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■ エピローグ (1-33)

 スフィールリアは、夢を見ていた。子供のころの友だちと、王都で再会する夢だ。

 残してきた小さな諍いと、すれ違いを笑い合って……そして新しい友達を紹介しようと思い立ち、そこに『彼女たち』の声が聞こえてきて――

 彼女は目を覚ました。


「気分はどうだね」

「……」


 清潔そうな天井と、横合いには、タウセン教師の顔。

 スフィールリアは医務室のベッドから身を起こして、自分の身体を見下ろした。

 傷ひとつ残っていなかった。


 ベッド横に腰かけていたタウセンが、懐から取り出した親指ほどの小瓶を揺すって見せる。


「特別製だ」


 スフィールリアの頭はまだ上手く回転を始めていない。それがどれほど途方もない価値を秘めた薬であるのかに思い至って礼の言葉を思い出そうとしているうちに、タウセンは小瓶をしまい、別の小さな包みを取り出している。

 そして、


「気分は」

「へっ? あ……は、はい。もうバリバリ、かも……」

「バリバリか。参考にする」

「あの」


 口を開きかけたところで、タウセンが手を出して止めてくる。


「問題がないようなら、まずは君も知りたがっているだろう経過を伝えておく。今は春の最終日の夕ごろだ。君が〝霧の杜〟に向かってから、十と二日目の夕だな」


 学院がエルマノ国の使者に情報を開示する期日の、前日の夕方だった。


「……」

「君たちが<ルナリオルヴァレイ>に遭難したのち、変質したゲートから、君も見たであろう無数の〝霧の魔獣〟が出現した。学院は聖騎士団の助力を得てこれを殲滅、本件について、すべてをなかったものとすることにした」


 うつむくスフィールリアにかまわず、タウセンは淡々と続けてゆく。


「ゲートの抹消は完了し、〝霧の魔獣〟どもについても完全な殲滅を完了している。ただし今回の件の影響か、〝霧の杜〟の深度がさらに増大する可能性が出てきたので、<ロゥグバルド監視公園>の警戒度はさらに増すことにはなったがね」

「あの。…………フィリアルディたち、は」

「彼女らにも協力はしてもらった。先に述べたように、学院は今回のことをすべてなかったことにしたい。ゆえに口外しないことと交換に、〝霧の杜〟の変異と騎士団動員に関しては全員、お咎めもなしだ。今はそれぞれ休んでいるだろう。気になるなら顔でも見にいってみればいい」

「……」


 再びうつむいたスフィールリアを、タウセン教師はしばらく、眺めた。


「これを渡しておくぞ」


 彼が手にしていた包みを受け取り、中身を覗いたスフィールリアは、今度は少し驚いて顔を上げた。

 そこに入っていたのは、一輪の白い花――ナイトメアだ。


「このたびの君の探索の成果物だ。君が手にすることに問題はない。しかし身にすぎた財は災いも呼ぶ。獲得物の残りについては、学院が預かることにした。了承してくれ」

「……?」


 後半の言葉に彼女は分からないといった顔を向けたが、タウセンは、


「覚えていないか」


 と、返してくるだけだった。

 さてと言って、席から腰を上げる。


「本件については以上だ。体調に問題がないようなら、わたしももう、いくよ。明日のエルマノ国王来訪に向けた準備もしなければならないからな」


 タウセンは、くぐりかけの出入り口から彼女を振り返った。

 そして小さくひと息笑むと、静かに引き戸を閉めて、去っていった。


「……」


 正面を向き、スフィールリアは、強い眼差しを戻していた。

 そう。まだすべては終わっていないのだ。

『ウィズダム・オブ・スロウン』――この事件すべての発端にして、終端となるアイテムの作成は、まだ、終わっていないのだから。



 室内の薄闇がだいぶ色濃くなっていることに気がつき、フォマウセン学院長は顔を上げた。

 じきに日が沈む。翌日に控えたエルマノ国王との会談の件を思い出し、彼女はきょろきょろと見回して、タウセン教師の姿を探した。

 そして連絡板を見ようと思って、執務室横の休憩室の扉を開ける。そこにかけられたホワイトボードには、最後に会った時の報告通り、スフィールリアの経過観察に出向いているという簡素なスケジュール記述が残されていた。


「……」


 もうひとつ、クリップで留められていた小さなメモの切れ端を手に取る。


『明日まで有給休暇をいただきます。エルマノ国王来訪についてのスケジュール調整については書類にまとめてあるのでよろしくどうぞ』


 しばしあっけに取られてから、フォマウセンはひとつ、小さく笑った。



「ずいぶん長旅だったな。なんか客がいろいろきてたぞ」

「はー、ただいまフォルシイラ。なんか、なにもかも懐かしいよ」


 玄関口で出迎えてくれたフォルシイラの頭を抱いてひとなでしてから、早速工房に入り……

 スフィールリアは、驚いた。


「あ、お帰り、スフィールリア」

「ずいぶんとお寝坊さんですのね。待ちくたびれましたわよ」

「ふぃ、フィリアルディ、アリーゼルっ? なな、なんでっ? フォルシイラっ」


 うしろについてきたフォルシイラが、びっくりしたように耳を立てた。


「え? だって直すんだろ、あの旗?」

「うん。だから、ひと足先に準備しようと思って、通してもらっちゃったの。ダメだった? あ、お茶飲む? って言ってもスフィールリアのだけど」

「え、あ、いやダメっていうかその。あ、お茶は好きにしてくれていいけど、うん」

「あなたに似合わず、ずいぶんとよい品を扱ってらっしゃるじゃないですか。あ、わたくしはおかわりをいただきますわ」

「じゃあ、四人分ね」


 などと言って、ポットを置いたかまどに向かったり、カップを傾けながら書籍の情報を書き写しなんかをし始める。


「いや、その……」


 置き去りにされたスフィールリアが手を伸ばしかけたところで、さらに、工房の窓が勢いよく開かれた。


「見回り異常なぁーし!」

「アイバまでっ!?」


 駆け寄った窓辺で、青い制服のアイバが「よっ」と片手を上げてきた。もう片方の肩には、世界樹の聖剣を担いでいる。


「身体は……大丈夫なの?」

「おうっ。この通りマッスルビンビンよ! すげぇなー、あのセンセーさんの薬。一滴でなんもかんもウソみたいに直っちまった。というわけだから警護はバッチシ任せとけよな!」

「いや、でも警護って大げさな。ここまで森の獣はこないし……まさかこんなところまで邪魔はこないって!」


 しかしアイバは。


「俺は、もう油断しねーって決めたんだ」

「……」


 背後からもアリーゼルたちが声をかけてくる。


「ですわ。おしゃべりしている時間はありませんのよ。問題ないなら準備を手伝ってくださらないですかしら」

「いや、だからねアリーゼルってば」

「お茶淹れたらわたしも始めるね。アイバ君もお茶どうですか?」

「おうっ。外でいただいとくわ」

「だから――ちょっと――待ってってば!」


 大きく上げた声に、一同が静まり返る。

 思っていた以上の効果にスフィールリアは顔を赤くして、うつむき……まだ整理できていない言葉を口に出しかけた。


「だって……あたしは」

『……』


 一時、アリーゼルが写植の手を止め、フィリアルディが視線を下向けた。


「……アー、なんか、よく分かんねーけどよ」


 アイバが、浮かべていた真剣な顔つきを気まずそうなものに変え、頭をかいた。


「国宝だとか問題だとか、どうでもいーけどよ。とにかくお前にゃ、んなシケた面は似合ってねーんだわ。だから俺は、めんどーなことはちゃっちゃと片付けてさ、早いとこお前とドラゴン亭でもいって、メシでも食いたいわけよ」

「……お腹空いてるの? ならなんか作るけど」


 そうじゃなくて。とアイバは笑う。


「だから、早いとこ片づけちまってくれよな」

「そうそう。そうですわ。小さなことをぐだぐだ言う前に、するべきことがあるんじゃなくって?」


 いつの間にか真後ろに寄っていたアリーゼルに肩を回れ右されて、ぐいぐい押されてゆく。


「え。ちょちょ……」

「さぁさ、早く取りかかりますわよ」

「機材の準備、できてます!」

「で、でも」

「――それとも、あきらめてしまいますのかしら?」

「――」


 ひょこっと覗かせたアリーゼルの挑発的な顔を、三秒、見つめて……


「うん……やろう!」


 スフィールリアは決然とうなづき、自分で歩き始めた。


「やれやれ………………ちょっと待て! なんか作るって、お前が作って俺が食うってことなのかっ? お前の家で!? そそれって、手料――」

「うるっさいですわねぇ。混ぜっ返さないでくださいます? まずは集めた素材の確認ですけど――あ、フィリアルディさん窓閉めてくださいます?」

「しかし……!」

「ごめんね、アイバ君」


 ぱたん。

 ドンドンドン! ドンドンドン……!

 さらにフィリアルディがカーテンを閉めることで、作業が開始された。

 その日、スフィールリアは、もっとも長くて慌しい夜を迎えることになった。



 修復は、難航していた。

 晶結瞳(しょうけつとう)から取り出したパーツを見て、三人が表情に暗い影を落とす。


「……また失敗」

「さすがに、Aランクパーツ同士の二重練成は難易度が高いですわね。アイテム固有の最終整合値から逆算しても、どうにもつじつまが合いませんのね」

「予備ももう、少ないね……」


 コン、コン――

 ため息が重なると同時に聞こえてきた音に三人は顔を見合わせた。

 アイバの応対する声が聞こえたのでスフィールリアが安心して玄関を開けると、そこには、


「タウセン先生、イガラッセ先生っ?」

「うむ」

「や、やあ。やってるね。えへ」


 驚いた声を上げるも、タウセン教師とイガラッセ教師。


「そ、それじゃ早速、始めようか。うん」

「作業スペースは当然用意してあるんだろうな?」


 それぞれ当たり前のようにうなづいて、玄関に入ってこようとするではないか。

 スフィールリアは慌ててふたりの前に割り込んだ。


「なんだ? 別に君のプライバシーに立ち入ろうというわけじゃない。工房で君たちと作業をするだけだが」

「だ、ダメです。だってそんなことしたら、ふたりまで」


 スフィールリアはかぶりを振る。彼らの意図は、提げた袋から覗いた素材や器具の姿で、分かりすぎるほどだった。

 しかしタウセンはまったく意図しない方向で苛立った様子を見せ、彼女を見下ろしてきた。


「なにを言ってる。わたしが関わって失敗する仕事なぞあるわけがないだろう」

「……。学院長に言われたから、きたんですか……?」


 スフィールリアは、顔を落としがちに、気まずく教師を見上げる。

 タウセンはしばらく考えるように彼女を見つめ続け、そして、ため息をついた。


「たしかに、学院は本件をなかったことにすると決めた。学院の意図とわたしの行動は合致している。……しかしこれはわたしの独断だ。彼女はそこまでの指示をしてきていない」

「じゃあ、どうして」


 怒ったように顔を突き上げたスフィールリアに、突然、タウセンが笑いかけた。


「見切りをつけるのはまだ早い。そう思っただけだ」


 それは、心底苦々しく、晴れやかな顔だった。


「とは言え時間が足りなさすぎるのも事実だ。さ、早く入れてくれたまえよ」


 予期せず鼓動を跳ね上げられて下がってしまっていた隙間を縫い、タウセンが工房へと向かってゆく。


「まだ早い、か。うん……うん。そうだよね。まだ、あきらめなくてもいいんだよね。あ、そういうわけだから。残りの水晶水(すいしょうすい)の依頼分もぜひ、た、頼むね? えへ」


 続き、彼の言葉をなぜかまぶしそうに聴き眺めていたイガラッセも玄関口をくぐってゆく。


「……」


 しばらく、ポカーンと、からっぽの玄関を見守り。

 スフィールリアはその場で強くお辞儀をして、そして自分も工房へと戻っていった。




 工房に戻ると、さっそく今しがたの失敗作を囲んでいた輪から、タウセンに手招きされた。


「これは、おそらく最低でも六重練成だ。これとこれと……これらのパーツを合わせた上で、各部を個別起動しながら固着しなければダメだ。作業場を見てだいたいの役割分担は分かった。一度一緒にやってみせるので、覚えたまえ」

「は、はいっ」


 結局、その後も三回ていど教えを請うて、スフィールリアは複合練成を習得した。

 それからは、黙々と作業が続く。

 フィリアルディが布地に向かい、タウセンとアリーゼルがパーツの細かい最終成形を仕上げてゆく。

 繊細なノミの先端が、火花にも似た青や緑の煌めきを弾けさせ、彼らの手渡したパーツの回路に、イガラッセが情報を記述していっている。

 晶結瞳(しょうけつとう)の前に立つスフィールリアは、これらの作業循環の最後の位置にいる。

 自然と手持ちぶさたになりがちで、居心地も悪かった。


「たしかに君のタペストリー構成能力はずば抜けている。だが、自分で手がけた素材を仕上げるのと、他人から丸投げされるのとでは、やはりクセの把握という点でも異なってくる。なにより自分自身でスキルを保有しておけば、こうして他人を頼れない場面で助けられる」


 タウセン教師が、作業台から顔を上げずに、つぶやいてくる。


「暇になることもないしな。彫金に限らず、基礎的な物理スキルも磨いた方がいい」

「……はい」

「そういえば、これだけの素材を集めるのも一筋縄ではなかっただろう。どうやって資金を捻出したかについては、心当たりがある。これが終わったら、借金の申請も通るようになっているだろう。……大事なものだ。しっかり取り戻しておくように」

「はい」


 そして、また静かになる。

 ささやかな金属音。そして互いの連絡事項をつぶやき合う小さな声だけが、工房に満ちていた。

 コンコンっ、コンっ――

 軽快な調子でノック音が響いたのは、その時だった。




「やあやあ、元気になったみたいだねっ! 若人よ!」

「え。あの……!?」


 そこにいた女性二名が教師だと分かったのは、それぞれの私服に教師章となるピンバッジが留められていたためだ。

 ひとりはやたらと明るい印象で、ボリューム感のある金髪を、うしろに束ねている。動きやすそうなシャツとベストなど、実にそれらしいと思わせる女性だ。

 もうひとりは一転して気立てがよさそうな……なんというか、フィリアルディを数段階ほど大人に仕立て上げたような女性だった。

 こちらはなぜか、メガネの奥から少々険悪な視線を送ってきていた。童顔なせいでむっすりしているようにしか見えないが、間違いなく怒っている。

 しかし、どちらも知らない人物である。

 スフィールリアはたじろいだ声を出した。

 明るい方の女性が、にんまりと自分のあごに指を向けながら顔を突き出してくる。


「覚えてないか。わたし、キャロリッシェ・ウィスタフって言うの。ここのセンセー。君たちの救出部隊で切り込み隊長やってたのよ? まぁ控えめに言って、命の恩人ってヤツ?」

「えっ……と、その。あ、ありがとうございます!」


 思いっきり背中を仰け反らせていたので、かろうじてあごだけカクンと下げると、キャロリッシェ教師。さらにニンマリ笑みを深めて、うなづいた。


「うん。やっぱりいい子だわ」

「ちょっと。勝手に独自の判定下さないでくれる?」


 キャロリッシェの肩を引き、メガネの方の女性が入れ替わってくる。


「あなたね? ウチの教室のフィリアルディを巻き込んだ原因の張本人っていうのは。あなたのおかげで今回、わたしがどれだけあっちこっち駆けずり回ることになったのかっていうのをね――」

「え。あ、あの、ひょっとしてフィリアルディのお姉さん的な――!?」

「ちょいと落ち着きなよリノぉ。ちゃんと説明したじゃーん。その子は逆逆」

「でもこの子が最初に暴れたり挑発したりしなければこんなことにはなっていなかったんでしょうっ。こういうことにはだいたい本人の根本的なところに原因があってね? あ、というわけだから、ちょっと触るわね?」

「へっ?」


 有無を言う間もなく、教師の手が彼女の細い髪を、さらりとなで上げていって……


「あ――あらっ?」


 それまで大変ぷりぷりしていた女教師の眉が、申し訳なさそうに下がっていった。


「な、なんだ――いい子なんじゃない。やだわたしってば、早とちりしちゃって。ごめんなさいね」

「出ました。リノ・エスタマイヤーせんせー秘伝、変態的髪の毛占い!」

「占いじゃありません。鑑定力です! さりげなく変態って言ったっ?」

「うぅ、いえ、あの――?」


 まったく流れについてゆけずにオロオロしていると、背後の玄関口からタウセン教師の声がかかった。


「相変わらずふたりそろうと騒々しいな、君たちは」

「おっ、タウセンちゃん! ちっすちょっす!」

「お久しぶりです」


 二者が二様のあいさつを交わす。スフィールリアは助け舟きたりと彼の横まで下がった。


「女の子の家でなにしてんの! そんなに寄り添っちゃって。スクープなの?」

「君たちはなにをしにきたのかね。大方検討はつくが、それが答えだ。時間がないのでさっさと手伝いたまえ」

「おっし、やるか! んじゃオジャマするね~ん」

「へぇっ? ちょちょ、ええっ?」


 きびすを返すタウセン。続いてドタドタ駆け込んでゆくキャロリッシェ。

 の勢いに、ひたすら置き去りにされて呆然としていると、さらに続いて上がってきたリノ教師が、


「非礼は、お仕事でお返ししますからね」


 と、たおやかに微笑みを残して工房へと入ってゆく。フィリアルディと同じで、ほのかに甘い香りがした。


 彼女たちが入っていって、驚きの声と、調子のいい声とで、工房が一気に騒がしくなる。


「……」


 スフィールリアは、しばらくあっけに取られて立ち尽くしていた。


「……っ!」


 だが、ぴしゃりとほほを叩いて気を入れて、工房の扉を開け放った。




「やー。よく一年生だけでこんだけ素材集めたもんねー。びっくらギョーテンよねぇ。あ、君がそろえたの? おいしそうなお茶飲んでるね、わたしにもちょうだい? ――よっイガラッセちゃんも。なに~、そんなにこの子の水晶水欲しいわけ~? なにに使ってんのよ。当ててみていい?」

「あ、はいっ? え、ええまあ。お茶? 暖め直さないといけませんので少々お待ちいただけますでしょうかっ?」

「ちょっ……か、カンベンしてよ、キャロちゃん……もう。え、えへへ」

「うるさい、うるさいぞウィスタフ君。彼女にかまわなくていいから。茶など自分で淹れろ――」


 工房のドアを開けると、室内は一気に手狭な印象になっていた。だいたいはキャロリッシェ教師が工房あちこちへと出かけていっているせいだが……

 その工房の片隅では、リノ教師が、立ち上がりかけのフィリアルディを抱きしめているところだった。


「せ、先生っ。すみません、すみません、わたしのせいで、こんな……。修復も、こんなつたないことくらいしかできなくて……!」

「いいのよ。わたしこそ、ごめんなさいね。あなただけでも助けてあげたくて色んな人のところにお願いに出向いてたけど、そばにいてあげるべきだったね」


 つつ、と足音を感じさせない動きで隣に寄ってきたキャロリッシェ教師が、スフィールリアに耳打ちしてきた。


「なんかね、他人のよーな気がしないんだって。だからあの子、リノの一番のお気に入りなの」

「な、なるほど。姉妹じゃなかったんすね」


 まぁもはやほとんどそのものかと思い直した。

 姉妹。両親。家族。そして、賑やかな風景。なんだか、いいなとスフィールリアは思った。


「まぁ実際、師弟ってのは家族に近いところがあるけどね。君も教室に入ってみたら、分かるかもね?」


 意味ありげなウィンクを寄越して教師が離れてゆく。


「……?」


 スフィールリアが疑問符を浮かべていると、ちょうど、リノ教師の方も半泣きのフィリアルディから身体を離しているところだった。


「ともかく。わたしがきたからには、もう、破けた状態の布なんて存在させませんっ」

「おっ。久々にコンボ発動っ? 眠ってないのに、大丈夫か~?」

「かわいい生徒のためですもの! そういうことで、それなりに場所をいただいてもよろしいですか、タウセン先生?」

「ああ。現状では旗地の修復が最大で、最優先の課題だ。すまないが、頼むよ」

「さぁどけたどけたー」


 タウセンが立ち上がり、総出で作業机やそのた諸々を端へ寄せてゆく。

 リノ教師専用スペースとして、工房面積の四分の一ほどが提供された。


「面白いもの、見られるからね」


 そう囁かれつつ、すでにスフィールリアは、丸椅子に座った教師の周囲に広大なタペストリー領域が開いているのを見ていた。

 タペストリー領域の縁に沿い、無数の小さな使い魔が浮揚して待機していた。その中央でリノ教師は、奏者のようにゆらりと両手を上げている。

 深呼吸ののち、メガネを外したリノの瞳が、蒼く輝いた。


「――いきます」


 その瞬間、彼女の膝上にあった『ウィズダム・オブ・スロウン』の破けた旗地が、ぶわっと光の糸束になって分解されていった。

 ただし光の糸はただ分解されたのではなく、ある一定の法則にしたがってタペストリー領域の球面に捉えられている。その糸の端を使い魔たちが捕まえて、また新しい模様を球面上に描いてゆく。

 編んでいるのだ。

 一から。『ウィズダム・オブ・スロウン』の旗地を。


「……」


 まばたきひとつない。

 数十から数百はある使い魔たちの動きは、すべてリノ教師の微細な指の動きに連動していた。

 一年生三人組は、完全に目を奪われていた。


「すごい……こんなことが」

「とんでもない裏技に見えるかもしれないが、実はそうでもない。自身のタペストリー領域を用いて半晶結瞳化した空間上で『一本一本』『個別に』祖回術そかいじゅつを行ない、情報世界上で編み直しているにすぎない。……数千数万の糸を、同時にな。必要な集中力は言うまでもないので、くれぐれも騒いだりしないようにな」


 うなづいて、三人はそれぞれの持ち場に戻った。

 ――とそんな折、外から「ダメだダメだ!」というアイバの大声が届いて、さっそくタウセンは顔をしかめた。

「言ってるそばから。来客なら対応、それと、彼にも言ってきてくれ」

 うなづき、スフィールリアは玄関に向かった。




「それがケジメってもんだ――」

「しかし――」


 なんだかとことん来客が多い日だなぁなんて思いながら玄関を開けると、そこには、エイメールとフィオロの姿があった。

 むっすりしたアイバがあごでしゃくる先を見ると、エイメールは、いくつかの素材品の入った紙袋を抱きかかえていた。

 彼女の視線に気がついて、エイメールはなにかを言いたげに顔を上げる。


「あ……」


 しかし、すぐにうつむいてしまう。

 スフィールリアは息を抜いて笑い、戸を開いてエイメールを招いた。


「心強いよ。入って」

「おい、あのなぁ」

「いいでしょ、もうエイメールは充分につらい目に合ったよ。それに手だって足りないんだし」

「スフィールリアお嬢様。ありがとうございます」

「い、いやいやあのなっ? そうじゃなくってよぉ――ってお前なに便乗してんだ」

「あたしがいいって言ってるんだからいいでしょ。さ、早く入って。――あ、それとタウセン先生が『うるさい黙れ』だって」

「なっ――」




 玄関を閉められ、アイバはむっすりと壁にもたれかかった。玄関をはさんでアイバの横の壁に、フィオロもたたずむ。


「アンタはついていかなくていーのかよ」

「わたしにお手伝いできることはありませんので。せめて、警護くらいはお付き合いさせていただきたいと思います」

「いつぞやと同じ状況シチュだな」

「そう……ですね」

「俺は、まだアンタのお嬢さまを許したわけじゃねぇ」


 表情に陰りを落としたフィオロから、アイバは多少気まずく顔を逸らした。

 しばらく夜風の音を聞き、やがて、フィオロがぽつりとつぶやいた。


「……裁きを受けるべきなのは、わたしです」

「あぁ?」

「『ウィズダム・オブ・スロウン』破壊の実行犯は、あなたのおっしゃった通り、わたしです。同じくあなたの言う通り、お嬢様をお止めするべきだったのもわたし……」

「……」


 黙っていると、フィオロは、理性的な顔を哀切に歪めて、振り返ってきた。


「ようやくあの人は、あの人の人生を始められるかもしれないところまで、こられたのです。――裁きがお望みならば、わたしがお受けいたします。なのでどうか、お嬢様を許して差し上げていただけないでしょうか。どのような仕打ちでも。なんでもいたします。なので……!」


 彼女は頭を下げていた。

 しかしアイバは一瞥もくれず、森の闇を見つめたままで切り捨てた。


「……俺は、お前のそーいうところが嫌いだ」

「……」

「謝ればいいと思ってるとか、そんなんじゃねぇ。なんもかんも自分で背負っちまおうとする、そういうところだ。じゃあお嬢さまは、アンタがいなくなってどうすんだ。アホか」

「そう。……そう、ですね。アホです。わたしは」


 フィオロは力なく肩を落としている。

 そうしてまた、風が三回さざめく音を聞いた。


「罪を償うのはお前じゃねーよ。あの馬鹿お嬢さまだ」

「……?」


 フィオロが、不思議そうに顔を上げてくる。


「あのお嬢さまが、自分で『ケジメつけた』って思わないなら、いつまで経っても、どこまでかばったって変わりゃしねぇさ、きっと。――だから今夜だ。あのお嬢さまが手伝って、国宝の旗だかなんだかが直ったら、俺はもうなにも言わねぇって決めた。アンタもお嬢さまがせいぜいがんばるように祈っとけ」


 アイバはようやく彼女に一瞥だけをくれてやり、そしてそれだけを告げると、また正面を睨みつける作業に戻ったのだった。


「……ありがとうございます」

「ケッ」


 フィオロは空を見上げた。

 天をにごすものはなく、月は煌々と。

 自らの未来を紡ぎ出そうとする彼女たちの道を照らし示すわけでもなく、ただ輝いていた。

 夜は、未来に向けて、静かにふけてゆく。



 工房は、やにわに慌しくなり始めていた。


「ウィスタフ教師。六十五番の布地、チェックお願いします」

「はいよぉ。……ここと、この辺の縫込みがたぶん甘いかな。抜糸はしなくて大丈夫。こう……いう感じで、もう一度蒼導脈を通してくれればいいから」

「はいっ」

「焦らないでいいからね。わたしも手伝ってるし――リノぉ、追加三枚、いけるー?」

「投げて。すぐに溶かしてつなぎに入るから」

「間に合いそうか? 無理ならこちらの作業をギリギリまで遅延させる必要がある」

「どれくらい、可能ですか」

「五分といったところだな」

「……間に合わせます!」

「分かった。ウィスタフ君、こちらと交代してくれ」

「あいあーい」


 席を立ち上がったタウセンが、いくつかのパーツを手に、スフィールリアの下まで歩み寄ってきた。


「晶結瞳を借りるぞ。次のステップを今のうちに教えておく」

「は、はいっ」

「……今までの流れからも分かっていると思うが、ここからがもっとも困難な工程の連続になる。最小のパーツを組み合わせて新たなパーツに。それらをさらに合わせてひとつに。その最終段階が迫っている。複雑に複雑を重ねたパーツ固着作業の制御には、本来、このアイテムを手がけた当時でさえ、二十人以上の術士が同時に協力して行なったと言われている」

「……」


 スフィールリアはうなづいた。

 これが、一年生では『ウィズダム・オブ・スロウン』を完成せしめないとする最大の理由のひとつだった。

 複雑にして膨大な術式の複合を、建造物と言わしめるほどに積み上げてゆくこのアイテムは、ひとつひとつの高度な術を持ったパーツを、仮起動させた上で、それぞれ組み合わせなければならない。

 つまり、術者がタペストリー領域で部品を個別に起動させながら、ひとつのものへと融合させるのだ。

 さらに術式の性質によっては、パーツ単体では回路に情報が定着しないものも存在する。

 ゆえにそういったパーツは事前の製作ができず、なおかつ、完成させてから情報記述が消えるまでの数分間で、合成固着を完了しなければならない。

 そして、それら特殊な部品は、『ウィズダム・オブ・スロウン』の中枢に近くなればなるほど多くなるのだ。


 つまり『ウィズダム・オブ・スロウン』を完成させるためには、これらの特殊部品が仕上がるタイミングを逆算して作成できるだけの人員的環境、そして、それらをミスもなくすべて時間内に合成してゆく高度な技術精度が要求されることになる。

 すべてのパーツの時間がゼロ秒になるまでに、すべてを正しい手順で組み上げて、新しい形にしていかなければならない――

 時間と空間が折り重なる、立体パズルのようなものだ。

 現在は、リノ以外の教師クラスが総がかりで、特殊部品の作成に入っている。アリーゼルも教わりながら、下準備の手伝いなどにかかりきりになっている。


「作成に避ける人員が少なすぎるため、実際の『遊び』時間はほぼないと言っていい。部品が流れ始めてからは君も休む暇がまったくなくなるぞ。今のうちから、完璧に合成の感覚をつかんでおけ」

「はい」


 だが、元の人員数は、たったの三人。

 これだけの作業へ挑むのに、いたのはスキルも知識の幅も少ない一年生、三人だったのだ。

 無謀と言わない者など、いなかっただろう。


「……君は自分の膨大なタペストリー領域を分散させて、全パーツの情報構成記述をし続けるつもりだったんだろう」


 しかしタウセンは彼女の考えていたことを魔法のように汲み上げて、咎めるでもなく、静かな眼差しを向けてきた。


「……」

「当時の状況ではその判断はベストだろう。自分の命を顧みないのならばな――そういう手にも、先人が残したセオリーというものがあるのだ。使えるとこの後の作業の成算も上がるので教える。覚えたまえ」


 淡々と言いつつ、タウセンが晶結瞳に投射するタペストリー構成には、一切の乱れがない。

 彼女の師とは違った意味で、完成された制御力だった。あるいは精密さという点では、師よりも優れている。


「お願いします。タウセン先生」


 敵わないなと実感をかみ締めつつ、スフィールリアは彼がうなづき返してくる姿を見つめていた。



「騒がしくなってきたな」


 聞き取れない、さまざまな指示が飛び交い始めた工房窓を、アイバは振り返った。

 見れば、夜空の色も次第に白む前の紺色に変じ始めている。

 タイムリミットは、刻々と迫っているようだった。


「……大丈夫でしょうか」


 アイバはドサリと腰を落として壁際に座り込んだ。


「分っかんね! 大丈夫じゃなくっても俺には関係ねーことだしな、考えてみれば」

「そんな。あなたのご友人のことでもあるんでしょう」

「でも、アイツはやると言ったらやる」

「……」

「今回のことでそいつはよく分かったからな。だから俺は次の休みにアイツとどう遊ぶか、考えとくことにしとくわ」

「む。……そういうことでしたら。わたしも、お嬢様を労う晩餐でも考えておくことにします」

「そうそ。待つのも仕事。テキトーでいいんだわ」



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