■ 3章 また退学ですか!?(2-09)
「あ、あはは……退学……また退学…………」
スフィールリアは、ゆく当てもなく昼下がりの王都を彷徨っていた。
「退学……退学……材料……」
正確には、なにか研究材料としてめぼしいものがないかを、当てもなく視線をうろつかせながら歩いているのだった。
「なにか……材料……研究……結果……ううう~~…………!」
「おや? ……やあっ、スフィールリアちゃん! どうしたんだい?」
と、そこに声をかけたのは、またしてもアレンティアである。
暇なのは本当らしい。スフィールリアは彼女に泣きついた。
「……アレンティアさぁ~~ん!」
「ヤバいの? ……話ぐらいなら聞くけど」
スフィールリアは、ことのあらましを彼女に話すことにした。
「どどど、どういうことなんですかっ!?」
バン!
とスフィールリアが思い切り叩いても、工房の重厚な造りの作業机はびくともしない。
「やはり知らなかったか」
「あー、いやその、だな? 落ち着いて聞いてくれ、スフィールリア」
「……フォルシイラ~~?」
にっこりと笑って、スフィールリアはフォルシイラへと詰め寄り……うしろからゆっくりと、彼の首を抱きすくめた。
「ひっ?」
「フォルシイラは、なにか、知っているのかな~~?」
「あわわあがうがっ、だだだから落ち着いてくれっていうかお願いします、落ち着いて……!」
「定期監察試験だ」
カップを置き、タウセン。
「ていきかんさつ?」
「君たち特別監察特待生に課せられる監察が、まさかこのていどの簡単な調合や報告でクリアされるわけがないだろう?」
それほど厚くない報告書を叩いてタウセンは言う。
非常に簡単に言えば、こういうことである。
特別監察特待生に課せられる課題には二種類がある。
ひとつは、普段の学院生活の中でなにを作ったか。どのていどの出来か。どのような生活を送っていたのか。いわば素行調査のようなものだ。
そして、もうひとつがこれ――定期監察試験だ。
定期監察では『なにを作れるか』が見られる。
つまり、研究報告である。
それも、学院が指定した一定以上の水準を満たす研究成果でなければならない。
「定期監察は中間と期末で、年に二度行なわれる。
学院側も、なにもお遊びや救済措置で君たち特監生を拾うわけではない。すでに独自のノウハウや実践を積み重ねている者たちばかりだから、むしろ他の生徒らとは一線を画した存在として見ている。
であるからして当然、提出を求める研究報告も、より上位のものとなる」
学院が学院に利がありと認め、リスクを負い存在を秘匿してまで囲い込む生徒が特別監察特待生だ。
その〝利〟を定期的に回収するための定期監察なのである。
逆説的に、その〝利〟を学院に提供できない者は、不要と判断される。
以上が、定期監察の概要だ。
基本的には自由課題であり、どのような研究内容であろうとも受け付けられる。
あとはその研究成果であるアイテムやレポートが審議を通りさえすれば、学院生活に支障はないということだ。
そのほか、学院が指定した上級アイテムを作成して提出してもよいことになっている。
「これがその指定作成物のラインナップだ。見るかね?」
スフィールリアは即座に受け取って目を通す。
そして、がっくしとうなだれた。
「……ほとんどが純BランクからAランクの品じゃないですか~。こんなの、時間的にも資金的にも、間に合うわけないですよ~~」
「一応言っておくと、このことは、担当の妖精が一番最初に説明することになっているのだがな」
すい~~、と。
半眼半笑いになったスフィールリアが、再びフォルシイラに視線を向ける。
ぶんぶんぶん! とフォルシイラは必死でかぶりを振った。
「たたたたしかにその通りだ! ででででもだって、あの時は俺だって生き延びるのに超必死だったんだ! それどころじゃなかったんだ!」
「ほ~~ん? あたしのせいだと。それで、スッポリ頭から抜け落ちてしまった、と?」
「すすす、すまないと思ってる! 許してくれ! ……あ、なんで鍋(練成釜)に火を入れるんだ? ……どこにいくんだ? そっちは台所だぞ……目が笑ってない! うわあああああ、頼むお願いだれか助けて思いとどまってスフィールリア様!」
がし。
タウセンは、ふらふら~とどこかにゆこうとする彼女の頭を捕まえた。
「……妖精の解体新書や食レポなんかは」
「間に合っている。それでは審査は通らんぞ」
「そんな~~」
「言っただろう。妖精を恐怖で支配しても、ロクなことにはならんぞと」
再び、がっくしうなだれる。
「もしくは、学院に利をもたらすような『なにか』だな。あのヴィルグマイン師に師事していた君ならば、そのころの作成レポートで適当にお茶を濁すこともできるのではないかね?」
「……あんまし、そういうことはしたくないんです~。だってそれはあたしの成果じゃないし、またどんなところで引っかかって先生方に呼び出されるか」
「ほう。それはそれで興味はあるが……」
「先生~~~……!」
「とにかく。提出期日までにはまだ日がある。それまでに、なにかを考えつくことだ」
……と、いうわけだった。
「なるほどね~」
「あたし、ほんとにもーどうしたらいいか……」
スフィールリアはしょんぼりとうなだれていた。
そんな彼女をしばらく見ていたアレンティアが、ぽつりとつぶやいた。
「……要は、<アカデミー>にとって有益な情報であればいいんだ?」
「はい? え、えぇ」
「それなら、なんとかしてあげられるかもしれないよ?」
「えっ。それはどんな」
驚いたスフィールリアに顔を近づけたアレンティア。
指を立て、こんな意外なことを言ってきたのだった。
「王城散策レポート」
スフィールリアは、アレンティアの提案をそのままタウセン教師の下へと持ち帰った。
「王城散策レポート、だと?」
「……」
ごくりと固唾を呑んでいるスフィールリア。
そして。
彼女の前で、タウセンはたしかにひとつ、うなづいた。
「やたっ」
そういうわけで、計画は始動したのだった。
<ロ・ガ=プライモーディアル>
それが王都中心にそびえる王城の名前だ。
王城と言えば王家の住家というのが普通であるが、<ロ・ガ=プライモーディアル>は少々、それとは異なる。
『大きすぎる』のだ。
敷地面積は約0.1km2。
全高は300mにも及ぶ。
王都建設最初期にはもっと小さかったと言われているが、650年の間に増改築を繰り返した結果――今のような姿になった。
「ほえぇー」
スフィールリアはアレンティアによって連れられてきた正門から王城の威容を見上げ、そんな声しか出せなかった。
「学院のどこからでも見えますけど、こうして近くで見ると、もっと大きい……」
とにかく大きい。大きすぎて全容がさっぱり見えてこない。
まるで、途方もない巨人がうずくまっているかのようでもある。
そして、王城のもうひとつの特徴である〝翅〟。
これはディングレイズ国の保有する綴導術的技術の粋を集めて作られた『環境調整システム』にして、『防衛システム』だと言われている。
一説には、最上位ドラゴン種の攻撃でも、苦もなく弾き返せると言うが……。
「そこの方! なにかお困りですか!」
しばらくぽかーんとしていたスフィールリアの姿を見咎め、衛視が近寄ってくる。
「ああ、この子はいいのいいの。わたしの知り合いですから。今日は、特別見学ってことで許可ももらっているので」
「騎士団長殿? こ、これは――失礼いたしました」
あっさりと、兵士は引いていってしまった。
改めてこの国での聖騎士、そして聖騎士団長の権威の高さを再認識する。
首が痛くなるほど見上げてようやくなほどに巨大な王城の正門は、朝と夕の日に一度しか開閉されない。
その正門をくぐって五分ほど歩くと、またひとつの関所に行き当たる。ここで本格的に入場者検めが行なわれるので、この関所が、本当の意味での正門と言えるだろう。
「見学者用の入場許可証もらってくるから、待ってて」
「は、はいっ」
正門とこの関所の間にある敷地は公園として一般開放されており、門が閉ざされる夕方までは原則として自由に入場できるようになっている。
先ほどのスフィールリアのように不自然に固まったりしていない限りは、なにも言われない。
「手続き待ちで少しかかるから、適当にその辺見てきてて大丈夫だよ」
アレンティアの言の通り、関所前にはさまざまな用件で王城を訪れた者で長蛇の列ができあがっていた。
「でも、アレンティアさんにだけ並んでもらうわけには……」
「あはは。大丈夫。裏から事務所に入って、特別に処理してもらうから。それもコミの時間ってことで」
どう見ても一般市民のスフィールリアが、連れ立って裏から入ってゆくのはむしろ心証がよくないというわけだ。
「わ、分かりました」
うなづいて、スフィールリアは辺りを少し散策することにした。
すると、知らない間に、小さな庭園に紛れ込んでしまったようだった。
「あれ。変なところに出ちゃった」
「おや、お客さんとは珍しいね」
そこで、生垣の花に水をやっている老人に声をかけられた。
「あっ、す、すみません。勝手に入ってしまって」
いいんだよ。と、老人は微笑む。
(立派な衣装……ひょっとして王様なんてことは……)
スフィールリアが内心で冷や汗を流していると、老人。たくわえた髭の中で笑い、まるで心でも読んだかのように彼女の心中を否定してきた。
「わたしはそんなに立派なものではないよ。ただの小間使いだとでも思ってくれればよいよ」
「は、はぁ」
「君は、この国について、どう思うかね?」
そんなことを聞いてくる。
「え? ええ、ええと……素敵なところだと思います。平和で、にぎやかで……」
老人はまた笑った。
「それは、うれしいことを言ってくれるね。君の目にこの街がそう映るということは、きっと、君自身が素敵な人間であるからに違いないのだよ」
「えっと。えへへ……ありがとうございます」
「ウソではないよ。庭たちもよろこんでいるようだ。君の訪れを」
「……」
なんとなく、スフィールリアは、その老人が言っていることが〝本当〟なのではないかと思わされた。この老人は嘘をつかない。そんな、強い予感。
「さて。そろそろ時間だ。君の友人も、いまごろ君を探しているだろう。またおいで。愛らしいお嬢さん」
「……」
老人に出口と道を教えてもらい、スフィールリアは庭園の位置を覚えた。
元の場所に戻ると、本当に手続きを終えたところのアレンティアと再会できた。
「それじゃ、いこうか」
入場待ちの民間人たちをごぼう抜きにして、スフィールリアたちは王城へと進んでいった。
さて、これからこの王城で、自分はなにを見ることになるのだろうか。
タウセン教師の言葉を思い出して、スフィールリアはごくりと息を呑み、進んでいった。
「王城<ロ・ガ=プライモーディアル>にまつわる謎は多い」
淡々と告げるタウセン教師に、スフィールリアは小首をかしげた。
「謎、ですか? 王城って、要は王様が住んでるお城のことですよね?」
「通常の意味ならな。だが、あの城についてはその限りではない。まずひとつに、巨大すぎるということだ」
「まぁ、たしかにすっごく大きいですよね」
うむ。とうなづき、タウセン。
「いくらこのディングレイズ国が超大国の一角とは言え、その執政執務の庁舎として、そして王家の住まいとして、あれだけの大きさは必要ない。
だが、ディングレイズ王家は代々650年もの間に渡って、王城の拡張事業を怠ったことは一度もないのだ。……それを『税金の浪費』であると市議会や国民に指差されることがあっても、頑なに。一度としてだ。
結果として、<ロ・ガ=プライモーディアル>はあれだけの巨大さを誇るまでになった」
「どうして、王様たちはそんなことするんですか?」
しごくまっとうな問いに、タウセンは少し笑ったようだった。
「それが、謎のひとつなのだ。そして単刀直入に言うと……実は<アカデミー>も、その全容を把握してはいない。だからこそ、今回の君の提案は、学院にとって有用なものとなる」
「……」
「学院としても相手が王室では、おおっぴらに調査団の派遣を打診するのもはばかられる。君が『個人交流』の一環として、王城にまつわる逸話のひとつでも持ち帰ってくれるなら、<アカデミー>としても風波立てずに情報を得られて万々歳ということなのだ」
……ということだった。
「王城にまつわる謎は多いの」
タウセンと同じことを言いながら、アレンティアは歩を進めてゆく。
「このお城が必要以上に大きいのは、知ってるよね? 王様の住まいとしてはこれだけの広さは必要じゃないのね。――実際、執政や居住スペースとして使われている面積は、実際の大きさの何十分の一もないんだ。……余った場所は完全に放置されてる。じゃあなんでそんなに増改築を進めたのか……っていうのが、まず謎のひとつ」
王城の回廊は、非常に立派だった。田舎から出てきたスフィールリアから見ると、そんな感想しか出てこない。強いて言えば、こんな回廊ひとつ取っても自分の故郷の家がすっぽり納まる大きさだなんて、なんだかズルいなと思ったぐらいだ。
「そして、謎の向こうにあるこれまたいくつもの謎っていうのが――そう。じゃあその放棄されてる区画は、なぜ、なんのためにあるのか。そして、なにがあるのかっていうこと」
アレンティアの言う通り、この王城は放棄されている区画の方が大きい。
もはや迷宮と化していると言ってもよい。
そのため、使われていない区画にだれかが迷い込まないよう、訓練を受けた案内人がそこかしこに張っているほどだ。
にも関わらず、国交でディングレイズ国を訪れた要人たちが放棄区画に迷い込んで、毎年多くの『遭難救出劇』が発生している。
そして、その迷い込んだ者たちが目撃して持ち帰ってくる『王城の怪談』も、年々増え続けているのだ。
「学院の先生たちが欲しがっているっていう〝情報〟が、まさにそれなわけ」
いわく。『王城の忘れ去られた階層を無作為にさまよう〝彷徨神殿〟を見た』。
いわく。『とある回廊には歴代ディングレイズ王族の肖像画が並びたてられているだけの不思議な場所があり、訪れるたびに違っているその肖像画の王族たちの口の形を順々に発音してゆくと、過去や未来の予言が現れる』。
いわく。『夜の王都をさまよう〝霧の街〟とつながった回廊があり、そこからは常に数百年前の姿をした王都へと出ることができる』
いわく――
「『果てしない放浪のすえに聖庭十二聖騎士団のうちのひとつの名前と紋章を持つ扉を見つけたので騎士団に助けてもらえると思って扉に手をかけたら、だれもいないはずのうしろから「その扉に触れてはいけない!」と叫ばれて慌てて逃げ帰った』…………とかね」
そんなものは、ほんの一部にすぎない。
「……」
「それだけじゃないよ。知ってる? この王城って、実は、外から見た大きさよりもさらにずっと広いらしいんだって。いったいなにが詰まってるって……言うんだろうね?」
「な、なんか……すごい話ですね。こ、これから、その放棄区画っていうところに入るんですか……?」
「あ。スフィールリアちゃん。ひょっとして、怖いお話とか苦手?」
「へっ? あ、いえ、その、そんなことは……えへへ」
その通りだった。
スフィールリアは暗いのと怪談が苦手なのである。
「そっか、ならいいんだけど。……そう。これからその『怪談』の場所をひとつ。見せてあげるよ……」
アレンティアは不敵に微笑んだ。
「これは……」
そしてたどり着いた〝扉〟を前に、スフィールリアはぽかーんと口を開けていた。
扉というよりは、門が近い。
全高五メートルはある石造りの門。
そこには、薔薇の彫刻が刻まれていた。
<ガーデン・オブ・スリー>という文字とともに。
「これって、ひょっとして……」
「そう。さっき話した、ひとつ。<薔薇の団>の刻印がされた扉だよ」
「さ、触ろうとするとだれもいないのに怒られるっていう……?」
放棄区画は、静かだった。
それもそのはずで、場所によっては打ち捨てられて数百年は人の手が入っていない。
造りは〝表〟の城と同じでも、柱や床はところどころがくすんでいる。
無音が〝音〟に感じられる。という感覚を、スフィールリアは、久しぶりに体感していた。
「あはは。大丈夫だよ。実際触ってみたけど、一度も怒られたことないから」
からからと笑い、アレンティアは平然と扉をはたいて見せた。
王家に請われて騎士団長に就任したはいいものの、暇な時間が多すぎたアレンティアの趣味が、この王都・王城散策なのだと言う。
その途中で見つけたのが、この<薔薇の団>の刻印だったというわけだ。
アレンティアは何度もこの〝扉〟を開こうとしたが、どれだけ力を込めても、びくともしなかったのだという。
しかし、
「光ってる……?」
変化は、スフィールリアの腰にあるポーチから現れた。
「なぁに、それ? ペンダント?」
「あっ、はい。そうだ、いつか返そうと思って入れてたんだった」
いつかの公園で、貴族然とした青年が落としていったものだ。
それが、光っている。淡い青色の光をこぼし続けている。
「スフィールリアちゃん、それ、どこで手に入れたの?」
アレンティアは驚いたようだった。
「王家の紋章だよ、これ?」
「え?」
変化は、さらに拡大してゆく。
「〝扉〟が……」
目の前の扉も同じ色に発光し始めたのだ。
「反応……しているっぽいね。ほら、見てここ」
アレンティアが指差した場所を見ると、扉の中央に、小さな円形のくぼみがあった。
「ぴったりはまりそうじゃない?」
「……」
ふたりでうなづき合い……スフィールリアは意を決して、そのペンダントをくぼみへとはめ込んでみた。
すると、ごごん、と重い音を立てて〝扉〟が揺らいだ。
開くようになったらしい。
またふたり、顔を見合わせる。
「開けて……みよっか」
「は、はい……!」
なぜ王家の紋章がペンダントに刻まれていたのか。その想像は脇に置いておいて、スフィールリアも、ここまできたなら中身を見てみたいと思った。
「じゃあふたりで。いっせーのでいこっか」
「はいっ」
取手を持つ。
「いっせーのっ……!」
少しずつ、扉が開いてゆく。
隙間から、一斉に冷気が吹き出してくる。
「……」
徐々に扉の向こうにあるものが見えてきて……スフィールリアの顔から、表情が抜けていった。
「これって……」
アレンティアも、我が目を疑ったようだった。
それもそのはずだ。
扉の向こうにあったもの。それは。
「〝霧〟…………!!」
だった。
それも、扉の向こうに続いている回廊が見えなくなるほどに濃い――〝霧〟だ。
スフィールリアは愕然として、アレンティアへと叫んでいた。
「閉めましょう! 今すぐに!!」
「分かった」
全力で体重を乗せて扉を閉める。
扉に背中を押しつけたまま、スフィールリアはへたり込んだ。
「どうして、こんなところに〝霧〟が……」
「王城自体は、なんともなってないのにね」
聖騎士の長であるアレンティアは、さすがに冷静だった。
いや、それだけではない。と、彼女の様子を見たスフィールリアは感じた。
「反応してる……やっぱり」
アレンティアは腰に提げた『薔薇の剣』を見た。
スフィールリアには、なんのことだか分からない。
それから数分無言でいた間も、アレンティアは、閉まった扉をずっと見続けていた。
やがてぽつりと、彼女はつぶやきを漏らした。
「……このもっと向こうには、なにがあるんだろう」
「アレンティアさん……?」
「わたし、この先に進めないかな」
信じられないことを聞いたというように、スフィールリアは顔を跳ね上げた。
「ダメですよ! アレンティアさん!」
立ち上がり、両手を広げて通せんぼする。
「じ、事情は分からないですけど、ダメですよ! フィルラールンやロウグバルドでだって、こんな濃い〝霧〟は見たことないです! 入ったら三十分もしないで〝消〟えちゃいますよ!」
「スフィールリアちゃん……」
「アレンティアさん、これ、絶対に絶対にヤバいですよ! 王城にこんなものがあるなんて――引き返しましょう!」
アレンティアは数秒間、無言だった。
しかし次には笑って、彼女の言葉にうなづいてくれた。
「分かった。帰ろっか」
「アレンティアさん……」
スフィールリアは安堵の吐息をついた。
それからアレンティアとともに、お互い口数少なく王城の正門前まで出ると、空はもう茜色に染まり始めていた。
スフィールリアはアレンティアに向き直った。
今日はこのまま別れるのかな。
どちらになるのか確信が持てない、微妙な無言の時間。
やがて、アレンティアの方から口を開いた。
「スフィールリア……君に、頼みたいことがあるんだ」
彼女の眼差しは、いつになく真剣なものだった。
「あの扉の向こうに、ね。……お母さんがいるかもしれないの」
「お母さん……?」
滔々と語り始めたアレンティアの言葉に、スフィールリアは、まるでその単語自体が不思議なものであるかのようにあいまいな眼差しを返していた。
「〝霧〟の向こうに、ですか……? それじゃあ、アレンティアさんのお母様って」
アレンティアは笑ったようだった。
「半分正解。ごめんね、たしかにわたしのお母さんはもういないけど、そういう意味じゃない。…………あの〝霧〟の回廊の向こうに、きっと、もうひとつの〝扉〟があるんだと思うの。その向こうに……」
スフィールリアは、どうしてそんなことが分かるのかを尋ねた。
アレンティアは、夢に出てくる〝薔薇園〟と、彼女に呼びかけてくる〝声〟の話を聞かせた。
彼女が十四歳の時。『薔薇の剣』を継承してから、見続けていた夢だった。
夢の内容は王都へ近づくほどにはっきりとしてゆき、また回数も増えていった。
王都に立ち寄った時には、それは確信へと変わっていたという。
彼女がこの街に留まることにしたのは、王家に請われたからというだけではない。
この街のどこかにある〝薔薇園〟への入り口を探すためだったのだと。
「そのわたしを呼ぶ〝声〟が、わたしのお母さんかもしれない。――ううん。それを、たしかめたい。一度だけでいいから、どんな女性だったのか……見てみたいの」
「じゃあ、あたしに頼みたいことっていうのは……」
アレンティアは真剣な面持ちで、スフィールリアを見た。
「あの回廊の〝霧〟を通り抜けるためのアイテムを、作ってほしいんだ」
「……」
無言で話の先を促すと、彼女もうなづいた。
「本当は、ね。あの扉が普通のものなんかじゃないことは、なんとなく分かってた。だから、いつか綴導術士の人に相談してみようと思ってたんだ。……ごめん。わたしがスフィールリアちゃんに近づいたのも、それもあったからだったの」
王城散策は、あくまでアレンティア個人の趣味でしかない。
それも彼女自身が王家に請われて留まる特別な客人であるから見過ごされていたことにすぎず、あの扉をどうこうする権利までは彼女にも――ない。
大っぴらに、学院に在籍する名のある術士に接触するわけにはいかなかったのだ。
しかしスフィールリアも今時点ではイエスともノーとも言えないのが正直なところだった。
「でも……そこまでしてあの扉の向こうにいきたい理由は、なんですか?」
スフィールリアも、ここははっきりと聞いた。
仕事とあっては、中途半端に踏み込むわけにはいかない。
それを言うと、アレンティアも、すべてを告白すると言ってくれた。
「――わたし、ね。みなしご、なんだ」
「……」
正確には、拾われっ子だった
「わたしのお母さんは、グランフィリア家の筆頭剣士――この『薔薇の剣』の、先代継承者だった。でも、なにかの理由で家を出て……その旅先の辺境で、わたしを産んだの。
……って言っても、わたしもお母さんのことはよく知らない。わたしを産んですぐに、お母さんは死んでしまったらしいって、実家の人に聞いたから。だからわたしの故郷はその辺境の町の孤児院なんだ」
その後アレンティアに物心がつくころになって、グランフィリア家の遣いがやってきて、彼女は残された『薔薇の剣』とともにグランフィリア家に引き取られた。
剣の一族とも呼ばれるグランフィリア家は、大きく、複雑な家系だ。
筆頭剣士たちを擁する本家のほかにも、分家が十以上はある。そのすべての家の子供たちがしのぎを削って強さを磨き、競う。
強さを証明することで、家の序列も変わる。血筋にこだわらず、大陸中から養子として孤児を引き取るというようなこともしていた。
強さこそが名誉であり、地位であり、存在意義。
そんな世界だ。
アレンティアも、そんな孤児のひとりとしてグランフィリア家に放り込まれることになった。
「物心がつくころには、もう剣を取っていたと思う。戦いしかしてこなかった。……この前、スフィールリアちゃんのこと、うらやましいって言ったことがあったよね。だれとでも仲良くできる。わたしはニセモノだって。あれ、本当の本心なの」
だって、わたしには『これ』しかないから。
アレンティアはそう言って、『薔薇の剣』を示してきた。
「これがお母さんの形見だって言うから。わたしはこれが欲しくて、ずっとずっと戦い続けてきた。これを手に入れたら、そばに置いていたら。お母さんのこと、少しは知ることができるんじゃないか……そんな気がした。
ううん。それはきっと嘘。戦うことしかすることがなかったから、そのための目標がほしかっただけなんだと思う」
そして、アレンティアはグランフィリア家でもっとも強い者になった。『薔薇の剣』の継承者になった。
「正確には、継承者を賭けた最後の戦いで、アニキにわざと負けたの。でも、旅に出る前にこの剣を押しつけられちゃった」
実の兄ではない。彼女を引き取った本家の義兄弟だ。
『薔薇の剣』の継承者は、グランフィリアの当主となることが慣例になっている。
しかし義兄も偏屈者だった。
当主となることは受け入れても、わざと勝ちを譲ったアレンティアの目論見までは許さなかったというわけである。
寂しげに笑うアレンティアだったが、スフィールリアは表情をこわばらせることしかできなかった。
アレンティアはまだ十八歳だ。
自分とひとつしか違わない彼女が、あれだけの強さを身に着けるに至った世界――その、凄まじさ、途方のなさに。
だが、彼女はなんということもない風に、『薔薇の剣』をポンと叩いた。
「それでね。この剣が手に入るってところまできたら、分からなくなっちゃった。――自分は戦うこと以外なにもない女なんだって気づいちゃった」
だから、アレンティアは旅に出ることにした。
それまでの自分のすべてを、一度、置き去りにして。
「どうしてお母さんが旅に出たのか。どんな人たちに会って、どんなことを話して、どんな空を見てすごしたのか、知りたくなったのかもしれない。戦う以外なにも知らない空っぽな自分が悲しくて、外に出たかったのかもしれない。
だから旅に出て、いろんな人たちと気さくにつき合って、どんな厄介ごとがあっても飄々としていられるような自分を演じてきた……自分がそうありたいって……もしかしたらお母さんも、そんな人だったのかもしれないって思いたくて、さ。
でも、そうして旅をしている内に、どの自分が本当で、ウソなのか、そんなことまで分からなくなっちゃってた」
そんな時、アレンティアは、この王都にたどり着いた。
そして、〝呼び声〟を聞いた。
忘れかけていた〝母〟への希求が、湧き戻ってきた。
「……」
「だから君を見た時――本当に、ああ、素敵な人だなって思った。こんなわたしのことも打ち明けられる。こんなイリーガルな頼みでも、断られても、素直に話すことができる。……そう思ったの」
アレンティアは、もう一度、真剣な瞳でスフィールリアへと向き直った。
「わたしは、あの〝呼び声〟の正体を知りたい。お母さんがどんな人だったのか、一度だけでいい。見てみたいの。…………それが、わたしの理由」
それで、アレンティアの話はひとまず終わりのようだった。
十数秒の間、スフィールリアとアレンティアは、向かい合って立っていた。
夕暮れの正面公園は、家路を辿る人々の暖かい声に満ちていた。
「……いいですよ」
いつしか、スフィールリアは、そう言ってうなづいていた。
「いいの?」
彼女の問いかけに、スフィールリアはもう一度うなづいた。
もう、ふたりの間にそう多くの言葉は必要ない――スフィールリアは自然とそのような直感を抱いていた。この人は、自分と似ている。
「あたしも、『同じ』ですから」
「……そっか」
アレンティアの笑顔は、自分と同じことを考えている顔だった。そう思えた。
「それに、あたしも退学がかかってますからね! このままじゃ引き下がれないっすよ!」
「ありがとう」
スフィールリアは、アレンティアの差し出した手を取った。
「いきましょう、いざ、王都に隠された秘密の薔薇園へ!」
「よぉし、お姉さんいっぱいスフィールリアちゃんのこと手伝っちゃうぞぉ~!」
えいえいおー!
つなぐ手を上げ、ふたりの意気が唱和した。
期限は無期。
報酬は、達成までにかかる費用すべてをアレンティアが負担の上で同額を成功報酬に――
スフィールリアにとって、何番目かの大口依頼の受諾であった。
◆
一方、王城の一角にて。
こんな会話があった。
「よう、兄貴」
「やぁジルヴェルト。久しぶりだね」
「ごぶさたです。お兄様」
「相変わらず、城を抜け出してるようだね。父さんも困り顔だよ」
「ほっとけ。こうして兄妹が揃うのも久しぶりだな。で? なんの集まりだ?」
「それですわ、お兄様」
「<薔薇の門>が、開いたらしい」
「……」
「それで、さっき父さんに呼び出されてね。だれの紋章が使われたのかなって。君に心当たりはあるかい?」
「……あー、いや。それは、悪い。俺のだな。間違いなく」
「君が開けたのでは、ない? ということは……落とした?」
「あぁ、そんなところさ。……それにしても…………ふふふっ。なんの因果だ」
「お兄様?」
「まったく……困った子猫ちゃんだ」
ただ、それだけの会話だった。
◆