(2-18)
◆
また別の回廊。
「くっ!」
崩れ落ちる壁。立ち込める噴煙を突き破り、アレンティアの姿が現れる。
その表情にもはや余裕の色はない。
追撃をかけてくる異形の腕のシルエットを見ながら、彼女は叫んでいた。
「おいで! 〝庭の薔薇たち〟!」
一瞬で、アレンティアの身体を『薔薇の鎧』が包み込む。
「カアッ!」
裂帛の気合とともに異形の腕が伸ばされてくるのを、アレンティアは全力を込めた一閃で弾き返した。それぞれ〝気〟を込めた『薔薇の剣』と鉤爪が衝突し、青色の光が弾ける。
それでもなお相殺し切れず、アレンティアは回廊の壁へと叩きつけられた。
「どうした、グランフィリア。このていどではないだろう?」
立ち込める噴煙の中を、悠然と歩み寄ってくる<ヴィドゥルの魔爪>頭領――いや、<ヴィ・ドゥ・ルーの魔爪>と言ったか――
アレンティアは男の姿を睨みすえた。
身体能力。防御力。速度。――すべてが先までとは段違いだ。
すべての能力が、爆発的に高められている。おそらく、あの『ヴィ・ドゥ・ルーの魔爪』とやらの効果で。
「……その腕は、なに」
苦々しく聞くアレンティアに、ヴァルケスは嗤うだけだった。
「貴様には知る由もないことだ」
「……」
アレンティアは構えた『薔薇の剣』から伝わる反応を、見逃してはいなかった。
――共鳴している。
いや、怯えている?
『薔薇の剣』は、明らかにあの『ヴィ・ドゥ・ルーの魔爪』に反応していた。
「ただの武器じゃないね――すごい禍々しい〝気〟。綴導術士を集めて作らせていたっていうのが、それなの?」
再び嗤うヴァルケス。
「作った……か。たしかにその言葉は正しい」
アレンティアの『薔薇の剣』を指差す。
「だが、半分は間違いだ。〝流路〟なのだ、『薔薇の剣』は。<ガーデンズ>は、あくまでも<ガーデンズ>でしかない。〝庭〟から領域と力の一部が流れ出しただけのものが――<ガーデンズ>だ。貴様も長年『薔薇の剣』を扱ってきたなら、感づいているだろうが」
「……。『薔薇の剣』は、<薔薇の庭>の一部でしかない……いや。<薔薇の庭>そのもの……」
「そうだ。…………そう、か。ふふ、ふ! 貴様の目的は、<薔薇の庭>か!」
「……」
「はは、は! ならば、ちょうどよい。ここでその『薔薇の剣』を食って、<薔薇の庭>の〝鍵〟は、俺が開くことにしよう!」
再び、ヴァルケスが音速を超えた速度で迫ってくる。男の言うことはなにまでさっぱり分からなかったが、そのことを考える猶予もない。アレンティアも〝茨の道〟に入って対応する。
「っ――!」
先までとは違う。ヴァルケスの速度と力は、彼女に完全に追いついていた。
いや、それどころか――
「きゃあう!?」
全力で打ったはずの剣が叩き返されて、アレンティアはまた吹き飛ばされていた。
〝気〟で足を地面へと強引につなぎ止め、なお十数メートルは後退を余儀なくされる。
さらに、顔を上げるころには、すでに彼の姿が目の前にまで迫っていて――
「!!」
禍々しい左腕の一撃を受け止め、彼女は再び回廊の壁を突き破っていた。
同時に襲いくる落下感。
壁を破った先は回廊ではなく、巨大な――端も見えないほど巨大な――〝縦穴〟になっているようだった。
アレンティアは虚空を蹴って姿勢を制御した。いや、しようとした。
〝気〟を練って足先で爆発させる。〝虚空瞬歩〟の技法。
だが、彼女の練ったはずの〝気〟は分散してしまい、思うほどには姿勢を取り戻せなかった。
「第四・次元反響溝だ。ここでは満足に〝気〟は扱えんぞ!」
言いつつ、ヴァルケス自身は虚空瞬歩を使い、どんどんとアレンティアに近づいてきている。
状況は不利と言える。いやそれどころか、相手の戦闘能力はこちらを上回りつつある。
だが――
(挑戦する側に回るのって、久しぶりじゃない?)
ほぼ真っ暗闇な次元反響溝を落ちながら、アレンティアは、知らず口元に笑みを宿していた。
「強引に大出力の〝気〟を爆発させれば! 走れないこともない――ってわけね!」
足元に渾身の〝気〟を炸裂させ、アレンティアは異形の鉤爪の一撃に向けて『薔薇の剣』を繰り出した。
◆
一方で、スフィールリアたち術士組のふたり。
走り始めてから少しして、根本的にして、重大な問題に直面してしまった。
「ところで、スフィーちゃん」
「はい」
「……薔薇の回廊って、どうやっていくんにゃ!?」
「……えっ」
愕然として、足が……止まる。
「分かんないです……!」
そう。
道が、分からないという問題に……!
「えっ」
と、今度はキャロリッシェ教師が声を上げた。
「どうすんにゃ~~!?」
ボリューム感ある金髪をワシャワシャとかき回して、キャロリッシェ教師の絶叫が響き渡る。
「あたしだって知りませんよ~~~!! どうするんですかぁ~~!?」
「えええええ。だってスフィーちゃん、前にもきたことあるって言うから! 知ってるもんだとばかり思って!」
「えええええ! あんな複雑な道のり、あたしだって一度じゃ覚えらんないですよ~! ていうかどの廊下もほとんど風景同じだし!」
「どどど、どうするにゃ!?」
「どどど、どうしましょう!? あわわわわ……!」
ふたりそろってあたふたオロオロするが、それでどうにかなるわけでもない。
とそこでキャロリッシェ。きらんと目を輝かせた。
「そうだ! こんな時のための秘密兵器があるにゃん!」
「おお!」
「あれ、これじゃない、あれじゃない……あった!」
自分のポーチをがさごそと漁ること、十数秒。
取り出したアイテムを、キャロリッシェは誇らしげに掲げた!
「『運命のペンシル』~~!」
「おお!!」
スフィールリアは歓声を上げるが、次に表情を訝しげなものに変えた。
ただの万年筆にしか見えないのだが……
「これをね、こうやって……」
Y字型の分岐路の前にその万年筆を立てて、人差し指で押さえる。
そして、その指を離した。
「……」
倒れた万年筆は右手側の通路を指し示した。
「よしコッチだ。いこう」
「……ただのペンなんじゃないんですか、ソレっ!?」
「ただのだなんて失敬な! わたしの愛用ペンよ。学生時代から使ってるんだから!」
そういう問題ではない。しかしスフィールリアは反論を思いつけなかった。いずれにせよ、どちらかの道を選ばなくては先に進めないのだ。
「信じますからね、先生……?」
「言ったでしょ。ドンと頼ってきなさいなって!」
どこからその自信が湧き出しているのかはさっぱり理解できなかったが、スフィールリアもうなづいて、走り出すキャロリッシェのあとをついていった。
ついでに、この件が終わったらちゃんと効果のある『運命のペンシル』を研究してみようかと思った。
その後も二度ほど『運命のペンシル』とやらのお世話になりながら、スフィールリアたちはまたひとつの回廊の扉を開け――『そこ』にたどりついた。
「なに……これ……」
目の前に広がった不気味な光景に、スフィールリアの顔から血の気が引いてゆく。
「……あー。これはひょっとして、アレじゃない? 王城の怪談の、有名なひとつ」
「やめてください。聞きたくない聞きたくない」
「――予言の回廊」
だった。
そう。それは、スフィールリアも先日にアレンティアから聞かされたことのある回廊――と思わしき場所だった。
静謐な空間に、いくつもの――数十、数百もの絵画が並んでいた。
絵画はすべて肖像画であり、両側の壁に、ずらりとかけられている。
予言の回廊。
いわく――王城のどこかには、歴代王族の肖像画が並んでいる回廊がある。
肖像画に描かれる王族たちの口の形は、見るたびに変わっており、そのひとりひとりの口の形に合わせて発音をしてゆくと……過去の事件の真相や、未来のことについての〝予言〟が現れる。
というものだ。
スフィールリアはその場にしゃがみ込んで耳を塞いでいたが、結局、キャロリッシェの解説を聞いてしまった。
「こわい、こわい」
「ふむ……」
しばらく、キャロリッシェは思案顔を浮かべていた。
「……ちょっと。わたしこの回廊見てくるわ」
スフィールリアはしゃがみ込んだまま、真面目な顔を彼女へ向けた。
「先生。面白がってる場合じゃないと思います。早くアレンティアさんと合流しなくちゃいけないじゃないですか。引き返して別の道を探しましょう」
「先を急ぐなら戻ることないでしょ。――ちょっと、考えがあるの。待ってて」
「ちょっと待ってくださいよ! 置いていかないで~、ここにいて~~! 先生大好きだから~~!」
「ちょっ、すぐ戻るからっ。急ぐんでしょ!」
すがりつくスフィールリアを振り払い、キャロリッシェは小走りになって回廊を進み始めた。
その視線は、肖像画の口元に固定されている。
「よ」
次の口の形へ。
「う」
次へ。
「こ」
次。
「そ」
次へ――また次へ――
「――かわいらしい、お客人」
そこまで読んで、キャロリッシェは足を止めた。
青い顔をして振り返ってくる。
「あは、は……これ、マジモンだった」
「きゃー! きゃあああ! やめてくださいいいい!!」
「いや、マジなんだよ! ――ていうことは!」
そしてスフィールリアを置き去りにし、キャロリッシェ教師は再び駆け足に、回廊の奥へと進んでいった。
王族たちの口の形を、読み上げてゆく。
「――十六年前の<アカデミー>大図書館火災事件の原因は、封印書庫の現出に失敗したキャロリッシェ・ウィスタフである。……合ってるわ。いやあれはわたしのせいじゃなくて不可抗力だったんだけどね」
「先生、なにしたんですか」
「いやいやいや、だからわたしのせいじゃ…………て、そうじゃない!」
キャロリッシェはあたふたと両手を振ったのち、真面目な顔に戻って、呼びかけてきた。
「スフィーちゃん、手伝って! コレ、『使える』かもよ!」
「……え?」
「過去や未来を言い当てる王族さんたちの絵! もしもこれに呼びかけることができるなら――アレンティアちゃんが今どこにいるのか、教えてくれるかもしれない!」
「!」
スフィールリアも、はっとした。
が、冷や汗をひと筋たらりと流して、おずおずと挙手をする。
「あ、あのぅ~、キャロちゃん先生? 手伝うっていうのは……ひょっとしてあたしも、『この人たち』の口の形を読めと……?」
「当たり前じゃない! ひとりよりふたりよ。お友達を助けるんでしょ! スフィーちゃんは右側の壁担当ね。はい、スタート!」
ぱんと手を打って問答無用の姿勢を見せるキャロリッシェに、スフィールリアも仕方なく立ち上がった。
アレンティアを助けたいというのも合っていたが、キャロリッシェがすでに駆け足で読唇に向かってしまっていることも大きかった。置き去りにはされたくない。
「お、お手柔らかに、お願いしますね~~……」
そう言いながら恐る恐る唇を読んでゆくと「いいとも」と返事が返ってきていた。
もう泣きたい、とスフィールリアは思った。
「ううう。ええと……なになに。五年前の冬の二十日。フィルラールンのポルテス池の水を干上がらせた犯人はスフィールリア・アーテルロウンとヴィルグマイン・アーテルロウンである? ……ひぇっ、ほんとに合ってるっ」
「スフィーちゃんこそ、なにしてんのよ故郷に……ええ、どれどれ次は……二ヶ月後の<アカデミー>コンペティションにて。キャロリッシェ教師は第三模擬演習場の出店をすべて吹き飛ばす……ええっ、またぁ!?」
「先生だってなにしてるんですか! ええと次は――」
「なによぅ、スフィーちゃんだって! なになに次は――」
「先生だって!」
「スフィーちゃんだって!」
「――!」
「――!!」
そうして予言の回廊を数回ほど往復したところで、両者はぴたりと足を止めた。
「……ちょっとたんまスフィーちゃん。一回落ち着こう。このやり取りは不毛だ。お互い損しかしてない」
「……そうですね」
お互い壁に手をついてため息をつき、次に途方にくれた。
「たしかに言われたことは全部合ってるんだけど、いまいち正解を引けないねぇ。アレンティアちゃんがどこにいるのか、それが知りたいのに」
「ですね。何回聞いても、あたしたちの情報か、それかまったく全然関係ないできごとの情報しか出てこない……うう、こうしてる間にも……アレンティアさん……」
そう漏らして精神的疲労からしゃがみ込んだ時――スフィールリアのポーチから、こぼれ落ちるものがあった。
「……うん?」
なんとなしにそれを拾い上げる。
『それ』は先日、ラシィエルノ上級生から受け取った手紙と一緒に、ついてきた紙片だった。
そこに書かれていた内容を思い出し、スフィールリア。もう一度、紙片を広げて見た。
『薔薇の花束よりも 君の居場所を 案じる 方がいいだろう。」 を、探す? なら』
「……」
一見、意味のない内容にしか見えない。しかしスフィールリアは引っかかるものを感じて、しばし、紙片の文字を眺めていた。
そして――閃いた。
「ひょっとして」
「どうしたの、スフィーちゃん?」
スフィールリアは回廊への怯えを忘れ、すっくとその場に立ち上がっていた。
壁に手をつき、じっくりと聞かせるように、絵画のひとつに向かって語りかけた。
「あの! 聞き方を変えます。――あたしたちがアレンティアさんと合流する場所は、どこですか? あたしたちは、どうやって『そこ』にたどり着きますか?」
たしかめるように、スフィールリアは歩き出した。
再び変化した唇の動きを、追ってゆく。
「二十四分後の未来。スフィールリア・アーテルロウンとキャロリッシェ・ウィスタフは、『薔薇の回廊』前にて、アレンティア・フラウ・グランフィリアに合流する」
当たりだ。スフィールリアは確信し、さらに歩を進めてゆく。
――まっすぐ。
――右。
――階段を十階下る。
――――
王族の肖像たちは、シンプルに方向を指示してきていた。
スフィールリアはキャロリッシェを振り返った。
彼女も、表情を力強い笑みに変えて、親指を立ててきていた。
「いきましょう!」
◆