■ 4章 仕事とバニーと森の魔女(3-08)
アリーゼルはため息をついていた。
「……はぁ。またですの」
なにかというと、寮のポストを覗いてのことである。
束になった手紙。うち半分は、サークルや研究会への勧誘の類だ。
そして、彼女にため息をつかせたのは、もう半分の方である。
「……」
一通を取り、開けてみる。
このような内容が、記されていた。
『麗しきアリーゼル・フォア・フィルディーマイリーズへ。好きです。付き合ってください』
「却下ですの」
ビリっと真っ二つに破き、共同ゴミ箱に打ち捨てる。
「本当に好きなら、文面でなく直接言う勇気を持つべきですわね」
もう一通、開いてみる。
『学院に住まう妖精のような君へ――』
「まぁ」
『あなたと〝あのお方〟が並んで歩いている姿は、まるでひと夏の天気雨のあとにかかる虹のよう』
「……はい?」
『あぁ……どうかお願いします。このぼくに、フィリアルディさんとお話をする場を設けていただきたいのです』
「却下ですの!」
ビリっと何重にも破り、共同ゴミ箱に打ち捨てる。
「どうしてわたくしが人様の色恋沙汰に干渉しなくてはならないんですのっ。本当に好きなら、ご本人にまっすぐ向かい合ってゆくべきですわ!」
そしてさらにもう一通。
『アリーゼル・フォア・フィルディーマイリーズ様。どうしてもあなたに伝えたい気持ちがございます。この手紙を見たのなら、どうか放課後、第三研究棟の屋上までいらしてください。いつまでも待っています』
「そうそう。こういうのですわ。こういう普通の感じでいいのです」
そうして、手紙の選別を終えて……
「残ったのは五通ですのね」
それなりの勇気を持ってこの自分に打ち明けることがあるというのだから、無碍にはできまい。直接、すべて断って回る必要があるだろう。
数十分後。アリーゼルは手紙の指定する場所に立っていた。
「ごめんなさいですのっ」
そして、何人目かの男性を撃沈させた。
「……ダメですか」
「今のわたくしは、学業に修練で手一杯なのです」
そう言って、アリーゼルはまたいつものごとく、その場をあとにした。
そんな彼女だが、誘いをかけてくるのはなにも生徒ばかりではない。
「やぁ、アリーゼル君。今日もかい。いつもながら大変なことだね」
「ご機嫌麗しゅうございますですの。教師殿」
「ところでこのあとどうだい、時間はあるかい?」
「申し訳ありません。このあと、お仕事が控えていますので」
「……そうか。それは残念だ。いち研究者として、君とは一度ぜひ、議論を交わしてみたかったのだが」
◆
スフィールリアはため息をついていた。
「はぁ。またなの」
なにかと言うと、小屋のポストを覗いてのことである。
束になった手紙。うち半分は、サークルや研究会への勧誘の類だ。
そして、彼女にため息をつかせたのは、もう半分の方である。
「……」
一通を取り、開けてみる。
このような内容が、記されていた。
『スフィールリア・アーテルロウン。決闘を申し込む』
「却下」
ビリっと真っ二つに破き、ゴミ袋に打ち捨てる。
「本当に闘う気があるなら、きちんと時間と場所を指定する勇気を持つべきよね」
もう一通、開いてみる。
『学院に巣食う魔獣スフィールリア・アーテルロウンに告げる――』
「……おいっ」
『麗しのフィリアルディ・マリンアーテ殿の隣へふてぶてしくも居座る愚行、これ以上許しはしない。貴様を打ち倒した暁に、わたしはこの真なる想いを彼女へと届けるだろう……』
「知るか!」
何重にも破いて捨てる。
「本当に好きなら、そんな言いわけなんかしないで本人にまっすぐぶつかっていけ」
そしてさらにもう一通。
『スフィールリア・アーテルロウン殿。貴殿に試合を申し込む。本日放課後、<国立総合戦技練兵課>の闘技場にて。いつまでも待っている』
「そうそう。こういうの。こういう普通の感じでいいのよ」
そうして、手紙の選別を終えて……
「残ったのは五通だわね」
それなりの勇気を持ってこの自分に立ち向かおうというのだから、無碍にはできまい。直接、すべて倒して回る必要があるだろう。
数十分後。スフィールリアは<国立総合戦技練兵課>の闘技場に立っていた。
「ふん…………ぬぅあああああっ!!」
「ぐげぎゃ!」
そして、何人目かの屈強な男を床に沈めていた。
「くそっ! 今日もダメか!!」
「今のあたしは滾りに滾っているわよ! さぁ次! かかってきなさい!」
そう言って、スフィールリアはまたいつものごとく、挑みかかってくる戦士たちを打ち倒していった。
そんな彼女だが、誘いをかけてくるのはなにも生徒ばかりではない。
「やぁ、スフィールリア君。今日もかね。いつもながら大変なことだな」
「あ、どうもこんばんは。教官さん」
「ところでこれからどうかね、時間はあるかね?」
「あー、すいません。このあと、お仕事があるので、ちょっと」
「……そうか。それは残念だ。一介の武人として、君とはぜひもう一度、拳を交えてみたかったのだが」
◆
さて。
大祭に向けた、スフィールリアの新たな日常が始まっていた。
そんなある日のことだった。
「あれ?」
いつものように作業に向かおうと工房の戸を開けたところで、彼女は工房内の風景にふとした違和感を覚えたのだった。
というのも……。
(増えてる……)
のである。
なんのことかと言うと、先んじて工房で作業をこなしていた妖精の『ノックン』のことだ。
ずっと玄関にぶら下がって客を待ち続けるのも暇だ暇だと騒ぐので、『水晶水』や調合素材の下準備を始めとした、簡単な軽作業を任せてみていたのであるが……。
「……」
さて。
そのノックンが、二体いる。
スフィールリアはたしかめるようにまぶたをこすってもう一度じっくり見つめてみるも。
「……」
やはり、二体いる。
「あ、お姉さん! おはよーございます!」
「おはよーなのです!」
声もしっかりとふたり分である。
乳鉢をかき回す手を止めて、あいさつなどしてきている。
「ああ、うん。おはよ」
ようやく現実を認識して、スフィールリア。工房へと足を踏み入れて、妖精たちに語りかけてみた。
「ねぇねぇ、そんなことより、なになになに。なんでノックンってばふたりいるの? 分裂したの?」
ジト目になった妖精ふたり。たらりと汗などたらしながら、若干非難がましい視線を彼女に送る。
「分裂って。お姉さん、ボクたちのことなんだと思ってるんですかーー!」
「そうですよーー! まぁ、仕方がないかもしれないですけど~」
「……ん~~~~?」
言われてみて、スフィールリア。作業机上のふたりに歩み寄って、じっくりと観察などしてみる。
「……あ、よく見ると別人だね。ごめんごめん」
「えっ! すごい!」
「おねーさん、ニンゲンなのに、ボクたちの違いが分かるんですかー!?」
そういうものなのか。知らなかったが、スフィールリアは簡単にひとつ、うなづいた。
「でも、なんで? こちらさんは?」
問われて、ノックンがぴょんと跳ねながらもうひとりの方を指差した。
「この子は、ピックンって言います!」
「ボロボロにすり切れるまで使い倒してくれるおねーさんがいると聞いて、飛んできました!」
「ボロボロまで使い倒し……って。なんか人聞きが悪いけど。なんとなく分かったような分からないような」
そういえば、フォルシイラに聞いたことがある。
これは、野良妖精というやつだ。
捨てられるか、主がなんらかの事情で手放した道具が妖精化すると、野良妖精になるのである。
野良妖精は新たに自分を使ってくれる主を求めて放浪したり、あるいは世界のどこかに点在するという妖精のコミューンに身を寄せて雇用者たるニンゲンを待ち続けるのだとかなんだとか。
このピックンも、主を求めてここにたどり着いた、そんな妖精のひとりというわけだ。
「使ってくれませんかね~? ボク、乳鉢なんですけど~。いっぱいいっぱい、キレイにすり潰してみせるので~」
ちょい、身体ごと首をかしげる仕草が可愛らしい。
「うん、まあ、いいけど。……それじゃあ、これからよろしくね、ピックン!」
「あ~~い! やったぁ!」
スフィールリアとしても異存はなかった。
妖精として実体化した彼らは、その本来の道具としての役割のほか、このように『水晶水』の作成など別の仕事をこなすこともできる。さらに、本来の道具としての機能を使う時は、その仕事への親和性が非常に高くなる。
薬草をすり潰す作業にしても、綴導術士にとっては立派な作業のひとつである。しかし腕は二本しかない。
その作業を任せて省略できる上に、高いクオリティでこなしてくれる彼らの存在が非常に有用であることに、スフィールリアはもう気がついていた。
妖精とうまく付き合ってゆくことのメリット。――いつしかのタウセン教師の言葉の意味にもうなづけるというものである。
「センパイの注文もけっこうハードだしね。ちょうどよかったかも」
「いっぱいいっぱいお仕事しますよ~?」
よろしくねと告げて、スフィールリアは机上に置いていた書類を広げた。
「ん~。コアパーツAの材料と、その入手経路はっと……<クファラリスの森>かぁ」
「ん? なんだ、また採集旅行にでもいくのか?」
開いていた工房扉をくぐって聞いてくるフォルシイラに、スフィールリアはうなづいた。
「うん。あたしたち下位のランクでもいけるような採集と素材は後回しにしてたんだって。たぶんアリーゼルたちも似たような注文受けてるはずだから、今度誘って一緒にいこうかなってね」
その時だった。
「なるほどな。で、普段の仕事の方はいいのか?」
フォルシイラが、こんなことを、言った。
「……え?」
「だから、依頼。『赤型魔素硬化樹脂』の依頼、受けてたろ」
「えっ。あれはセンパイの注文の品が三セットと――」
頭をぽりぽりとかいて、数秒後。
次第に整理されてゆく記憶とともに、スフィールリアは顔を青ざめさせていった。
「……あああ~!!」
「ひょっとして、注文内容被ってたから、ごっちゃになってたか?」
その通りだった。ボードに貼りつけてあった注文票を手に取り、わなわなと震えるスフィールリア。
「あああああ。やっぱりだ。そうだった……『赤型魔素硬化樹脂』の依頼も受けてたんだった……!」
「期日はたしか、明日だったか。凡ミスだなぁ。もっと早く言ってやればよかった」
「どどど、どうしよう!」
「その作成数の数だとどう考えても間に合わない。キャンセルするしかないだろう」
「それって」
「ああ。実質の、クエスト失敗だな」
「……あああああ~~~」
「とりあえず、急いでクエスト受注事務所に連絡だけはいった方がいいな。あんまり変わんないだろうけど、それでも当日のドタキャンよりは心証も悪くないはずだ」
というよりは当日のドタキャンが最悪中の最悪な行為とされているだけだが。おおむねフォルシイラの言葉が正しいと認めるしかなかった。
「うう。いってキマス……」
「ああ……」
スフィールリアは、クエスト受注事務所へと足を運んだ。
「えっ、この依頼キャンセルなのか!」
「……はい。すみません」
スフィールリアが差し出したクエスト受注票を見て、窓口アルバイトの上級生が目を丸くした。その反応を見て彼女は余計に、しゅんと縮こまった。
「……マジか~。よりによって、コレなのか~」
「……」
「……なんとか、ならない?」
「すみません。今、別口の注文分で手持ちが三つあるんですけど。残りの作成数だけでも、明日までには間に合わなくって」
う~む。と、上級生は頭を抱えた。
「そっかぁ。これはもう、そういう星の下に生まれた依頼だと思うしかないのかもな~。……いやな、この依頼のキャンセル、これで五件目なんだ」
「えぇ!?」
「どういうわけか、なー。キャンセルに告ぐキャンセルでさぁ。依頼主もなにが悪かったのかってへこんでてなー。いや、特別な依頼ってわけでもないんだ。だから、言いづらいんだよねぇ。お前さんなら今度こそ大丈夫だと思ってたんだけど、はは」
そんなこともあるらしい。
だからなのか、上級生も余計にやりづらそうにしている。依頼主へ連絡を入れるのに、気が重たいのだろう。
「ほ、ほんとにすみませんっ」
「いや、まぁ。仕方がないよ。なんとかしてやってほしいのがホンネだけどな……ただ、キャンセル料金は普通にいただくことになっちまうけど、それはいいか?」
「は、はい」
クエスト掲示板に限らないことだが、たいていの依頼キャンセルにはキャンセル料金が発生する。
「クエスト掲示板の場合、規定に定められた受注手数料と、依頼主への手数料返金、そしてキャンセル手数料で、今回は一金貨と二十銀貨だ。出費だな~」
「うう……はい」
とそこで、アルバイトの上級生。もう一度スフィールリアの顔を覗き込んで、聞いてきた。
「……やっぱりなんともならない? 俺から話をつけて、猶予期間の延長ぐらいならできると思うんだけど」
「う~ん……あたしもこれじゃプライドに響くので、もしあと二日もらえるなら。手持ちの分をこっちに回して、なんとかしようと思うんですけど」
上級生が「ほんとかっ?」と表情を輝かせた。
「そういうことなら、俺が話つけるからさ。ぜひ頼むよ! なっ? 納期自体はすぎちまうから一旦キャンセル料金は預からせてもらうことになるけど、猶予期間の間に依頼達成が間に合えば、キャンセル料も一部返金されるからさ!」
「あ、そうなんですか?」
「ああ。あんまり知られてないけどな」
クエスト掲示板に掲示されるクエストには『クエスト掲示期間』と『依頼期間』、二種類の期間情報が設定されることになっている。
クエスト掲示期間というのは、文字通り、注文票が張り出されてから取り下げられるまでの基本期間のこと。
依頼期間というのは、クエスト依頼者が希望する、いわゆる『納期』のことである。
普段、受注者が気を配っていればよいのは、この『納期』のみだ。
しかしそれとは別に用意されているのが窓口が依頼データを管理するために設けられる、この、『掲示期間』だ。
この猶予期間中であれば、すでに窓口が受注希望者を受けつけていても、依頼者は掲示を取り下げたりすることができる。逆に、依頼の達成そのものも不可能ではないことになる。『掲示期間』中であれば、依頼そのものはまだ失効していないとみなされるのだ。
つまり、実質の依頼期間は、実はこの『掲示期間』の方となるわけである。
それでも依頼者が望む『納期』はすぎてしまうので依頼者へのキャンセル料と窓口への手数料のそれぞれ半分ずつだけは徴収されるのだが、もう半分ずつは返還されるという構造になっているのだ。
「分かりました。採集は後回しになっちゃうけど、あたしのミスだし……依頼者さんに『絶対にお届けする』って伝えてもらえますか?」
「ああ! 任せろ!」
本当にうれしそうに腕まくりをするので、スフィールリアは「ぷっ」と吹き出していた。
「先輩ってほんとに真面目ですよね。なんか、アルバイトって感じがしないです」
「そうか? まぁな……なんだかんだでこの仕事も長くなってきたし。こういう裏方の仕事が好きなんだよ。実は上の方からも正式な職員にならないかって声かけられててさ。綴導術士として独立を目指すのも悪くないんだけど、こんな仕事もいいかなって思ってるんだ」
学院にいれば、その進路は綴導術士に限定されはしない。
いろんな人間に、いろんな職の可能性が見出される。それが<アカデミー>という場所だった。
「ところで、採集旅行か。急ぎみたいだけど、どこいくんだ?」
「あぁ、<クファラリスの森>です」
「あそこかぁ……じゃあちょうどよかったかもな。今は近づかない方がいいかもしれないぜ」
「えっ。またですか?」
そ、まただよ。とうなづく上級生。
「なんでも、〝奥地〟の近くに結界みたいな構造ができあがりつつあるらしいんだな~」
「は、はぁ。結界、ですか? ひょっとしてまた変異ジェイルロックが出たとか?」
「いや。今回はそういうんじゃないらしい。モンスターの分布変動も森の範囲からは出ないし、強力なモンスターが現れたってハナシでもない。ただ、一部入れないっぽい地域が出てきてるらしいんだ。人払いの結界にも近いらしいんだけど、まだ詳しいことは分かってない」
そういえば、とスフィールリアは以前に森へ入った時のことを思い出していた。
「そういえばあの時も、森の中の素材分布が変わってて。それが変異ジェイルロックと合わさってモンスターを再生する構造ができあがってましたけど……」
「あぁ。それな。あのあと王室の調査団が森に入ったんだけど、どうやらその素材分布の変動も、人為的なものであるって可能性が出てきたらしいんだな」
「なんだか、今回もそれと〝つながり〟がありそうな感じですね」
「だよな。まぁそういうわけだから、今のところ具体的な害や危険はないらしいんだけどな。それでもなんかキナくさいだろ。できることなら、問題が解消するまでは関わらない方がいいかもしれない。ってな。そういう話さ」
「むぅ……なるほど……」
ということだった。
しかしそれではテスタードの注文の方がままならない。
スフィールリアは依頼の消化と同時、強力な助っ人を頼りに採集旅行を断行することにした。
強力な助っ人――アレンティアと、キアスのことだ。
「護衛? うん、いいよ。や~、こないだの<アガルタ山>での仕事が大臣さんたちの間でも評価高くてさぁ。しばらく<薔薇の団>は動かなくていいよって言われてるんだぁ」
ということでアレンティアの方はふたつ返事でOK。
ついでにその時に副官ウィルベルトからは「いやぁ、団を丸ごと動かす大規模な仕事は久しぶりでしたからね。しばらくは動いてほしくないって言うのが大臣様方の本音らしいです。失礼な話ですよねぇ? ウチの団長だって、やればちゃんとできる子なんです!」などという裏話を聞いたのだが。
そして、キアスの方も、
「そういうことなら同行しよう」
と、あっさり依頼を受諾してもらえた。
基本的に危険な仕事を優先して受けるのが彼なので、正体不明のリスクが存在するという彼女の依頼はもってこいなことだったらしい。
ついでに、
「君は常々危なっかしいからな」
とのコメントもいただいたが。
アリーゼルとフィリアルディの方も、これら両名の助力を得ていると聞くと、心底からほっとしたように採集旅行への同行を了承してもらえた。ちょうど、テスタード上級生から受けていた注文の素材調達に頭を悩ませていたらしい。
そういうことになり、<クファラリスの森>への旅行日程は、とんとん拍子で決定されたのだった。
◆
「で、きてみたはいいけど」
王都出発より二日後。スフィールリア一行は<クファラリスの森>に入っていた。
<クファラリスの森>――
王都から見て東方面に広がる大森林である。
ディングレイズ王家が立ち上がるよりも以前からそこに存在し続けてきたという森だ。
土地は肥沃であり、奥地には樹齢千年を軽く超える大翼樹が林立している。
森に寄り添う<クファラリス精霊邸湖>も湖底には同種の木々が沈んでおり、かつては森の一部であったことが分かっている。森が後退してできあがったのが<クファラリス精霊邸湖>なのだ。
森の奥地にいけば光も届かず、がらりと植生の変わった層が顔を見せるようになる。
古い記述によればエムルラトパ王家に縁のある遺跡が残されているらしいのだが、強力なモンスターが跋扈し、地形の複雑さや環境の繊細さなどもあり、調査はほとんど行なわれていないのが現状である。
それとはまったく別の説として、ディングレイズ王家がエムルラトパ王家より大陸の統治を引き継ぐ際に交わされた〝契約〟こそが調査未進行の理由である、という話もあるのだが。
なんにせよ、深部までを含めた森の踏破の難易度は<アガルタ山>の攻略よりも難しいと言われる秘境である。
「特に変わったことはないみたいだね」
木漏れ日に薄く照らされた森の内部の気配を読み取って、アレンティアが簡単な感想を告げる。
これに超大剣を背負ったキアスも同意見を送る。
「遭遇するモンスターにも異常な点は見受けられない。せいぜいが〝色つき〟のイービスが多めに見られるぐらいだ」
実際、森は静かであり、穏やかだった。
スフィールリアのほかにいる術士組は、アリーゼル、フィリアルディ、エイメールの三人だ。また護衛のもうひとりとして、エイメールについてきたフィオロの姿もある。
計七名のチームだ。プラス、荷物持ちとして今回は一頭のレンタル騎竜も連れている。
スフィールリアは学院で購入してきた最新の<クファラリスの森>素材分布図を眺めた。
「たしかに、前にきた時から、また素材の分布も変わってますけど……特に危険な化合を起こすような配置じゃないですね、今のところは」
「けっこうなことじゃないですの」
「そうだね。わたしたちの目的は、あくまで素材の調達だから。ヘンなことがないのはよろこぶ方がいいかも」
苦笑しながら言うアリーゼルとフィリアルディの意見は、しごくもっともだと言えた。
しかしスフィールリアは「う~~ん」と納得し切らない表情だった。
「そうなんだけどねぇ。……でも、気になって」
「なにがですか、スフィールリアさん?」
と、なぜかどこかウキウキした様子で尋ねるエイメール。スフィールリアの旅に同行できることがうれしいらしい。
ともあれ。
「うん……前にきた時、ね。……だれかに見られてるような気がしたんだよねぇ。森の素材分布がこんなに急に変わるのも、不自然っちゃ不自然なのは変わらないし」
そう言ってアレンティアと同じように森を見回してみるも、特段変わったことや、危険の兆候は見受けられなかったのだが。
それを見て苦笑いしたアレンティアが、ぱむと手を打って術士組に問いかけた。
「それで? みんながほしい素材っていうのは、どこまで潜れば取れるのかな。どんなものなのか教えてくれれば、わたしたちもお手伝いするけど」
「あっ、はい。『エムル鉱石』っていう石材なんですけど」
「エムル……? エムルラトパと関係があるのかな?」
「はい。森の奥地にあるエムルラトパ遺跡の欠片だっていう噂の石なんです。だから、人工物っぽい、角ばった石の破片……らしいんですけど」
「ほ~ん?」
彼女の言葉に合わせて、フィリアルディが広げてみせた図鑑のページを、護衛職三人が覗き込む。
「ていうことは、もうちょい奥地に近づかなきゃダメなのか。こりゃ気合入るねぇ~」
「用意してきた装備から見ると、あまり推奨はできかねますが……」
「そうなると、注意すべきなのは『スプリガン』だな。Aランクのガーディアンだ」
スプリガン。
推定ランクA。エムルラトパ遺跡を太古から守り続けている、高度な科学技術によって構築された戦闘人形である。
……と、言われている。
遺跡自体に人払いの結界がかけられているらしく、そもそも遺跡にたどり着くことが難しいので、まず出会うことはないと言われているモンスター(?)だ。さらに言えば、遺跡とセットで実在さえ疑われている謎の存在でもある。
実際に出会ったことがあるという目撃証言も、ほうほうの体で逃げ出してきたというものが大半で、わずかばかりの外見的特長が伝えられているていどである。
アレンティアが面白そうな顔をしてキアスの方を向く。
「キアスさん、出会ったことあります?」
「いや。わたしもないな。未知数の敵だ」
「実は、ちょっとワクワクしてません?」
「……いや。安全が第一だ。君の方こそそのような顔をしているように見える」
「あは、バレました?」
「おふたりとも、お待ちください。あまり危険なことは、やはり気が進みません。わたしたちだけで進むならまだしも、お嬢様方がいるのですから……」
今度はスフィールリアたちが苦笑いする番だった。
とりあえず分かったことは、現段階では特別な危険はないということだ。奥地に触れないかぎりは。
「じゃあ、いきましょうか」
奥地に入らずとも、近づけば『エムル鉱石』の破片は入手が可能だと言われている。
そういうことになり、一行はさらに二日をかけて、森の深部へと潜っていった。
◆
「……んむぅ~?」
机の上に設置していた精霊球が赤色の警報色に明滅したのを見て、彼女はハンモックから身を起こした。
「また接近者ですかーっと」
球に触れて周辺マップを呼び出す。
人数は七名。森の〝奥地〟――つまりここをかすめるコースを取りつつある。
取りつつある……が。眺めていると、徐々にそのコースが外れ始めるので、彼女はほっと息を抜くのだった。
「よしよし、さすがあたいっちの結界。なんの目的かは知らないけど、あたいっちの生活の邪魔さえしてくれなければ――」
と、そこまでを言ってから、彼女は気がついた。
一行の取るコースが、例の〝遺跡〟方面に変更されつつあることに。
「……これって、あたいっちのせい?」
答える者はいない。
ただたしかなのは、一行の取る軌道が、まるでなにか見えない壁に沿って気づかないままに進まされているように見えることだけだ。
「んにゃ~~! また結界の形が変わっちゃったのかぁ! 何度も調整したのにぃ……この森、けっこう気難しいなぁ……!」
と髪の毛をわしゃわしゃかき回して……
「……人死にが出るのは、よくないよねぇ。夢見も悪いしなー、うーん!」
数秒、考えて。
「ま、しょうがない。いきますか!」
そうして彼女は、傍らに立てかけてあった〝杖〟を手に取ったのだった。
◆