(2-04)
「では言った通り、まずは服を脱いで、武器を隠し持っていないことをよく見せてから、こちらへこい」
「も、毛布くらいかぶせてやったっていいだろうっ? 脱いだあとにさ!」
「駄目だ。俺は知っている、綴導術士という人種を。衣服は回収して、あとで返してやる」
「……ありがと、おばちゃん」
スフィールリアが、上着のボタンに手をかける。
(ダメだ)
「馬鹿なことは考えないことだ。この人数。助けもこない」
その時だった。
声が聞こえたのは。
「そうでもないんだな~、これが」
頭領の男だけではなく、全員が眉を訝らせて、周囲を見ていた。
声の主の姿は見えない。しかしさほど大音声というわけでもないのに、すぐ近くにいるように聞こえたのだ。
「遠投か。どこにいる」
「ほいほい、ちょっと待ってね…………と」
ゴロ、ゴロゴロ…………。
そんな音が聞こえてくる。
なお全員が慎重に様子をうかがっていると、やがて、直径にして二十メートルは下らない大岩の玉が、転がり出てきた。
崖の上に。
「なにっ――!?」
大岩のふもとから、一瞬だけ。ひょこっと。女が姿を覗かせた気がした。
そして、
「おっいたいた。フィィ~~~ッシュ…………」
『へ――』
「なにをしている! 撤っ――」
頭領の警告は、間に合わなかった。
「おーーーんっ!!」
『うおおおおおおおおおおっ!?』
そして頭上から蹴り転がされた大岩が、ぽかーんとしていた<ヴィドゥルの魔爪>本隊の布陣を、しっちゃかめっちゃかに踏み潰していったのだった。
「いくよ。薔薇の剣」
崖の上。
自らが落とした大岩によって騒乱の渦と化した地上を眺め、紅い服の女――アレンティア・フラウ・グランフィリアは愛剣を優しく引き抜いた。
引き抜き、そのままひらりと、身を投げた。
彼女が着地した次の瞬間には、実に三十名もの賊が叩き伏せられていた。
「ちぃっ、野薔薇か!」
短く吐き捨て、アイバの上から頭領の男の姿が飛び退いて消える。
「大丈夫か怪獣小僧!」
「い、いてて! おぉ、いつつ……助かった、のか?」
「まだ分からん。だが、チャンスだ――総員武装再携行、各班展開! 中央を固めるぞ! 動かせる馬車は動かす! 白兵戦だ!」
ちょうどその折に、まだ猛然と土煙が立ち込めている敵本陣側からも「人質を確保しろ!」というぞっとしない指示が聞こえてくる。
一斉に慌しくなり始めた戦場で、アイバたちのいる中級輸送車の搭乗はしごからスフィールリアがぴょこんと顔を出して、駆け寄った。
「アイバッ! 大丈夫!?」
「お、おぅ。この通り……だけどな。っつつ」
「ばか。こんなになるまで意地張って」
だが、アイバの顔面には笑みしか湧いてこないのだった。ぶつけられるのが泣き顔でも怒り顔でも、こうして近くでそれを見られるのならなにに比べてもマシだとしか言えないというのが正直なところだった。
「は、はは。大丈夫だ、つったろ。お前はもう大丈夫なのかよ」
「自分で作った薬の対抗物質くらい用意してありますとも! それより治療しなくちゃ! どど、どうしよう! 回復剤ぶちまけていいっ!?」
「ま、待てっ。ダメに決まってるだろ! しゅおおってなるだろソレやめて!」
「おぅお嬢ちゃん落ち着けや。ソレやるにゃあ傷が深すぎだ。手ぇ空いてるやつこっちこぉ!」
手馴れた護衛陣による応急処置が始まって、ひとまず安心の息を吐いたスフィールリア。
「出てくるぞ!」
という味方の声で、ばっと縁の手すりに身を乗り出した。
土煙を破って出てきたのは紅い服の女だった。
追従してくる十名以上の並み居る武装集団を、信じられないくらい軽やかとあしらっている。
「驚いたな。薔薇の団の親玉だ」
「薔薇の団……って、あの聖騎士団のですかっ?」
「おうよ。最近じゃ表にゃ出てきてなかったがな。<聖庭十二騎士団><第三騎士団・薔薇の庭>王命特別客席司令官、アレンティア・フラウ・グランフィリア。まぁつまり、騎士団長、てことよ」
「……」
「東方大陸きっての武門の名家・グランフィリア家の筆頭剣士よ。あの家でいっとう強い者が継承することになってる薔薇の剣を持ってる。なんでか放浪の旅だかなんだかしてたらしいが、そん途中のこの街で王家が直接頭下げにいって、今の席に納まることになった、つうのは有名な話だわな――」
やや熱のこもっている護衛団長への相槌もそぞろに、スフィールリア。女の戦う様に見とれるようにしていた。
「あの人が……」
そうこうしている間も、アレンティアは流れるように敵を倒していっている。
走る……追いかけられる。正面からもきた敵を駆け抜けざまに一閃。かと思いきや、矢のごとく取って返し、後方の敵陣に突っ込み剣の腹で叩き伏せる。柄頭を突き刺す。刈り込むような蹴りで打ち倒す。また走る……。
すべてのモーションがひとつながりにしか見えない。恐ろしい盗賊たちも、彼女という闘争の渦に引きずられる塵のようにしか見えなかった。
途中で怒り狂った野次のように投げ放たれる弓矢も攻性武器も効きはしない。
戦場の女神みたいだと、スフィールリアは自然に発想していた。
「――」
それまでずっと走り回っていたアレンティアの動きが、一瞬だけ、ぴたりと止まる。
まるで、剣舞の一瞬間を切り取ったかのような、そんな――美しい空隙の時間。
敵側からすれば絶好の隙に見えただろう。
しかし結局のところは『溜め』の姿勢にすぎなかった。
その一瞬後にアレンティアの姿が掻き消え、ドンという衝撃音の次には、同時に(しか見えなかった)二十余名もの盗賊たちがきりきり舞をして倒れ伏していった。
彼女が駆け抜けたあとには、茨のツタ模様にも似た文様が刻まれているだけ。だれも追いつけない。
「す、すごい!」
「薔薇の剣聖の〝茨の道〟だ。くぅ~~、眼福だなぁ! 加勢したい、すごく! でも持ち場は離れらんねーしなぁ!」
知らずスフィールリアも、うずうずと、細い肩を揺すっていた。護衛団長の言葉はすごくよく分かる。
アレンティアは〝茨の道〟とやらの連続は取りやめ、例の盗賊団の頭領と激突を果たしているところだった。すさまじい速度で剣とナイフがぶつかり合っている。
「……ぃよし!」
そして、じゃらと。腰のポーチから、サイコロ大のアイテムをいくつか、取り出したのだった。
「団長さん。この馬車……遊撃隊みたいなのにしちゃダメですかねっ!?」
「はっ?」
「ここから攻性武器とか撒き散らしながら、中央守備隊の周りを回るんですよ! まだ後ろからも敵が追いついてくるんでしょう? そしたら、あたしたちを守りながらじゃいくらあの人でも手が回らなくなるし、そうなる前にこの本隊を減らしておかないと!」
「……」
「それに、あたしが<ディングレイズ・アカデミー>の綴導術師だって騒ぎながら暴れれば、もっと引っ掻き回せるかもしれないじゃないですか! 全周囲を警戒してるんだし、護衛団の人たちの負担も減らせますよ!」
「……逆にアンタが、パニクった敵の弓矢の餌食にされるリスクがあるが」
「守ってください!」
どんと胸を叩いて真逆っぽいことを言う彼女に、護衛団長はたまらず噴き出していた。
それだと全体を把握しながら自分も戦えるし、微妙に理に適ってもいた。物見に張りつくよりかは性にも合っている。
「よぅし……野郎ども聞いてたな! 今からこん船はそーいうことだ! 装甲立ち上げ! 〝船長〟に信号打って、進めやー!」
うぇーい!
気勢とともに馬車が動き出して、車両の護衛に何名かの戦士が降りてゆく。
「それじゃ早速、第一弾、! 『拡散型・レベル4キューブ』! いっきまーす!」
スフィールリアの投げはなった『レベル4・キューブ』が上空で破裂、拡散。
あたりに猛烈な電光を降り注がせた。
スフィールリアはあのように危惧していたが、当のアレンティア自身は極めて気軽に――散歩か、ゴミ掃除でもするくらいの気軽さで盗賊たちをあしらっていた。
「ほい、ほいほいの、ほいの!」
走る。叩く。転がす。
弾く、受け流す、隙間を縫って、突く。
そして、
「ほい!」
ドン!
一瞬の『溜め』。
アレンティアが〝茨の道〟に入り、切り取られた時間の空隙の中。まるで見当違いの方向を見ている盗賊たちを順次に剣で殴り倒していった。これを何度かやれば、<ヴィドゥルの魔爪>本隊は壊滅する。
「!!」
〝茨の道〟の出口に閃いた黒い影に危機感を覚え、強引に足踏みを追加。まったく意識せず本能で繰り出した剣に銀光がぶつかり、アレンティアは飛び退いていた。
腕を痺れさせるほどの衝撃は、あとから。普通の一撃ではなかった。
「野薔薇が。余計な茶々入れを。ここで散らしてやる」
それなりの距離を取ったはずだが、黒覆面の男はすでに目前に迫っていた。ぎらりと手元に光る大振りのナイフ。業物だ。
『ふっ!』
呼吸も同時と撃ち合って離れると、アレンティアは賞賛の口笛を鳴らしていた。彼女自身数えてはいなかったが、今のたった一合で十数撃は流しただろうか。
久々の猛者だった。
「あんたが<ヴィドゥルの魔爪>の頭領さん? せっかくいいもの持ってるのに、もったいないね」
「こちらのセリフだ。貴様が王家に飼われ始めたと聞いた時は失望させられた。なぜここにいる? 今、ここは騎士団のルートではないはずだ」
「あなたなら知ってると思うけど、ちょっと前、薔薇の団が秘密の作戦で出張ったことがあったよね。それで<聖庭十二騎士団>全体の巡回スケジュールが、少しだけ、変わった。その時にあなたのお仲間が、ちょっと無理をしちゃったってわけ」
「そうか……やつは死んだ、か?」
「まさか。三食お仕事つきで元気にしてるよ。あなたもどう? すっぱり入れ替えて、人生変えてみない?」
「それは、お前だ。我らの軍門に下り、その力を正しき方へ伸ばせ」
「逆でしょ、それ?」
「俺はディングレイズ王家を滅ぼすためだけにこの腕を磨き抜いてきた」
「あっそ!」
再び衝突する。
さらに別の三方からも加勢の気配があった。これらもただ者ではないと分かる。
しかし目の前の頭領の実力は明らかに一線級であり、気は抜けない。間に合うか、間に合わないか。微妙なところだ。
ということを直感の領域だけで目算していた、その思考の終端に。
「それじゃ早速、第一弾、! 『拡散型・レベル4キューブ』! いっきまーす!」
『!!』
粟立つ肌の感触のまま五者が飛び退く。
上空から猛烈な紅い電光の嵐が降り注ぎ、周囲にいた末端の盗賊たち(あとちょっぴり護衛団メンバーたち)から悲鳴が上がった。
着地の順を問わず、だれともなしに振り仰ぐ。すると動き出していた馬車の手すりから顔を出したスフィールリアが、ぶんぶんと手を振ってきていた。
「あっ、どうも盗賊のみなさん! わたくし<ディングレイズ・アカデミー>綴・導・術・士・の! スフィールリア・アーテルロウンです! よろしくお願いします!」
「ちぃっ」
「ぷっ」
「攻めてまいります! スフィールリア・アーテルロウンです! 綴導術士ですよ! あっ、『レベル4・キューブ』です! ありがとうございます!」
ドゥムン!
スフィールリアのばら撒いた『レベル4・キューブ』が炸裂し、今度は爆発が起こる。家屋を吹き飛ばせるていどの、大きめのやつだ。
ありがたくねぇぇよ…………!
という悲鳴とともに、また何名かの賊が吹っ飛んでいった。
「やはりやっかいだ。ひとり向かって先に押さえろ」
「は」
馬車を追って精鋭のひとりが失せる。
「ありがとうねー!」
動き出した盗賊たちに併走して間合いを測りながら手を振る。聞こえたのかどうか。その後に連続した爆発音は、返事のようにも聞こえるのだった。
「余裕ぶるのもこれまでだッ!」
「そういうド直球なの、嫌いじゃない――よ!」
三方から一気に輪を狭めてくる。アレンティアは〝茨の道〟の予備動作を取った。
囲まれたこの状況。相手も皆すべてが早い。その上でリスクを負ってもこれを敢行したのは、それこそ素直に彼らの実力を認識したからだ。余裕ではない。
覆面下にある頭領の双眸が『やってみろ』と物語っていた。
アレンティアも知らず笑っていた。
彼女はすでに頭領だけを見ていた。背後のふたりはこの道に『入って』はこない。
それが気配で知れたからだ。
(勝負!)
衝撃を突破し、〝茨の道〟へと進入する。
人が〝茨の道〟と呼ぶこの技の正体とは、つまるところ、単なる円運動の集合である。
鍛え上げた肉体をさらに練磨した奏気術で強化加速し、コンパスのようにした二軸の足を、全身の筋肉を駆使して制御。描く二重の円を切り替えて移動する。その一回転ごとに一攻撃のリズムがある。その間に敵をひと刺しずつしてゆくのだ。
極限の機動は百分の一秒も保たぬうちに人体を地面から引き剥がすが、それは足先に集めた〝気〟で強引に固定する。だから最終的に、地面には、茨にも似た引っかき傷が刻まれることになる。
理屈としては、それだけの技にすぎない。
ただし、これを数十~数百メートルの範囲へ、一瞬間で実行する。
だからこの道に入った時、彼女は他者とは別の時間を生きる。だれも彼女の姿を見ない。だれも追いつけない。
いないのだ。彼女と同じ時をすごせる者は。
だから、盗賊という人種が大の嫌いなアレンティアだったが――好ましくも思ってしまったのだ。
この男の、挑戦の意思が!
一〝回〟目。男の目は見事にこちらを見ていた。完全に『同じ』道に入っている。
逆向き等速の回転で刃と剣が滑り、あたかもコマ同士の衝突のようにあっさりと通りすぎてゆく。互いにこれでよいと思っている。次からだ。
二〝回〟目。
今度はわずかに男の回転が遅れていた。しかしこれは、こちらの回転にがっちりとナイフの背を食い込ませるためだった。
一瞬にも満たない一瞬の中で刃に込めた互いの〝気〟が弾け合い、ふたりにしか見えない蒼色の炎が爆発した。両者の回転が逆向きに流れてゆく。
三〝回〟目――が終わる前。
男は弾かれた腕を、自分を抱きかかえるようにコンパクトに畳み込み、身体から出したトゲのように構えた刃、最小の円軌道でこちらを上回ろうとしてきた。それを知ったのは、ほぼ似たような発想から逆手に持ち替えていた薔薇の剣にナイフがかち合う感触があったためだった。
四〝回〟目はそのリズムを変えた三回目の影響から動きがばらける。強引に回転の向きを斜めに変えたアレンティアのほほを男の切っ先がかすめ、彼女の蹴り足が男の左脇を剃り込んでいった。
続いて五回――七回――十二――三十回!
〝茨の道〟はそこで終わった。いつもよりずっと短かったのは敵の実力の証明だ。
ほぼその場に集約して、クレーターのように現れる茨模様。厳密にはあとから現れたのは音のみだが。
アレンティアは再度、心の中だけで賞賛の笛を吹いたが、音にする余裕まではない。戦いはまだ終わっていない。
十メートルほど離れて次撃のモーションに入っている頭領から引継ぎ、背後から二名の精鋭が迫っている。
――これは、間に合わない。
アレンティアと盗賊三名は同時に直感した。
精鋭二名は〝茨の道〟の余波である衝撃波で自らが傷つくのにも構わずに、〝気〟をまとって強引に進んできていた。最初から〝茨の道〟が終わるタイミングで、頭領との挟撃を狙っていたのだ。
アレンティアは、迷わず、最後の円運動の勢いを利用して左後方の敵へと剣を振るう。
残りは諦めたか。
盗賊たちが、そう確信を抱く暇まではなかった。それほどに激突までの時間は短かった。
「!!」
むしろ、決着のゆくえを見守っていたスフィールリアたちこそが悲壮な顔を浮かべていたかもしれない。
だが、驚愕に顔を固めていたのは賊の三名の方だった。
「……やるね」
「っ……!」
ぎしり、と三名の腕が軋る。
三人の武器は、完全に受け止められていた。
彼女の剣から伸び出してきていた……薔薇のツタに!
「ガーデン・オブ・スリー……!」
頭領が黒布の下の双眸を憎悪の炎にぎらつかせた。
「珍しい方の名前で呼ぶの――ね!」
「くっ!?」
アレンティアが剣を振るい、三名の武器が弾き飛ばされた。茨に腕の表面を引き裂かれて後退する。
その機で、彼女の勝利が確定した。
「おいで――〝庭の薔薇たち〟」
ざわ――と。その周囲にいた全員が、そのさざめきを聞いた。
薔薇の剣から無数のツタが伸び出してきて、アレンティアの全身を包んでゆく。
変化の時間は、一瞬。
次に薔薇のツタが散った時には、彼女の身体は白色の鎧に包まれていた。
「ふっ!」
「ぐ」「あぐ」
彼女が振り向きざまに指を一閃させ、背後の精鋭二名がなにかに撃たれたように倒れ伏した。
黒装束の胴には、硬質化した薔薇の花弁が突き立っていた。
「薔薇の鎧か……本領の発揮というわけだ」
「この子たちはれっきとした〝薔薇〟よ。そう呼ばれるのは好いてないの。覚悟した方がいいかもね?」
そう言って、自らの胸を鎧う装甲を撫で示した。
奇妙……というほどではないが、変わった鎧には違いない。
彼女の体型に沿った流麗な輪郭。基調は白。しかしうっすらと桃色を帯びている。ちりばめられた薔薇と茨のシルエットの意匠たち。全身を覆う重甲冑タイプではなく、胴、肩、上腕、腰、すねを覆う軽装剣士タイプ。
装甲の隙間にはクッションのつもりでもあるかのように見え隠れする薔薇のツタたちがある。だけではなく、肩口とくるぶしにはそれぞれ一輪ずつの薔薇が咲き誇っている。装甲と一体化しており、まるでそこから生え出しているようだった。
なにより、〝剣〟から出てきたのだ。普通の武具では、あり得なかった。
「薔薇たちが出てきたのは、そっちのふたりを受け止めるため。あなたの両腕はもうダメでしょう。投降してもらえないかな?」
「……」
事実、男は両腕を垂れさせて、ようやく立っている状態のようだった。
〝茨の道〟への競り合いの段階で、すでに彼の両腕内部はズタボロになっていたのだ。
最後の一撃にしても、もう、ただ武器を持っている『だけ』なことは、分かっていた。
「……お前たち、は。なにも知らない」
「うん?」
頭領の男は、もはや武器もない指のみを向けて、アレンティアへ嘲笑を送った。
「だれもしらない。だれもが騙されている。ディングレイズ王家、は……貴様らを騙し、世界を欺き……続けて、いる」
「よく聞くよ、そういうの。高潔な体制なんてあるはずがない。叩けば埃は出るはずだってね。だからって大手商会が預かる〝結界路〟を荒らして、なんになるっていうんだか。あとで、たっぷり聞かれると思うけどね」
男は、今度こそはっきりと音に出して笑う。
「お前もまたなにも知らない。ガーデン・オブ・スリー……薔薇の剣……薔薇の剣聖、か、ふ、ふふ、ふ! お前はなぜソレが剣の形をしているのか、考えたこともなく、その名をほしいままにしているのだろう!」
「……どういう、意味かな?」
「いずれ、だれもが知る。その時に在る区別は、愚かな者であるか、賢き者であったのか、のみ。お前は……前者であるということだ!」
「ああ、そう!」
頭領から先に、そしてアレンティアも駆け出していた。
「です――かい、と!!」
交錯は一瞬。連続して三度叩き込まれた薔薇の剣の峰が頭領の身体を宙に浮かせ……
あまりに静かに、王都均衡を震わせていた体制反逆組織の活動は終焉を迎えた。
「薔薇の剣が、なんなのか……?」
ひとりたたずみ、アレンティア。
朝に見た夢が胸裏をよぎり、その手に提げた薔薇の剣を見つめていた。
盗賊たちはあまりのことにあっけに取られ、完全に固まっている。
「お箸には見えないよね?」
心底不思議そうにつぶやき、そして残りすべての残党を叩き伏せたのだった。
◆
噴煙が、風に吹き散らされ、地上を流れてゆく。
その様子がよく見渡せる少し離れた上空に、奇妙な人影の姿があった。
「ありゃ。雇い主死んじゃったかー。ま、あたいっちも助けなかったんだけどさ」
奇妙にねじくれた箒の突起に足をかけ、浮かんでいるのは少女だ。
「……これから、どうしよっかなー」
彼女はあまり困っていないように頭をかき、数秒、思案した。
「ま、それじゃああたいっちーはあたいっちーで、好きに生きるとしますかー」
やがてそう結論すると、少女は箒にまたがり直し……
言葉通り、いずことも知れぬ空へと、飛び去っていった。
◆
「ああ、やっぱり、君があの作戦の時の。救助対象の子だったんだね」
「はい! あのっ、あたしずっとお礼が言いたくて、でも相手は偉い人ですし、会いにいくのも失礼だしお手紙もどうかって、だから――ありがとうございました!」
スフィールリアは目の前にいるまさかの大人物の姿に、大緊張をして頭を下げていた。
ガタゴトと。素朴に揺れる客車の中だ。
現在、商隊は無事な車両で編成を組み直し、一路安全に王都への道のりを進んでいる。
彼女以外の旅行客たちも、ようやくつけた人心地をかみ締めて、風景を眺めたり、眠り込んだりしている。
結局、二百余名もいた<ヴィドゥルの魔爪>の戦力のほとんどを、このアレンティア・フラウ・グランフィリアはひとりで片づけてしまった。
叩き伏せられた盗賊たちは、アレンティアの剣が出した薔薇に縛られた上で、別の車両にぎゅうぎゅう詰めにされている。
そのとんでもない強さに、スフィールリアは、すっかりほれ込んでしまっていた。
おまけに間近で見てみれば、自分とほとんど変わらないような年齢ではないか。
「あはは、いいっていいってそんなにかしこまらないで」
「で、でも! 一度ならず二度までも助けていただいちゃって! ――あいや、三度か……追いかけてきたオジさんも倒してもらっちゃったし」
「それを言うなら、わたしも途中で助けてもらったから。四人相手だとヤバさが段違いだったからね」
それに、あの時にしたって、ね。
という追加のささやきは、動揺しているスフィールリアには届かなかった。
「ででで、でもでも! ほら、皆さんはお姉さんのこと、」
なおスフィールリアが食い下がると、アレンティア。彼女も興が乗ったように立ち上がり、胸を張って自分を指し示して見せた。
「そう――わたしこそは、東方〝武〟の頂点・グランフィリア家が誇る『薔薇の剣聖』――!」
「おお!」
スフィールリアと一緒に何名かの乗客も感嘆の息を漏らしていたかもしれない。
しかし、
「……なーんて、みんなはわたしのこと呼ぶけどさ。気楽にアレンティアって呼んでくれればいいから」
ぱっと手を広げ、庶民がかった動作で、再び彼女の横に座り直すのだった。
「え~、でもぉ」
「じゃあ、こういうのは? わたしは君を助けた。わたしも君に助けられた。だからわたしたちは対等。だから普通でいい。歳もいっこしか違わないんだしね――どう?」
「え。えと……」
まだ、迷っていると――席に置いた手の甲を優しく滑る、絹のような感触があった。
「?」
見ると、薔薇のツタが、やんわりと彼女の手に絡みついてきていた。
「あらー」
と声を出したのはアレンティアだ。薔薇は、彼女が傍らに立てかけてある、薔薇の剣から生え出してきているものだった。
トゲもあるが、少しも痛くない。布かなにかでできているみたいに感触が優しい。
そのまま、しゅるんしゅるんと、彼女の手を撫でるようにして、剣まで戻ってゆく。
「……?」
「……剣も、ありがとう、だってさ。わたしのこと助けてくれて」
「へっ?」
「この子が一発で気に入るなんて、君、すごいね」
「えっ? そ、そういうもんですか? えへへ……」
「うん」
アレンティアの表情は、嘘ではなく彼女に感心しているようだった。
「だから。ね?」
「……。で、では…………アレンティア、さん」
「うん。スフィールリアちゃん」
にこりと微笑まれて、スフィールリアは、うっとりととろけそうになる頬を押さえた。
「素敵だなぁ……!」
「目の前で言われると照れる」
「なに言ってるんです! だって素敵なんじゃないですかっ」
「怒られたっ」
「だというのに……」
スフィールリアはちらりと背越しに、反対隣の席にいる男を見やった。
「俺だって……俺だってがんばったのに……かなり、かなりよぅ…………」
「もう」
彼女から背を向け、それなりの体躯を折りたたんで、みずぼらしく椅子に乗っているアイバ・ロイヤードである。
「なにいじけてるんだよー。アイバだって助けてもらったんだから。お礼くらい言うのがスジってもんじゃない。ほらコッチ向きなさいってば、ほら!」
「や、やめろだし……みじめったらしく寝こけてた俺のことなんかほっとけばいいだろ! 麗しのお姉さまとお話でもしてろよ! 俺はあのままでも大丈夫だったんだ!」
「だから、その態度はなに!?」
「いでででででミミみみみ耳耳耳!」
「アレンティアさんが持ってた、とぉ~~っても・! 高級な回復剤を使わせてもらったでしょ! あたしの分だけじゃそんなピンピンになってないんだから!」
「うぐっ!」
「まあまあスフィールリアちゃん。勇者君だっていろいろあるのよ。いろいろ。ねっ」
「ぐぅっ! ……ぐぬぬ」
アイバが妙に意地を張っているのも、実はその回復剤というので助けられた場面が原因だったりしていた。
というのも。
『……これでなんとか街まで保ちそうだ。助かったぜ騎士団長さん。お嬢ちゃんの分だけじゃ、血液の補充までいかなかったからよ』
『いえいえ。支給品だからって部下が持たせるんですけど。ほとんど使わないですし』
『よかった……』
『そ、そんな顔すんなよ……大丈夫だって。……なんつたって、勇者の末裔だぜ。だろ……?』
と、ここまではよかった。
アイバもこの次にはきちんと礼を言おうと思っていたのだ。
しかし、
『……ああ! 勇者! その服! 知ってる知ってる。<国立総合戦技練兵課>に、ウチのご先祖様の友達の末裔さんがいるって、だれかが言ってた言ってた! 君が勇者君か!』
『な、え……あ、え? お、おぅよ』
『……にしては君、弱いなー!』
『んがっ!!』
………………。
などなどというやり取りがあったせいである。
「ごめんごめん。違うんだ」
「……」
「いやね。王都きてから、ずっと君のウワサ話だけは聞かされててさ。ご先祖様の威光っていうのか。みんななにかにつけて関連づけたがっちゃってさー。それで、わたしの中だけで勝手にどんどん想像図を膨らませちゃってて」
「…………」
「だから実物とのギャップに、ついあんなこと言っちゃったのよ~。いやー、はは……だから、ゴメンっ。実際、君の活躍がなかったらわたしも追いついてなかったと思うよ」
「……………………」
「だから、この商隊を救ったのは君だと思う。帰ったらそれもちゃんと国には話すつもり。だから、アレは……ごめんねっ」
「ほら、ここまで言ってくれてるんだよ?」
……と、いうスフィールリアの言葉で、アイバはまたむっすり顔を戻した。
顔を逸らしたまま、
「……ありがとうございました。これでいいだろ。ひとり反省会、するから」
発想が、暗い。
「もう。なんなの。アイバの剣だって商隊の荷物と一緒に回収対象にしてくれるって、言ってくれたんでしょ?」
「明日の朝にでもなったら勝手にアパートに戻ってきてるし……」
「も~~う」
「いいから、いいから」
スフィールリアには、アイバの『いじけ』の本質が分かっていない。
アレンティアに肩を持たれては座り直すしかなく、なおかつ、どーせアイバのことだから晩ごはん食べたら機嫌も戻るんだろうと思い、気にしないことにした。
「見えてきたぞ~!」
という別の馬車からのうれしそうな声に、だれもが沸き立ち、客席の窓へ顔を寄せた。
見えてきたのは、王都の巨大な白い壁。
ここからでもかすんで見える王城の影。空を舞ういくつもの翅を冠のように戴いた、壮麗な偉容。
「ほわぁ~~。やっと着いた~~。フィリアルディたちも、戻ってきてるかな~」
ただでさえ数日振り、そして思わぬ波乱の末でようやく目にできたこの景色に、スフィールリアもしみじみとした息を漏らしていた。
その息を聞きつけたアレンティアと目が合う。
彼女はにこりと笑って席を立ち、皆に胸の団章を見せるよう、優雅に一礼をして見せた。
「ようこそ! 大陸の中心! 古と水と花の都、聖王都ディングレイズへ!」
その歓迎の言葉を、だれもがよろこんだのだった。
一章 了