すポーズだと谷間が強調されて余計に男の人たちが喜んじゃってるよ。堂々としてないと」


「えっ? そ、そんな! ……あぅ。ううう……!」


 余計に恥じらいでモジモジとするフィリアルディの姿に、早くも周囲に集まりつつある男性陣より、どよよっと感嘆のどよめきが発せられる。

 いったい、これからなにが始まるのか。

 その期待に関する話題で、辺りはにわかに騒がしくなってゆくのだった。


「……第一。なんであなたはそんなにケロリとしていますの。ちょっと前は水着ひとつで下着だのはしたないだのなんだのとぴーぴー騒いでいたじゃないですの」


「んー」


 これに、スフィールリアは、


「なんか、慣れちゃった」


「順応性よすぎってレベルじゃないですわよ……」


 アリーゼルはがっくしとうなだれた。


「クックック。いい感じじゃねーか」


 とそこに姿を現したのは、言わずもがな〝黒帝〟テスタードである。

 彼の姿を認めるや、すぐさまアリーゼルが噛みついた。


「ちょっと先輩殿、これはどおおおいうことなんですのっ! 美味い商売の話があるからと言うからきてみれば!」


「は? 準備バッチリのやる気マンマンじゃねーか」


「やっ、そ、それはっ。だってみんなが着替えるから……!」


「始めるぞ」


 アリーゼルの小さな身体の横をすいっとすり抜けて、〝黒帝〟は露店のシートを取り外し始めた。

 アリーゼルはあっけに取られたあと、憤懣やるかたなしといった風に肩を怒らせているが、これ以上の反論も出せそうになかった。それは彼の策に同意をしたも同然なのだが。


 完全に〝黒帝〟のペースである。むしろコントロールされている節すらある。

 会話の間や緩急を絶妙に利用して場の進行のアドバンテージを掌握する技術といったところだろうか。相手を怒らせるのも技のひとつというわけだ。

 数多の難物と取引をこなしてきた彼ならではのスキルだろう。これは、故郷で用意された仕事をこなすだけだった自分では真似ができないなとスフィールリアは思った。


 さて、シートを取り払った露店の内部には、〝黒帝〟が本来出品する予定の品のほか、彼女たちが持ち込んだ素材品が並んでいる。というか、後者の方が圧倒的に多い。特にいくつものカゴに山盛りに盛られた『キルトの実』だ。おいしいから手をつけたものの、こうして見ると、ちょっと調子に乗りすぎたよな~と思ってしまう量だ。


「でもセンパイ。これ、普通に売るだけなんですか? たしかに相場よりはちょっとだけ高いみたいですけど……」


 彼が次々と設置してゆく値札を覗き込むスフィールリア。そのうしろから、不安そうなフィリアルディの声も追従する。


「あ、あの。『キルトジュース』にするっていう手もあったと思うんですけど。それなら微量だけどタペストリー強化効果もあるみたいですし」


「調理で手間がかかるだろ。こういうレアでもなく簡単すぎる素材品はなるべくそのまま、かつ、なるべく高く売りつけるのが一番いいんだよ」


 まぁ、理屈として納得はできる答えだ。あえてもうひとつの理屈を言うなら、それが難しいから一般の生徒はもうひと手間をかけて加工品にしてから、その分の値段を上乗せして取引に臨むものなのだが。

 だがスフィールリアはもう一度値札をよく見てみる。

 これでは相場の、せいぜいが二割増ていどである。彼はこの実を十倍の値にしてやると豪語していたが……?


「……ほんとにコレ、そのまんま売るだけでいいんですか?」


 ごそごそと露店の中からなにかを取り出しながら、テスタード。


「祭りの気分に乗じるって言っただろ。お前らにはコイツを持って露店周りに出て、その格好で実を売り歩く役だ。声出せよ、声」


 彼が取り出したのは手持ちカゴというやつだった。ついでに透明のプラスチック製コップの束。


「……」


 このコップに実を詰めて売れということらしい。バラ単位でなくこうしてまとめ売りすることで商品単価を上げる。小売商売の基本だとは分かる。しかしこれでも十倍にはほど遠いだろう。

 今は本番たるコンペ祭の前の、準備祭とも言える段階だ。周囲の露店も秘蔵していた素材や練成品を放出して声も大に呼びかけたりしている。客側も、これから自分が作成出品するあるいは使うことになるアイテムを少しでもよくできる品物がないかどうか、熱心に見て回っている。そんな空気を楽しんでいるだけな様子の生徒たちも多数いる。


 その中で、華やかに着飾った少女たちが瑞々しい果物をおやつとして売り歩く。たしかに人目を引くし、自分が見回る側でも、楽しそうな雰囲気に惹かれて買ってしまうかもしれない。


 だが何度も言うようだが、とうてい十倍には届きそうにない。

 いや、別にスフィールリアとしてはこの量が捌けるのであれば相場でも充分なのだが……。


「……ほんとにそれだけでいいんですか?」


 いまいち腑に落ちないところがあって、スフィールリアはもう一度小首をかしげて聞き直した。

 これではテスタード側は、スフィールリアたちに露店スペースと実を売り捌く知恵を提供しただけになるではないか?

 彼を悪い人物だとは思わないが、そんな世話焼きでもないとも思っている。まぁあとでテナント代金と余剰売り上げの一部分くらいは要求してくるのかもしれないが……。

 本当に、それだけだろうか?


 とここで、スフィールリアは「おや?」と思った。


「……」


 カゴとコップのセットを突き出してくるテスタードの視線が、自分の胸元に落とされていたからだ。

 それは一瞬のこと。だが、たしかに見ていた。

 彼女も一応は女の子の端くれなので、そういった視線にはあるていど敏感なのだ。アイバなんかもよく見てくるから間違いない。

 まぁ〝黒帝〟と呼ばれ恐れられる彼とて同年代の男の子だ。女の子の胸が気になったとて不自然はない。なにもない。しかたないと思う。

 だがスフィールリアは違和感を覚えた。

 彼の視線はそういったいやらしい類のものではなかったのだ。アイバの視線と比べたので間違いない。

 事実〝黒帝〟はなにかを確認して満足したかのようにひとつうなづき、


「問題ない。それでいい」


 と、答えてきたのである。


「……」


「ほら、さっさと持て。そしてヤツらにも配ってこい」


「は、はぁ」


 やはりなにかあるらしい。

 しかしこれ以上まごついていると本気で怒られそうだったので、スフィールリアはカゴを受け取り引き下がった。

 カゴセットを配って首尾を説明すると、面々も自分たちの役回りを理解してくれた。


「わたし、フィリアルディさんと一緒にかわいらしいポップを作ってきたんですよ! 使えそうですね!」


「そういうことなら、別に普段着でもよかったんじゃないですの……」


 その間もテスタードは商品の位置を調整したり、露店の前に自ら立って商品の並びを確認したりといったことを繰り返していた。入念である。

 そんなこんなで露店の準備が整ったらしく、テスタードが両手のひらをはたきながら、こちらを見てきた。商売を開始せよ、とのアイコンタクトだ。


「え、えっと……」


 ざわ……ざわ……

 相変わらず彼女たちの周りは人だかりが絶えない。

〝黒帝〟がなんかするらしい。あの女の子たちはなんだ。


 そんな期待の眼差しの中、スフィールリアたちはどう一歩目を踏み出せばよいか分からずにいた。なにせ初めての体験だ。

 とそこで、業を煮やした風に小さく舌打ちをした〝黒帝〟。次にはニコッと信じられないほど人のよさそうな笑顔になって、パンパンとよく聞こえるように手を打ち合わせた。


「さーさーお待たせしました! 本日限り限りの限定出店、〝テスタード工房〟の練成市、開店だぞぉ! ――本日のお買い得商品はコチラ、看板娘たちが手渡ししてくれる『キルトの実』だ! 夏のオヤツにいかがっスかーー!!」


 おお……!

 とわずかなどよめきが起こる中、テスタードが「さっさといけ」と催促するようにあごを出してきて、スフィールリアたちもようやく動き出すきっかけを得た。


「あっ、は、はい! ――採れたて新鮮な『キルトの実』でーす! おひとついかがですか~?」


「ひ、冷やしてあるので、その、お、おいしいと思います。ぜひどうぞー!」


「い、いかがですのー! ……はぁ、なんでわたくしがこんなことを…………」


「あ、はい。おふたり分ですねありがとうございます~」


 慌てて散開してまばらな群集の列に歩み寄ってゆくと、さっそくぽつりぽつりと売れ始めた。

 なるほどいざ売り出してみると分かることだが、テスタードの言葉はいろいろな意味で正しかったらしい。


 果物入りのコップを差し出されて、興が乗ったように「お、それじゃあひとつもらおうかな」と簡単に買ってくれる人もいれば、買ったあとに「なぁ、〝黒帝〟なにすんの?」と探りっぽいことを入れてくる人もいた。あるいは純粋に欲望に従って、こちらの胸元をもっと近くで見たいから買う、風な気配の客もいた。


 総じて、出だしは順調と言えるだろう。


「いかがですかぁーー!」


 さて、どうやらこの流れは〝黒帝〟の思惑の一部であり、始点であるらしい。

 最終的な着地点を聞きそびれたのは残念だが、とにかく、彼が言っていた『十倍』という言葉は本気なようだ。

 どのような手段でそれをなそうというのか。スフィールリアは少し楽しみだった。

 お手並み拝見といきたいところである。


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