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■ 2章 チュ~ト・リアル!(1-05)

「それではスフィールリア君。道すがらになるが、君の今現在の〝立場〟と〝扱い〟について説明する。すらっと覚えるように」


「はぁ」


 タウセン教師が宿に訪れたのは、翌日の昼のことだった。

 てっきり事務員とか寮の管理人さん的な人がくるものだと思っていたので、いきなり〝教師〟が現れたのは意外だった。

 教師ってそんなことまでするの? と思ったものだが、なにやら先日自分が認定された〝特別監察特待生とくべつかんさつとくたいせい〟というのは相当に特殊な生徒に分類されるらしくて、このタウセン教師は自分みたいな〝問題児〟を引き受ける役割も負っているそうなのだ。


 そういうわけで<アカデミー>敷地のはずれにある森の一角。よく見なければ気がつかないような小さな一本道に入り、ふたり――歩いているのだった。


「君のような生徒を〝特監生(とっかんせい)〟――特別監察特待生とくべつかんさつとくたいせいと言う」

「はぁ……それって、なんなんですか?」


 前をゆくタウセン教師が、肩越しにスフィールリアを一瞥した。愛想のかけらもない、無機質な目つきだった。


「君の退学処分――これは〝取り消されていない〟」

「ええっ!?」


 心の底から驚いて後ずさるが、タウセン教師は歩く足を微塵も緩めてくれなかった。

 小走りになって追いつきながら、やっぱり冷たい先生だなと考えを改めた。


「ちょ、どういうことなんですかっ?」


「そもそも君が先日働いた行為は、いくら君が優秀であることが分かったとしても、とてもではないが取り消しが不可能なくらい大変な不祥事だったのだ。君は先日、教頭先生たちに散々しぼられたあとだろう」


 タウセンはため息混じりにそう答えてきた。

 呆れるというよりは、咎める調子の方が強い。


「はあ、なんか法律にも違反してるんだとかなんだとかって」


「そういうことなのだ。綴導術(ていどうじゅつ)は、各国が定める法規定によって厳重かつ厳密に管理されていなければならない。当然、資格だって免許だってあるのだ。

 もしもこれが私利私欲に駆られた術者や権力者の手によって無秩序に扱われることがあれば、たちまちにして世界の様相は乱れ、世界は〝霧〟に覆われてなくなってしまうだろう。

 それは綴導術(ていどうじゅつ)の理念に根本から反することなのだ」


「えーと、つまり、あのぅ……無資格無免許でお仕事してたあたしって」


「モグリだ。それもきわめてタチの悪い」


「はうっ」


 よろめきながら、しかし胸中では『でもそれって全部師匠のせいであたしは悪くないよね?』としっかり自己弁護はしておく。脳内スフィールリア判事に検事、陪審員に、聴衆……すべてが満場一致の上で、判決は勝訴だった。

 では、残る問題はひとつ……。


「あのぅ、先生ひょっとして……通報とかしませんよね?」


「……」


 タウセン教師はなにも言わない。

パッドで固められた融通の利かなさそうな肩を眺めながら、スフィールリアはごくりと喉を鳴らしていた。ここは広い森の中。ふたりきり。周囲に人影はなし――


「お前今――今なら殺れるとか考えただろう。あ! やはりな……いいぞきてみろ。やるとなったらやるぞわたしも」


 めら……と、無愛想な表情だけは変えずに立ち上がったオーラに、スフィールリアはブンブンブン! と首を振って否定した。しかし本能的に飛び下がって構えを取ることは忘れない。

 十秒ていど、無言で見つめ合い……。

 ため息とともに、タウセン教師は歩き出した。


「まったく……これだから〝特監生(とっかんせい)〟は……」


「や、やだなぁ! 冗談に決まってるじゃないですか――まだお互い知らない同士、とっつきやすくしてあげてるんじゃないですか! もう、傷つくなぁ!」


「……で、次に君はこう言うわけか――非常に精神に傷を負わされたので慰謝料をよこせと。もしくは冗談だったのに殺されかけたので慰謝料をよこせと」


「先生、人のことなんだと思ってるんです?」


「ほう――すると君はここ近年の特監生(とっかんせい)の中ではずいぶんと優良なんだな。すまなかった」


「ええ、まあ、分かってくれればいいですけど……」


 釈然としないままうなづきつつ、頭の隅では、なるほどそういうのもあるのかと納得している。


「今、そういうのもあるのかって考えただろ。謝罪は撤回するぞ」


「うぐっ。……じょ、冗談なのに……」


「今の『うぐ』さえなければな。……はぁ。そもそも冗談だろうとなんだろうと戦闘態勢に入った教師に構えを取るような生徒なんかいない。だから君は特監生だと言うんだ」


「……あのー。さっきからトッカントッカンって。特監生ってそんな人ばっかりなんですか?」


「自覚と飲み込みが早くて助かるな。そういうことだ」


 非常に心外であったが、タウセン教師はまったく取り繕ろう気がないようだった。


「話を戻すからよく聞いていなさい。そういうわけで一度は正式な審議と手続きにより記録に残した上で決まってしまった君の退学処分を取り消すことはできない。

 だから、君の再編入に関して<アカデミー>が取る手段は、このようになる――スフィールリア・アーテルロウンは決定事項の通り退学処理と『なった』。

 今ここにいる君は『偶然にも』退学になったスフィールリア・アーテルロウンと同姓同名で容姿も似ていないこともないかもしれないが、『まったく別人の』スフィールリア・アーテルロウンである。と」


「……そんなのって通るんですか? ここって、いつもそんなインチキしてるんですか?」


「通すのだ。ここだけは勘違いをしてほしくないが――君の今後の安全のためでもある――これは<アカデミー>といえどもおいそれと実行できる工作ではない。君の知らない世界の水面下で今も行なわれている、膨大な駆け引きや根回しの上に成り立っていることなのだ」


「って言われても、実際見せてもらわないことには実感もなにもないんですが」


「見なくていい冗談じゃないそういうこと考えるから特監生なんだ君は。なにに利用するつもりだ! ……まったく。君はただその事実を知ってさえいればいいんだ」


 スフィールリアは肩首を縮こまらせた。

 いったいどれだけ自分のことを警戒しているんだろう。


「……ともかく。なぜそうまでして一度はこぼれ落ちかけた生徒を拾い上げるのかという答えが、〝君〟だ。

 君のように人格素行思想経歴その他に大変危険な部分があったとしても、それらに目をつむってなお未来の<アカデミー>に対し莫大な〝利〟を期待できる人材。これらを救済し、しかし同時に監視も行ないながら教育してゆく。……これが〝特別監察特待生とくべつかんさつとくたいせい〟の概要なのだ」


 つまり――とてもではないがほかの生徒と一緒にしてはおけない。しかし学力や技能において非凡なものを持っているので、ただ捨てるにも惜しい。

 そこで厳重に監視をつけた上で、存分に業績を残してもらおう……ということなのだそうだ。

 今ひとつの理由としては、スフィールリアのようにあらかじめ大問題を起こしたり抱えていたりする問題児が大半なので一度その経歴を白紙にし、不祥事を覆い消してしまうという、隠れ蓑としての機能も持っているらしい。


 ――特監生(とっかんせい)は抱える問題の質によっては、国内外様々な機関から今なお行方を探られていたり、今後狙われる可能性をも持つ。身の安全というのは、そういうことだ。

 これはつまり、いざかばい切れない状況となれば、<アカデミー>は苦もなくこれらの生徒を切り捨てることができる、ということも意味していた。

 だから〝特別監察〟で〝特待生〟なのだ。


「分かったかね?」


「は、はぁ……釈然とはしないですけど、一応」


「よろしい」


「あっ、やっぱりよろしくないです抗議します!」


「ダメだ」


「ぐぬぬ……」


 いつかハゲ散らかす呪いを開発して実験第一号にしてやる……という決意をスフィールリアは固めた。


「……で? どこに向かってるんですか?」


「ああ、そうだな。昨日伝えた通りだが、今向かっているのは君に割り当てられる〝寮〟室だ。こういった学院のいわば郊外エリアや、目立たない場所には、君たちのような特監生のために用意された寮設備が置かれている。もちろん、表向きは違う名目のものだがね」


「あ、それじゃ、あたしと同じ特監生がこの辺にはいっぱいいるんですか?」


「いや? この辺りの区域に住むことになる特監生は君ひとりだが?」


「はっ?」


「君たちのような特監生をひとところにまとめて置いておくわけがないだろう。妙な化合反応をして国家転覆でも起こったらどうするんだ。まったく……」


「……」


 しばらくジト目になって目の前のタウセン教師を睨みつけていたが、結局少しも振り返ってくることはなかった。


「ここだ――ついたぞ」


「うわぁ……!」


 ほどなく、林立していた木々や茂みが開けて――スフィールリアは感嘆の息を吐き出していた。

 学院郊外に広がる森の中。

 そこだけ魔法のようにぽっかりと開いた空間に、満開の桜の樹が一本、立っていた。


「きれい……」


 桜の樹のそばには、青い屋根をした二階建ての小屋が一軒。

 寄り添そうようにして、建っている。古びていて、長らく人の手が入っていないことは明らかだ。

 小屋から少し離れたところには錆だらけになって蔦が絡んだ洗濯物干し、腐食した足が折れて鳥獣捕獲の罠装置みたいに傾いたウッドテーブルと椅子が転がってなどいる。

 かつては誰かが暮らした名残たちの上に、花びらがひとひら、ふたひら……舞い降りてゆく風景は、役目を終えて眠りに就いた道具たちを、桜が優しく包み込んで子守歌を聞かせているかのようにも思えた。

 そんな詩的な気分になり、うっとりして桜の樹を見つめていると、隣に並ぶタウセン教師が情緒のかけらもない失礼なことを言ってきた。


「腹が空いたのか? どんなに探してもチェリーは成ってないぞ」


 ギロリと一瞥だけ睨んで、スフィールリアは桜の樹に近づいていった。

 そっと手のひらを触れさせると、樹の方から暖かい眼差しを返されたような気がした。


「優しい樹……暖かい〝流れ〟に満ち溢れて。大地にしっかり根ざして、この辺あたりの地面を支え続けてくれてる。ずっと、ずっと……」


「……分かるのか?」


 いつの間にか近寄ってきていたタウセン教師にスフィールリアは振り返り、なんだかうれしい気分になって微笑んだ。


「〝またきたね?〟――って」


「そうか」


「あっ、今適当に流そうとしたでしょ! ほんとなんですから!」


 ぷりぷりして言うが、しかしタウセンは至極当然に「いや?」と否定してきた。


「この小屋に住むことになった生徒はみんなそろってそう言う。樹齢は記録が残っていないが、少なくとも学院創設初期ごろからあって、冬にも花を咲かすことがあるらしい不思議な樹だそうだ。逸話だがね。君も『挨拶できた組』のようだな」


「あ、なんだそうなんですか? へぇ~」


 どう文句を言ってやろうかと頭を巡らしていたので拍子抜けしてしまった。

 次にスフィールリアはハッと気がつき、とっとっと……と小屋の玄関まで駆け寄った。


「ひょっとして、先生――この小屋丸ごとあたしひとりが使っていいんですかっ?」


 ワクワクしながら尋ねると、タウセン教師はあっさりうなづいてきた。


「ああ、そうだ。〝特別監察〟とはいえ〝特待生〟だからな。これくらいの待遇は当然、用意してある」


 スフィールリアは目を輝かせた。


「うっひょーやったー! これってフツーの寮の部屋より絶対広いですよねっていうかあたしの住んでた家よりダンッゼン立派だし二階なんてなかったし! でも窓は掃除しないとな~。テーブルとかも直してあげないと。雑貨屋さんってどこなのかな――あっ! 裏にはなにがあるんだろう!」


「ここは個人工房としての機能も備えている。〝工房結界〟はもちろん〝晶結瞳(しょうけつとう)〟や旧式だが〝特強高炉〟〝導脈反響板どうみゃくはんきょうばん〟などの機材もひと通りが揃ってる。年季は入ってるが入学一年目の生徒じゃまず揃えられないようなものばかりだから、ほかの生徒からすれば垂涎(すいぜん)ものの環境――って聞いてないんだな」


 まるで草花がそよぐ草原に初めて連れてこられた仔猫みたいな勢いで、スフィールリアの姿はあっという間に裏手側へと消えていってしまっていた。

 裏手側には、井戸と、風呂を沸かす用のかまど、その薪などをしまっておく小倉庫があり、ついでに〝工房〟の裏口もある。

 タウセンがゆっくり歩いて回り込むと、その裏口に手足をかけたスフィールリアの姿があった。ガタゴトと音を出しながら必死になってかじりついている。


「うぬっ、開かねっ。この!」


 ガタゴト。

 ガタゴトゴト。

 深夜、彼の自宅の食糧倉庫に猫が群がっている時とまったくおんなじ音だった。

 タウセン教師はため息をついた。


「まるで君はチーズの入った戸棚にかじりつくドラ猫のようだな……高級な機材もしまってあるんだ、カギくらいかけてあるに決まってる。どきなさい」


 タウセン教師が懐から鍵束を取り出して選んでいる間にもスフィールリアは「早く、早く!」なんて合いの手を入れながらぴょこぴょこと跳んでいる。


「ありざーっす!」


 教師がドアを開放してくれると、スフィールリアはまた一目散で工房へと駆け込んでいった。

 タウセン教師はまたため息をついたが、彼女には聞こえていない。


「うわぁー、すごーい、ぴかぴか~! ホコリまみれだけど、ピカピカ~~!」


 スフィールリアは工房に入るや、一秒たりとも同じ場所に足を落ち着けることなく棚のガラス器具やかまどを眺めて回った。


「どれがどれとかは、分かるようだな」


「あっ、はい! 師匠んところでだいたい使ってたんで。知らないものとかもたくさんですけど、似たようなものとかもあるし、なんとなく分かるかも!」


「ふむ? ヴィルグマイン師は、道具も自作していたのかな?」


「うわぁー、うわぁー……あっ、そですね。なんか、〝表〟の連中は頭がカタいから器具もゴテゴテくどいし高いからって。わー、このかまどレンガ製ですよ!? ウチなんて師匠がこねた土のヤツだったのに!」


「なるほどな……。それで? ヴィルグマイン師は、いつも、どのように――」


 タウセン教師がなにかを言いかけると同時、


「うるさいぞっ!」


 と、エラく不機嫌そうな怒鳴り声が響いてきた。正面玄関の方だ。


「だれかいるのか! なに騒いでいる!」


 もう一度、怒鳴り声。


「? だれか住んでるんですか?」


「あー、そうだった。最初に紹介するつもりだったのに君が裏なんかに回るから。きなさい」


「?」


 ちょっと疲れ気味に正面側のドアをくぐってゆくタウセン教師。同居人がいるということだろうか。気難しい人だったらイヤだな、と考えながらその背中を追ってゆく。

 一階部分は大半が工房スペースで占められており、残りは玄関・トイレ・二階住居スペースへの階段等をつなぐ連絡通路になっていた。

 その階段を、タウセン教師が、コツコツ靴音を鳴らしながら上がってゆく。声は伝声管の要領で二階から届いてきたらしい。

 そういえば先生も自分も靴はいたままじゃん! と気がつくが、まあいいかと思い直した。どちらにしろ廊下は乾いてこすれた泥の跡とか、巨大な肉球の足跡なんかがつき放題だったのである。


(猫かなこれ? それにしては、やたらと大きい……)


 ということをつらつら考えたり観察したりしている内に、二階ドアに到着。すでにタウセン教師がくぐって半開きになっていたそこを改めて押し開けて入室すると、

 部屋の内装よりもまず先に、視界に飛び込んでくるものがあった。


「猫かな? それにしては、やたらと大きい」


 そんな感想が漏れた。


「ご挨拶だな、小娘風情が」


「うわっ。しゃべった!?」


 言葉をしゃべる、猫にしてはやたらと大きい猫――

 総合すると、そういったようなものが、そこにいたのだ。


「そ、んな、しゃべ……か、か……」


 二階部分最初のスペースは居間のようだった。外と違って腐食はしていないが古めかしい四角テーブル。小さなカウンターを挟んでキッチン。隣の部屋(たぶん寝室だろう)とつながっている形で、暖炉。

 そんな部屋の、入ってきたドアに対して正面一番奥。

 そこに、大きな――体長二メートルはある金色の猫が寝そべっていた。

 鋭い、神秘的な紫色の眼差しで彼女を射抜き、


「どうした小娘? この姿が怖いか? ふふ――礼儀を知らぬ若造め。俺様が挨拶のしかたってモンを教えてやったっていいんだぞ?」


「……かわいいーー!!」


 スフィールリアは猫に飛びついていた。

 猫そのものよりも素早い、逃げようのない一撃だった。


「おいっ!?」


 いきなり抱きつかれた猫が怒号にも近い声を上げるが、スフィールリアには聞こえていない。

 モフリモフリと、そんな音が聞こえてきそうなくらいの思いっきりな動作で長い毛並みに頬ずりをする。

 次の瞬間には、今度は悲鳴を上げて猫の身体を投げ出していた。


「くっさ!?」


「こらぁ!!」


 再度、抗議の声。

 金猫は一旦部屋の隅側へと退避し、鼻をつまんでへたり込んでいるスフィールリアに「フーッ」と牽制の威嚇を投げる。次に入り口横に佇むタウセン教師に『ぎっ』と顔を向けた。


「おいこらタウセンこのガキはなんなんだこら!」


「スフィールリア・アーテルロウン。今日からここに住まう新入生……言わずもがな〝特監生(とっかんせい)〟だ」


 ぴくり、と猫が耳を動かした。


「……アーテルロウン、だと? あの娘の? こいつはあの娘のなんだ」


「知っているのか?」


「なんなんだと聞いてる」


「弟子……が、一番近いのでは? なにせこの学院の生徒だから」


「なに馬鹿言ってる。あの娘の弟子は、たったの……あー、そういう意味か。いや、いい」


「?」


 タウセン教師は小首を傾げたが、それよりもまず職務を思い出した。(たい)はスフィールリアに、手のひらは金猫に向けて、


「で、この猫のようなのが、〝妖精〟フォルシイラ。綴導術士(ていどうじゅつし)としての君の、これからの活動を助けてくれることになる」


「はぁ」


「勝手に話を進めるな。出てけ小娘」


 金色の猫は、両目を細めて無愛想な男を威圧した。


「ここは俺様の家だ。どうせまた追い出してやるんだから、無駄なことはせずこのまま連れ帰るんだな」


「そう言うな。こう見えて、ここ近年でも図抜けた素質を持ってる子だし、学院長の兄弟子殿の元生徒だ」


「アイツの?」


「そうだ。ていうか知ってたのか。まあそういうことだから、お前としても張り合いがあるんじゃないか?」


「いいやそんなことはない。ますます嫌いになった。コイツは絶対に追い出す。ノイローゼになるくらいイビリ倒して叩っ返してやるから今の内に連れて帰れ」


「無理だ。仕事だからな。報酬の査定にも関わる」


「それが本音か……そろそろ食い殺してやろうか」


 グル……と喉を唸らせる猫に、鼻はつまんだままもう片方の手で指を向け、スフィールリア。


「あのー、先生。このくっさいきちゃない猫、捨てていーですか?」


「ふふ……見た目通り馬鹿な小娘だな」


 だがフォルシイラは笑い、タウセン教師は冷たく首を振るだけだった。


「ダメだ。もし彼と上手くやっていけないなら、君の方が学院を去ることになる」


「えーーっ!」


「ふはは!」


 勝ち誇ってゴロゴロと床板でグルーミングを始める猫をよそに、スフィールリアは教師に詰めかかっていた。


「きーてないですよぉ! どぉーいうことなんですかぁ!?」


 タウセン教師はあくまで平静だ。


「今から話す。君たち〝特監生〟に対する監察の一環としてあるのが、この〝妖精〟だ。彼らはその身に幾多もの〝蒼導脈(あおどうみゃく)〟のパターンを記録することができる。我々人間などよりも、はるかに膨大な量をだ。これがなにを意味するかは、君には今さら説明は必要ないだろう?」


「えーと、つまり……いろいろ知ってるから、あたしの上達具合とか活動をコイツが記録したり評価するってことですか?」


 そういうことだ。

 と、教師がうなづく。


「それだけじゃないぞ。俺様の情報処理能力はお前たちなんかの比じゃないんだ。

 つまりお前たち綴導術士(ていどうじゅつし)がなにかしらの複雑な複合術を行ないたい場合、お前ら自身がその矮小な脳みそでわざわざ面倒な管理をしなくても、この俺様の超絶能力でちょちょいと実行手順を示してやることもできるのだ。ふはは。まあーお前なんか助けてやらんけどな」


「ふーん。……そういえば師匠も、腕の立つ綴導術士(ていどうじゅつし)は自らが作り上げたナンチャラ生命体に術や物質生成のプロセスを覚えさせて補助させるって言ってたっけ」


「それ使い魔な、使い魔。ハハハ。なにを隠そうその使い魔だって太古の綴導術士(ていどうじゅつし)と俺様たち妖精の関係を倣って作られたんだ。つまり俺様の方がそんなもんよりよっぽどすごいんだぞ。お前は助けてやらんがな」


「へぇー、そう」


「絶対助けてなんかやんないからな!」


「いらないわよ!」


 食ってかかろうとしたスフィールリアの頭に、ポンとタウセンの手が乗せられる。


「だから、待ちなさい。とにかくこれはそういう決まりなんだ。どちらにしろ一人前の綴導術士(ていどうじゅつし)になるならば妖精とも心を通わせなければやっていけないぞ」


「それ以前にこの学院の卒業すら怪しくなるがな」


「ぐぬぬ……」


「第一、遅かれ早かれほかの同級生たちも学院から支給される仮造使い魔を使うことになるし、最低でも一年生の終わりごろには自分の最初の使い魔を造ることになるのだ。スペック面での差は言うまでもない。ほかの生徒なら涙を流してうらやむ環境だぞ」


 そこまで言われても、スフィールリアは唇を尖らせるだけだった。


「だって師匠もそんなの使ってなかったし。あたしだって皆と同じその使い魔でいーじゃないですか……」


 タウセンがもう一度念押しをしようと口を開きかけたところで、また玄関の方から荒々しい音が響いてくる。今度は、ノックの音だった。


「ちょっと、だれか。いらっしゃらないのかしら!? 人の声は聞こえて――あらやだ!」


「……学院長?」


 タウセン教師が眉をひそめる。

 聞こえてくる声は、たしかに学院長のものだった。

 タウセンが小走りに階段を下りてゆき、とりあえずスフィールリアもついてゆく。後ろから猫もついてくる気配があった。

 タウセンが施錠を外して扉を開くと、大きめの紙箱を抱えた学院長の姿があった。


「あらやだ。やっぱりいるんじゃないですか。あんまり強く叩きすぎてノッカーが外れてしまったじゃないの。だいぶ古くなっていたのね」


「あー。申し訳ありません。少々、立て込んでいたものでして」


 まだちょっと不満そうにほほを膨らませたまま、学院長は訝る目つきになる。


「カギなんて閉めて……いかがわしい行為になど及んではいませんでしたよね? いけませんよミスター・タウセン。あなたは女生徒に人気があるとはいえ、むしろ誘惑が多い分ほかの教職員よりも自覚と節度を強く持たないと」


「……」


「……そうなんですか、学院長先生?」


「そうですよ? ファンクラブとかあります。それも複数」


 へぇ~~……などと物珍しげな目つきで眺め回すと、頭痛がしたように頭を抱えていたタウセン教師。ジロリとした横目をスフィールリアにやって「まったく……君が落ち着きなく裏口なぞに回るから……」と恨みがましく声を絞り出した。


「それで。なんなんです学院長。彼女の案内でしたらちょうど今しがた切り上げるところでしたが」

「切り上げるところじゃないです話終わってないです!」


 すかさず食いつくスフィールリアの剣幕に学院長は首を傾げるが、すぐ思い出したように、「ああ、そうそう。これこれ」と言って紙箱を叩くしぐさをした。


「王室に提出する、その子の初期ステータス検査書類、作らないといけなかったでしょう? 検査日程は明日にはもう貴族出身の皆様に移っちゃうから、割り込ませるのも面倒じゃないですか?」


「ああ。だからわざわざご足労を?」


「かなりタイトなタイミングでしたからね。ささ、こんなところじゃなんだから工房の作業机いきましょ。さあさ」


 かなり忙しない調子で、学院長はぐいぐいとふたりの背を押し込んで玄関へと入っていった。


「久しいな小娘。ふん。まだ死んでなかったのか」


「ええ、ええ、お久しぶりねフォルシィラ。あなたの方こそ元気そうでなにより」


「ふん。せっかくこの俺様が目をかけてやったのにさっぱり顔も見せにこないんだからな。嘆かわしいことだ」


「あらあらごめんなさいね? 忙しさばっかりが増えて中々足を運べないのよ。あなたの方こそ会いにきてちょうだい? 教職員棟の事務室には大きな猫がきても通してよいと伝えてあるのよ? あなたがこないからアイラったら勘違いしちゃって、おかげであの建物は大人の猫ならみんなフリーパス」


「ふん。あんな人間でゴミゴミした場所なんか冗談じゃない」


 ふたりは、どちらもどことなく嬉しげに言葉を交わしている。


「スフィールリア。あなたに渡すものがあってね。さ、これよ?」


 工房に戻り、埃だらけの作業机の上に学院長が取り出した紙箱の中身は、ふたつ。そのうちひとつは、スフィールリアにも見覚えがあるものだった。

 ひとつは黒く冷たい質感の石でできた、丸っぽく、少し横長の板。

 表面に小さなガラス球がいくつも埋め込まれていて、掘り込まれた溝でスゴロクのマスのようにつながれている。

 そしてもうひとつ。こちらが彼女も知っているものだった。

 材質は同じ石。中央に手のひらを乗せられるくらいの水晶球が埋め込まれている。

 スフィールリアはあからさまに嫌そうな顔をした。


「あのぅ、これって……たしか綴導術士としての〝素質の色〟を見る、とかいうヤツですよね」


「あら、知っているのね。話が早いわ。それじゃ早速、手を置いてちょうだい?」


「えー? うう……」


「どうした? これは新入生全員が受ける簡単な測定だ。綴導術士(ていどうじゅつし)としての君の内側の〝蒼導脈〟の性質や度合いを読み取って記録に残すだけのものだ。別に君のプライバシーを侵害するものでもない。身体測定なんかよりは簡単だし、気後れするようなことでもないだろう?」


 スフィールリアはやはり苦い顔をしたままだった。

 さっきから忙しない様子だった学院長が、さらに焦れた風に追加の促しを入れてくる。


「どうしたのかしら? わたしこのあともすぐに入学式のスピーチが控えているのよ。今日は東方大陸方面の日程でフェリス王国の方々も多いから遅れることができないのよ」


「うう」


 諦めたようにうなだれて、スフィールリアはむしろ責める視線でふたりを見た。


「分かりましたけど……ヘンな顔とか、しないでくださいよぉ……?」


『?』


 そろって小首を傾げる教師たちはもう置いておき、彼女は目の前の黒板に向き直った。


「……」


 さて、〝綴導術士(ていどうじゅつし)〟はこの黒板の水晶球に手を置くことで、術士としてのその素養を〝色〟で見分けることができる。

 すなわち、青、赤、緑の三種類である。

 三色のうち、どの色が示されるのかによって、術士としてどの分野に『向いている』のかが、あるていどまでなら分かるようになっているのだ。

 もちろんどれかの色が出たからといって、ではほかの色の示す分野にはもう手が出せないのかと言えばそんなことはない。すべての術士は基本的にすべての色の素養を持っており、現在はそのうちのどれが伸びているのか、これから伸びやすいのか……などのことが分かるだけである。

 のちにこの基礎素養が変化する例もある。

 ――が、示される色はこの三色の内どれかのみである。

 だから、彼女はこの装置が嫌いなのだった。


「じゃあ、触りますからね……」


 そっと手のひらを置く。

 水晶が、一度、淡い透明の輝きを発した。

 次に揺らめいて、スフィールリアの素質の色を指し示すべく輝きに色を灯し始める。

 さてこの期待の新入生の今後を示す色とは何色だろうか……とそれまで気楽な好奇の色しか灯していなかった教師たちの目が、見る見るうちにひん剥かれていった。


「……はい、どーぞ」


 案の定かといった憮然とした表情でスフィールリアは隣の教師たちの前に、自らの〝色〟を示した黒板を滑らせてやった。

 それをタウセンと学院長は取り合うようにして同時にひったくった。フォルシィラも思わず机の上に飛び乗り、一緒になって手の中の黒板を凝視していた。


「な、な……なっ! 学院ちょ、こ、これは!?」


「バカな。こんなことがあるはずあるかっ! おいこれはどういうことだ小娘!」


 恐慌にも近くふたりに呼びかけられて、しかし学院長もまた、水晶球から目を離せずにいた。

 なぜなら、そこに宿された光の〝色〟が――




「〝金〟……!」




 ――だったからである。

 薄い、黄金。

 見間違いでもなんでもない。水晶の光が、紛れもなく物語っていた。

 スフィールリアの〝素質の色〟は、〝金〟である、と。

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