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(1-29)


「あったぞ。〝アロウズド・サークル〟だ」


 タウセンの背中ごしから見えてきたものに、フィリアルディとアリーゼルは息を呑んだ。


「これは……!」


 それは、常に激しく氷雪が吹き荒れているような土地で見かけることがある天然のオブジェクトを彷彿とさせた。

 まるで氷でできた茨の渦ような。あるいは、嵐をそのまま凍りつかせたようにも見える。

 十数メートル高にも及ぶ、螺旋の塔だった。

 近づいただけで切り裂かれてしまいそうなほどに鋭い茨模様は、水晶にも似た透き通った材質の内側から、淡い輝きをこぼし出している。


「わたしたちが逃げてきた時は、こんなものはなかったのに……」

「ゲートが破裂して生じた情報空隙と、それを埋めようと流れ込んだ循環子乱流の通り道。それが時間経過後に、供給された過剰な蒼導脈の顕在化として留まったものが、これだ。根本の原理は水晶水と同じ、実体化した情報のソースだ」

「か、かさぶたみたいなものだね。うん、うん」

「ユニークな表現ですね――だがこの結晶があった場所は、言った通り、情報の有と無が吹き荒れていた場所だ。君たちはこんなところに自らの存在を重ね合わせて置いていたんだ。早めに逃げて正解だったな」

「……」


 自分たちがどれだけ危険な賭けをしていたのか。ということを仄めかされているのは分かってはいたし、目の前の異様を見れば否応なしに肝だって冷えた。

 しかしフィリアルディは、今は自分の安否を心配するような気にはとてもなれないでいた。


「スフィールリア……今も、こんなところの中心に」


 歩み寄ろうとすると、それよりも前に駆け出していた人物に追い越された。


「うっひょ~こりゃあスッゴイ特大級の情深結晶ですわー! いったいどんだけムチャやらかしたのよこりゃ保存状態維持したまま掘り出すのも大変ですなー、いやー、先生はこんな特上の素材用意してくれる生徒を持って幸せっ」


 キャロリッシェ・ウィスタフ教師だった。

 うしろに束ねたボリューム感ある金髪をフッサフッサと揺らして、非常に心浮き立たせた様子で駆け寄ってゆく。

 グイと肩を引き止められて振り返ったフィリアルディは、メガネを押し上げているタウセン教師の顔を見た。

 隣にいたイガラッセも走る彼女に向けて「あ……!」なんて手を出して呼び止めかけている。

 タウセンは、完全な無表情だった。


「どきたまえ。一掃する」

「はっ? ――――ひょろわあああっ!?」


 キャロリッシェが飛びのく。

 タウセンが指輪を嵌めた左手を一閃させ、結晶の塔が一斉に砕け散った。


「……」


 輝く砕片が舞い散る様は見とれるくらいに幻想的ではあったが、慌てて身を投げ出した体勢で地面にいる女教師の表情は、非常に不服そうだ。ついでに、イガラッセも困り顔な微苦笑をしている。


「……タウセンちゃんさぁ」

「なにかね」

「わたしたちにも、まぁ~だ、なにかカクシゴトしてんでしょ」


 いや? とタウセンは心外そうにするだけだった。


「時間が惜しい。それだけだ。――目標発見、後続へ信号弾を! 運搬メンバーは機材をただちにここへ。聖騎士の皆さんは防衛陣形の構築をお願いします!」


 タウセンは後方の生徒たちに手で合図を送りつつ、自らもサークルの中心へと歩を進めてゆく。

 信号弾の打ち上げが始まり、生徒たちが装甲馬車から次々と荷を運び出し始め、騎士たちの号令も混じって辺りが一斉に慌しくなる。

 タウセンと一緒に歩いてゆくと、そこに、〝ゲート〟はあった。


「ひとまず、〝霧の魔獣〟の生成は止まっているようだな。今がチャンスだ」


 虚空にあるゲートは、燃えつきかけたろうそくの火のように頼りなく揺らめいている。

 その様子がスフィールリアの命の状態であるかのような妄想を抱いて、フィリアルディは胸を強く押さえつけた。


「……」

晶結瞳(しょうけつとう)を先に。――慎重にだぞ」


 うなづいた生徒が台車に乗せた晶結瞳の高さを調節し、それから、ゆっくりとゲートへと近づけてゆく。

 ゲートの光は特に抵抗も変調も見せずに晶結瞳の輪郭をすり抜けて、その中心へと収まった。

 このころには仕事を心得ている教師陣二名もゲートを囲う位置に並び立っている。


「ちっとこの状態じゃあ再構築はできないね~。よく残ってたもんだ」

「い、一度壊しちゃうと、あれだね。アーカイブの状態に戻って、アーテルロウン君たちの情報は、漂流し、しちゃうよね。うん」

「状態復帰と安定化が優先ですね。変性要素の詳細を調べる時間がない以上、持ち込んだテンプレートがどこまで適用できるか分かりませんが、やるしかない。おそらく大半が手作業と適宜対応アドリブでの記述になる。主導はウィスタフ君、君がこの場でもっとも適役だ。頼みたい」

「あいよ」

「君たちは機材の連結を続けていい。AグループとDグループを先。導脈反響板のオルムス対応値を、まずは50~200の範囲に」


 晶結瞳への各種機材の連結作業を行なっていた生徒が『大丈夫なのか』と表情で問いかけるが、


「彼女にはこれくらいでちょうどいい」


 タウセンがうなづくと、信頼した風に作業に取りかかり始めた。

 アリーゼルも多少くらいは状況を飲み込んでいるようで、女教師を見る目を見開かせていた。

 だがフィリアルディには彼らのやり取りがまったく分からないでいた。

 喚起術に関してまったく門外漢である上、それを差し引いても高度な次元の話なのだと察するくらいしかできない。周囲で生徒同士が交わす確認事項や作業内容もそうだ。

 今も彼女たちの周りでは次々と大小さまざまな機材が持ち込まれては設置されていっている。

 中央の晶結瞳とゲート。

 それを囲む術者である教師たちと自分たち。

 さらにそれらを囲んで、術式を補佐する専門機材の数々。

 大まかには、この三層構造だった。

 そのうちで分かるのは、自分たちを円周に囲む、導脈反響板と呼ばれる湾曲した板ぐらいだ。

 本来、これだけの大規模な準備をしてようやく挑戦が見込める作業だったのだろう。


「まあ、わたしもその子は無傷で手に入れたいし、やるけどさ。で、その設定はつまりダイブ形式でいいの? 晶結瞳つぶすけど」


 要請を受けた女教師が、腰をに手を当て気楽に問いかける。


「かまわない。予備はある。……すまないな」

「おっけぃ。じゃ、やるわ」


 と言った瞬間、晶結瞳を見据えた女教師の姿が忽然と消えうせる。

 生徒たちが騒然となった。


「騒ぐな、彼女はここにいる。情報世界に『潜った』だけだ」


 という、タウセンの言葉を裏づけて、


≪やれやれ、また老いぼれが遠のくわ……≫


 彼女がいた位置から、反響するような声が木霊する。


「<アーキ・スフィア>への、ダイレクト・ブライジング……!?」

「そ、それは俗称で、本当はそう呼ぶの間違いなんだけどぉ……ま、まぁいいよね、うんうん」


 それは相当に練達した術者でなければ行なえない芸当であると、フィリアルディも耳に挟んだことがある。

 この世の全存在を記述した情報世界たる<アーキ・スフィア>。その記述情報の投影である術者という生命体と、術者を記述する情報は等価である。

 その存在の『主体』を情報世界の側に定義することで、術者は物質界の制約から解き放たれ、己の全情報領域(リソース)を情報干渉――つまり、綴導術に用いることもできる。

 しかし<アーキ・スフィア>は宇宙そのものを記述する広大無辺な情報の海だ。

 物質という檻を抜け出してその広大な『流れ』に身を投げ出すことは、自身が融かされて消えてしまうリスクとも隣り合わせとなる。

 ゆえに情報体としての自身をよほど強化練磨し、なおかつ『潜り慣れて』いなければ帰ってくることすら危ういという――超高高度の秘術であると。


「準備を続けろ。補修が完了しだい、すぐに再構築に移るぞ」


 タウセンとイガラッセが、それぞれの手を晶結瞳に触れさせた。



 噴煙を突き破って巨大なこぶしが突進してくる。

 戦いなんてまるで不慣れなエイメールの頭にすら『危ない!』という叫びが浮かび上がるまで、アイバは動かなかった。


「きゃあっ!?」


 轟音。

 届いてきた突風と衝撃に煽られてエイメールは動かぬスフィールリアに覆いかぶさった。

 顔を上げれば、吹っ飛んでいたのは牛頭の方だ。崖側まで吹っ飛んでいって、崩落がさらなる噴煙を撒き散らした。

 なにが起こったのか分からない。

 目の前には、聖剣を力任せに薙ぎ払ったような体勢でいるアイバの姿がある。

 しかし――なにを考えているのか、また、


「……」


 剣の柄を握り締めたまま、脱力したように立ち尽くしてしまう。


「おご……い、いた、いたい」

「うるせえ……」


 牛頭が、天に向かって吼え猛った。

 人間大もある大岩を跳ね除け、盛大に土を蹴立てながら突進してくる。

 その様は害敵というより、もはや災害としか言いようがなかった。エイメールの全身は麻痺したように動かなくなった。


「ソレ、返して、かか、返せ」

「うるせええええっ!!」


 応酬が始まった。

 牛頭が振り下ろした一撃を、やはりアイバはその場から一歩も動かずに弾き返した。

 ハンマーが高くかち上げられる。しかし今度は牛頭も踏みとどまり、ぞっとするほど重く素早い打ち返しを放ってくる。それをアイバがまたも跳ね返す。

 また打ち下ろす。また跳ね返す。

 また、また――

 四合、五合、六合――


「ぬうおおおおおおああああああああああ…………!!」


 武器の衝突なんてものではなかった。

 建築現場の建材崩落事故を思わせるような、途方もない質量を感じさせる騒乱の渦だった。アイバも、何度も足場を砕いて埋もれかけては位置を入れ替えていた。

 そのたびに地面が激震して、粉塵が吹き荒れ、大小いくつもの石片が降り注いでくる。

 カイブツ同士の戦いだ。

 もはや周囲もろくに見えず、スフィールリアを抱えたまま悲鳴を上げ続けていた。


「――馬鹿女ぁ! さっさとソイツ連れて下がりやがれぇ!!」


 すぐ近くからの怒号にびくりと震える。彼女はようやく、彼が自分たちを守るためにその場に留まっているのだと気がついた。

 エイメールは返事にもならない引きつり声を漏らしながら必死に足を蹴り出し、スフィールリアを牽引して下がり出した。

 そんな彼女に向かって自分の頭ほどもある大岩が勢いよく跳ね転がってくる。

 スフィールリアを抱えて身動きができないエイメールの前に飛び込んだのは、慣れ親しんだ家令の女のシルエットだった。

 エイメールの替わりとなって自らの頭をぶつけさせた彼女は、地面を転がった勢いのまま身を伏せさせて駆け寄ってきた。


「お嬢様、ご無事で」

「フィーロ! フィーロ……ああ、血が、こんなに」

「お嬢様?」


 かがみ込んだフィオロは、まずエイメールが手を伸ばしてきたことに驚いたようだった。

 きょとん、と――観察するように主人の瞳を見返して、


「よいのです」


 そこで、ようやく安堵した風に微笑んだ。


「早く離れましょう。彼女を診ます」


 一緒にスフィールリアの肩半分ずつを受け持ち、慎重に引きずってゆく。

 切り立った崖に突き当たり、そこにスフィールリアの身体を休ませた。

 フィオロはスフィールリアの呼吸音と脈拍をたしかめ、服を脱がして各所に指を押し当ててゆくと、素早く処置を決断して自分の防寒着も脱ぎ捨てた。

 シャツの上には投擲にも対応する短剣がずらりと並んだハーネスと、非常時用の簡易サバイバルキットなどを収めたハーネスが、革鎧かなにかのように巻かれている。


「す、スフィールリアは。大丈夫なのっ?」

「呼吸は安定していますが、出血を止めて、これ以上体温を下げないようにしなければ。骨折箇所を固定して、大きすぎる傷は釣り具で強引にでも縫い止めて布を充てます。携行した麻酔薬も多くはありません。今の環境では、これくらいしか……」


 フィオロは下着姿になるのもためらわないで、さらにシャツを脱いだ。

 短剣で切り裂いて包帯類の用意を始める彼女に、エイメールは自分の服も脱ぎ去って訴えた。


「わ、わたしの服も使ってください!」


 フィオロはいったんはためらう表情を見せたが、彼女の強い眼差しに、優しくうなづき返した。




「ぬぅう――ああッ!!」


 飛び上がり、〝霧の魔獣〟のハンマーを打ち据える。

 たたらを踏んでうしろ向きへ倒れてゆく牛頭を見据えながら、着地したアイバは、その場の大地へ聖剣を突き立てた。ここから先へは一歩も近づかせない。その線を引くつもりで。


(クソ――なにやってんだ、俺は)


 次に、背後のスフィールリアを見た。


(なにやってんだ、アイツは!)


 痛恨を押しつぶすようにまぶたをきつく閉じれば、浮かぶのは、出会って今まで見た彼女の姿、顔だった。

 ――おかしいのはアンタたちでしょ!


(自分のことでもねぇクセに、あんなに怒って突っかかってきやがって)


 ――やったじゃん! よかったねっ!


(まるで自分のことみたいに、あんなによろこんで詰めかかってきやがって! こっちがびびったてんだよ)


 お人よし。そんな語が浮かんでくる。

 その結果である今の姿を――駆けつけた崖の上から目撃した時の濁流が、胸によみがえってくる。

 結局のところ、あるのは、自分への怒りだった。

 彼女がああいう人物だということは分かっていた。

 借りを返すと決めたのに、結果が、これだ。


「クッソ! 肝心な時ばっかりに! なにやってんだ、俺は……!」

「アイバ・ロイヤード! 応急処置に粉塵が邪魔です。それ以上その魔物をこちらへ近づけないでください!」

「分かってる! ――一歩だって近づかしゃしねぇ。むしろ倒すんだよ、あんなクソ」


 背後から届いた声に、アイバは心を現実へと戻して叫び返した。

 度重なる激しい打ち合いでぼろ切れに成り果てていた聖剣の包み布を、アイバは無造作に引きつかんで取り払った。

 現れたのは、幅広の大剣。木の梢を思わせる植物的な金の装飾と、枝葉の意匠。

 鋼鉄よりも白みを帯び、数百年を経ても錆びつくことなく周囲の景色を写し返してきたその刀身には、今は、アイバ自身の姿がある。

 何代も、何代も、こうして己の継承者の姿を見返してきたのだろう。


(勇者――勇者の剣か。世界を救った剣なんだってな)


 起き上がりつつある〝霧の魔獣〟を強く睨み、アイバは知らず聖剣へ語りかけていた。


(だったら――世界の危機だと平和とか、どうだっていい――だったら目の前の女ひとりやふたり助けてやるぐらい、どうってことねーはずだ。ヒマだろ。使ってやるから、力を貸しやがれ!)


 柄頭をひときわ強く握り締めたその時、聖剣が全身を輝かせた。


《ガーデン・オブ・ワン》

「――」


 泉のごとく湧き立つ蒼い光輝に驚きを表す間もなく、握った聖剣から声なき〝声〟が伝わってくる。


《――〝セリエス=プライモーディアル〟》


 それが、聖剣からの『名乗り』であるのだとアイバは理解した。


「……やってやる!」


 アイバは聖剣を引き抜いた。

 翻した刀身の背を叩きつけるほどに強く、肩の上へ。その力で大地へ自らの足を打ち込み、根ざさせるように。

 剣を担いだ肩を引き、大股に構えた、異常な型の大上段。

 ――担剣術(たんけんじゅつ)。勇者が聖剣を振るう時だけに見せたという姿。

 ズシン、と足元を揺らし、ハンマーを担いだ〝霧の魔獣〟が対峙した。


「お……そ、ソレ、返して。ソレ俺の」

「ダメだね、てめぇにゃもったいねーよ。つーか、腹壊すぞ」


 通じさせるつもりで言葉を投げたわけではなかったが――


「おっ……」


 牛頭はうろたえたみたいに震えて、数拍置き……鈍重にかぶりを振ってきた。


「そ、そんなこと、ない」


 アイバは心のどこかの線がぶち切れる音を聞いた。


「あるんだよ、この、ボケがあああああああ!!」


 立っていた大地を砕いて走り出した。

 牛頭はすでにハンマーを振り上げている。こちらの到達よりもずっと早い。しかしアイバはかまわず疾駆を続けて、相手の獲物が鼻先をかすめるギリギリで飛び上がった。

 ハンマーの上へ着地し、もう一度飛び上がり――肩に保持したままの大剣へ、あらん限りの筋力を注ぎ込んでゆく。


「――ふぬぁ!」

「おぼごっ!?」


 てこの原理で撃ち出された聖剣が、同時に莫大な蒼の光輝を放ち、牛頭を左肩から袈裟懸けに引き裂いた。

 ハンマーを保持していた側の手だ。これで、もう敵は長大な武器を使えなくなる。

 ざまあ見ろと思い浮かべた、つかの間にも満たない瞬時――


「っ!?」


 空中にあるアイバの胸裏で、戦闘勘が警笛を鳴らす。

 斬りつけた逆側から迫っていた巨大な右手の気配に、身体は反射で対応していた。

 抜き払った剣とこぶしが衝突して、とんでもない衝撃とともに崖面まで弾き飛ばされる。

 本能で聖剣をうしろ背へ回すと、聖剣の蒼い光が強まり、アイバの身体は守られた。

 クッションの上に落下したていどの感触しかなかったことに驚きつつ、着地し、牛頭の正面まで駆け戻る。


「おごっ……ごっ、うご」


 アイバは苦い顔で目の前のモンスターを睨んだ。

 左肩から腹に近い位置までを引き裂かれた牛頭は、バランスが取れなくなったみたいに左右へぎこちなく上体をかしがせていた。だいたいは右手に持ち直したハンマーのせいだろう。


「……」


 だがその右手は、アイバが最初の一撃で縫い止め、殴り転がした際にちぎれ飛んでいたはずのものだ。

 ――再生している。

 欠損を丸ごと復帰させるような生命力など、よほどの特殊か上級のモンスターでしか聞いたことはない。そもそも生命として見るのが間違いなのか。いずれにしても、どこまで破壊すれば活動を停止させられるかの見込みが、立てられなくなってしまった。


「――けっ」


 だがアイバは不敵に吐き捨てる。

〝霧の獣〟の特異性はアイバ自身もあるていどまでなら座学で聞き及んでいた。見かけがどれほど小さなものだとしても、決して経験なしで挑んではならない相手であると。

 それでも、戦えない相手というわけでもない。

 戦える。聖剣が力を貸してくれている。

 現に相手はすでにちぎれかけの、死にかけに等しい。

 これを動かなくなるまで繰り返せばいい。たとえ異常な再生能力があろうとも、油断さえしなければ。

 勝てる。勝つ。自分の体術と、聖剣の力があれば――

 意を決し、もう一撃を加えるべく踏み込もうとしたところで、


「――!?」


 本能がぎくりと反応して、彼の足を止めさせた。

 目の前の牛頭が特別な動きを見せたというわけではない。

 空気が変わったとしか言いようがなかった。


(なんだ……?)


 次に、


≪警告。敵性体のモード・チェンジを確認≫


 聖剣が急き立てるかのように赤く発光し、謎の警告を飛ばしてくる。


(なんだ。なんのことだ)


 牛頭の変化も始まっていた。


「おっ――オゴッ! ボッ。ゴッ、オガッ、オッ――」


 初めは、異常再生能力が働き始めているのかと思った。大きく開いた傷口の肉が盛り上がり、癒着しようとしている。

 だが違う。

 増殖した肉は傷口を埋めてなお膨れ上がってゆく。まるで別の意思を持つ生命体のように蠢いて、牛頭は、それに抗っている風にも見える。


「な――」


 そして。


「オゴボオオオオオオオッ!!」

「!?」


 爆発的に盛り上がった肉片が変質し、地面に突き刺さるころには――


「なんだ!?」


〝脚〟になっていた。

 紅い。

 蟹か、あるいは獰猛な肉食の昆虫を思わせる硬質な外殻の、鋭い脚。

 さらに盛り上がり、変質し、卵の殻を破るようにして現れてくる。

 脚がもう一本。また一本。そして角。突撃剣のように尖った頭。触覚――?

 それは、昆虫にも近い――だが作り物めいた流麗さも備えたフォルムの、見たこともない化け物だった。


「うおぉっ!?」


 刺さっていた脚の一本がいきなり抜き払われてきて、アイバは驚愕とともにその装甲面を聖剣で打ち返していた。


「なんだコイツ――〝霧の獣〟じゃねぇぞ!?」


 という叫びは口からでまかせに近い。ただの直感だった。

 だがその真偽をたしかめる暇もなく変化は続いてゆく。


「スフィールリア!」


 響き渡ったエイメールの叫びに振り返る。

 横たえられたスフィールリアの身体が――輝きを発し始めていた。

 淡く、弱い。

 しかしそれ自体がまばゆいと思える、〝金色(こんじき)〟に。


「くっ……!?」


 すぐにでも駆け寄りたかったが、昆虫の歯軋りのような音が聞こえてきて、警戒を戻さざるを得ない。


「ォァア……」


 出てきている脚は、三本。おそらく全体の四分の一ほどをせり出してきているのであろう、不完全な〝蟲〟型モンスター。

 その装甲にぶら下がるに近い形で上半身を真横に倒している牛頭が、駄々でもこねるみたいにハンマーを二度三度と地面に叩きつけている。


「くそっ、なんなんだ……!? 答えろ! なにを知ってる!?」


 倒すべきなのは分かる。しかしうかつに近づく判断もできず、アイバは手にした剣に毒づいていた。


≪敵性体の固有流動波形は〝兵隊アリ〟に合致≫

「だから、なんだよ、それはっ!」


 聖剣の〝声〟を初めて聞いたアイバには、その意味を半分も汲み取れない。


≪構成蒼導脈の変動曲率が無限方向に拡大中。――再度警告。あなたは注意しなければならない。投影中の不完全情報領域地平に虚絃方向からの局所的情報干渉子フレア・バースト≫

「なにを言っている――!?」


 ザッ――

 ザガッ――

 砂利をすり潰すにも似た音が響く。

 右に。左からも。

 アイバたちのいる空間に、次々と、ひび割れが広がってゆく。

 内部には〝霧〟にも似た砂嵐。

 ざわざわと、悪い予感がこみ上げてくる。

 スフィールリアを包む輝きも、どんどんと増していっていた。


≪――〝降臨〟を確認≫


 キン――――!

 その瞬間、空間中に弾ける甲高い軋みを聞いて――

 アイバが、全員が、目を見開いていた。

 昆虫の頭部にひびが入った。

 表面の紅色だけが、塗装が剥がれ落ちるように、こぼれ落ちていって。


「おや」


 そこに、老人の顔が現れていた。

 顔は、スフィールリアを見て、いっそひょうきんな表情を浮かべる。場の緊迫など超越して、すべての状況の外側にいるかのように。

 そして、その顔が、まるで悪夢に出てくる軟体動物のように唐突にするりと伸びてアイバの全身を巻きつけてきて、彼の身体と意識は完全に停滞した。



 キン――――!

 という、金属をねじ折ったような音が弾け。


「――うぎゃ!?」


 消えた時と同じ唐突さで現れたキャロリッシェ教師が、その場に尻もちをついた。


「先生っ?」

「いててて……ひどい目にあった」


 ざわめく周囲の焦燥をよそに、晶結瞳が強い輝きを発しながら溶け崩れてゆく。


「なにか、今のは……まずそうだね」

「大丈夫か――なにがあった。なにを見た」


 予備の晶結瞳を運ぶように指示を出しつつ、彼女に顔を向けるタウセンの表情も厳しい。


「いやー、ちょっと、分かんないな。ゲート情報の一部をわたしに同期させて欠片の回収をしてたら、急に情報平面がたわんでさぁ。とにかくもう津波みたい。前に見た、魔王領域? あれに近い感じがしたかな。記述の組み換え中に、神様とでもすれ違ったかなぁ?」

「ど、どうしてそんなものが<ルナリオルヴァレイ>になんか、近づいてたのかな」

「知らないわよぉ。ナイトメアの情報でも拾いにきてたんじゃないの?」

「……」


 タウセンはあえて会話には参加せず、学院長の言葉を思い出していた。

 ひょっとしたら、魔神級の存在が。そして、彼女の〝金〟の素養による変質。

 特に後者については、彼ら教師にも想像がついていることだろう。

 彼らがスフィールリアの〝金〟を知らないにしても、彼女を〝素材〟としたことでゲートが変質していること自体は想像に難くないことだし、伝えてもいたことだった。

 しかし彼に顔を向け直したキャロリッシェは、それを察知していることをうかがわせた上で、触れずに回答を寄越してくれた。


「とりあえずわたし自身が消されないうちに、強引にこじつけて、慌てて逃げてくるので精一杯だったわ。でも一応、〝種〟にできるぐらいまでには直したはずよ」

「分かった。よくやってくれた」


 タウセンは感謝とともにうなづいた。

 ゲートの光は、崩れた晶結瞳と同じサイズにまで拡大していた。

 まじめな顔つきになったキャロリッシェが、昔の呼び方で問いかけてくる。


「どうする、先生?」


 撤退するべきだ。

 タウセンは判断した。

 その名の示す通り、神、あるいは魔王とも呼ばれることのある、<アーキ・スフィア>上をさすらう隔絶した規模の情報クラスターだ。

 連中はなにを考えているのか、時折気まぐれにこの実領域に現れては、歴史に残るような天変地異や『世界の危機』だとかいったものを引き起こす。

 出てきたものが魔王かなにかであったなら、世界の破滅という破格のおまけもついてくるかもしれないのだ。

 もしもフォマウセンの言う通り、かの地に魔神ほどの存在が留まっているとすれば、このチームは壊滅する。

 学院のために急場の要請にも応えてくれた彼らを、そのような目に合わせることはできない。

 とてもではないが生徒ひとりふたりの身を天秤にかけて釣り合うものではなかった。


(まったく)


 ため息しか出てこなかった。


(そんなものは、勇者か賢者にでも任せておけばいいのだ)


 魔神と鉢合わせた場合、自分ひとりで飛び込んでゲートを閉じ、魔神と渡り合った上で四人を連れて再び帰還しなければならないとは。

 自分なら、可能である。

 タウセンは手持ちの武器のすべてを頭に並べ立て、冷静に判断を下した。


「時間がない、すぐにゲートの再構築に移ろう。彼女たちの居場所を特定も同時に行ない、直近にゲートを開いた上で引っ張り上げる。魔王領域が発現途中なら、こちら側からの干渉で邪魔もできるかもしれない。状況を回収できるとすれば、今をおいてほかにはない」

「よぅし、やるか。かわいい生徒のためだ」

「お、大仕事だね。うん、うん……!」


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