(3-65)
「だが、お前が俺に勝てるのかな?」
「そいつは間違いだ。お前も見たところ術士だろ。そして一度は俺に思い知らせたはずだ。――術士の戦いは、戦いが始まる前に終わってるんだよ」
「どうかな」
闘争はすでに始まっていた。
といっても踏み込んだらあとは一気呵成な戦士同士の戦いとは違う。<焼園>はごそとローブの下を探り、取り出したアイテムを軽く目の前に掲げる。
「運べ――『此方より、彼方へ』」
手の中にある一本トゲの生えた宝珠。それは一切の発動兆候も見せず、事実、発動はしなかった。
「……」
確認をする様子で、引き戻した手の中の宝珠を見つめる<焼園>の男。
〝黒帝〟は特になにを言うでも、するでもなく、ただ無機質な眼差しでその様子を見ている。
「ふむ」
次いで男は複雑な昆虫の描かれた円形のタリスマンを取り出し、横手に突き出す。
「絡め取れ――『イミィヤマハンダスの奇節』」
なにも起こらない。
「……」
次に取り出したのは数十枚束になった符。自らの周囲を覆うようにばら撒き、
「焼尽しろ――『ヌクィーリャの千鱗』」
やはり、なにも起こらなかった。
いや、今回は違った。数十枚の符は虚しく地面に舞い落ちると、まるで最初から風化し切っていたかのように崩れ散ってしまった。
「……」
男は、ただ、石畳の隙間に混じってゆく塵を見つめていた。
「よかったな? 崩性タイプからの派生アイテムだったら、全部お前に返っていってたぞ」
「…………」
男は特に悔しがる様子もなかった。しかし余裕の表情を見せることもなく、答えを求めるかのようにテスタードを見上げた。
そんな彼に、〝黒帝〟は淡々と事実を告げた。
「全種だ」
「……」
「全種。魔術、綴導術の情報構築理論において大前提である三原色から発生分化してゆく、全種類、全系統の術的構成に対して、封御、反撃、押し返し、突き返し、解除等が働く。今ここは、そういう結界が張ってある」
「つまり……あらゆる術、あらゆるアイテムが使えない、と?」
うなづく。
「そうだ。お前はこの内部では攻撃はおろか、防御も、阻害も、抵抗も、なにもできない。最初の一手から逃亡を試みたのは懸命だったが、無駄だったな」
「さらに、結界の外周部には内部の者を逃さず、一方的になぶり殺す多重の攻性壁があると?」
テスタードは簡単に認めた。
「ああ」
男は馬鹿にするように笑いながら首を振る。
「ありえない。はったりにしても馬鹿げた話だ。荒唐無稽にもほどがある。そんな複雑怪奇な、気の狂った術式……いや。そこはいいにしても、いったいどれだけ途方もない投資が必要となるか」
「そうだな。今の俺の資産の四分の一をつぎ込んでる」
「……」
男は押し黙った。
三年間――魔王を滅ぼすべく〝黒帝〟が外面も命も投げ出してがむしゃらに走りかき集めてきた全財産。全素材。アイテム。
ただの三年間ではない。野の者では想像もつかない巨額が蠢き続ける王都、学院で、トップに登り詰めるほどの男が命を顧みずに集め続けた資産だ。
それらすべてを元手に数百倍にまで膨れ上がらせた莫大な資産。その、四分の一。
それをつぎ込んだと、簡単に〝黒帝〟は言うのだ。
「……それも、はったりを補強する戯言にすぎない。お前にしては穴が多すぎる脅しだな?」
「そうか?」
そうだ。
普通は、そうだ。
たとえばだが、綴導術士の間には、真の意味での『万能薬』は存在し得ないという諺がある。
あらゆる毒、あらゆるウィルス、あらゆる傷病、情報欠損、情報崩壊構造、そして死――これらを網羅し、一度に癒すたった一種類の薬を作ることは実質上不可能とされている。
伝説や神話にはそのような話も存在するし、また、時間も費用も規模も無視した無限遠における理論の上では不可能ではないとも言われる。しかし導出されるそのアイテムが効果を発揮するには人間の容量をはるかに超えた膨大な量の摂取を必要とし、それはつまり物理量的・情報量的に不可能であることを意味する。人間を癒すために、投与対象は人間以上の存在容量を持っていなければならないことになるからだ。
そもそも現実にそれを作り出そうとなれば話も違ってくる。単純にひとつ効果を追加するごとに難易度と費用が指数間的に跳ね上がってゆくという世界だ。
話の性質としてはこれと同じことだ。
――この世において理論的に存在し得る全・綴導術を網羅して封じる。
テスタードが言っているそれは、『真なる万能薬』を作ることと同等、いや明らかにそれ以上の難業を意味している。
だが――この男なら。そう思わせられてしまう空気を〝黒帝〟はたしかにまとっている。
「まず第一に、お前の保有資産の四分の一? それしきのはした金でそんな大秘術を行なえるわけがなかろうが。第二に、お前の理屈は領域深度、術儀密度の概念を無視している。どのような封印構造であろうとも、それを上回る力には、逆に飲み込まれるだけだ。これもまた、この世すべてのタペストリー理論に通ずる真理だ」
「そう思うならアンタが装備してるご自慢の品々を信じて強行突破を図ってみればいいだろ。ああ、だが、一応念のために起動確認はしておいた方がいいんじゃねぇかな。あっけなく消し炭になられてもつまらんからな。せっかくここまでの準備をしたんだ、どうせなら盛大に散ってもらいたいんだよな。それが俺に対する精一杯の敬意ってもんだろうが?」
「もう試してる」
「そうだな。しゃべり始めてから、百二十二手か。うち、Aランクの品が三十三、Sランクの品が五つ。よくもまぁそこまでポンポンと手品みてーにアイテムが出てくるもんだ」
「……そちらは、こちらに対する知覚機能まで備えているわけか。一方的だ。あまりにも一方的だ」
男は嘆く動作でかぶりを振る。声音は平坦で、怒りを押し殺しているようでも、演技のようでもある。
「……」
そんな様子を見ても〝黒帝〟は決して油断をしない。封じたと言ったにもかかわらず自分からは決して近づかず、確殺の檻に入った獣の振る舞いを、冷徹に観察している。
「お前の言った通りだ。俺の装備は常時発動のものも含めてすべて無力化されている。そもそもSランクの品の構造まで完封している。まったく、どういう理屈が働いているのか」
「……」
「お前は最果ての魔王の存在に触れた。常識を超えた情報構成は、それが根源か?」
「……」
「バッグも封じられているな。取り出せない。つまりはこれで俺の手は打ち止めだ」
「……」
「とどめを刺さないのか?」
「……」
テスタードは答えない。先ほどまでは一方的に挑発をしておきながら、一転して無機質な目で無視し続ける。
「ああ、本当に挑発が巧いな。そうだ。お前はそういうヤツだよ。俺は今イラついているよ。焦ってる。なぜなら、そうやって俺に奥の手があるかどうか油断なく構えているフリをしていて、その実、お前だけが一方的に俺を瞬殺する技を持っているんだ。なぶり殺しじゃない。一瞬だ。お前はそういうヤツだからさ」
テスタードは至極あっさり、無感情にうなづく。
「ああ」
男はついに感情的に噴き出した。吐き捨てるような息で。
「本当にお前はすばらしいな。――よくぞここまで化けた。ひと月前までのお前であれば、俺はさほど恐れなかったはず。そうさ。だから簡単にちょっかいをかけられた。だが今は違う。お前が怖いよ」
「……」
「エムルラトパさえ退けたこの俺が、これ、こんな有様なんだ。学院の生徒に収まっているような器じゃないよ。引き抜けるなら全力で引き抜きたいところなんだが。真実を、すべてを話したっていいかもしれない。だが今の我々とお前の関係では、それは不可能なんだろうな。どんな条件に惹かれることもなく、お前はここで俺を確実に殺すつもりなんだ」
「……」
「その次は俺の同志たちも。全員だ。入念に調査して、準備して、皆殺しにいくんだろ?」
答えない。返答は、その冷たすぎる眼差しが雄弁に物語っていた。
テスタードの態度に殺人への怯えは微塵もない。怯えなど――感情も、感傷も、必要なものではない。必要なことをなすためには、必要な作業を、必要な力で、必要な分だけこなせばいいのだ。すべてのことはそのようにして積み重なってゆく事象にすぎない。絶望と恐怖に押し潰されながら、魔王という途方もない存在を倒すために、彼はそうやって自分を動かして突き進んできた。
必要なこと。それは、スフィールリアを今再び奪って贄としようとしている敵性体の確実な排除。永遠の根絶。
男は、本当に踏み越えてはならない一線を越えたのだ。
「ああ……本当に……怖いな。怖い。怖いよ。うん。わたしの歴史の中でこんなに追い詰められたことがあっただろうか。あったかもしれない。なかったかもしれない。よく覚えていないな……でもほら、手が震えているんだよ。存在の消滅という予感に、この個が怯えているんだ。これは本当のことだろう?」
「演技かもしれない」
「嘘じゃない! 嘘であるものか!」
そこで<焼園>は本当に感情を爆発させる声を出す。
「ゆえに俺は今こそお前に決戦を挑もう! そうだ。実のところ俺にもまだ試せる手はないこともないんだ。お前が俺の想像の外側にある秘術を見せてくれたように、わたしもまた、お前たちが知らないこの世界の深奥を知っているんだ。――だからその前に、いくつかの確認がしたい」
まるで愛を疑われた恋人のように大仰に腕を広げて怒りを表明した男だが、最後の言葉のところで、途端に平静さを取り戻して指を立てた。
「……」
テスタードは促すでもなく、ただ男を観察し続ける。
そして男は勝手に続ける。
「まずひとつだが、やはりこの〝結界〟は絶対無欠というわけではなさそうだ。たとえば、三原色から発生するすべてのと言っていたが、それならば三原色に端を発しない〝絶対色〟の力ならば制限を受けることはないはずだ」
「続けろ」
「ああ……次にだが、これほど完璧すぎる封鎖構造となると、お前自身もすべての術式が使えないはずだな? だから、近づいてこないにしても、なんのアイテムも投げてこないんだ。例外と言えば、結界構築の際に組み込むことのできたいくつかの機能――権限の行使といった類のものだ」
「その通りだ」
「余裕だな。そう、お前はその上で、確実に俺を殺せる、俺に届かせられる攻撃手段を持っているんだ。檻の外から獣を突き殺す槍のように」
「そうだ」
「次にひとつ。この結界は内側に対しては絶対に近い効力を発揮するが、完全に『内向き』の構造であるがゆえに外側からの干渉にはとてつもなく弱いはずだ。そう、たとえば俺の未帰還を知って駆けつけた仲間が、結界を壊したり、内側に入ったりすることを阻害はできない。違うか?」
「そうだ」
「いや、半分嘘だ。お前とて俺をこの場に誘導することができたわけがない。つまりこの結界は設置するタイプではなく――お前自身の装備による移動・携行・範囲発動タイプのものだ。それひとつで完全に完成された完全自律・完全閉鎖構造だ。だからその外側に、もうひとつの別種の結界を設置することができるはずだ。お前はこの結界の外部に外向きの殺戮陣を敷いていると思う。並大抵の人員じゃ皆殺しにされるし、普通の品では二重の結界を壊して俺を救出することも困難と見ていいだろう。そう! たとえばあの『薔薇の剣』のような、この世界に対して最優先の干渉が許されているような武器でもない限りはだ」
「まぁ……そう、だな。さすがに『ガーデンズ』を引き合いに出されちゃ、な」
「それ以外にも脱出の方法はある。結界の源を装備しているはずのお前を倒すか、あるいは装備を壊せば、結界は壊れる」
「そりゃそうだな」
「そうだろう」
男はなぜかうれしそうに立てた指をテスタードに向け掲げた。調子に乗っているというわけではなく、単にこれがこいつの本分であるように思える。
「もうひとつ、明かされていないことがある。俺には分かるから隠さなくてもいいんだが、この結界の内部の時間は狂っている。魔王の眷属が時間を操ったように、お前もまた魔王と三度目の邂逅を果たしたことでその力――いや知覚とでも言うべきものを自覚して、この結界に組み込んだな? だからお前はじっと俺を観察して俺が死に絶えるのを待っている。俺が結界の欠点を指摘し、外界の援軍を示唆してもなにもしてこない。外側の時間流と切り離されているからだ。さすがに分からないことだが、おそらく外側ではまだ数秒ていどしか経過していないんじゃないか。だというのに、俺の側の時間は、すでに三百年は経過していると思う。なんとなくだが」
「ああ。その通りだ。お前はおかしいな」
「そうだろう! まったくなんて残虐で惨たらしいものを作るんだ! さて――ゆえに、決戦なんだよ、テスタード。俺に時間による攻撃は効かないんだ。言っておくがこれに関しては嘘ではない。決戦に応じてほしいので本当のことを言っている。たとえ何千年、何万年……何億年も俺の存在の時間を早送りしたところで俺は尽きないんだ。試してもらってもいいが、文字通り時間の無駄だ。だけど精神的に堪えるのは事実だ。あくまで俺は人間なんでね」
「お前は頭がおかしいんじゃないか。そう思えてきたな」
「うん、うん」
なにに納得したのか、満足そうにうなづく男の様子を観察して……テスタードは小さくため息をつくとともに、認めた。
「……言っておくが。さすがに数億年なんて操作は無理だ。結界の構造上、時間操作の規模には限界がある。そしてもちろんだがこの結界自体、てめーの言う通り、それほど完全無欠な存在ってわけじゃない。まだまだいくつもの欠陥がある。わざわざそれらを教えはしねーが」
そして気づいて、もう一度嘆息した。
今まで男が干からびて死ぬのを待つつもりで話をさせていたが、つまるところ一連の指摘は、調子に乗っていたり素の性格から分析を楽しんでいたのではなく、理詰めで対決以外の選択肢がないように解説をしていたにすぎなかったわけだ。
「……なるほどな。それで決戦、か」
男が嘘をついている可能性は、もちろんある。三百年は耐えても三千年は耐えられないかもしれないし、その間は余裕を振る舞っていられる。
だが、〝外側〟の時間経過をゼロにすることもできない。<焼園>の男が未知数であるように、<焼園>の人員も未知数だ。こちらの知らないどんな手で結界に干渉してくるか分からないし、一秒が致命的ということもあり得る。
これも事実だった。
「そうだ。待っていても俺を滅ぼすことはできない。お前にしても外側の時間が経つほどに、援軍の可能性が高くなっては困るだろう? 最終的にお前は俺に攻撃をしかけるしかない。俺もまた、結界を脱出するためには、お前に挑戦するしかない」
テスタードはそれこそ心底つまらない時間の無駄につき合わされた心地でかぶりを振り、ため息をついた。
「どっちにしろお前がしかけてくるなら俺は対応する以外にねぇじゃねーか。そんなことをくどくどと。やっぱお前はおかしいな」
「こんな殺戮兵器を組み立てて平然と使うようなヤツに言われても説得力はないさ。――それにだ。この俺にも意地ぐらいある。必要なことだった。これは俺がお前に見せる〝誓い〟なんだ」
ぴくり、と、テスタードは不快げに眉を寄せる。
つまりは先の自分の宣言に対する応酬というわけだ。
「誓い、だと?」
先ほどからちらほらと安定しないところが目立っていた男の態度だったが、ここになり、最初のころの平静さを取り戻しているように思えた。
「そうだ。俺は<焼園>。陳腐な言い方だが、俺にも目的がある。存在を賭して成し遂げると決めた目的が。俺という存在がこの世界に発生したのであれば、それが運命であるならば、俺という存在は、たとえ今ここでお前を相手にしたとしても滅びることはないはずだ!」
大きなものをかき抱こうとするかのごとく、あるいは羽ばたくかのように、ゆっくりと両の腕を持ち上げる<焼園>の男。
テスタードは、ただ断じた。
「いや、お前は滅びる。お前がなにかをするよりもかならず速く、俺はお前を殺すからだ。結界は完全ではないが、隙間は小さく少ない。その欠点すべてを俺は把握しているし、そこから導出されるお前が打てる手もすべて分かるし、それらへの対策も網羅している。にわかには信じがたい内容ではあるが、知覚権能でお前が次に打つ手ももう分かっている。そして、それらすべての材料と俺の持つ手を比較して、単純に絶対にお前は間に合わない。お前はここで滅びる。それが因果というものであり、ただの事象だ」
そう言いつつ、テスタードは知覚権能への注意に全力を払う。すべてはこの敵が使おうとしている隠し札の兆候を、いち早く覗かせるための煽りにすぎない。
そんな言に、男はむしろ肯定を返す。
「そうだ! お前の刃は確実に俺を貫くだろう。だからこそ、これは誓いであり、挑戦なんだ。お前への! 俺とお前のうしろにあるより大きなものへの! だから必要だった。お前にじゃない。俺自身に聞かせるために。俺はここでは滅びない」
「……」
「この俺をここまで封じて見せたこと、実に見事だった。テスタード・ルフュトゥム。きっとこれはお前にとって唯一無二の勝機だった。そして、お前という存在が今ここに在ることも、きっと俺という役割を存続させるキーであると確信した。かならずまた会おうじゃないか。それまで、彼女を護り、さらなる高みに昇りつめていてくれ!」
そこまで言い切ると、男はもうそれ以上なんの言葉も発してはこなかった。
完全にこの場を乗り切ったつもりでいる口調。言い聞かせているのではない。確信しているのでもない。それはもはや、完全に通りすぎたあとの者の言葉でしかなかった。
両者とも、すでに最後の一手を起動する準備を終えて構えている。
テスタードは手のひらを男に向け。
男は両腕を前へ垂らし、その異常な存在情報を強引に開放する体勢。
テスタードは短い時間の中で、なにか自分が見落としている点、敵の隠し札が本当にあるのかという可能性を走査する。
結論として、どうやら、そんなものはなかった。
男自身、テスタードに見えている通りの手段の行使以外は頭にないようだった。
ただの文字通り決死の突貫にすぎなかった。
「……やっぱお前、狂ってるな」
それが決戦開始の合図となった。
<焼園>の男の存在情報が変質してゆく。男自身が言及していた〝絶対色〟の理屈に近い。およそこの世の由来のものとは思えない異常な情報構造は、結界の制限力を大きく撥ね退け、力の行使を可能とするだろう。
だが、
(お前のターンはねぇんだよ)
自分自身も術が一切使えないという話。アレは嘘だ。
テスタードは事前に消費していた〝触媒〟を対価に、最速の攻撃を『それ』に命じていた。
「こい――『シャンゼリオ』」
『それ』は、テスタードが持つ手札の中でも最強にして最速の一手だった。
魔王のような高次存在に対しても優位効果を持つこの剣は、テスタード自身が作った結界内でも力を発揮する。存在するだけで結界をあるていど切り裂いてしまうことになるが、一体しかいない標的を滅ぼしてしまうのだから問題はない。
そして、特筆すべきはその異常なまでの攻撃力――ではなく、速さ。攻撃の到達速度だ。
離れた場所にいる対象さえ光速度で切り裂くことができる。
まさに最速にして、最強。
これを防ぐ手段も、追い抜いて攻撃を届けることも、追加の切り札を持たない男には不可能だった。
男がなにかをすると宣言した時点でテスタードは最速の『シャンゼリオ』を使うことを決めていた。優位による愉悦も慢心もなく。ただ冷徹迅速確実に敵の存在を終わらせることだけを考えて。
その時点でテスタードの勝ちは決まっていたのだ。
――だからこそ、テスタードの敗北が決定した。
「――」
テスタードは頭上から結界が崩壊してゆくプロセスを知覚しながら、元の構えのまま、慄然と立ち尽くしていた。
結果から言うと、『シャンゼリオ』は現れなかった。
結果から言うと、『シャンゼリオ』は、たしかに彼の前に現れていた。
「……ふぅ」
テスタードと<焼園>の間に、ひとりの女が降り立っていた。
その女が手にし、前に立てている輝かしい剣こそが、『シャンゼリオ』だった。
起こったことは分かる。非常に単純なことだった。
空から降ってきた女が、手にした剣で結界構造をメタメタに切り裂いたのだ。それだけだ。
なのだが――
「……なに、間に合った?」
男もテスタードも言葉を発することができずにいる。
そんな中、まったく場違いに軽い声を挟み。女は自分の前後にいる男二名を「ん? んっ?」とか言いながら交互に見比べている。
女は<焼園>の男と同じように上等ではないローブをすっぽりとまとっている。しかし男と違って明け透けであり、フードからこぼれる金髪も、その下で爛々と輝く意思の強そうな碧眼も隠し切れてはいなかった。
女は数秒ふたりを見比べ、<焼園>の向きで止まると、失態を案じる声をかけた。
「それともなに? 邪魔しちゃダメだったパターン!?」
「くっ……ふ! くっくっくっく……ふ、は、は、は、は、は、は!」
返事はせず、勢いを増してゆく水漏れのように腹を抱えて笑い出したのは<焼園>の男だ。
「怪我をしたのかしら。痛すぎて逆に笑えてきちゃうことってあるわよね! 分かるよ! 薬は持ってないけどとりあえず落ち着いて! 無理なら気絶させてあげるから言ってね!」
「くっくっく、ふ、ひ、は、は、は、は…………いや、大丈夫だとも。最高のタイミングだった。そうか、こうやって助かるわけか……!」
「?」
女はまったく分からない風に首をかしげ、男はまだしばらく笑い続ける様子だった。
彼から目を離し、女が『シャンゼリオ』の切っ先をテスタードに向けた。朗らかな調子で。
「この人? をここまで痛めつけるなんて。あなたやるわね!」
「っ……」
ぎくり、とテスタードは身を硬直させた。今のが攻撃動作だったなら自分は防御系ごと貫かれていた。それを知っているからだ。
ごまかし……もかねて。テスタードは苦い声で搾り出していた。
「……所有者が、いたのか」
テスタードの『剣影喚起』は、基本的にこの世のどこかに実在する武器を〝触媒〟と〝情報記述〟にて実体を与えて擬似召喚する秘術だ。
だから本来の所有者がいて、その能力を使用している時には、呼ぶことができない。
しかし、よりによってこの場面で選択した武具の所有者が、敵対者としてこの場所に向かってきていたとは。どんな運命だ。
見ていれば分かる。この展開は<焼園>自身が考えてもいなかったものだ。
だが、<焼園>はこれをこそ確信していたのだろう。具体性もなにもないままに。
見えた気がした。
苦虫を噛み潰したような顔のテスタードに、素の状態に戻った<焼園>がこれみよがしに告げる。
「そうだとも、〝黒帝〟。太陽の恵みはだれにでも等しく注ぐものだからな。だが、お前にこの力を使われるのは困るかもな。……マルール」
「はいはい」
女が特別なにかをした様子はない。しかし。
「……はい! これでこの子は、お兄さんには力を貸さなくなりました! ごめんね!」
「……」
実際に『シャンゼリオ』に通ずる自分の経路が閉じているのが分かった。
さらに苦い顔になるテスタードに<焼園>が問いかける。
「さて、どうする? 今度は二対一だが。まだやるか?」
「やめといた方がいいと思うな! お兄さんうしろからドカンとやるタイプの……ナントカ士の人でしょ? 今度は前衛さんも連れてさぁ、その時にやろーよ! その方が力を発揮できるでしょ?」
ニコニコとしている女と、数秒間、睨み合って……
「……」
やがてテスタードが、ひとつだけ、笑う。
「?」
そして構えを解くと、〝黒帝〟はきょとんとしている女と<焼園>から半身を逸らした。
「いいのか?」
「ああ。今日のところはこれで勘弁しといてやる」
「それはありがたいな。いや、本当だ。では気が変わらないうちに失礼するか」
本当にさっさとという感じで背を向け、歩き出す<焼園>に、テスタードは声を投げた。
「お前は……いや。お前らは、なんだ?」
振り返り、<焼園>は強い笑みで、答えた。
「まったく、俺に会うヤツはみんなそう聞くんだ。答えよう、我々は――〝悪〟の組織だ」
「……」
「世界の崩壊を企んでいる。実にらしいだろう?」
実際には、男の表情はよく見えない。しかし隣の女が挑戦的な笑顔でいるので、<焼園>も同じなのではないかと思えたのだ。
「そうか……」
馬鹿にする気は起きなかった。テスタードは、ひと息だけを吐き、
「次は潰す」
彼らとは反対方向に木箱の段を降り、路地裏を歩き出した。
足取りは速く、心臓は鳴り続けている。追われることはないと分かっていつつ、背後に在る脅威からいち早く遠ざかるように。こする靴裏の音に苛立ちの色を混ぜながら。
「……」
一方で、きつく前を見据えるその表情にあるのは、冷徹な思索の眼光。
さまざまなことを考えていた。今の戦いのこと。スフィールリアのこと。これからのこと。
しかし、最終的に考えたことはひとつだった。
その言葉は口には出さず。ポケットの中でにぎる拳に固め、テスタードは路地裏を歩き続けた。
――お前は、だれだ?
◆




