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(1-27)


 王都より馬車で五日の距離にある<ロゥグバルド国立監視公園>。その最外縁部の地に降り立ち、フィリアルディは目まいを起こしてしゃがみ込んだ。


「大丈夫かね」

「は、はい」


 タウセンの差し出した手につかまって立ち上がりつつ、信じられないという面持ちで辺りを見回す。つい数秒前までには王都にいたはずだが、今は間違いなく、逃げ帰ってきた〝霧の杜〟手前の土地の風景にいる。

 彼女らのほかにはアリーゼル、そしてタウセンが選出した十数名の上位階級にある生徒たちと、二名の教師の姿がある。そのうちのほとんどが、彼女と同じ様子でしきりと周囲や自分の身体を見回したりしていた。


「信じられませんわ。こんなに一瞬で、こんな距離を……」

「長距離の転送を可能とする超古代の遺産だ。魔術士たちの時代には、こんなものが当たり前のように転がっていたのだ」

「魔術士の力、これが……」

「もっとも我々の理論で再構成したものだから、彼らの文明ほどの利便性はない上に一方通行。一定以上の階級層の許可がなければ稼動もできない緊急用だがね。貴重な体験をしたな――騎士団に合流する! 時間はあまりないぞ!」


 タウセンが号令を発し、一行はすぐさま封鎖された最外縁ゲートをくぐっていった。

 一時間ほどを歩くと地面に抉れたような戦闘痕がちらほらと見え始める。さらにもうひとつのゲートをすぎ、哨戒中の騎士団員たちの姿を見送りながら歩き進み……やがて〝霧の杜〟入場口にたどり着く。

 そこに、聖庭十二騎士団<薔薇の庭>の本陣が敷かれていた。これから〝霧の杜〟内部へと切り込むべく待機していた、本戦力の面々である。

 入場ゲート前にはすでに数十名の聖騎士たちが整列を完了している。

 タウセンたちが足を止めると同時に騎士たちの中央からひとりの女性が歩み出てきて、そのまま、突入前の簡易なブリーフィングが開始された。


「えー、ご足労いただいてすぐで申し訳ないんですが、早速ですが、簡単な顔合わせだけさせてもらいます。あー、わたしは現<薔薇の庭>騎士団のえー、なんていうか臨時の雇われ団長的、お金だけの関係……え、なに?」


 横に控えていた騎士が耳打ちをする。女性がこくこくとうなづき、口上が再開される。


「失礼。わたしが現<薔薇の庭>、王命特別客席司令官を勤めています。アレンティア・フラウ・グランフィリアと申します。以後お見知りおきを」


 生徒たちの間で小さなざわめきが広がる。

 ――当代『薔薇の剣聖』……あの人が?

 ――グランフィリア家の、『薔薇の剣』継承者……すげぇ、初めて見た……!


「王家に請われて王都に滞在していると聞いてはいましたけど……間近で見るのは初めてですわ」

「なんだか、本当にすごいことになってきちゃってるんだね……」


 フィリアルディも王都にきてから名前くらいは聞いていたので、緊張しながらも、しげしげと眺めてしまう。

 しかしすぐに女性が話し始めて、ひそめき声は静められた。


「えー。作戦進行については事前説明があったと思いますが、皆さんを中核に囲んだ円周防御陣形というやつで進みます。目標は〝霧の杜〟内部の変性ゲート。および途中で会敵する〝霧の魔獣〟すべて。で……えぇと、なんだっけ。コレは全部、完全消滅? カケラひとつ残さない? でしたっけ――え、なに?」


 タウセンが咳払いをして、また隣の騎士が耳打ちをする。


「――失礼。今のは勘違いですので忘れてください。〝霧の魔獣〟については一切心配なく。わたしたちが守ります」


 あまりにあっさりと告げられて、学院生たちが顔を見合わせる。ただし、今度は私語も生じなかった。


「なので皆さんは変性ゲートを目指してグイグイ進んでいっちゃってください。ただし陣形は崩したくないのでそのつど当方の指示に従ってください。もしも人死にでも出たら手続きとか面倒――え、なに聞こえない」


 また、耳打ち。


「…………コホン。……悲しむ人が出ますので。よろしくお願いします」

「……」

「えーっと。今回の作戦に当たっては聞いての通り、我々<薔薇の庭>と皆さんのみで完遂しなければいけません。我々が抜擢された理由は、ほかの団が仕事しすぎて暇だったから――え?」


 また。


「――うん、ごめん…………タイミングが良く、総勢が待機任務中であったためです。言うまでもなくこれは極秘任務であり、皆さんには完全な守秘義務が課せられます。これもエラい人たちの探られたくない懐を守るための下っ端の悲しい定めと思って――なに――うんうん――隊長がそんなだから最近オフィシャルな仕事が回ってこないんですよ。式典関連からも外されて郊外警邏ばっか――イタっ! すいません!」


 ――っていうかもうウィル君がしゃべったらいいんじゃないかなっ?

 と叩かれた騎士団長が腰に手を当て向き直って、叩いた騎士がとんでもないとでも言わんばかりに両手を出して引き下がって――


「……」


 この頃には生徒たち全員の顔に、本当に大丈夫なんかいなという色が浮かんでいた。

 しかし背後に控えた<薔薇の庭>面々から伝わる気迫と貫禄は本物である。

 やがて比較的年配の騎士が歩み出てきてブリーフィングを引き継ぎ、互いの役割や連携の手順についての確認が滞りなく進められていった。


「最近『薔薇の団』見かけないなーと思ってたら、そういうわけだったのねー。なんだっけ、ヴィルフィヨンルド大神殿の式典の、『司祭のヅラ修正事件』以降だったっけねぇ」

「は、半年くらい前だよね。ど、どこも大変なんだね、うん、うん……!」

「……たしかに、緊急かつ慎重を要する人選であったことは認めるが」


 フィリアルディらと同じ最後列に並んだ教師二名に、タウセンがジロリと冷たい眼差しを投げかけた。


「……なぜ君なんだ、キャロリッシェ・ウィスタフ教師。なにか企んでいるか?」

「いいじゃないなに言ってんのこんな面白そうなこと首突っ込まないわけ――親友を助けるためじゃない。人として当然でしょ。ねぇ?」


 ひょこっとタウセン越しに首を出して問いかけられて、フィリアルディは慌ててこくこくとうなづいた。タウセンがため息をついた。


「うん、うん。キャロちゃんとリノちゃんは同期生、だからね。なにも不自然なことはないよ」

「あなたもですよイガラッセ先生。話してもいないのに嗅ぎつけてくるのはいつものこととして、なぜ志願なさったんです」

「い、いいじゃない、えへ……あ、あの子の水晶水、や、やっぱり惜しいからさぁ。えへへ」

「……」

「なによぅ。どーせ時間なかったんでしょ集まってやっただけありがたいってもんじゃないそれにこれ以上〝裏〟事情向きで口の堅いメンバーなんてないでしょ」

「そ、そうそう。口はわたし、か、硬いよ? えへ」


 心底嫌そうな顔をして、三秒。

 タウセンはもう一度、大きく短めの息をついた。


「……まぁ、現状でそろえられる最高の環境は用意できたということにしておきましょう」


 そして、目の前に横たわる〝霧の杜〟を見上げる。

 フィリアルディも同じく、決然として正面に向き直った。

 いや、見据えたのは、もっと先の〝霧〟の向こう。

 傷つき、悲しんで――それでも人として生きてゆくために大切ななにかを求めてやまなかった、スフィールリアの顔だった。

 親友を、助ける。それは、違う。今の自分にそのようなことを言う資格などない。

 これから、親友になるのだ。

 そのためにここにきたのだから。


(待ってて、スフィールリア……!)


 そして説明の終了が告げられて、先発隊が〝霧の杜〟入場口へと入ってゆく。

 作戦が、始まった。



「……なんだ、アイツらは」


 もうひとつの異変が始まっていた。

 切り立った断崖の縁に身を伏して、アイバたちは<ルナリオルヴァレイ>の町並みの一角を見下ろしていた。

 その町を、あたかも彼らこそが住民であるかのように我が物顔で闊歩している異形の影たちの姿がある。

 牛頭を持つ人型。

 大きさは、どれも五メートルから十メートルほど。筋骨隆々とした体躯に、形状もよく分からないようなボロの布切れをまとっている。まるで元は普通の衣服であったものが、内側から膨れて破けて、まとわりついているだけとでも言った風体の。

 フィオロが、苦い顔をしてつぶやいた。


「〝霧の獣〟……」

「〝霧の獣〟……? あれが」


 見える範囲だけで何十体もいる。

 彼らは青や赤に近い色合いの、結晶から削り出したような武器を持っており、斧や槍の形状をしたそれらを、思いついたように手近な建造物へと振り下ろしては壊して回っている。

 なにかを探している風でもある。


「分かりません。ですが喚起された再生領域上にて、明らかに『原住民と違う挙動』を行なうものは、総じて〝霧の獣〟として見るべきだと聞いています。ですがアレらは、さらになにか……もっと、違うような」

「〝霧の獣〟を見たことはあるか? なにが違う?」

「……ご当主様に拾っていただくより以前に。東方大陸の〝霧の杜〟で父とともに。はっきりしたことは言えませんが……〝霧の獣〟は『壊れた情報』の塊、混合体だと聞きます。それゆえに形相が不確かであったり、不ぞろいであったり、周辺の空間に砂塵のように見えるノイズが混じっていたりします。しかしアレらの形状は、安定していて、そろいすぎている」

「……」

「なにより……挙動に統一性が見られるような。そんな気がします」

「マズいな」


 アイバは伏したままで身を引きずって下がり、それから起き上がって座り込んだ。フィオロも続いて下がってくる。

 そこへ突き立てていた世界樹の聖剣を見上げる。

 聖剣は包み布の隙間からしきりと青、赤、緑色の光を明滅させていた。まるで、なにかに反応しているかのように。

 今まではアパートの隅で箒と一緒にして立てかけておくだけの家宝で、塵取りのフックかけ以上の役割を与えることはなかった。

 だが、それでも――分かる。

 これは、危険信号だ。

 聖剣が警戒をせよと告げている。

 あの牛頭のモンスターは普通ではない。この聖剣をして明確に〝敵〟であると認識させ得るなにかを、持っている。勇者の一族たるアイバはそのことを自覚しなければならない。

 認識せよ。

 警戒せよ。

 アレが、あなたの立ち向かうべき敵である――

 そう言われているような気がしたのだ。

 だがアイバの焦りをかき立てる要素は、ほかにあった。


「もしもスフィールリアたちがあんなものに出くわしてたら……マズいぞ。戦えるヤツがひとりもいねぇんだぞ」

「まだモンスターの進攻は市街の崖側に留まっています。なにかを見つけて群がっている様子もありません。今はまだ鉢合わせていないと信じて、こちらは合流を急がなければ」

「んなことは分かってる。だれのせいでこうなったと思ってんだ、くそっ」


 心の中にささくれ立つのは、フィオロらへの怒りではなく、自分への憤りだった。

 スフィールリアならそこらのチンピラひとりふたりていどになら負けはしない。そう思わせてくれるだけの付き合いであると自負している。

 だがいくらなんでも相手が悪い。あんなものと、ただの一匹だけとでも鉢合わせをしたら、どうなる――

 アイツはあきらめないだろう。今もこの世界のどこかで友人を救うための希望の一品を捜し求めているはずだ。動き回り続ければ、いずれ補足される。アイツは戦うだろう。

 エイメールも一緒にいるかもしれない。その時は、きっと、彼女をも護ろうとするに違いないのだ。

 あきらめずに戦い、一方的に叩きのめされて――

 それでも最後の最後の瞬間まで、皆が無事でいられる風景を夢見て――


「――くそっ!」


 力任せに殴りつけた地面が小さな発破でも受けたように弾けて、抉れた。

 これは自分のミスだ。

 相手が女だからと手加減をした。できるならだれも傷つけたくないと。

 欲をかき、致命的な出遅れをした。


「……」


 気遣わしげな中にたしかな罪の意識を見え隠れさせるフィオロの視線を受け、アイバは一旦は目をそらし、次にもう一度彼女と目を合わせた。今のは完全な八つ当たりだった。


「お前の言うとおりだ。……すまなかった」

昏紅玉ルビー・ナイトメアの形状や性質はお嬢様から聞き及んでいます。そこから予想される採集場所に、きっと、お嬢様方も」


 うなづくフィオロへ、アイバもうなづき返した。


「分かった。教えてくれ。いこう」


 このミスを取り戻すことは、彼女の願いを叶えてやることでしか果たせない。

 アイバは立ち上がり、世界樹の聖剣を引き抜いた。



エイメールは、スフィールリアの背中を見ていた。彼女は道の途中にかがみ込み、そこにあった壁画の欠片を没頭するように眺めている。


「なにを……しているんですか」

「これ、<ルナリオルヴァレイ>のものじゃない」

「……」


 返事のようで返事になっていない言及に、どう二の句を接ごうとするかを迷ってしまう。

 本当はそういうことが聞きたいのではなかった。だけど、ではなにを聞こうとしていたのか――それが分からないままだった。

 しかし言っている内容そのものが不穏であったため、一端はそちらへ意識を移すしかない。


「……じゃあ、どこだって言うんですか」


 スフィールリアは壁を睨んだままでかぶりを振る。


「分からない。でも資料で見たこの年代の文字と全然違う。近い形の文字もない。あたしたちの文字とも。……たぶん、まったく違う、ずっとずっと別の時代の文明なんだ」

「あり得ません、よ。だってわたしたちは、たしかに<ルナリオルヴァレイ>の〝アーティファクト・フラグメ〟を使ったんじゃないですか」


 それを言うなら、そもそもこの領域の構成自体がおかしい――ということは、エイメールにも分かっていた。

 ところどころが()じくれた地形。モザイクのように唐突に現れる、明らかに地質が違うと分かるまったく色が別な地面。

 今スフィールリアが見ている壁画の欠片もそうだ。何者かによって切り取られて、突然そこから生え出しているようにも思える脈絡のなさ。

 まるで、ふたつ以上の土地にある要素を混ぜこぜにして再構成したような――


「あたし、ね。記憶がないんだ。先輩から聞いてるのかもしれないけど」

「……」

「だから、もしかしたら……」


 エイメールが言い出せずにいたことを、スフィールリアは口にした。

 本来あるはずのない要素を混ぜ込む要因があるとしたら、それは生成途中のゲートに接触した自分たち以外にはあり得ない。だがエイメールにもフィオロにも故郷の記憶はある。おそらくあの戦士にも。だから残るは、ひとりしかいないのだ。

 だけど、記録に残されているどの時代にも当てはまらないという事実が、エイメールの言葉を喉元に留めていた。

 それは、つまり……

 彼女の家族が、もうどこにもいないということになるのでは、ないのか……?

 どれだけ願っても、もう会えない。過去は取り戻せない。

 その事実を突きつけられた時の気持ちを、自分は――

 エイメールは頭を振って空想を払った。


「……って思ったんだけど。やっぱり見てもなにも分かんないや。ごめんね。早く昏紅玉ルビー・ナイトメア探さなくちゃ。いこ」


 スフィールリアがスカートのすそを叩いて立ち上がり、また歩き出した。

 エイメールもついてゆく。ついてゆくしかない。

 ここにくる前の自分なら、真っ先に反発していたはずだ。こんなやつと一緒にいるのはまっぴらだと撥ねつけて。

 だけど今はそれもできない。

 疲れ果て、空虚になってしまった心に現れていたのは……

 心細さ、だった。

 こんな恐ろしい場所に取り残されるのは嫌だ。ひとりになりたくない。死にたくない。

 ただそれだけのことで、自分は今、自分があれだけ徹底的に攻撃した少女にもすがって、彼女のうしろを歩いている。


(情け……な、い)


 自覚はもうひとつの予感を呼び起こす。

 自分は彼ら一般生のようにはならない。父や、母や、エスレクレインのような高潔で誇り高い綴導術師を目指そう――それを信念だと思ってきた。

 それらが燃え尽きたあとの。残りカスの下に埋まっていたもの。

 ずっと心の奥底に押し込めて、見ないようにしてきたもの。




 自分は……『ニセモノ』……なのか?




 と、いう思いが――


「ひっ!?」


 細かいガラス片を混ぜ合わせたような音が響く。突如として目の前の空間に亀裂が走って、エイメールはすんでのところで立ち止まった。


「エイメール!」


 すかさずスフィールリアが振り返って駆け寄ろうとするが、無事を確認してか、近寄る前に立ち止まった。なにかを思い出して踏みとどまったような様子に、エイメールの胸がチクリと痛んだ。


「……ゆっくり回り込んで。触らなければ大丈夫だから」


 指示通りに恐る恐ると、足裏をずらして回り込んでゆく。

 不快な音は続いていた。亀裂の大きさはひと抱えほどで、エイメールの頭の位置あたりに脈絡なく開いている。内側には、砂塵模様にも似た嵐が渦巻いていた。

 無事に亀裂をやりすごし、エイメールは力尽きてしまいたい心地で息を吐き出した。


「なんなんですか、これは……」

「空間が壊れかけてるんだよ。領域自体が不安定なの。先輩のネックレスがあるていど安定させてくれたみたいだけど、まだ、まったく不完全なんだ……ごめん。そこ危ないから気をつけてって、声かけたつもりだったんだけど」

「……」


 そんな警告、まったく聞いていなかった。

 スフィールリアの気遣わしげな表情。また胸にズキリと痛みが広がって、エイメールは両腕を閉じた。


「触れたり重なったりしたら、自分の情報を壊されちゃうから気をつけて。目の前の蒼導脈を『視る』感じで歩いていれば事前に分かるよ」


 また、歩き出す。そして、ついてゆく。

 どこまでも情けない。格好悪い。

 ぐるぐるとめぐり続けては募ってゆく思いとは別に、気になることもあった。

 目の前をゆく同年代の少女の、細い肩。

 なぜ、スフィールリアは自分を助けてくれるのか。

 放っておけば、こんな疫病神のような女、手を汚さずに復讐できたかもしれないのに。さっきだって。その前だって。


「……まだ、探すんですか」


 気がつけば、そんな言葉が口からこぼれていた。


「うん。『ウィズダム・オブ・スロウン』は直さなくちゃ。このままじゃ、帰ってもみんないやな思いするだけだもの。あたしも、フィリアルディや先生たちも……エイメールも」


 自分の名前も含まれていたことに、エイメールは大して驚かなかった。ああやっぱりなのか、という感想すら抱いた。むしろ、そのことを確認したかったのかもしれない。


「……服は。どうしたんです、か」

「これ? ――失敗しちゃって。未完成ゲートの再生情報の改変乱流に巻き込まれる前にみんなを保護しようと思ったんだけど、あたしだけ間に合わなかったの。だから一番強かった普段着のイメージで再構築されちゃった。裸よりマシだけどね、恥ずかしいもん。えへへ……」


 それが強がりだというのは分かりすぎるほどだった。

 スフィールリアの声は隠しようがないほどに震えていたし、エイメールの顔面に伝わってくる冷気だって、明らかに氷点下にまで達しているのだ。


「……」


 エイメールは、少し考えて……せめて自分の防寒着の上だけでも明け渡そうかと悩み……

 結局、無理だとあきらめた。

 どう言って切り出せばよいか分からなかったこともある。

 なにより……そんなことを申し出るのは、許しを請うようなものじゃないか。

 あれだけのことをしておいて。その上、対価を渡して彼女から感謝を得ようだなんて。

 そんな卑しい話って、あるだろうか?

 いつもの自分なら渡せていたはずだ。だけど今は、彼女にした仕打ちが『そういうこと』にしかさせてくれない。

 ずっとこちらを気遣っているスフィールリアは、それを分かっているという確信があった。きっと彼女は断るだろう。


「どうして、そこまで、するんですか」


 スフィールリアは「分かんないよ」と呆れた風に笑いながら答えてきた。


「昔からこらえ性がないっていうのかな。でも、エイメールの言う通り……あたしが〝帰還者〟だから……なのかも、しれないね」

「あ、あれは」

「当てこすったんじゃないよ。ごめんね。でもやっぱり、あたしがこうしてるのは、あたしが〝帰還者〟だからなんだと思う」

「……」

「……うれしかったの。あたしが〝帰還者〟だって知ったら、みんなあたしから離れていっちゃう。そうじゃなくてもほら、あたしってこんなんだからさ。女の子からはあんまり好かれないっていうか。できるのは友達よりは敵の方が多くって。入学式の時みたいに暴走しちゃったり、思ったことズケズケ言ったりしちゃったりでさ」

「……」

「だから、うれしかった。フィリアルディは友達になってくれたから。だから、絶対に助けたいって思ったの。だから、かな…………って、だからだからって言いわけしてるみたいだね」


 そして、エイメールは。

 膨れ上がる不安に、胸を押さえつけた。

 自分の中にあるあの予感が、このままどんどん膨れ上がってひとつの形を取ろうとしているような。

 その正体を知りたくはない。だけどどうしてだろう。見なくてはならないという強迫観念にも近い焦燥感があって、エイメールは懸命に彼女から次の言葉を引き出すための言葉を、探した。


「……さっきの、子供たちは、」

「――止まって、エイメール。伏せて」


 その時だった。

 スフィールリアの緊迫した声が被さる。


「……?」


 エイメールは彼女がしたのと同じように身を低くして横合いにある岩陰に隠れた。もうすっかり指示に従う習慣がつきつつあった。

 もうそろそろ町の区画に入ろうかというところだった。なにがなんだか分からないながらも、その町の入り口を眺めて――ぎょっとした。


「なんです……あれは」


〝霧〟に霞み、なにかが動いている。

 スフィールリアは答えない。ただ息を潜めているだけだと分かって自分も口元を押さえた。

 ……やがてはっきりしてきたその姿に、エイメールは息を引きつらせた。

 巨人。牛型の頭を持つ――

 手にした大きな鎚を振り下ろして――


「〝霧の獣〟……どうしてこんなところに」


 二階建ての家屋が叩き壊される振動が届く中、スフィールリアのつぶやきが聞こえてくる。


「き、〝霧の獣〟……!? そんなものが出るだなんて、先輩はひと言も……!」


 もはやそんな基準になんの意味もないことを思い出して顔をうつむかせるが、今度はスフィールリアも気を回してくることはなかった。

 エイメールも危機意識からすぐに顔を上げる。事態はそれだけ切迫していた。


「ま……町向こうの崖の方にいくんですよね?」


 うなづきで返事が戻ってくる。

 エイメール自身はエスレクレインから昏紅玉ルビー・ナイトメアの詳細と採集場所を聞いていたが、スフィールリアもだいたいの見当をつけていたようだった。


「……町は、だめだね。回り込むしかない。ちょっと道が崩れてるかもしれないけど、そっちからいくしかない」

 しかし……




「ダメだ……」


 でこぼこに切り立った断崖の一角に身を潜めて、スフィールリアが途方に暮れた声を出した。

 見下ろした先には、花畑がある。

 そこに、先ほど見たのと同型の〝霧の獣〟が、何十体も徘徊していた。

 牛頭の〝霧の獣〟たちが、植わっている白い花を鷲づかみにしては口に運んでいっている。


「『ナイトメア』が……」


 そう。

 あれこそが、スフィールリアたちが求める品だった。

 昏紅玉(ルビー・ナイトメア)は――〝花〟だ。

 ナイトメアと呼ばれる白き花。

 百合科にも似た大きく長い、羽のような花弁を持つ。

 その花托(かたく)直下の部位に形成される子房にも似たもうひとつの〝包〟の内部に、数年かけて蓄積してゆく、宝石にも似た結晶。

 それが、近づく者を眠りへと誘う。

 生物の脳波(こころ)に影響する情報干渉子を発信しており、眠りを誘発する快楽物質を分泌させる。影響が微弱な距離にいるうちはその心地よさにおびきよせられるが、近づきすぎれば、眠りに陥ってしまう。

 花の波動には生物を常に〝夢〟の状態に固定する情報のほかに、躁鬱を引き起こす情報が含まれている。


 眠りに陥った者は深層意識にある不安や強迫観念を引き出されて、夢の中で、常に脱出や逃亡に類する圧迫感にもがき続けることになる――ナイトメアは、その生物の生存本能から生じる〝情報〟を取り込んで、自らの栄養素に変換することが分かっている。

 一説では、かつては(むくろ)に寄生して咲く花だったと言う。それが寄生した生物の蒼導脈の影響を受けて、〝脳〟という構造に対応し、徐々に変化を遂げたのであると。

 悪夢を食らう花。

『ウィズダム・オブ・スロウン』は、この結晶の性質を利用したコアパーツを用いることで、人の意識を掬い取るのだ。


「――っ」


 くらり、と目まいを覚えてエイメールは頭を振った。

 見れば隣に伏せるスフィールリアも〝霧の獣〟と花畑を睨みながら頭を押さえている。


「どっち道、ダメだ。あんなに大量のナイトメアがあったら、近づいただけで死んじゃう。あんなものを見境なく食べて、平気でいるなんて……」


 エスレクレインが、エイメールに語ったことと合致していた。

 現代綴導術士たちの研究においてもナイトメアの〝栽培〟には成功していないと言う。

 この<ルナリオルヴァレイ>だけが、悪夢を食らう花の栽培法を心得ていたのだ。

 そして――滅んだ。

 一輪ていどのナイトメアならばさして強い影響力は持たない。夢に落とされてしまったとしても自力での脱出が可能である。

 だが、この町の住人も知らないことがあった。

 ナイトメアには相互干渉作用があった。ある時期から利益を求め始め、<ルナリオルヴァレイ>はこの花の大量栽培に動き出した。町の外れの平地に大量に咲き誇ったこの花の影響力は、町のすべてを覆い尽くして……。


 友人も、恋人も、家族も。

 朝を告げてくれるべき隣人すべてが、等しく夢に沈んだ。

 結果、助けもなく、食事を摂ることもできずに、ゆっくり衰弱して死に絶えていったのだと。

 これが<ルナリオルヴァレイ>の真実だった。

 エスレクレインがなぜそのようなことを知っていたのかは定かではない。

 だけど咲き誇った夢魔の花々を目の当たりにすれば、真実であったと実感するしかない。

 どうしようもないほどの睡魔の圧力。

 気を抜かなくてもあごが落ちてしまっている。落下感が目を覚ましてくれるのも、あと何回までが限度か分からなかった。

 自分たちが眠りへ落ちずに済んでいたのは、牛頭の〝霧の獣〟たちがああして手当たりしだいに食い散らかしていたおかげかもしれない。いずれにしても――


「ここに長くいちゃダメだ。見つかったらヤバいし、離れなくちゃ。……どこか、飛び地して少数でナイトメアが自生してるところを探そう」


 それから一時間ほど。平原部を迂回して、睡魔へ抗いながら崖の隙間の土地を探し回り……

 崖と崖の隙間のような土地で、ようやくスフィールリアたちは壁面の中ほどに咲いた一株のナイトメアを発見することができたのだった。


「あった……! 一輪で、いいんですよね。取るなら早く取って、こんなところは早く――」


 疲れ果てていたエイメールは、もう『ウィズダム・オブ・スロウン』のこともスフィールリアたちとの確執もどうでもよいという気分で、ふらふらと花の咲く壁面へと歩み寄っていった。

 その背中を引っつかまれて、スフィールリアに引き倒される。


「静かに……!」


 なにを、と――

 そこに唐突と生えていた遺跡のような壁画の陰で罵声を上げようとして――エイメールも、足音に気がついた。

 人のものではない。

 もっと、巨大な質量を感じさせる、地響き。


「っ……!」


 まさか、と、息を潜めて様子をうかがう。

 ナイトメアの咲く崖の手前の隙間から、一頭の〝霧の獣〟が、歩み出してきた。


「そん、な……」

「静かに。今動いたら見つかる」


 いびつな円形になっているこの場所は見晴らしがよすぎる。遺跡の壁画からはみ出ればすぐに補足されるだろう。エイメールは必死に口元を押さえて何度もうなづいた。

 出てきたのは、十二、三メートルはある牛頭の巨人だった。

 獣らしい短い鼻息を発しながら、きょろきょろと辺りを見回して、


「メシ」


 と、つぶやいた。

 次に、適当な方向の崖に、持っていたハンマーを打ち下ろして、


「土」


 地面の芝を掬って口に放り込み、


「草」


 白い息とともに何度も咀嚼して……吐き出す。


「草。く、クサ。草。クサい。ウ、ウマくな、い、き」

「……」

「ウマ、ウ、馬。ウマ食いたき、に、にく」


 そして、また、しきりと周辺を見回し始めた。

 牛頭の視線が一旦こちらの方向から外れたのを機に、ふたりは顔を突き合わせた。


「言葉をしゃべるなんて……!」

「おなかを空かせてる……花畑の競争から弾かれたんだ。ナイトメアに気づかれたら、食べられちゃう」


 正気か、とエイメールは目を見開いて首を横に振った。

 涙目で無言のサインを送る。

 あの花はもうダメだ。あきらめようと。

 だけどスフィールリアはかぶりを振った。


「たぶん、もう花畑での食料競争は力関係が決まっちゃったんだよ。ほかの場所にもおんなじように食いはぐれた牛頭がフラフラしてるんだと思う。ここで、なんとかあの花を手に入れなくちゃ……!」

「無理です、よっ。戦える人もいないじゃないですか。せめて、あの戦士の人を探してから――勇者の末裔なんでしょう!? いいえ逃げましょう――『ウィズダム・オブ・スロウン』のことだったら、謝りますから――自首でもなんでもします。だから――」


 もう一度、スフィールリアは首を横に振った。


「それじゃ間に合わないし、なんにも解決しない。あの牛頭がうしろ向いたら、あたしが一気に駆け抜けて崖を登って花をかっさらうよ。たぶん途中で気づかれちゃうし、戻って合流する暇もないから……エイメールは、あたしが引きつけてるうちに逃げて」

「そんなの……!」


 無理だ――

 そう伝える前には、もうスフィールリアは壁面から顔を覗かせて、必死な様子で牛頭の監視を始めてしまっている。どうやら本気だった。

 食事を求める牛頭は、そこらに生えている壁画に着目したようだった。

 ひとつに描かれているものを指差し、


「木」


 叩き壊す。

 またひとつを指差し、


「雲」


 また叩き壊す。

 そして。


「お……」


 また別の壁画に目をやって、動きが、止まった。

 指差す。


「馬」


 馬の絵が描かれていたらしいそれを叩き壊してすかさず口に放り込み、うれしそうにバリバリと噛み砕き始めた。


「ウ、馬。ウマ、ウマい。馬、ウマい。うま、うま」


 ……と、なにかに気づいたようにうずくまって、壁画の欠片を吐き出し始めた。


「ウ、ウマ……く、ない。コレ、馬、違う。コレ岩。ウマくない」


 ちょうどスフィールリアたちのいる場所から、ななめに背を向ける位置だった。


「……!」


 意を決したように、スフィールリアが無音で立ち上がる。

 なお必死で懇願のサインを送るエイメールだったが、彼女はうなづきだけを残して、あっさりと壁画の陰を出ていってしまった。


「……」


 まるで猫だ。とエイメールは思った。

 牛頭はいまだにうずくまったまま。口の中の石片を丹念に吐き出す作業に没頭している。

 そのうしろを、ほとんど音を立てない慎重さで――だというのに信じられないほどしなやかで大胆な大股歩きで、どんどんと進んでゆくのだ。いったいどんな胆力をしているというのだ!

 やがて、牛頭の真後ろあたり――エイメールとナイトメアの、中間地点に差しかかった。

 牛頭はまだ気がつかない。スフィールリアはそこで一回振り返り、エイメールへ、気丈にウインクを投げかけてきた。

 こちらは任せて早く逃げろと言っているのが分かった。

 しばし逡巡し、エイメールは小刻みにうなづいて返した。

 正直ひとりになるのは怖い。怖すぎた。引き返した先で別の牛頭に出くわさないとも限らないのだ。

 だけど今さらどうしようもない。

 エイメールは気を抜けば打ち鳴らしそうになる歯を食いしばって、慎重に腰を浮かした。

 こちらと牛頭の動向を見守りながら進み続けるスフィールリアの様子を凝視し、膝に手をかけ、弛緩していた膝へゆっくり力を込めて……

 そして。


 チャリン――と。

 信じられない音が鳴るのを、エイメールは自分の手元から、聞いた。

 恐ろしいものを見る目つきで見下ろす。

 エスレクレインから与えられた法具の腕輪。

 その金の飾り棒が――腿から――滑り落ちて――

 意識が真っ白になりそうだった。

 それぐらい最悪で、大きすぎる音だった。

 なんで――なんで。どうして、こんな場面で。こんな。

 見れば、スフィールリアも顔を青くしてこちらを見ていた。

 牛頭も。


「……!」


 虚ろな双眸と目が合う。

 牛頭は、次にスフィールリアを見、またエイメールへと顔を戻した。

「人」


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