(2-21)
◆
瞬間、アレンティアがぶるると全身を震わせた。
「どうしたの、アレンティアちゃん?」
「や、なんか急激に寒気が……」
「なにも感じないけど……大丈夫? やれる?」
「大丈夫です――やります」
「ならいいけど。体調が悪かったらすぐに言って。対処するから」
気を取り直し、ざっと周囲360度を見渡すキャロリッシェ。
薔薇の大群は、今もその包囲の輪を狭めてきている。
「さて、そこで寝てるネクラヤローの言うことを信じるなら、勝機がないことはないわけだけど……獲物がないね」
アレンティアはスフィールリアが傍らに置いていた布包みから『フラスコの剣』を手に取った。
「これでやります。充填できる〝気〟の許容量なら、これが一番ですから」
「うん。薔薇を『捌く』のはそれでいいとして、だけどこの剣じゃ、あの薔薇の親玉とは戦えないでしょ。もうひとつ武器が要る。それはわたしたちが工面する――スフィールリアちゃん、武器はなに持ってる?」
「あたしは、この短剣しか……」
キャロリッシェとスフィールリアがそれぞれ護身用の短剣を取り出して見せ合う。
確認すると、キャロリッシェは自分の短剣を鞘に納めた。
「スフィーちゃんの短剣でいこう。これがこの場で一番いいものだ。これに可能な限りの術式を詰め込んで強化する。それで勝てるかどうかは分からないけど、それしかない」
「……」
いや。それでは、あの薔薇の女王は倒せない。
スフィールリアもキャロリッシェも同じ結論を抱いたが、現状ではほかに方法はない。スフィールリアは特に反論を口にはしなかった。
「よし。それじゃあいっちょう、やりますか――痛っ」
アレンティアが『フラスコの剣』をひと振りし、その顔がしかめられた。
右腕に絡みついた薔薇――この空間に入り込んだ時からアレンティアの腕に残っていた一輪のそれに、彼女は軽く舌打ちをした。
「あぁ、もう。これ引っかかって邪魔だな……取れないし」
「……」
スフィールリアは違和感を覚えて、しばしその薔薇を見つめていた。
が、すぐに思いついて、その場から立ち上がっていた。前に出て〝薔薇の舞〟の構えを取ろうとしていたアレンティアの腕を引き留める。
「アレンティアさん!」
「な、なに? どうしたの?」
「その薔薇……使えるかもしれないです!」
「え?」
アレンティアは再度、自分の腕に絡みついた薔薇を見つめた。
「情報面を見て、分かったんです。その薔薇、アレンティアさんを護ろうとしてくれています!」
「あ、そ、そうなんだ。てっきり邪魔しようとしてるのかとばかり……」
スフィールリアはかぶりを振る。
「――うまく動けないんです。薔薇の女王と、それ以外の薔薇たちの意見が一致しているから。今、この庭で唯一アレンティアさんの味方でいてくれてるのは、この薔薇一輪だけなんです」
「なるほど。今のところアレンティアちゃんが完全に支配下に置けているのが、その一輪きりの薔薇だってわけなのね。それが『薔薇の剣』にとってのアレンティアちゃんの、真のポジションってわけだ」
「これが、今のわたしを認めている、唯一の……」
スフィールリアはうなづいた。
「だから、その薔薇をあたしの短剣に『移し』ます! ――その薔薇の構成をいったん分解・再構築して、擬似的に<薔薇の庭>の制御下から切り離します。そうすればごく一時的、ごく短時間ですけど、『薔薇の剣』と同じ力を発揮してくれるはずです!」
「……」
スフィールリアは自分の胸に手を当て、宣言した。
「あ、あたしが――作ります! アレンティアさんの、武器を!」
「なるほどにゃ~。伝説の『薔薇の剣』に勝てるとしたら、同じ『薔薇の剣』だけ、か。どうする、アレンティアちゃん?」
「……」
「あまり時間もない。その〝処理〟が成功するか、そして間に合うかどうか自体、賭けになるけどねん」
言いつつもキャロリッシェの表情には笑みが灯っていた。生徒の挑戦を賞賛している、そんな笑みだ。
「……」
やがてアレンティアも清々しく笑って、スフィールリアに向き直った。
「分かった。預けるよ。わたしの薔薇と、この身の命運。全部を。――お前も。それでいい?」
右腕の薔薇に向けて問いかけると、薔薇はしゅるりとそのツタを緩めて、アレンティアの腕を離れた。
その薔薇を、スフィールリアは受け取った。
「それじゃあ、言いだしっぺのスフィーちゃんが『薔薇の剣』の作成を担当。ていうか純粋情報記述じゃ容量も処理能力もスフィーちゃんの方が上だしね。――わたしはあの薔薇たちの動きを、情報面から読み取ってアレンティアちゃんに教える。これでいこう」
「はい!」
ふたりがキャロリッシェ教師にうなづき、作戦が始動した。
アレンティアが前に出て、『フラスコの剣』を水平に構える。
そのうしろにキャロリッシェ教師が陣取り、大地へと手のひらを当てた。
「振り始めを合わせよう。アレンティアちゃんから見て時計方向に、一番近くて攻撃的な薔薇の位置を読んでわたしが指示を出す。薔薇の舞の〝型〟にハマるパターンに乗るまで、それを繰り返す。いい?」
「はい」
「いくよ――くる! 十一時方向、距離十二キロメートル。〝気〟は赤色。威力は強めで開始!」
「……!」
ゆっくりと――〝霧〟の回廊を抜けてきた時のように――アレンティアが〝気〟を込めた『フラスコの剣』を振り抜く。
〝――――――!!〟
薔薇たちの悲鳴が上がる。
〝遠投〟技術によってはるか十二キロメートル先に顕現した〝気〟の一閃が、獰猛に突進をかけてきていた薔薇の一団を散らし尽くしていった。
だが、薔薇たちの突進に緩みはない。
「ハズレか。――次。八時方向、距離十キロメートル! 色は青。威力は中くらい!」
「はい!」
再び薔薇が悲鳴を上げ――変化が起こった。
まるで電流でも流されて痺れたかのように薔薇たちがビクリと震え、その行進が鈍ったのだ。
続いて、薔薇の舞の〝型〟に沿ってアレンティアの第二刀。
またしても薔薇たちが震えて、突進を一時停止する。
「乗ったか! アレンティアちゃん、そのまま! 舞の通りに!」
うなづき、舞を始めるアレンティア。
目に見えて、薔薇たちの進攻は鈍ったようだった。
そのまま、優美に流麗に踊るアレンティア。その動作には一片の濁りも見られない。
しかしその実で、難しい手術を慣行するかのような――繊細でありながらも切迫した作業の連続であった。
加えて、大容量の〝気〟を常に放射している状態でもある。アレンティアの額には、すでに大きな汗の玉が浮かび始めていた。
今なら分かる――本当にこれは、〝剪定の舞〟なのだ。『薔薇の剣』に対抗するための……いや違う。『薔薇の剣』と『戦う』ための。
そしてそんな彼女らのさらにうしろでは、スフィールリアが〝作業〟を開始している。
「……」
空間に投射した情報記述によって〝半晶結瞳化〟した領域の中に薔薇を浮かべて、その情報構成の解体に取りかかっている。
(すごく緻密な構成……今のあたしの処理能力でも、いっぱいいっぱいかも)
薔薇は、ただの薔薇ではない。
ランクSSS級の神剣を構築する薔薇のひとつだ。
その構成は人知を超えたものであり、たとえ『薔薇の剣』を構築するうちの数十億分の一の一輪であったとしても、まったく予断が許されない。一歩間違えれば失われて、二度とは元に戻らないだろう。
スフィールリアも、そんな、繊細かつ膨大な作業を要されていた。
「アレンティアちゃん。薔薇たちの動きが〝型〟から外れたら言って。さっきと同じように次の〝型〟を探そう――大丈夫。まだ距離は充分にあるよ。落ち着いて、確実にね」
「は――い」
「スフィーちゃんも。容量がキツくなったら言ってね。〝型〟に乗ってる間だったら手伝いに向かえるよ。『フラスコの剣』も二本あるんだ。焦らずに。休憩しながら、確実に進めよう」
「は、い!」
ふたつの作業の進行役を担うキャロリッシェもまた、常に情報面から薔薇たちの動向をうかがいながら、ふたりの様子にも気を配っている。半径十キロメートル以上の範囲に渡って自分の〝感覚〟を溶け込ませて、薔薇への攻撃に適した〝気〟の色を見極め、なおかつ、全体に気を配りながら――である。一秒たりとて休めないのは、実は、この彼女だ。
「…………」
作業は繰り返される。静かに。だが、恐ろしいほどまでに鬼気として。
そして二時間が経過したころ――ついに一本目の『フラスコの剣』が耐久限界を迎え、砕け散った。
「二本目! いきます!」
「今のタイムラグでパターンが変わった――六時方向! 距離五キロメートル!」
薔薇たちの包囲も確実に狭まってきていた。
時を同じくして、スフィールリアの作業にも転換点が訪れる。
「……きた!」
半晶結瞳化したタペストリー領域の中に浮かべられていた赤い薔薇が、糸をほぐすように、一斉に分解されていった。
タペストリー領域が、薄い薔薇色に変化する。
「次は、この情報を、剣に……!」
スフィールリアの短剣『ミルブレイド』は、その複層構造の内側に仕込まれた回路に数百の綴導術の術式を組み込めるようになっている。
その全情報容量に、この〝薔薇〟を移植する――
しかし、容量はこの一輪きりの分でもぎりぎり……を、少しばかり超過している状態である。
失敗すれば〝媒体〟となる短剣そのものが失われて、打つ手はなくなる。
パンパンになってまったく閉じられなくなったトランクケースの中身を再構成し、きれいに閉じられるようにせよと言われているようなものだ。
過容量の分をいかに圧縮・整理し、整合性を保ちつつもそれを実現するか。
ここからが、彼女の術士としての腕前が問われる場面だった。
「……よし。やってやるぞ……!」
スフィールリアは、額に浮かんだ大玉の汗を拭い去り、途方もない作業の海へと精神を投じていった。
「次! 五時方向、距離二キロ! 色は赤、青、青、緑、赤の順!」
数十分後。
薔薇が織り成す〝陣形〟も、薔薇園の〝中心〟に近づくほど、複雑さを増していっていた。
アレンティアの舞も、もはやゆったりとした演舞ではなく、実戦の速度に近くなっている。
さすがのキャロリッシェ教師の顔にも、焦りの色が浮かび上がってきていた。
「向こうも進攻速度を上げてきているみたい。少しずつ〝飛び地〟して距離を詰めてきてる――次! 三時方向五百メートル! 色は赤、急いで!」
「くっ――!?」
その瞬間――ふたりの間にある地面が盛り上がる。
「――!?」
爆発するように大地を突き破って現れた薔薇の群れ。ふたりが飛び退き、着地したキャロリッシェがすかさず『爆縮型・レベル10・キューブ』を投げ放った!
盛大に上がって瞬時に収束する紅い爆炎の中に、薔薇たちの姿が消えていった。
「どうやら向こうさんの射程圏内に入ったみたいね! アレンティアちゃんは役割を続けて! こっちはわたしが対応する!」
「はい!」
「スフィーちゃん、そこは危ない! こっちへ!」
だが、スフィールリアからの返事はなかった。
最初に座り込んだ位置にてタペストリー領域に両手をかざしたまま、微動だにしない。
「……」
「ダメだ、〝聖域〟に入っちゃってる――集中しすぎてるんだ。ふたりで彼女を囲うよ! この子がやられたら全部オジャンだ!」
「了――解!」
キャロリッシェと一緒にスフィールリアを挟む位置へ移動する。
アレンティアは舞い続けるさなかに、ちらりとスフィールリアを覗き見た。
「……」
完全に作業に没入している。
大粒の汗をいくつもこぼしながら、しかし静かに目を閉じ、微動だにしない。
(どんな胆力をしてるの……?)
全力で剣を振るう中、切り離されたアレンティアの冷静な一部分は、ふとそんなことを思っていた。
スフィールリアは動かない。すぐ近くに薔薇が現れて、キャロリッシェがそれを爆散させても。切迫した指示とやり取りが交わされても。ぴくりとも。
本当に全感覚を作業に投げ込んでしまっている。
スフィールリアが失敗してしまえば、三人を待つのは、死だ。
だから全身全霊を注ぐ。ほかにできることはないから――
理屈としてはそれで正しい。だが本当にそれを根底から実行することは、いくら頭で分かっていても極めて難しいはずだった。
アレンティアがしくじれば、無防備な彼女はひとたまりもないからだ。
(……)
焦りも恐怖も押さえ込み、完全に制御する。命と信頼を他者に託し、全力を出し切る。それはいくつもの激しい修行と実戦を繰り返してきたアレンティアにも困難なことだった。
どれだけの研鑽、どのような人生の積み重ねが、彼女にそれを可能にさせたというのだろう――?
(――ありがとう)
自然と湧き上がってきた言葉にアレンティア自身が驚き――次に、笑みを浮かべていた。
(絶対に、君を護ってみせる。君が、わたしたちの薔薇をかならず届けてくれるって。わたしも信じて)
「はあああああああ!!」
渾身の一撃を振るう。状況に劇的な変化が訪れたのは、その時だった。
「!」
アレンティアの目の前の地面が盛り上がり――ひときわ野太い茨のツタにキャロリッシェが弾き飛ばされた。馬車の衝突事故にでも遭ったかのような破滅的な勢いで、遠くの地面まで転がってゆく。
「先生さん!?」
アレンティアは宙を見上げる。
すぐ目の前に、巨大な薔薇が現れていた。
「ハートローズ!!」
「あレんティ、あ」
数十の茨が絡み合い――その先端が『薔薇の剣』に変化して――彼女のうしろにいるスフィールリアに迫る。
察知したのだ。スフィールリアが、なにをしようとしているのかを。
スフィールリアは、動かない。
「だぁ!」
ありったけの〝気〟を込めて『薔薇の剣』を弾き返す。その一撃で『フラスコの剣』が粉々に砕け散る。
またツタを集め、『薔薇の剣』が二本になった。
「アレンティアちゃん! これを!」
キャロリッシェの声。確認する余裕も振り返る暇もなくかかげた手に、教師の投げた短剣が納まる。
キャロリッシェが短剣に込めた綴導術によって純黒と化していた刃をとにかく振るう。
腕が痺れるほどの衝突の末に一本目の『薔薇の剣』を弾き返す。短剣の寿命はその一撃限りだった。砕け散る。
「『冥王剣』が――魔王の力でもダメか! がふっ」
血を吐いてキャロリッシェ教師が倒れ伏す。
続き、二本目の『薔薇の剣』の切っ先がスフィールリアへと向かっていた。
(させない――!!)
瞬間――アレンティアは自らの身を投げ出していた。
『薔薇の剣』が彼女の胸を貫き……剣の突進が、止まった。
喉の奥から一斉に熱いものがせり上がってくる。
「ごぽっ!」
盛大に血を吐き、アレンティアは自らの胸にある『薔薇の剣』の刀身を掴んだ。
「つか、まえた!」
そして凄絶な笑みを浮かべるままに、今持てるすべての〝気〟を紅色で流し込み始めた。
純粋な〝気〟のみの攻撃でハート・オブ・ガーデンローゼスを下すことはできないだろう。
だがそれ以上のことを考える余裕も手だても、もはや彼女にはなかった。
〝キィアアアアアアアアアアア――――――!!〟
薔薇の女王が震え、悲鳴を上げる。
「ぬ、ううううううううううう!!」
それでも女王は無傷だった。アレンティアは力を注ぎ続ける。握り潰すほどに強く『薔薇の剣』を掴んで。視界が真っ白に染まってゆく。
「おおおおあああああああああああッ!!」
視界の白が光に変わるほどに――
やがて。アレンティアが注ぐ〝気〟の色にも変化が現れ始める。
鮮やかな〝緋色〟へ。次いで、揺らめき、純粋な〝白〟へ――
「アレンティア、ちゃん……それは……!?」
愕然とアレンティアを見やるキャロリッシェ。
「初代『緋薔薇の剣聖』の〝緋色〟から……白へ……。あれがアレンティアちゃんの、〝絶対色〟だと言うの……?」
絶対色。三元色のどれにも端を発しない、その人間限りが持つ蒼導脈の色。
それを持つ者はほとんどの例外なく、英雄として世界の歴史に残るような役割を与えられてきたという。
そして、その瞬間、薔薇の女王とその中心にいる女の表情に亀裂が走った。
〝イィアアアアアアアアアアアアアア!!〟
アレンティアの胸に突き刺さったツタから、彼女の〝白〟が伝導してゆく。
巨大な薔薇へと。そして、周囲を囲む数億の薔薇たちへと。
彼女の〝気〟を受けた箇所が白い結晶と化して砕け散ってゆく。
そのことを自覚する余裕もなく、アレンティアは〝気〟を注ぎ続ける。
「……! アレンティアちゃん、ダメだ! 絶対色はほかの人間には再現ができない――このまま〝気〟を枯渇させたら、だれも君の治療をできなくなる!!」
「……かまわない!」
スフィールリアが賭けてくれた命だ。彼女をここに連れてきたのは自分だ。彼女だけは護る。たとえこの身が滅びようとも、最期の瞬間まで、彼女のために使おう。
「はあああああああああああああああ!!」
「あ、あレ、んティ、あ、やめて、そんナことハ、ソレはクルしい、おねガい、やめ……」
アレンティアは〝気〟を込め続けた。
そして、数十秒の時が経過した。
「…………」
辺りは、完全に静寂に包まれていた。
パキン――
パキン――
――と。
真っ白な結晶に変じた薔薇たちが、ゆっくりとひび割れて、砕け落ちてゆく。
薔薇の女王の威容も、その半分を結晶へと変じさせていた。
「……」
アレンティアは、動かない。
彼女の全身もまた、真っ白な結晶へと変わっていた。
(スフィー、ルリア……)
まだ無事な部分で、自分が護るべき者の姿を思い浮かべる。そこにいるはずの彼女へと振り返りたかったが、身体が動かなかった。
それでも、自らの身体がひび割れるのもいとわず、アレンティアはスフィールリアを振り返った。
(せめて、君だけでも。今のうちに、逃げ――)
振り返った先にいるはずのスフィールリアの姿は、そこにはなかった。
「!」
そして気がつく。
「アレンティアさん」
スフィールリアは、いた。
彼女のすぐうしろに。アレンティアの身体を抱きしめる形で。
前に回された両手には、一輪の薔薇が絡みついた、ひと振の短剣が――
ぽぅ……とスフィールリアの腕に、そして短剣に、スフィールリアの絶対色――〝金〟が灯る。
〝金〟は次第にその色を揺らめかせ、アレンティアと同じ〝白〟へと変じた。
「アレンティアさん――いきます」
スフィールリアは〝白〟の〝気〟が込められた短剣を、迷うことなくアレンティアの下腹部に突き刺した。
情報状態となっている刃は、一切の物理的抵抗もなくアレンティアの身体に沈んでいった。
「っ!」
その瞬間、アレンティアの体内に注ぎ込まれてゆく。
スフィールリアが模倣した〝白〟の〝気〟が、枯渇した彼女の身体中に満ちてゆく。
「これは――」
短剣を引き抜くころには、胸の傷も癒され、結晶化していた全身も元に戻っていた。
ガクンとスフィールリアの膝が折れる。
「この、剣、を……」
アレンティアは、腰にすがりつくようにしてくずおれてゆくスフィールリアから、その短剣を受け取った。
「これが、今のあたしのせいいっぱ……あとは……お願……」
そこまでを言って、汗だくになったスフィールリアが地面に倒れ伏した。
アレンティアは、うなづいた。
「分かったよ、スフィールリア。見てて」
白い薔薇の絡みついた短剣を一閃して掲げ、アレンティアは剣に命じた。
「おいで――わたしたちだけの薔薇」
瞬間、彼女の腕に白薔薇のツタが絡みつき、純白の手甲が現れる。
手甲のみだ。これが、今この一輪の薔薇で現せる限度ということなのだろう。
「これが、今のわたしの真の実力ってわけね。……いいよ。いくよ、ハートローズ!」
ざわ――!!
彼女が地を蹴ると同時、数万の薔薇が女王の前に割り込んでくる。
「――せい!」
アレンティアの一閃で、それらすべてが散らされていった。
「あれンてぃ、あ」
「うん!」
薔薇の女王がツタを集め、十数本の『薔薇の剣』を顕わした。さらにその切っ先を一点にまとめて、彼女へ向けて突進させる。
アレンティアは構わなかった。
一直線に女王の茨を足場に駆け上がり――アレンティアの突き出した『白き薔薇の小剣』が数十本の『薔薇の剣』と衝突した。
「!」
戦くように女王の薔薇が震える。
すべての『薔薇の剣』が、今のただ一撃によって砕き散らされていた。
「はあああああああっ!!」
そして、到達した。
薔薇の女王が顕現させ、盾のように掲げた特大の『薔薇の剣』……その刀身の腹までをも貫いて、『白き薔薇の小剣』が、白い女の下腹部にまで食い込んでいた。
アレンティアは瞬時に莫大な〝気〟を練り、『薔薇の剣』と女の身体へと、白の〝気〟を注ぎ込み始めた。
ガクンと女の身体が震える。
同時に『薔薇の剣』も緋色の〝気〟を発生させ、拒絶反応でも起こすかのような激しさでアレンティアの剣を押し戻そうと力を込め始めた。
が、彼女は一歩も退かなかった。白の力と緋色の力が拮抗して絡まり合い、周囲に壮麗なほどのタペストリーの模様を描き出す。
「あレ、アれンてぃあ、やめ……やめて。そノちから、ヤメて」
「そう! この白い薔薇はお前たちの群れから外れた一〝個〟の薔薇! お前とこの剣は、今、まったくの対等だ!」
今なら分かる。一から成る全が『薔薇の剣』ならば、その枠組みから外れたこの白い薔薇は、まったく新たな一にして、全――
女王を含めたこの庭すべての薔薇を集めて、ようやく対等となる。
新しく生誕せし、もう一輪の<薔薇の庭>の女王――!
「ぐっ、うううううううう!」
しかし、それは『白き薔薇の小剣』が帰属するアレンティア自身の〝気〟の供給がある間だけである。そしてそれは、決して長続きはしない。
出力は同等。だが、ハート・オブ・ガーデンローゼスの持つ〝気〟は、無限である。
一個のヒトであるアレンティアの〝気〟が尽きれば、その瞬間に、彼女は負ける。
それでもアレンティアは退かず、己に許されるすべての〝気〟を練り続けた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
次第に、アレンティアの剣が押され始めていた。
「まった、く……し、しょうがない、にゃ~……」
キャロリッシェ教師が、痛めたわき腹を抱えて立ち上がる。
そして、アレンティアたち目がけて走り始めた。
「とうっ!」
増殖再生して立ちはだかった薔薇たちをひと飛びに飛び越え、女王の茨を駆け上がってくる。
「先生、さんっ! 危ない!」
「いいのいいの! かわいい生徒の作った武器が負けるところなんて、見たく――な~い!」
最後のひと飛び。
「ばみょん!」
とアレンティアのすぐうしろに着地して、すかさず彼女の背に手を当てた。
「先生さん――」
「いい、アレンティアちゃん?」
空いている方の手の指を立て、講義でもするかのような口調で、キャロリッシェ。
「〝気〟と〝綴導術〟は根っこでは同じチカラ。――わたしが情報処理をして、今から君の〝気〟を、〝綴導術〟と呼べる領域にまで最適化させる。君はとにかく全力で〝気〟を練る。タイムリミットは、スフィーちゃんが薔薇たちに巻き込まれるまで。一気に決める。オーケィ?」
力比べの中でなんとかうしろを振り返ってみれば――たしかに、増殖した薔薇が、倒れたスフィールリアを囲みつつあった。猶予はそれほどにはない。
アレンティアは必死の形相でうなづいていた。
「! ……はい!」
「始める!」
その瞬間だった。
「――いや、そのタイムリミットは、間違いだ。彼女の心配はいらない」
唐突に、割り込んでくる声があった。
「……!?」
気がつけば――いつの間に――白い女の背後に、ひとりの男が立っていた。
歳は初老のころか。
ステッキを片手に。紳士然とした出で立ち。背はアレンティアと同じほど。口ひげを生やした厳めしい顔に、飾り鎖つきの単眼鏡をかけている――
およそこの場に似つかわしくない貴族風の男は、その指先を、導くかのようにスフィールリアのいる方へと向けていった。
「君たちは、もっと、別のことに気をかけるべきだろう。見たまえ」
「え……!」
そして、見た。
力を使い果たしたはずのスフィールリア。
その彼女が、ゆっくりと、起き上がりつつある姿を。
「スフィールリア……ちゃん……?」
その貌には、一切の表情が、なかった。
「始まるぞ」
そして、紳士が言う通りに――
それが、始まった。
◆
――甲高い音。
――城の音が聞こえる。
――自分を呼ぶ声が聞こえている。
――そう。
自分は、あそこにいきたいのだ――
「う……」
それらの呼び声で、スフィールリアは目を覚ました。
「ここ、は……?」
なにもない場所だった。
なにもなく、色も、温度も、感じられない。あいまいで、果ての見えない空間。
その中心に、スフィールリアはいた。
「きたね」
突然に近くから声がかかり、スフィールリアはびくりと震えて振り返った。
そこに、髪の長い女がいた。
風もなく、銀色の髪がたなびく。
声をかけてきておきながら、その女はこちらから背を向けて立っていた。
彼女の声を、スフィールリアは、懐かしいと感じた。
そう。自分は、この彼女に会ったことがある――
「こっちだよ」
そう言って、女は歩き出してしまう。
「待って――」
置いていかれたくない。彼女の顔が見たい。話をしたい。
湧き上がってきたその衝動に弾かれて、スフィールリアは立ち上がって彼女の背を追っていた。
「待って――フィースミールさん!!」
自然と口に出していた名前に自分で驚く。が、女は歩む足を止めない。スフィールリアはさらに慌てて、フィースミールのあとを追っていった。
やがて、どれだけ歩いただろう。
「……」
いつの間にか、目の前に、巨大な〝扉〟が姿を現していた。
柱もなく、壁もない。なんの脈絡もなく、そこに突き立っている。石の扉。
その扉の傍らに立って微笑んでいる女に、スフィールリアは、ゆっくりと近寄っていった。
「あの……」
フィースミールの顔は、不思議なことに、よく見えなかった。視界は明瞭だが、まるで霧がかってしまったかのように、よく分からない。
それで、スフィールリアは悟った。
自分は今、夢を見ているのだと。
「〝扉〟を」
フィースミールは微笑んだまま。すっと手のひらを〝扉〟へと向け、スフィールリアになにかを促してくる。
「あの……あたし……」
「〝扉〟を」
「……」
フィースミールは、それ以外のことを言わない。
それが分かって、スフィールリアは〝扉〟へ向き直った。
〝扉〟の取っ手に手をかけてみる。
「――」
次の瞬間、スフィールリアは――〝扉〟の向こう側にいた。
振り返れば、フィースミールは元の位置のまま。〝扉〟は開かれている。彼女は微笑みを絶やさず、次は、手のひらでスフィールリアに『前へ進んで』と促してきた。
「……」
その〝部屋〟は、やはり、壁もなにもない。果てもない。ただの空間だった。
しかし、ひとつだけ違う点がある。
足元に、ふんわりとした感触があった。
床一面に、なにか、糸束のようなものが敷き詰められていたのだった。
薄い金色のそれを踏みしめながら、部屋の中央へと向かい歩いてゆく。そう。この空間の中心がどこにあるのかが――分かる。
「……」
やがて、たどり着いた。部屋の中心。
そこには、ひとつの椅子がある。椅子には、ひとりの少女が座っている。
そのことも、夢の主であるスフィールリアには、当たり前のこととして受け止められた。
「……」
同時に、気がついた。
椅子に座る少女の、長い長い乳白金の髪の毛は、床に敷き詰められた糸束につながっていた。
いったい何年――何百、何千年も伸ばし続ければこれほどの量になるのか。
床の糸束は、すべて、彼女の髪の毛でできていたのだ。
「……」
椅子の上の少女はなにも言わない。なにも見ていない。なにも考えていない。
あらゆる感情が抜け落ちたその無垢な顔。
その相貌が、スフィールリアに気がついたかのように、上げられて。
目が合う。
その顔は、スフィールリアのものだった。
「あなたは――」
口を開きかけた時、スフィールリアは椅子の上にいた。
「――――」
なにが起こったのか、分からない。
入れ替わりで、髪の長い〝スフィールリア〟が、自分の目の前に立っていた。
〝スフィールリア〟は表情の抜け落ちたままの顔で、こちらへ背を向け、歩み出す。
ゆっくりと歩いて、〝扉〟の前のフィースミールの下へと。
「さぁ、こちらへ」
フィースミールが手のひらを〝外〟へと向けて、〝スフィールリア〟を促す。
甲高い音――
城の音が聞こえている――
「待って――あなたは――待って――――!!」
彼女の声は、届かない。
やがて〝スフィールリア〟が〝扉〟の外に出て、スフィールリアの意識は闇に飲まれて消えていった。
そして、それが始まった。
◆
場所は変わり、<アカデミー>大食堂前。
「スフィールリア、大丈夫かしら……」
「大丈夫って、なにがですの?」
「ほら」
フィリアルディたちは講義の受講を終えて、一足遅い昼食を取っていた。
「退学のこと。定期観察がどうとかって……」
「あぁ」
アリーゼルが気のない風を装ってティーカップを傾ける。
◆
場所は変わり、<国立総合戦技練兵課>正面門前。
「ふん! ふん! ふん!」
「なぁロイぃ。それ止めてくれよ~。ただでさえ暑くなってきたってのによ~。暑っ苦しくてたまんねぇぜ」
「ふん! ふん! いいや、止めねぇ! ふん! 俺にはもう、立ち止まってる暇なんて一秒だってありゃしねぇって、ふん! 分かったんだ! そうじゃねーと、アイツはどんどん俺の先をいっちまう! ふん!」
「……」
「とりあえず当面の目標は! あのくそったれの教官にぜってー一撃食らわせ! てやることだ! ふん! とりあえず毎日、怒りの一日素振り一万回! ふん!」
「ダ~メだこりゃ」
と、同僚が投げやりにやれやれをした、その時だった。
◆
「心配するだけ損ですわよ。自業自得ですもの。まぁ、なんだかんだ言ってうまくやりなさるでしょ。これくらいの危機、自力で乗り越えていただかなくてはね」
「今ごろは、あの王城の中ですね。わたしも一緒にいきたかった……あぁ、講義さえなければ……そしてフィオロのアルバイトさえ都合がついていれば……。キャロちゃん先生、ズルいです……」
エイメールがそう言い、三人で王城の姿を見上げた、その時だった。
「君たち。スフィールリア・アーテルロウンの友人の方々かね?」
「?」
振り返った三人の視線の前で、その初老の紳士は、こう切り出した。
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「?」
振り返ったアイバの視線の前で、その初老の紳士は、こう切り出した。
「ちょっと、相談なのだが」