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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~  作者:
<2>はるかなる呼び声と薔薇園の章
41/123

(2-07)


<アカデミー>学院長室前。

 清掃を担当する用務員がそこに差しかかったところで、学院長室の扉から出てくるスフィールリアの姿を見つけた。


「それじゃ、失礼しまっしたー」

「ええ。頑張るのよ?」


 簡単なやり取りの後に扉を閉める。


「あっ。おばちゃん! こんにちは!」

「こんにちは。……スフィちゃん、大丈夫かい?」

「えっ? なにがですか?」

「今度は学院長室に直に呼び出されるだなんて……なにしたの? 厳しい罰則でも言い渡されちゃった?」

「えっ」

「ほら、たとえば<近くの森>の新入生連続軽傷事件とか」

「うっ」

「タウセン・マックヴェル教師ファンクラブとの抗争とその被害とか」

「ううっ!?」


 用務員は心底心配顔で尋ねたが、スフィールリア本人は一瞬たじろいだだけで、あくまでもけろっとしていた。


「あ、あははっ。今日は違いますよ~、個人的にお話してきただけです」

「個人的に? 学院長様が?」

「前におばちゃんが教えてくれたお菓子が役立っちゃいました!」

「お菓子?」

「師匠のことであんなにお話できたの初めてで! なんだか今日はいいことありそうかも」

「へぇ?」


ぺこりと行儀よくお辞儀をすると、スフィールリアは軽い足取りで歩いていった。鼻歌などもしながら。


「あら、学院長様。あのお茶を開けたんだ」


 スンと鼻を鳴らすと、芳しい紅茶の香りがした。学院長室に並べてあるお茶のうちでも、最高級のものだ。


「学院長様も、うれしいことがあったのね。よきかな、よきかな」


 自分の人を見る目もたしかであったことに満足して、彼女は上機嫌で廊下の清掃を再開した。



 その、学院長室。

<アカデミー>学院長フォマウセン・ロウ・アーデンハイトは追加の紅茶を口にして、晴れやかな顔で息をついていた。


「ずいぶんとお話も弾んでおられましたね」

「ええ。昔のことであんなにお話をしたのは、いつぐらいぶりかしらね? それに、あの子が持ってきてくれたお菓子もとてもおいしかったわ。ああいう気の回し方はヴィルグマインにはできないことよ。だれに教わったのかしら」


 ねえ?

 などと笑みかけられるが、タウセン・マックヴェルは特には知らぬという顔で通した。


「それに、あの子のおかげでずいぶんとうれしい臨時収入もあったことだしね? あれだけの『ナイトメア』があれば、当面の費用も……うふ……うふふふふふふ…………」


 学院長の『うれしいこと』というのが、『これ』である。

 スフィールリアが牛頭の〝霧の魔獣〟を変換して手に入れた、数百輪の『ナイトメア』――

 あの花は、昏紅玉(ルビー・ナイトメア)だけでなく、花弁などもさまざまな薬品の材料となる。

 一輪あればひと財産以上にもなるそのほとんどを、学院が接収し、フォマウセンらの上級術士の手に渡ったのだ。

 生み出される富は、上流貴族の年間収益をも軽く上回る。

 学院はあの事件でスフィールリアが負った借金を、すべて立て替えてやっていた。それを差し引いてもなお莫大な利益が残るからだ。

 知らず、スフィールリアは学院に多大な恩を売りつけることに成功していたのだ。

 だから事情通な教職員連の間にも、彼女の名前は知れ渡っていた。

 タウセンは、ため息をついて次の議題を持ち上げた。


「それで、早速なのですが」

「ええ。これだわね?」


 学院長自身も分かっており、引き出しより書類を取り出した。

 目を通し、普段は柔和な表情が引き締まる。

 その、内容というのが、


「失われた三百年前の王国が、この大陸北方に現出した――?」

「はい」


 だった。

 なにも知らない者からすれば、なんの話か、検討もつかないことだっただろう。

 しかし彼女らは綴導術士だった。

 なにが起こったのか、それがどれだけ途方もないことなのか、よく分かってしまう。


「〝霧〟が消滅した。そうなのね?」

「はい。あり得ることではないですが……」


〝霧〟の消滅。

 そして、〝霧〟に呑まれて消え去ってしまったはずの王国の復活。

 書類には、その事実がたしかに記されていた。


「コンタクトは?」

「一度だけ。派遣された聖騎士団と大使が、事実確認に接近した際に。――『あちら側』も戸惑っているらしく、接触には慎重を要するでしょう」


 国交や世界経済の只中に、一国が突如として現れたのである。

 そういった面からも、慎重に慎重を重ねたとしても過剰ではない。


「戸惑っている……つまり、〝喚起術〟によるデータの再生(シュミレート)ではない。彼らは、生身の人間なのね?」


 タウセンですら、その返答には一拍の間を置くだけの慎重さを要した。


「はい。間違いなく。そして、」

「このデータは……」


 ページを繰り、学院長の眉が、一層ひそめられた。


「調査団による収集データがそれです。アーカイヴ大深層、ウィモリアス-ユラス領域の干渉子循環に、莫大な空白が作られた痕跡がある、と。結論ですが――大規模な綴導術が行使された痕跡が認められます」

「つまり、人為的に引き起こされた。相当に高度な術士が関わっていると。そう言うのね?」


 これにも、タウセンは、


「はい」


 率直な見解として、うなづいたのだった。


「フィースミール師……」


 学院長は深くため息をついて、目じりを揉みほぐし……その名を口にした。


「……あなたの師が関わっている、と?」

「可能性としてのお話です。『これ』を成し遂げうる術士の、可能性としての」

「ヴィルグマイン・アーテルロウン師ならば、どうでしょうか?」

「そうね。彼ならば、我々の予測も及ばないような、どんな突拍子もないことを、どれほど突発的にやり遂げたとしても不思議はないわ? ……ただし、動機がないのだけれどもね」


 スフィールリアの師であり、フォマウセンの兄弟子にも当たる、ヴィルグマイン・アーテルロウン。彼は自分になんの益ももたらさない慈善事業などは行なわない。

 三百年前に理不尽にも消し去られてしまった国家を蘇らせてやるような理由は、どこにもないのだ。

 さらに言えば、彼は体制や政治に縛られることを極度に嫌う。

 こんなことをすれば、世界各国から事情を質しに――あるいは教えを請われて――追いかけ回されることになるのは明らかだ。

 だが、タウセンがその名前を出したのには、別の理由があった。


「彼が、スフィールリア・アーテルロウンの育ての親だったとしてもですか」

「そうね……」


 この〝事件〟が起こった日付は、スフィールリアが『ナイトメア』を入手した日と同時期だった。

 国宝損壊事件。ミルフィスィーリアが<アガルタ山>の環境変異を引き起こした事件。

 そしてこの事件。

 同時期に、みっつもの一大変異が起こっていたのだ。

 学院が<アガルタ山>の事件を放置せずに一応は調査員を差し向けたというのも、これらの関連性を危惧してのことだった。

〝金〟の素養を持つスフィールリアと〝黒〟の素養を持つミルフィスィーリアのふたりが、同時期に学院に送り込まれてきた。

 このふたりが学院を訪れてから、立て続けにこれらの事件は起こった。

 関連性と言うならば、このふたりに行き着かないわけにはゆかなかった。


「スフィールリア・アーテルロウン君に『学院へ身を寄せろ』と命じたのは彼です」

「彼女に送られた〝手紙〟が、本物ならばね?」


 それはフォマウセン自身が確認をした。スフィールリアに読ませてもらった手紙の筆跡は、たしかにヴィルグマインのものだった。


「それにもうひとつ、背後関係としての候補があるわね」

「<魔神ヴィ・ドゥ・ルー>……ですか」


 そう。――フォマウセンは短く首肯する。

 古の魔神<ヴィ・ドゥ・ルー>を奉じる邪教集団。あるいはテロ組織。――一説には都市国家にも引けを取らないほどの規模を誇る母体を持つと言われるにも関わらず、その肝心な母体組織の影すらつかませないという、謎多き巨大構造体である。


「最近、各方面で活動が活性化しているそうね。この事件が起きた北部域においても、活動の痕跡が見られたと書かれているわ」


 そして、彼らは大量の〝裏〟綴導術士を擁しているとも言われている。


「その端末組織のひとつである<ヴィドゥルの魔爪>に至っては、スフィールリア君との接触まで果たしています。まだ、偶然の域は出ませんが……」


 状況はもうひとつ複雑で、ミルフィスィーリアの背後関係方面にも変化が起こっていた。

 彼女の後見人となっていた東方大陸の王室術士が、姿をくらましたのだ。

 フォマウセンが秘密裏に調査の手を伸ばし、その結論が手渡された、その日から――


「情報が足りなさすぎるわね」


 フォマウセンは、深く深く息をついた。

 取得されたデータに対し、つながりの不明瞭な線が多すぎた。

 丸めた報告書を、ぽんと叩いてから放り出す。


「なにかが起こり始めている。いいえ、おそらく――なにかが思い出されようとしている。その認識だけを、今は。わたしたちの間で共有しておきましょう。いいわね」

「は」


 うなづき、タウセン。


「――つきましては王室の方より、正式に、調査団第二陣に編成する上級術士の徴用が打診されてきています。これについてはこちらで調整を行なっても?」

「かまわないわ。――すまないわね、この、まだまだ忙しい時期に」


 入学時期よりまだひと月しか経過していない現在、生徒の数はまったく減っていないに等しい。

 ひいては講義に必要とされる席の数も一万人規模となり、教師や教師補佐チューターとなる上級術士の数も不足気味になる。そんな時期でもあった。


「いえ。その面に関しまして本当に大変なのは、教師長殿ですから」


 つまり、教頭教諭のことだ。


「ではスフィールリア・アーテルロウンとマテリス・A・ミルフィスィーリアについては、当面は今まで通りということでよろしいのですか」

「ええ」


 ここで会話が途切れ、一拍の間が置かれた。フォマウセンには、彼が口ごもった理由がなんとなく察せられた。


「スフィールリア。あの子のことが気になるのね?」


 タウセンは至極簡単に認めた。


「彼女の〝黄金〟の片鱗を、わたしはこの目にしました」

「報告書は見たわ。何度も」


 ため息をつきつつ、もう一束のレポートを取り出すフォマウセン。

 そこには、タウセン自身が見た事実と、エイメールから聴取したすべてが記されていた。


「無限に再生するモンスター、それをけしかけてきたと思われる、隠者のような生命体。そして、記憶されていない異質な歴史の遺物」


 フォマウセンが指でなでる書面には、<ルナリオルヴァレイ>に紛れ込んだもういくつかの歴史の遺物――『ウィズダム・オブ・スロウン』でエイメールから読み取った壁画の図案が描かれている。


「空を彷徨う巨大な文明遺跡と、それを崇め奉っていると思わしき文明の壁画、ね」


 可能な限り詳細に記された壁画の文字を指先でなぞりつつ、フォマウセン。


「少なくとも、壁画の方の文明発展度合いは、かなり低いものだわね」

「しかし、土中に埋もれていた〝壁〟と思しきものは一転して、わたしたちに迫るか、あるいは匹敵する科学技術によって形成されています」

「そして、それらは、スフィールリアの失われた記憶から混ぜ込まれた……かもしれない」

「どちらも、学院が保有する〝書庫アーカイブ〟には該当がないものです」


 なにかが思い出されようとしている――

 というようなことを言うからには、フォマウセンもまた、すべての事件に『スフィールリア』という〝核〟が関わっていると考えている。ということだ。


「困ったわね。懸案事項が多すぎて」


 フォマウセンは苦笑いして、引き出しから、もうひとつの物品を取り出した。


「彼女の<縫律杖>ですか」

「ええ。この杖は、まだあの子には早すぎる。そう言って預かったわ」

「……」


<神なる庭の塔の〝煌金花こうきんか〟>

 この杖で、スフィールリアは都市国家規模の〝霧の魔獣〟を滅ぼした。

 その時のスフィールリアの表情を、タウセンは思い出していた。


「この〝杖〟を与えた者は、彼女がああなること、彼女の素養を、すべて見抜いていたに違いありません」

「わたしもそう思うわ」

「フィースミール師は、どのようなおつもりでこのようなものを彼女に与えたのでしょうか」


 あの時のスフィールリアは、完全に周囲の安全を考慮していなかった。

 あれだけの量の『ナイトメア』が降り注げば、救援チームはほぼ全滅していたであろうことは間違いがない。しかし彼女は変換式を実行した。

 意識がなかった、のではない。

 彼女は明確に『ナイトメア』を手に入れるために動いていた。

 そのことしか頭になかったのだ。

 彼女の意識の深層にあった、純粋な希求、欲望。

 ただそれだけが行動に反映されていた。

 あまりにも幼く、純粋な子供――タウセンの目に、あの時のスフィールリアの姿は、そのように映っていた。


「彼女は、危うい」


 総合して、タウセンは、そう口にするのが精一杯だった。

 そんな彼の様子に学院長は笑った。

 入学式当時の彼ならば「危険だ」と断言していただろう。間違いなく。


「少なくとも、この杖さえなければ、彼女とてそうそう大それたことはできないでしょう。この杖は、わたしが封印しておくわ?」

「お願いいたします」


 タウセンは頭を下げた。その様子に、またフォマウセンは、ひっそりと微笑む。


「彼女の特監生としての日常はどうかしら?」


 学院長はスフィールリアのことを聞いたつもりだったが、タウセンは律儀に、在籍するすべての特監生のことを話してきた。

 それは、時期が時期だからだった。


「は。定時監察書はひと通り出そろっております。順次に審議へと通してゆくところです」


 が、肩をすくめ、こうもつけ加えてくる。


「……今しがたの、彼女の分を除いてですが」

「あら、まぁ」

「まぁおおよその見当はついていますが。本日にそのことを通達するのも無粋かと思いまして。後日、改めて受け取り催促にでも向かいますよ」



「ふひひひひひひひ!」


 その昼のことだった。


「…………」


 事案が発生していた。


「お、お嬢ちゃん、なにを探しているのかなっ? ふひひっ!」


 幼女があとずさり、その小さな身体に、さらににじり寄った不審者の影がかかる。


「お、お母さんとはぐれちゃったのかな」


 ふるふると首を横に振る幼女。だが、不審者は引き下がらなかった。


「う、嘘をついてもわかるよっ。ふひゃっ。だったらどうして泣いているのかなっ?」

「……」


 じわりと、幼女はさらに涙をためてあとずさった。

 そのすぐ後ろは、もう民家の壁である。

 逃げ場がない。

 近所の人間より通報を受けて駆けつけたアイバは、ジト目で、ずっとその様子を観察していた。


「よ、よ、よかったら……お姉ちゃんが一緒に探してあげるよっ!」


 不審者は、スフィールリアだった。


「怖がらなくていいからね~~。ついてきたら、お姉ちゃんが、お、おいしいものも食べさせてあげるからぁ~~」

「……!」

「ふひゅひゅひゅひゅ……」


 いよいよ切羽詰った幼女が懸命に首を振り、スフィールリアが両手をわきわきさせながら近づいていって……


「こら。なにやってんだお前」

「あいたっ……えっ? アイバっ?」


 アイバに頭をはたかれてスフィールリアの動きが、止まった。


「兵士のお兄ちゃあん……!」


 隙をついてすがりついてきた幼女の頭へ手を置きつつ、アイバは厳しい眼差しを不審者から離さなかった。


「ヘンなヤツに女の子が絡まれてるっていうから駆けつけて見れば……」

「? ヘンなヤツってだれ? ……大変じゃない! 守ってあげなくちゃ!」

「お前じゃ!」


 もう一発。


「いたっ。なんでっ!? あたしはただ、その子を助けてあげようとしただけなのに……」

「なんでもかんでもないわっ。……じゃあなんだよ、あの不審者爆発な笑い方は! みんなドン引きだよ!」

「だ、だって話しかけるのに緊張しちゃったんだもん」

「なんで」

「ちっちゃい女の子がすごくかわいかったから」

「はい。アウトな」


 かしゃん。

 アイバは彼女の手首に手錠をはめた。


「なんで!? いたって善良な一般市民の行動でしょ!? 外して?」

「ダメ」


 アイバは首を横に振った。


「外して?」


 その後、連行された交番の駐在員にも首を横に振られた。

 いまだに同じ文句を繰り返している彼女のことは放っておいて、アイバは淡々と幼女の身柄保護と母親捜索の引継ぎを行なっている。


「……はい、そういうわけっす。どこではぐれたのかは分からないと。けっこう歩いたらしいです」

「まぁ、子供の足だしそう遠くないと思うがねぇ。母親の服装も分かったし、すぐに見つかるでしょう――お嬢ちゃん、もうちょっと待っててね」


 うなづく幼女に笑いかけながら、駐在員は受話器を手に取る。


「――十一地区に捜索願い。あー、そうです迷子の女の子の母親です。服装は緑のエプロンに――」


 急に独り言を始めた男の姿に、スフィールリアがきょとんとした。


「ねぇアイバ、あれなにしてるの?」

「電話だよ。知らないのか? ……<ワイヤード>って言ってな。あれでセンターに連絡取って、王都全域にいる俺らみたいのに連絡を行き渡らせることができるんだ」

「わぁ! 師匠が言ってた、王都のネットワークシステムかぁ!」

「それだけじゃねぇぞ。王都のいろんなところのセキュリティも管理されてるし、有事の際にはボタンひとつで、この街は要塞都市に早変わりさ」

「へぇ、すごいなぁ……。…………っ?」


 物珍しそうに受話器と話す駐在員を眺めていたスフィールリアの表情が、一瞬だけ、ぴり、とひそめられた。


「どうした?」

「いや……なんか……。ネットワークの蒼導脈サイド覗いてたら……一瞬ノイズが」


 駐在員も「あれ、もしもし?」などと言いながら、受話器から顔を離している。

 しかしすぐに復旧したらしい。

 通話も再開されたので、だれも気にすることはなかった。




 十数分後。


「なぁ、機嫌直せってば」


 アイバは、むっすりと頬を膨らませて歩くスフィールリアの背に、何度目かの声をかけていた。


「……」

「なぁってば」


 スフィールリアは、答えない。

 彼女はズンズンと早足で歩いていっているが、歩幅がまるで違うので、アイバはそれでもかなりゆっくり歩く必要があった。


「……仕方がないだろ? 周りの人間はお前のことなんか知らないし、俺だって通報受けたからにゃ、相手が知り合いでもしっかり仕事しなきゃ示しがつかねーし」

「……」

「ああするのが一番、面倒がなかったんだって。お巡りのおっちゃんにだって、俺がクチ利いてやったろ? お前は知り合いだから大丈夫だって」


 ここでやっと、スフィールリアが、ちらりとこちらを見てくれた。


「……そんなことじゃなくって」

「? なんだよ」

「ふん。調子に乗って。ちっちゃくて可愛い女の子にちょっと感謝されたからってデレデレ得意げになっちゃってさ!」


 アイバは思ってもいなかった濡れ衣にうろたえつつ、口角が勝手ににやけてゆく感覚を認めていた。


「な、なんだよ、そんなことか……お前ひょっとして、あんな子供に妬いて、」


 がばっと振り返って、スフィールリア。


「アンタなんかよりあたしの方が、ずーーっと、あの子になつかれてたんだからねっ!」

「どうしてそんな妄想を抱けるんだ?」


 アイバは完全な無表情で言い放った。

 スフィールリアは無言でそっぽを向いた。一応、自覚はあるらしい。


「おぅ、そうだ、スフィールリア。今夜<猫とドラゴン亭>でな、」


 その時だった。


「あ」


 と言ったスフィールリアの視線の先に……


「ふむ。ではお前はなぜ、そんなに自然と職務をさぼれるのだろうな?」


 にこやかに近寄ってくる人物に、アイバは大きくのけぞってうろたえた。


「げええええええ、き、教官!」


 ふたりの足元の石畳が『ドン!』と派手な音を立てて砕け散り、アイバと教官の姿が掻き消えた。

 次の瞬間には、スフィールリアから少し離れた地面に、組み伏せられたアイバの姿が現れていた。

 スフィールリアにはまるで見えなかったが、超スピードで逃げようとして、回り込まれた図なのだろう。たぶん。


「どうした? なぜ逃げた?」

「ちくしょう! 殺せ! サド教官め!」

「そんなことはしない。わたしは生徒思いで一、二を争うほど優しい教官だからな。お前が強くなりたいと言うから、こうしてわざわざ迎えにまできてやっているのだ」

「一方的にボコされることを教練とは言わねぇえええ、あいででででで……!」


 だいたいの事情を飲み込んだスフィールリアは、片手を挙げて暇を告げる気配を醸した。


「え~っと、お邪魔してしまったみたいなので、あたしはこれで」

「なっ、売る気か! スフィールリあいでででででで!」

「うむ。いつでも遊びにきてくれたまえ。君がいるとこいつも意地を張って立ち上がるので、より長い時間いたぶれるんだ」

「あ、あはは」

「本音を出しやがったなてめええええ」

「さ、いくぞ」

「ちっくしょおおお、スフィールリア! こ、今夜……<猫とドラゴン亭>のいつもの席でええええ……!」


 襟首捕えて引きずられてゆくアイバへ、スフィールリアはひらひらと手を振って見送った。


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