(3-03)
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そうして次に目を覚ました時に見たものは、見覚えのある医務室の天井だった。
といっても学院に医務室はいくつもあるので、以前運ばれた部屋と同室であるとは限らない。単に造りが同じなので、そう錯覚しただけだろう。
「……」
視線を横へずらすと、心配そうに顔を覗き込んでいるフィリアルディ、アリーゼル、エイメールの顔、そして、フェイト上級生の顔もあった。
「スフィールリア、大丈夫……?」
「あれ。フィリアルディ、アリーゼルも。なんで……?」
「廊下の件、わたしたちも見てたから」
「そんなことよりっ。大丈夫なんですのっ? なにがあったんですの。先生は別状ないとおっしゃりましたけど……痛いところとか、苦しいところとかございませんのっ?」
「あぁ、うん。大丈夫だよ、ほら。ありがとうね」
そう言ってスフィールリアは笑い、上半身を起き上がらせて見せた。一同がほっとしたような表情を見せる。
「……なにが、起こったんですの」
少し疲れた風なアリーゼルの問い。
スフィールリアは不意に戻った倦怠感の残滓にため息をつきながら、
「黒っぽい……〝気〟、みたいな」
「……」
フェイト上級生が、そんな彼女を無言で見つめている。
「黒い〝気〟? ですか?」
続かない言葉に、エイメールが気遣わしげに聞き返した。
「うん……ちょっと茶色っぽくて、泥みたいな〝色〟の〝気〟……そんな感じだった。それがテスタード先輩の身体を包んでいて、それに当たった瞬間、息が詰まって、苦しくなって……」
そして、気がついたら倒れていた。
というわけである。
「……テスタは、その〝タペストリ〟の色を、〝邪黒色〟と呼んでいる」
おもむろにつぶやいたフェイト上級生に、エイメールが食ってかかった。
「フェイト先輩はそれを知っていて、スフィールリアさんを彼に引き合わせたんですか!?」
「うん。……ごめん。アーテルロウンなら、近づいてもなんとかできると思ったんだ」
「そんな……」
エイメールは呆然と二の句を失ったが、それ以上言い募ることもできないのは事実だった。
スフィールリアが倒れたあと、間に割り込んでテスタード上級生を止めてくれたのも、この彼だったからだ。
あの傍若無人の塊であるみたいなテスタードを相手に、真正面に立ち「それ以上は許さないよ」と言ってのけられるのは、彼ぐらいのものだったろう。
そのフェイトが、スフィールリアに向き直った。
「でも、分かっただろう? 出展枠を今から手に入れるのは、生半可なことじゃない。俺が思いつけるツテといったら彼しかいないし、彼のそばにいるなら、あれくらいは平気な顔でなんとかしなくちゃいかない」
「なに言ってるんですか、フェイト先輩! あんなことをする先輩のそばにスフィールリアさんを近づけるだなんて、できるわけないじゃないですか。そんな邪悪な〝気〟をぶつけて笑ってるだなんて……イジメですよ、あんなの!」
「違う……」
スフィールリアは頭を抱えながら、ぽつりとつぶやいた。
「え? 違うって……なにがですか、スフィールリアさん?」
無言だが、フェイト上級生の静かな眼差しを感じながら、スフィールリアはあいまいにつぶやいていた。
「違う……下級生いじめだとか、そんなんじゃない。たぶん、あの人は……」
「……スフィールリアさん?」
「ぬええい!」
「ひゃっ!?」
唐突に頭を振って、スフィールリアはベッドの上に立ち上がっていた。
「フェイト先輩、もう一度!」
スフィールリアは、フェイトに強い眼差しを送っていた。
「……」
「もう一度、テスタード先輩に会わせてください!」
それを聞いたフェイト上級生の顔には、笑みが戻っていた。
「で?」
とある講義棟の裏地。
呼び出されたテスタード上級生が、心底うんざりしたような表情で、そこに立っていた。
その視線の先。フェイトのうしろには、スフィールリアと、心配してついてきたアリーゼル、フィリアルディ、エイメールらの姿がある。
「話した通りさ。もう一度、アーテルロウンが君に会いたいっていうから。連れてきた」
「……」
夏の風が吹いて。
近くの壁でセミが鳴いている。
テスタードはより険悪な表情を浮かべながら、髪を梳き上げた。
「あのな、クソフェイトよ」
「うん、なんだい」
「これ以上は俺が許さないだとかなんだとか、いろいろ言ってくれたわな」
「そうだねぇ」
フェイト上級生は、あくまでも普段通りのほほんとしている。テスタードはギロリとさらに視線の鋭さを深めた。
「許さなくちゃ、どうしてくれるってんだ、あん? それでもう一度こいつらを連れてくるってなどういう了見だ? お前俺に遠まわしに喧嘩売ってんだろ。それも生きるか殺すかぐれーの、とびっきりのやつだ」
「大げさだなぁ、テスタは。俺が君とそんな事を構えるわけないだろ」
「どの口がほざきやがる」
犬歯を見せて威嚇めいた息を吐く。
「まぁいい」
次に、ほがらかに笑うと。
「ということはだ。次こそは俺も、完全無欠、徹頭徹尾。容赦しなくても問題ないわけだな?」
「そ、それで! お、お願いします……!」
と、答えたのはフェイトの背に隠れ気味のスフィールリアだった。
ぎろと睨まれて及び腰だが、それでも彼女はその場から一歩も退かなかった。
にやりと笑ったテスタードが一歩を踏み出し、フェイト上級生が、彼女へ道を譲るように一歩を退く。
「お手柔らかにね。くれぐれも。相手は女の子だからね」
「てめぇのフェミニズムなんざ知るか。俺もな、てめーとは一度、徹底的にやりあってみるのも悪くねーと思ってたんだ、フェイト」
スフィールリアが、テスタードの正面に立った。
もはやさっきまでの及び腰もなく、すっきりとまっすぐに立っている。
「へえ。じゃ――いいぜ」
テスタードが首に下げていた金細工のいくつかを取り外し――彼の周囲に泥色の、〝邪黒色〟の〝気〟が噴き出してくる。
「……!」
ずっとうしろにいるはずのアリーゼルたちもが息苦しさから顔をしかめるほどの〝気〟の奔流だった。
「っ……」
そんな〝気〟に当てられて、スフィールリアの膝が、がくりと落ちかける。
それを見てニヤリと笑うテスタード上級生だったが……彼女が顔を上げた時には……その笑みを、引っ込めていた。
スフィールリアが、強気に笑っていたからだ。
次には、すっくと背筋を伸ばし、テスタードに向かって歩んでゆくではないか。
一歩、また一歩。
そして、彼の周囲を吹き荒れる〝邪黒色〟の〝気〟に近づいてゆき。
テスタードの顔色が、変わった。
紛れもない、驚きの表情へと。
「……」
スフィールリアが自分の周囲に、彼女自身の特性である〝金〟の〝気〟を張り巡らせたのだ。
エイメールたちも驚く。
学院長から決して余人に見せてはならぬと忠告を受け、本人もまたひた隠しにしていることを知っていたからだ。
「スフィールリアさん、そ、その〝色〟はっ! ほかの人に見せてしまっては!」
だが、スフィールリアは構わなかった。歩み続ける。
また、一歩――スフィールリアの〝金〟が、テスタードの〝邪黒〟に触れる。
触れて――変化した。
スフィールリアの〝金〟の表面が彼の〝邪黒〟を模倣して、同じ色になった。
次には彼女は、なんなく彼の作る〝邪黒色〟の奔流の壁を抜け……テスタードの目前に立っていた。
戦慄、驚嘆、警戒――それらがないまぜになった視線を、ほぼ真下から受け止め返し、
「こ、これで!」
「――」
「試験は突破……ですよね!」
会心の笑みで告げる。
「なにを、した」
一方のテスタードは、表情からすべての余裕を取り払っていた。
「こ、これが。あたしの〝金色〟の特性のひとつなんです。どんな〝色〟も模倣できます」
「な……に」
「だから、あたしも――〝金〟の表面だけを変化させたんです。先輩の〝色〟と同じに。それで先輩の〝邪黒色〟を中和して、すり抜けさせてもらいました!」
「お前、は――」
「センパイは、下級生いびりとか、弱いものいじめとか、そういうことする人じゃないです!」
思わず一歩を下がったテスタードに向けて、スフィールリアはさらに笑みを深めて言った。
「なんだと?」
「そのジャラジャラしたいっぱいの首飾りとか! 指輪とか腕輪とか! 全部、ていうかほとんど、センパイの〝邪黒色〟を押さえつけるためのものですよね?」
「……」
「その〝色〟は、尋常なものじゃないです。センパイも完全には制御できてないんじゃないですか? だから、そうやっていくつもの強力なアイテムを何重にも重ねて、封じ込めるしかなかった」
「……は。なにを言い出すかと、思えば、」
「だからあんな風に、自分から人を遠ざけるしかなかった……自分がどれだけ嫌われても」
「……」
「違い、ますか?」
「違うね。調子乗んなっ」
「あだっ!」
テスタードからゴリッとこそぎ落とすようなげんこつを落とされて、スフィールリアは涙目で一歩下がった。
「いった~~い!」
「くっくっく……はっはっは。いいぜ、お前。気に入った」
「……?」
「おいフェイトぉ。コイツ、俺の好きにコキ使っていいんだよなぁ?」
外していた装飾品を元の位置に戻し、スフィールリアの頭をがっしと掴んで引き寄せるテスタード。
状況を見守っていたフェイト上級生の微笑からも、剣呑なものが消えうせていった。
「ああ。その代わり、彼女の研究発表の席も用意してやってほしい。それが、君の下で働く彼女への報酬だ」
「研究、ねぇ。なにやらかすつもりなんだか」
「な、なにをするかは、まだ未定なんですけど。え、えへへ……!」
「は。……で? そこのうしろのヤツら? チンケな武器なんざ構えて、そんなもんでこの俺と一戦やらかすつもりだったのかよ?」
声をかけられて、ビクッと後ずさるアリーゼルたち。彼女らはたしかに『キューブ』を始めとした攻性アイテムを手に手にしていた。
いざとなったらテスタードを攻撃してでも、スフィールリアを彼から引き剥がすつもりだったのだ。
「と、当然です。と、と、……友達ですから!」
「はん」
と笑い、
「ここに連れてきてるってことは、このガキどもも使っていいってことだよな、フェイトぉ?」
これに「えっ」と声を上げたのは、アリーゼルとフィリアルディだ。
「ちょ、そんなの勝手に! 困りますわよっ!」
「わ、わたしも。教室の先輩方の手伝いが……」
「ふたりとも腹をくくりましょう。わたしはもう決めましたよ。この夏、全力でスフィールリアさんをお手伝いします! この先輩がスフィールリアさんの美しさにどうにかなってしまって、スフィールリアさんをどうにかしてしまおうだなんて気を起こさないとも限りませんし!」
「はぁ? お前バカか。だれがてめーらみてぇなションベンくせーガキ襲うかってんだよ」
「さっきから人のことションベンションベンって、下品ですよ先輩! わたしにはエイメール・トゥールス・アーシェンハスという、両親からいただいた立派な名前があるんです! だったらこっちだって真っ黒先輩って呼びますよ!」
「あーあーもーうるせーなぁ。今この場で叩き出すぞ!」
「まぁ、まぁ、まぁ。みんな落ち着いて」
割り込んだフェイト上級生が、アリーゼルとフィリアルディを向いて、こう提案した。
「だったらふたりは、手が空いてる時だけ、彼女を手伝ってやってくれないか。こいつは本当に遠慮なんかしないから。ふたりだけじゃコキ使われて疲れちゃうと思うからね」
「ま、まぁ、そういうことなら。最初に宣言した通りですし問題はないですけれども」
「そう、よね。……うん。手伝うよ、スフィールリア。今回は空いてる時間だけになるけど」
「ありがとう、アリーゼル、フィリアルディっ」
ジ~ンときた風に目を潤ませるスフィールリア。
彼女の手を、エイメールが持ち上げた。
「それじゃあ音頭を取りましょう! きたる祭典、大・学院祭! みんなで~~」
その手に、アリーゼルとフィリアルディの手も重なる。
『ファイト、お~~!』
「あははっ、今年はにぎやかになりそうだねぇ」
「けっ」
学院伝説の特監生同士が、手を組んだ――
その日、その噂は、まことしやかに学院へと広がっていったのだった。