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(1-30)


 静かだった。


(な、なに!?)


 混乱して錯綜する視界にフィオロの姿が映る。

 正面にいる彼女は、スフィールリアへ視線を戻そうとしている途中の姿で、完全に固まってしまっていた。

 まばたきひとつもしない。石像にでもなってしまっているみたいだった。

 それだけではない。草も、粉塵も、モンスターも。すべての動きが、まるで写真に切り取られた風景のように停滞してしまっているのだ。

 アイバもだ。蛇のような半透明の帯に巻きつけられて驚いている体勢のまま、ぴくりとも動かない。

 そして……その帯の伸びる先。


「おや――おやおや?」


 すぐ目の前に迫っていた老人の顔に、エイメールはぎくりと硬直して顎を仰け反らせた。

〝顔〟としか言えない。〝顔〟だけしかない。

 モンスターの額に開いた穴から、まるで溶けかけのアメを引っ張ったみたいに伸びてきているのだ。

 しわだらけの皮膚。どれだけ放置したのか分からないほどに長い長いひげを生やしている。

 しかし色と言える色がない。白く発光した、半透明の、老人の顔だった。

 この〝顔〟と、自分だけが、停止した世界の中で動いている――

 それは、なぜだ――?


「ん~?」


 エイメールの疑問もまるで眼中にない様子で、〝顔〟は彼女の顔を見、次にスフィールリアへと顔の向きを落として……


「おおっ」


 と、表情をほころばせた。

 幼いころに近所に住んでいた老紳士が、数日ほど行方不明になっていた犬の帰還に気づいた時の表情にそっくりだとエイメールは思った。


「やっぱり。やっぱりだ。うふふ、こんなところにこぼれ落ちてきていたのか。どれ、さっそく持って帰ろう、持って帰ろう。さぁ、おいで」


 いったいいつの間にか、老人の上半身までが現れていた。

 老人はそう言って、意識を失ったままのスフィールリアへと手を伸ばそうとした。


「だっ――駄目!」


 とっさにスフィールリアの身体を抱き上げてあとずさる。と、老人はもう一回「ん?」と声を出して、そこで初めてエイメールの存在に気がついたと言った風に瞳の焦点を合わせた。


「こりゃ、娘。ソレを渡しなさい」


 ずいと、下がった分だけ老人が迫ってくる。

 ぶるぶると首を振ると、老人は眉を下げて、分からないといった風に首をかしげた。


「お前、どうして動いているんだい? ――ああ、そうか。お前、ソレに触れていたね?」

「……っ?」


 恐怖に身がすくむとともにスフィールリアへ顔を寄せて、気がついた。

 スフィールリアの身体はいまだに淡く金色の輝きに覆われている。

 その光が、熱でも伝播するみたいにうっすらと、エイメールの全身も包み込んでいた。

 そうだ。フィオロもアイバも光ってはいない。自分は、彼女にずっと触れていた。この光が護ってくれたのだ。だから――


「こ、こないで!」

「おぉ、おぉ」


 エイメールは左腕にはめた腕輪を起動して、老人へ振り払った。

 しかし、老人が首を逸らして一瞥を投げただけで、腕輪はあっけなく崩れ散ってしまった。


「……!」

「言葉は分かるはずだね? お前のその細っこい腕をどかすのも一苦労なんだ。さぁ、いい子だから」


 その言葉で、老人が力づくで組み伏せにかかってこないどころか、触れようともしてないことに気がつく。なぜだかは分からないが、それは、老人にはとても難しいことらしい。

 そうと分かれば同意する理由などありはしない。エイメールは激しくかぶりを振った。

 老人は困った顔になってエイメールたちに指を近づけたり引っ込めたりする。


「そうだ! 今なら苦しめずにお前の存在は情報の海に還してあげる。悪くない話だろう? お前だってあの牛頭のようになりたくはないものな? なぁ?」

「っ……!」


 もう一度、激しく拒否する。

 そして。


「じゃあ、もういいよ」


 老人がエイメールの額に指を向け、彼女も動かなくなった。

 ゆえに、ここから先に起こったできごとを知る者は当事者たちしかいなくなった。


「それじゃあまずは、この邪魔な〝金〟をどかしてからお前を解体しないといけないね」


 ぴくりとも動かないエイメールへ、枯れ枝のような手を伸ばしてゆき――


《だ、ぁ、め》

「――――」


 その手首をつかみ返している手を、老人は、呆けた顔で見つめていた。

 手は、スフィールリアを抱えたエイメールの右手首……残ったもう片方の腕輪から、唐突に生え出してきていた。


「――お前、は、」

《概念停止でなく、全物質運動停止の擬似時間停止だなんて、お馬鹿さぁん》


 ずるり、と、さらに抜け出してくるように伸びてゆき……


《見ぃ、》

「お前は、」

《つ、け、》

「お前は、」

《たぁ。あ、はは、は――》

「お前はあああああああああああああああああああああああああああ」

《あははははははははははははははははははははははははははははは……!》


 声が悲鳴に変わるころには、髪の長い女の上半身になっていた。

 老人の手首をつかみ上げたその姿は老人と同じように色がなく、捉えどころがない。しかしもしもエイメールに意識があったなら、それは、間違いなくエスレクレイン本人であると断定できていただろう。


「ああああああ……!」

《お前たちがかの地にかけた呪い。――ここでひとつ、滅ぼさせてもらう》

「ああああああ……あ、ア、……アアアアロロロロロロロっろロRoroロ! roろro――!!」

 悲鳴の音域が人のものではなくなると同時、ガクンと上体を仰け反らせた。

「PiGiっピPIっぴピっ――PiっRi・RoooOOOOOoOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!」

《ふふふふははははははははははははっ!!》


 おびただしい光の明滅がふたりの周囲に踊り狂う。

 数千億の光。さらに数千億の時空で同時に瞬いては消える。

 銀河系の歴史をも丸ごと書き換えかねない、莫大無尽な情報記述の爆発だった。


「OOOOOOOOOOOOO……おォ、Oッ、オ、オ…………」


 老人の眼球がぐるりと上向いていって……

 たしかにひとつ、なにかが砕け散る音が響いた。


「――オガアあああッ!!」


 同時に莫大な光の渦も収まり、ガクガクと振動していた老人が、悪夢からもがき覚めるようにエスレクレインの腕を引き剥がした。


「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ……!」


 逃げるように下がってゆく。


《うふふ……釣れた、釣れた。芳しき〝金〟の香りに誘われた、お馬鹿さんが》


 そのころにはエスレクレインも、うしろからエイメールたちを抱き留める位置まで下がっていた。

 歪みきっていた老人の顔から、徐々に狼狽を示すしわの影が和らいでゆく。


「お前は……お前は。そうか。お前が〝くさび〟になっていたんだね? 道理で……久しぶりに降りてきてみて、びっくりしたんだ」

《あらぁ……憶えておいででしたの。とっても不愉快。うふふ》

「まだ消滅していなかったんだねぇ、興味深いねぇ。なにが興味深いってお前。なんでお前がソレなんかにつきまとってるんだい。ソレを手に入れなくたって、お前は無限に存続できるじゃないか。それとも、まだアレをあきらめていないのかい。始原の庭とともに沈んだ、お前たちの故郷を……。アレはもう〝霧の断崖〟を越えているよ」

《望んでこうなったわけではありません、も・の。どのクチが言うのだか……。それにあきらめていないのはお互い様でなくって? この美しき〝金〟なる花。世界を積み木のようにすべて崩した、愚かな子供たち……お前たちごとき世界の虫食い虫に渡しはしない》

「ソレを、我々と取り合おうって言うのかい?」


 エスレクレインは、うふふと笑うだけだった。


「馬鹿だねぇ。しかたがないねぇ。それじゃあ少々骨は折れるが、ここでお前も始末してゆくことにするよ」

《あらぁ。ふ、ふふ、やっぱりやっぱり、お馬鹿さん……》

「恐怖の感情もなくなっているんだね? 愚かだねぇ。お前などはしょせん〝領域〟だけの、ニセモノの、虚ろにすぎないんだ。情報球面上での滅ぼし合いで、わたしに勝てると思わないことだよ?」

《では、この、実領域ではどうかしらねぇ?》

「うん?」


 薄ら笑いを止めない彼女の視線の先を振り返って……老人の動きが、止まった。


「……」


 アイバが、老人を睨みつけていた。


「擬似時間停止領域のまっただ中だよ?」

《お馬鹿ねぇ。だから『今は』、ああして『普通に』動いているんでしょ》

「ああ……」


 エスレクレインが指差す先で、彼の持つ世界樹の聖剣が光り輝いていた。


「……ふんがっ!」


 そして、アイバが全身に力を込め始めた。


「おぉ?」


「ふんぬぬぐぬぐらぬががぐらががががががぬぐぐ」


 ギシギシと、彼を拘束している老人の半透明体が軋み始め、


「お、おぉ、おぅおぅ」

「うっがああああああああああああああああああああ――!!」


 そして、ミチミチと外側に膨れ上がっていって――


「――よっしゃああああああああああああああああああああああ!!」


 という雄たけびとともに、アイバを縛っていた半透明体は弾け散った。

 びちびちと半ゲル状を思わせる音を立てる破片とともに、老人の上半身が地面に転がる。


「……ふん!」

「おおぅっ」


 その顔面へ歩み寄り、アイバが容赦なく世界樹の聖剣を突き立てた。

 水風船が弾けるみたいに老人の上半身が溶けて消えうせる。


《まだやっつけていませんわ。ほぅら》


 エスレクレインが差した指の先を無言で睨みつける。そこには。


「まったく――思い出したよ。そうだったねぇ。相変わらず馬鹿げてるねぇ、<地平のくびきを外されし者ども>というものは」


 紅い昆虫の額部分に、老人の〝顔〟が戻っていた。


《そう、そう……ふふふ。ですからわたくしとの踊りにかまけていますと、実領域(うしろ)側からばっさりとやられてしまいますわよ》

「枯れ木風情がうっとうしい。――お前もまだ途絶えてなかったのかい。お前さんだって戦う理由なんか、もうないはずだろうに。お前が護ろうとした世界は、もう滅んだよ。お前はもう意味消失しているよ?」

「なにをわけの分かんねーこと。グチャグチャくっちゃべりやがって」


 だん、と景気よく足を出して、アイバは聖剣を肩のホームポジションに置いた。


「俺はとにかくムカムカしてんだ。聞いてたんだからな。なに言ってたんだかこれっぽっちもさっぱり分かんねーけど! てめぇがソレだソレだ、アイツを物みてーに連呼してたのをな!」

「なんだい。自分の持ち物をどう呼ぼうが勝手じゃないか」

「うるせえ! ――つまりてめぇが悪党だ! 次から次へとわけ分からんもんポンポン出てきやがって、わけが分かんねー上にわけが分かんねぇ……そいつもしまいだ! てめぇをぶった斬って、アイツは! 俺が! 連れて帰る!」

「なんだいなんだい、わけが分からないねぇ」


 いっそ子供じみていると言えるほどに表情をしょげ返らせて、老人の顔が亀裂の内側へと溶け沈んでゆく。


「まぁいいよ。相手はたかだか虫けら二匹じゃないか。こちらもちょっと怪我をするけどね。この『壊れかけ』の領域ごと放棄してやったら全部終わりじゃないか? どうせソレは、それくらいじゃ消えはしないからね」

「なんだと!」

《あらぁ》

「あとでゆっくり探して、拾って帰ることにするよ。じゃあ永遠にさよならだ、虫けら諸君」


 その時だった。



「あったぞ――この記述か」


 タウセンの表情に緊迫したものが混じる。


「そうそう、これよこれ。これがなんていうか、こう……ぶわぁーーって感じでさぁ。外側じゃなくって、ゲート向こうの投影構築情報の内側から盛り上がってきたような感じだった」

「これはすごいねぇ。でも〝神域〟とは少し違うかな? 世界を滅ぼしにきた魔王さん、って感じじゃなさそうだね。うんうん」


 そう言葉を交わす間も、晶結瞳(しょうけつとう)に手を向けた三名の教師たちは行なう作業の手を緩めていない。三者が三様におびただしい量の情報の糸を編み、さらに投げかけた互いの成果物をすさまじい速度で組み合わせ、また投げかけ――莫大な情報の綴織(タペストリー)を作り上げていっている。


「だが、やはり完全には顕現できていない。情報がちぐはぐだ。降り立とうとしている土地の情報がもともと不完全なせいか」

「大っきな魚に食べられそうになったけど、口元にこびりついてるような状態だね、今の<ルナリオルヴァレイ>は。口を突っ込みきれてないの。うん」

「あははっ、なるほどね。……あとそれだけじゃなくて、この魔王――仮にそう呼ぶけど。それを邪魔してる要素がふたつあったの。ひとつは、ロイヤードって子が持ってたっていう世界樹の剣だと思う」

「もうひとつは?」

「もうひとつは、もっとバカデカいけど、よく分かんないもの。<ルナリオルヴァレイ>よりはずっと手前に潜ってて、壊れかけの再生領域とこっちへの〝道〟をつなぎとめてた。わたしもその〝領域〟に助けられたみたいなもん。寄り道したらショートカットを助けてもらえるかもね」

「なるほど」


 タウセンはうなづいた。


「まずはこの不完全干渉〝神域〟の邪魔なノイズをどかさなければ、これ以上は進めないな。三方向からのクベルエリグ式単純還元式で、仮定義された無限次元に取り込むことができれば意味消失を引き起こせるかもしれない。SGL思考実験のアレです」

「なるほどねぇ、『三つ子の迷い猫』かぁ、うんうん。それでいこっか、うん」

「魔王を退けるは最弱の魔法ってか~? 面白い実験じゃないの。生徒たちにいいお土産話持って帰れそうっ」


 タウセンらは、編んでいたゲート情報を傍らに保持したまま、差し向けた腕に力を込めた。


「始めるぞ」



 その時、老人の顔に――一拍の脈動のような波紋が広がった。


「おや……?」


 波紋に乗った老人の顔面は、たわんで、揺らぎ……そのまま波間に崩れて広がってゆくようにして、どんどんとその輪郭をぼやけさせてゆく。


《うふふ。どうやら<アーキ・スフィア>の因果地平住人も、お前たちを嫌っているようで……》

「なんだい、なんだい。どいつもこいつも。無粋だよ」


 老人は、もはや空間中にまで広がった顔をいじけた風にすぼめた。

 そして、たわんだいびつな形状のままで収束して、昆虫の額部分へと吸い込まれてゆく。


「まぁいいよ。しかたがない。こんなゴミがどこまでやれるか分からないけど。せめてその枯れ木だけは処分できると……」

「逃が――」

「いいね…………」

「――さん!!」


 音もなく、一瞬で〝蟲〟の前まで踏み込んでいたアイバが、聖剣を一閃させる。

 しかしすんでのところで老人の顔は消えうせており、聖剣の一撃は昆虫の顔面を横薙ぎに殴りつけるに終わっていた。


「チィッ」

〝ギュリオオオオオオオオオオオッ!!〟


 時間が動き出す。

 噴煙と、風とが、元の力学を損ねぬままに逆巻き始めた。



「上手く退けたようだ」


 ゲートの〝色〟模様を見たタウセンが告げて、フィリアルディは胸をなで下ろした。


「き、興味深い結果だったね」

「条件が限定的すぎるけどね。同じ手は食らってくれないだろうし、急いだ方がいいんじゃないの?」

「同感だ。すぐに再喚起を開始しよう」


 即時に三人が手を差し向けて、ゲート構築が開始された。

 晶結瞳の周囲に巨大なタペストリー領域が現れる。

 渦巻く七色の輝きは、スフィールリアの作り出した規模に勝るとも劣らない――だが、はるかに精緻な模様を踊らせていた。



〝蟲〟の絶叫が響き渡る。

 その騒音にギョっとして、エイメールも停滞していた意識を復帰させた。


「なっ、なに――なんなの!?」

「お、お嬢様っ?」


 エイメールは目まいを覚えてまぶたを瞬かせた。

 老人の姿はなく、アイバの位置も変わっている。

 めくった二枚目の写真までの間になければならないはずの、膨大な枚数の風景変化を抜き取られてしまったかのようだった。それは自分を見たフィオロからしても、同じようだったが。

 スフィールリアの身体から〝金〟の輝きが退いてゆく。

 そして……


《うふふ……それじゃあご武運を、勇者様。今度は上手くお願いいたしますわ、ね》


 そっとうしろから――自分のほほをなでてゆく感触があったような気がして。


「先輩…………?」


 思わず振り返るが、そこには何者の姿もない。

 それでも大切に想っている人がそこにいたような気がして、エイメールは数秒の間、見上げた虚空から目が離せなかった。

 だから、今……右腕から金の腕輪が静かに崩れ落ちたことに、彼女は気がつかなかった。




 アイバは聖剣を担ぎ、目の前のモンスターに対峙していた。


「とりあえず、一番ヤバそうなのは消えたか……」


 と、思ったのだが、


「そうそう……お土産、だよ」


 空から降ってくるような声に、アイバは眉を訝らせる。

 しかし、今度こそ本当に老人は去ったようだった。聖剣から伝わる緊迫のような感覚が、薄らいだような気がした。


《アーキテクチャー・モードを終了》

「……」

《使用者の臨時保護を目的とした緊急起動であったために、使用者の蒼導脈構成に深層疲労蓄積の懸念がある。同機能は所定のクール値を消化する。あなたは注意しなければならない》

「おう。よく分からんがありがとな」


 ぐ……と、さらに身を沈めて臨戦の構えに移る。


「あとはテメェをブッた斬って、帰るだけだ!」


 同時に三つ脚の昆虫も地面から脚を引き抜き、今度は明確に標的を定めた動きで、アイバへと鋭いあぎとを向けたのだった。



「まずは、<ルナリオルヴァレイ>本来の材料を」


 近寄った生徒が提げた袋をひも解いて、取り出した中身を、順次にタペストリー領域の内側へと投げ込んでゆく。

 それらの中には、スフィールリアたちが用いたのと同品も混じっていた。

 もの問いたげなフィリアルディとアリーゼルの視線に、タウセンが答える。


「事態の収拾を図り、学院が事前に用意していた〝アーティファクト・フラグメ〟だ」


 三人の行なう祖回術(そかいじゅつ)によって、物品たちは一秒もかけずに分解されて七色の光に還元されていった。


「しかしこれで正真正銘、予備はない。もしもゲートを生成しても、彼女を取り込んで変質した先の<ルナリオルヴァレイ>に通じることができなければ失敗だ。当時の生成過程を可能な限り再現するために、君たちにも協力してもらうぞ」


 ふたりは緊迫してうなづき、それぞれタウセンの隣に並んだ。


「次に、スフィールリア君の情報」


 タウセンが懐から取り出した透明な保存シートの中には、薄い金色の糸が入っていた。


「なにそれ髪の毛? なんでそんなの持ってんのよ。タウセンちゃん、その子になにを……」

「馬鹿を言え。悪いと思ったが、フォルシイラに家の鍵を開けてもらって、家捜しさせてもらった。フォルシイラの体毛とより分けるのに苦労したんだ」

「乙女のベッドをまさぐってきたのね。あとでちゃんと謝ってあげないとにゃ~」

「感謝状と反省文。それぞれ三百枚ずつと交換なら考えないこともないがね」


 辟易ぎみに言いながら投げ込んで、これも瞬時に溶けて消える。


「ここからは君たちにも参加してもらう。我々がセオリー通りに構築をしてゆくので、思い出せる限りの範囲で、当時の構成に書き換えていってほしい」

「……はい!」

「わ、分かりましたわ」

「大丈夫だからね。フォローはわたしたちが全部やったげるから」

「う、うんうん。一部ずつ手を加えてくれたら、そ、それで大体分かると思うからね、うん」

「そういうことだ。君たちの修正から予測して我々も随時軌道修正を行なってゆく。完璧は期さなくていい。焦らずに。少しでも当該の領域にかすめることができれば、強引にでもつじつまを合わせる」

「はいっ!」


 あの時伸ばせなかった手を、無事にスフィールリアへと届けられるのかどうなのか。それは、ほかならぬ自分たちの記憶と仕事とにかかっているのだ。

 今度はぴったりと返事を唱和させて、ふたりは途方もない濁流に身を投げ込む覚悟で、目の前のタペストリーに向き直った。



 戦闘が再開されていた。

〝蟲〟は牛頭の巨体が邪魔らしく、思うように動けていないようだった。

 そのぎこちない動きの隙を縫い、巨大な脚を打ち払いながら、アイバは着実に〝蟲〟の装甲面へと傷を刻んでゆく。

 雄たけびを上げながら自分の何十倍もある巨大なモンスターと渡り合う様は、かつておとぎ噺に見た伝説の英雄たちの姿、そのものだった。


「だ、大怪獣……!」


 というのが、エイメールの口から出た率直な感想だった。


「さすがは勇者の末裔と言うしかないですね。そこらの戦士なら、まず質量差で、打ち合うことも叶わず叩きつぶされる」


 フィオロが話相手になってくれたのは、自分の不安を和らげようとしてくれてのことだろう。

 しかし冷静なフィオロは、口を開きつつも、すでにスフィールリアへの処置を再開していた。

 じきに完了するだろう。医者でもないのにとんでもなく的確で素早い手つきだった。

 これも、きっと、主である自分のために身に着けた技術に違いない。

 今まで意識したこともなかった。

 自分の世話を見ながら、自分の見ていないところで、ずっと努力を継続していたのだろう。

 エイメールは、そのことを自覚し、今こそ打ちひしがれる思いだった。

 自分にはなにもない。アイバ・ロイヤードのように護るべきものを背にして戦う力も、フィオロのように、だれかを助けてやる力も。

 今もしも自分にひねり出せる力があって、彼らに助勢できたなら。

 この状況を打破し、この濁った目を拭ってくれたスフィールリアを救い出してやれるかもしれないのに――


「このままでは、負ける」

「え……?」


 そんな彼女に追い討ちをかけるかのような言葉に顔を上げれば、戦場を見つめるフィオロの苦りきった顔があった。

 横殴りに振り払った牛頭のハンマーに、アイバが吹き飛ばされているところだった。




《敵性体のモード・チェンジを確認》

「がっ――!?」


 変化は一瞬のことで、気がつけばアイバは、元の形状に戻っていた牛頭のハンマーに殴り飛ばされていた。敵の体格変化に対応しきれず、もろに攻撃を食らってしまった。

 崖面を盛大に砕いて埋もれた直後、アイバはがむしゃらにもがいて、瓦礫の中から砲弾のように飛び出した。

 案の定一直線にスフィールリアを目指して走り出していた牛頭の横腹目がけて突撃する。

 聖剣が紅い輝きを発し、牛頭の胴が盛大に弾け飛んだ。


「ウゴアゴオオオオオオオオオ!!」

「ッッがあああああああああああら!!」


 反対側の崖まで牛頭を叩きつけ、さらに聖剣を叩き込もうとしたところで、巨大な手の甲にあっさりと阻まれた。

 赤い光の波紋――〝奏気術〟だった。


「なにっ!?」

「おっ、お前、じゃま。じゃじゃ、じゃじゃウマ」


 目いっぱいに力を貯めた指先で、跳ね飛ばされた。空中で姿勢を制御しつつ、アイバはゾッと肝を冷やしながら状況を把握していた。


(剣の力に対応しやがったのかよ――!?)


 強引に地面を引っかいて着地すると同時に、さらにふたつの変調がアイバを襲う。


「うっ!?」


 全身がひび割れたような突然の激痛と喪失感。

 身体中の感覚が抜け落ちてゆく……。


《敵性体のモード・チェンジを確認》

「オボゴッ!?」


 そして、また、紅い装甲の脚。


(『隠れて』……いるのか! あの牛頭の中に。デカい傷をつけると出てくる――)


 牛頭のどてっ腹に空いた大穴を引き裂くように、突出した顔を覗かせてくる。

 無機質な目が、崖下にうずくまるスフィールリアたちを捉えた。


〝キリリリリリリ――――〟

《解析。固有波動・第六絃壊滅波動。警告。守護対象が死滅する》

「……! なんとかしろ!」

《緊急限定起動。アーキテクチャー・モード》


 ぼぅ、と聖剣の輝きが濃紺と紫を入り混じらせ、アイバはほとんど直感で剣を振りかぶった。

 崖下の三人と、モンスターの中間にある空間へ――


《〝時間流先行〟〝強攻因果記述先頭子〟〝時空破断〟》


 振り下ろした。

 結果、なにも起こらなかった。

 紅い〝蟲〟は、その結果にこそ戸惑ったように首を右往左往させている。

 その首のすぐ前に、アイバが音もなく、瞬時に現れていた。


《〝時間流先行〟、継続起動中》

「……ふん!」


 叩き降ろした大剣に切り落とされた頭が、砂のように崩れ散る。


《モード・チェンジを確認》

「く――のっ!」


 真上から落とされてきたこぶしを打ち払って下がり――


「く……!」


 アイバは再び襲ってきた感覚の喪失に膝を着いた。

 心臓が早鐘のように脈打っている。なのに音だけがしない。

 懸命に呼吸をしているはずなのに、その手応えもなかった。


(〝霧の獣〟――存在の情報、壊される――近づいただけで――こういう、ことかっ――!)

《アーキテクチャー・モードを終了。警告する。あなたは気をつけなければならない――》


 聖剣の声もどこか遠い。


《敵性体の壊情報因子に対して、あなたの情報防御は不足している。プラクティクス・モード権能におけるこちら側からの情報記述能力喚起の自発起動では――》


 普段は形など意識もしていない〝生命〟という器に、致命的な亀裂が走ってしまったかのような。そんな――途方もない穴に落ち込んでゆくような感覚だった。

 アイバは消えゆく意識をつなぎ止めるため、どんどんと白くなってゆく視界の中で、食い入るようにモンスターの姿を捉えていた。


《――ばならない。並びに、該当壊情報コクーンに格納された〝兵隊アリ〟現出時に、その特性である矛盾回帰における無限循環が――》


 しかしいつの間にか、もうアイバはモンスターの姿すら見られていなかった。完全にホワイト・アウトした視界の中に途切れ途切れの聖剣の声を拾い集め――その結論は――


(――無限に再生するっていうのかよっ!?)


 はっと気づいた時には、復帰した視界の直上に牛頭の目があった。

 アイバは反撃の余力もなく身をひねって飛び出し、打ち出されたハンマーの衝撃に任せて地面を転がっていた。



「っ……」


 タウセンは断続的に襲いかかってくる意識の断絶に顔をしかめる。

 ゲート再構築が続いていた。

 三人の教師が広げるタペストリーは、すでに通常の〝喚起術〟に用いられる標準値を、ゆうに数十倍は上回っている。

 その上で、まったく足りていない。


(これを……ほとんどひとりで、やったというのだからな……!)

「へいへいタウセンちゃん~。お顔が青いよ~? もうヘバってきちゃったのかなっ?」


 などと軽口を投げてくるキャロリッシェ教師の顔面もすでに脂汗に濡れきっていた。

 当然だが、ゲート構築の主体を担う彼の負担はふたりの比ではない。

 彼女の意を汲み取って、タウセンは沈みかけていた姿勢をまっすぐに戻した。


「馬鹿も休み休み言え。一年生にできることがわたしにできない道理などない」

「ヒュ~。たたくね~」


 思わず苦笑いを返していると、キャロリッシェはすぐに表情を引き締めて、厳しい声をかけてきた。


「あった! つなぐよ! かなりデカいから消し飛ばされないよう気をつけて!」


 瞬間、タペストリー中央のゲート空間が一気に押し開かれる。

 内部に現れたものに、一同が驚きの声を上げた。


「こ、これ! スフィールリアの!」

「<縫律杖(ほうりつじょう)>ですわっ」


 だった。

 視覚化された情報領域の揺らめきの中に、三メートルはある長大な杖が回転している。自分の居場所を確保し続けているようにも見えた。


「これよこれ。さっきは、この子の影に隠れさしてもらって、やりすごすことができたの」

「つまり、自律した支援エンジン……ではなく。思考を持たされているのか。まったく次から次へと。人を驚かすために存在しているような生徒だな、彼女は」

「神なる庭の……煌金花……? にゃるほどねん。ここでご主人様の帰る道を護ってた、ってことかー。エラいエラい」

「コンタクトが取れるのか?」

「ちょいビミョ~。こっちもいっぱいいっぱいだから、なんとなくノリで」

「かまわんから提案を投げてみてくれ。これだけ高度な杖なら、利害さえ一致していれば、所有者以外への協力もあり得るはずだ」

「あい、よっ……」


 タペストリーを維持しながら自分よりも巨大な情報体にアクセスし、さしもの彼女からも表情が消えうせる。

 下手に触れれば<神なる庭の塔の〝煌金花〟>の領域に遭難して、彼女が受け持つタペストリーごと意味消失を起こしかねない。

 そうすれば、この救援策は失敗だ。逆に協力を得られるのなら、ここは巨大な〝工房〟となり、ゲート再構築の成算は一気に跳ね上がる。

 この時ばかりは周囲のスタッフも、タウセンも、固唾を呑んで見守る姿勢に入っていた。


「……」


 ゲートを囲む円陣のさらに外側で繰り広げられる戦闘音が苛立たしく、タウセンは後方を一瞥した。

 途切れ途切れだったものが、次第に継続的になっているのが分かった。


「数が増えてきているわけではなさそうですね?」


 直近警護、兼、連絡役の騎士が即答する。


「一体ごとにかかる討伐時間が増えてきているのです。事前報告の通り、連中はこちらの〝奏気術〟にも対応してくる場合がありますが、その対応能力を保持した個体が、明らかに増えています。離れた場所同士で、突然同時に同じ分類の対応を行なう者も。まるで――」

(――まるで、相互に情報を〝同期〟しているかのよう、か)


 形状が似通っていることからも、あり得ないことではない。通常、〝霧の獣〟には『同系統』という概念が発生し得ないためだ。


(だとすればあの牛頭どもは、今までの聖騎士団から受けたすべての攻撃を、すべての個体が等しく学習していることになる。マズいな)


 倒せば倒すほど、残存戦力が強くなっていっている。大陸最高戦力の聖騎士団で、こぞって教練を与えているようなものだ。

 ゲート内部の四人の生存率が、ますます下がるという意味にほかならない。


「牛頭の接敵数にもよるとは思いますが。一体あたりの討伐時間の、可能な限りの引き伸ばし……頼めますか」

「分かりました」


 実際のところそれを可能とするかは、学院側が持ち込んだ回復剤の残量が左右するところだろう。しかし騎士は即応して、独自の符丁により信号弾を打ち上げてゆく。


「――先生くるぞ! 超高高度の強制ロジック・アンカー! 上書きされた上位感覚で一気に最効率最短の〝道〟を編み出す。転んだらおしまい!」

「ちょっ、それってつまり、元の自分を自覚したらチグハグになっちゃうってことだよね? わ、わたし自信ない、んだけどっ?」


 百メートルを二十秒で走る人間へ、一時的に、十秒で走破する身体操作感覚を強制的に付与するというような意味だ。


「思考傾向が攻性的(アグレッシブ)だな。早くも持ち主に似てるのか」

「だから、転んだらおしまい! 考えるな感じろイガラッセちゃん! 若かりし日を思い出すノリでいくのよ!」

「そんな……そもそもあのころからわたしゃ研究派で」


 しかしすでに〝杖〟は工房機能の一部を開放し、三人への情報投射を開始している。


「加速された我々の自我の思考速度(ロジック・ペース)と周囲の時間進行に齟齬が生じる。ここから周囲のサポートは得られないぞ。ついてこい!」

「うっしゃあ!」

「ひぃぃ……!」



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