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「うふふ。うふふふ」


 スフィールリアが自分に〝宣言〟をして立ち去ったあと。


「うれしいわ。うれしいわ。彼女からわたくしに会いにきてくださるなんて」


 その〝魔女〟――エスレクレインは本当に上機嫌と、組んだ足を揺すらせていた。

 場所は……どこ、ということもない。

 本当に特別でもなく、呼ぶべき名もない。強いて言うなら、中央広場と研究棟方面を結ぶ道の中間あたりの場所である。

 彼女はこの道の脇の芝に寝転がって、行き交う生徒や教師、業者たちなどを眺めるのが好きなのだった。身分に合わずそんなことばかりをしているから、特にこの道をよく使う者たちからは変人と思われている――。


「ふふ、ふ……」


 そして、そんな彼女を訪れて。スフィールリアは、こう言ったのだ。


『あなたの挑戦を――受けます』


 ――と。


『まぁっ。スフィールリアさん、そんな……挑戦? 挑戦だなんて!』


 あまりに嘆かわしいその解釈に、頭を振り乱してまで抗弁するも、


『そんな――わたくしはただ――あなたのことを想って』

『……』


 彼女は、(なぜか最初から)怖気づいた顔の中に、苦渋を混ぜたような笑みを返してくるだけだった。

 彼女に入れ知恵をしたのがだれなのかはエスレクレインにも分かっていた。なぜかと言うと、こっそりと聞いていたからだ。

 寮棟で別れる前。アリーゼルは自分について、彼女にこんな情報の渡し方をしていたのだ。




 ――それと、もうひとつお伝えしておくことがありますの。

 ――エイメールさん自身の実力や術者としての環境で、事件を起こすことのできる要素はなにひとつとしてありませんでした。ですが彼女を調べる中で、ひとつ、背後で糸を操る者に思い当たる点が浮かび上がってきたとわたくしは考えています。


 それが、自分であると、小さなアリーゼルは告げた。

 それは、正解だった。しかしここからがよくない。


 ――エスレクレイン・フィア・エムルラトパ。それが彼女のお名前ですわ。この聖王都にありて王室を支える十二翼の貴族。そのうちのさらに七大・大公爵家の頂点に座すのが彼女のお家ですの。……ですがそのこと自体は、まだ、重要な点とは言えません。

 ――いいですの。

 ――彼女にだけは、関わらないようにしてください。

 ――調べれば調べるほどに謎ばかりがかさむのがエムルラトパ家ですが……わたくしからはそれ以上に、彼女こそ、得体が知れない。


 ――エスレクレインさんはエイメールさんのお家が事業の失敗で没落してから、彼女の世話をよく見ていたようです。ご両親の死後に彼女が身ひとつで市井に放り出されずに済んだのも、学院に入学なさることができたのも、あの人の恩恵によるところが大きいでしょう。今回の一件の前後でも、彼女が何度かエスレクレインさんと接触している痕跡を見つけました。

 ――あの人の学院内階級は<銀>です。場合によっては一綴導術士として独り立ちしていてもおかしくはない場所にいると言えますが、それでも、全学院の防御や追跡を欺いてこんな大事を完璧に遂行せしめるような実力を保障する位ではありません。


 ――だからこそ逆説的に、彼女が『そう』であると裏づける根拠になるのではないかとわたくしは考えますわ。……なぜならば、彼女は……この学院に入学してから<銀>の位を得るまでに、たったの一度きりしか<宝級昇格試験>を受けていませんの。

 ――そう。

 ――あの人は入学していきなりの本番で<銀>の昇級試験を受けにいって……なにごともなかったようにあのネックレスを手に入れて戻ってきたんですの。

 ――それもどういうわけか、厳重に秘匿されているはずの合格基準……そのぴったりの点数だけを取得して、ですわ。それを受けてその年以降の合格基準が改定されたというのは裏では有名なお話だったそうです。ですがカンニングだとか買収という不正の線はあり得ない。なぜなら彼女は、ごまかしようのない実技認定の試験でも、まったく同様にその点数を叩き出して見せたというのですから。


 ――試験の結果を自在に操作できる。合格基準の情報をどうやって入手したのかは抜きにして、少なくとも彼女にはそれだけの途方もない……いえもっと端的に、ふざけた実力があったということでしょう。そんな逸話を持っているからあの方、一部からは〝魔女〟だなどと呼ばれているそうで。

 ――……信じがたい話ではありますが、上限が未知数であるなら、今回の件についても絶対に不可能とは言えませんわ。

 ――……彼女はなにやらあなたに異常な執心をも抱いているようでしたし。あなたになんらかのちょっかいをかけるために、エイメールさんを利用したのかもしれません。


 ――ですから、彼女には関わらないでください。

 ――彼女はたしかに変わり者で通っています。ですが遊ぶように学院の<銀>資格を取得し、奔放に振舞い、親しくしていた後輩をも利用する……これほどの大事も率先してしでかすエイメールさんの〝敵意〟すら、気楽にもてあそぶ。……わたくしはあの人から漂う得体の知れない無邪気さが、危険なもののように思えますの。

 ――ですから、知らぬふりを。

 ――えぇ、わたくしもあなたと同じ心象です。エイメールさんと違って、あの方までが敵意を抱いているようにはわたくしにも思えません。ですが、だからこそ、関わるのは危険な気がするのですわ。

 ――ああいうお方はちょっとした親切心かいたずら心からのつもりで、周り中のすべてが目玉を引ん剥くようなとんでもないことをしでかすに、違いないのですから……。




 …………と。

 こんなことを言うのである。

 エスレクレインはとてもかなしかった。これでは、この目の前の彼女がおっかなびっくりになってしまうのだって無理がないのではないか? いやそうに違いない。

 出会った最初に怖がられていたのは、照れていたからだ。すべてのつじつまは合う。


『……ふふ』

『……』


 だけど、いいのだ。

 それでもスフィールリアはこうして、彼女に会いにきてくれたのだから。


『やっぱり……あなたは〝そう〟なのね。なんて、美しい。外面なんて、言葉通り単なる氷山の一角……あなたの美しさの本質は、内面。その胸に輝く〝黄金〟から滲み出しているのですわ』

『先、輩……それ、は。どういう……』

『だってわたくし、先ほどのあなたがマックヴェル教師様にされていたとても美しい告白も聞いていたんですもの』

『うぇっ? ど、どどどこから? ていうか、も、って!? ほかにはなにをっ!?』

『うふふ……だから、とても、うれしいわ』

『え、えへへへ、へへへ……!』

『本当に、とても。――あなたがわたくしの想いを受け止めてくれるというのなら』

『――』

『わたくし――あなたにいいことを教えて差し上げちゃいます』

『ひぇっ?』

『――<大図書館>地下封印回廊前の図書棚。守衛の右手前にあるA-601番棚の裏隙間に開かれた秘密の本たちのお茶会場。そこにこぼれ出る、唯一茶色い表紙の206項目に記される詩篇は。あなたの求める〝アーティファクト=フラグメ〟です』

『――』


 かわいらしく身をすくめつつ彼女は、こちらが寄り添って耳打ちした細かいことを、しっかりと自分の腕に情報記述して記憶に留めたようだった。


『……ありがとう、ございます』

『いいのよ。ほかに困りそうなことはなくて?』

『……。じゃあ、ひとつだけ』

『なぁに?』

『……先輩がなんのためにこんなことをしかけてきたのかは、分かりません。でも、二度とあたしの友達を巻き込まないでください。無駄だっていうことは、証明しますので。あたしはあたしのまま。変わりません――約束してもらえませんか』

『あぁ……そんな。だから、そんな』

『約束、してもらえませんか。でないとあたしも、』

『分かりましたわ二度とフィリアルディ・マリンアーテさんには手出しいたしません破ったらこのエスレクレイン・フィア・エムルラトパこの身を千辺に千切ってこの血潮をあなたの庭の桜の養分へと捧ぐことを誓いますわですから嫌わないでくださいませ!』

『は、早……ていうか重……げふげふん! ま、まぁ分かっていただけたなら、あとは全力でなんとかするだけですけど。そ、それじゃあ今のお願いをしにきただけなんで、あたしはこれで』

『あぁっ、いけないちょっと待って! もう一度耳をお貸しになって?』

『え……。な、なんで、ですか?』

『さっき耳打ちした時にあなたの香りを胸いっぱいに吸い込んでおくのを忘れてしまったの。さぁ』

『ししししし――失礼しまひゅっ!?』

『あぁっ』


 奥ゆかしい彼女が去ってしまってからも――




 そうしてすべての黒幕エスレクレイン・フィア・エムルラトパは、罪悪感も、学院を敵に回している気負いもまったくないままに、スフィールリアとの逢瀬の余韻に浸り続けているのだった。


「あぁ……お友達を救う。あなたを救ったあの人のように……それがあなたの綴導術の本質。本当になんて美しい。なんて素晴らしい。あなたはすでに最高の綴導術士なんですわ」


 と、しかし、そこに……。


「…………」


 ふらふら~っと近寄ってくる黒い人影を見つけて、エスレクレインは表情を平坦に収めていった。

 人影は、ミルフィスィーリアだった。

 ミルフィスィーリアは、一匹の蝶を追いかけていた。

 ぼんやりした視線は一心と、ひらひら舞う妙~~なほどに派手派手しい色合いをした翅へ。足取りはふわふわと、そのうち彼女自身もどこぞへ飛んでいってしまいそう。


「……」


 ちょうど彼女の足元あたりを通りそうな進路だったので、エスレクレインは寝そべったまま、ついと自分の片足を持ち上げて待ち構えた。そして予想通りと彼女の足前に差しかかり――

 ミルフィスィーリアは、見事にコケた。

 受け身もなにもなく、顔面から芝生へ。本当に見事な転び方だった。蝶はそんな彼女には構わずいずこかへ飛んでいってしまう。


「……ふん」


 しかしエスレクレインはうまいこと彼女を引っかけたという感慨も見せず、つまらなさそうに鼻を鳴らして上体を起き上がらせた。

 ミルフィスィーリアも、赤くなった鼻をさすりつつ顔を向けてきた。


「ごめんあそばせ。文句ありますかしら?」


 黒ローブの襟から飛び出したリスが文句を言う気満々の前傾姿勢で彼女を睨む。が、彼女に微笑まれると全身を総毛立たせてミルフィスィーリアのうしろ髪の中へ隠れてしまった。


「……今の、ちょうちょ」

「ええ」

「……モンシロエンペラードラゴンライオンハートニクスゴールデンゴッドバードウルフアゲハ」

「まぁ。なんてより取り見取りな蝶々」

「燐粉……分けてほしかった……」

「ほーん? それでそれで?」

「なかなかお話を、させてもらえず」

「分不相応だったということです。お諦めなさいな」

「……」


 素直にうなづいてくる彼女に覆いかぶさるように身を寄せて、エスレクレインは顔を突き合わせた。


「そんなことはどうでもよろしいんですのよ――あなた。スフィールリアさんが今ちょっと大変なことに巻き込まれているのはご存知?」


 巻き込んだ張本人である事実をおくびにも出さずそんなことを聞く。

 ミルフィスィーリアは首を横に振る。かすかに、その表情へ驚きの色が混じる。


「助けたいって思います?」


 こくりと、うなづく。


「綴導術って困ってる人を助けるためにあるって思います?」


 うなづく。


「世のため人のためにこそ綴導術はあるべきと思います?」


 もう一度。


「……ふん。やはりあなたはくだらない人。スフィールリアさんとは大違いですわ」


 エスレクレインは心底つまらなさそうに顔を離した。

 そして厄介払いをする手つきで手を振り向けて、当然のように指示を出した。


「それじゃああなた、今から<アガルタ山>にいって王竜金を一握り分ほど調達してきてくださる? ――なに、あの山の中腹あたりで無駄に荒ぶってるドラゴンたちの角を二~三十本くらいへし折ってくればそれくらい手に入りますわよたぶん。あ、二日以内くらいにお願いしますわね」


 ずぎゃん! と黒ローブ肩上のリスが大変な衝撃を受けたように尻尾の毛を逆立てた。

 ちなみに<アガルタ山>とは学院から片道で十日以上はかけてたどり着く危険極まりない採集地のひとつである。

 リスは必死な様子で彼女の横髪を引っ張り、耳を傾けてはいけないと訴えかけた。

 ミルフィスィーリアはふるふると首を横に振る。


「どらごん……かわいそう」

「スフィールリアさんが退学になってもよろしいって言うのかしらっ?」


 もう一度、ふるふる。


「じゃあお願いしますね」


 こくり。

 リスを再度の衝撃が襲う。

 しかしミルフィスィーリアはかまわずに立ち上がり、腰元から取り出した<縫律杖>を顕現させた。見る見る間に極細密のタペストリを編み上げてゆき――


「ああ、成果物はそのままスフィールリアさんに届けて差し上げればよろしいから」


 こくりと、うなづいて。


「……かの地、へ」


 ミルフィスィーリアの姿がその場で掻き消えた。なお必死に止めにかかっていたリスともども。


「あら便利」


 出てきた感想はと言えば、それだけだった。



「さて、そろいましたの?」


 二日後。

 スフィールリアの工房に、三人が集っていた。

 作業用の大机の上には持ち寄った素材群。その他、作業や打ち合わせに必要とされるいくつかの書類や書物がある。

 彼女らの背後には、木箱ぎっしりに詰められた青赤緑三色のビー玉サイズな水晶水。これは本来イガラッセの依頼につぎ込むはずだった一部をスフィールリアが残したものだ。

 そして……。


「ほほう。これがその『ウィズダム・オブ・スロウン』というヤツか。なかなかの構造をしているじゃあないか」


 同じく横たえられた大旗を眺めに、フォルシイラが机の上に前足を乗りかからせた。アリーゼルがちょっとビクッと震えていた。

 アリーゼルへ最初にフォルシイラを紹介した時だ。アリーゼルは体長二メートルは超えるこの金猫を見て、かなりビビッていた。ビビりつつも、


『……初めまして。古より人に寄り添いて偉大なる秘術の深奥に触れる、大妖精さんにお会いできまして光栄でございますわ。わたくし、アリーゼル・フォア・フィルディーマイリーズと申します。どうか以後お見知りおきを』

『ほう、なかなか礼節をわきまえた小娘ではないか、ふふ……』

『ど、どうも……』

『……』

『……』


 とそこで、


『……ふふ』


 ぺろり。


『ひゃわあっ!?』


 近寄り、いきなり肩に乗りかかって頬をひと舐めされて、ものすごいびっくりしていたのだ。

 スフィールリアにも最近分かってきたことだが、この猫、どうやら自分が偉大な存在かどうかというより、単に自分を見た人間が驚く姿を見るのが好きならしい。

 ちょっとかわいいなとスフィールリアは思った。フォルシイラとアリーゼル、両方である。

 それはともかく、フォルシイラの『ウィズダム・オブ・スロウン』を見る目つきは真剣そのものだった。彼とてなかなかお目にかかるレベルの宝具というわけでもないのだろう。

 その神秘的に輝く紫色の双眸でひとしきりの構造を把握し終えると、簡単に感想を言ってきた。


「まぁ、無理だろこれ。だって、この工房でやるつもりなんだろ?」


 彼の説く道理は、わざわざ詳細を分けて話すまでもないことだった。




「あと二十人くらい呼ぶんだろ? そんな広さまではないからな、ここ」




 と。

 三人は、なにも言わない。

 え……。とフォルシイラの尻尾が徐々に下がり始める。


「ひょっとして、三人でやるつもりなのか?」


 フィリアルディが表情に陰りを落とし、スフィールリアとアリーゼルが肩をすくめ合った。


「……」


 フォルシイラはどこかぽかーんとした調子で、静かに机から足を下ろした。

 数秒の沈黙を破り、アリーゼルが再び作業机上の素材群を見やる。


「それも、今から議題に挙げなければならない懸案事項のひとつですわ。でもまず、全体の状況から整理しましょう」

「うん」

「まず、なによりも好都合なことに、修復すべき『ウィズダム・オブ・スロウン』はわたくしたちの手の中にあります。これがなければそもそもどうすることもできなかったのですから、神々の采配と言うほかはありません」


 次に、机に置いた厚手の本を開く。そこには、机に置かれた残骸と同じ形の大旗の図が描かれている。


「もうひとつに、この『ウィズダム・オブ・スロウン』が過去数度に渡って学院を訪れているという事実です。先人たちの交流の努力と研究の一端が、学院には少なからず残されている。わたくしたちはそれをたどることで、このアイテムに関するかなりの部分までの理解を得ることができます」


『ウィズダム・オブ・スロウン』

 それは三百年前――エルマノ国に病気のように巣食いかかっていた問題の数々を解決した、伝説と謳われるにふさわしい奇跡をもたらした宝具だ。

 当時のエルマノ国は、有体に言えば大した国ではなかった。自給率も低い豆粒のような小国にすぎないかの国がそれでも数多くの諸国と交流を持ち、彼らからなにかと融通を利かされて国体以上の利潤を得ていたのには、理由があった。

 小さなエルマノ国の領土内から産出されるいくつかのマテリアルが、綴導術にとって非常に貴重な性質を持っていたことだ。各国はこぞってこの産出品の取引を競争し合い、産業面、工業面などにおいてまったく他国に比肩し得るものを持っていなかったエルマノ国は、だからこそ彼らの期待に応え続けることでしか自らを存続させることができない状況に陥っていた。


 むしろ、エルマノ国がその他の道を見つけて歩み出すきっかけを模索できぬよう、各国があらゆる手を回して彼らの成長の余地を奪っていたという事実がある。――具体的には、工芸・工業に関わる素材品や、彼らの生活必需品に関わる品の取引におけるアドバンテージの完全掌握。または、関税その他さまざまなエルマノ国に対して有利に働く条約を結ばせることでそれらが凍結された時の損害を考えさせる。などなどである。

 エルマノ国も周辺諸国の思惑は察知していた。しかし、その上で諸国の要求に応えざるを得なかった。『それ』ができるということは、いつでも諸国はエルマノ国の流通を完全に侵食し、経済的な支配を行なうことができる――つまり、いつでも取り潰すことができるという意味にほかならなかったからだ。


 諸国が『それ』をしなかった理由とは、バランスが完成してしまっているためにすぎなかった。どこかの一国が抜け駆けでもして強引な手段でエルマノ国から産出品に関する利権を奪い取った場合……今度はその国がエルマノ国の立場に取って変わるだけだ。ならば他国にとって、エルマノ国にはそのままの立場に収まっていてもらうのが一番よかったのだ。

 エルマノ国は、結局のところ、道化だった。

 だれも彼らを見ない。空っぽの中枢だった。

 しかし、それが、エルマノ国に逃げられぬ試練をもたらすことになる。

 そうしていくつもの所在を別にする条約と思惑が複雑に絡み合い、エルマノ国は、ついに身動きが取れなくなってしまった。


 諸国の要求合戦はエスカレートの一途をたどり、そろそろ、どこかの国に立った角が収められないという状況になっていたのだ。

 外面ではひとつながりになっているように見える経済的経路も、一枚裏を返せばあちらこちらの基盤が実質上外国のコネクションとなっており、モザイクのようにバラバラになってしまっている。国に根ざす市民や商人たちにしても同じで、彼らにとって重要なのはもはやエルマノ国ではなく、どこの国のエージェントと親しくするのかという点で、お互いを睨み合うことに疲れ果ててしまっていた。


 そこにエルマノ国はない。諸国は彼らだけで競争の加熱を繰り返してきたのだ。

 しかしエルマノ国は実在する。争いの素地であるそのつぎはぎになった小さな領土の耐久には限りがあり――各国が手を伸ばしてつかみ合うままにエルマノ国の市民たちが引き裂かれれば、ついに引き起こされる血で血を洗う経済戦争の渦に飲み込まれてエルマノ国は滅び去ってしまうのだ。

 見切りをつけ、一国として友好を結ぶべき国々を見据えて、自分たちのスタンスをはっきりさせなければならない――

 だが王室も、どの国が本当の意味で友好的な取引を申し出ているのか、どれだけの裏が隠されているのか、とうてい分からなくなってしまっていた。いくつもの国家の思惑が絡み合い、諸国も把握しきれていないうちに別の国を潜在的に攻撃してしまっている――そういう状況になっていた。

 その中枢に投げ込まれた王族の彼らこそ、疲弊しきっていた。

 だがエルマノ国は希望を捨ててはいなかった。彼らは『ウィズダム・オブ・スロウン』を作り上げた。


 当時の極端な一触即発的情勢下において彼らがいかにしてこれだけの一大宝具を作り上げるだけの知識を得たのかは定かではない。国としてのあらゆる成長手段を封じられていた彼らは綴導術師を擁することもろくにできず、ゆえにこの宝具の建造に着手するためには、外部からよほど高名な術師を呼び込まなければならなかったはずだ。しかし文献には簡素に『ひとりの賢者が現れた』としか残されていないのである。

 だからこそ、なおのこと伝説の宝具なのだが。

 しかし知識を得ただけでは宝具は作り出せない。彼らが乗り越えなくてはならなかった試練は、それこそ今のスフィールリアたちよりも多大だっただろう。当時の状況において、緊張と疑心暗鬼の渦を掻き分けて必要となる人材や設備を用意するのは、並大抵のことではなかったはずだ。

 彼らが必死に考えて選定し、巧妙に邪悪な本心を隠しおおせているかもしれないという恐怖を押しこらえてすがり、結果として彼らに応えて力を貸した国々は、今でもエルマノ国と深い友好関係にある。ディングレイズもそのひとつである。


 逆を言えばそれほどの必死さとがむしゃらさを以って、彼らは『ウィズダム・オブ・スロウン』を組み上げたのだと言える。そのことは、緻密さと大胆さの混沌とした内部構造こそが物語っている。

 かくして『ウィズダム・オブ・スロウン』は稼動した。

 ――それは、非常に端的に言うならば『人の心を王に伝える宝具』だった。

 エルマノ国玉座の背に安置されたそれは、超極細密のタペストリ回路である旗地から国中の人間の表層意識の情報を捉えて巻き込み、内部構造から適切なフィルタリング処理を経て再び旗地から玉座の王の下へと返してゆく。

 王へ取引を申し出にきた使者たちの思惑は、ひとつ余さず『ウィズダム・オブ・スロウン』の旗地によって白日の下へと絡め落とされた。

 欲に駆られてエルマノ国と他国を出し抜こうとする国も、エルマノ国の現状に心から同情して綴導術の未来を憂うる国も、その心は王の下へつまびらかとなり――エルマノ国は、自らがともに歩むべき国と進むべき真実の道を見出したのだ。


 複雑に絡み合った各国のしがらみを断ち切るのもさほど難しいことではなかった。

 諸国の王たちが裏で仮想敵としている競合国家、そしてそのためにエルマノ国との取引を利用して用意していた謀略の数々をも『ウィズダム・オブ・スロウン』は引き出したからだ。

 エルマノ王はこれらの情報を駆使して、自分たちの国を搾りかすになるまで利用してやろうと考えていたあらゆる悪徳の王たちを黙らせた。彼らを退かせたのは、彼ら自身の巡らせた力と謀略の壮大稀有さだった。


 エルマノ王は彼らにささやいた。ささやき続けた。彼らが互いに敵同士だと思っている他国の王たちが、いったいなにを考えているのか。彼らは互いを恐れ、疑心暗鬼へと落ち、時に争って……エルマノ国からすべての手を引いていった。

 こうしてエルマノ国は滅亡の危機を脱した。綻び、つぎはぎだらけになっていた領地の結束も、『ウィズダム・オブ・スロウン』の強い旗地の結びつきのように取り戻されたのだ。

 今ではエルマノ国も世界で主要な綴導術研究機関を持つ国々と友好を結び、流通と税関をたくみに制御して周辺諸国の均衡を測ることで強い安全を確立し、軍隊を持たない一個の中立国家として大国とも対等に渡り合って栄えている。


 これが、『ウィズダム・オブ・スロウン』にまつわる伝説の概要だ。

 これだけの希望と矜持が、彼らにとっては込められている――そういうアイテムだった。


「ちなみに『ウィズダム・オブ・スロウン』はエルマノ国を覆っていた問題の数々が片づいてからしばらくした時点で、早々に稼動を停止させられていますの。

 いくら救国を成し遂げた英雄的な宝物とは言え、その力の強大さと身とふたのなさから、これの稼動状態を保持したままですと逆にそれまで以上の同質かつ大規模な騒乱を呼び込むと聡明な王家の方々は考えたのですわ。

 ……それもまたある意味、わたくしたちにとっては好都合に働く要素かもしれません。そのためにこの国宝に施されたメンテナンスは補修や維持ていどの最低限なもので、見たところ内部パーツの劣化もほとんどありません。わたくしたちが手を加えたところで大した差異は生じないでしょう」


 もちろん、大前提として最小単位の部品の段階から品質を維持することが必要だが。


「まぁ、直せればだけどな。素材はそろってるのか?」

「……見ての通りですの」


 フォルシイラの指摘に、アリーゼルも隠さず大きな息をついて机の上を示した。


「わたくしたちが乗り越えなければならない問題は『すべて』ですが、とりわけその中でも周囲が不可能と考えるレベルの問題が、おそらくみっつ。ひとつが、この、素材の調達ですわ」


 金や銀でできた小さく極薄の湾曲板はひとつひとつが同じ形のない、ジグソーパズルのような体をなしている。ただし立体の、複雑怪奇なパズルだ。これはすべてがあらかじめ定められた調和の通りと順序良く組み合わされて最終的には女神の形となるべき、超細密の積層集積回路群となる。

 赤や青の合成宝石は、見た目の美しさにも関わらず、装飾用途には用いられない。これらは数百の回路を通って『ウィズダム・オブ・スロウン』内部に走る〝タペストリ〟を反響し、増幅させる特殊素材となる。内部は特殊処理で刻まれた術的回路の塊だ。


 歯車型の外装はEFMエンハンス・フォームド・マテリアル化されたカーボン製。完成の暁には全素材の相互結合力の相乗にて、魔剣の一撃をも受け流す強度を持つだろう。

 霊繍糸は細かく種類を挙げるのもきりがない。あらゆる色、あらゆる材質、あらゆる太さの束が紙箱いくつ分にもなって積み重ねられている。旗地となる生地や、これらに用いられる特殊加工を受けた裁縫針、裁断用具もセットだ。

 その他、術儀情報記述用のホログラフシート、未処理・未加工の素材群等々……。


「これでも、全然、足りていないという点ですわね」


 これらの半分以上はアリーゼルが用立てたものだった。彼女に切り崩せる個人所有の財産をほとんど売り払って調達した素材を、王都に点在する綴導術士や下処理を請け負う工房へパーツ単位に分散させて加工処理を依頼して回り、手に入れた。完成品の概要は明かさずにだ。

 そうすることでこれが現在王都に影を落とす国宝に関わる品だと知られずに済む。知った上で受領してくれた工房もあったかもしれないが、そこは彼女が培ったパイプの強さの証だ。

 もう半分ほどは、スフィールリアがひねり出した。


「あなた、この短期間によくこれだけご用意できましたわね。どんな手品をお使いになったんですの?」

「〝修復術〟を使ったんだ。でも壊し方が徹底しすぎてたから、ここまでが限界だった。故郷で使ってたんだけど、あんまり〝表〟の人には好かれないかもね」

「後学までに、概要だけでも教えてくださいません? 差し支えなければ」


 スフィールリアが告げたことは、非常に基礎的な技術の応用にすぎなかった。コツさえ掴めば、今からフィリアルディでも扱えるほどの。

 ただし、そこには〝魔術〟の理論も含まれていた。アリーゼルはなるほどと肩をすくめた。


「ともかくそういうわけで、一年生三人が全力を出したにしては破格にすぎるほどの成果だと言わざるを得ないのですけれど……」


 しかし、それでも、足りない。

 圧倒的な資金不足。そして、確保できている流通経路の限界だ。

 アリーゼルは手元に置いた残りの素材リストを滑らせた。そこに記されている素材数は三十種。流通路や所有者、打診されている金額、取り置きが見込める期間等、素材の置かれている最新の状態が記されている。

 材料の確保に関しては、アリーゼルが一手に引き受けている状態だった。


「時間をかければなんとかなるでしょうが、そうもいかない。わたくしたちには時間が圧倒的に足りていません。細かい交渉を抜きに相手の提示額をすっぱり一括払いで手に入れに動きませんと、これらのうちのいくつが流れていってしまうか分からない。当然、修復をしようにも素材がないのでは、その時点で一発アウトですわ」

「わたしの今までのお仕事分じゃあ、焼け石に水にもならなかった……」

「……。もしもこの金額を用立てることができるのなら。即時にわたくしが買いつけに出向いて、かならず取引を完遂して見せます。頼みの綱があるとすれば……」


 アリーゼルは、スフィールリアを見た。


「姉や兄から聞いた話ですが、わたくしにはあなたが学院に留まれた理由に心当たりがあります。もしもあなたが、わたくしの思っている通りのお方なら……この金額をカヴァーできるだけの借金でも、学院に申請できるかもしれません」

「分かった。今日、いってくる」


 事情が分からないフィリアルディは怪訝な様子だったが、すぐに顔をうつむかせてしまった。

 スフィールリアが「借りが、どんどん高くなってゆきますよ?」と茶化しを入れると、彼女は表情に力を取り戻して、


「し、出世払いで、お願いします」


 と、言い切った。


「非現実的な提案ではありませんわね。これを見たならば」


 アリーゼルが持ち上げたのは、フィリアルディが持ち寄ってきた『ウィズダム・オブ・スロウン』旗地の一部の、複製素地だった。まだハンカチほどのサイズしかない。しかし目も痛くなるような精緻な構造は、間違いなくオリジナルを完璧に模倣している。


「すごい集中力だよ、これ……」

「特筆すべきは、その集中力を常に持続してここまでこぎつけたという点ですわ」

「が、がんばりました」


 少し照れ交じりに両こぶしを握って見せる彼女だが、ふたりの態度は真剣そのものだった。

 フィリアルディという少女の本質の片鱗が、現れ始めている一枚としか言いようがなかった。

 絵画でも、造形でも、編み物であっても……『物の形を追う』という行為は非常に難しい。職業的に手慣れている人間であっても、初めて挑戦する形状であるなら、完璧にイメージや見本の姿をトレースすることはほぼ不可能だと言ってよい。人間というのは、しょせん自分の体験しか出力できない生き物だからだ。

 どんなにイメージを強く固めたとて、どのように指や身体を動かしたらそれを構築してゆけるのかという『一度作った体験』を物理的に得なければ身体が覚えていないのだからその通りには動きがたい。結局、近いと思われる体験を自動的に(そして無意識的に)引き出して反映させてしまう。結果として、まったくの別物ができあがる。


 しかしフィリアルディはその〝妥協〟を一切しなかった。

 なにがあろうとも、どれだけもどかしかろうとも、でしゃばりたがる〝自分〟を殺してまずオリジナルの通りになることだけを追い求めた――絶対に失敗しないのであれば、絶対に目標に到達できる。たとえ何百万年かかるのであっても。

 無意識に現れる自己をここまでしらみつぶしの完璧に抑制できる人間など、そういはしない。

 絶対の、完璧主義。精密の極地にある自己制御。だれも彼女のやわらかな物腰から想像だにはしないだろう。

 しかし彼女の生活力を始めとしたあらゆる美徳は、きっと、ここからにじみ出していることだったのだ。

 彼女を学院(ここ)へ送り出すまでに力を貸してきた者の何人かは、この彼女の本質に、気づいた上でそうしたのかもしれない。


「この生産力を常に発揮できるようになり、さらに技術の範囲を広げてゆけるのならば、もはや学年やランクがどうのという問題ではなくなりますわ。編めないものはないことになります。今のうちに借りを作っておいて正解ですわね」


 呆れすら含んだ苦笑とともに刺繍細工を置き直し、アリーゼルは元の厳しい表情に戻る。


「もうひとつの問題が――これです」


 リストの最下段にわざわざ分けて記されている物品が、ふたつほど、あった。

 王竜金。昏紅玉(ルビー・ナイトメア)

 これらの『ウィズダム・オブ・スロウン』のコアパーツに用いられる素材アイテムにかかる問題とは、つまり、入手難度の問題だ。

 王竜金は、ドラゴンと呼ばれる種族たちの中でも特に強い戦闘能力を持つ固体の角の中に、微量ずつ生成されることのあるマテリアルだ。これを必要分に足るだけ確保するには、かなりの数のドラゴンを倒さなければならない。言わずもがな、ドラゴンとは、この惑星上にあって最強の部類に入るモンスターだ。

 この時点で一年生なら完全に希望を捨てるところだろうが、学院が総力を挙げるのならば話は違っていただろう。教師連中が動けば、ここまでの調達は可能だったはずだ。

 しかし――


昏紅玉(ルビー・ナイトメア)――これこそが、学院が『ウィズダム・オブ・スロウン』の期間内の修復を諦めた要因と思われます。〝アーティファクト=フラグメ〟であるこのアイテムを手に入れるためには、大陸のかなり北方にある大深度の〝霧の杜〟へと入らなければならないと聞きます」


 アーティファクト=フラグメ。

 この名で綴導術士たちに呼び交わされる物品は、例外なく伝説級のアイテムとなる。

 なぜなら、これらの品は『この世に現存していない』からだ。

 そう。

 かつて〝霧の杜〟に呑み込まれて消え去っていってしまった土地や、国家や、歴史……それらの中に埋没してともに滅亡した素材たちだ。

 より厳密には、滅亡する途中にある――

 通常の手段でこれを入手し得る可能性はない。しかし『それ』が『あった』という記憶が人々にまだ残されているのなら。それは綴導術士たちにとって、まだこの世から完全に消え失せてしまったということとイコールにはならない。

〝霧の杜〟に呑まれて物質としての情報を消去されてしまったとしても。その存在を示す情報そのものは、深き深き〝霧〟を沈みゆきながら、在りし日の姿をつなぎ止めている。

 有と無の間の、あいまいな境界。綴導術師は〝霧の杜〟にある働きかけをすることで、一時的にこれら滅びた土地の情報を呼び出すことができる。

 そこから、失われたはずの歴史の欠片を引き出すことも。


「これを入手する方法はふたつ。ひとつは自分たちで手に入れるか。もうひとつは、これを所有するだれかから譲り受けるか、です」


 学院はそのふたつの可能性を検討し、無理だと判断した。

 アリーゼルが示すリストの該当部分には、この素材を所有する資産家の住所も記されている。しかし距離がありすぎた。残りの情報封鎖期間内に取引を持ちかけて持ち帰るには、まるで足りていない。


「直接、手に入れるしか……ないと思う」

「正気ですの? 〝アーティファクト=フラグメ〟を手に入れるには、〝アーティファクト=フラグメ〟が必要なんですのよ」


〝アーティファクト=フラグメ〟は失われたはずの国々にしか存在しない、文字通り幻の国の忘れ形見だ。

 そこへと至るゲートを開くためには、やはりその国と強い――もっと言うなら直接の結びつきを持つ品物がなければならない。それもまた〝アーティファクト=フラグメ〟と呼ばれる。

 それだけではなく、かなりの深度にまで〝沈降〟してしまっている土地には、〝霧の獣〟という危険な魔物も存在していることが多い。通常のモンスターとは一線を画する存在だ。


「わたくしも『呼び水』としての〝アーティファクト・フラグメ〟候補は調べました。ですがこれらの所有者たちもまた、ほとんどが遠方に在住していて手が出せませんでしたわよ。一応いくつかの品は取り寄せましたけど、それでも〝核〟となるものがやはり足りないこの状況では……」


「……試してみたい欠片が、あるの。たぶん、だいじょうぶ。アリーゼルがそこまでしてくれてるなら、ロゥグバルドからでも、いけるはず」

「……分かりましたわ」


 暗い面持ちながらも強い確信とともにうなづくスフィールリアをしばし眺めて、アリーゼルも深くは追求せずに了承した。手段を選んでいる場合ではない。

 リストに向き直る。


「ということは、差しあたって最優先で当たるべきはやはり王竜金でしょうか。こちらは所有者が王都に在住していますので、わたくしの残りの資産とスフィールリアさんの借金すべてを充てれば買いつけが可能でしょう。足りない分は<アガルタ山>にでも出向くしかないでしょうが、残されている情報封鎖期間は――」

「あと、二十日」


 フィリアルディが悲壮ですらある決意をたたえて告げる。

 なおかつ、状況が有機的であるのでこの期間はあくまで『見込み』にすぎない。エルマノ国の使者がしびれを切らして強硬な態度に出れば、すぐさま明日にでも事態が明るみにならないとも限らないのだ。

 そして、<アガルタ山>への通常往復期間は二十日だ。

 アリーゼルは決意して判断を告げた。


「では、ここからは三手に分かれましょう。まずは素材確保が絶対の最優先ですわ。<アガルタ山>はわたくしが引き受けます」

「じゃあ、あたしは〝霧の杜〟だね」

「えぇ、どんな魔法を見せてくださるか、楽しみにしておりますわ。消去法で申し訳ありませんが、フィリアルディさんにはわたくしと彼女の全財産を預けます。王竜金と、残りの素材の買いつけ……お話だけは通しておきますので、なんとか頼みますわよ」


 そんな! とフィリアルディが泣き出しそうな顔で詰めかかる。


「ふたりだけにそんな危ない役を押しつけるなんて……せめて<アガルタ山>はわたしがいくよ!」


 しかしアリーゼルも、心底気乗りしない本心を隠さずにため息を吐いた。


「お友達に押しつけられるどうかという面は別として、わたくしもできるならごめんこうむりたい役回りですわ。ドラゴンなんて博物館の剥製でしか見たことありませんもの。……ですが今回これは、わたくしにしかこなせない役なのですわ」

「そっちこそ、どんな魔法使うつもりなの?」


 アリーゼルは投げやりに両手を投げ出すポーズを作った。フィリアルディが、一層と顔を蒼白にする。


「ワイバーン便を使いますわ。ドラゴンに対抗できるだけの戦士さんを雇ったら、一緒に詰め込んでいただいて、近隣の町まで一気に直送便です」

「ワイバーン便って……『物搬』専門じゃない……人を運ぶためのものじゃないのよ!?」

「ですから、裏技なんですのよ。業者を買収しようにも事故でも起こって死体が出てくるのであれば言い訳が聞きませんから、代理人なぞを載せるのではいくら家の名前をちらつかせたとて承諾させられません。乗り込むのはわたくし本人でなくては。乗り心地は……まぁ、最悪なんでしょうけど。ドラゴンに対抗できるほど屈強な戦士さんならおそらく問題はないんでしょうけれどね」

「戦士さんのアテはあるの?」

「今はまだ何人かに打診をしている最中ですが、〝青きキシェリカ〟を雇うことができるのなら、あるいは…………まぁ、なんとかしますわよ」

「そんな……アリーゼル……」

「さっそく綻びまくりの、つぎはぎだらけになってきてる気がするんだがなぁ」


 フォルシイラの平坦な声にも、しかしおどけて手のひらでも見せるしかない。

 状況はそれほど逼迫しているのだった。

 なおかつ、もっとも身もふたもなくどうしようもない『みっつめ』の問題は、だれも口にはしなかった。

 それでもアリーゼルが素材の調達を最優先項目に置いているのには、理由があった。


「ともかく議論をしている暇も惜しいですわ。わたくしはさっそく旅の準備の続きに戻ってすぐにでも出立しますので、申し訳ないんですがおふたりはギリギリの期間まで、最基礎パーツの練成加工を――」


 コン。コン――。

 と、アリーゼルが身を翻しかけた、その時だった。


「……今、なんか聞こえた? だれかきた?」

「聞こえたような、聞こえませんでしたような……」


 スフィールリアはとりあえず玄関に向かう。すると、そこにいたのは――


「ミルフィスィーリア?」

「……」


 律儀に静かにうなづいてくる……その姿を見て、


「どっ――どうしたのそんなボロボロのコゲコゲでっ!? ――ああリスちゃんも毛並みがそんなボワボワになっちゃって――ああもぅ、いいから入って。今救急箱持ってくるから――」


 だったのである。

 まるでちょっと数分前まで砂塵と熱波吹き荒れる火山の噴火現場でダンスでも踊ってきていたのだとでもいうような、常軌を逸したボロボロっぷりだった。スフィールリアは慌てて彼女の肩を持って工房に促そうとした。

 しかしミルフィスィーリアはついてくる気配を見せず、ローブの裾から取り出したそれをスフィールリアに差し出してきた。


「……どうぞ」

「……こ、れ、は」


 黄金よりなおまばゆく、自ら輝きを発しているかのような。

 彼女の小さな手のひらに納まるほどの巨大な王竜金の塊が、あった。


「まさか……<アガルタ山>に?」


 ふるふると首を横に振るミルフィスィーリアの肩上で、リスがぴしゅーと心底疲れ果てたため息を吐き出した。苦労しているのだろう。


「……どうぞ」

「そんな……タダでだなんて、もらえないってば! お金の工面ってこれからなんだけど、もうちょっと待ってくれない? でもなんでミルフィスィーリアが――それより今は救急セットを――」

 と取って返そうとするスフィールリアに、ミルフィスィーリアはもう片方の手で差し止めてきて、

「……勘違い、しないでよね」


 こんなことを、言ってきた。


「……えっ」


 スフィールリアもびっくりした。


「……あなたのためなんかじゃ、ないんだから」

「えっ」


 まったく予想していなかった類のセリフにスフィールリアが沈黙していると……目の前の彼女。腰元のポーチから文庫本サイズの書籍を取り出して、確認するように目を通し始めるではないか。そして、


「……お弁当を、作りすぎてしまって。なのでこれはついでの残飯処理なので、あなたのような下僕には残飯がお似合いなのよ」

「……」


 スフィールリアは近寄り、彼女の隣に並んで書籍を覗き見た。ページ右上のサブタイトルには、

『case03 ガマンできなくてなんの脈絡もなくお弁当を作っちゃった☆でもでも愛しのあの人にどうやって渡したらいいの? ~パターン2 理不尽型ツンデレで強制的に押しつけるタイプ~』

 ……と、記述されている。

 さらにグッと顔を落として表紙を見てみる。

『人づき合いを円満にする100の処世術大全 ~シリーズ待望の新作! 今回は男心の機微をくすぐる〝ツンデレ〟編で憧れのあの人にアツく迫れ! 友達も100人できちゃうかもっ?~ 王都人類文化学相関心理分類研究工房社出版』


「……」


 王都のインテリジェンス層は幅が広く深いのだなとスフィールリアは思った。

 とりあえず、単純なミスについてだけを指摘しておくことにした。


「……とりあえず、お弁当を作りすぎても王竜金は関係ないと思う」


 素直に、ミルフィスィーリアはうなづいてきた。

 分かっているのだろうか?


「どうぞ」


 ミルフィスィーリアは彼女の手にやんわりと粘土のような触感の金塊を握らせると、きびすを返し……


「勘違い、しないでね。別にあなたのことなんて、好きでも、なんでもないんだからね」


 定められた捨て台詞を丁寧に並べ立てながら、相変わらずこちらが心配になるような足取りで森の出口側の小道へと向かってゆく。


「……」


 しばし手の中の黄金粘土を見やり……


「……。ミルフィスィーリアー! ありがとうねーー!」


 手を振ると、入り口付近で振り返った彼女は静かにうなづいて、森の中へと姿を消していった。


「どうしてこれが必要だって、あの人が知っていたのかしら……この場所も……」

「……なに者かの作為を感じざるを得ないのですけど」


 玄関口まで様子を見にきていたフィリアルディとアリーゼルが口々に言う。

 がしかし、どちらも、返してこいとまでは提案してこなかった。

 なぜなら……。


「これで最大の懸案事項は残りひとつですのね。その他細々した点は棚上げにするにしても」


 分かってる、とスフィールリアもうなづいた。

 全素材中、残る最大の難関は、あとひとつ。

 失われた国に取り残されし、伝説の秘宝。

〝霧の杜〟へ――

 スフィールリアにこの挑戦をしかけてきた〝彼女〟の、真の指示が見えてきたような気がしていた。


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