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「だって、それまでもお前が大人になっても相手がいなくて寂しかったら相手してやるからいつでも言えよとか言われてましたし。あっ、でも、はす向かいのジェシカが師匠と関係持ってたって知った時はさすがにショックだったなあ。キーアも誘われたことがあるって言ってたし。あ。そう言えば名前は忘れたけど、どっかの国で王妃様と、お姫様もセットでえっちしたって言ってましたよ?」
ビクンビクンッ! と、学院長のほほが痙攣していた。
「……聞かなかったことにしておいた方がよさそうだ」
「そうですか? 別に隠すようなことでもないフツ~ウのことですよ?」
フウゥゥゥゥゥゥゥ……
異様な音にふたりがギョっとして振り向くと、机のヘリに肘を寄りかけた学院長が、長い、長い息を吐き出しているところだった。
たっぷり十秒は息を吐き、そして顔を上げると、額いっぱいの汗をぬぐいながらスフィールリアに笑いかけていた。
「どうやら、ホンモノのようね……!」
「なんで今ので納得するのですか学院長」
そういう人なのです――と言って瞑目する様は、まるでまぶたの奥になにかを強く押し込めて封印でもかけているみたいだった。
「あのぅ……それで結局、自分、どうして呼ばれたんですかねぇ……?」
もう一度挙手して尋ねてみると、今度は目を引ん剥むいたり不意打ちの質問を投げてくるでもなく、居住まいを正して静かに正面から見据えてきた。
「スフィールリア。あなたが入学する際のすべての手続きは閲覧しました。……あなたこの<アカデミー>以外に、ゆく当てはあるの?」
「いえ。正直、もうお金も少なくて……だから昨日は、この街で非合法でも働ける場所を探そうと思ってたんですけど……」
「非合法? それはつまり、〝綴導術〟を用いた金銭授受活動ということ? 非合法なんてものではありませんよ。もし見つかれば死罪になってもおかしくありません」
「うぇっ、そうだったんですか」
「まったくないわけではないがな。我々や王国もそのことを把握していないわけではないが、そこはグレーとブラックの使い分けだ。もっとも君のような若造が容易に理解して潜り込めるようなシステムではないぞ」
「うーん、技能的な面なら『使える』自信はあったんだけど……やっぱりコネがないとですよねぇ」
「まぁ、基本的にはそういうことだ。世の中のいずれにしてもな」
と普通にうなづいてから、男性教師。
思い出したように、つけ加えてくる。
「そもそも、新入生クラスが実技で稼いでいこうだなんて目論むこと自体が異常事態だがな」
「そうですね。そこはさすが、あの男の生徒だというだけはあります。たくましい限りです。それにしてもまったく、あの男は……こんな子ひとりを王都に放り込むなんて」
「あ、あの」
「スフィールリア・アーテルロウン?」
「へっ、あ、ハイ!」
また唐突に呼ばれて、スフィールリアは背筋を伸ばした。
「あなた――改めて<アカデミー>でやってゆく気はない?」
「……へ? でも、退学処分だって。<アカデミー>の部外者に綴導術使うのは人として許されないとか王権反逆罪だとかって先生たちが……」
「それはあくまで建前です。<アカデミー>の力があればなんとでもできます」
「……」
どう答えるべきなのか迷っていると、タウセンと呼ばれていた教師が、不思議そうに聞いてきた。
「うれしくないのか? 普通はないことだぞ」
「あー、いえ、ハイ、そうですね……お金ももうないし、助かるっちゃ助かる……ん、ですけど」
ぽりぽりと鼻先をかいていまだに歯切れの悪い彼女の様子に、タウセンはますます分からなさそうな顔をするのだった。
「いいえ、ミスター・タウセン。あの男の弟子だったのなら、そりゃそうというものでしょう。……スフィールリア? あなたがこの<アカデミー>にきた理由は、なんなのかしら?」
「え? 理由、ですか?」
しかり、とうなづく学院長。
「あの放任通り越こしてねじくれネグレクト男の下で暮らしていたあなたなら、今さらあの男の言いつけを素直に守ってやってくることもなかったでしょう。こんなやってゆきづらい大きな街ではなくもっと地方なら、あなたの技術を使って日々の暮らしには困らなかったのではなくて?」
「……」
「でも、あなたは、ここにきた。――これはあの男の意思ではない。明確にあなたの意思によること。違わないはずですね?」
その根源にあるものは、なんなのかしら?
静かに問うてくる学院長の眼差しは、春の日差しを受けた透明な湖畔のようにスフィールリアの姿を映し返している。
「……」
その瞳の中にいる自分の独白を聞いているような心地で、スフィールリアは師の手紙の最後に記されていたことを口にした。
「……師匠の手紙に、書いてあったんです。ここにあたしの〝起源〟があるって」
「起源?」
「はい。ここの運営者に師匠の知り合いがいるって。それで、ここにくれば、なくしたあたしの記憶とか、故郷のこととか……分かるかも、て…………」
タウセンと顔を見合わせてから、学院長は、ちょっと分からないといった風に小首を傾かしげた。
「えーと、待ってくださいね? まずは、その……起源? というものは? 記憶? 故郷? それはなんのことなんです?」
「あ、ハイ、その……実はあたし、拾われっ子なんです。それで師匠に預けられたらしくって」
学院長の目を見ていられなくなって、顔は自然とうつむく。
腿の上に置いた拳をきゅっと握り……さっきまでとはまるで一転してなにかを恐れるようなスフィールリアの様子に、ふたりの教師は怪訝な表情を浮かべた。
だが、次に意を決して顔を上げた彼女の言葉を聞き、納得することになる。
「昔……〝霧〟の中から、助けてもらって」
スフィールリアの声は弱々しくかすれていた。またうつむいてしまう。
一方、彼女の言葉が、徐々にふたりの頭の中に浸透していって……。
動かないままの学院長の両目が見る見る開かれてゆく。タウセンのかかとが本棚に当たり、小さな音を立てた。
「〝帰還者〟、か……!」
搾り出したような声にスフィールリアは、両肩をかすかに、震えさせた。
〝霧〟――
〝帰還者〟――
それらはこの世界に対して、決して小さくない影を落とすものを呼ぶ名だった。
だから、人々は〝帰還者〟と言われるスフィールリアのような人間を恐れる。あるいは悲しむ。怒る。戸惑う。どう扱ってよいのか分からず――隔離する。
だから……スフィールリア自身も、恐れていた。だれかに自らのことが、知られることを。
「道理で教師クラスの術も扱えるわけか……その歳で」
「お止めなさい、ミスター・タウセン。あなたの教え子たちと同じ年齢の子供なのですよ?」
席を立ち、スフィールリアの前まで歩んで学院長は、そのふくよかな胸の中に彼女の頭を招き入れた。乳白金の小さな頭は、かすかに震えていた。
「あいにくと、この学院も一筋縄でいかないような問題児ばかりでね。わたしたちもそのていどのことでは驚きはしても、騒ぎ立てるほどの余裕はないのよ。大丈夫よ」
――もう、大丈夫よ。
(あ……)
いつでも記憶の一番奥底そこに眠る、あの声が――また、どこかにいってしまいそうだった自分を抱きとめてくれたような気がして。
スフィールリアは身体中の緊張とともに、凍えるような震えも抜け去ってゆくのを感じていた。
「わたしもそういうつもりではなく、つい……すまなかった、な」
ばつの悪そうなタウセンの言葉に答えるつもりで小さくうなづくと、すぐ頭の上で学院長もうなづくのが分かり、そのまま身体をゆっくり離して、元の席に戻った。
すん、と鼻を鳴らしているとそれをどう取ったのか、タウセン教師が咳払いをしてまで追加の繕いを入れてきた。
「まあなんだ。これは、本当のことだ。〝帰還者〟といってもその〝深度〟はそれこそ人それぞれだし、そういったことを抜きにして、ただ〝帰還者〟というくくりに限定するのならば当<アカデミー>にも何人かいる。むろん本人のプライバシーに関わることなので具体的に何人でだれがということは明かさないが、それは、君についても、同じことだ」
思っていたよりも優しい先生なのかもしれない。
「ふむ、なるほどね。並大抵の術者ではそうそうついてゆけないようなあの偏屈が弟子を取ったというのは、そういうわけでしたか……それで、話を戻すけれど、スフィールリア?」
「あ、はいっ」
「なるほどあなたが〝帰還者〟だと言うのなら、あなたの言う〝起源〟というものがどういったことがらを指すのかは、だいたい分かりました。――それで? あなたはどの部分までが『抜け落ちて』いるのかしら?」
いざ概要さえ把握してしまえば、そこはさすが王国最高峰の研究者たちという感じだった。
風邪の患者から自覚症状を聞くのとまったく変わらない調子な問いかけに、スフィールリアはむしろ常に心にまとわりついていた気構えが解けてゆく気がしていた。
「あー、えーっと、そうですね。自分の場合は助けられる前までの記憶とか……〝全部〟です」
「全部、だと? あー、記憶が全部……つまり、記憶〝だけ〟ということか?」
これに、スフィールリアはふるふると頭を振って否定した。簡単な補足をするつもりで告げる。
「いいえ、そうじゃなくって――〝全部〟です。身体を構成する物質も、情報も、思い出も……全部なくなっちゃって。最後に〝心〟も消えちゃう寸前のところで、助けてもらったんだ、って。師匠の話では」
ブッ――!!
学院長とタウセン教師が同時に噴き出していた。互いに顔を見合わせ、
身体情報の完全再構築ですか――!?
いや、そんなことよりも、記憶と肉体と霊の構成情報と欠損! それとそれぞれの連結情報の修復が! オリジンの問題も――!
〝魂〟を〝一〟〝未満〟から生成する方法なんぞ――!
いやいや、それは伝説の――!
「……先生?」
「はっ!?」
呼びかけると、顔中に汗をだらだらと流した教師二名が、我に返ってそれぞれ元の姿勢に戻った。
「……その、なんだ、スフィールリア君。で、君を〝その状態〟から助けてくれたというのが、そのヴィルグマイン師?」
これにも、スフィールリアは簡単にかぶりを振った。
「いえ。あたしを助けてくれたのは、フィースミールっていう女性だって。師匠のお姉さんだって言ってました」
ブッホ――!!
今度は噴き出すだけでなく身体をくの字に折ってまでいた。
「が、く、院、ちょ……フィースミールというのは、わたし子供時分に絵本で見たことが、あ、あります。それは、つまり――」
「そ、そうでしたね。たしかあなたが綴導術師を志したきっかけがソレなんでしたわよね……コホン。その通り。フィースミール・アーテルロウン。正真正銘な、伝説の綴導術士にして、わたしとヴィルグマインの師にあたる女性です。……アーテルロウンというのは血筋としての家名を示すものではなく、我々〝師弟家族〟の間で使われていた、いわば絆の証のような姓なのです」
「なるほど……それならばあながち、荒唐無稽な話というわけでも……」
「あのぅ、ウソとかじゃないですよ……先生? ていうかあたしだってなにも覚えてなくて、師匠から聞かされただけなんですから、文句なら師匠に、」
「……君。自分の周囲の環境がどれだけ大変なものなのか、分かってないだろう」
「えー、そうですかねぇ……?」
憮然とした面持ちで体をずらして抗議の意を表す。しかしスフィールリアはすぐ学院長へ向き直ると、瞳を輝かせて彼女の方に顔を突き出していた。
「あ、あのう! そのフィースミールっていう人! 学院長はウチの師匠と同じよーな関係だったんですよね。――連絡を取らせてください! あたし、ずっと、その人にお礼が言いたくて!」
と言うと、学院長は「ほ」となぜか意外そうな表情に口をすぼめていた。次になにか面白いことに気がついたような顔つきになり、どう、どう、と両手でこちらをなだめにかかってきた。
「あいにくだけれど、わたしも彼女の行方は知らないの。あの人の行く先は、だれにも分からないわ。たぶん、あなたのお師匠様にもね。だから生きてるのか死んでるのかも分からない」
「そう……なん、ですか」
勢いをなくして椅子に沈み込んだスフィールリアだったが、しかし学院長はまだ面白そうな顔つきを崩さない。
「それにしても、スフィールリア? あなたは自分の起源――なくすまえの思い出や、せめて故郷の情報を求めてここにやってきたのではなくって?」
「い、いえ、そりゃあそれも分かればうれしいんですけど……でも、別にそれがなくたってあたしはあたしだし、今までだってやってきたし」
やはり、と聞こえない声でつぶやいて、学院長は口の端をつり上げた。
そして、あっけらかんとした調子で告げた。
「ああ――ありませんよ、そんなもの?」
「……へ?」
案の定、年ごろの女の子としていろいろ大事なものを抜け落とした表情で顔を上げてくる彼女に、学院長は肘をつき、呆れた口調で繰り返した。
「ですから? あなたの故郷の情報とか。そんなものは、ありません? ――手紙に書いてあった運営者の知り合いというのは、わたしのことでしょう。ですがわたしは昨日まであなたのことなんて知りませんでしたし、この学院の近郊にも〝霧〟の区域がないわけでもないですが……でも、だとしたらそれがあなたの〝元〟故郷の土地かしら? だったら<アカデミー>入学なんて回りくどいことをさせずにその場所を教えてあげればよかったでしょう。そもそも、知っているならもっと昔にお話ししてあげるのが筋ってもんじゃなくて?」
「え……え! で、でも」
まるでお菓子をねだる子供にダメなものはダメだと告げるように、首を振る学院長。
「そもそも、あの男がこの<アカデミー>を訪れたことはありません。つまりこの学院にあの男があなたに残せるような、あなたに関連するものは、なにひとつとしてないということなのですよ」
「……!」
瞬間、ふたりの教師からは、スフィールリアが稲妻に打たれたようなヴィジョンが見えていた。
ガタ……と椅子を立ち、よろめくままにその背もたれにすがりついて、
「は……はは……また、騙された」
「あ、初犯じゃなかったのか」
「う、うふふ……ふ……」
まだ椅子につかまってガクガクと膝を震わせているスフィールリアに、学院長は再度指を組み、尋ねた。
「それで、スフィールリア。あなた過去の手がかりも失って、この街でやってゆく足がかりもなくって、これからどうするおつもり?」
「そ、そぉーですね……田舎にでも帰って、イモでも育てて暮らしますよ……あたしにはそれがお似合いです……はは……は……」
「大丈夫か。発言がわけ分からんぞ」
「だいじょぶです……それじゃ、今日はなんか……ありがとうございましたです……」
まだだれも話が終わったとは言っていないというのに、よろよろと。死刑台に上がる囚人を思わせる足取りで出口へと向かってゆくスフィールリア。とはいえ学院長はなにも言わないし、タウセンも本人がそうしたいというなら取り立てて引き留める理由もないので、黙って見送っていた。
さて、その後姿を眺めていた学院長。「ふむ」とつぶやきデスク脇に放ってあったスフィールリアに関する報告書類をさっと自分の前に滑らせる。
次いで、おもむろとデスクの引き出しから大きなハンコを取り出し――
「あっ学院長、それは――」
スコン――!
タウセンの声を無視して、書類にそれを叩きつけていた。
「……?」
響き渡った軽快な音に、スフィールリアも足を止め、胡乱な目つきで振り返っていた。
その彼女に向け、すうっと、今しがた捺印した書類を持ち上げて見せる。
書面には、
『認可・特別監察特待生』
と、赤のインクが捺されていた。
「がっ、学院長、本気ですかっ? というか本人もまだ了承してないのに捺してしまって!」
「こんなものはただのハンコとインクです。不要ならば燃やしてしまえばよろしい」
きっぱりと切り捨てられて、タウセンは、息とともに頭を抱えた。
一方そちらを見もしない学院長。書類を持ち上げた手はそのまま、まっすぐスフィールリアを見返して、
「スフィールリア。あなた、<アカデミー>に入りなさい」
「えー、でもなぁ……」
スフィールリアとしては、学院長が指摘した通り<アカデミー>に固執する理由がまったくない。どころか師の嘘により〝起源〟の手がかりも立ち消えた今となっては、退学処分の元となった学校規則なども足かせにしかならないし、綴導術士としての地位と名声にも興味はないのである。
だが――
「――フィースミール師に会いたくない?」
その、魔法の言葉が――
「ああ、勘違いしないでちょうだい。さっきも言ったように、フィースミール師の所在は分かりませんし、あなたの〝起源〟もここにはおそらくないでしょう。……ですが、フィースミール師。彼女の〝起源〟は、ここにあります」
「どういう、ことですか」
「この学院はね、スフィールリア。フィースミール師が立ち上げた学び舎なの。わたしがそれを引き継いだのはかれこれ百年ほど前のことだけれどもね……。綴導術士としての彼女の思想、彼女の信念、彼女の知識、それ以外のすべての蓄積……彼女がこの世に残したかったこと、伝えたかったこと。ここには、それが、ある」
まるで、初めてこの世の夜明けを見たように――スフィールリアの目にみるみる驚きにも似た輝きが灯ってゆくのを確認し、学院長も笑みを深めていた。
「あなたはフィースミール師に助けられたことを恩義に感じている――? それは違う。ウソではないけれど、本当のところでもない。そうでなければあなたはもっと師に詳細な話をねだっていたはずで、であるならば、彼女との連絡が困難であることも、知らないはずがなかった」
「……」
「でも、あなたは尋ねなかった。心の奥底にたゆたう本当の希求の正体が分からなくて、扱いかねていて、今日という今日まで正体不明のままにしてきたの。でも今日という日、教育者として、わたしがその正体を教えてあげます。スフィールリア――あなたは彼女にお礼が言いたかったのではない。隣に並び立つ者として、彼女にお返しがしたかったのよ」
「……!」
今度こそ本当に稲妻に打たれたように、スフィールリアは全身を伸ばして固まっていた。
「彼女があなたを助けたのはなぜなのか。自分の情報を持たないからこそ、あなたはそれをずっと気にしていたはず。自分に起こったことは、いったい、なぜなのか? と――なぜ彼女と出会ったのか? なぜ彼女が身寄りも生きる力もないあなたをヴィルグマインに預け、名を与え、〝家族〟を与えてくれたのか? なぜ、なぜ? ――そこには意味があるのかもしれないし、ないのかもしれない。こじつけることだってできる。でも、しょせんだれかから聞けるかもしれないそれらのすべては、本当の回答じゃない。たとえそれが、フィースミール師本人からの言葉であったとしても」
「じゃ、じゃあ、それじゃあなんにも分かんないままじゃないですか!」
泣き出しそうな顔で叫ぶスフィールリアに、学院長はすっと片手を出して制した。
「彼女がいたから、あなたがいる。彼女から繋つながるものがあなた自身であり、さらにその先へと〝続くもの〟を見ようとするのならば、スフィールリア――それは、あなた自身が見つけ出さなければならない」
「あたし、自身が……」
「そう――あなた自身が見つけて、意味を与えてやるしかないのよ。あなたは彼の下、自分自身で生きてゆく力を学んでゆく課程において、無意識にそのことを自覚していた。――だからあなたはここにきたの」
「……」
「偶然なんかじゃない。これは必然。彼女を追い求めるあなたの意思が、彼女の残した意思に共鳴したのよ。……スフィールリア。フィースミール師に追いつきなさい。ここで学び、伸びやかに伸びて、あの人が見ていた景色、感じていた色、抱いていた想い――〝そこ〟にたどり着きなさい!」
「あたし、が……」
「そう。あなたが――」
長いようで短い語りかけの最後に学院長は、差し出す書類はそのまま、片手でオイルランプと灰皿を、自分の手元に引き寄せた。
ランプに、火が灯される。石が擦られる音はそのまま、なにかを断じる音のようでもあった。
「――選びなさい」
右の手には認定書類。賢者へと至る、厳しくもか細き道が開いている。
左側には、寄る辺断ち切る小さき炎。野に降り、穏やかな日々を送る神の恵みが見えている。
どちらもそれぞれに、彼女なりの未来がつながっていた。
「……」
一歩、一歩。
まばゆい光に導かれる妖精のように、スフィールリアは、歩いていった。
「……」
一歩。また、一歩。
そして――
彼女はその書類を……手に、取った。
◆
「――それでは大まかな説明は以上。あなたに割り当てられる〝寮〟へは追って案内人を送るので、あなたはそれまで今の宿で待っていてちょうだい。ああ、お酒は控えるようにね。お金は大丈夫かしら? もし必要なら話は通しておくので下の窓口で申請していってちょうだい」
「は、はぁ」
「ほかになにか質問は?」
「え、と。ない、かな? です」
「よろしい。では日が暮れる前に速やかに帰宿なさい。王都の治安も隅々まで万全というわけではないのよ」
はぁ。分かりました。
と、始終どこか惚ほうけた様子だったスフィールリアが、扉に向かい、
「失礼しました……」
パタン――
気の抜けた音を立ててドアが閉まると同時、学院長は「いよっしゃ!」と握り拳を振り抜いていた。
「期待の新人、ゲット! 今年は期待できるわね。豊作なんじゃないかしら?」
「学院長……やっぱり」
「ふふ。あの男の弟子だというから通じるか心配だったけれど。運命とか必然とか想いなんて言葉にときめいちゃうだなんて、まだまだ可愛いところがたくさん残ってるじゃないの。あのトーヘンボクにしては珍しく……っていうか奇跡のように大切に育てられたのねぇ」
「……」
「そもそもあの男と暮らしていて、あれだけ可愛いのにいまだに処女のままだなんてことがもう奇跡! わたしなんて最初の一週間……一生大切にするからとか言うから……初めて……あげたのに……あの野郎…………うふふふ……ふふふ……」
「やっぱり適当に言いくるめてたんですか」
触れざる部分には触れず、げんなりとつぶやくと、彼女は心外だとでも言うように眉を跳ね上げた。
「ウソなんてついてません? 期待の新人だというのも、本当じゃないですか? スキルの伸び具合は野放図とはいえ、新入生時点で教師クラスの術をも会得している生徒が貴重じゃなくてなんなんです?」
「はあ、まあ、それは」
「うふふふ……今年は本当に粒つぶぞろい……これで今期生から王宮術者が数人でも輩出されれば、我が校の未来も……それに比べれば不祥事の百や二百、握りつぶすくらい……ふふふふふふふ」
「やっぱりそれが本音なんですね」
「あ。そういうわけですから今後の特監生としての彼女の指導、よろしくお願いしますね、ミスター・タウセン?」
やはり的中した予感に、タウセン教師は、熱くなった目頭を押さえた。
そして、スフィールリアの学園生活が、幕を開ける――。