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「…………! ……! ……!」


 祝日の午前。

 王都のとある一角である大通りに立ち尽くし、スフィールリアは絶句していた。

 人、人、人……の渦だった。

 石畳の大通りは、大型の荷馬車や客馬車が軽く五、六台はすれ違えるほどの広さがある。

 そのほぼ全域を埋め尽くすような人の流れだった。


「寄ってらっしゃい見てらっしゃーーい!」


「フィデリック工房の新作入ったよ~!」


「見てった見てった! 昨日まで生きてたフィルラールン牛のミートパイ、もうじき上がるよ! 腐りかけなんか使っちゃおりません! この芳しい香り! 嗅いだら買いだ、買ってった!」


「毎度お馴染み~、十一番街の~、え~、皆様の~、洗濯代行~、ライランシェ商店で~~す」


「ほへぇ……」


 これだけの人ごみは、入学式の日か、<クエスト広場>でしか見たことはなかったかもしれない。


「これは、つまりお祭り……ううん、戦争でも起こるのかしら」


「なに言ってんだ。お前、王都歩くのって初めてだっけ?」


「ひゃわっ!?」


 唐突に肩に手を置かれて、スフィールリアは飛びのいた。

 そこに、アイバがいた。


「おっ。振り返りざまにしっかり戦闘態勢とはさすがだぜ。俺が見込んだだけはあるなっ」


「お、おぅ……」


 微妙に反論のしどころがあるような気がしないでもなかったが、彼女はまだ人ごみの熱気に圧され気味だった。そんなスフィールリアにアイバは以前に会った時とまったく変わらず、気取らずに笑いかけて、


「待たせて悪いな。いこうぜ」


 歩き出した。

 あっという間にその姿が埋もれて見えなくなってしまいそうになったので、スフィールリアは慌てて青い制服の肩を追いかけた。


「で、王都歩くの初めてだっけ? 違うよな」


「い、いや、今までは夜にお買い物とかばっかりだったし、無理難題のことで頭いっぱいで、それどころじゃなかったというか……」


「ふーん? よく分かんねっけど、そっか。んじゃあ迷うなよ? 慣れてないなら、はぐれると夕方まで帰れなくなるからな」


 スフィールリアはアイバの腰にある剣帯を、がっしりと掴んだ。


「ははっ。そうそう、いい判断だ」


 と面白そうなアイバの態度にむっすりとしつつ、それでもなお彼の体格をすり抜けて水か砂のように人間が押し寄せてくるので、スフィールリアは身体を縦に横に捌いて受け流すのに精一杯だった。手は離せそうにない。


「……そういえば、なんで練兵課の制服なの? それしか服ないの?」


「違うわっ。俺たち、休みの日でも王都じゃ制服着用が義務づけられてんの。いついかなる時も王都防衛の任は忘れるべからずってな。管轄を侵害はしないが、区域担当が駆けつけるまでの間はそこの直轄として有機的に判断して動くのさ、なにかあった時はな」


「ふぅん、面倒くさそうなんだね」


「こんなデッカい通りの近くじゃ事件なんてそう起こらねーし、そうでもないさ。……でもそっか。ほとんど初めてだってんなら、ほかにもいろいろ教えておいてやってもいいかもな。雑貨とか、美味い店とか。忙しい時パッと思いつけないと不便だろ?」


「あ、ありがと。助かる」


「じゃ、コッチだな」


 ひょい、と唐突すぎるくらいに折れ曲がって入る復路も、彼にしてみればただそれだけの道であるらしい。大通りを抜けただけで人の流れは目に見えて減っていったので、スフィールリアはようやくベルトから手を離して人心地をついた。

 それでも、見通した数百メートル前後だけでスフィールリアの住んでいた町人口の半数はいそうではあった。


「このあたりの道とかは、店の種類とか、落ち着き具合とか、ちょうどいいんだ。ひと通りはそろってる」


「へぇ……ここなら<アカデミー>からほとんど一直線で降りてくればいいだけだし、便利かも」

「だろ?」


 白い花の咲き誇る花屋を通りすぎる。落ち着いた木目調の小喫茶のショウウィンドゥを眺めて。雑貨屋の軒先に並んだ食器や調理器具やランプ道具の真鍮細工に目移りしながら。

 きょろきょろと見回して、ついてゆくスフィールリアの口の端に、次第と楽しげな笑みがこみ上げてくる。


 通りすぎるたびに見逃していってしまいそうになる、そんななにげない小さなひとつひとつには、それを手がけた人間の情熱と、努力と、人生が宿っている。これを作っている時は、どんなお昼ご飯を食べていたのだろう。あの看板が届いてお店が完成した時、みんなはどんな顔をしていたのだろう。


 それはとても覚えきれたものではない、道ゆく人たちも同じだった。

 お昼ごはんの買い物をする人。走る子供。道場稽古の帰りらしい人たち。アパートの軒先に置いた丸イスに眠りこけるおじいちゃん。

 今、それぞれの生活があって、違った目的があってすれ違ってゆく。


 そんなことに想像を馳せるのが、スフィールリアは大好きなのだった。

 と、雑踏の一部、どこかの女学生らしき一団が道の端から弾むような声をかけてきた。


「アイバくぅーん! なにしてんのー? 遊びいくー?」


「パスな。買い物だ、買い物ー」


「えー、デートぉ?」


「ちげーって。今度の試験つき合ってもらうからその下準備。ちゃんと仕事してんの。またな」


「え~? 絶対だよー!」


 名残惜しくも、暗くはない声で遠のいてゆく。と思えば、


「おぅアイバ、デートか。デートならカジキ買ってけ! なっ」


「なんでだよっ。違うし買わねーよっ」


「どこで引っかけたの? そんな格好で……今からでもちゃんとした服買っていきなさいな。選んだげるからっ」


「だからちげーって! 聞いてたのかよ」


「こないだはありがとなぁー。連中、あのあと街出てったてよ! ほれ!」


「サンキュ!」


「わっとと」


 ふたつの黄色い果物が放物線を描いて、そのうちのひとつがそのままアイバから放り投げられてくる。慌ててキャッチしたそれをかじりながら、スフィールリアはジ~~っと上目で彼を見やった。


「……けっこう遊んでるのね」


「そんなことねーよ……って言いてぇけど。う~ん。言ったら教官にブン殴られるっつう自覚くらいは持ってないこともねーぞ」


「あっ! アイバ君だ! おーい! このリボンやっぱり買ったよー」


「おっ、似合ってんじゃん! 今度ちゃんと見せろよ。またな!」


「……説得力ないなー」


「くっ」


 非常に口惜しげだが、なおかけられてくる声を無視するようなこともない。おおむね皆が笑顔で通り去ってゆく。

 好かれているのだな、とスフィールリアは納得して心中でうなづいていた。


「でもさ、それならなんで<国立総合戦技練兵課>なんかにいるのよ? なんか、どっちづかず、て感じがする。みんなもあっさりしてるし、さ」


 ん。とアイバがうめくのを聞いて、やっぱりかとスフィールリアは思った。


「やっぱ、分かるか。はは」


「うん。みんな、あんまし残念そうな顔しなかったじゃない。お互い、すれ違いざまに軽く遊んで帰るってのが暗黙の了解になってるみたい。そうしてるんでしょ?」


「まぁ、な……。あそこにいると休みの日とかも安定しないからな。俺は警邏も上手くサボったりするけど、時間はブツ切りになっちまうからこうなっちまうんだ」


「……」


「でも、『ちょうどよく』思ってるのかな、俺もさ。向こうもそこそこ腕っぷちがいいヤツと知り合っておけば頼もしいってのもあるのかな。でも別に悪い連中ってわけでもないぜ? 俺も連中が嫌いなわけじゃない。でも、お前にだから言うんだぜ、こういうことは」


「……。そいつはどうも。でもさ。やっぱりなんかやりたいこととか、なりたいものとかってないわけ? <国立総合戦技練兵課>って、けっこうすごいところなんでしょ?」


 うーん……。と、歩きながら。

 アイバはまだしばらく、思案げにうなっていた。

 気がつけば、ちょっとした公園の入り口に差しかかっていた。


「買出しの前に、昼にしようぜ。あのミートパイ買ってくっから」


「うん?」


「俺もよく分かんね。だからそれ買うまでに整理しとくわ。ベンチで待っててくれ」


 別にそこまで深く突っ込むつもりでも責める気であったわけでもないのだが、アイバ自身も普段から気にかけていたことらしい。スフィールリアは「分かった」とだけうなづいて、彼の指差したベンチに向かおうとした。

 とそこで、人にぶつかってしまった。向こうも余所見をしていたらしい。


「おっと」


「わったた。すみません、拾います」


「いや、いいよ。こちらこそすまないね――」


 ぶつけた拍子に男のポケットからこぼれ落ちたそれを拾おうとして、しゃがみ込んだお互いの目が合い――


「君」


「はい?」


 はたと気がついたように見つめてくる青年は、非常に、そう――単刀直入に評してハンサムだった。

 見事にむらがなく、上品に整えられた金色の短髪。はっきりした碧眼に、まっすぐ通った鼻筋。着込んだ白の衣装は仕立てからして最高級だと分かる。貴族かなにかかもしれない。

 上品さと精悍さを併せ持つ気立てのよさそうなこの顔立ちで微笑まれたなら、たいていの女なら心をときめかせてしまうに違いないだろう。

 その、彼。たおやかなる花を包むしぐさでスフィールリアの両手を取ると、その顔で、


「運命の出会いを信じるかい。今のぼくたちのことさ。よかったらこのあと美しい新緑の小道を散策して上品なカフェで楽しく語らい君を最高に飾り立てる服を選びにいってこの世で二番目に美しい愛の物語を奏でる劇場を見にゆき――ああ一番ってぼくらのことさ――、王都の夜景を一望できるリストランテで最高の夕食に舌鼓を打ってライトアップされた夜の公園にゆき、いい雰囲気になったところで夢のひと時のようなキスを交わし、そのまま真っ白で暖かなベッドの上でふたりの夜明けを祝福するモーニングコーヒーとしゃれ込まないか」


「……」


 こんなことを、言ってきたわけである。


「いきなりそんな最初から最後まで下心で突き抜けたセクハラ発言を申されましても」


「分かりやすくて、お得な一括パックだろう?」


「お得な面とかアピールされてもなぁ」


「君に突き抜けたい」


「あげくセクハラ方向に突き抜け切られても」


 あまりに突き抜けすぎていて、さすがのスフィールリアも対応に困った。男は男で、なんら疑問も抱いていない様子で白い歯を見せている。

 一番の方法はビンタをかましてその場を去ることだが、今は両手がふさがれているし、なんとなく機を逸してしまった……。


「……。え~っと。一応聞きますけど、あたしのどこが好きになってそういうこと言うんです?」


「顔だ。ぶっちゃけそれ以外は知らないし、どうでもいい」


 男は即答した。

 スフィールリアはジト目を返した。


「しかたないだろう。俺はたった今君に会ったばかりだし、外見以外の情報を得る手段と時間がない」


「またいきなりそんなまともな道理を説かれましてもね……そんなんで引っかかる女の人いるんですか?」


「ああ。俺はこの通り顔も気立てもいいし、いろいろと気が回る。なにより金がある。だからたいていは上手くいく」


「なるほどねぇ。世知辛いというのか」


「男の性を知り、世知に通じる女はよき妻の素養を持っている。よき妻の素養を持つ者はよき愛人にもなれる。さぁ君も」


「う~~ん……」


 またもいろいろとツッコみどころ満載なことを言ってはにかむ青年に、どうしたものか(いや、断るつもりには違いないのだが)と悩んでいると、ちょうど後ろからアイバの声が聞こえてきた。

 その声――というか顔を向けて目撃したその姿に、男の両手がギクリと震えるのが分かった。


「お~い、なにやってんだスフィールリアそんなところでー」


「うげぁ、騎士!? ――ていうか騎士見習いか。き、き、君。フッ。あれは、きき、君の知り合いかな?」


「はぁ、まぁ一応」


「フッ。そうか。ふ、ふふ、ふ。どうやら君とはいかようにしても交われない運命らしい。しかし俺はこの素敵なひと時と君の顔は忘れないよ。君もまた俺に会いたくなったら騎士とか役場とか庁舎とかのない場所を探したまえ。運命が俺たちを引き寄せるだろう花のような君よ」


 などと脂汗を一筋たらした横顔でのたまいつつ、ぱっと立ち上がると、彼女がなにかを言う間もなく小走りで去ってしまうのだった。


「くれぐれも俺のことは言わないように頼むよ!」


「えっ。いやあの落し物……お~い!」


 その通り、彼は落し物の存在も忘れていってしまっていた。


(騎士とか役場じゃない場所? 犯罪者、お尋ね者……ってわけでもなさそうだけどなぁ?)


 スフィールリアは困り顔で手の中に残ったそれを眺めやった。

 銀細工のペンダントのようだった。材質そのものが本物で、二本の剣に守られた書物の、非常に精緻な意匠が施されている。アンティークに詳しくないスフィールリアから一見しても最高級品だと分かる。これを所有できるような人物の身分は、まず低くはないだろうが……。


「どした? 知り合いでもいたか?」


「あぁ、うん。なんでもない」


(とりあえずそういう場所いかなきゃいいわけね。おっけ)


 アイバが追いついてきたのでスフィールリアはペンダントをポケットにしまい込み、奇妙な青年のことも忘れ去っていた。


「なんつーのか、張り合いっていうのかな。そういうのが感じられねーんだと思う」


 座ったベンチで、昼の陽光を煌いて弾く噴水を眺めやりながら、アイバがぽつぽつと語り始めていた。


「さっき<国立総合戦技練兵課>はけっこうすごいところなんだろって、言ったろ。まぁそりゃ間違っちゃいないよ。国中からすげぇ熱意持ってるヤツとか、野心持ってるヤツとか、腕がたしかなヤツって、集まってきてる」


 でもな。と、アイバは気のない横顔で続ける。


「ほら、ウチって勇者の家系ってヤツじゃん? 実際、じっちゃんもメチャクチャ強くてさ。ちっさい時から散々シゴかれてきてて、なんかそれがフツーになっちまってたんだ」


「あぁ、つまり……物足りないのね。たしかにアイバって、強いっぽいもんね」


 スフィールリアは入学式の乱闘を思い出していた。

 あの時も、フォーメーションの指揮を執ってスフィールリアを誘導していたのは彼だった。

 相手がひとりとは言え、まったく異なる思考を持って自分たちに捕まるまいと動く他人を、しかも戦闘時にあって思うように誘導するならば、個人の戦闘技能だけでなく常に全体を見渡す広い視野と判断力が必要とされる。

 そう簡単にできることではないし、身につけられることでもない。


「まぁそんなところなのか、な。――もちろん上を見ればキリがねぇんだ。今の俺より強いヤツだってゴロゴロしてる。だけどな、なんつーのか……〝分からない〟んだと思う」


「……」


「別に強さを極めたいと思ってたわけでもないんだって気づいたんだ。じっちゃんに突然、王都にいって<国立総合戦技練兵課>に入って腕磨いてこいって言われてさ。そんなにすごいところなのかって思ってたら拍子抜けしちまって……それで、王室とか騎士団にいるようなバケモン連中を見たら、さ。俺が〝そこ〟にいく理由って、なんだろうってな」


「そっか。理由か。強くなる理由……違うね。強くなって〝どう〟したいのかって、その理由がないんだ。そりゃしゃ~ないね」


 とスフィールリアが気楽に理解を示し、アイバはうれしそうに振り向いて指を向けてきた。


「そう、それだよそれっ。結局そこまでして強くなったとしたってさ、その強さを、俺はなにに使えばいい? ――俺には〝それ〟がさっぱりないんだって分かっちまった。そんなヤツに我が物顔で紛れ込まれたって、迷惑だろ、〝上〟にいる連中もさ」


「そう、かな?」


「だって連中は〝それ〟を持ってる。持ってるからそこにいて、自分がやるべきだって思うことをやってるんだろ。立派だよ。だから連中はアホみてーに強いんだ。逆に、力の向け方を分かってねーようなヤツが隣にいたら、俺ならソイツを危険だって思う。隣に置いておきたくねーってな。俺だってそりゃ侮辱だと思うしよ、そんなことは、したくねーんだ。そうなんだ」


「……」


 聞く姿勢で黙っている間も、アイバは「そうだったんだよ……」と噴水に向かってしきりにうなづき続けていた。

 ふぅん。とスフィールリアも気楽にうなづき、アイバの主張を認めた。


「それなら、無理しなくていいんじゃない? おじいちゃんだって別に『国を護れる人物になれ』とかって言ってきてるわけじゃないんでしょ。だったら、アイバの好きにするのがいいと思う」


 彼女にとってはただ当たり前のことを告げたつもりだったものの、アイバ自身は少し驚いたようだった。


「え……。……そ、そうか?」


 そうだよと再度うなづき返す。


「だって、しょうがないじゃない。こんなに平和な国でさ、やりがいも感じられないのに『こんなんでいいのかなー』なんて思いながら危ない戦士の役割をしょっていかなきゃいけないだなんて、アイバ自身がかわいそうよ。だれもそうしろって言ってないんだし、アイバは強いかもしんないけどさ、でもだから、アイバが別の道を選んだとしても、だれも怒らないよ」


「…………」


 しばらくアイバは、呆けたような表情で自分の手のひらを見つめていたが、


「そっか。そうだよな」


 ぽつりつぶやくと、残りのパイを一気にたいらげて、噛み砕いて、飲み込んだ。

 次にはにかんで向き直ってきたその顔からは、さまざまな迷いや後ろ暗さが吹き払われているようだった。


「やっぱ、お前に相談したのは正解だったわ」


「どうしてそう思ったわけ?」


「お前のことを『強いヤツだ』って思ったから、かな」


「……なんとなくそんな感じなんじゃないかと思った。釈然としないなぁ」


「ははっ。腕っぷしだけじゃねーぞ。酒場とかでいろんなヤツとすぐに打ち解けてるの見てさ、なんとなく思ったんだ。……あぁコイツは、いつだって自分自身に正直で他人にもまっすぐなヤツなんだな、てな。そういうヤツは自分の持ってる〝力量〟だってきちんと心得てる。見栄張ったりウソついたりしない。だから自分の〝力〟を一番使うべき場面だって知ってる」


「…………」


「だからきっと、俺はそういうのが〝分かる〟ヤツに会えるのを待ってたんだ。分かる立場から、声をかけてくれるのを待ってたんだ――『お前は今、中途半端だぞ』『そんなところにいてもお前の〝力〟はどこにも届けらんねーぞ』ってな」


「そっか」


「あぁ、ありがとうな」


 そういうアイバの笑みは、本当に清々しいものだった。

 きっと、今の自分が中途半端であることについては教官や同僚の一部からも散々言われていただろうし、なによりアイバ自身が自問し続けていたことだったのだろう。

 周囲が思っているほど――あるいは態度で表明するほど、彼は鈍感で無責任な人間ではないのだとスフィールリアは思った。だからあれだけ人にも好かれるんだろう。

 だからスフィールリアも、自分が彼の言うような人間である保障なんてどこにもないし責任だって持てないということは言わないことにした。彼は全部分かっている。


「じゃあアンタ、やっぱりこのお仕事向いてると思うわ」


 その替わり、そう言うことにした。


「え?」


 ぱっと立ち上がる。あっけにとられた彼を置き去りにして。振り返る。


「ねぇ、さっきは自分で『表面だけのつき合いだ』って認めてたけど、そんなことないんじゃない?」


「え? いや。え?」


 スフィールリアは彼の一歩前に立っているだけだ。だというのに、見上げてきているアイバの表情はさらに置き去りにされていっているように焦っていた。そうだろう。そのことを指摘したのはスフィールリアだったのだから。

 だけどスフィールリアはかぶりを振って続ける。


「だから。みんな、気を遣ってくれてたのかもしれないじゃない? アイバがいつでもすぐにお仕事に向かえるようにさ。――あんたのこと分かってるんだよ。あんたがそうやって悩んでることとか。その悩みごとっていうのがほかでもない、自分たちの街のためのことなんだって」


「い、いや……そいつはいくらなんでも都合が、」


「よすぎるって? そりゃそうでしょ。あたしもあんたも、人の心なんて読めるわけないじゃない。だったら、さっきの人たちの顔よく思い浮かべてみなさいよ。ほら」


「……」


 腰に手を当てたスフィールリアがちょっと怒ったように命じると、アイバはうろたえた顔なまま、目を瞑ってその通りにしたようだった。人間というものは混乱していると状況への反論反撃の材料を見つけるために、思いのほか素直になってしまうものらしい。

 やがて目を開けると、まさに途方に暮れた顔で、


「……分からん!」


 嘆くような声を上げた。スフィールリアはニカッと笑って言い放ってやった。アイバからしてみれば『してやられた』くらいには思ったかもしれない。


「じゃあ〝そういうこと〟にしておけばいいじゃない。――あんた、次の試験くらいはがんばんなさいよ。あたしもなるべくあんたが合格できるよう、がんばってあげる」


「……」


「それで、お話してみたらいいじゃない。そしたらもしかしたら、あんたががんばったこと、本当によろこんでくれる人たちがいるかもしれないよ、あの中にも? そうしたらあたしが言ったこと、ウソなんかじゃなくなるよね」


 ざわ、とあたたかい風が王都のふもとから吹き上がってきて、スフィールリアの細くて綺麗な髪の毛を舞い上げた。まるで彼女のうしろに新しい扉が開きでもしたような錯覚に陥って、アイバは目を見開いた。

 彼女が手を差し出しても、アイバはしばらくぽかんと大口を開けたまま動けずにいた。


「……バカだバカだと思ってたが…………ここまでだとは思わなかった」


「あんだって」


「あ、いや、俺だ俺。――なんてこった。俺は、答えを出すまでもないところにいたのか。そこまで半端だったん……だな」


 アイバはスフィールリアの手を取った。


「ほんと、心なんて読めるわけないのにな。どうしてそんな風に思ってたんだか」


「それはアイバがそう思いたかったから、それだけなんじゃない?」


 いたずらっぽく小首をかしげる彼女にアイバは「違いない」と笑う。

 もちろんアイバにも分かっていた。それは『まだ分からないこと』なのだ。


「だから、しっかりやらないとな。辞めるための理由を、アイツらにも自分にも気づかせないうちに、勝手にアイツらに――まったく関係ない他人に任せちまうところだった。しっかり決めるところは決めて……そんできちんと考えるよ。俺がなにをしたいのか、本当にそれをしたいのか、をな!」


「ん。がんばれ」


「おし。それじゃあなおさら失敗はできねぇよな。風邪とか引かねーようにイイ道具目いっぱい買い込んで、お前の装備も選んでやる。気合入れて案内するからな、相棒っ」


「おう。頼むぞっ」


 ふたりの拳が、こつんと打ち合わされた。




「おお――すっごいすっごぉい!」


 大型の商店に向かう途中の坂道を、スフィールリアが駆け下りてゆく。


「ふもとの湖がよく見えるだろ。王城から続く道はどこでも見晴らしがいいけど湖が見えるこっちの方角は観光名所も多いんだ。夜景もすげぇ綺麗でよ、俺らの間じゃデートのシメをするんなら絶対この道だってことになってて……つっても相手はいねーけどな。――って聞いてねーな」


「すごいすごいすごいぞーー!」


 どんどん駆け下りてゆく。なにを言っても聞きやしない子猫のような勢いに、アイバは呆れて笑いながらあとを追おうとして――


「王都ってスゴイね! こぉ…………っんなにキレイ!」


 不意に振り返った彼女の姿を見て、止まってしまった。

 王城からふもとまでをゆるやかに蛇行して続く長い長い坂道。短い満開の時を目いっぱいに主張した桜の並木の中で。

 整然さと雑多さをいっしょくたにした美しい街の遠景と、煌めく湖畔の輝きを、丸ごと集めて抱きしめてしまおうとでも言うようなその姿に――


「――――」


「おいどしたのアイバー?」


 きょとんとして駆け戻ってくるので、アイバはギクリとしてしまった。


「なに? 誘う女の子がいないって? まぁ~街は逃げたり崩れたりしないから、焦るな焦るな!」

「聞いてたのかよっ!? ちちち違うからな!? もしもの時はそうするのがいいだろって話んなってるだけで別に俺がそうしたいとか気になってる女がいるとかそんなんじゃねーし!」


「はっはっは。焦るな焦るなー!」


「焦って、ねえぇよ! それどころじゃないしな! ――それどころじゃねぇんだよ、そう。なに戻ってきてんだ。ほら早くいこうぜ。遊びでやってんじゃねーんだからな。あと全然キレイじゃねーから。こんなん見慣れたらいたってフツーの景色だからな。調子に乗るなよ」


「調子に乗るってなんだっていうか急になに怒ってんだよー……?」


 ぶつくさ言いながらあとをついてくる彼女にだけは今の顔を見られまいと、アイバは注意を払い続けた。

 不覚すぎた。

 不意に見たこの道とあの姿が。

 まさか、今まで見た中で一番綺麗だと思うだなんて――


(俺はコイツを戦士として認めたんだ。それを今更オトコだオンナだなんてチンケな枠組みに戻すのは、野暮なんだよ)


「おい顔赤いぞ泣くなよ元気出せ」


「ばっ、おま、ばっっ――回りこむなよ気配消してっ!? ちっくしょおお!」




「<猫とドラゴン亭>……? あ、ここだぁ! ここまで降りてきてたんだ、あたし」


「あぁ……まぁ今は暇人連中とか〝紹介屋〟の窓口目当ての連中しかきてねーけどな……」


 キャンプ用品や保存食をじっくり選んで買い込み、昼下がり。

 その間から今まで妙に疲弊していた様子なアイバとともに見つめた吊り看板は、たしかにその通りのシルエットをしていた。

 羽を広げ、後ろを振り返るたくましい体躯のドラゴン。それだけならシルエットだけでも威風があり、いかにも荒くれ者が集う酒場なんだぞという主張もされようものだが――

 その尻尾の先に、猫が乗っかっているのである。

 それだけで、なんだか二頭がじゃれあっているように見えるから不思議な看板である。


「でもなんで猫とドラゴン?」


「知らね。そういえばお前って<アカデミー>生なんだよな……だったら〝昼間の顔〟の方がお前には向いてるのかもな。今度紹介してやるよ。でも今はコッチだ。向かいのコッチの店」


 言われて振り返る先にあった〝店〟を見て、スフィールリアは「おっ」と声を上げた。


「この看板の出し方、フィルラールンのオヤジさんのお店とそっくりだ! なつかしいなぁー、わぁー!」


「看板の出し方?」


「うん。キーアのお父さんのお店とそっくりなんだ。見て見て。こうやって、鋳細工の替わりに本物の武器をぶら下げておくの。刃先を潰してあるところまでおんなじ!」


 あぁ、とアイバは気のない返事をした。


「そういえば、ほかの武器屋じゃ見たことないやり方だな。常連になってっからもう気にしてもなかったけどな。てかキーアって人間だったのか」


 そう言って扉をくぐってゆく。

 あとを追い、またスフィールリアは驚いた。


「おっ――オヤジ、さんっ!?」


「あら、いらっしゃい――まぁ!」


 削り出しのような無骨な石製のカウンターの内側の席で、退屈そうにタブロイドを開いていた禿げ頭の店主。


「まぁ、まぁ、まぁ~~!」


 アイバとスフィールリアの姿をちらり見やると、顔を輝かせて近寄ってきた。

 全身を、クネクネとさせながら。


「なんてかわいらしいお客さん。お人形さんみたい! なに、なに、なに? どうしちゃったのよロイ! どこで引っかけてきたのかしら。貴族様? ギャクタマの輿? どこのお姫様?」


「ち、ちっっげぇぇぇんだよ! なんでドイツもコイツも面白がりやがってまったく……俺とコイツはそんなんじゃねぇ……!」


「んふ。照れちゃってかわいらしいんだから。ね、ロイはこう言ってるけど、どうなの実際っ」


 そんなことを言ってバチコンと片目を瞑ってくる店主。

 だがスフィールリアはそれどころではない。

 大口を開け、顔を真っ青に、ガタガタと震えながら、店主を指差していた。


「ど、どどどど、どうなのてオヤジさん、あわわ、あが……オヤジさんがどうしちゃったんですかっ!? ていうかなんでこんなところに!? キーアは!?」


 そう。

 禿げ上がった頭皮。筋骨隆々とした上半身に耐火エプロンという風体。肩に入った刺青の柄。

 この武器屋の店主、フィルラールンで彼女も散々と世話になってきた、幼馴染の父親とうりふたつなのである!

 というかもはや同じ顔であった。だというのにこの女のような物腰……。

 スフィールリアが恐怖するのも無理のないことであった。


「? だれよキーアって?」


 しかし店主はとことん訝しげに首をかしげるだけだった。


「オヤジさんじゃ……な、い?」


 ようやくスフィールリアも平静を取り戻し始めていた。

 よくよく見れば、相違した点はいくらでも見つけられた。

 まず〝オヤジさん〟は口紅など塗ってはいない。口ひげの形もくるんとしている点が違うし、刺青の柄は同じだがこれも左右の位置が違う……。

 なにより、筋肉の量が違った。オヤジさんはもっと大爆発しているような『筋肉っぷり』であるが、こちらはより細く鋭く、引き絞られた印象があった。ドラゴン殺しの大剣と、刺突用のレイピアのような違いだった。

 要するに、全然、まったくの別人だった。


「……すんませんっっしたぁ! すっごく勘違いでしたァ!」


「んまっ! なんて勇ましいのかしら。ホレちゃいそう。んふ、いいのよ」


 再び、バチコンとウインクをかましてくる。


「あ、あはは……どうも」


「いろいろ誤解は解けたか? ……コイツの武器を見繕いたいんだ。女の身長でも扱えるヤツで、上等なヤツ」


「なぁんだ、例の試験のハナシぃ? ようやくその気になったというなら――いいわよ。ウチはまさにそんな〝向き〟にピッタリのお店なんだからん。んふ。たっぷりねっとりじっくりと眺めて、魅了されていっておしまい!」


 なぜか最後は脅迫めいた文言で、シュバンッというかシャランッというか、とにかくそんな感じで店主が鋭く店内へ手を向けた。


「……おぉ」


 そこには、金、銀、赤、青……宝石店と見紛うような煌びやかな商品が、壁に棚に狭しと陳列されていた。


「タダの装飾剣たちだなんて思わないでね。ウチは特殊加工が専門なの。自分で最初から打ち出すこともないことはないけどね。というわけだからこのコたちはほとんど全部、マジック・フォームド・アームズ――いわゆる魔導具というわけ」


「つってもオッサンのこだわりは本物でさ。素材になる武具にも妥協しねーんだ。仕入れの目利きもたしかだから、知ってるヤツはみんなここにく――」


 どこから取り出して、いつ、どのタイミングで振ったのか。首元に現れていた、丸ごと宝石から削り出したような深い蒼色の宝剣に――アイバの言葉が止まる。


「そいつはどうも。でもダメよロイ――〝お姉さん〟。乙女の怒りはこの世のどんな武器よりも鋭いということを知り……たくは、ないでしょう?」


「……はい。お姉さま。本日もご機嫌麗しゅうございますハイ」


「かわいらしいお嬢さんも、念のため。いいこと?」


「うぃーーーーっす! 了解しゃーしたァ! チッス、オッス! 姐さん!」


「けっこう。いいコじゃない。んふ」


 溶けるように退き、翻した手首にはめられた金の腕輪の飾り鎖へ戻ると、打ち合ってチャリンと音を立てる蒼の宝石たち。相当の上級武具であるのは、間違いがなかった。


「……ちなみに姐さんの名前はオルガス・ゲハルンディスっていうんだ。呼び方に困った時は名前を呼んでやれ」


「どうして呼び方に困るのかはさっぱりだけれど、そうね。好きに呼んでくれればいいわよ。親しい連中はアタシのこと、〝シェリー〟って呼ぶわ。ピッタリでしょ、んふ」


 どこに〝シェリー〟の要素があるというのか。……については百年研究しても解明不可能そうだったので、そういうものとして納得することにしておいた。

 それはそれとして、スフィールリアは別の方面でも安堵していた。〝オヤジさん〟一家の姓はゲハルンディスなどではない。やはり、無関係だったのだ。


「……。そういうわけだからさ、一番イイものを四割引でくれよ。予算はあと10アルンだ」


「んまぁーーーッなんてこと言うのかしらねこのトーヘンボクは! 四割引って言ったらもうほとんど半額じゃない! ていうか10アルンだったら9割9分9厘引きでも利かないわよ。……ねぇアナタやめときなさいよこんな金も持ってない場末でくすぶってるような甲斐性ナシなんかは。若いウチっていうのはそういうのが気になっちゃうのは分かるわよ。アタシがそうだったから。でもそういうのってたいていはオンナを不幸にしかしないって、初めから分かってる通りなんだからね」


「は、はぁ」


「オイだからオイ……!」


「でもアナタはそういうタマでもなさそうよね。……こんなのはどうかしら? 分割払いでも別にオッケィよ。身元をはっきりさしてくれればね」


「聞けよ……」


 差し出された宝剣は、これまた金や白金で煌びやかに装飾された、上級品と分かる品だった。

 金や白金などの貴金属は、綴導術の観点から考えても〝魔導性〟が非常に高いマテリアルである。綴導術の概念において〝魔(つまり〝マジック〟)〟という表現はかつて世界を崩壊させた魔術士たちを連想させるので、公式として好んで使われるものではないが。

 見た目だけでなく、付与された効果も一級品ということだ。


 値段も一応は予算をかんがみてくれたようで、ついている値札は10アルンぴったりだ。

 ただし『頭金:10アルン』である。

 ちなみに1アルン(金貨)は、一枚あれば、王都のふもとあたりの区画に宿を取ってそこそこにいいものを食べながら一月半はすごせる貨幣だ。


「……え~と。ここまでの品じゃなくってもあたしは別に。向かう場所もモンスターはほとんど出ないらしいですし」


「あらそう? でも護身の武器もしっかりしといた方がいいわよ?」


「ほっとけほっとけ。相手してたらキリねーぞ。じゃあお前はソッチから見て回って、よさそうだと思ったもん持ってきてくれよ。俺は反対から回るから」


「もう。イケズね」


 一応はうなづいて品の物色を始めるスフィールリアだが、店主はどうしても彼女が気になるらしかった。むしろ、気に入られたようだった。


「あら。なかなかイイ目利きをしてるのね。イッパツでそのコ手に取るなんて。刃物は詳しいの?」


「あ、はい。田舎でオヤジさ……シェリー姐さんのことじゃないっすからねっ? 包丁屋のオジさんが打ったり研いだりしてるのをよく見てたから。光り方で、なんとなく」


「ふぅん? この波紋を目に焼きつけられるくらい安定して引き出せるんならなかなかのモンよね。セカイは広いし絶無とは言わないけど、アタシはアタシ以外ならふたりしか知らないわ。ひとりはお師匠様。イイオトコだったわよ。んふ」


「は、はは……ウチの師匠はスゴ腕だったけどロクデナシでした」


「あらん。イイことじゃない。ワルいオトコを知っていれば、イイオトコを選べるオンナになれるのよ。イイオトコを選べるオンナは、幸せになる権利を持っているの。だからあなたみたいなかわいらしい女の子は、身を護るトゲもしっかり持っていなくちゃダメ。やっぱりイイものを選ぶべきだわ」


「え? えへへ、商売上手っすね」


「あら――ソレもイイものだわ――ってそっちじゃなくてね。商売なんて関係なく言ってるのよ? 田舎から出てきたんですって? それなら自分の価値に気づいていないのもうなづけるけれど……あなたきっと、ここにくるまでの間もオトコを何人も振り向かせてるわよ。でもそのウチの何人かが、いつか後ろからついてこないだなんて保証はありはしないのよ」


「そ、そうっすかねっ? えへへ、へ……」


「そうよ。今度注意して見てごらんなさい。だから、商売とかじゃないの。これは同じオンナとしての忠告。だって――」


 そして。

 ポンと肩に手を置いてささやかれた、そのひと言に――


「――アナタ、アタシの〝若いころ〟にソックリなの」


「!!」




 バタン!!


「ししししししっし、失礼しましたァ!!」


「きゃ」


 スフィールリアはショックのあまりその場にいられなくなって、大慌てで店の外までまろび出てきていた。

 胸をなで下ろすも、心臓は、まだ暴れ周り続けていた。


「そっくり……若いころ……そっくりって。まさかね、ハハ、ハ……いやしかしまさかということは……」


 なので、人を突き飛ばしていたことにも気がついていなかった。

 膝に手をついて息を整える視線の先で、尻餅をついていた女と目が合い――


「え――あ…………! すすす、すみませんあたしってば。大丈夫ですかっ!?」


「ええ。ところで、あなた」


「はい?」


 なんだか小一時間ほど前にも同じことがあったような既視感に身構えかけるが――女はスフィールリアの差し出した手を取って、普通に立ち上がっただけだった。

 端的に言って、恐ろしいくらいの美女だった。

 不思議な青色の髪の毛は陽の光を吸い込んでうっすらと輝くように、美しく、肩口まで。すらりとした両足。引き締まった腰。豊満なバスト。

 それら完成されたプロポーションを白のシャツと紫の上着、タイト・タイプのスカートに包み、洒落た飾り鎖つきのメガネもかけ……見事と理知的な雰囲気を演出している。


 ただしそのグラスの奥にある、少女の瑞々しさと完成された女の老練さを併せ持つ芸術品のような相貌は、どこか呆れたような、あるいは怒っているような表情である。

 それはそうだろう。いきなり道の横からタックルかました上に気づいた素振りもなくひとりで勝手に慌てていれば……。

 とにかくもう一度謝ろうと勢いよく頭を下げかけたところで、女は、彼女の次の行動が分かっていたかのような機先を制したタイミングで片手を出して差し止めてきた。


「謝罪はけっこう。すでに受け取ったわ? ――それよりあなた、またこんな道に入ってきて」


「……はい?」


「ダメだと言ったでしょう。今が昼時とは言え、危険がないことはないんですからね? それとも、ほかにどなたか頼れる知人でも連れているのかしら?」


「……えぇと、その? ……あっ、ハイ、いますいます! 一応そこらのヤツよりは強い……はず…………ですが……」


「……。強いのかしら? 弱いのかしら?」


「強いっス! オッス!」


 メガネの奥の目が釣り上がりそうになるのを見て、彼女は本能的に疑問を無視して断言していた。女がふっと息を抜いて微笑むので、スフィールリアも安心してにへらと笑う。


「それならばけっこう。仲間作りも順調なようね――あらいけない」


 女は唐突に腕時計に目をやり、本当に慌てたような声を出した。両目を見開いたとたんに、少女と言われてもおかしくないほどのあどけなさが見え隠れするのだから、本当に美人さんだな~などとスフィールリアは見とれてしまう。


「えと?」


「ごめんなさいね。今日はこの時間のうちだけでしか完遂できない個人的な取引があって――と言ってもすぐに別の用事もあるのだけれどね。いいこと? 連れがいるといってもくれぐれも油断しないよう。王都は一歩〝裏〟へ踏み込めば魔窟。〝ここ〟もその入り口のひとつであることを忘れないように」


「ハイっ。了解っす姐さん」


「姐さん? まぁいいでしょう。はぁ、忙しい忙しい――」


 などとこぼしながら<猫とドラゴン亭>の入り口へと消えゆく……。


「……。知り合い?」


 ちょいと首をかしげ――ポンと手を打った。

 自分は先日、この<猫とドラゴン亭>で飲んだくれていた。飲んだくれて、そこそこに打ち解けていたらしい。

 おそらくその中にいたひとりなんだろう。自分の飲みっぷりと潰れっぷりを見て心配してくれていたのだ。それならすべてのつじつまは合う。


「王都は魔窟……その〝裏〟の顔を駆け抜ける美女かぁ。う~ん。ミステリアスかつ、カッコいいなぁ」


「なんだ? 三文小説か?」


「うわっアイバ。なによっ、あんたは小説なんて読むっていうのっ?」


「いや読まないけど。なんだよ勝手に出てってふんぞり返りやがって。せっかく人が一生懸命値切り倒して用意してやったってのに――見ろ、コレを!」


「おぉ!」


 アイバが手渡してきたそれは、スフィールリアの目から見ても上級の品物だった。質も値も、両方だ。といってもあの店はどれもこれも上級な品ばかりのようだったが。

 大きさは、彼女の肘から手首あたりまで。つまり短刀。剣を振り回すことに慣れているわけではないスフィールリアからすれば、金属製ということもあり、こんなものでようやく体格との釣り合いも取れる――そういう視点からも選んでくれていることが分かる。


「まぁ、見た目なカンジじゃあの店のほかのもんに比べたらちょっと貧相だけどよ。で、でもよ、10アルンにしちゃ上等だろ?」


「……」


「だ、ダメだったか?」


 スフィールリアは目を瞠ったまま顔を上げ、かぶりを振った。


「とんでもないよ。これ、たぶん、すごくいいものだよ。こんなものが10アルンってウソでしょう?」


「えっ、あぁいや。お前が綴導術士だって言ったら、じゃあコレがいいだろうってオヤッ、姐さんがよ。……分かるのか?」


「うん……」


 スフィールリアは鞘から刀身を抜き出した。

 アイバの言葉の通り、見た目の華美さはほかの品に比べれば控えめだ。

 鞘は白艶のまばゆい石製(おそらく特別な材料を混ぜ込んだ陶磁器の表面に特殊ガラスでコーティングをかけたものだ)に、柄元から剣先にかけてまで少々の金銀縁取りの装飾が施されているていど。


 刀身も、一級の腕前で研ぎ澄まされてはいるが、不思議な力を宿した宝石がはめられているでもない。綴導術士が特別な術式を掘り込んでいるわけでもない。

 だけど、だからこそ、綴導術士たるスフィールリアには分かった。


 陶製の白い鞘は所有者の〝タペストリ〟拡散を防ぐ素材。

 貴金属の装飾は〝タペストリ〟――すなわち〝術式(あるいは魔力そのものを指すこともある)〟を伝達してスムーズに刀身全体へゆき渡らせる簡易魔導回路。


 コート材のガラスの内側には、目に見えない細かさで汎用タイプの術式記述回路が立体で刻まれている。

 刀身は、ナノクラスの技術でパイのように数百層にたたみ込まれた、極細密のタペストリ保存領域だ。


 余計な術式や、付与効果は必要ないのだ。

 これは、綴導術士や綴導術に通じる者(つまり己のタペストリ領域の扱い方を心得ている者)が持って意味をなす。――使用者自身が効果や術式を編み込んで力を発揮させるための武器なのだ。

 スフィールリアはじっとりとした眼差しをアイバに送った。


「結局、姐さんが選んでくれたんじゃない。かなり無理言ったんじゃないの」


「うぐ、そ、それは」


 そこまで看破されるとは思っていなかったアイバはうろたえて一歩後ずさる。


『はぁん。アンタ、結局あのコのこと気になってんでしょ。いいわよ。ダメもとでいいトコ見せてきてみなさいよ。んふ』


 数分前までのやり取りが脳裏をよぎり――

 アイバはかぶりを振った。そう。つまり彼女の指摘は半分が正解で、半分が不正解なのだ。

 だから、真相は言わないでおくことにした。


「い、いやいや。すっぱり快諾してくれたんだよ……お前のこと気に入ったからって。な?」


 ちなみに〝彼女〟とは、スフィールリアと店主、両方のことである。


「……そういうことなら」


 スフィールリアは短剣を鞘に収め、腰のポーチの中に差し込んだ。


「ほっ」


「今度お礼言わなきゃね。あたしのこと気に入って融通してもらえたっていうんなら、なおさら」


「あ、あぁ。使い込むほど刀身が磨り減ってくらしいから――よく分かんねっけど。メンテが必要だって言ってたしな。またくるだろ」


「アイバも。ありがとね。うれしかったよっ」


「っ……!」


「……なによ?」


「……なんでもねぇなんでも! …………さ、これで準備は整ったな。明日の出発に備えてたっぷり寝ダメしておくぜ! お前も、頼むぜ!」


「えー。<猫とドラゴン亭>は? 今日はおつっした景気づけに一杯! とかは?」


「お前……マジで……頼むから…………」


「つ、潰れたりしないってぇー、やだなーもー!」


「マジ……でよ……」


「え、ちょっ……泣くの? 泣くわけなんで? そ、そんなにひどかったあたしっ?」


 アイバがついに石畳の上にくずおれてしまうので、スフィールリアもそれ以上の追及をかけることはできなかった。ついでに、思えばさっきの美女と鉢合わせでもしたらまた怒られるかもしれないと考えついたので、とりあえずこの日のうちはおとなしく帰っておくということで妥協を得たのだった。

 そして、出発の日がやってくる。


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