(1-16)
◆
「ドキドキして眠れなかった」
「子供かっ。おいおい、遠足じゃないんだぞ。頼むぜ」
早朝の<国立総合戦技練兵課>正門前。
白み始めた空の淡い光を吸い込んで煙る薄もやの中、試験に挑む訓練生たちが集合していた。
その一団の隅で落ち合い、スフィールリアたちは、自分の分の荷の再自主点検を開始したのだった。
「おいおいアイバぁ。なんだよその荷物の量はよぉ。山篭りでもする気かよ?」
投げられた野次に多数の含み笑いが呼応する。アイバに対する視線に悪意こそないが、呆れ半分・険が半分といった調子なのは、おおむね、スフィールリアがその場にいるためだった。
この訓練生らの半数ほどが、彼女から痛い目を見させられた哀れな被害者たちなのだ。
「うっせ。俺らはコレでいいんだよコレで」
「つうけどよぉ。本試験期間は三日だぞ? そんなムダな重装備じゃフットワーク利かねぇだろ」
「ソイツになんか吹き込まれたのか? あとがないのに、大丈夫かよ?」
たしかに、スフィールリアたちが用意したキャンプ用品はほかの訓練生と比べても、明らかに合理性を超えた量をしていると言えた。ひとりあたま分で、担げば胴回りが三倍には膨れ上がってしまうようなサイズの荷だったのだ。
テントや寝袋や湯沸し用のポットはもちろんだが、そのほか、コンパスだとかザイルだとか、およそ彼らがあらかじめ授業で学んだ〝霧の杜〟では、使い道のないようなものまでもがふんだんに詰め込んであったからである。
しかしアイバは肩をすくめて浅はかな同期生たちを受け流した。
「いーの。俺らはコレでな」
アイバのうしろからスフィールリアが「グルルル」と臨戦態勢の猫のような唸り声を上げると、訓練生たちは一斉に目を逸らした。
「お前もそういうことするなよっ」
「ふん。トーシローどもに理屈は必要ないのよ。黙らせればなんだって」
そこに今回の引率を担当する戦技教官が到着する。周囲を見回し、喝を入れるように声をかけた。
「そろっているな! 荷の自主点検は済んだか。そろっていなくても済んでいなくても、ついてこられない者は置いてゆくぞ」
さすがの訓練生たちからもだれた空気は払拭され、きびきびとした声で返事が唱和される。
「……アイバ。その荷の量はなんだ。それでよいのか?」
ふと見咎めたように尋ねてくる教官に、アイバも一旦は緊張の面持ちを見せるも、
「……」
スフィールリアがうなづいてくるのを見てから、まっすぐに答えた。
「はい。これで問題ねーっス」
教官はスフィールリアを一瞥して、面白そうな笑みでうなづいたのだった。
「よいだろう。では出発する。各自騎乗! 事前に組んだローテーションの通りに指揮役を交代しつつ、目的地を目指す。かかれ!」
◆
備品や予備人員を積んだ輸送装甲馬車の一台の中で、スフィールリアはうとうとと船を漕いでいた。
揺れのおかげで元から眠りは深くはなく、ふと目を開けると、小さな窓から差し込む日差しはすでに昼にかかろうとしているようだった。
外では、今も黙々と進み続ける騎馬部隊の姿が見受けられる。班編成された小隊ごとに部隊指揮役と哨戒役、そのほか役割をローテーション交代し、途中でモンスターや往来を妨げる障害物などがあれば訓練の通りに対応を行ない、目的地を目指してゆく。そういった連隊的実地訓練もかねた試験項目なのだそうだった。
「眠れたかね」
対面の椅子から声をかけてきた教官に、スフィールリアはやや恐縮気味に答えた。
「あ……すいませんあたしってば。真面目な訓練なのに、馬車に乗っけてもらった上に眠っちゃうだなんて」
「構わんよ。君は元々から客人講師として扱うことになっているのだからね。兵役も積んでいない者をいきなり隊に放り込んで軍事的行動を行なわせるというのも、おかしな話だろう?」
「え、えへへ。ですよね。ありがたいです」
「もっとも、わたしとしては君ならばあの中に放り込んだところでなんら問題はないとも、思ってはいるがね」
「えっ? いやえっとそれはめんどくさ――じゃなくってその、光栄でありますっ。はは……」
「素直でけっこうだな」
「えへへへ……」
とスフィールリアは出発からこっち、始終恐縮しっぱなしだった。
というのもこの厳めしい顔つきをした壮年の戦技教官、<アカデミー>入学式の日に大暴れした際、彼女を取り押さえにかかったその人なのである。
突如として現れた強敵を相手に、彼女は奥の手のひとつを使い、彼に手傷を負わせてしまった……。
しかしどういったことか、彼はスフィールリアに一目を置いている節があるようなのだった。
思わぬ使い手にめぐり合えたことが好ましいとか、そんなところだろう。スフィールリアとしては今いち釈然としないものを覚えるしかないのだが。
「密室だからってリベンジマッチかましてノしちまうなよ?」
彼女の背後にある開いていた小窓からアイバが顔を覗かせて、からかうままの声をかけてくる。
「うっさいなー。そんなことしないってば。あの時は先生さんだって気がつかなかっただけで」
「ははは。わたしはかまわんよ。むしろもう一度あの技を見せてもらいたいところだ。あの日以来ずっと、アレをどう返すかを組み立てていたくらいだ」
「えっ? えへへ、やだな~」
と、そのアイバのさらに後ろの方から別の野次が飛んできて、
「アイバぁ。まぁ~たその女と絡んでんのかよ。どぉ~しちまったんだ」
「やめとけやめとけ、そんな顔だけの性格暴れゴリラなんざぁ!」
「うるせえな! コイツはな、そんなんじゃねぇよ! 俺が認めた真の〝漢〟なんだからな」
と怒鳴り返し、窓から離れてゆく。
スフィールリアは表情の落ち抜けた顔で、窓の方を肩越しに指差した。
「アイツにならあの技かけてもいいですかね?」
「かまわないよ。わたしも観戦させてもらおう」
「うっし。おし。まずは人気のないところにおびき出して……それから動きを……」
そんな算段をぶつくさと組み立て始める彼女を、少しの間、見つめてきていた教官。
「……彼をどう思う。勝てそうかね?」
ふと真面目な面持ちで、そう聞いてきた。
「え。はい? えぇまぁ、ガチでやりあったら相当手ごわいと思いますけど」
「やはり、そう思うかね」
「……あの?」
「正直な話をしよう。わたしは、君に期待しているんだ」
「あたしに……?」
教官は、自分の隣にある窓の外を見ていた。
そこにいる、未来ある若者たちの姿を。
「ヤツの素性は知っているね? あれは天才だ。――紛れもなく、かつての〝勇者〟の才を余すところなく受け継いでいる。わたし自身が『世界樹の騎士』その本人を見ていなかったとしても、そうだと分かるくらいに。
人はよく〝才能〟という言葉を簡単に口にする。わたしも『才能ある若者』というものを何人も見送ってきたつもりだ。だが……彼らはみながしょせん、『有望な若者』にすぎなかったのだということに気がつかされたよ……ロイヤードという若者を見た、その日にね」
「そこまで、ですか?」
「そう。あれが、あれこそが〝才能〟というものだよ」
教官は間を置かずにうなづいた。それ自体はまったく特別ではない、当たり前のことなのだとでも言うように。
教官の静かで真剣な面差しに、もうスフィールリアからも、ふざけたり茶化したりするような気は失せていた。
「あれが本当にその気になってわたしの下につけば、まず三年もかけずにわたしは追い抜かれるだろう。そして、さらにその〝先〟へ――聖騎士団のみならず、あの聖騎士長の〝白竜皇〟や、当代〝薔薇の剣聖〟へ並ぶまでに、その力を及ぼすに違いないと。わたしもそれを期待していた。だが……その〝才〟がゆえに、ヤツは落ちこぼれかけた」
再び向き直ってきた時の教官の顔には、寂しげな笑みが浮かべられていた。それが自嘲の表情だと分かったので、スフィールリアは自分のつま先を見るように顔を伏せて、滔々と告白した。
「……アイバは、言ってました。この国にはすごく強い人がいっぱいいる。でもその人たちが強いのは、強さを求める理由を知ってるからなんだって。自分には、それがないから、って」
「そうだろう。知っているよ」
顔を上げると、戦技教官の優しい微笑があった。それから、うなづいてくる。
「わたしも正直に、告白しようか。見ていれば、あんな小僧がどのようなことで悩みくすぶっているのかくらいは分かる。だからこそ――わたしはヤツがその段階でつまづきかけ、その悩みを抱え込んだことを、うれしく思ったのだ。なぜだか、分かるかね?」
「アイバ自身のため、とか……ですか?」
「おおむねそんなところだ。あれだけの才能を持っていれば、なにも考えず、だれにもつかずがむしゃらに剣を振るっているだけでも、常人には及びも着けない場所にまで到達できるはずだ。だがそれは――非常に危険なことだ。自覚なき力はただの猛悪と化すだろう。それは多くの人を意味なく傷つけ、また自身をも食らい潰すに違いない。だが、そんなことはまだまだ表面上の『ましな部分』にすぎない」
「まし……?」
「分かるかね? 〝力〟の真に恐ろしいところは、それ自体はまさに無人格にすぎないという点だ。どのようなものにでも従ってしまう。一番恐ろしいのは、中途半端に己の〝力〟を理解し、己の中の希求を理解したつもりで、そのままに〝力〟を振るってしまうことだ。
もしもヤツが特に悩みも恐れもせずスムーズに自分の使命感なんぞというものに目覚めた『つもり』になって〝力〟を伸ばし始めていたなら、わたしはその時にこそ真の恐怖と焦りを覚えていただろうと思う。そうなれば、ヤツは、自分でも気がつかぬままに多くの人間を救い、屠り続ける道へと飛び込んでいただろう。わたしにも止められぬままに、だよ」
一番、恐ろしいこと。
それは、『正しい』と信じてしまうこと。
この道で『よい』と『決めて』しまうこと。疑問を抱かなくなること――
「……あたしの師匠も昔、あたしに似たようなことを言ってたことが、あります」
「そうか。ならば君にその言葉を贈った師は、心の底から君のことを想ってくれていたのだろうよ」
「はい」
スフィールリアは素直にうなづいた。
師のその点にだけは偽りがないと信じていることもあるし、なにより、この教官の語ることの本質が、彼女には分かったからだ。
それは彼女たち〝綴導術士〟たちこそが根底に抱え込んだ問題にして、理念に通ずることにほかならなかったからだ。
「――そうなった時、〝力〟の大小は単なる見かけ上の問題にすぎなくなる。
〝力〟や〝正しいこと〟を追い求める心というのは、しょせんが〝欲求〟にすぎない。ではその〝欲求〟に対してどこまでも素直になった時、信じきって疑わなくなった時、どうなる? ――答えは簡単だ。その直線の範囲からこぼれた者が皆殺しになるまでのこと。
そうなれば、そこらの裏町で幅を利かせるギャングだろうが、街角で国の未来を討論する学生だろうが、国を傾かせる暴君だろうが、救世の勇者でも――同じことだ。
自覚がないのならば、いつかその者自身もがまっすぐだと思い込んでいた覇道からこぼれ落ちないという保障はない。その時は自分自身の〝力〟に……それまでの業の巨大さに押し潰されるだけだろう」
「はい」
「人は迷いのないさまを美しいと評する。まっすぐに貫き渡される正義をありがたいと奉ずる。だがわたしはそうは思わない。
力や正義を求める心が欲求だと言うのならば、それを常に自問し続ける〝迷い〟というのは、自身の力から自身を守るための〝盾〟なのだ。決して綺麗ごとなどではない。
だから歴史に名を残すような偉人たちは、時に人から天才がゆえの異常だ奇行だと呆れられるような言動や思考回路を以ってしてでも、その自らの力を御そうとしていたのだとわたしは思う。彼らはその力の大きさに飲み込まれまいと必死にあがいて、結果として他人から見て突飛であったり、飛び抜けた思想や判断を持つに至ったのだと。
それそのものは才能ではない。むしろ逆で、凡庸な生物が持つ当然な本能としての防衛行動、その歴史にすぎないのだとね。では真に重要なのは、その一枚裏にある〝理由〟なのだと……思わないかね?」
「教官さんは、その歴史を、アイバ自身に作ってほしいってことですか?」
そうさと教官はうれしそうにうなづく。
「迷い続け、疑い続け――常に〝作り直し〟の打診をかけるということは、常にギャンブルをしているようなものだ。迷い続けた先でそれこそ気がつかぬうちに道を違えてしまうこともあるかもしれない――それでいいのだ。
迷い続け、疑い続けてこそ、それまで不定形無人格であった〝力〟は、〝力〟を持つ者と同じ形状を獲得するのだとわたしは考えている。それが等身大というものだ。あがき続けるうちは、〝力〟はその等身大を超えすぎた範囲に拡散して〝力〟を及ぼすことはできなくなる。
迷いとは、そのままに、〝迷宮〟のことなのだ。
迷宮とは外からの侵入者を排斥するためのものではない。なにものの接触をも拒むのなら、扉も作らず、埋め尽くしてしまえばよいのだからな。
迷宮とは、内部にあるものを封じ込めることにその真の存在意義があるのだ。
〝力〟を持つ者は、自然と、自身の中にそれを収め込むための〝迷宮〟をも抱え込むべきなのだ」
「……〝ワイズ・シーラー〟ですね」
彼女がそれを言うのを待っていたように教官は「そう、それのことだよ」と指さえ向けて破顔してきた。
ワイズ・シーラーとは、彼女たち綴導術士の間でまことしやかにささやかれる、ちょっとした〝概念〟のことだった。
今では綴導術士たちが自らを律するための〝戒律〟のことをも言う。
――かつて世界を破滅へと至らしめた魔術士たちと、その栄華の頂点を極めた文明群。綴導術士たちは、その〝力〟の継承者だ。
綴導術士たちは<アーキ・スフィア>から引き出した記憶によりその文明の構造を多く把握しているし、また回収が不可能であった部分についても、同じ力とより発展した理論を以ってすれば、研究の末に再現は可能であろう。
だが彼らとまったく同じ文明を作り上げることは、綴導術の理念に根本から反する。それは綴導術ではなく魔術だからだ。
だから、綴導術士らは自らが作り上げる〝物質文明〟に上限というフタをかけることにした。
ゆきすぎた技術の開発や流布に歯止めをかけようとしたのである。
だれかが唐突に思いついて提案したというものではない。
すべての綴導術士が綴導術の理念を理解し、そして無意識のうちから自発的に実践し始めていたことを、少しずつ自覚していった〝概念〟だった。
現在では各国間において、この概念をより具体的に明文化した協定を作り上げる動きもある。
『文明の形相そのものに直の影響を与える〝技術〟と〝体制〟の確立』を抑制する制限――具体的には、動力などを始めとした新技術・新エネルギー、それらを量産可能とする施設の開発である。
綴導術士は特別なマテリアルを作る。特殊な効果を持った品を建造し、それらの生産を可能とする〝技術〟と〝施設〟をも構築する。
これが過度にゆき渡り、容易に世界へと定着してゆけば、文明発展の〝ブレイク・スルー〟は恐ろしい速度で進んでいってしまうだろう。それが人類の存続に対して正しいプロセスであったのかを、人類自身が自覚する暇もないほどに。
どこかの国が欲望と野心のままとがむしゃらに綴導術士たちの発展を促し、特別な兵器や動力を普及させれば、たやすく周辺の国々は滅ぼされることになる。一旦無制限に拡散された技術を駆逐することは不可能である。その後は際限なく争いが繰り返されることになるだろう。
綴導術とは、それほどのポテンシャルを秘めた〝力〟なのだ。
ゆえに彼らを擁し、彼らに依存する各国家も、この概念の必要性への理解は早かったのだ。
「偉そうに長々と語ってしまったが――なんてことはない。かつてわたしが護衛に同行していた綴導術士からの、受け売りにすぎないんだ。これはなにも、君たちのような素晴らしい秘術使いに限った話ではないのではないか、そんなことを考えるようになったのさ」
教官は帽子を取り、恥ずかしそうに芝のような角刈りの頭をなでさすった。
スフィールリアも自然と顔がほころぶ気がしていた。こんなに強くて聡明な人でも、そんな時代があったのだなと思ったのだ。
どんな、旅をしていたんだろうか。
「えへへ。よくご理解されてると思いますよ。あたしなんかよりも」
「教導の立場になってから急にこんなことばかりを考え出すようになってね。君たちの聡明さに、日々敬服をしてゆくばかりだよ」
そして気を取り直し――今度はいく分か柔らかい面差しで、続けた。
「ヤツは自分の〝力〟の大きさを知り、臆した。そして、迷宮に迷い込んだ。わたしは今日、ヤツがこの試験に出向いてくるかどうかは五分だと思っていた。だがヤツはきた。――君のおかげだと思っている」
「あ、あたしが、ですか?」
「あぁ。わたしが君を<アカデミー>に連れていったあと、君がどうなったのかということを聞かれてね。ちょっと発破をかけてやったところだったので<アカデミー>生に頼るだろうとは思っていたんだが」
「あ、あはは。そういうことだったんですね」
「君は、どうやらヤツの迷宮を〝完成〟させてくれた」
「……」
「さっきはああ言ったが……やはり迷宮には〝出口〟が必要だ。外界の光差す出口があって、初めて〝力〟を持つ者は、その一筋の光明を目指して前進することができる。己のみの暗闇に完全に閉ざされて、召しいたままに己が前に進めないことを知っていながら迷ってしまうのであれば、それは前に進むのを止めてしまっているのと同じだ。それではいつか自分自身だけを餌食にしてしまうだろう。自分の尾を食らうヘビのようにね。
君がその光をヤツに差してくれたのではないかと、わたしは思っているよ。よければ今後とも、ヤツにはよくしてやってほしい」
そう締めくくり、教官は正面のスフィールリアに、深く頭を下げた。
むずがゆくてしばらくなにも言えずにいたスフィールリアだが、やがて我慢ができなくなって、さっきまでの教官のように自分の後ろ頭をなでくり回した。
「あ、あたしなんかはそんな大したモンなんかじゃないと思うんですけど。戦いだったらアイツの方が強いに決まってるし……まいったなぁ~えへへ」
「なに。素材の調達にでもなんでも、気が向いたらこき使ってやってくれればいい。ヤツが進むべき道とは、なにも聖騎士団のみというわけでもないのだ」
「えっと。それって、綴導術士や工房の護衛役ってことですか?」
「そう、それだよ。<国立総合戦技練兵課>はそうした人材の輩出をも目的の一端としている。まぁ、ウチに所属している間の者が護衛役を引き受けるには、まずさらにいくつかの試験を合格して王室から資格を賜る必要はあって……なおかつ時間の空いている時という風には、限られるのだがね。それでも、見習いの扱いなので雇用費も格安だよ」
と、茶目っ気ありげにつけ足してくる。
工房つきの専属戦士は〝キシェリカの騎士〟などと呼ばれたりする。
キシェリカとは、スターチスと同じ花でこの場合は特に白い花を咲かせるものを指す。〝約束〟を示すまっすぐに伸びるこの花の白さは、結婚を示唆する花言葉と同時に、命を賭して護ると決めた工房と綴導術士へささげたる清廉なる誓いの絆の象徴でもあるのだ。
時には聖騎士が中途で道を変えて〝キシェリカの騎士〟になることもあるし、〝キシェリカの騎士〟が有事の際には聖騎士団に編入して、護るべき工房のある国を防衛するために戦うことだってあり得る。
なぜそのような業種と聖騎士団候補とがいっしょくたの場所で訓練されているかというと、それだけ、〝キシェリカの騎士〟の存在が重要視されているためにほかならない。
噛み砕いて言えば、ある観点から、騎士も〝キシェリカの騎士〟もディングレイズ国にとっては同じ存在なのである――『一線級の戦力』というのを育てるための機関なのだ。
各項目の教練ごとに、彼ら訓練生にそう安くない支度金が支給されるのも、このことが関係しているのだそうだった。
それだけ将来の彼らから得られる見返りが高いと王室が期待している証明でもあるし、それを考えればこれらは至れり尽くせりにもほど遠い、最低限の投資項目にすぎないのだと、スフィールリアは目の前の教官から教えてもらった。
「う~~~ん、ロマンチックな感じだなぁ~。アイツの柄じゃないですけどね」
「ははは、まったくその通りだよ。まぁいくら持ち上げたところで〝奏気術〟さえろくに心得てないのだからアレはまだまだ半端未満のヒヨッコだがね。対人に限らない外部での有機的な行動では、君の方がよほどマシに動けるだろうが、勘弁してやってくれ」
「〝奏気術〟? ですか?」
「このようなものを言う」
と言って教官はおもむろに腰から短剣(これも綴導術士らが作った特別製のようだった)を抜き出して、スフィールリアの目の前に差し出して見せた。
その刀身がまばゆく赤色に輝き、高出力のバーナーのように、噴き出した光を刃の延長としている。
「君たちに言わせるところの〝タペストリ展開〟と、ほぼ同じものだよ。いくら特別な武器防具を持ったからといって、それを扱う術がないのでは話にならない。それで太刀打ちができるのは、せいぜいが初級のモンスター止まりだ」
「なるほどぉ……」
初めて見る自分以外の分野での同質の力の使い方に関心してうなづき、スフィールリアは自分の短剣も抜き出してみた。
「こういう感じですかね?」
しゅお、と沸き立つ音を立て、純銀色の刀身に緑色の光芒が宿った。教官は満足顔でうなづいた。
「さすがは、綴導術士だ。タペストリ領域の扱いにかけては、やはり君たちの方が何倍も長けている。と言っても君は君の同期生よりも何十歩も先をいっているようだね。ホールでわたしと衝突した時も君は〝操気術〟を使っていただろう? ああいう、慣れというのが大事なんだ」
実際、新入生の多く(特に一般生)は通い出した教室にてようやく最基礎項目である水晶水作成の手ほどきを受け始めた段階で、そのための自分のタペストリ領域の使い方に四苦八苦しているころだ。魔導具としての武具を自在に操るなどというのは、雲もかすむような領域の話だろう。
「えへへ……それでも戦闘関連なら、アイツとあたしとじゃ、すぐにアイツが追い越してっちゃいそうですけどね」
「教官」
教官が面白そうに「ふむ?」とあごに手をやった時、スフィールリアの背後の窓がノックされて、厳しい顔つきのアイバが顔を覗かせた。
同時に彼女らを乗せた輸送馬車が停車し、周囲のどよめき声が物々しい気配を伝えてきた。
「どうした?」
報告は、簡潔だった。
「状況F――〝敵〟です」
教官もまた簡素にうなづき返すと、スフィールリアに向けて、面白そうな笑みを送ってきたのだった。
「さっそく、〝証明〟ができそうではないかね?」
「道、開けろぉ! 輸送団は一旦後退する! 六班と七班が護衛!」
「回り込め! 三班と四班が上から偵察! 早くしろよー!」
「各班装備確認と報告!」
などなど……。
臨時の作戦展開基地となった道の半ばで、スフィールリアは所在なさげに立ち尽くしていた。
「状況は?」
彼女の隣の教官がだれにともなくつぶやくと、すぐさま駆け寄ってきたアイバが手で促しつつも説明を開始した。教官が歩み出すので、スフィールリアもなんとなくついてゆくことになった。
「五十メートル先の地点にてモンスターの一団を発見。道を完全に塞いだ状態にて停留しており、地形の条件もあるために誘導が不可能です。撃破の必要性ありと判断され、戦闘想定区域から馬と輸送団は遠ざけました」
地形。スフィールリアは周囲を見回した。
彼女たちが今いる地形とは、簡単に言えば、崖に両端を挟まれた一本道の状況であった。
茶褐色の岩盤の高さは、まばらではあるものの平均して十メートルほど。崖の上には起伏の多いでこぼこな草原が広がっており、かつての地形変動かなにかで開かれたこの大地の道は、都合がよかったので人間に舗装されてそのまま街道のひとつとして使われているというわけである。
しかし人間とモンスター、双方にとって退路や復路のない地形である。誘導が不可能というのはそういうことだろう。
「悪くない判断だとは言えるが、モンスターのランクを抜きにした話だな? いくら道を塞ぐほどの数量だとしても、ランクFのモンスターごときに大げさではないか? いつからお前たちは腰抜けになった。ぶら提げた剣が重すぎたのなら、今すぐに田舎まで尻尾を巻いて逃げ帰ってもいいのだぞ? はなむけにケツくらいは蹴り飛ばしてやる」
「えぇ、まぁ、それも悪いハナシじゃねぇかなっとは思うんスけども――ごらんください」
そこそこに早足だったので、このていどの会話でも、もうたどり着いていた。
アイバが指し示すそこに、敵――モンスターたちがいた。
「――ほう」
今まで歩いてきた道よりも、少しだけ開けた、広間のような空間だった。
その道の上に、青、赤、緑、黄色に紫と……宝石のような岩が、散りばめられたかのようにゴロゴロと転がっている。
いや、宝石と言うには、もう少し安っぽく、薄い色をしている。ちょうどそう、ゼリーを固めたような、あるいはアメ玉のような明るい色合いである。
この、モンスター。
見た目の通り、名を『ドロップ』と言う。
大きさはまちまちだが、目の前に散らばっているのはどれもスフィールリアの体格で一抱えていど。『ドロップ』にしてはそこそこの大きさだ。
青、赤、緑……という色合いから連想される通り、この『ドロップ』というモンスターは土地を巡る〝蒼導脈〟が結晶化して核となり、地道に転がりながら土や砂などの物質を取り込んで少しずつ成長してゆくという、通常の生物とはややおもむきの異なるモンスターである。
剥がれやすい積層構造をしており、体表面の剥離層を破裂させて転がるように移動する。外敵に対しても、自分を弾けさせておどかしたり、至近距離であれば体当たりをすることで対応する。
周辺環境の〝蒼導脈〟の影響も受けて色を変化させたり、取り込んだ物質の色合いが反映されたりと、綴導術の基礎三原色以外の色にもなり得る。とある綴導術士がとある土地に居座り続けるとある『ドロップ』の上にそっと『みかん』を置いて一晩待ってみたところ、『みかん色になっていた』などという逸話もあるが、真偽のほどは定かではない――
しかし特殊な生物と言ってもしょせんは『欠けやすい岩』にすぎない。
町から町を巡る冒険者の敵などではないし、それどころか、そこらの村のちょっと元気な子供の遊び道具にされたり、犬猫の爪とぎ牙とぎの餌食にまでされてしまうことも珍しくない、ちょっとかわいそうな生き物なのである。
「……」
さて、そんな一見すればちょっと綺麗なだけの岩っころたちが――広場を埋め尽くし転がっている。のみならず、広場の上部にテラスのように拓いた無数の空洞の席へまで、転がっているのが分かる。
「『ドロップ』だ……」
スフィールリアは顔をさっと青ざめさせていた。
「まぁこのような状況でして。戦闘による撃破のほかに、手作業による撤去も悪くないかもなと議論が分かれてまして。と言っても臆病なモンスターなんで、撤去まではできたとしてもその後の車両通行の振動で弾けさして馬にでも当たったら面倒だなと」
報告の締めくくりを行ないつつ、アイバは彼女の顔色を見て、「なんだこのていどのモンスターで怯えるなんてかわいいところもあるんじゃねーか」などと暢気なことを考えていた。
次に、違和感に気がついた。
(怯える? コイツが、『ドロップ』なんかに? なんでだ?)
「なるほどな。しかしそいつはお前たちが自分で判断することだ。わたしはそれを見て評価を下すだけだ。それならば今の無駄話に使った分の時間で、わたしとこちらのレディに、茶のひとつくらいはこしらえることもできたな? 評点のチャンスをふいにしたな。くだらん」
ちょうどその折で、戦闘準備を終えた後続班たちがやる気のない様子で合流してきた。
「ぅぐぬっ――う、うぃっす。おいお前らぁ、好きにしていいとよ。どうする!」
「めんどくせぇからさっさと片づけちまおうぜぇ、リーダー!」
「戦闘態勢! テキトーに倒す! 早いもん勝ち!」
現在の指揮班リーダーが抜剣してそう決断したので、有無もなく戦闘の向きになった。
とそこでアイバは教官を見て、またも違和感を覚えた。
「よし! その判断で間違いないんだな! では各班各自の戦績を見て評価につけ加えてやる! 相手がFランクだからと言って腑抜けた戦いぶりを見せたなら容赦なく減点対象にしてやるから覚悟しておけ」
「そりゃ逆に難しいですって……こんなん相手にどう気張って戦えってんだか~」
そんなことを言いながら広場へと進出を始める部隊の背後で、ちょうど生えていた野太い枯れ木の陰に、サッと隠れてしまったのだ。
これは、おかしなことだった。いつもの教官ならば指示や野次を飛ばす時、かならず自分たちの真正面か真横か真後ろに陣取るのが普通なのだ。その方が声がキンキンとよく通るし、こちらへのプレッシャーになると分かっているからだ。
だが今の教官の位置では、ななめ後ろだ。これは道理に適っていない。
さらに、そんな彼の元へとトテトテ駆け寄ったスフィールリアが、
「あの、教官さん。あたしは別行動でいいんですよね?」
「ああ、もちろんかまわんよ。好きな場所から観戦してやってくれたまえ」
「あ、ありがとうございます!」
そんなやり取りののち、すたこらさっさといった風な足取りで、広場入り口付近にあったちょっと大きめな岩場の影へと入り込み……。
「……」
膝を折りたたんで座ると、両腕でしっかりと、頭を抱え込んだのだった。
完全な、防御姿勢である。
ふと目が合うと彼女、「頑張ってっ」なんて小声とともに親指を立ててくる。
「――」
アイバはその顛末を、無言で見届け――
「ロイ、俺らもいこうぜ。早いもん勝ちだってよ。点数稼いどこうぜ」
すでに抜剣して肩を叩いてくる班員たちを振り返った。この班のリーダーは、アイバだ。
だから、判断を伝えた。
「隠れるぞ。今すぐ。最優先」
「……はぁ?」
「リーダーとしての判断は伝えたぞ。あとは好きにしろ。俺は隠れる!」
「って、おいおい!」
言うなりアイバは身を翻すと、スフィールリアのいる岩場の影へと入り隣に座り込んだ。
突然のことにうろたえながらも、班メンバーのふたりほどが、追従して続々と体育座りを決め込んでくる。
「ちょっ……なに! 狭い狭いやめて!」
「そう言うなって、なっ、相棒!」
「へへへ……師匠今日も素敵だぁ……はぁはぁ」
「な、なんなんだよアイバァ。ついてきちまったけど、知らねぇぞぉ?」
「おいおいロイ班なんだぁ! 怖気づいちゃったのかよぉ、ははっははぁ!」
「あとがないんだろぉ~?」
「うるっせ! 本試験で絶対合格すっから譲ってやってんの! 俺っていいヤツだよな~……がんばれよー!」
岩場から後ろ手だけを出して振ってやっているアイバに、スフィールリアは鋭い叱責を飛ばした。
「もっと頭を低くしてっ。ホラみんなも!」
「お、おぅ」
「わ、分かったよ」
彼女の指示の通りとさらに窮屈に身体を折り曲げるアイバ班面々のうしろで、今、大陸最弱級モンスター『ドロップ』の掃討作戦が開始されようとしていた。
「たくよぉ、トーシローの女ひとりに振り回されるなんて焼きが回ってんだよなぁ」
「そんじゃま、ありがたくポイントいただいて、」
「おきますか――っとぉ!」
剣を持った戦士たちが、各々のスタイルで刃を打ち下ろした。
ガツッ――と鈍い音を立て『ドロップ』たちの表面が砕け散る。
そのまん丸い身体が、反撃の兆候にブルブルと震え出して――
「――ん?」
そして、それが始まった。
「っっっぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
戦士たちの絶叫が響き渡った。
「痛てて! 痛て!? 痛でででででだだだ!?」
「ぐはっ……おぼごっ……ぐえっ…………ぐっほぁ…………!?」
「痛っってええええええええええ!?」
「だれか……助け、あがっ…………あぎゃあああああああああああああああ!?」
しかし、そんなものすら小さく聞こえるほどの、騒音と振動の嵐だった。
「あわわわ……予想以上だった」
頭を抱えたスフィールリアは、膝の内側でガタガタと声を震わせていた。
騒ぎの原因は、言わずもがな『ドロップ』だった。
平和に転がっていたところを突如として硬い剣なんかで叩かれたドロップが、びっくりして、反撃のために跳ね飛んだのだ。
そしてその『ドロップ』たちが別の『ドロップ』たちに勢いよく衝突して……ぶつかられた『ドロップ』たちがまたさらにおどろいて弾け飛んで……仲間にぶつかり……壁を跳ね返ってまた仲間にぶつかり……さらに空中で衝突なんかもして…………。
あとはもう、加速度的に弾けてゆくだけだった。
今、彼女たちの背後の広場は砲弾の嵐だった。
バチゴン! とすぐ後ろの岩場を『ドロップ』が跳ね返っていって、一同は身をすくめた。
「ななな、なんだこの勢いと威力! 『ドロップ』てこんなすさまじいモンスターだったっけ!?」
「当たり前じゃない! こんな密閉された空間であんなにいっぱいの『ドロップ』を弾けさせたら、そりゃこうなるよ! ひ~~~ん……!」
壁面が砕けて、ばらばらと、ちょっと冗談ではない大きさの破片までが降り注いでくる。ゾッとしてアイバは上空にかぶさる崖の天蓋を見上げた。
「これ、崩れるんじゃないのか……いつ収まるんだ!? 大丈夫なのかっ!?」
スフィールリアはとにかく耳元と頭頂部をギュッと覆ったまま叫び返した。
「知らないよ! こうなったら収まるのを待つしかないもん、祈るしかないよ!」
そのまま、最弱モンスターの奏でる狂宴は、十分間ほど続いたのだった……。