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(1-13)

「あぁ……そうでしたわね。今日は、今日からは、基礎クラスも〝貴族組〟と合同に行なわれるのでしたわね」


 アリーゼルの含ませぶりな微笑に、少女の方もどこか鼻がかった吐息を返した。感じが悪い。

 見れば教室の後ろから、一様に彼女と同じような雰囲気な衣装をまとった者たちが、続々と入場してきている。

 空いていた教室後ろ半分の席へ陣取ってゆく。粛々と。

『貴族組』の面々である。

 彼らを見てアリーゼルは、あぁ、と得心して息をついた。


 この学院に決まった制服というものはないが、学院に入る貴族の女子は、なぜか決まってこうした派手ましくない衣装を持ち込む。旧世紀の伝統にある、修道院に入る貴族女子でもあるまいに……とアリーゼルなどは思うのだが、集団生活において清貧さを主張するのは彼女たちにとってはいつの時代も変わらぬステータスなのらしい(ついでに、仕立てもよさや裏地の柄など見えない部分でファッション性を主張するところも含めてだ)。


 そういえば今日に限って、みんなずいぶんと後ろの席を空けていたよなとスフィールリアは思ったが、あとから聞いた話、今日の日程と先輩諸兄からのアドバイスを受けた〝寮〟の者たちが、暗黙のうちに示し合わせた結果として、こういうことになっていたらしい。


 教室の喧騒が一斉と小声に抑えられてゆく。

〝貴族組〟の彼らはそんな一般生たちに見向きもしない。淡々と教材の準備を行ない、行儀よく隣の者と談笑をしたり、立派な装丁の本を読み始めたりしている。

 まるで、水槽の中で水と油の仕切りがどかされた瞬間みたいな……静かで、意味のない揺らめきだった。どちらが水でどちらが油なのかは知らないが。


 結局、わざわざ〝こちら〟に寄って話しかけようという者は、彼女ひとりだけのようだった。

 しかし、目の前の彼女からは、そんな衣装の大人しさにはどこか納まり切らないような気性の強さが感じられた。

 やや赤みがかった、熱を感じるような金の髪。気立ては悪くなさそうだが、常に吊り上げられ気味に見える眉。双眸。そう。炎ではなく、まるで粛々と焦がれ続ける炭火のような。


「お話はかねがね。<銅>への昇格、おめでとうございます、と言わせてください。大変ですよね。わざわざ無意味に一般生としてご入学されて、いの一番に貴族の権威を知らしめようという使命感。涙ぐましいとしか。ご苦労様です。さすがは、この聖王都に高名を馳せるフィルディーマイリーズ家のご息女であらせられますわ」


「えっ。そうだったのか」


 瞬間、ギッと鋭すぎる眼差しでスフィールリアをひと刺ししてから、アリーゼル。

 席からにっこりと首をかしげて、はるか上に目線を置く少女に返事をした。


「ええ。おかげさまで、〝そちらよりは〟退屈しない日々が送れそうなもので安心していますの。偉大なる姉や兄の助言に、感謝の念を押さえ切れません」


 またも「ふっ」と撥ね返すような息で笑う少女。

 が、しかし、次のアリーゼルの言葉で。


「でも……申し訳ありません。せっかく当家に有り余る賛辞を頂戴いたしましたのに。わたくし、あなたのお顔とお家のことは、とんと存じあげませんの。それとも、いずれか当家の催した立食の席などでお会いしたことでもありましたものか、それすら……すべてわたくしの不届きのいたすところですわ。お恥ずかしいばかりです。なにぶん、いまだロクに社交の場を許される機会も少ない、幼い世間知らずのこと。……笑って、お許しいただけますかしら…………?」


「……」


 チリ……と。

 笑顔は変わらないまま。両者の間に互いの面の皮を炙るような、熱的衝突を思わせる空気が混じる。


「……。これは大変な失礼を。エイメール・トゥールス・アーシェンハスと申します。以後お見知りおきを。こちらの方こそ不届きをお許しください……なにせ序列七位の大公爵家が一員への最初のごあいさつのこと。万が一にでも、浅ましく道楽をむさぼる平民さん方のついでに名乗りを上げられたのだと思われてしまうことを恐れたのです。お許しくださいますか?」


 これにスフィールリアはまたも「えっ」と声を上げた。


「それってひょっとして、あたしたちのこと?」


 エイメールという少女は満面の笑顔に込めた険を少しも治めず、むしろ快活なほどの調子で、


「ええ、もちろんです」


 と、答えた。


「…………」


 どうやら〝標的〟はこちらであったらしいのだと、スフィールリアはようやく気がつく。


「だってそうでしょう? 一番大切な走り始めのこの時期に、暢気にのんびりと、食べ歩きなどと……。世界の様相の守護すらをも担う綴導術士として、その英知の羽を育ててゆくおつもりがあるなどとは到底思えませんね。大半の一般生の方々と同じようにね。なにかおかしな点でも?」


「感じわっるいなー……」


 正直に告げるスフィールリアのジト目にも、彼女は退く気配を見せなかったが。


「ええ、大変けっこうなことですよ。正直申し上げて――不愉快なんです。あなたたち市井から勘違いをして入学してくる一般生のほとんどが。わたしたちにとって、迷惑この上ない存在なんです」


「……」


「今日はそのことを、慎ましい同輩たちに代わり、その迷惑筆頭のあなたへはっきりとお伝えしようと思ってはせ参じました次第なんです。

 どうかたとえギリギリでもこの学院にたどり着くことのできた知能を最大限理解の方向に傾けていただいて、さっさとこの学びの庭からやかましいお足をどけていただけないでしょうか?

 王都観光は、この基礎クラスの二週の間に、せいぜい全力を尽くしていただくこととしまして……ね?」


「えっ? 迷惑筆頭あたしがなんで? まっさかぁー。あははっあは、ははは……!」


 寝耳に水だという表情を浮かべたスフィールリア。

 しかし、じっとりと見つめてくるアリーゼル、とことん心配げに口元へ手をやるフィリアルディの姿が……。


「え……。なんで。ふたりともねぇ?」


「あなたは……」


「スフィールリアお願い落ち着いて……あとでゆっくりお話しよう? ね?」


「なんでっ!?」


 大きく息を吐いたエイメールが、今度こそ苛立ちを隠さず額へ手をやる。


「これだから……〝力〟にのぼせ上がった勘違いさんというのは。ええそうです。あなたが代表なんです。綴導術のなんたるかを考えもせず、ただ腹いせに無関係であった立場から軽率にその力を振るい、他者を脅かしたあなたがね」


「……」


「掲示板や、この学院そこかしこで行なわれる裏取引などもそう。

 すべては、無教養から始まり身の丈に合わない〝力〟を欲してがむしゃらに浅ましくその手を聖なる智の梯子にかけんとするあなたたちが。

 この学院に、綴導術という学問に、退けがたいカオスを根づかせているんです。〝わたしたちだけ〟であったなら、そのようなこと……」


「えーそうなのかなー……」


「あなたに綴導術を伝えたお方のお里も知れるというものです」


「それは否定できない」


「ふっ。ご自分のお師匠様をかばい立てもできないなんてね」


「お前はなにも知らないのだ……」


「どこまでも薄情なんですね。人間関係の薄っぺらさもにじみ出るよう。だから似たもの同士、そうやって寄り添っていられるんですね。浅ましい者同士で」


 スフィールリアの顔に宿っていた摂氏が、一度、冷えた。


「今のって、このふたりのこと?」


「はい。ほかにどう聞こえました?」


「いいね」


「お待ちなさい――」


 静かに立ち上がろうとするスフィールリアの肩を、アリーゼルが押さえて、


「――なっ」


 再び椅子に沈ませた


「おやめなさい。なにする気ですの」


「なにって。言葉で分かり合えない人とはもはや拳で語り合うしかないんだよ」


「あら野蛮なんですね。いいですよ。わたしはなにもいたしませんので、思う存分に暴威を振るってくださいな」


「よっし。それじゃあー足腰立たなくなるまでたっぷりとサービスしてトロけさせてあげる。毎日欲しがって、あたしナシじゃいられなくなるぐらい……!」


「なっ――!」


 これには知らぬフリを決め込んでいた教室中もどよめいた。

 さすがのエイメールもギクリとして後ずさっている。


「あ、あ、あああ、あ、あ、あなっ! あなた! わわわたしにいったいなにをするつもりなんですかっ!?」


「それは、これから。……あたしの部屋で……たっぷりと……!」


 再び立ち上がり。

 ジリ……とにじり寄るスフィールリア。指をワキワキさせながら。

 たまらず一歩退くエイメール。


「ふふふ……必殺……マッサージ……師匠直伝テク……いっぱい悲鳴を上げさせてあげるね……!」


「う、あ……!」


 再び立ち上がり。

 ジリ……とにじり寄るスフィールリア。

 たまらず一歩退くエイメール。


 ざわざわ……。

 ひどいことするつもりなのか……! すべてのカーテンを閉ざし、四肢の自由を奪って!

 ふおぉぉぉぉぉん!

 たまんねぇ……!

 そう、それは身分を越えた愛……倒錯的なまでに、その双丘と愛蜜を、互いに……。

 素敵……スフィールリア様……。

 ざわざわ……ざわざわ……!


 教室の上下問わずに投げかけられる無責任な言葉の数々に、少女の真っ赤な顔面にもすでに涙の粒が浮かんでいた。


「ひひ、卑猥な! ハレンチです! おぞましき邪悪!」


「邪悪じゃないよ。むしろ健康になるよ。新しいセカイを見せてあげるからね……!」


「~~~~~~~~ッッ!!」


 ゆらりつらり歩み寄るスフィールリア。ゾワゾワゾワ。と。人知を超えた〝なにか〟が胸の深奥より沸き立ってきて――


「――はい、そこまでね」


「ひぅっ!?」


 ポンとうしろから置かれた両手の感触に、エイメールが跳ね上がった。


「先、輩」


「エイメール、あなたの負け。引き際くらいはわきまえないとね?」


「……」


 彼女の振り向いた先に現れていたもうひとりが、にこりと微笑んだ。どこか、嫣然と。

 スフィールリアに。

 目を合わせた瞬間、「あ、この人なんとなく苦手かも」と、スフィールリアは直感する。

 明らかにふたつみっつ以上は年上なその人物は、黒髪長身の、女性だった。

 エイメールらと同じく控えめだが、いくぶんか洒落っけのあるワンピースの胸元には、<銀>のネックレスが下がっている。


「不愉快な思いをさせてしまったようでごめんなさいね。でもコレも、毎年のことなの。笑って乗り越えてあげてちょうだいな」


「は、はぁ。……えと。貴族さん? 先輩さんも? でも、なんで」


「それは、今言った通りかしら。あんまり恒例なものだから、こうして初日はわたしたちみたいな変わり者が、出すぎたトラブルでも起こらないよう教室を見て回ってるのよ。でも、あなたから貴族様? なんて聞かれてしまうと……自信を持って答えることはできなくなってしまいそうだわ。うふふ……」


 しっとりと、見つめてくる。


「えっ? き、恐縮っすね。え、えへへへへ……」


「ええ、本当に。うふふふ……」


「へ、へへへ、へへ……」


 間が保たない。

 保たせられずにいると、謎の長身美女。ほぅ……と息を漏らして、


「本当……美しいのね……」


 とか言いながら、エイメールの肩を離し、近づいてくるではないか。


(……アリーゼルぅ~、助けてよぅ)


 振り返ると、アリーゼルは肘つきした手に乗せた顔を正面にやったまま、


(あなたが煽ったケンカですのよ。火の粉を飛ばさないでくださいなっ)


 と、にべもない。


「お顔を見せて……」


「ふぇっ? あっ――」


 気がつけば、もう目の前。ほほにひんやりした手を添えられ、近づいてくる顔から背くこともできない状況に――


「本当に、美しい。あなたと比べたらわたくしたちこそ凡庸の極み。王など愚者。女王は雌犬。あなたが貴族……」


 スフィールリアは、これが蛇にに睨まれた蛙かと察知していた。と言いつつ蛇に睨まれて動けなくなった蛙というのも見たことはないのだが、この際それは重要なことではない!

 重要なのは、そう。まさに、そう。これから起ころうとしていること――男の人ともまだなのに――いやでも女同士だしこれは別にいいのか――いやでも公衆の面前だし明日からどうすれば――いやいやいや! じゃあふたりきりの時ならいいのかと言うとそういう話でもなくてでも別に女性同士ってそんなに悪いことかって言われてもでもそれは普通じゃないって言うのか――

 完全に、わけが分からなくなっていた。


「あなたに会えたこの日、今日が輝かしい記念日……」


(どどっ、どうしよう、あたし、あたしこの人のこと……)


 どんどん近づいてくる。細められる双眸。朱が指した頬。艶かしい吐息。唇の体温が……もう――


(ニガテです!)


 きゅっ! と目を瞑り――!

 ゴホン――!


「……?」


 いつまで経っても訪れないその接触の時。やがて恐る恐る目を開いて横にずらすと……教壇の位置からタウセン・マックヴェル教師が、冷たく鋭い目を向けてきていた。


「授業だが?」


「あら。残念。うふ」


「……!」


 愕然としているスフィールリアの肩を気楽に引き離し、女は困ったように笑いかけてきた。


「そんなお顔しないでちょうだい。冗談よ。わたくしにはそんな資格はありませんもの?」


「…………」


 なにも言えずどぎまぎしていると、女はぱっと踊るみたいに身を翻して教室の後ろ戸まで駆け上がって、


「それじゃあ、ごめんあそばせ。みなさんの学院生活が善きものでありますよう」


 と扉から出していた半身を引っ込めて……去っていった。どこまでも浮き足立った足音を残して。

 ひたすらぽかーんと静まり返る教室のただ中、スフィールリアは机の縁に手をかけ、胸をなで下ろしながら……


「死ぬかと思った……」


「っ……」


 バッと長い髪を翻して席へと戻ってゆくエイメール。


「君もさっさと席につきたまえ。スフィールリア・アーテルロウン君」


 乙女の貞操の危機の重要性も知らないで。相変わらず平常運行な彼にむっすりした表情を送りつつも彼女が座ると、タウセン教師はまったくもってなにごともなかったかのように教壇に手を置き、よく通る声で語りかけ始めた。

 背後の貴族席と前面の一般席の別なく、女子陣から黄色い声がさざめいてゆく。


「本日からは知っての通り一般生と貴族出身の諸君らも基礎の席をともにすることになる。どうせ基礎クラスが明ければそんなものは一切関係がない世界に放り込まれることになるのだ。諸君らも今のような見苦しい騒ぎは、くれぐれも思い立たないように。一年二年後に思い出して顔を赤くすることになるだけだぞ。では授業だ」


 と、いうことになった。

 そして、一時間後……。




 スフィールリアはぷりぷりとしながら、金盤に宛がった〝のみ〟に小槌を打ちつけていた。

〝彫金〟項目の授業である。

 さまざまなマジック・アイテムやその部品を作り出す綴導術士が、その製作の過程において関わる分野は多岐に渡る。


 彫金、彫刻、調合、裁縫、成型、溶接……それらの細工に〝効果〟を付与するためには、それぞれの分野の作業工程を熟知を得た上で、特殊な処理をも施さなければならない。

 綴導術、そして魔導具の製作というのは、世間一般的に知られている華やかさからはかけ離れて、地道な、地道な、地道な――ひたすら繰り返される慎重な収斂の果てに完成する芸術品・建造物に等しいものなのだ。


 そういうわけでこの基礎クラスでは、まず、そういった最基礎項目となる作業を短い期間の中、すべてひと通りだけでも触れさせられることになるわけである。


「ほんと、なんなの。貴族って……貴族? 貴族様ってみんなあんなんなのかいねぇ。まったく、あのザマときたら……」


 ちらりと振り返る。

 コツ、カツ。コンコンコン……。

 と、黙々として作業音が響き続ける教室内。そこでは、


「た、たたっ、タウセン様っ。ここからどう進めるべきなのか分からないのですがっ――」


「……術式付与のための複層構造を目指しているのかね。だがこれでは土台からダメだ。まずは背伸びをせずだれにでも分かるよう、形状の細工だけを目指したまえ。見た目が悪ければだれも買ってくれんぞ」


「タウセン・マックヴェル教師、こちらにもおいでになって――」


「全然、できていない。呼ぶなら評価が可能な段階になってから言うように」


「ずるいですわ。タウセン先生、わたくしの父が今度ぜひ、あなたと――」


「初めてにしては悪いできとは言わないが、申し訳ないね。別段、君のお父上と話をしなければならないようななにかを感じ取れるわけでもない。だが、続けたまえ」


 そして表情ひとつ変えずに次の席の列へと見回りに去っていって……


「「「素敵~~……!」」」


 と、こんな調子なのである。


「ケッ。ヤツの本性をなにも分かっちゃいない。可愛らしいおしめの取れねぇお姫ちゃんどもめが」


「すっ、スフィールリア、お下品だよっ」


「むしろ、これ以上ないくらいあけっぴろげなように見えますけれどね」


「それに、それを言うなら」


 フィリアルディが自分たちの前列方向に目をやれば……


「「「タウセン様~~!」」」


 一般生の女子面々も、彼の気を引こうと一生懸命な様子だった。

 彼が教室前面にいるグラッシュ特別講師にそちらを回ってもらうよう手だけで合図を送ると、なにを勘違いしたか、それだけで「きゃー」とか言って喜んでいる。


 ちなみにグラッシュ特別講師は綴導術士の専属として、彼らの替わりとなり金細工に特殊加工などの下処理を行なう国家資格持ちの彫金師だ。タウセンひとりで教室全体を見て回るのは手に余るので、授業進行の補佐役兼、細工に関する講師役として呼ばれている。

 整えられた硬質な口ひげが厳めしい職人気質を体現しつつも、実際に生徒へ接する態度は紳士的な、ナイスガイである。スフィールリアとしては無機質冷淡メガネのタウセンなんかよりはよっぽどポイントが高い。呼ぶならあの人にしようそうしよう。

 ともかく、スフィールリア。歯がゆい気持ちをこらえつつ、がっくしと頭を落としたのだった。


「くっ。で、でもそれだけじゃないもん。ねぇアリーゼル。連中、なんなの?」


「そう言われても見たままだとしか。ま、最初にマックヴェル教師殿はああおっしゃいましたけど……半年か、一年ですわよ。最初のね」


「そうか……ヤツの人気も……一年きり。くくく。いいぞ。それならば待てる。一年待って、しょぼくれたヤツの背中を笑ってやることとしようではないか……」


「そっちじゃなくて」


 アリーゼルのジト目が痛かった。冗談なのに。


「貴族組と一般組の軋轢というものは、たしかにありますわ。温度差というものも。彼女の言葉のすべてがウソでもありませんけど、本当にこの学院が彼女の言う通りの仕組みばかりでできているわけではありません。そのうち、貴族かどうかという枠に囚われたままでは立ちゆかなくなる。そういったことに気づける人と、気づけない人とに、貴族組も分かれるんだそうですの」


「……」


 淡々と、自分の作業だけを進めるままに、アリーゼルは続ける。


「ま、学院にとっても、可能な限り在籍を続けようとする貴族は優秀な運営資金の〝提供者〟ですから。たしかに一般生に比べれば査定も甘めに設定されていますし、お金さえ出せば六年期までの在籍までも容易に許されますわ。

 ……でもわたくしたちの目的は、お話しましたわよね? 己が志す綴導術師になること。ただその一点においてのみ、貴族組と一般生の間に差異などというものはありませんわ。

 ですが先に申し上げた〝勘違い〟を召されたグループの方々は、往々にしてご同類の獲得には余念がないものなのですの。そんな方々に少しでも煩わされるのはゴメンでしたし、そうでなかったとしても貴族組というだけで常に授業や査定に対し、目に捉えきれぬ細々とした修正を加えられて温い生活を送るはめになるのが嫌だったんです。だからわたくしは一般生としての門戸をくぐることに決めたんですわ」


「えらいんだね~。アリーゼルはいい子だよなぁ……!」


「ちょっ、頭なでようとしないでくださいましっ。邪魔ですわ。しっし!」


「冗談だよ~。でもアリーゼルは、タウセン様~とか言わないんだね」


「えぇ……? まぁフォマウセン学院長の片腕にしてご自身も偉大なる綴導術師であるマックヴェル教師ですから、敬愛はしていますけれども。そうですわね。彼女たちの抱いているような思慕とは違うのかもですわね」


「むしろなんであんな人気なのか分からん……。ファンクラブまであるんでしょ?」


「そうなんだ?」


「あなたって妙に情報網が偏っていますわよね。……実際、遠方の大陸でも彼のお名前を知らない術師は少ないですし。紛れもない頂点にして気鋭のおひとりですわ。どんなマイナスイメージを抱いてらっしゃるのか存じませんけれど、この学院で高みを目指すのならどうあがいても彼のことは無視できませんわよ? 若手の求心を一身に集めるのも無理ないことかと」


「そうなんだ……それに、格好いいものね。女の子が憧れちゃうのもしかたないかも」


「! だっ、だだだダメだよフィリアルディ!」


 聞いた瞬間、スフィールリアは彼女の肩を掴んでいた。フィリアルディは非常にうろたえる。


「えっ? なにっ?」


「だだだ、ダメなんだよ、フィリアルディみたいなのが一番、引っかかっちゃダメなタイプなんだよ、アレが! あたしには分かる……!」


 スフィールリアには……見えていた。




〝あなたお帰りなさい。今日も腕によりをかけてお夕食作ったのよ〟


〝ああ、いただくよ。……美味いな。評価に値する〟


〝ふふっ……わたし、幸せだわ〟


 数年後――


〝あなたお帰りなさい……疲れているみたいだけど、お風呂は〟


〝すまないが必要ない。明日も早くに出るので朝食は不要だ〟


〝……あの。明日は、あの子の小等部の、〟


〝そうだったな。金は置いてゆくのでなにかおいしいものでも食べてきたまえ〟


 十年後――


〝あなた……あの子が、捕まってしまったの。憲兵から連絡があって。お願い、あの子と話を……〟


〝仕事だ〟


 ――――


〝…………〟


〝出会わなければ、よかった〟


〝…………〟


〝終わりに……しましょう…………〟




 …………。


「しょんなのらめなのよ~~~。タウセン先生あの野郎許じぇないよこの野郎~~~」


「え? へぇっ? あの、ごめんスフィールリア本気でなんだか分かんないよ――」


 大泣きしながらガックンガックンと揺さぶっていたかわいそうなフィリアルディの視線が横にずれ――彼女が、「ひっ」と引きつった声を出す。

 そちらを見ると――


「わたしがどうかしたかね。スフィールリア君」


「……」


 さぁっ……と、スフィールリアの顔から血の気が引いていった。

 見上げた先に轟然とそびえる無機質なハーフリム。彼はそれをクイ、と持ち上げると、


「どれ。見せたまえ。どのような作品だったのか」


「あっ」


 ゴリ、と彼女のこめかみに両拳を宛がい、


「いつでも騒ぎを起こさないと気がすまないのか・ね・君は~~~~~~~~ぁッ!」


「ひわあああああっ!? あぎごがががががっががっ、い、痛い痛いなにこれ信じらんねぇくらいイ、イテェ~~~~~~~~~~…………!?」


 たっぷり十秒間の時がすぎ……。

 ビクンビクンと冗談ではなく痙攣しながら、スフィールリアは机に突っ伏していた。

 ざわ――

 なんてうらやましい――――!!


「う、ぅぅうぐう。うらやましくねぇよぅ……うっうっ……」


「その通りだ。では君たちの作品を見ようか」


 そう言ってタウセン。まずはアリーゼルの金細工を手に取った。


「ほう? 〝癒しの女神〟ステイラの仮面だね。すでに二次術式回路までの複層織り込みもすんでいるのか」


「ええ。お仕事に用意する予定でしたので、練習がてらにと。ですがこのまま送ってもよさそうなできになりそうですので、これは買い上げさせていただいてもよろしいでしょうか、マックヴェル教師?」


「かまわないよ。帰りに事務へ寄ってゆくといい。素材代だけでいい。Aランクの品の素材品を見ることになるとは思わなかった」


 品を返し、ボードへなにごとか短く書きつけるタウセン。次はフィリアルディへ断りを入れ、その品を取る。

 続いて、笑う。悪意のあるものではない。


「クマか。デフォルメの」


「あっ……は、はい。昔から粘土で、弟たちによく作ってあげていて、形として慣れていたので。……まずは、ちゃんと分かるように作ろうかと」


 恥ずかしそうに顔を赤らめる彼女に、タウセンはむしろ満足げにうなづいた。


「いや、むしろ、これでいいのだ。たとえ時間がかかったり部分だけであっても、ていねいに仕事に向かうことが今は大事だ。どうせ必要に迫られればスキルや生産性は身につけなければならなくなる。しかし手を抜くことは論外だ。かわいくできているのじゃないかな」


 と評価し、ボードへ記入。フィリアルディがほっと胸をなで下ろす。

 そして、スフィールリアの前へと視線を移し……


「……」


 スフィールリアは涙の残る瞳をキランと輝かせ、「さぁ早く褒めろ」と無言のサインを送った。


「……」


 タウセンは、ポケットからハンカチを取り出して自分の指先を保護してから〝ソレ〟を手に取ろうとして――

 直前で、やっぱりやめた。


「これは、なにかね」


「ネコちゃんです!」


 沈黙が、三秒。

 タウセンは意を決した風に〝ソレ〟を手に取った。


「顔が四つあるように見えるのだが」


「え……違っ。それは四匹並んだにゃんこちゃんであの」


「グラッシュ先生。ちょっとこちらへ。これを」


「これは――!?」


「…………」


 ひそひそ。

 興味深い。これは南方エングダグラニュマ古代部族の邪神・カールマイルーかね。なんと禍々しい――

 四つの頭と、四本の足に十ずつの爪を有する魔獣です。ご覧ください、この部分――

 これは……もしかして文献からも失われた彼らの呪術の最秘奥についての隠喩表現的装飾では――

 斬新な解釈と言わざるを得ません――

 しっ! 静かに。耳を近づけてみたまえ! 〝呪音〟の生成に成功しておる――!


「………………」


 しばしして、彼女に向き直ったタウセン教師。


「故郷を捨て、国を追われ、邪黒士を志すつもりはあるかね」


「ないですけど」


「では、評価Eだ」


「えぇっ!? なんか今の絶賛してるっぽい流れでなんでなんです!?」


「評価……E……と」


「あーーっ、なに書いてるんです。チクり帳ですかソレ!」


「純粋な評価表だ」


「ぐぬぬ……」


「これは浄化処理をした上で処分しなければならない。手間賃くらいは請求させてもらうのでポストは見ておくように」


 と言って、ハンカチに包んだ〝ソレ〟をポケットに落とした。


「そ、そんな~」


 がっくしと肩を落としたスフィールリアにはまったく頓着を見せようともせず、去ってゆこうとするタウセン教師。

 ふと戻ってきて、


「スフィールリア君」


「……ぐすっ。なんです?」


「教師のことはなるべく、ファーストの方では呼ばないよう気をつけた方がいい。わたしはまだいいが、失礼だと受け取る先生もいるからな」


「……。じゃあ先生もあたしのこと、アーテルロウン君って呼んでくださいよ。不公平でズルい」


 微妙にばつが悪そうなしぐさで、こめかみへ指をやるタウセン教師。


「……いや。その、だな。わたしとしては、なるべくなら君のことはスフィールリア君と呼びたいのだ」


「はい?」


「だから君も、わたしに関しては今まで通りでいい」


「いやー、ちょっと申し訳ないんですけどあたしとしてはもうちょっと愛想がある人の方がというかタウセン先生も決してお顔とか収入面とか悪いセンということではないんですがちょっとお気持ちはうれしいんですけどはい」


 タウセンは疲れたように肩を落とした。


「なんの話をしているんだ。……そのだな。君の持つアーテルロウンという名は、わたしにとってしてみれば、この世でもっとも敬愛すべき綴導術士たちの、そう。称号、にも等しいものなのだ。憧れにも近い絆なのだ」


「……」


「だからだな、君をその名前で呼ぶというのは微妙に抵抗があるというのか、君がその系譜にある人物であること自体を否定しようというのではないが」


「……」


「……」


 言葉を止める。

 タウセンが語るほど、スフィールリアは例の「ニャンマリ」顔になっていっていた。ニャンマリしつつ、あごも上げ「フフン」という得意げな顔になっていた。

 スフィールリアが次の要求を告げる前に、タウセンはすばやく彼女のこめかみに拳を(あて)がった。


「分かった・か・ね!」


「ひわががががががっがあぎゃぎゃ分かりまひただだっだだだ!?」


「まったく……」


 うらやましい、ねたましい――

 あの子タウセン様とどんな関係――?

 ため息を吐きながら教壇側に去ってゆくタウセンの背中を、スフィールリアは冗談抜きであふれ出る涙ごしに睨みつけていた。痛くて泣くなんて本当、何年ぶりだろうか。


「じゃあだれか替わってみろよぅ……うう。踏んだり蹴ったりだよぉ~」


「ダメだよ……心配してくれてるのにあんな態度取っちゃ」


「わたくし、今、分かりましたの」


「……ふぇ? なにが?」


 ジロリと、隣席から視線だけで見下ろしてきて、


「踏んだり蹴ったりというお言葉は、まさしくそのまんまなのだなと。ほかならぬご本人が踏んだり、蹴っ飛ばしたりしている様なのですわね」


「うう……」


「細工道具の扱いも補習内容に追加ですわね。有意義な授業でしたわ」


「ううううううう……!」


 だいたいこんな感じでスタートを切った、スフィールリアの学院生活なのだった。




「……ミルフィスィーリア君。手が早いのはいいが起きたまえ。あとは君だけだ。コレは、なになのかね?」


「……。超新星爆発を、」


「……ほう?」


「……花にたとえ、」


「……なに?」


「……形而上学的減算を加えた上で、」


「……待ちたまえ」


「……前述までのインスピレーションをすべてかなぐり捨て、」


「なんだと……」


「…………」


「寝るな」

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