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 その日の夕方。学院長室にて――


「先ほど事務室へ、スフィールリア・アーテルロウンが借金の無心に訪れたようです」

「あら、まぁ。がんばっているようですね」


 というタウセン教師の報告に、すべての状況を監視しているフォマウセンはどうということもなく、当たり前のように聞き返した。


「それで? しっかりと断りましたか?」


 ……と。

 タウセンも特に表情は変えず、平時の報告と同様に応答を続ける。


「はい。本人も薄々予想はしていたようで、あっさり引き下がって帰っていったそうです」

「そう。なにか奥の手でもあるのかしらね? いずれにしてもあの子には、もうちょっと追い込まれてもらわないとね」

「……よろしいのですか?」


 もちろんです。とフォマウセンは意外そうに双眸を見開かせた。


「それにしても、ふふ」

「……なんです?」

「あなたが学院より先に生徒の心配をするだなんてずいぶんと久しぶりだと思ったのでね? やはり心配ですか? あなたが心から敬愛するフィースミール師から、直接連なっている子ですものね?」

「そうではなくて」


 やはりされていた勘違いに、タウセンはこめかみを押さえて訂正を入れた。


「……利用するおつもりなのでしょう、特監生としての彼女を?」

「えぇ」


 浮かべられた老練な微笑みは、彼女の姉弟子――家族としてのものではなく、学院を支配する者の顔だった。数百年間この都に根ざして生き残り続けてきた、世界最大なる規模を誇る綴導術師の、学術院の。

 膝の上に置いた指を組み替えてもてあそびながら、視線は窓の外へ。この部屋から見下ろせる学院の遠景までを見渡し、


「この『ウィズダム・オブ・スロウン』の修復に関して我々が手を貸すわけにはいかない。たとえ関連する素材の調達へ大々的に動くだけでも、当学院と『ウィズダム・オブ・スロウン』が置かれている状況をつまびらかにするようなもの。言い訳が利きませんからね。――しかし、だからと言ってあの品をこのままにしておくというわけにはいかない」


 この学び舎でともに進んでゆくための友を救うというスフィールリアの事情とは別に<アカデミー>側にも、状況が指示をする事情は、そのままに残っている。

 王都にはいくつもの国の諜報機関が潜伏して、常に学院の動向を見張っている。

 情勢的な緊張状態にあるというのではなく、これが常態だ。世界最高峰の綴導術士たちをもっとも多く擁するというのはそういうことであり、だからこそ<アカデミー>を常に外部から律する公式非公式幾多もの圧力が必要となる。


 そうすることで初めて<アカデミー>はこれだけの規模にあって綴導術士の根底にある理念の形状を維持し、また、世界もそれを確認し続けることで安心を得る。

 ともかくそのような環境にあるので、あからさまと学院が修復に動こうとすれば、状況はエルマノ国の使者へ向けて明らかになってしまうだろう。

 修復が不可能ならばせめて一切手を出すことなく被害を最小に収めることに努めるべきだ。

 ――だが、学院はその線も考えてはいなかった。このような醜態を見すごすつもりは、毛頭ないということだ。


「しかし、生徒が自分の意思で動くのならば話は別です。数千人いる生徒個人個人の動向までを逐一見張ることまでは不可能ですからね」


 しかし普通の生徒では無理だ。『ウィズダム・オブ・スロウン』級の秘宝をこの状況下にあって修復しようと試みるのならば、もはや学年や階級が示す公式な実力の保障などは関係がなくなる。

 数値や一般的良識に基づいた価値観では、計りきれない『なにか』を持っていなくては。


「こんな時のためにわたしたちは特別監察特待生という規格外な鬼子たちを囲い込んでいるのです。――公式には動けぬ学院が確保できなかった昏紅玉でも、追い詰められた特監生ならば、なんとか用意してしまうかもしれない。時にわたしたちにも予想ができないほどの起爆力を持つのが、彼女たちなのですから」


 タウセンは吐息をついた。


「爆発力がありすぎるというのも問題だと思いますがね。……知りませんよ、わたしは。以前に特監を煽りすぎた末、我々は事態修正のために限定的な歴史の改変まで行なう羽目になったことすらある。それを忘れないでくださいよ」

「えぇ、もちろん。であると同時に、彼女が本当に〝特監〟たり得る原石であるのかどうかも――これで試されるというものです」


 彼の言葉にも、学院長は面白そうな笑みを崩すことはない。

 タウセンは考える――特監生の本質を理解せずに抗争をふっかける輩も充分に迷惑だが、理解しきった上で利用を企む者に至ってはもはや手に負えないと。

 同時に、それは保険でもある。彼女が失敗した時は、学院は彼女を切り捨てた上で次善のプランとしての折衝策を選択する。


「楽しみじゃありませんか? 『その可能性』を見られるかもしれないというのなら。なにしろフィースミール師に追いつこうだなんて目論む子ですから。……これくらいのことでお友達や財産を諦めるようならそれまででしょう。切り抜けてもらってこそです。ねぇ?」


 タウセンは直接の返答はせず、ただ肩をすくめ、別のことを言う。気楽な学院長へのあてつけも込めて。


「実際……厄介な者に目をつけられたものだなと同情くらいはしていますよ」



「いかがでした?」

「うん。駄目だった」


 その日の夕方に再び中央広場で落ち合って、スフィールリアがした報告は簡潔だった。

 教職員棟の事務室へ直接の申請を行ないに出向いたが――生徒手帳を返してくる事務員の表情と回答は、同情的なものだった。

 彼女が不可触の『ウィズダム・オブ・スロウン』の修復に動き出そうとしていることが、すでに知られている。

 おそらくタウセンが手を回したのだろう。学院長の腹心として。いや――


「あの時の警告、たぶんこのことだったんだ。あたしたち、監視されてるみたい」


 スフィールリアは周囲を見回して、どの道大して関係があることではないかと考えを改めた。

 行き交う生徒の中には、自分たちを横目で見てすぎてゆく者たちが大勢いる。決断を下す前からこんな調子だったことを思い出す。フィリアルディと親しくしていた自分たちは、元からこの騒動のかなり中核付近にいたことになるのだから。


「ということは、王都に置かれているすべての金融機関もおそらくダメでしょうね」


 アリーゼルの応答も素っ気ないものだった。彼女も薄々予感はしていたのだろう。


「うん。学院の生徒手帳があれば銀行とかも融通が利くことがあるってフォルシイラが言ってたから、コレ受け取りにいったついでに聞いてみたんだけど……ダメだった」

「これは?」

「イガラッセ先生の依頼、途中までの分を小切手でもらったの。受取人証明が不要な完全信用タイプのものだったんだって。……最初からこうなるって、分かってたみたい。助けられちゃった」


 二重張りされたフェルト材の手触りがよい上等な貨幣袋を手渡すと、アリーゼルは中身を確認して驚いたようだった。それはそうだ。合計して200アルンは入っている。持ち運ぶのも重くて大変だった。


「それにしては、ちょっと多すぎませんこと?」

「うん。半分は別口の方の報酬――こないだ<ロゥグバルド>にいった時のオマケみたいの」


〝霧の杜〟研究に関する功績への報酬のことを思い出して、スフィールリアは手紙の人物を訪ねたのだ。

 城みたいに立派な屋敷で出迎えてくれた初老で大柄な紳士は、彼女も幼いころに一度だけ会ったことのある人物だった。

 師に依頼をするために、一度だけ使者ではなく直接フィルラールンを訪れていたことがあったのだ。師と研究や依頼のやり取りをする数日間、優しく鷹揚に接してくれる彼にスフィールリアはなつきになついていた。食事時など、『おじちゃんはあまいアメちゃんしかださないからししょうよりすきー』と言ってずっと膝の上に乗っている彼女に師が非常に面白くなさそうに舌を鳴らしていたのを思い出す。


 それ以降は遣いを寄越してのみの依頼のやり取りだったので、日々の暮らしの中でその名前も単なる顧客リストの一行として記号化されていってしまったが、彼の方は彼女のことをいつまでも気にかけてくれていた。ウィルグマインとも浅からぬつき合いだった彼にとって、当時、師の下に小さな女の子が暮らしていたことは大変に衝撃的な変化であったらしいのだ。

 あのドレスは、数年分の誕生日プレゼントなのだと言ってくれた。今回の一件で彼女が王都を訪れていることを知った彼が彼女の成長に思いを馳せて用立ててくれた、親心にも近い施しだったのだ。

 そういうわけでブランフォードナー氏は以前に会った時とまったく変わらぬ姿で出迎えてくれた。彼も王都に名を残す綴導術士だった。


 彼女の訪問と成長を大変よろこび、暖かく招き入れて家人に紹介をしてくれた彼は、現在彼女が置かれている事態のことも熟知していた。預かっていた褒章を手渡すと同時、自分にでき得るあらゆる助力をさせてほしいとまで申し出てくれたのだ。

 しかしスフィールリアはそちらの提案は辞退した。状況を知った時点ではなく彼女の訪問を待った上でそうしてくれたということは、彼にしても下手に手を出すことの叶わぬ状況なのだと分かったし、彼女自身の事情もあった。大綴導術士の力を借りて事態の収拾に漕ぎつけたとしても、今度は彼女自身の無能を証明することになる。


 それでは〝彼女〟の挑戦を受けた意味も根底からなくなってしまうからだ。こちらから約束を破れば、自分はこれからも〝彼女〟に怯えながらすごさなければならなくなる。

 ブランフォードナー氏はそういった諸々を察したこちらの意図を察してくれたのか、さすがは世界でただひとりウィルグマインの弟子であるという賞賛とともに、武運を祈り、見送りをしてくれた。


「そういうことでしたか。たしかにお預かりいたしましたわ。これで、素材の半分ほどの下処理の依頼を打診して回る分くらいのお金にはなるでしょう。あとは、その肝心の、残りの素材代ですが……」


 言いよどむアリーゼルだったが、その表情からはある種の確信の色がまだ消えてはいない。

 スフィールリアは迷わずに追従した。


「教えて、アリーゼル。あたしにできることが、まだあるんでしょ」


 なお彼女が数秒の逡巡を見せたのは、それだけ危険な橋渡りであることを意味していた。


「…………。これは、ここからは、わたくしたちも学院の内部にあって学院の庇護を完全に離れる選択になります。完全なアンダー・グラウンドです。王都より超法規的に切り離された学院内の法規にすら明らかに抵触する……学院を、敵に回すことになります」


 うなづく。

 結局のところ、それはただの確認にすぎないことだった。スフィールリアの意思をたしかめたあとのアリーゼルの言葉からも淀みはなくなっていた。


「あなた自身を売りに出すことです」




 スフィールリアがアリーゼルに指示された場所は、研究棟区域のほど近く。資材や機材が保管されている建造物群の、隙間のようなところだった。

 十分ほど時間を潰していると……彼女のはす向かい側の建物の隙間の闇から、声がかかった。


「なにか入用かい、お嬢さん? くっくっく……」


 宵闇に暮れ始めている空は背の高いいくつもの屋上に切り取られ、この場はなお暗い。目を凝らせば、頭のてっぺんまでを真っ黒なローブで包んだ生徒らしき男が、身体の半分以上を隠してこちらを覗き込んできている。

 スフィールリアはあらかじめ定められていた文言を口にした。


「学院の深き地下に没したヘリオウリエスの森。〝霧〟満ちるそこへ打ち棄てられ、忘れ去られた霊廟へ、新たな仮面を並べることを欲して」


 その言葉を聞き、男だけでなく――周囲の建物すべての温度が一段冷えた気配が伝わってきた。


「その扉は、あなたへは、開かれていない」


 男の口調からも先まであったわざとらしい胡散臭さは消えていた。


「常に、開かれていない。だれも招かれてはいない。森を抜け、その先にあなたが求めるものとは、なにか」


 スフィールリアは正直に答えた。


「国宝『ウィズダム・オブ・スロウン』を直します。仮面を売る代わりに、必要な素材を仕入れるための資金の提供をしてください」

「――」


 十数秒の沈黙がすぎる間も、スフィールリアは眉ひとつ動かすことはなかった。

 やがて……。


「――くっくっく」


 ふふ……ふふふふふふふふ……

 くすくすくす、くす……

 はは、は、はははは……


「……」


 笑い声は、彼女を囲う建物中の窓から押し漏らされた。

 首を巡らせたのもひと回り分だけだ。視線は再び、目の前の男へ。


「どうぞ、こちらへ……我らが主は君を待っていたよ」


 そのまま招く手もなく路地の常闇へと消えゆく黒ローブの後ろ背を追い、スフィールリアはそこに開かれていた地下階への通路を進んでいった。




 四階相当分は下って通された部屋で、その男は待ち構えていた。


「ようこそ。騒乱の渦中に踊る姫君よ。わたしが当地下サークル<ヘリオウリエスの森>の当代店主を勤める、名は……必要あるまい。ふふ。気楽に、先輩、とでも呼んでくれればよかろう」


 その言葉にスフィールリアは「え……」と声を漏らす。

 目の前のデスクで尊大に構えたアイマスクの大男は、どこからどう見ても四十代中盤にしか見えなかったからだ。


「なにかおかしなところでも?」

「いや、先輩て……」


 男は野太い手首に巻きつけた学生の証であるネックレスを見せながら強調するように念押してきた。


「先・輩・だ」

「はぁ」


 ネックレスの装飾が示す階級は<青銅>だった。彼が学院に身を潜めて活動を行なうに当たり、あえてその階級に留まっているという話はアリーゼルからも聞いている。だが、まぁ、知識としての事実と目の前の人物に対する印象を合わせるのが難しいということも、あるにはある。


「どの道、呼び方などどうでもよかろうが? 君とてこれから、自らの名を失おうというのだ」

「……じゃあ、資金の融資はしてもらえるんですね?」

「その前に確認が先だ。学生証をこちらへ」


 彼女のうしろに控えていた案内役の黒ローブに学生証を手渡すと、それを受け取った店主。ためすすがめつ、何度も裏返してそれを眺めて……。


「よかろう。やはり、本物の特監生の学生証だ。何年ぶりかな、ここを訪れたのは、ふふ……」


 そう言って、心底面白そうに含み笑うのだった。ほかの一般生らとなんら変わらないように見える学生証だと思っていたのだが、知っている者にしか分からない見分け方があるらしい。


「ではこれは預かろう。さぁ、望みの金額を書きたまえ。君自身の値段だ」


 学生証と交換で持ち寄られた小切手に必要となる金額を書き込み、スフィールリアは改めて周囲を見渡した。

 冷たい石造りの室内は怪しく揺らめく青白い灯明が焚かれた香の煙に拡散し、なおかつ、猥雑としている。あらゆる種類の素材や書籍が押し込められるように並べ立てられている様は大聖堂前の屋台車の雑貨店にも似ていたが、違う点もある。

 天井付近をぐるりと巡って、取り取りの仮面が貼りつけられているのだ。

 これらひとつひとつの裏側に、ここを訪れた生徒たちの学生証が収められているのだとスフィールリアは察した。

 そんな彼女の視線に気づいた店主の中年上級生。頬杖をつき、面白げに彼女の心中にあった疑問に答えてきた。


「そうだ。これらはみな、かつてここを訪れた生徒の〝顔〟たちだよ」

「……」

「学院生徒の身分証明書は、心得さえあれば、様々な使いようがある。たとえばわたしの階級は<青銅>だが――いこうと思えば、<金>にしか許されないような上級の採集地へだってフリーパスで通ってみせる。大勢の生徒たちが意識などしていない。学院生の持つあらゆる特権と特典、そしてそれらを照合するセキュリティのすべては実は学生自身ではなく、こんな薄っぺらい証明書一枚に集約されているのだ」

「で、ほしがる人も大勢いるってわけですね」


 男は合格点を送るように口の端のしわを深めた。


「そう。これが我々の行なう〝商売〟のひとつだ。特監生と言えば最上級の〝商品〟だな。

 勘違いはしてほしくないが、あくまで我々は我々の定めた信条に従った公正な取引しか行なわない。――我々はだれにも強制はしない。我々は何者も招かない。ここを訪れるのはみなが自ら望んで足を運んでくる者たちでしかなく、ゆえに我々も『二度目』にここを訪れる者には、彼らが自ら剥奪した〝仮面〟を返却する。

 だから、ここに『いる』者たちはみな……帰ってこなかった者たち、なのだよ」

「……」

「君は、帰ってくるかな?」


 あくまで面白そうな男の表情に、スフィールリアも強気に笑って小切手を受け取り、きびすを返した。

 男はやはりおかしそうに笑い、扉をくぐる彼女へ見送りの言葉を送るのだった。


「では……お待ちしている。コレを片づけて見せて次に訪れる際には、ぜひとも当商店の品もごひいきに。君には期待しているよ、くくく……」


 こうしてスフィールリアたちは必要となる全材料の八割方を確保することに成功した。



 また、ある別の夜。

 屋敷の一室にて、エイメールは自分の顔が汚れるのにもかまわずに埃の散り積もった窓枠へと顔を預け――月明かりの差し込むなにもない風景を眺め果てていた。

 なにもない――本当になにもない部屋だ。今座っている椅子にしても彼女には覚えがない。定期的に訪れる管理人が休憩のために持ち込んだものなのだろう。どうでもよかったが。

 かつてこの家に、彼女と両親の生活があった。

 当たり前のように落書きをして怒られ、当たり前のように足の指をぶつけて恨み言をもらし、当たり前のように見すごしてきた、彼女と生活をともにしてきた数々の家財たちも、今はない。


「……」


 かつてこの部屋で、彼女は両親の訃報を受け取った。

 両親は立派な綴導術士だった。

 王都にあっては決して飛び抜けた術師であったとは言えなかったかもしれない。王庭十二翼の家門など雲の上の存在だ。だがそれでも彼らほど綴導術士の理念に崇高に向き合い、人々の生活の助けとなることを志した綴導術士を彼女は知らない。彼女にとって、両親は間違いなく世界で最高の秘術の使い手だった。


 両親たちを陥れたのは、欲と邪悪にまみれた卑しい出自の三流綴導術士たちだった。

 彼らは<アカデミー>を中退した経歴を持つ、元『一般生』の徒党だった。

 彼らは自らの力の至らなさを狡猾にして浅ましい頭脳で必死に補っていた。王都を訪れては人のよさそうなスポンサードを探して擦り寄り、また無知な貧困層へ詐欺同然の取引を持ちかけてくだらない金稼ぎを繰り返していたのだそうだ。それを知ったのも、両親の死後のことだったが。

 連中は人を騙すことだけには非常に長けていた。他人を食い潰して自らを存続させる経験だけは盗賊並みに練磨ができていたのだ。


 両親は連中が持ちかけた研究事業を、偽物だとは看破できずに、心打たれてしまった。

 父たちがどれだけ巧妙な罠にかけられて資産を奪われてしまったのかについては幼かった彼女が与り知るところではない。

 しかし最後に見た両親たちの、出かけ際の言葉は覚えている。彼らは最後の最後まで連中のくだらない言葉を信じて、破綻しそうになったという〝研究〟の手助けに向かったのだ。

 その道の途中で彼女の両親は深い谷底へと馬車ごと転落していった。


 詐欺師の連中がなにかの手を下したのかもしれないが、当時の彼女にとってはそれは重要事ではない。理解ができないことだったし、なにより、彼女にとっては両親とこの家だけが輝かしい世界のすべてだったのだ。

 一夜にしてあっという間になくなったこの家だけが。

 両親が馬鹿だったのかもしれない。人がよすぎたのだと言う周囲の声は幼かった耳にも聞こえて今でも残っているし、それは、ある意味その通りだと言えるだろう。

 しかしずっと小さなころに生誕記念かなにかの催しに呼ばれて両親とともに隅っこで大人しくしていただけの自分を覚えていてくれたエスレクレインが自分に救いの手を差し伸べてくれ、さらには両親を陥れた詐欺師連中たちの所在と余罪を突き止めて法の裁きの下に引きずり出してくれまでして……報いを与えられたと確認ができてあとも。なおエイメールに残った念は……


 恨み。それだけだった。

 たしかに両親は甘すぎた。優しすぎた。理想に愛されすぎていた。

 だけど――だからと言って――そんなことで連中が両親へした仕打ちが正当化されるだろうか? そんなくだらない結果のひとつで両親の美徳が否定されていいものだろうか?

 答えははっきりとしている。断じて否だ。

 だけどそんな周囲の声たちが……裁かれるべき者たちが正当な手続きを経て退場したのちにも彼女の耳へと飛び込み続けて。

 彼女の中の敵愾心という焦熱を、じっくりと熟成させていったのだ。

 いつしかその熱は、両親を陥れた連中と『同じ出』である綴導術師全員へと、向けられてゆくこととなった。


「そう……あなたは、そう」


 そっと。椅子の背もたれに、だれかが手を触れさせるのが分かった。

 その声の静謐さに、優しさに、エイメールはただただ心地よく耳を預けていた。


「あなたは知っているの。エイメール。あなたは知っている……綴導術士の在るべき姿というものを。最高の綴導術士の姿を。だからこそあなたは許せない。あなたは正しいわ」

「……はい。先輩」

「でも、これだけでは、足りないかもしれない。彼女ならこの状況でもなんとかしてしまうかもしれない」

「先輩も、なんですか。あなたも、あんな人の肩を持つんですか。……お父さんとお母さんを陥れた、あの人たちの」

「違うのよ。エイメール。違うのよ」

「違わない、ですっ……。このままじゃ……お父さんもお母さんも、殺されてしまうのに。一度は、手を、貸してくれたのに。みんながあの人たちに肩入れ、して、お父さんとお母さんを、馬鹿に、して。だからってそんなこと、許されていいはずが、ない、のにっ……! わたしが、助けてあげないと、いけないの、に……」

「違うわ、大好きよ、エイメール」


 ふわりと被さってくる黒くてきれいな髪と、手に……エイメールは自分の手を重ねた。


「それでも、彼女が学院の認めた〝特監生〟であるという事実は無視できないわ。わたくしたちは相手をあなどらない。だから状況を用意しただけではダメ。次の手を打たないと」

「……」

「ね?」


 エイメールは、うなづいた。


「でも、どうすれば」

「大丈夫よ。舞台は用意してあげたから。……あなたは最後の演目で、ひと押しをしてあげればよろしいだけ。あなたのご両親を崖下に突き落とした彼らのように。そうすれば、彼女は帰らぬ人……。学院は平和に。あなたのご両親も助かるわ」

「……」

「大丈夫。すべて上手くいくわ。今までだってそうだったでしょう? 学院も、学院長様も、わたくしたちには追いつけなかった。そうでしょう?」

「……」

「あなたは大丈夫……わたくしの言う通りにしていれば」

「…………は、い」

「お嬢様?」


 不意にかかった声で、エイメールは顔を上げた。


「フィーロ」


 玄関口を見張ってくれていたはずの彼女は、半分だけ開けた扉から気遣わしげに顔を覗かせてきている。


「どうかしたの。だれかきた?」


 彼女はますます顔にある心配を強めた。


「いえ……こちらから声が聞こえましたもので。……だれかとお話をして、いましたか?」


 エイメールはなにを馬鹿なことをと彼女の冗談を一笑にふして、人の隠れる場所の一切がない室内を示す。


「だれかいたら……困るでしょう?」


 なお訝しげだった彼女は、それでもこちらの言葉に一応の合理性を得たようだった。


「そうですね。ですがどこから人に見られて、管理人を呼ばれるとも限りません。今日のところの『ご帰省』は、そろそろになさいませんと……」


 エイメールもうなづいて立ち上がった。


「そうね。わたしも準備に取りかからなければならないですし。ゆきましょう、フィーロ。また力を貸してください」



「……これで最後、と」


 金色の輝きを放っていた晶結瞳が、最後の練成を完了する。直接手を差し入れて、水面のような波紋を生み出す球面から素材を取り出し、スフィールリアは息をついた。

 その最後の素材を厚手の丈夫なリュックサックに詰め込むと、フォルシイラがしみじみとつぶやいてきた。


「全部Aランクの素材品だ。実際ここまではよくやったと思うぞ。このランクの練成で、これだけ完璧に素材の品質を保てる一年生は、たぶん今年はお前だけだ」

「ありがと。あとはアリーゼルに預けて、また王都中の工房に分散させて最基礎パーツの加工依頼をしてもらうだけだね」


 仕上がりまでには少なくとも一週間以上はかかる見込みだ。

 だからその間に、〝霧の杜〟に出向いて昏紅玉(ルビー・ナイトメア)を入手する。

 スフィールリアは素材袋の隣に置いたもうひとつのリュックサックの中身の点検を始めた。こちらは〝霧の杜〟に入るための旅支度だ。


「なぁ、やめておけよ。やっぱりコレ、無理だ」


 スフィールリアは点検の手を止めない。


「自分を工房の代わりにするつもりなんだろ? 今のお前じゃ無理だ。最悪、死ぬぞ」

「……」

「いいや、それも〝霧の杜〟から帰ってこられたらの話だ。ただ入って出てくるのとじゃ話が違う。あんな中途半端な深度の場所でゲートを構築しようとしても、十中八九問題の国が沈んでるところまではつながらないぞ。無理にゲート練成すれば、破綻して、巻き込まれて、存在の基準点も失って帰ってこられなくなるぞ」


 なお言い募ってくるフォルシイラにスフィールリアは初めて向き直って笑いかけた。フォルシイラは少したじろいだようだったが、次の彼女の言葉を聞くと、今度はあからさまに眉間にしわを寄せて怒りを表明した。


「あたしがいなくなったら、また静かになるんじゃない?」

「お前な、怒るぞ」


 フォルシイラとてここを訪れた生徒全員を追い出してきたわけではない。人間嫌いな彼が折り合いをつけられる生徒であるかどうかは、互いにとって、たいてい最初の一週間で判明する。

 その期間を超えてすごしているからには、彼だってスフィールリアのことをあるていどは認めているのだ。このことも、互いには言わずとも分かっているはずのことなのだ。

 彼女が「ごめん」と謝ると、フォルシイラは諦めたように頭と耳の位置を落とした。


「……そんなに大事なことか?」

「うん。あたしはこうじゃなきゃダメみたい。……ごめんね、フォルシイラ」


 フォルシイラは打たれたように沈黙し、しばしして、盛大にため息を吐き出した。


「お前はやっぱりアイツと似てるな。一度決めたらどんだけ言っても聞かないんだ」

「でも大丈夫だよ。きっと帰ってくる。秘密兵器があるからね、ホラ」

「お前、それは――」


 スフィールリアが取り出した、純白の石でできたようなバトン上のそれを見て、フォルシイラが紫色の双眸を見開いた。


「<縫律杖(ほうりつじょう)>か」


 それは、フォルシイラの知るフォマウセンの<オーロラ・フェザー>と酷似した構造をしていた。さらに彼は知らないことだが、外観はミルフィスィーリアの杖と色違いと言ってよいほど似通っている。


「あたしが十四になったころくらいかな……フィースミールさんの名前で、贈ってきてくれたんだ。師匠も『お前が一人前になったら分かる』って言うだけだし、ミルフィスィーリアが使うのを見るまでは、そういうものなんだって気がつかなかったけど……使ってるところを見たから、今なら少しは扱えると思う」

「あの娘の作品か……やはり」


 さまざまな念を込めて<縫律杖>へ視線を込めるフォルシイラを、スフィールリアはしばらく眺めていた。

 そして今までは聞かずにいたことを、聞いてみることにした。


「……ねぇ、フォルシイラ。『アイツ』って、さ」


 あぁとうなづいて、フォルシイラは彼女の瞳を見返した。その双眸を、懐かしむように細めて。


「昔『ここ』で、俺はアイツと暮らしてたんだ。昔、学院は『ここ』だけだった――まだ街もなんもない。アイツを慕って集まってきたほんの数人ぽっちの生徒どもと、こんな小っぽけな小屋だけの場所から、この<アカデミー>は始まったんだ」


 その言葉は、少なからぬ衝撃だった。今までのフォルシイラの言葉から、あるていどの予感はしていたものの。


「そう、なんだ」

「あぁ」

「ここに……フィースミールさんが」

「原型なんかもう木片ひとつ残ってないけどな。何度も立て替えられて、何度も改装されたし、フォマウセンの小娘が引き継いでからは特監生どもが好き勝手に改造を加え放題だったしな」

「そうなんだ……」


 スフィールリアは改めて工房の壁と天井を見上げ、しみ込ませるように視線を巡らせていった。

 古めかしい煉瓦作りの壁。木組みのドア枠。何度も煤や薬剤を吸い込んだ色の。

 かつてこの場所を、何人もの生徒たちが行き来していた。それぞれの生活、それぞれの目的へ向かい、何度も違う朝と夜を迎えながら――

 その中のひとつに、あの、フィースミールもが含まれている――

 その事実をかみ締めて、スフィールリアは呆けた表情に笑みを満たしていった。


「それじゃあなおさら、絶対に帰ってこないとね」

「分かった。じゃあソレちょっと貸せよ」


 フォルシイラはスフィールリアの手にある<縫律杖>をパクッとくわえて奪い取った。


「一度も使ってないならイニシャライズもまだだし、アクセスもしづらいだろ。調整くらいはしてやる」


 そして、


「ん。これは……」


 と、眉間をひそめた。


「どうしたの? 壊れてるとか」


 しかしフォルシイラはたったの数秒で〝調整〟とやらを終えたらしく、ポトリと彼女の手のひらにくわえた杖を落とした。


「いや。壊れちゃいない。でもコレ半分以上が未完成だ。というかコレ一本で完成品として扱うこともできるだろうけど、世界のどこかにもう一本、コレと対になる<縫律杖>があるはずだ――完成したら、この大陸丸ごと覆うくらいの綴導術も軽く扱えるぞ。異常な構造だ」


 その『もう一本』とはひょっとしてミルフィスィーリアの持っているあの杖だろうかと思い当たったが、今は口にしないでおいた。それよりはフォルシイラの言葉にびっくりさせられたということの方が大きかった。


「さすがにそこまでの機能はいらないかな。すごいのくれちゃったんだね、あはは……」


 だがフォルシイラの声は不穏なままだった。


「誕生祝いというレベルの品じゃないぞ。実際、冗談でアイツがこんなもんを作るとは思えない。ソイツの銘はな、よく聞けよ。神なる庭の塔――<神なる庭の塔の〝煌金花〟>だ」


 たしかに、冗談や伊達を感じられるような響きではなかった。


「……」

「気をつけろ。ソレはな、<縫律杖>よりは、大昔に魔術師どもが世界管理に使っていた<神のスタッフ>に近いシロモノだ。『俺たちに近いモノ』だ――今回はしかたないが、ソレはあまり表に出したり、気楽に使わない方がいい。どういうつもりでそんなもんを贈ったのかは知らんが、どんな機能が隠されてるか分からんぞ」


 しばらく、フォルシイラの真剣な眼差しを見返して……


「うん。分かった」


 スフィールリアは素直にひとつ、うなづいた。

 フォルシイラがその膝上に前足を置く。


「いいか。ちゃんと――今度はちゃんと帰ってくるんだぞ。俺様がちょっと目をかけたヤツはみんな離れていっちまう。お前は少しだけアイツと同じ匂いがするんだ」

「ありがと、フォルシイラ」


 スフィールリアがフォルシイラの頭を抱き寄せると、金猫も今度はおとなしく寄り添ってくれた。



 翌日の早朝。旅装を完璧に整えて、王都の入場門前でスフィールリアたちは集合した。


「さて、準備万端、ですわね……余分な人物がいくらか迷い込んでいるような気もしますけど」


 アリーゼルにじろりと睨まれても、アイバは憮然たる構えを崩さなかった。

 スフィールリアはまだ痛む気がする頭をなでさすっている。

 アイバから譲り受けた紹介状を持って<猫とドラゴン亭>におもむいたスフィールリアは、酒場の亭主になんとか頼み込んで彼女の要求に融通を利かせられる護衛者の都合をつけてもらうことができた。

 しかし先刻、酒場前で待ち構えていたのはアイバだった。

 そこで彼女はアイバから痛烈なゲンコツを落とされた。「避けるなよ」と忠告まで押された上でだ。どうやら酒を頼まなかった替わりに一杯食わされたのだとスフィールリアは悟った。


「コイツが悪いんだ。あらかじめ話通しておかねーから。俺を呼ぶってちゃんと最初から決まってたもんな」

「うぅ……だからってトラップ張っておくんならそいつも最初から言っとけよぅ」

「まぁ、問題なく〝霧の杜〟への入場ができるのならなんでもよろしいのですけど」


 アリーゼルのジト目は、今度はスフィールリアに向けられることになるのだった。


「あなたたち、なんでいつの間にそんな仲良くなってらっしゃいますの。ちょっと脈絡がないにもほどがあるのではなくて」


 フィリアルディなどは小さなアリーゼルの影に隠れてさらに縮こまってしまっている。

 その様子を見て、アイバは気まずく頭をかいて、それから頭を下げた。


「いや、なんつーのかあの時はいろいろ予想外というか対応力の限界つうのか……すまんかった! 悪気があったわけじゃねーんだ。俺も連中も!」

「……」

「詫びじゃねーが、今回は絶対にアンタらのことは護りきって見せる。男アイバ、二言はねぇぜ」


 なお警戒と怯え二種の眼差しを返していたふたりだったが、


「まぁ、口先でなく行動と実益を以って返そうというのなら、人間同士の誠意くらいは心得ているということでよいでしょう」

「あの……わたしも、ごめんなさい。もっとちゃんとお話を聞いてあげていれば、あんなことにはならなかったかもしれないのに」


 と言って警戒の姿勢を解き、幾分かはアイバへの距離も通常位置に近づいたようだった。ただしその前に、ちらりとスフィールリアを見てからではあるが。両者間にある『あんなこと』の半分以上は彼女がこさえたのだという言外の確認作業である。

 スフィールリアは「うう」とたじろぎつつ、強引に咳払いをしてうまいことその場をごまかすことに成功した。アリーゼルのジト目はさっぱり解かれていない気はしたが……。


「ま、まぁホラ、でもそのおかげで護衛も用意できたんだしいいじゃない! こう見えてもなんと伝説の勇者の末裔なんだから!」

「……本当ですの?」

「ほ、本当だって。ご先祖が使ってた剣だって持ってんだ。ほらこれだよこれ」


 アイバが抱えていたやたらと大きな布包みをドスンと地面に突き立てて見せると、態度を一転様変わりさせて三人が群がっていった。


「本当の本当ですのっ? これがあのアイバール・タイジュ=セロリアルの授かったという『世界樹の剣』? 見ても触ってもよろしいですかっ?」

「えっ。あ、あの、わたしも!」

「あ、あぁまぁいいけど……本当の名前は始まりなる庭のナンチャラ……プ、プラ……ナンチャラ。みたいんだった気はするけどな」


 三人はまったく聞いていなかった。


「これが……あの。あの『薔薇の剣』にも比肩して劣らないという神器級のアーティファクトですの……ランクSSSの」

「すごい、絵本と同じ。本当に伝説の神剣なんだ……表面の構造も読みきれないわ……すごい」

「構造の広さだけなら<縫律杖>より上かもね……こりゃ~すごいね。ねぇアイバ、これバラして研究しちゃダメ?」

「ダメに決まってんだろサラっと言うなよっ! つーか、そんなことより!」


 三人が適当にほぐしてしまった布包みを元に戻しつつ、アイバ。

 憮然な顔つきに戻って、自分たちより少し離れた場所に陣取っていたふたりの人影を指差した。


「なんでコイツらがいるんだ」


 三人も今まで触れずにいたが、しかたなしと向き直った。

 彼が指差した先にいたのは、エイメールだった。

 同じく旅装を整え、従者らしき女性とともにたたずんでいる。彼女は四人の輪には加わらず、ずっとにやにやと笑いながら見つめてきていた。


「なにか問題でもありますか?」

「大アリだろ。話はここくるまでに聞いてんだ。――てめぇが全部の仕掛け人なんだろうが。こんなところにまでしゃしゃり出てきやがって。今度はなにする気だ」


 本気で敵を見る目つきですごむアイバの気迫も、彼女はさらりと後ろ髪とともに流して笑うだけだった。


「別に。なにも」

「なわけねーだろ。邪魔するためについてこようってんなら、今この場でどっちもたたき伏せるぜ。覚悟しな」

「あら。一応わたし、貴族なんですけど。大変なことになりますけどよろしいですか?」

「知るか」


 神剣ではなく腰の片手剣の方に手をかけて前に出ようとするアイバの腕をスフィールリアが捕まえて止める。


「アイバ、しかたないんだよ」

「……なんで」


 答えてきたのは、エイメールだった。


「ふふっ。この人数で今の<ロゥグバルド監視公園>に入るためには最低でも護衛が二人以上はついていないとダメだからですよ。現在の王都で、彼女以外に行動の秘密を守ってあなたたちについてきてくださる便利で向こう見ずな戦士さんがいらっしゃれば話は別ですけどね?」


 エイメールが手で示すと、従者の女は一礼して、胸元から身分証明書となる首かけ名札を取り出して見せた。

 歳は二十代前半ほど。肩口に切りそろえた燃えるように波打つ赤毛の色とは裏腹に、物静かで怜悧な印象を与える女性だった。

 彼女の提げる身分証は、たしかに採集指定地への立ち入り資格を含む戦士職を示すものだった。


「フィオロ・クランスウェインと申します。父の代よりアーシェンハス家の家令として身の回りと警護全般を勤めさせていただいております。以後お見知りおきを」

「はん。そんで、お嬢様の素材調達もお助けするためにンなもんまでこさえましたってわけかよ。たしかにそれなりに腕は立ちそうだよな? ウチの上級生よりは強いって、分かるぜ」

「……」

「アンタなら、なんか特別な武器さえありゃ国宝でもなんでもブチ壊してさっさと逃げられそうだよな? そこのモヤシお嬢様が直接、学院内をスタコラサッサするよりよっぽどよ」

「……」

「ご立派なご主人様だよなぁ。恥ずかしくねーのか?」


 女は、なにも言わない。

 ただし、アイバの目を直接見返すこともなかったが。


「アイバ。止めなよ。キリないよ」

「……」

「<ロゥグバルド>の〝霧の杜〟でゲートを開くには、少しでも多くの補佐がほしいの。だからアリーゼルとフィリアルディにもついてきてもらったんだけど……今のあそこは非戦闘員の数の少なくとも半分の護衛チームがいなくちゃダメなんだって。だから」


 アイバは舌打ちして出かけの足を引き下がらせた。

 その代わり、突きつけた指とともに、たしかな忠告をつけ加えて。


「分かったよ。……だけど、いいか。『今の』でアンタの力量もだいたい分かった。下手な真似しようとしやがったら、今度はコイツがどう言おうがこの剣の腹でブン殴って沈ませる」


 エイメールは不快そうに眉をひそめたが、従者の女の顔には理解の色があった。

 アイバは言葉を投げると同時に、いくつもの戦闘予備動作をしぐさや体重移動に混ぜ隠していた。そのうちで彼女が気づいて警戒していたものもあったし、まったく気づかず見すごされていたものもあった。

 アイバの言葉で彼女もそのことに気がついたようだった。対応できない攻撃があるのなら、純粋な戦闘能力はアイバが上だということだ。


「分かりました」


 実直にうなづくフィオロへとアイバが面白くなさそうに舌を打ち、話にひと段落がつくと同時、そのまま自然と出立の運びとなった。



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