■ エピローグ(3-63)
■ エピローグ
「やれやれ。フツーに取っ散らかってた工房よりも、さらにグチャグチャじゃねーか」
「一応、乱雑だったって自覚はあったんですね」
山のように詰まれた素材たち。
それを前に、スフィールリアたちは途方に暮れた風で座り込んでいた。
場所は第三講義棟の地下ではなく、元々〝黒帝〟に宛がわれていた寮。<近くの森>とは反対方向にある、学院設備関連の管理ビルに紛れた四階建ての最上階だった。
スフィールリアが組み立てた作成スケジュールに沿ったタグ付け作業を、元のメンバーに加えてイェルやアイバまで駆り立てて慣行し、その休憩時間である。ついでに掃除もしたので、ヘトヘトだ。
だが、どこも同じようなものだ。
ここも学院の外れだが、窓の外からは〝学際〟に向けた急ぎの復興作業の音が騒がしく届いてくる。
「あっぢぃ……。なぁ~、スフィ~~、俺もう喉渇いたよぅ、お茶くれよお茶」
「持ってきた分もうないよ。ガブガブ飲んじゃうんだから。センパイの部屋なんだからセンパイに言ってよね」
「お茶ァ……」
「まったく。休養を取るヒマもねぇな」
億劫そうなため息とともに立ち上がってコンロに向かってゆくテスタードに、アイバが「おっ、ありがてぇ! サンキュな!」と声をかけると、彼はまた面倒そうにため息をついている。
「アイバ馴れ馴れしくない? いつセンパイとそんな仲良くなったのよ?」
「ええ? いやあ……お互い、一緒に死線を潜り抜けた仲っつうの? そういうのを通すとさあ! なんつうかこう、言葉や確認とかなくても、な。分っかるモンなんだよなぁ、オトコ同士ってさぁ!」
「ああ、そうだな」
と振り返りもせずやさしい声を出すテスタード。これは面倒くさくて流してるな……とスフィールリアには分かった。
アイバが、鼻をグシグシッとやってから、白い歯を見せてはにかむ。
「アンタはもう独りじゃねーんだ……俺、これからも遊びにくるから、さ」
わー、うざいな。とスフィールリアは思った。
「ああ、いつでもきてくれ。留守でも勝手にくつろいでっていーから」
すでに新しい隠れ家の目処がついているらしい。
「でも……先輩。本当にこんなに休みなしで大丈夫なんですか? 軽作業くらいはわたしたちでやって、せめてその間だけでもお休みになった方がいいんじゃ」
「そうですわねぇ。肝心の〝黒帝〟殿が倒れたら、一番大事な依頼そのものが立ち行かなくなってしまいますわ」
「ありがてー申し出だが、その肝心の依頼の請負が俺だからな。俺が作業のメイン張ってないと示しがつかねーだろ。まぁせいぜいこき使わせてもらうから、その分で帳尻ってしといてくれ」
無骨な金属カップのお茶を配られつつ、一同「うへ……」とだれた声を出す。
「賃金は出すから安心しろ。これが終わるころにはお前ら全員小金持ちだ。学院祭を楽しめよ」
「あ~~、お金はすっごく助かるっち~。今まで極安で裏仕事ばっかりしてたから、これでよーやくびんぼー脱出できるよ~……」
「そういうとこテスタード先輩って真面目ですよね。わたしちょっと分かってきましたよ」
肩をすくめる。というのも、出さないと結局彼の工房の力ということにならないという面もあるからだ。
お茶をすすりながら、スフィールリアもおずおずと声をかけていた。
「でも……本当に大丈夫なんですか? 魔王の使徒の存在が途切れたはずなのに……本当に異常はないですか?」
「なに言ってんだ。お前が式を組み換えたんだろうが」
「でも、あたし、途中で意識と制御を失っちゃって」
短く笑って、〝黒帝〟は片手のひらを見せる。
「そいつを俺が引き継いだ。ギリギリだったが、まぁなんつーか、……なんとなくやってのけた。やっぱり俺は天才だったんだな」
「否定できないのが悔しいですのね……」
「いつも通りってカンジですね」
ささやかに笑い合う声が生じるが、スフィールリアは混じれなかった。最後、結局具体的な力にはなれなかったという負い目だ。
「でも……それでも。怒ったりしないから、なにかあったら、もう隠さないでくださいね?」
「……」
しゅんとした顔を、〝黒帝〟はしばし見つめ返し……
「分かった。じゃあ、タネ明かしをしてやろう」
とカップを一旦素材のひとつの上に置き、預けていた腰も持ち上げた。
「え?」
ポケットから〝触媒〟を取り出す。それを手の中で消費し、
そして――
「こい――『ノルンティ・ノノルンキア』」
現れていた。
「……え?」
〝キュ?〟
空白の時間は短くなかった。
〝キッ……キュッ?〟
その間、ずっと……彼の手のひらの上に現れた球体、いや目玉と、彼女たちは見つめ合っていた。
そして、絶叫。
「き……きゃあああああああああああ!?」
〝キュゥ~~~~~~~~~~~~ウ!?〟
彼の手の上に現れていた魔王使徒ノルンティ・ノノルンキアも瞳孔を開き、驚きを振動で表明していた。
どこからどう見ても間違いようがない。
人類を未曾有の危機に陥れた魔王の使徒ノルンティ・ノノルンキア――それがボールサイズになって、テスタードの手の上に現れていたのだ!
「き、きゃあああ! きゃあああああああ!?」
「どどどどどど、どうして、なななぜこんなところに!?」
「ひえぇ~~~~~~~え怖い怖い怖い食べないでほしいっちー!」
「危ない、スフィー、下がれ! 危ない!」
「こここ、この目玉野郎! くるならこいってんです!」
「落ち着け、うるさい、落ち着け」
騒然となるのも当然だが、魔王使徒は敵意を示してくることはなく、〝黒帝〟も片手で耳を塞ぎながら面倒そうになだめてくる。
その手の動きに連動して上下し、魔王使徒は目を細めたご満悦の表情。まるであやされる赤子のようではないか。
〝キュイ~イ〟
「な、なにが、どうなって……」
わけが分からず、そしていい加減騒ぎ疲れて一同がへたり込むと、種明かしをする口調ままに〝黒帝〟が真実を告げた。
「まぁ、簡単に言うと……あの時、順番の問題だとお前に言ったな?」
「は、はい」
「その〝順番〟が、入れ替わったんだ」
「……えっ!」
簡単な調子で〝黒帝〟は続ける。
「魔王から俺へ通じる経路の根元にコイツはいた。だがあの術式以降はその順序が入れ替わって、コイツの前に俺がいる……そういう風になった。いや、したのか」
だから、〝送還式〟を使ったあともテスタードの存在は継続された――?
つじつまは合っているように思われた。
「……」
「〝属性〟と言うべきものも変わった。コイツは魔王使徒でありながら、今は完全に俺という存在の下位構造に仕込まれている。というわけで今のコイツは俺に完全服従。人類に敵対することはない。たとえば、」
ドムン!
〝ギュッッ!?〟
いきなり、バウンドさせた魔王使徒を〝黒帝〟が思い切り蹴り飛ばす。
魔王使徒は飛びっきり弾力よいゴムボールそのままの勢いで弾けて、跳ねて、跳ね返って、部屋中をしっちゃかめっちゃかに飛び回った。
〝キュッ……ギュ! キッ!? ギュム!? ギュイィ!?〟
ボヨン! ドム! ガシャン! バコン! ドムドム! ガラガラガラガシャーン……!
「ひっ!?」
こんなことされたら魔王の使徒じゃなくたって絶対怒る。完璧な聖人だってきっとなんか言う。
不安と恐怖の声を漏らして崩れた家具と雑貨の山を見果てていると……フラフラになって出てきた魔王使徒が、それでも健気にテスタードの足元に寄っていき、頬ずりをするみたいに上下するではないか。
〝キュイ~~イ♪〟
「とまぁ、こんな塩梅なわけだ」
「え、えぇえ~~…………」
信じがたい、というより、とにかく理不尽なものを見た気分としか言えず、具体的にコメントが出てこない。
「本当に……大丈夫なんですの?」
「ああ。また魔王本人が出てきたらどうか知らんが、今のところはな。次に新たな経路が開くのは、明日か……数百、数千年後か。それまではコイツが人類に仇なすことはない。王室の側とも秘密裏に合意を取りつけた。いざという時の人類守護戦力としての貸与、という手形にすることでな」
むしろ、魔王から世界を害する手駒をひとつ奪って手元に置いた形だろうか。少なくとも王室はそのように判断したということだろう。
「じゃあセンパイ。明日からさっそく作業にかかりますんで、よろしくお願いします」
結局すべてがうまく納まるべく場所に納まっているというならそれ以上なにも言えず、衝撃も冷めやらぬうちに解散となり。
「ああ。休めるうちに休んどけよ。早々に倒れられても回復薬すらねーからな」
肩上のノルンティ・ノノルンキアをじっと見つめるスフィールリアの目に気づき、〝黒帝〟は少しバツが悪そうな半端さでやぶ睨みしてきた。
「なんだよ、約束は守ったぞ。隠し事しなかった。文句あるのか?」
「い、い、いえ……」
そして今度こそ言いづらそうに目を逸らし、だが、言う。
「これでも、迷ったんだよ。できるかどうかって確信以前にな。だが、あのまま消えてたらお前、絶対に文句言ってただろ。まぁ、つっても、どーせ聞こえやしねーんだからよかったんだけどな」
「……」
「ほかの連中もうるさそうだったしな。だからもうちょい居座ることにした――悪いか?」
悪態と言うには、弱すぎる問いかけ。
スフィールリアはかぶりを振った。
「いいえ。うれしいです。最後までがんばってよかった!」
「ん」
簡素にうなづくと、次に〝黒帝〟は普段通りの態度に戻って手のひらを振って見せた。
「まぁダセーところもいろいろ見せたが最終的に俺が勝ったのは事実であり、そして寛大な俺様は助手であるオメーの働きもしっかりと評価してやろうと思うわけだ。正直ここまでやるとは思わなかった。ほめてつかわすぜ」
「……お金ですか? ボーナス? 特別褒賞?」
キランと目を輝かせるスフィールリアに〝黒帝〟はなにをそんなくだらないものと言いたげに鼻を鳴らす。
「ナメてんのか。もっといいモンだ」
「ごくり……!」
「助手1。お前の俺様への献身と働きを称えて、お前を……」
そして、言った。
「〝助手〟から〝子分〟に昇格してやるッ!!」
言い切った。
すごいイイ顔で。セリフがなければ痺れて憧れたいぐらいに、勇ましく。
階段前に、勢いよい反響が木霊してゆく。
「え……」
それよりはずっと遅く、脳内で跳ね返っていた言葉が、徐々に浸透していって……
スフィールリアは叫んでいた。
「えぇええええ~~~~~~!?」
さっきよりもずっと大きい反響が降りてゆく。〝黒帝〟が顔をしかめた。
「なんだよ。なんで嫌そうな声なんだ。聞き間違えかな?」
「だってセンパイ、なんでそんな、助手から子分って……それってむしろ下がってるじゃないですかぁ~~!!」
「ふざけんな。下がってねぇよ。お前俺の舎弟つったらアレだぞ。聞いたらだれもがうらやんで上納積んででも入りたがる地位だったんだ。エリィのアホなんぞそれに目がくらんでやらんでもいい献身だか破滅だかをホイホイと俺の前に」
「知りませんよそんなのぉ! ヤダヤダお金とかの方がいーです天下の〝黒帝〟なら宝石とかこないだのドラゴンみたく高級肉とか振る舞ってくださいよーー! ……あ! そーいえばセンパイ教室のみんなにごはん奢るんだって聞きましたよあたしもいきますからねなんで黙ってたんですか! そんなことよりあたしの地位! 今すぐ助手に戻してくださいよぉ!」
「分かった。今の話はナシだ」
ガシ。
と〝黒帝〟の拳が彼女の頭を挟む。
「この話をテメェエーーのアタマから消去する。こんなことなら死んだ方がよかったってぐれー痛いが、我慢してくれよ。俺もつらいんだ」
スフィールリアは顔を真っ青にしてか細い声を出した。
「……すいませんでした……あの…………ほんとは超うれしーです。だから許してください…………」
「ふん。いけ」
「…………」
果てしなくどんよりとして階段を下りる背に、圧とともに追撃の声がかかる。
「明日は俺が起きる前に工房の準備を済ませとけよ。舎弟は、親分より余分に寝たりはしない」
「っ……………………グス!」
ダッと走り、急いで家路を目指した。出口で待っていたアイバを追い抜いたが、そんなことは知らなかった。
◆
――あっ、おいスフィーどこいくんだ……どうしたぁあ!?
――一分でも早く寝なきゃいけないの放っといて!
――あれっ? メシはっ? このあとなんか作ってくれるって、
――知らない倉庫の野菜でもかじってて!
――なんでだよ、そんな……スフィールリア~~!?
……。
窓の外に覗く、走り去る少女の背を、見つめながら。
「……」
テスタードはその姿があるガラスを撫ぜ、彼女の姿が消えたあとは、からりと晴れた夏の青空を見上げた。
「ひとつ、ウソをおつきになりましたね。テスタード様」
エレオノーラの問いに、苦笑して答える。
「ああ。どーにも、こーいうのが宿命らしいな」
「魔王は、すでに召喚されている。時間の逆行に抗い、しかし世界にまったく影響を与えぬほど完璧に溶け込んで……。ウソでないのは、それが降り立つ日が、明日か、数百年後か数千年後か、分からないこと……あの方を巻き込まないために、ですか」
「ああ。だが、いつか、言う。今はまだ――せめて最低限の情報がほしい。それに取りかかる」
エレオノーラの言にも少し語弊がある。明日ということはないだろうが、数百年後ということもあり得ない。
魔王エグゼルドノノルンキアは、スフィールリアに目をつけたのだ。
「……」
ついた嘘は実はもうひとつある。
あの時――テスタードが最後の最後の瞬間で、とっさに術式を制御したのは事実だ。
だが、それは彼の力ではない。
彼女が残した〝金色〟の力のおかげだ。あの〝金色〟が一切の制限や制約を術式から取り払っていたから、テスタードは急場の直感で〝送還式〟を完遂できたのだ。
直接触れてみて、テスタードにもよく分かった。
たとえばあの〝力〟を使う者が使えば、今この瞬間にも、魔王を何度でも召喚できる。
もしかしたら、世界を創り変えることも。
そんな〝力〟を求め、魔王はなにをなす?
テスタードは空を、その先の無限遠まで、睨み通す。
「俺は、ヤツのことを……魔王という存在のことを。世界のことも。なにも知ろうとしてこなかった。――これからだ」
「一緒に怒られてしまいますね」
「ああ。まったくな。よろしく頼むぜ」
笑い、窓辺を離れて、薄闇へ。
明日から死ぬほど忙しくなる。考えること、取りかかるべきことは山ほどあったが、それさえしばらくはかまけていられなくなるだろう。
だが、これだけは忘れるつもりはなかった。
新しい戦いは、すでに始まっている。
そして、まだだれにも一発カマされていない人物がいることも。
それだけを胸に留め、〝黒帝〟はソファへ身を投げ出して、一時の休息を得るべく意識のスイッチを落とした。
◆
ふと、ある時に立ち止まって。
「……はあっ」
スフィールリアは学院の空を見上げる。
学院はどこへいっても荒れた地形や廃棄物の整理で昼も夜も騒がしい。
だが、それ以上に、これから急速に復興してゆく明日への希望に満ちた熱気だ。
それが、日に日に強くなって照りつけてくる太陽の輝きにも負けずに立ち昇ってゆくようだった。
劇の幕が降りたあとのざわめきにも似た喧騒。そんな温もりに、自然と笑みがこぼれてくる。
皆が同じ方を向いて夢中になったのもここまで。ここからはまたいつも通り。バラバラに、巡り、時に同じ方へ走って、競い。
いや。しばらくは今まで以上に忙しい日々になるだろう。自分たちも同じだ。
道ゆく学院生も。上級生も下級生も。軍人も役人も商人も。
「……」
遠くを通りかかったラシィエルノとちらとだけ合った顔の、なにかを言い含めるような挑戦的な笑みも。それよりはもう少し警戒するような顔を投げてくるサークル員も。やれやれと言った感じでそのうしろをついてゆく地下サークル首領も。
すれ違い際、約束の日に〝黒帝〟を逃がさない旨を念押ししてゆく同じ教室メンバーの、浮き足立った声も。
「うーん、これが王都の<王立アカデミー>、か……」
なんともなしに、ついて出てくる言葉。
これが〝学院〟でやっていくということなのか。という思いだ。
栄光の下には無数の影がある。憧れ、羨望、嫉妬、恨みつらみ……それらを積み上げてゆく中で、気の置けない仲間もできるし、争いつつもどこか認め合えるような好敵手もいたかと思えば、本気の憎しみを抱く者もいる。
テスタードに張りついていた数週間は、なんだかそのギュッとした濃縮を見せてもらった期間でもあった気がした。
それは〝色〟と言ってよい。〝形〟と言ってもいいだろう。その人物だけにしかない、その人物がたどった軌跡と積み上げたものだけが明確に語りかけて知らしめる……術士としての〝顔〟。
それがあるから今回のような帰結を見た。それは、間違いのないことだ。
自分は、これから、どのような色、どのような形で花開いてゆくべきだろう?
そんなことにも気づかされる騒動だったのだ。
「……ま! がんばりますかー!」
たたずんでいつまでも浸っていたい活気を肩いっぱいの伸びで払い落として、スフィールリアは小屋への道を歩み始めた。これからすべきことを思い浮かべながら。まずは依頼だ。
そうして、彼女もまた、学院に満ちる熱のひとつに混じっていった。
そう、戦いの幕は降りたのだ。
なにも、終わってはいない。




