(2-06)
「どう? これで足りそう?」
場所は、再び戻って講堂前の芝生の上に。
三人が渡したすべての荷物の検品を終えたミルスフィーリアが、こくりとひとつ、うなづいたのだった。
「……このたびは、大変……お世話になりまして」
相も変わらず眠たそうな彼女が頭を下げて、その拍子に、彼女の肩に乗っていたリスが転がり落ちた。リスはそのままくるんと一回転をして、次に、同じく三人へ向かってぺこりと行儀よくお辞儀をした。
それを見て、スフィールリアたちの顔にも安堵の笑みが灯る。
「あーよかった。これでミルフィスィーリアへのお咎めもナシだね!」
こくりとうなづくミルフィスィーリア。
「学院もひどいよねぇ? 学院だって助けられたのに、ミルフィスィーリアだけにペナルティ出すなんてさ!」
そう。
彼女たちが今日まで各地に散って大量の素材を集めに回っていたのは、このためだった。
国宝『ウィズダム・オブ・スロウン』破壊事件の、最後の後始末だ。
国宝のコアパーツにどうしても必要だった素材を採集するために、ミルフィスィーリアはドラゴンの住まう<アガルタ山>へ向かった。
しかし、やりすぎてしまったのだ。
いったいどんな強力な攻性アイテムを投入したのか……環境変異も危ぶまれ、<アガルタ山>は全面立ち入り禁止となってしまっていた。
ドラゴンたちも、いずこかへと逃げ去っていってしまった。
現在は大量の上級術士を投入して、環境復元作業が行なわれている真っ只中だ。
<アガルタ山>は山頂付近ではBランク指定を受けているような危険地帯だが、その分だけ、貴重な素材品も大量に眠っている。
学院内外の物資流通はもちろんだが、学院で使われるさまざまな備品の維持にも欠かせない採集地だった。その供給が一時的にせよ、絶たれてしまったのだ。
もはや災害。一大事件である。
「聞けば――座標置換? 未だに信じられませんけれど――そんなもので移動してすぐに帰ってきたというのですから。黙り込んで知らん振りを決め込めば、お咎めだなんてなかったでしょうに。学院の調査員だって、どうせダメ元で聞いてみるかぐらいのつもりだったんですわよ」
これもその通り。
国宝破壊と同じタイミングで起こったこの事件に関連がないわけがない。
<アカデミー>調査員は事件を追い、すぐに可能性としての彼女へと行き着いた。
しかし証拠もない。
調査員たちは彼女の下へと赴き、とりあえず簡潔に、こう聞いてみたのである。
『<アガルタ山>を破壊したのは、あなたですか?』
――と。
これに対しミルフィスィーリア、
『……』
こくりと。
あまりにも素直に、容疑を認めてしまった。
さすがの調査員たちも顔を見合わせたという。
「いけないことを……したので……」
もしもことが『ウィズダム・オブ・スロウン』修復にまつわるものであった場合、学院側も国宝事件ともども闇に葬ってしまうシナリオの準備があった。
しかし犯人が出てきてしまったのだから仕方がない。
彼女にはペナルティが下されることになった。
「でもさぁ、だからって学院からの特別依頼を一定量こなせ? しかし全採集地への接触も禁止? そんなんでどうやって仕事しろって言うのよ。……まぁ、ミルフィスィーリアにお弁当作ってあげるの、楽しかったけどさ」
要は学院への奉仕作業だ。
国宝修復の報告と礼を言いにいこうと彼女の寮を訪れ、そこで、仕事もできずに飢え、だれにも文句を言うこともなく静かに死に逝こうとしているミルフィスィーリアを発見したのだ。
「そんなことしてましたの?」
「うん、フィリアルディにもたくさんお料理、教わっちゃった。あったかい地方のお料理って味付けがぜんぜん違うんだね、楽しかった!」
「ふふっ、わたしも。『オベントー』って作るの初めてだったから、すごく勉強になった」
「『ベン・トー』は、王都でも高級で高度な外食に分類されますからね……」
ちなみに広義にはサンドウィッチなどの軽食を詰め込んだバスケットも『ベン・トー』であるが、ここでスフィールリアが言う『ベン・トー』とは、『主食・副菜を含む』――いわゆる料理詰め合わせとしての『お弁当』である。
この『お弁当』なる文化はエムルラトパ大陸歴史の本流には存在しないものであったが、数百年前に降り立った伝説の勇者『アイバール・タイジュ・セロリアル』――アイバ・タイジュによって持ち込まれ、一部の地域に根ざしたと言われている。
携行性、保存性、栄養面をも考慮に入れた上で、見た目の彩りや味わいにもこだわりを持ち、『食卓を携行する』という理念を達成するこの品は、手間暇も費用もかかる。だから売るとなるとどうしても高価になる。
王都にも〝ベン・トー店〟というものがいくつもあるが、いずれも『ちょっと奮発して豪華に食事をしたい時』のためのもの、というのが、市民一般の認識である。
中央街には席に座ってコース制で提供される、王室御用達の高級ベン・トー店というものもあるくらいだ。
ともあれ。スフィールリアたちがしていたのは、彼女の代わりの採集作業だったわけである。
「ですけど、この、オニギリというのは未だに、どうも抵抗がありますわ。ごはんを手でにぎって固めるだなんて」
そう言ってアリーゼルは、手にしていたおにぎりの最後のひとかけらを口に入れた。
四人は芝生の上で、持ち寄って広げていた昼食の後片付けを始めた。
「そうかもね。でも、ごはんを手で持てるようにするっていう発想、わたしは斬新だと思ったわ」
「えへへ。……でも、これで今度こそこの事件も一件落着! だよね! やったね!」
スフィールリアの上げた手に、フィリアルディがやんわりと手を打ち合わせた。
「ですわね」
アリーゼルもポットに入れてきた紅茶を一口しながら、静かに同意する。
「このお礼は……いずれ……」
ぺこりと。もう一度深くお辞儀をして、ミルフィスィーリアの姿が消える。
文字通り、大量の荷物ごと。
<縫律杖>による座標置換で、自分の工房へと帰っていったのだ。
「便利ですわね」
「これから、どうする? よかったら、あのさ――」
と、言いかけたところで気配を感じ、スフィールリアは慌てて腰を浮かせた。
「見つけたぞ、スフィールリア・アーテルロウン!」
「うぇ!?」
「我こそは第三期・スフィールリア・アーテルロウン討伐部隊が長、ターナ・シュリンフェ・ワクラドロイ! 栄光ある『素直かつ密やかにタウセン・マックヴェル教師をお慕いする会』が序列第三位の猛者よ! あはははははは!」
「げえええええ、ああのあのその! 序列五位とかいうあの人でなく!?」
「ヤツなら病院のベッドで天井のシミを数えているわ! 貴様に返り討ちにされたあと、あろうことかタウセン・マックヴェル教師のお見舞いを受けて、我らによってタコ殴りにされてなあ! ふははははは! 彼女の仇はここで討ーつ!」
「それってあたしのせいじゃないよねっ!?」
「貴様のせいにきまっているっ! お優しいタウセン・マックヴェル教師にすりよる女狐が……覚悟ォ!!」
「ひゃわあっ!?」
ちゅどん!
上級生が放った『レベル3・キューブ』が炸裂して、芝と土が猛烈にめくれ上がった。
アリーゼルとフィリアルディは、とっくに左右へ退避している。
「ふふふ、ふたりとも! それじゃ今のお話はまた今度ね~~! ――ひゃああ!?」
「そう、冥土でなぁ! ふはははははは!」
スフィールリアの姿が消えて……
「じゃあ、解散しましょうか。わたしもこれから先生のお手伝いだし」
「そうですわね」
手を振り、別れて。
アリーゼルは、スフィールリアが去った方角を眺めて微苦笑の息をついた。
「まったく……なにが一件落着なんだか。お人好しなんですから」
日常が、戻ってきていた。
◆
「あ」
と、生徒たちが実習の真っ最中である教室内に教師の声が響く。
ここは、ウィスタフ教室。声の主は、教卓上で本を読んですごしていたキャロリッシェ・ウィスタフ教師その人だ。
キャロリッシェは生徒の注目が集まるのを待ち、唐突に、こう宣言した。
「みんなー、次の実習では『エリクシオン』を作るからねー!」
一拍の、間。
「…………はぁ?」
生徒のひとりが、非常にうさんくさそうな声を出す。
「外部教室の子たちも、遠慮せず、ぜひ奮って参加してねっ?」
教室内がにわかに騒がしくなり始めるのを、スフィールリアの隣で試験管を保持していたアリーゼルは、聞いていた。
ざわ……ざわ……
――『エリクシオン』って、なに?
――聞いたことある。料理だよ。ランクSSの。
――〝ニンゲン〟を、さらにもう一段階〝上位〟の存在に押し上げるっていう、伝説の……
――ランクSSぅ!?
――そんなもん実習でやるの、この教室!?
ざわざわざわ…………!
アリーゼルも「はー、それはまた」と漏らしながら、呆れるというよりはどこか途方に暮れた面持ちでスフィールリアの方を見る。
騒いでいるのは、主に『飛び込み』で授業に参加しにきた外部教室の生徒面々。いわゆる、一見さんたちだ。アリーゼルもそのひとりである。
だが、ウィスタフ教室に所属する生徒たちは、静かなものだった。スフィールリアもである。
全員が、ジト目になって教壇にいるキャロリッシェを睨みやっていた。
「……質問よろしいですか、キャロちゃん先生」
「ん。なにかにゃん、シュラウツェンド君?」
その中で、ひとりだけ平静を保っていた金髪の美男子が、品のある動作で挙手をする。
胸元には<金>の階級を示すネックレスが下がっていた。
ちなみに、ウィスタフ教室に所属する生徒は、彼女のことを『キャロちゃん先生』と呼ぶ。
「たしか次の実習は『キーンダガー』の分解構造解析だったと思うんですが」
「ん~? そうだったかにゃぁ? それは先生の連絡ミスだ。ごめんごめん。でも次作るのはコレだから」
と言って手に持っていた文献を指差して見せる。
「……」
「なぁ、キャロちゃん先生よ」
また、別の生徒が。
「なにかにゃん?」
「それ、今決めただろ。その本見て。今決めたんだろ」
「そんなことはないよん?」
『エリクシオン』ってたしか練成能力も跳ね上がるんだろ……?
でも臨界値が解明され切ってないから、下手すっと途中ですぐ爆発するっていう……
あぁ、第1種練成危険指定のアイテムだ……
死人も出かねないらしいぞ……
そういえば個人依頼が切羽詰ってるって言ってたよな……
仕事の依頼……能力が跳ね上がる……
ざわざわ……
ざわざわざわ……
「はい、静まってください! これはもう決定事項なんです! 次にみなさんに作ってもらうのは『エリクシオン』ですから騒いでもムダです!」
「……先生。いくらこの教室の面子でも、さすがに危険が高すぎると思うんですが」
「はい! いいこと言いましたねシュラウツェンド君! だからです。ひとりじゃ絶対に成功しない伝説級のアイテムとて、みんなで作れば残るかもしれない。たとえ教室の99パーセントが失敗しても、最後に一滴分だけでも成功すればわたしたちの勝ちなんです!」
飲む気だな、絶対……
ひとりだけで……
あぁ、間違いねぇ……
あの野郎……
「ひとりの勝利が教室全体の勝利になるのですっ。そして……教室の勝利はわたしの勝利! あぁ、なんて美しいの友情。なんてすばらしきかな青春!」
感極まった風なポーズで天井を仰ぐキャロリッシェ教師。
……コツン。
その、おでこに、丸めたレポート用紙が跳ね返った。
「……バカヤロー!」
コツン。コツン!
ひとつ。またひとつ。――次々と消しゴムやらペンやらコルクキャップやらが投げられ始めて、教室内はあっという間に騒然となった。
「ざけんなてめー! またいつもの見切り発車か!」
「生徒を犠牲にして、最後に一滴でも成功品が残ったら飲む気なんだろーが!」
「教え子をなんだと思ってやがる!」
「自分の力で乗り越えようって気はないんですかっ!?」
喧々、囂々。
「はい! 皆さん静まってください! 先生は悲しいです! 外部生もいるんですよ? 静まってください、せんせーは悲しいです!」
ひたすらぽかーんとしているのは、外部教室生たちである。
「ほら、アリーゼルもコレ投げて!」
などとスフィールリアから乳鉢を手渡されるが、アリーゼルは教室の様子に唖然とするばかりで、どうしようもない。
「スフィールリアさんっ。『キューブ』を持ってきましたよ! 一緒にこれを投げましょう!」
「でかしたよっエイメール!」
エイメールがうれしそうな顔をして寄ってきたので、アリーゼルはきょとんとした眼差しを返した。
「いいぞアーシェンハス!」
「生徒の人権を踏みにじる悪逆教師に正義の鉄槌を!」
エイメールの元にわらわらと集まった生徒たちが手に取った『キューブ』を次々と投げつけ始める。
辺りはさらなる騒乱の坩堝と化した。
「あなた、スフィールリアさんと同じ教室でしたの?」
騒ぎの中、ふふんと胸を張って、エイメール。
「ええ、そうですよ。国宝破壊事件の煽りでほとんどの教室からも撥ねられてしまったわたしを、唯一、この教室のキャロちゃん先生だけが受け入れてくれたんです。スフィールリアさんと一緒の教室にもなれましたし。本当に感謝しています」
「で、その大恩ある教師殿に『キューブ』を投げつけますの?」
「えぇっ!?」
と声を上げて、エイメールは後ずさった。
「なにかおかしなところが!?」
「なにもヘンなことなんかないよね、エイメール?」
「えぇ……不思議なことを聞かれました……」
「……」
アリーゼルは、げんなりと肩を落とした。
「ここで引いたら、また無茶なもの作らされちゃうもん」
「そうです。作成品目の獲得は自然界の競争よりも厳しいんです。ここは弱肉強食の世界。全力で気絶させて、記憶を奪うぐらいのことはしなくてはいけません!」
「心身の自由を奪って、もうやめるから許してくれって泣いて謝るまで暗いところに閉じ込めるとかはどう?」
「あぁ、すばらしいですねその案は!」
ね~~!
なんてハモってうなづき合うふたりに、近場にいたほかの生徒までもがうんうんとうなづいている。
「なるほど……これが、噂のウィスタフ教室……通称・行き当たりバッタリ教室ですのね……」
これが、ウィスタフ教室だった。
生徒の階級や学術の階梯に関係なく、あらゆるものを作ってゆく総合実践教室。
熱意と根性さえあれば、どのような知識を身につけることだってできると言う。
しかしてその実態は、作成物のおよそ三分の一以上が教師の私的な依頼事情に左右されるという、いわば、『ウィスタフ工房』とでも呼ぶべき構造なのだった。
教室内では、いまだにさまざまな物品が投げつけられている。
うしろ扉側では、そそくさと退散してゆく外部生の姿もちらほら。
そんな折だった。
「だぁあ~~~~も~~~~~、うるっさいーーーーーーーー!!」
バリバリバリバリ!
と紅い電光が弾けて、教室内に降り注いだ。
「どうおおおおおおお!?」
「教室内で『レベル3・キューブ』を破裂させるなんて!」
「生徒をなんだと思ってやがる!」
「うるさいっ! いーじゃないのよちょっとくらい手伝ってくれたって! それにそーいうアンタたちだってせんせーに向かって『キューブ』投げまくってくれてんじゃない! 防御してるとはいえ、ちょびっとは痛いんだからね!? 仕返ししてやるから覚悟しなさいよ!!」
と、キャロリッシェがさらなる『キューブ』を頭上に掲げて、生徒たちが一目散に逃げ出そうとして――
ドバンッ!!
響いた衝撃音に、教室中が静まり返った。
衝撃音は、教室の扉が叩き開けられる音だった。
「……うるさいんですけど」
「りっ、リノっ!?」
そこにいたのは、リノ・エスタマイヤー教師だった。
彼女のうしろには、非常に険しい顔をした生徒たちが幾名か。みな箒やら剣やらで武装している。
その中には、フィリアルディの姿もあった。ちらりとスフィールリアたちに視線を投げて、笑みかけてくる。
「さっきからバンバンドカドカ……いっつもドンパチドンパチ……はっきり言って、もうさっぱり授業にならないんですけど」
リノ教師。
普段は柔和な微笑が絶えないその双眸は、今や……完全に据わっていた。
「あ、あはは……リノ、怒ってる? それもすっごく」
「ん~ん、怒ってなんかいないわよ、キャロ?」
リノがにっこりと微笑むと、キャロリッシェは「ひっ」と引きつった声を出した。
「……ところで。〝依頼〟の方はどうなってるの? あとはあなたのパーツを待つばかりなんだけど」
リノ教師は笑顔のまま。キャロリッシェの肩がびくりと震えた。
「こんなに楽しそうに生徒たちとお祭り騒ぎするからには、もう、できあがってるのよね? この授業が終わったら届けにきてくれる予定だったのよね?」
「それは……それは……これから、みたいな? ……かにゃん。えへへっ」
「そう……」
「ち、違うのっ。それはこれから、この子たちにも手伝ってもらって――」
その時だった。
キュイン!
リノ教師が右腕を一閃させて、次の瞬間、キャロリッシェの動きが、止まった。
リノ教師の手には一本の裁縫針。
キャロリッシェの身体は、無数の〝糸〟によって教卓に縫い止められていた。
「つまり、あなた単独だと、まだまだ時間がかかると。そうなのね」
つかつかと。静かにキャロリッシェの下へと歩いてゆくリノ教師。エスタマイヤー教室の面々も続いてくる。
「ええと、えへへ……り、リノぉ。だ、大好きだにゃん♪」
「ええ、わたしもよ、キャロリッシェ? とっても大好き。親友だもの」
キャロリッシェの顔は、真っ青になっていた。
「だからごめんなさい。わたし、これから、あなたのことを閉じ込めてしまうと思う。日の光にもだれの目にも触れない場所へ……具体的には、わたしまで巻き込んであなたが受けてくれた〝依頼〟の期日まで。…………運び出して」
言葉の最後は冷淡だった。
指示通りとキャロリッシェの身体を教卓ごと持ち上げるエスタマイヤー教室の生徒たち。
そのまま、運ばれてゆく。
そのさまを、ウィスタフ教室の面々は無表情で見送っていた。
「た……助けてにゃん……」
全員が首を横に振る。
「た、助け」
そして、キャロリッシェ教師の姿は教室から消えていった。
「あの……ところでわたしたちはこれからどうすれば」
エイメールが挙手をすると、ザッと前に出たエスタマイヤー教室の生徒たちが獲物を構えて通せんぼをかけた。フィリアルディを護る姿勢だ。
そこへさらに仲裁に入るよう前へ出てきたのは、温和な笑みを浮かべた、<金>のネックレスを提げる上級生だ。
「今作っているアイテムでしたら何度も作ったことがあります。ぼくでよろしければ、これから、実習の監督を引き継ごうと思うのですが」
「そう? あなたなら大丈夫よね。それなら、お願いできるかしら」
「はい」
きゃあ、と室内の女子陣から黄色い悲鳴が上がる。
「くれぐれも、静かにね?」
「はい」
そう言ってリノ教師も教室を去る。
あとに続いて、教え子たちも獲物を構えたまま。うしろ背にフィリアルディを護りながら後退して教室扉をくぐってゆく。
彼ら越しに視線を合わせて、フィリアルディとエイメールは、少しバツが悪そうに笑みを交わしたのだった。
◆
時を少しさかのぼり、とある夜のこと。
広大な屋敷の敷地内の一角で言い争う、ふたつの人影があった。
片方は男。もう片方は、女。
屋敷は、エムルラトパ家の所有物件のひとつだ。
正確には、語調が荒いのは女の方のみで、男の方はあくまで泰然としている。
「ですから、エスレクレイン・フィア・エムルラトパ様へのお取次ぎをお願いしているのです、ワイマリウス殿!」
「申し訳ございません、フィオロ・クランスウェイン様。エスレクレインお嬢様は現在、お休みになられております」
「だったら明日でもよいのです。せめて、お取次ぎの約束だけでも!」
「申し訳ございません。お嬢様はしばしの間、だれともお会いになりません」
「っ……! それは、なぜですか! このたびの事件について、エスレクレイン様がお嬢様になにをしたのかを問いただすまでは、このフィオロ・クランスウェイン、引き下がるわけにはまいらないのです……!」
成立しづらい会話に苛立ちを抑えきれないフィオロだったが、
「あぁ、その件でございましたか」
ワイマリウス氏がほがらかに理解の色を示したことで、話の風向きが、変わった。
「それでしたらば、エスレクレインお嬢様にお取次ぎをする必要はございません。このわたくしめが、ご対応いたしましょう」
「どういう……意味ですか」
予感に顔から表情や血の気を退かせて、フィオロは一歩、ワイマリウスに近づいた。
「エイメールお嬢様に施しました処置に関しましては、エスレクレインお嬢様は関知しておりませぬだゆえに……もしや〝霧の杜〟に向かう際に、エイメールお嬢様に、なにか、変調が?」
「どういう意味だと聞いている!」
瞬間、フィオロはワイマリウスの背後を取っていた。
執事の首には、鋭い鋼線が巻きつけられていた。
「わたしが少しでもこの鋼線に〝気〟を流し込めば、あなたの首は、落ちます」
「おやおや、これは、物騒な」
「あなたが、お嬢様に暗示を施したと。そういう意味なのですか。お答えいただきましょう。返答しだいでは、この場でそのお命、ちょうだいいたします」
「……」
「この鋼線に少し〝気〟を込めれば、それがたやすいことは分かりますね。答えを!」
「左様でございますか」
ややして、ワイマリウス。
顎の角度を下げ、
「それは、申し訳ございませんでした。はい。エイメールお嬢様に処置を施しましたのは、わたくしめでございます」
と、認めた。
「……! もう少しのところで、お嬢様は命を失うところだったのです!」
「申し訳ございませぬ。申し訳ございませぬ」
執事の声は慙愧に耐えないという風であったが、そのわざとらしさが、一層とフィオロの神経を逆なでした。
「貴様……!」
その時だった。
ぎり、と鋼線を握る手に力が入った。
ただ、それだけのことのはずだったのだが。
「――っ!?」
唐突に鋼線から伝わる肉の抵抗力が失われて、フィオロは目の前の光景に言葉を失った。
ごとり。と無機質な音を立てて、ワイマリウスの首が落ちたのだ。
「なっ――」
頭を失い、執事の身体も倒れ伏す。
フィオロは絶句した。
命を奪うと脅しはした。しかしそれは、まったく好ましい反応を返してこない彼への、脅し以上の意味を含めてはいなかった。
だがしかし、現にワイマリウスの首は落ちてしまった。
落としてしまった。
「わ、たし、は――」
人の命を……奪って、しまった。
この、自分が――――?
「ただ、お嬢様のこと、を――」
一歩、あとずさる。
「おや、本当に首が落ちてしまいました」
突然、ギョロリとワイマリウスの目がこちらを向いた。
フィオロは「ひっ」と喉を引きつらせた。
「フィオロ様は、本当に、エイメールお嬢様のことを想ってらいらっしゃるのですな」
風が横切り、地面に転がっていた執事の身体と首が黒い霧となって、吹き散らされてゆく。
ふと気配を感じて振り返ると、そこに、ワイマリウスは立っていた。
ただ、立っている。
首も胴を離れていない。出血跡もない。まるで、今までフィオロが見ていたものが幻であったとでも言うように。
「お前、は……いいえ……お前たちは、何者なのです……」
搾り出す声は、畏怖の感情に震えていた。
しかしワイマリウスはまったく意に介さず、その場で一礼をして、立ち去る気配を見せた。
「お嬢様がお呼びのようですので、わたくしめはこれにて。このたびはまことに申し訳ございませんでした。今後とも、なにとぞ当家をよろしくお願い申し上げます」
そう言うと、再びワイマリウスの姿が黒い霧となって消え失せる。
「……」
フィオロはしばらくなにもすることができず、その場で立ち尽くしているしかなかった。
◆
「そう……なんですの。そんなことが」
時は戻り、学院の廊下にて。
授業後に教室を抜け出して、フィオロが見たことの顛末を話し合うのは、エイメールとアリーゼルのふたりだった。
「ただ者ではないとは思っておりましたが。ますます得体が知れませんわね、エムルラトパ家は」
「そうですね」
肯定するエイメールに、アリーゼルは一時の視線を注いだ。
「ずいぶんとあっさり認めなさるんですのね。あなたは、彼女たちを姉や家族のように思っていたんでしょう?」
これにもエイメールは首肯した。
「ええ。それは今も変わっていませんよ。でも、同時に、わたしはもうスフィールリアさんの味方のつもりです。これからまたあの人が、スフィールリアさんへ同様の危害を加えようとするなら、見過ごすことはできませんから」
「……」
「わたしなりのけじめもつけてきたつもりです。……あの人には、お別れの挨拶にもうかがってきました」
フィオロからの報告を聞いて、エイメールは、その翌日にエスレクレインと直接会うことを決めた。
エスレクレインは、二もなく彼女との面談に応じた。
『先輩のことは恨んでいません。それどころか今でも感謝しています。路頭に迷おうとしていたわたしたちに手を差し伸べ、施しをくれたことは、絶対に忘れません。でも……』
『いくのね? あの人と』
『はい。ここには、もう、足を運びません。もう一度、父と母の目指した術士というものを見つめ直すために。わたしは、これからわたしが信じてゆくべきものを、追いかけてゆこうと思います……今まで、ありがとうございました』
それは、エスレクレインという巨大で暖かすぎる庇護を抜け、ひとつの個人として歩み出すという宣言だった。
『またいつでもいらして。待っているわ……うふふ』
立ち去るエイメールを、エスレクレインは引き止めなかった。
「……」
アリーゼルは、しばらく、黙っていた。
それは、彼女にとってショックなできごとなのではなかったのだろうか? という疑問が胸中に頭をもたげていたからだ。
だがエイメールはかぶりを振って、アリーゼルの無言の疑問を打ち消した。
「たしかに、わたしは利用されただけだったのかもしれません。だけどあの人は、ああいう人なんですよ。いろんなことを面白がっている風でいて、でもその実ほとんどのことに関して無頓着なんです。わたしのことも、家のことも……家族のことでさえ」
だから逆説的に、わたしのことを軽んじていたということにもならないんですよ。
とエイメールは語った。
それを否定する材料も権利も持ち合わせていないと思ったので、アリーゼルは口を挟むことはしなかった。
「で、それをなぜ、わたくしにお話する気になりなさったんですの?」
「さぁ。ただ、なんとなく。お話しておこうかと思って」
「……」
「……」
アリーゼルは、小さく息を抜いた。
「……ま、あの人はその点、抜けてらっしゃいますからね。お人がよろしすぎるようで」
「そうです。その分、わたしたちがしっかりしていなければ」
目を合わすことなく、ふたりは、一緒に笑っていた。
◆