■ 1章 薔薇の剣聖(2-02)
「ダメだ、右舷が崩される! 隊を左に寄せて場所を空けつつ、救援を――」
「ダメだダメだ! そっちは崖側だ……寄せたら一気に押し込まれて動きを止められるぞ! 絶対に弱みを見せるな!」
「しかし――!」
いわゆる、ピンチというやつだった。
彼女――スフィールリア・アーテルロウンは、今、そういう状況のまっただなかにいた。
馬車の荷台は激しく跳ね上がり続けている。ロープでがっちりと固定されているにもかかわらず、積み上げられた荷たちが危うげにずれ込んでは、また新しい衝撃で元の位置に戻されてゆく。
「どうなってるんですかね――と!」
スフィールリアは跳ね回る荷台の上で、衝撃の波に乗るかのごとく、ピンと背筋を伸ばして荷台の縁に乗り出した。猫さながらである。
歳は十の半ばすぎほどの、美しい顔立ちの少女だ。
背はこの世代の平均よりは少し小さい。
うっすらと金の色味を帯びた、銀髪との中間にあるような不思議な色合いの髪の毛は短く切りそろえていて、闊達な印象を与えている。
着ている服は主に青と白。ノンスリーブの肌着と、腕の出し入れを邪魔しないよう切れ込みの多めに取られたケープ型の上着、膝丈まではないスカートと、いかにも動きやすそうなそろえで、総じて印象の通りな少女なのだと分かる。今は、さらにその上から旅行用の白い外套を羽織っている。
青と白は、王都中央に所在する学びの城<ディングレイズ・アカデミー>に集った〝綴導術士〟と呼ばれる人種たちのフォーマルカラーだ。
物質に宿る情報を操作し、新たなる物質を生み出す。そうして余人には作り出せない特別な物品を作成する綴導術士。
彼女もまた、かつては伝説の賢者と呼ばれた術士の下で学んでいた綴導術士のひとりだ。
スフィールリアは、ばたばたと風に煽られる羽根つき帽子を押さえながら目を凝らした。
そこから、見えたものは――
「馬鹿、スフィールリアっ! 顔出すな!」
「あいたっ!」
もっとよく見ようとしたところで、すぐ横手から伸びてきた手に引き下ろされた。
バランスを崩しかけた彼女の肩をがっしと引き寄せたのは、アイバ・ロイヤードだった。
大柄な体躯を<国立総合戦技練兵課>の青い制服に包んでいる。
精悍なブラウンの双眸は、今は周囲と同じく緊迫に満ちている。
ついでにスフィールリアを見下ろしてくる時には、もうひとつ、怒った色も混じらせていた。
「あのなぁお前。状況、分かってるのか? 狙われたらどうすんだ!」
スフィールリアは口を尖らせながらアイバの身体から起き上がった。
「別に矢なんて飛んでこないってば。向こうはそういうの、まったく使ってないもの」
「うぐっ。……だ、だけど、使ってこないとは限らないの! だからダメなの!」
「なんだいなんだい。狙うなら司令塔の人を狙うと思うんだよなぁ……」
いじけた風にアイバの隣へ座り直すスフィールリアの言葉に、アイバはまたしてもうなったのだが……彼女の言にも一理があったので、怪訝な顔で辺りを見回すのだった。
うるさくもあり、静かでもあった。
少なくとも彼女の周りにいる人間たちは、なにも言わない。
叩きつけられる尻の痛みに文句を言うでもなく、膝を抱え込んだり、荷台の縁や荷にしがみついたりして、思い思いの表情で押し黙っている。
カチ、という音。
これはスフィールリアの隣に座るローブ姿の男が、手のひらで、スティックタイプの立体パズルをいじっている音だ。
気を落ち着かせる風に何度も動かしている。
一方で、遠く近く聞こえてくる怒声や緊迫したやり取りは、商隊の指揮系統同士の連絡網。そして、この商隊の護衛につき、今まさに戦っている戦士職たちのものだった。
〝敵〟が弓矢や爆弾の類を使う気配がないことは商隊の隊列を指揮する男たちも分かっているようで、もはや身を隠しすらせず、立ち上がり、身振り手振りで怒鳴り声を張り上げてやり取りをしている。
彼らの声の断片を集めるに、つまり状況とは、こうである。
襲撃――
進路――妨害――
乗り込みを――死守――崖側――追い込まれて――
「武装盗賊団、か……面倒くせぇ」
それも、この近辺では名を馳せたアイルヴィッシェリア商会の、大商隊定期便を堂々と襲うような、である。
王都でも五本の指に数えられる大商会が、各地の支店を結ぶ陸路を往くのがこの定期便である。警護費用も潤沢であり、王都物流にも関わるほどのところなので王室からは運行扶助費だって下りている。この便に寄り添って王都までの最後の道のりを安全に踏破しようとする商人や旅行客は少なくない。
そんな便乗者たちの雇った護衛者も合わされば、いかに不逞の輩であろうが彼らを襲いにかかる気はそうそう起こさないだろう。
が……しかし、襲撃は今目前で起きている。
大きな商隊のことは、船と呼び倣わされることがよくある。
商隊が船団なら、商隊にとっての盗賊とは、まさに海賊である。
現在このアイルヴィッシェリア大商隊は、大規模な武装盗賊団に併走され、外側の荷馬車から徐々に侵攻を受けているのだった。
商会の有する輸送団の内訳、中央の大型積載牛車十二両に、中小搬送馬車二十両超。便乗した外部車両が中小合わせて二十超。
これだけの大部隊だ。もしも威嚇や損害に怯えて走行を止めれば、もう一度走り出すのは至難の業だ。たちまちにして全体が攻め落とされてしまうだろう。
ひとまず、今はこういった護衛経験に熟練した戦士職たちの奮戦により、どうにか隊列は持ちこたえているようだった。
商隊の側も一切の被害を出さないなどという甘えを持たず、積極的に敵馬車の接舷側へと体当たりを続けていることも大きい。
さらに隊の中央からは、救難要請用の音響信号弾と発煙弾が惜しみなく打ち上げ続けられている。音響弾は遠くの物見まで音を届け、発煙弾は長く尾を曳き、自分たちの辿る道筋と居場所を示す。
王都近郊では騎士団および下位部隊の巡回も少なくはなく、彼らは小さな音響弾の音も聞き逃さぬよう訓練も受けている。
そういった地域での盗賊行為は、速さこそが命だ。
これだけの胆力を見せつけた上で持ちこたえ続ければ、盗賊の側がプレッシャーに負けて引き下がるということも充分にあり得る。さすがは、大商会の威信を預かる〝大船団〟の長といったところだろう。
予断を許さない状況には違いない。しかし、まったく引けを取っていなかった。
「面倒くさいって、なんか感想違くない? 怖くないの?」
やや呆れた風な顔を向けたスフィールリアに、アイバは肩をすくめて、膝内に抱え込んだ片刃の大剣の角度を直した。
かつて世界を未曾有の危機より救った勇者が使ったと言われる、世界樹の剣。アイバは、祖先に勇者の血を引く家系だ。
「怖くねぇ戦いなんてもんはねーよ。だけど俺の仕事はあくまでお前の護衛だ。商隊規約で要請を受けたら協力はすることになっけど、その上で元の依頼を優先する権利がある。俺はお前から離れないし、お前ひとりに集中すりゃ、どうってことねぇ連中だ。商隊が往生しても、これだけ障害物が多けりゃ、粘ってるうちに警邏が駆けつけてお縄だ。今のところはな――今時、盗賊団なんて流行らねぇっつーの」
「おぉ~」
気楽にぱちぱちと拍手など送ってくる少女に、今度はアイバが呆れた顔をした。
「そういうお前こそ、怖くねぇのかよ。大丈夫か? 無理しなくていいんだぜ」
なんてことを聞くのは意地悪かなと思いつつ、アイバにもちょっとした下心があった。
この少女にはいくつもの借りがある。護衛職などと言いつつも戦闘や旅行の実践的な知識においては一歩も二歩も遅れを取ることが多いし、指示を出してもらい、助けられる場面も多々あった。
はっきり言ってそれは『経験の差』なのであるが、やはりアイバとて腕っ節で生きる一男児。
女とは男が護るものであると思っているし、あらゆる経験においても男である自分がリードして助けてやらねばならない、なんて願望がある。借り入れ一方では、立場がないわけである。
だからこの少女を見ていると、さまざまな意味で不安にさせられる。
男顔負けの行動力を持っているし初めての場所でも物怖じしない。ちょっと目を離すと順応し、すぐにいろいろな人種と打ち解けていたりする。
が、だからこそところどころで危なっかしい場面なんかもあるから気になる。目が離せない。たまには一歩立ち止まって自分を頼ってくる姿を見てみたいなんて思うし、自分がついてなきゃダメだ――そうであってほしい――という思いも、ある。
要するにアイバという男は、スフィールリアのことが気になっているわけである。
端的には、そういう希望が込みの問いかけだったわけだ。
ここで彼女がムキにでもなってくれれば、アイバもほんの少しの罪悪感とともに、謝った上で勇気づけてやれるというものだが、
「? 別に無理してないけど。だって」
案の定スフィールリアは、奇妙なことを聞かれたとでも言う風にきょとんと首をかしげるだけだった。やはりか、とアイバの内心は無意識にため息をついていた。
しかし、
「アイバが落ち着いてるんだもん。大丈夫ってことでしょ?」
その、不意打ちの言葉に……
アイバはすべての動きを、止めた。
「――」
「なに面白い顔してんの?」
「――っば! してねぇしてねぇよ! していません!」
「してたし。鼻の穴、すんごいプクって膨らんでたし」
「くっ……!?」
アイバはガシグシと鼻の頭を拭うフリをしつつ、強制的に歪みきろうとする口を隠すのに必死になっていた。
「そ、それっていうのはつまっ、つまりだ……俺のこと…………」
「?」
ますます首をかしげるスフィールリアを、ちらりと見やり、
「……信頼、しているっていうことで、いいのか……?」
「だから、そうだけど。じゃなきゃ護衛なんてお願いしないし」
「っ……」
アイバはまたもバッと顔を逸らして口元を押さえた。後ろでスフィールリアが「なんなのっ」と、そろそろ怒った声を出してきている。
これだから彼女は『油断ならない』のである。
天然なのかなんなのか。時折、本当に不意打ちで『かわいいこと』を言ったりしたりしてくるのだ。それが男心の核心を射抜いているものだからなおのことタチが悪い。
はっきり言うと、スフィールリアは、とてもかわいい。本当にかわいい。外見の話だ。
アイバは彼女のことを異性としてではなく、ひとりの人間として認め、敬意を置いている(つもりだ)。
その彼の目から見ても問答無用でかわいい。着飾らせて立派な椅子にでも大人しく座らせておけば、どこぞの大国の姫と偽っても大半は騙しおおせるだろう。
どんな硬派な男だって、かわいい女子から、ましてや場合によっては命が危ないような状況で『あなたを信じてる』なんて態度を示されたら、たまらないに決まっている。
キャッとか怯えて抱きつかれるよりも……これは、キく。
じっちゃんも言っていた。媚びたり従順であったりする女は手軽にかわいらしいものだが、割とすぐに飽きると……真に恐れるべきは、オトコを喜ばせることに長けた女ではない。オトコを『奮い立たせ』ずにはおかない女であるのだと……
「まったく……恐ろしい……恐ろしいぜ……クフフ……フ……」
「やっぱり……怖いの?」
「いいえ、そのようなことは――ありません!!」
「わっ!?」
アイバは謎の挙手をしながら、勢いよく立ち上がった。スフィールリアがびっくりして腰を浮かした拍子に馬車が跳ねて、彼女は尻を打った。
「なんなの!」
「ハンッ。あんな連中余裕だっての。――やってやる。ちょちょいのちょいだぜ!」
「おぉ~」
と、また拍手。
のち、スフィールリアはなにかを思い出したように不機嫌顔を戻した。
「立ち上がったらダメとか言ってたのはドコのドナタ?」
「いや……」
これには言い訳をするつもりではなく、真面目に不振顔を浮かべて、アイバは見渡せるかぎりの周囲を見渡した。
「正直、マジで、矢は使ってこないと思う。連中、どこか……ヘン、だぞ。かも」
「分かるか」
と上方――御者代側の荷上から声をかけてきたのは、厳めしい顔に眼帯をかけた男だった。
この男こそ海賊の親玉というべき風体だが、れっきとした商隊のリーダーだ。さきほど中央大型牛車から飛び乗ってきたのを確認はしていた。
「<国立総合戦技練兵課>の服だな。どう思う。登るか?」
手まで差し出してくるのは、言葉の通り、彼が<国立総合戦技練兵課>の人員であるためだ。
ゆくゆくは大陸最高戦力である<聖庭十二騎士団>の一員としての活躍をも期待される人員が集う士官学校であるのが<国立総合戦技練兵課>だ。そこでの教育には、個人戦闘技能だけではなく、高度な戦術・戦略的思想の教育も含んでいる。
場合によっては、地方部隊を預かる長や、腕っ節を見込んだ商会が金を積んで雇うような護衛団指揮官よりもはるかに有能である。ということも、珍しくはない。
アイバはその場から片手を出して辞退し、視界をもう一度ぐるりと巡らしながら答えた。
「殺気つうか、気迫みたいなもんが全然、感じられねぇ。連中ひょっとして、荷物すら奪う気ねーんじゃねぇのか?」
「そう思うか」
「ああ。闘う気は満々みてーだけどよ。とにかくこの商隊を〝落とす〟つもりだけはあるみたいだが……理屈が合わないだろ。戦闘狂いじゃあるまいし」
「実際、連中は占拠した馬車を漁りもしやがらねぇのさ。とにかくコッチの護衛を叩きにきてるからタチが悪ぃ」
「非戦闘員を真っ先に中央に退避させたのは、正解だったな」
「メンツってもんがあらあな」
〝船長〟が巨木のコブのような両肩をすくめ、アイバがあごに手を当てた思案顔を上げ……ふと、ふたりは目を合わせた。
「〝人質〟……か?」
「目的は〝ここ〟か」
興奮剤を盛られてズシンドシンと猛烈な勢いで走る中央牛車に寄り添う馬車群には、スフィールリアらのほかにも、大勢の人間が不安そうな顔をして寄り固まっている。襲撃を察知した時点で商隊の中央車両に集められた非戦闘要員の商人や、添乗していた王都ゆきの旅行客たちである。
この〝非戦闘区画〟をさらに囲い、背の高い荷物や凹凸の強い荷を積んだ馬車、そして重量級の車両を〝壁役〟として配置してある。
立体として安定しない車両は、乗り込んでくる盗賊どもへの足止めに向き、重量のある車両は占拠された際に馬から切り離すことで、相手が扱いに困る。また、危機の進行度合いに応じて外側から切り離してゆくことで賊が荷に気を取られれば、相手が鈍足になり、こちらの足は速まる。命だけは助かる可能性が高まってゆくという戦術だ。
護衛職の増援や連絡員たちが駆け抜けるのに運用される平らに荷造りされた〝橋役〟馬車の位置は、常に入れ替え、中央司令塔の信号弾に紛れさせた独自の符丁によって仲間だけに知らされる。
相手の足並みは阻み、自軍側だけがスムーズに移動する。
走ることで地の利を作る。
だからこそ隊列には、これらを移動させ、なにより衝突を防止するための空間的〝遊び〟を一定以上維持しなければならないのだが……
「連中が横っ面からかけてくるプレッシャーが、ソレなわけだ」
「まぁ、司令塔を空から狙ってこないってのはそういうことだろうけど……理由は、なんだ?」
「……」
一旦〝船長〟が押し黙り、思い当たる節があるような思案顔を見せる。
「ひょっとして……いや、まさか」
アイバは走行音に混じる、カチ、という音を聞いた。
「<ヴィドゥルの魔爪>、なんじゃないでしょうか」
ふたりが顔を下ろす。スフィールリアも、自分の隣へ目をやっていた。
割り込んできたのは、彼女の隣に座っていた男である。さっきからカチカチと、パズルをいじっていた。白いローブは長く使い込み、茶色っぽく染まっている。片手に足りる小さな鞄を抱え込み、独り身の旅行者といった風体だ。
「ばかこけ。連中はテリトリーがまるで違うだろう」
〝船長〟が筋肉で盛り上がったようなゴワゴワな片眉を上げ、男がローブ下のあごを気弱そうに下げた。
「い、いや。手口が『そう』なんじゃないかって……」
「……。たしかに」
そう言って、〝船長〟。また考える風に襲撃側の遠方を眺めた。
「<ヴィドゥルの魔爪>?」
スフィールリアが首をかしげると、ローブの青年は彼女に向き直った。
「最近、王都近郊を騒がせている、奇妙な盗賊団の名前ですよ」
「奇妙?」
そうですとうなづいた男は、饒舌だった。手元のパズルを忙しなくいじりながら。まるで話すことで気を落ち着けようとでも言う風に。
「彼らは騎士団の監視をくぐるようにして大きな商隊を襲い、陸路を荒らしますが……高価な積荷を狙わないんです。奪ってゆくとしても、〝綴導術〟の関わる物品か、もしくはその素材となるものばかり。ま、まぁ、綴導術関連の品ほとんどが高価であるという点はありますけど…………それだけでは、ないんです」
綴導術士を、さらうんです。
と、男は、告げた。
「……」
「失礼かと思ったんですけど、隣でお話を聞いていたかぎりだと、お嬢さんも綴導術士――あの<ディングレイズ・アカデミー>の生徒さんですよね? なので、気をつけた方がいいかもしれない」
「そういうアンタも、綴導術士か。なんとなくだがよ」
アイバが無表情で問いかけると、男はあっさりと認めてきた。
「え、ええ、まあ。……なので、ちょっと過敏になっているという面は、あ、あります。はは……状況は、どうなんでしょう? マズそうなのですか?」
マズかったとしてもおおっぴらに認めはせんわな――などと胸中でぼやきながら見上げると、〝船長〟も特に気負った様子なく荷上から見下ろし、感想を述べてきた。さすがの胆力といったところだろう。
「今のところは競り負けちゃいねぇよ。崖側は敵さんも回り込めねぇもんだから、コッチも戦力を集中できてる。いざとなりゃ荷馬車を切り離して脱出口を確保するアテもある」
「で、ですか」
「――アタマさえ押さえられなけりゃあな。その時は当商会側が投降して、客人たちだけは解放するよう交渉する。その際、当商会は積載したいかなる資材よりもアンタ方の命を優先する。ま、お客さんの命だけは護らあ。そいつが俺のクビにもつながる。安心してくれつうのは無理だろうが、任せてくんな」
ということをわざわざ身を乗り出してまで律儀に話したのは、周りにいる客人たちにも聞かせるためだろう。商会は現在運んでいる財産を投げ打ってでも交渉に全力を尽くし、客の命を護ると聞かせたのだ。
むろんのこと大商会の動脈を預かる〝船長〟のこと、そう簡単に積荷をあきらめるわけはない。しかし万が一の際にも、この〝船長〟の活躍と商会の名は、美談となって知れ渡ることになる。
美徳は人としての信頼につながる。信頼とは、商人にとって最大にして最後の財産である――タダでは転ばないというわけだ。
(ま、結んでる保険もひとつやふたつじゃねーだろうしよ)
塞ぎ込んでいた客たちの間にあった緊迫も、いくばくか勇気づけられたように和らいだようだった。
もしかしたら、契機を見つけてこれを聞かせて回るために、馬車を移動してきていたのかもしれない。
すなわち、実際は分が悪い、という意味にほかならなかった。
アイバは聖剣を一旦スフィールリアに預け、指とつま先を積荷へ器用に引っかけると、ひと息で〝船長〟らのいる高みに手をかけた。
ついでに彼の手を借りて、登りきってから、正面の風景を見据えた。
「どうよ?」
「伏兵がいると思うぜ。この先は両側断壁になるだろう?」
「お、おいおい。たかだか盗賊団だぞ? いくらなんでも、そこまでの戦力を――」
とは荷の向こう側の御者席にいる男の言で、アイバはかぶりを振って否定した。
「<ヴィドゥルの魔爪>ってのはウチでも聞いてる。――〝爪〟なんだよ、文字通りな。母体は外国にあって、もっとデカいらしい。もし連中がそうなら、それくらいの戦力、なんてことないさ」
「し、しかし……それだと!」
「試すか。……切り離し! 第三弾!!」
〝船長〟が即断で音響弾を数回、打ち鳴らす。
迅速に――しかし露骨すぎない慎重さで馬車の配列が組み変わり、展開した戦士たちが後退してゆく。
数分後、十何度目の体当たりを敢行したかに見せかけた外縁部の荷台が、一斉に切り離されて横転した。
取り残された盗賊たちが悲鳴を上げながら振り落とされて砂塵の中に消えてゆく。接舷していた敵側装甲馬車も、一台だけが巻き込まれ、もう数台が危うげに回避して、一時の距離を取っていった。
その成果の顛末を、双眼鏡で見守って……
「少ねぇな。やっぱりか、クソッ」
舌を打ったのは、捨てた荷の値段も込みだろう。
アイバもうなづき、ドスンと派手な音を立ててスフィールリアの元へと飛び降りた。
同職のよしみということなのか、スフィールリアとローブの青年が話を弾ませ始めているのが、なんとなく気に入らなかったのだ。
エホンエホンと咳払いで促して聖剣を受け取り、視線は、再び独りに戻った男がカチカチと鳴らす手元のパズルに注ぎながら。
「連中の狙いは『待ち伏せ』だ。コッチの突っ込みをいつでも避けるようにしてプレッシャーだけかけてる」
「ってこた、やはり敵は<ヴィドゥルの魔爪>か……お」
変化を認めた〝船長〟が双眼鏡を持ち上げ、一同もそちらを見る。
敵側装甲車の屋根から、長い棒が伸びてくる。
バッと一振りした次には、遠目から見ても重厚な造りだと分かる〝旗〟が広がっていた。
おあつらえ向きなタイミングで上がったそれは、真っ黒い布地に銀色の鉤爪模様が光る、なんとも大仰なデザインだった。
「決まり、だな」
アイバが右手の指をゴリと鳴らして、聖剣の柄を握った。
「オッサン、投降はナシだ。<ヴィドゥルの魔爪>は盗賊っつーより反体制組織だ。今までの『荒らし』と違って、人質を狙ってくるってことは、それなりの使い方をするつもりなんだろ。民間人は打ってつけだ。見すごせねぇ」
「テロリスト? 王様にケンカ売ってるってことなの?」
まぁなと笑いながら、アイバは、スフィールリアに振り返った。
「連中の要求、なんだと思う? 笑う準備いいか?」
「?」
ひたすら『?』を浮かべて彼女が待つと……彼は、こんなことを言ったのだった。
「ディングレイズ王家は即座に王城を退去して、我らにその城を明け渡せ……なんだとよ」
「へ?」
ぽかんとした表情も案の定と、アイバはやれやれと片手を投げ出し、〝船長〟も迷惑この上なさそうに頭をかいている。
「え~と。その人たちって、お城に住みたいの? 王様になりたいとか?」
「分かるかよ。へへっ。アホくせぇだろ?」
「そんなんで王様になれるもんならなぁ」
ふたりが笑い、解説はこれまでと互いに向き直った。
「じゃあどうするべきだ。迂回するか。今なら指示も間に合うが」
「いや――」
「あ、あのっ」
とそこへ再び割り込んだローブの青年に……アイバは無表情を向けた。
「なんだ」
男は彼が含む険に敏感に怯えを示しながらも、おずおずと挙手をして〝船長〟を見上げた。
「ま、万が一の場合は……ぼくと彼女が投降するという手も、あると、思います」
「……はぁ?」
「ビ、<ヴィドゥルの魔爪>とは、聞く話によると、さらった綴導術士を働かせているらしいんです。ご存知かもしれませんが……」
「へー、そうなんですか?」
「え、ええ」
「まぁそら聞いてるがよ。バクダンでも作らせてるのか知らんがなぁ」
「――はい。なにを作らせているのかはもちろん知りません。しかし、連中は陸路を荒らした上で王室へ脅しをかけはするものの、実際には綴導術と綴導術士に関わるもの以外には興味を示さず、また連れ去った術士も、抵抗をせずに大人しく指示の通りの作業をこなせば、やがて無傷で開放するという話です。つまり」
「……あたしとお兄さんが名乗って出向すれば、みんな無事で済むかもしれないってことですか?」
綴導術士の青年。スフィールリアの理解と反応があまりに滑らかであったことに両目を見開くが、
「はい。そ、そうです」
やがて意を決した風にひとつ、うなづき返した。
「ぼ、ぼくも、怖いですけどね」
「ふ、ふむ?」
「それに、ぼくとあなたは不明な期間、彼らに拘束されることになるでしょうが……」
「おい待て。勝手に話を進めるな」
アイバが怜悧に目を細め、男とスフィールリアの間へ割って入った。
「でもさ、アイバ」
くいくいと袖を引いてくるスフィールリアの意図は見えすぎている。
彼は呆れたため息をついて表情から険を抜き、青年から目を離さないまま、言った。
「……どっちにしろだ。向こうも、ここに綴導術士がふたりだけかどうか、コッチを止めてから調べるわな」
「え……。…………あ」
「足を止めるまでの対応は変わらんつうこった。時間稼ぎは必要だ。――そして投降もナシだ」
「そうですか……」
ぴしゃりと打ち切ると、青年はしょげた風に膝を抱えて、またパズルをいじりはじめた。
スフィールリアがもう一度袖を引いて「ちょっと、カンジ悪いよアイバ」と小声を送ってくるが、アイバはかまわず、今度こそ〝船長〟へ話の続きを投げた。
「オッサン。そんでもって、迂回もナシだ。時間を稼ぎながら、挟まれるまで直進するのがベストだ」
「ほう。その心は?」
「時間と場所だ。王都を出る前、ちょうど更新された騎士団の巡回ルートを見てきたんだった……この日、正午すぎ、この先の道向こう三キロの場所を<聖庭十二騎士団>が通るはずだ。会敵から何分稼いだ?」
「一時間、てとこだな。ってこたぁ」
「救難信号の有効範囲だ。早ければ、すでに偵察がこっちに向かってるころだ。……このまま焦れてるフリをしながら走って、渓谷に入るころになったら〝盾役〟の馬車を前後に配置して鈍行。ほどほどに抵抗しながら投降ムード醸して、時間を稼いで、そんでお縄だ。今度は向こうが挟み撃ちになる。下手に迂回して巡回ルートから外れるよりは成算は高いぜ。賭けてもいい」
頼もしく笑ってアイバは〝船長〟に一枚の硬貨を弾き寄越した。
〝船長〟は器用に受け取ったそれを眺め、
「面白いモン持ってるじゃねぇか」
厳めしい面構えをぐしゃりと歪めて、笑った。
「値打ちモノだろ? お守りなんだ」
「ようし乗ったぜボウズ。――野郎ども聞いたな! 防御陣形を突型に変更! 右舷をブチ当てて最後の抵抗に見せかけるッ! こっちゃあ二十年間この道で筋通してきてんだ、出っ張りの賊どもに陸の船乗りの心意気、教えたれあ!!」
周辺の馬車群から粋のよい気勢が呼応して、作戦を告げる信号弾が次々と上がる。
同時に、最外縁部の防衛戦線から届いてくる剣戟音も勢いづいたようだ。ごり、と首をひと回りさせてアイバは〝船長〟に告げた。
「俺もいくわ。できればこの馬車、見ててやってほしい」
「こっちの方も、できればアンタには残っていてもらいたいんだがな」
「いや。ここらで向こうの乗り込み部隊を一気に押し戻しておきたい。必要だろ?」
「……よし。分かった、頼むぜ若ぇの」
アイバは聖剣を肩に担ぎ、スフィールリアに向き直った。
「つうわけで、悪いんだがよ。ちょっと方針変更だ。悪者退治してくるわ」
スフィールリアは柔らかく微笑んで彼の言葉にうなづいた。
次に、腕まくりのポーズなんかして、こんなことを言った。
「おっけぃ! サポートはばっちし任せておいてよねっ!」
「おいぃっ!?」
アイバは空いている方の手を叩きつけるみたいにして、わななかせた。
「それじゃ俺がいく意味ないだろ!? ――お前はここで待機なの! 頼むから大人しくしててくれよ!」
「えぇ~~!?」
まるで、あげると約束したおやつの中止を告げられた子供のような声を出して、スフィールリアは目を見開いていった。
「なんでそんなすっげぇ理不尽言われたみたいな顔できるんだ……この状況で……」
「だってもうずっと座ってるの疲れたもうお尻痛~いカラダ動かした~い~新作のしびれ薬まだ使ってな~~い~~!!」
「だあああ~~、もー、うるさいうるさいうるさーいー!」
一気にやかましくなり始めた彼女をさらなる大声で黙らせて、
「子供みたいなこと言うんじゃないの!」
アイバは、びしぃっっと指を突きつけた。
指の勢いに圧される風にして、ひとまずスフィールリアは肩ごと引き下がったが。
色味の薄いきれいな唇をむっすりと尖らせて、目は合わさずに、ぼやいてきた。
「大人ってわけでもないもん……」
ああ言えばこう言うのである。
アイバはがっくしと肩を落とした。担いだ聖剣も降ろしてしまい、実に決まりが悪い。
「ほんっとにもーお前ってなんでそうなんだ……学者だろーが、綴導術士ってのは…………」
しかしスフィールリアは彼の顔を見上げると、今度は道理の通ったことを言ってきた。
「でも、相手は綴導術士を誘拐して、なにかを作らせてるんでしょう? それって武器ってことじゃない。……知識のある人間がいないと対応できないよ。下手したら全滅しちゃう」
「……」
まったくその通りだと認めるしかなかったので、彼は一旦閉口して、真面目な顔つきを彼女へと向けた。
綴導術士とは余人には作り出せない特殊なマテリアルを生成したり、それを素材とした道具を生み出す、特別な職人集団だ。
しかし、その真髄はもっと深いところにある。
綴導術という学問は、世界に関わる、とあるひとつの真理を提示している。
――この物質世界のすべては、〝情報〟でできているのである。
――と。
物質で構成された世界。物質を構成する原子。原子を構成する素粒子のひとつひとつ。
世界を巡るエネルギー。世界を満たす空間。そして、記憶。
生まれ、育ち、老いて死んでゆくあらゆる生命。あらゆる概念。あらゆる法則。あらゆる事象――
世界を構成する〝全存在〟には、それらすべてを根源から記述する〝情報〟というものがあり、〝情報〟があって初めて物質世界は存在できるのであると。
それが記述されている広大無辺の情報世界を、彼ら綴導術士は<アーキ・スフィア>という名で呼び交わす。
〝宇宙〟とは、<アーキ・スフィア>に記述される〝情報〟と完全に等価な、投影再生像にすぎないのである。
綴導術士という人種は、この〝情報世界〟を知覚し、存在の根源の〝情報〟に直接触れて干渉する能力を保持した者たちのことだ。
ゆえに、情報の操作・組み換えが行なえる綴導術士たちが作る品々には、特別な効能や事象を呼び起こす機能が与えられる。
世界の根源を視るものたち。
世界の真理を探求せしもの。
それが、綴導術士である。
だからこそ世界中の大国は彼ら綴導術士という人種を厳重に管理するし、また、莫大な費用もいとわず専門の教育機関を運営し、手厚く遇して正しい理念を持った若手の術士の育成にも力を注ぐ。
この聖ディングレイズ王国が王城に寄り添わせるようにして<王立ディングレイズ・アカデミー>を置いているのも、そのためだ。
もしも悪用されれば――軍隊すら一掃する兵器や、一国そのものを解除できない毒で満たす災害などというものが作り出されても、なんら不思議はない。
発動を察知できなければ、アイバたちは盗賊を相手にしているつもりで全滅するまで気づかずに仲間を斬りつけ続ける……そんな恐ろしい事態だってあり得るのだ。
「あたしも、連れていって」
「……」
スフィールリアの瞳にあるひたむきさは、そのことをこの場のだれよりも理解し、訴えかけてきていた。
「あたしも、さっき少し戦場を見たから分かるよ。あの場所の人たちは、今、綴導術的な攻性武器の一般有効範囲を意識した戦い方をしていない。――状況的にできないのかもしれないけど。それならあたしが、発動の兆候ぐらいは教えてあげられるよ。瞬きも終わる前に馬車ごと消されちゃうような攻撃受けるより、飛び降りた方がマシでしょう?」
(ったく)
これだから彼女は侮れないのだ。
明け透けで奔放で、ちょっと目を離せば好奇心のかたまりであるみたいにすぐなにかしらの行動を始めている。
だが、彼女は状況をよく見ている。
スフィールリアという少女に知り合った人間は、こうしてふとした拍子に彼女が見せる洞察と考察の鋭さ、思慮の深さに驚き、表層の印象とのギャップにも驚くことになるのだ。
そしてほどなく、彼女に関する評価を更新する。
知識の幅は広く、応用力も高い――頭がいいのだ。
なにより空気に敏感だ。
〝船長〟の態度が示した状況、アイバが言外に〝船長〟に伝えたこと……これらを肌で感じ取ったのだろう。
下手に理屈を練るより本音を伝えるのが一番だと思った。
「だから、お前にはここにいてほしいんだよ。これから俺が引っかき回すから。そんまっただ中なんかにいたら、お前が逃げられねぇだろ」
「でも」
言い募る彼女は、とたんに心細そうな表情を見せてくるのだった。
「大丈夫……なの?」
(こっちの心配はしてくれるんだからな)
こんな顔で見上げられたら、たとえ無理でも強がるしかないだろう。
ぽん、とアイバは、スフィールリアの帽子へ手を置いた。
「当ったり前だ。ちょちょいのちょいだつったろ。お前の護衛は俺なんだから、お前は俺に護られてるのが仕事なの。頼むぜ?」
「うん……」
うなづきつつもまださびしそうな彼女に、アイバはふと思いついて彼女のポーチを指差した。
「そうだ。持ってきたつう『しびれ薬』、半分わけてくれよ。試してないんだろ?」
「……? いいよ全部持っていって。ここにいたんじゃどうせ使い道ないし」
唐突な提案に怪訝顔をしながら、彼女はフェルトの小袋を渡してきた。
「いや、半分でいいって。効果を見たあとのサンプルも残ってた方がいいんだろ?」
アイバはそれを受け取ると、自分の小銭袋(中身はない)へと粉薬の半分を慎重に移して、その小銭袋の方を、首紐を通して彼女の胸元に提げてやった。フェルト袋の方は自分のズボンのポケットに。
「まぁ、成分表は残してあるから別にいいんだけど……」
袋を引っ張って口を閉めようとする彼女の手を、アイバは止めた。
「……」
再び、見上げてくると、
「分かった。ありがと」
小さくうなづいたので、アイバもニッと笑って身体を離した。
今度こそ聖剣を担ぎ、荷台の縁へ足をかける。
「オッチャン! 今からそこに増援十人分ぐれー突っ込むからって、教えといてやってくれ!」
「任せな。頼んだぜ!」
「お前も。いざって時は後方援護、頼むぜ!」
「うん、任せてっ!」
「そんじゃあちょっくら大立ち回り、いってきますか――とッ!!」
縁を蹴る。一度、荷馬車が派手に傾いて、乗客たちの悲鳴を背後に。
アイバはどの積荷よりも高く飛び上がったその場所から、盗賊どもの数が一番多い場所に、狙いを定めたのだった。