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■ 1章 入学初日が退学日?(1-02)

 新しい生活が始まり、そして――


「へ、へへへっ……」


 間借りした宿の一室。スフィールリアはベッドの上でうなだれて、乾いた笑いを漏らしていた。

 その手には、学院から届けられた、一枚の通達書が握られている。


『スフィールリア・アーテルロウン。学院規則特別禁止事項1-226抵触のため、退学処分とする』


 と、書かれている。

 王都に到着してより、二日目――晴れて<アカデミー>に入学して、実に初日のできごとであった。

 ことのしだいは、簡単だった。学院規則特別禁止事項1-226番。

 暴力事件を起こした、という意味だ。

 さて、では具体的になにが起こったのかというと、さかのぼること数時間前。

 それは、入学式を終えた直後のことだった――




「えぇ、この度は皆さん? <ディングレイズ・アカデミー>へのご入学、おめでとうございます。今、ここに居並ぶ皆さんは各地で優秀な成績を収め、数多くの試験と困難な問題を乗り越えて集いました、まさに我が王国珠玉となる原石たちであると――」


(ほへ~~……!)


<王立ディングレイズ・アカデミー>の第一公会堂。

 スフィールリアは緊張した居住まいで立っていた。

 学院支給の礼服姿になった新入生たちが――実に一千人近く。

 ずらりと並んでいる。


 ゆったりとしていつつもどこか壮麗な吹奏楽。煌びやかな光に照らし出された壇上で、学院長と名乗った恰幅のよい女性が挨拶を述べている。

 同級生となる彼らは皆、どこか陶酔した眼差しで彼女の言葉に傾注していた。

<王立ディングレイズ・アカデミー>は毎年数千人もの新入生を迎え入れる、世界でも有数規模を誇る超大型の教育機関だ。

 聖ディングレイズ王国内のみならず、外大陸からも高名な貴族や学者の血を引く者たちが、さらなる知識と技術の研鑽を求めて集まってくるのだ。


「――というわけで我々〝綴導術士(ていどうじゅつし)〟が関わる分野というのは膨大多岐に及び、もはや〝綴導術士(ていどうじゅつし)〟なしに世界流通、引いては経済そのものが成り立たないと言っても過言ではないでしょう。

 そもそも〝綴導術(ていどうじゅつ)〟というのは本学院を創設なすった偉大なる祖フィースミール師が、初めて世界を覆いつつある〝霧〟への対症処置法として確立したのが起こりであり、ゆえにあなた方は〝世界の守り手〟としての責務も負うべく本学院に出向いてきたと言っても決して大げさな――」


 なのでこの学院の入学式は、あらかじめ出身国や身分などに応じてあるていどまでに人種を分けた上、数日かけて行なわれることになっている。

 当然ながら、始業式も別日程である。

 スフィールリアは平民枠――『一般生徒』というやつであり、隣に並ぶ同期生たちの風貌もたしかになんとなーくだが『それっぽい』雰囲気で統一されているように思われた。

 まあ簡単に言うと、荒事に慣れていそうな感じだったり、素朴な感じだったり……。

 あるいは逆に、身なりを高貴に見せようと力みすぎていたり……。

『そんな感じ』だったのである。

 親近感はあった。


「しかしながら、これもまた皆さんならご存知のことでしょうけれども、当学院が『ただの教育機関』とは一線を画する機関であるのもまた事実なのです。

 入学できたからといって卒業までエスカレータが約束されているわけではありません。本校の昨年の卒業率は一割を割りました。皆さんの前途にはまだまだ数えきれないほど多くな困難と試練が立ちはだかることと思いますが――」


 それでも一千人もの男子女子がずらりと並んでいる光景は圧巻だった。

 挨拶を述べてゆく教職員面々、とりわけ学院長という女性の放つ才気なんかは、スフィールリアに『なんだかすごいところにきてしまった』と思わせるのに充分なのだった。

 壁沿い二階の貴賓席にはなにやら各国の偉い人なんかも大勢座っていて、歓談しながら新入生たちの列を覗き込んでいるし。

 式のプログラムもやたらと多かったし、そのたびスフィールリアの町人口の半分ぐらいはいる立派な音楽隊が、なんだか重厚な曲を(かな)で始めるし……。


「はい。また私ですね。――ええ、もう、堅苦しいことはなしにしましょう。皆さん? 遠方からはるばる旅をしてきた人も多いでしょう。今日はゆっくり休んで、明日からはさっそく、始業の準備に怠りなきよう勤めてくださいな。王都観光はほどほどに。未成年のお酒は本校では固く禁じられていますからね?」


 小さく笑いのどよめきが起こり、朝から始まり数時間にも渡った入学式は終わりを迎えた。

 ……とにかくそんなこんなで。

 入学式が終わるころには、スフィールリアも、ほかの新入生たちも、すっかり疲れ果ててしまっていたのだった。


「……」


 アレは、なんというのだろうか――そう、軽い催眠状態というヤツだった。

 これからの新生活にかかる期待。今いる環境への緊張。そして長い演目による疲労――なんだかすごいことをやり遂げたのだという謎の達成感。

 これらが合わさって、解放されるころには、一種の夢見心地のような気分になっているのだった。

 そして、そんな状態で気分が高揚、あるいは気もそぞろとなりながら、学生たちは式場をあとにしてゆく。

 そんなところに……。


「お嬢ちゃん、カワイイね。新入生? よかったらこれからお茶しない?」

「ひゅーっ、見ろよ、このメガネ。まるで委員長みたいだぜ……こいつはただれた生活をやさしくきっちり正されちゃいそうな予感がするぜ」

「じ、嬢ちゃんよぅ、も、も……『もう、ダメなんだから。めっ』って言ってくれや……はぁはぁ」

「へっへっへ……かーいいね……へっへっへ……」


 ……といった具合で。

 見るからに、これ以上ないってくらいに絡まれている女の子の姿を発見したのである。


「え? あ、あの……」


 なにが起こっているか分からない、といった様子で自分を囲む男たちを見回しているのは、スフィールリアと同じくらいの歳の女の子だった。

 ゆったりとウェーブのかかった亜麻色の髪の毛は肩の辺りまで。普段から気立てのよさそうな眉は、今は気弱そうに八の字に下げられて。

 退場時に出口でもらった入学祝いの花束を、結婚を誓い合った騎士から捧げられたお守りかなにかのように、か細い両腕に抱きしめて……震えている。


「怖がらなくていいって。俺ら、あー、知らない? いわゆるお隣さんってヤツでさぁ。今の内からお知り合いになっとけばマジお得だから!」

「んなこたーどうだっていいだろオイ、そーいうの持ち出すのは野暮なんだよ……」

「そうそう。というわけでお嬢さん、こう見えてオレたちおいしいカフェ知ってるんだ。王都だって初めてだろ? 絶対押さえておきたい穴場もあれば女の子だけじゃ歩かせらんない危ない場所だってたくさんあるんだぜ? 早い内に分かっておきたいだろうし、案内するから、さ」


 そんなことを言い募りながら女の子を困らせている男の姿は、六人ある。

 上級生か? と最初は思ったが、明らかに違う。

 まず身なりからしておかしくて、普段から知識の累積と向き合っている学生にはとても似つかわしくない、ガタイのよい連中ばかりだった。プロテクトアーマーをつけている者もいる。

 どこをどう見ても戦闘を生業(なりわい)にしている連中でしかない。

 要するに、学院生ではなかった。

 この学院の警備はかなり物々しい感じだった(なにせ外国からも貴族が来賓しているくらいだ)のだが、どうして忍び込んだものか……どうやら右も左も分かっていない上京したての新入生を狙ってやってきたらしい。


「おい、そろそろやめておかねぇ? 脈ねーよ。なんか怖がってる」

「いやいやいや、なんで怖がるんだよ。俺たちゃ味方だぜ、この子にとってしてみりゃ?」

「あー、お嬢さんあのね。聞いてる? さっきから言ってるけど、俺ら、この学院の隣の国立――」


 女の子の方は、もう彼らの話なんか耳にも入っていない。

 きゅっと目を瞑って嵐が過ぎ去るのを待つ野うさぎのように震えるばかりである。そりゃそうだ。ナンパだかなんのつもりだか知らないが、あんな四方取り囲んで頭の上から押さえつけるみたいな話しかけ方がどこにあるっていうんだろう?

 スフィールリアはふつふつと喉元から湧き上がる苛立ちをかみ締めていたが、それは彼女だけのことではなかった。




(なんなんですの、あれ?)


 さて、スフィールリアが徐々に、メラメラとした怒りのオーラを湧き立たせつつある一方。

 その彼女とちょうど男たちを挟んだ位置から、アリーゼルも呆れた面持ちで、ことのなりゆきを見つめていた。


(そう、あれがナンパという……ウワサには聞いていたましたけれど、本当、下品な〝風物詩〟ですこと。エスコートとか、そういう以前の問題ですわね。女性の扱い方もカリキュラムに組み込むべきなんじゃないかしら)


 むしろ彼女だけでなく、周りにはたくさんの人の目がある。千人近い新入生が続々と退場してきているのだ。

 おとなしく寮に帰ろうという者。学内を散策してみようという者。同じ地方の出身者同士、これからさっそく街へ繰り出して新生活の雑貨でも買出しにゆこうという者たち……。

 男女様々な年齢の新入生たちが立ち止まり、胡散臭い目つきで、遠巻きに。かわいそうな草食動物の命運を見守っている。

 見守っているだけ。だれも、関わろうとはしない。

 それはそうだ。だれもあえて関わりたいとは思わないだろう。

 アリーゼルはため息をついた。


(まあ、新入生が学院の〝からくり〟を知らなくても無理からぬことですし、まだ話したこともない同級生を危険を冒してまで助けるべきかといえば、なにをかいわんや……というより、見ていることこそが正解なんでしょうけど。でも、気に入りませんし。ここは平民を導く立場のわたくしが。仕方ないですわね――)


 と、自分を納得づかせるのにわずかばかりの時間を失敬してから、男たちの方へ足を向けようとしたところに、




「おうおうおう、ちょいと待ちなよ、兄ちゃんたちよぉ!」




 妙にドスの利いた、スフィールリアの声が轟いたのだった。

 アリーゼルよりも。

 その場にいた、だれも関わろうとしない大勢の内――

 だれよりも早くに。

「……はい?」




「おうおうおう、ちょいと待ちなよ、兄ちゃんたちよぉ!」


 礼服上着のポケットに両手を突っ込み、わざとらしい大股でドカドカ地面を蹴りつけ近寄ってくる少女の姿に、男たちは『なんか、わけが分からないものに絡まれた』といった表情を向けて固まっていた。

 その向こうでアリーゼルも口をぽかんと開けているのだが、当のスフィールリアはそちらのことなどそもそも見てすらいない。

 ざむ――!

 ほどなく男たちの包囲網のすぐ外側にたどり着いたスフィールリア。敷地の砂を大仰に踏みしめ、仁王立ちになって一番近い男の顔を睨め上げていた。


「あー、えーと、お嬢さん……なに?」

「あーん? なに、だぁーーん?」


 着飾らせてちょっと瀟洒(しょうしゃ)な椅子にでも座らせておけば可憐なお人形のようにも見えるのがスフィールリアという少女だったのだが、これではまるで彼女の方がチンピラである。

 そのあまりのギャップに遠巻きの傍観者たちもアリーゼルも絶句しているのだが、一番驚いているのは戦士然とした彼らと、中央で縮こまっていた少女本人だ。

 そして次に彼女の口から出てきた言葉に、さらに一同が「うぇ!?」と驚きの声を漏らした。




「よぅよぅ兄ちゃんたちよぅ……なに人の(アマ)に手ぇ出してくれてんだ、こら?」




「うぇ!? あ、(アマ)ぁ?」

「その身のこなしにドスの切れ……まさか……マフィア、なのか……?」

「いやそれより、お、女同士……だと?」

「大人しい顔をして……」


 ざわ……ざわ……


「えっ……えぇっ? あの! その! わたし! えと、その! ち、違います!」


 男たちの視線を一身に集めたメガネの彼女。泣き出しそうな顔であたふたし始めるのだが、伝わらず、周囲の新入生たちなんかも驚きの新展開に声を潜めていろいろとささやき合いを始めている。


「……ち、違う……んですぅ……」

「ああ、ああ、お嬢ちゃん。分かった、分かったから」

「お、俺たちには聞こえたから。だからほら、ハンカチ」


 ついには本当に泣き出してしまった。大変弱りきった様子で三人ほどがなだめにかかり、残りの男たちが、この奇妙な闖入者に向き直った。

 メガネの女の子を指差して、


「違うって言ってるぞ」

「う~ん、おかしいなぁ」


 スフィールリアは、とことん不可解そうな渋面であごを揉みしだいて、


「あたしの計算では即効で『なんだよ女連れかよ』『早く言えよまったく……』って感じで敗残者どもはすごすごとその場を立ち去るはずだったんだけど」


「いや、おかしいだろそれ」


「おかしいのはアンタたちでしょ!」


 突然叫び、スフィールリアはびしぃ! と悪漢どもを指差しした。


「こんなか弱い女の子を寄ってたかって取り囲んで! キーアの言った通りだったわ……男ってサイテーね……なにがなんだか分からない内に言いくるめて、オウチにお持ち帰りして、『だいじょーぶだからこれただのホットミルクだからお酒なんかちょっとしか入ってないから~』とか言ってグイグイ飲ませたら次に適当な飲み物かなんかをわざと服の上にこぼしてからのアツアツのお風呂とか勧めて気がつけばベッドの中で朝には二人分のモーニングコーヒーをって寸法なのね! 見なさいよ、彼女泣いてるじゃない! サイテーだわ!」


「なっ!?」


「さ、サイテーなのはそっちだろ! 泣かしたのお前だし!」


「ていうかなんでそんな酔わせ方知ってんだ! 絶対そっちの方がタチ悪いって!」


「師匠と呼ばせてください!」


 この少女のあんまりな物言いに、男たちの語調もヒートアップしてきているようだった。彼女の闖入により思わぬ注目も集めてしまったので、焦りも半分といったところだろう。


「だから俺たちは別に悪者とかじゃなくて、ていうか君ってなんなの……えーっと、あーもう、いいや。俺たちもういくから……おい、とっとと帰ろうぜ。教師連中がくるとさすがに面倒だ」


「はー? 待ちなさいよ。この落とし前つけずにどー帰ってくれるって言うのよ」


 せっかく帰ろうとしてくれたのに、腕を乱暴に引っつかんで引きとめようとするスフィールリア。なんだか険悪な空気になってきたのでおろおろする少女。


「おい、離せよ!」


「はーん? それが人様にモノ頼む態度ってわけですかー? センセーがくると困るんですわよねー? ホラごたごた言ってねーでさっさとこの子に謝んなさいよ。ついでに迷惑料。財布出しなさいよ」


 カツアゲまで始める始末である。

 とても、たちが悪い。


「こ、の――」


 ついに焦りが頂点に達し、腕をつかまれていた男がもう片方の腕を振り上げた。周囲に緊張が走る!

 だが!


「んんんんんんんんーー!!」


 だが男が腕を振り上げかけたころには、すでにスフィールリアが思いっきり足を蹴り上げていた。


「んーーー! ふぅううううううん! んオんんんんんーーーーーー!」


 股間の付け根にクリーンヒットどころではないめりこみ方をして、男がもんどりうって倒れる。

 顔面をどす黒い赤色に染めて地面を転がり出した男の姿に、それを見ていた場の半数ほどが顔色を青くして目を逸らした。

 しかし男の仲間たちは、そうもいかない。


「ば、バートン!?」「て、てめぇなんてことしやがる!」「男の敵!」「さすがにもう大人しくしてらんねえぞ!」「師匠! オレも蹴ってくれー!」


「上等だってのよ! かかってこいおらー!」


 あっという間に、戦闘開始である。

 ここからがすごかった。

 わっと一斉に男たちが飛びかかって一瞬でケリがつくかと思いきや、スフィールリアはさっきまでの乱暴な動作からは信じられないくらいすばしっこく彼らの野太い腕を逃れた。

 そして、その内の一本をつかみ、


「せい!」


「がっは……!」


 ひとりが投げ倒され、


「そい!」


「んふん!」


 ひとりがまた股間を蹴り上げられて、


「とりゃ!」


「いで!」「あっ俺の剣! てめいつの間に――」


 ひとりの腰から取り外した剣で、ふたりが鞘のまま頭を叩き倒される。大の男が利き手で保持して初めて形になるような片手剣を、彼女は信じられないことに、そのままぶんぶんと振り回して復帰した男たちの接近の足並みを乱した。


「うわっ危ね!」


「信じらんねぇ! この怪力女が!」


「うっせーこちとら都会のモヤシどもたー鍛えが違うってのよ!」


 あたりは騒然となり、あっという間に乱闘騒ぎの相を呈してきていた。

 だが――


「!」


 スフィールリアはいつの間にか、ぴったりと――戦士のうちのひとりに背後を取られていた。


「ちみっこい女子供だから下手に出てたけどな……」


 相手の動きを牽制しているつもりが、逆に誘導されていたのだ。

 鍛えが違うといえば、それこそ彼らは身なりの通り戦闘〝訓練〟を受けたプロフェッショナルだった。相手を組み伏せがたしと見るやチームワークを発揮して、彼女は瞬く間に、男の手のすぐ届く位置にまで誘い込まれてしまっていたのだ。

 今まさに振り上げようとしていた剣の鞘先を、がっしと片手で無造作につかまれて、身動きが取れなくなる。


「剣なんて振り回されたら、こっちももう手加減できねぇんだよ――」


 だれもが少女の負けを確信した。ざわ、と傍観者たちの間に別種の緊張が走り、メガネの少女がたまらず目を瞑る。

 そのまま、もう片方の腕が乱暴にスフィールリアの肩口に伸びてきて――

 固まっていたのは、絶対的優位にいるはずの、男の方だった。

 スフィールリアが武器からなんの未練も残さず手を離し、ぱっと翻ひるがえって男の胸板に拳を打ち込んでいたのだ。


「……!」


 だが、そこまでだった。

 彼女の拳が当てられているその場所、その男の胸は、分厚いプロテクト・アーマーに守られていた。事実、少女の突然の動きに面食らいこそしたものの、拳を当てられた彼はなんの痛痒も覚えてはいない。


「……へ、」


 男から、気の抜けた息が漏れた。彼女は無言。息は、すぐに乾いた笑い声にへと変じる。


「へへ、なんだよ――当たり前だろ、しょせんそんな細っこい腕じゃ――」


 そう言いかけた瞬間、プロテクト・アーマーが、粉々になって砕け落ちていた。

 しんと静まり返って、春のそよ風が吹き抜けた。


「……え?」


 粉々になって、砕け落ちていたのだ。


「細っこい腕じゃ、なんだって?」


 無表情に男と見つめ合っていたスフィールリアの顔に、ここで初めて、澄ました笑みが灯る。

 しかし男は起こった目の前の事象に頭が追いついていない。いや、追いついている。この女が『なにをした』のか、よく分かっている。だからこそ――


「ま、まさか、お前、これ――」


「んー?」


 むしろ可愛らしいくらいにわざとらしいしぐさで首をかしげるスフィールリアの笑顔に、男たち全員の顔が、さぁっと青ざめていった。


「て、〝綴導術(ていどうじゅつ)〟だぁ――!?」


 だれかの叫びを契機に、男どもは一目散になって逃げ出し始めた!


「なんで新入生がいきなり綴導術使えてるんだ――!?」「知るかよバカ――」「死にたくなけりゃ足動かせ! 生身で物質分解かますとか教師クラスだぞ――」「バートンほら立て! つかまれ! ここ殺されるぞうひいいい――」「師匠ぉ……俺ぁアンタにホれたよたまんねぇよォッ――!」


 各人の恐怖を口々に表現しながら走り去ってゆく男たちの背にスフィールリアが「逃げんな迷惑料置いてけこらー!」と声だけの追撃を投げかけた。

 男たちが慌てて駆け去ったあと……。


「……チッ」


 なんてことのない作業を終えたと言わんばかりにぽんぽんと衣服をはたく仕草をするスフィールリアを囲んで、また、別種のどよめきが起こり始めた。

 ざわ――ざわ――


「え……なに今の?」「あれが〝綴導術〟って本当なのか? 結合解体? だれか分かる人いない?」「す、すげぇ。俺、田舎の先生が使ってるの見たことある。たぶん間違いない……でも、先生のはもっと時間かかってた……すげぇ」「じゃああの人センパイなのかな……」


 バカ、礼服着てる。同級生だよ――

 あんなのが普通にゴロゴロしてるのか――

 やっぱり<アカデミー>ってすごいんだ――

 ……などなど。

 色々と見当を外して飛び交う憶測の喧騒には、スフィールリアは特に構う気が起こらず。


「けっ逃げ足の速い連中ね。……大丈夫だった?」


 女の子が(というかまともな一般市民が)発してはいけないような捨てゼリフを吐いて、スフィールリアが、ナンパされていた少女に向き直った。


「え、ええ……えと、あ、ありがとう」


 すっかりへたり込んでいた少女はスフィールリアに差し出された手を取って、どうにか立ち上がる。


「それにしてもここの警備も見た目だけでザルね。あんな見るからにガラの悪い連中素通りさせて、なにやってんのかしら。まったく」


「その警備のスタッフですわよ、彼ら」


「え?」


 不意にかかった声に顔を向けると、いつの間にか、ひとりの少女がすぐそばに立っていた。

 まあいつの間にもなにも、傍観者たちより一歩近い場所でずっとなりゆきを見ていた、アリーゼルである。


(おお。きれいな子だなぁ)


 というのがスフィールリアの第一印象だった。

 絵本の中でしか見たことのないような長くてまばゆい金の髪を、花飾りつきのカチューシャでまとめている。

 とても整った目鼻立ち。花束をたおやかに抱えた白い繊手。意識しなくとも自然と揃えられたかかと。背こそスフィールリアのあご先くらいまでしかないものの、その落ち着いた物腰は、彼女を見た目よりもずっと歳重ねたように映していた。


「ですから、今の方々。この<アカデミー>のすぐ隣に併設されている<国立総合戦技練兵課>の生徒さんなんですの」


 澄ました表情のアリーゼルへ、スフィールリアは素直に首をかしげた。


「なんでそんな連中がこんなとこにいるの?」


「人の話を聞いていまして? ここ、未来の〝綴導術士(ていどうじゅつし)〟たちを育てる学び舎<アカデミー>周辺には、その業務に関わる様々な周辺業種の人材育成機関も併設されていますの。つまり彼らは国防を担う戦力として鍛えられていると同時、近い将来はわたくしやあなたたちの大切な〝パートナー〟となるかもしれない人材の卵ということになるのかしら?」


「えー、と。うーん……?」


 イマイチ理解できないスフィールリアに、アリーゼルが小さく嘆息した。


「まあ、入学したての今日でご存知ないのも無理はありませんけれどね。要するに彼らはお隣の学校の生徒さんで、訓練の一環として今日この日の入学式の警備スタッフとして引っ張られてきていたんですのよ。学校同士の業務提携というのが近いですわね」


「おおっ。今のはなんとなく分かった!」


「それはなにより。……で、『これ』が、毎年の風物詩になっていますのよ。女っ気の少ない訓練の毎日の中に飛び込んでくる、数少ない出会いのチャンスというわけですの。まあ彼らの場合はもう本当にそれ以前という感じでしたが……あなた、災難でしたわね」


「あ……あの、はい。ありがとうございます」


「? わたくしは別になにもしていませんけれど?」


「でも、助けようとしてくれてるの、分かったから」


「あら、目ざといんですのね」


 きょとんとしてから、アリーゼル。


「それでも実際にあなたを助けたのは入学初日に〝綴導術(ていどうじゅつ)〟を披露するような、このびっくり人間さんなわけですし。礼を尽くすのならそちらにいたすのが筋というものですわ」


 と言って、促すようにスフィールリアに体を向けて言葉を切る。メガネをかけた少女も心得ているといった風に彼女に向き直り、頭を下げた。


「ええ。そうよね……あの、わたしはフィリアルディって言います。困っているところを助けていただいて、本当に――」


 ――ありがとう。

 と、言おうとしたところで、




「ふむ……つまり敵の本拠地は割れているということなのね」




 と、意味不明なことがつぶやかれた。


『……え?』


 ふたりがまったく理解できないという声を漏らしている。

 のにも気にせず、あごに手をやっていたスフィールリア。アリーゼルに毅然とした眼差しを送り返していた。


「そのナンチャラ訓練所っていうのは、どこなの?」


「……<国立総合戦技練兵課>、ですわ。あなたがもしもだれも知らない裏口や抜け道などからではなく、わたくしたちと同じ新入生専用に解放された三番目の正規の門から入ってきたのでしたら、その門前百メートルほどにある、右手側――白塗りの大きな建物がそうですわ」


「そっか。ありがと!」


「きゃ!」


 言うが早いか、スフィールリア。フィリアルディの手を取って男たちの走り去った方角へ向けて駆け出していた。


「ですがわざわざわたくしたちが改めてクレームをつけるまでもありませんわ。言ったと思いますが、これくらい毎年行なわれているなんてことのない通例行事。騒ぎも不要なくらいには大きくなりましたし、もう間もなく教師も駆けつけるでしょうから、事情を話して彼らから正式に――ってちょっと! どこいくんですの!?」


「決まってるでしょきっちりオトシマエつけさして二度とこんなナメた真似(マネ)しようだなんて思わないようにさせなくちゃ! 根城を明らかにして悪事を働いた愚か者の末路ってもんを教えてくれる……!」


「えっ! でも、わたしはもう気にしてないし――」


「ですから、こんなのいちいち首を突っ込んで騒ぎ立てるほどのことじゃないんですのよ! ――って聞いてませんのね!」


 あっという間に、ふたりの姿は曲がり角に消えてしまった。

 それからほどなくして数名の教職員が到着して、人だかりの中央にいたアリーゼルに事情を聞き質そうと厳しい顔つきで寄ってくる。

 別に自分にはやましいことなどなにもないので、それはいい。見たまま聞いたままを話してやればいいと思っていた。お咎めもないだろう。


「……」


 しかし、ただただ気になるのは、まさか入学早々に巻き込まれることになるとは思わなかった珍騒動。その中心を台風の目のように駆け抜けていった乳白金の髪を持つ少女の後姿だった。


「なんなんですの……」



 ここからの詳細はフィリアルディがもっとも明るかった。スフィールリアに手を引かれるままに学院を駆け抜けて<国立総合戦技練兵課>にたどり着き、息も絶たえ絶えとなっているところで「じゃあすぐ連中ひっ捕らえてくるから待っててね」と言われ、言われるまでもなく身動きできず、ことの始終を見守っていたからである。


「たのもー!」


 バタン!


「げぇ! て、てめぇは!」


「ふっふっふ……自らの拠点の位置を明るみにしたまま背走したあげく素直に帰ってくるだなんて。そんなことで今までどうやって生き延のびてきたのかしらぁ」


「そ、その言動……考え方! や、やっぱり……マフィアのひとり娘……なんだなっ?」


「だれがマフィアよ! そっちは女の子ひとりを囲んで無理やりえっちなことしようとしてた変態のチンピラじゃない!」


「え、えっちなことっておま、そんな……俺らはただ将来のコネクション作りとか、あとはあの子とちょっと夕方くらいまで楽しくお茶できればって、それだけだったのに」「そうだそうだ。むさ苦しくて厳しいばかりな毎日のたった一日に、あの子みたいな可憐で優しそうな一輪の花を愛でたいと思ったからって、そこにいったいなんの罪が――」


「なっ……あっ……! むさ苦しい男たちの体臭でフィリアルディを包んで、その花びらを……ち、散らす……!? こん、の……ド変態!」


「変態はお前だ! 変態はお前だ!」「そうだこの悪魔! 顔赤くしてカマトトぶったってダメだこのろくでなし!」「ゴリラ女!」「お前のせいでバートンは今も!」「師匠! もっと罵ってくれ!」


「があーーーーもう、うるっせーーーーのよ! とにかくもう金輪際ウチの敷地に踏み込めないよーにシめてやるから覚悟しなさいよ!」


「ひっ……やる気だ!」


「こうなったら仕方ねえ……全員集合だ! 院内全域に非常召集をかけろ! このままじゃ全滅させられるぞ――!」


「師匠、好きだーー!」


 当事者たる戦士たち、待機していた無関係の戦士たち。彼らのすべてがにわかに騒然となり、そして――


「――上等よ!」


 歴戦の戦士たちが一斉と踊りかかり、決然と構えを取ったスフィールリアが、それらすべてを待ち構えたのだった!



 そんなこんなでスフィールリア。

<国立総合戦技練兵課>正面ホールの三分の一ていどの設備を半壊させ、十何人目かの屈強な男を力技で床に沈めたあたりで慌てて飛び出してきた戦技教官に取り押さえられた。

 その足で<アカデミー>教職員の下にまで連行され……今手にしている書類とともに、退学処分を言い渡されたのだった。


「あはは、ははは……はぁ」


 当然ながら寮の敷地にも入れてもらえなかったので、仕方なく緊急で、城下にある宿屋に一室を取った次第なのである。

 ベッドに全身を投げ出し、もう一度、盛大にため息を吐き出した。入学初日から退学処分になると思っていなかったせいもあるが、そのためだけではない。もともとこの街にたどり着くまでの移動費ぎりぎりの金しか持ち合わせていなかったのだ。この宿も早々に引き払って、もっと安い場所を探さなければならない。


 三日以内に仕事でも見つけなければそれ以降の朝食すら危ないだろうが、仕事については、たぶん問題ない。

フィルラールンの町でそうしていたみたいに、物が壊れた家を巡って〝綴導術(ていどうじゅつ)〟で修復してあげて――


 大きな街だから、もしかしたら、勝手に仕事をすると幅を利かせている元締めのような連中に睨まれるかもしれない。まずは酒場にでもいって、そのへんの情報も集めておかないと――

 今までのこと、これからのことを考えている内に、スフィールリアはうつらうつらと船を漕ぎ出していた。旅の疲れ、入学式の緊張、さらに屈強な男たちとの血沸き肉踊る壮絶なバトル……眠くならない方がどうかしていた。


「あたし、悪くなくない……?」


 きっぱりと、悪い。

 すん。とひとつ鼻を鳴らし、そのままスフィールリアは深い眠りに落ちていった。


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