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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~  作者:
<3>魔王鳴動と開催前夜の狂争曲の章
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■ 11章 真実は終わりと始まりをささやきて(3-61)



 暗闇があった。

 無明の世界だ。地などなく、であれば天も在らず、果ても見えない。そんな世界。

 しかし、すべてに意味などなかった。原子の一片さえ照らし出す光も存在しないこんな領域で、天も、地も、果てなども――必要のないものにすぎなかった。

 天も地も。星も最果ても――。

 人も意思も――いや。

 人は、いる。ただ独り、ここに。

 この領域のただ中に、ただ独り。テスタードは所在なく漂っていた。


「……」


 ここはどこだ?

 その疑問の答えは最初から彼自身が知っていた。

 自分は、常にここにいたのだから。

 忘れていた……というよりは、当たり前すぎて意識することもなかった。

 寝ても覚めても――授業を受けている時、練成に追われている時、凶悪なモンスターがひしめく特級の採集地で息を殺している時も、眠れぬ夜も――

 リスティアを救えなかったあの日から、常に彼の魂はここにつなぎ止められていた。


 ただひとつだけ、今は違う点がある。

 常に吹き荒れていたあの滅びの風は、もう止んでいた。

 テスタードは不思議な心地で深く息を吸い、長く長く吐き出した。

 あの風が晴れれば、こんなにも静かで穏やかな世界が広がっていたのか。

 あれほどまでに嫌い、恐れていた、己を縛り続けてきた闇の底の獄。しかしこの静かな闇が、今は心地よくすら感じられる。テスタードは泣きたいのか喜びたいのか分からないままに表情を歪め、もう一度、深呼吸を繰り返した。


 まだ、自分を許せたわけではない。

 それでも――悪くない。

 不思議と抵抗なく、そう思うことができたのだ。


「……」


 闇の中、テスタードは目を閉じ、自分にこの変化を運んできたのであろう少女の姿を思い浮かべた。

 今でも自分をかき抱いてきた時の温もりは残っている。自分をまっすぐに見つめてきた瞳の鋭さ、さらにその奥底にあった揺らぎの強ささえも。この顔、そして瞳の奥で感じることができた。

 とてもじゃないが似ても似つかない――しかしそれでも、もはや認めるしかなかった。

 あの少女、スフィールリアは、『あの時間』の中で今も生き続けている『彼ら』と紛れもなく同じ輝きを持つ者。

 彼の同胞。そして同志であるのだと。


「勘弁してくれ……つっても、無理なんだろう、な」


 スフィールリアの姿を思い浮かべると、同時に彼らの姿も重なってしまって辛くなる。それを阻止することは、もう、できないのだ。

 魔王の使徒に、そしてこの自分にまで立ち向かってきたスフィールリアの姿は、いつの間にか遠くなってしまっていた彼らを自分の下に連れ戻してきてくれた。


 しかし同時に、スフィールリアという生ある同胞の存在も彼の中に残してしまった。

 彼女の存在はよろこびと痛みの表裏一体であり、そして、もうひとつの鎖を彼に与えることとなったのだ。

 喪失の痛みを知っているならば――もう、二度と、失うことはできない。


 失うものがなにもなかったがゆえの彼の強さは、もはや失われてしまった。

 これまで通りの戦い方ができなくなったのなら、魔王に挑むための手段もご破算となっている。なにより巻き添えのリスクを負わせることは絶対の論外だ。

 自分はこれから、どうすればよいだろうか?

 それについては、まず最初に、するりと思い浮かぶことがあった。


「借りを……返さねぇとな」


 ――帰ろう。

 そう思った。

 まずはこの静謐なまどろみから覚めよう。戻ればまた忙しくなる。あの騒がしい世界が待っている。それもそう悪いものではない。

 そう、決めた時だった。


≪悪くない顔になったものだ≫


「……」


 いつの間にか、暗闇にもうひとりの存在が追加されていることをテスタードは知った。

 いや、それは間違いだ。それは最初からそこにいたのだ。

 この領域はそれこそが支配するものであり、それそのものであるとも言えるのだから。


 ゆらぎ。

 静謐は変わらない。だが、あまりにも巨大すぎる存在のゆらぎ。

 彼など素粒子にすぎないと思わせるほどに圧倒的な存在が、暗闇に横たわるテスタードを見下ろしてきていた。


「魔王……」


≪いかにも。我こそ最果ての魔王がひとつ。魔王エグゼルドノノルンキア。不死大帝である≫


 傲然とうなづき、絶対者はテスタードを睥睨する。

 完全なはずの暗闇にも溶け込まぬほどに暗き真なる闇色の長衣をまとい、血も肉も枯れ果ててなくなった、四眼を持つ骸骨の王。

 不死大帝エグゼルドノノルンキア。


≪此度は貴様に与えた〝役目〟の完遂、見事であった。わたしは貴様を労おう――≫


 そこで、魔王は〝声〟の調子を変じた。暴力的なまでの圧力も薄らぎ、目玉など存在しない暗き眼窩から、親しみさえ感じさせる視線を送って。


≪直接まみえるのは三度目だな≫


「……?」


 理解できずにテスタードが眉をひそめると、魔王はおかしそうに微笑して、言い直してくる。――皮膚もない骸骨に表情などはありえないが、圧倒的すぎる存在の放射が、それを伝えてきた。


≪貴様にとっては二度目、であったな。貴様は術者ではあったが、まだわたしが与えた己の性質に無自覚であった≫


 やはり、理解不能でしかなかった。


≪いずれにせよ、わたしが貴様たち人間の同一の個体にこうまで多く邂逅することは滅多にない。それだけ貴様が種として強力で優秀な個であったということだ。我が目に適ったこと、誇りに思うがよい≫


 テスタードは失笑だけしてそれには答えず、そして大して興味もなく、文字通り放り捨てるように言葉を投げた。


「用事はそれだけか?」


≪正。そして否。わたしは、貴様を見にきたのだ≫


「あいにくとこっちにはない……んだが、逃がす気は?」


 あくまで確認といった彼の言葉に、魔王はにやりと深めた笑みの気配とともに答えてきた。


≪支配者の慰労を拒否するか? それは、我が許さん。少し話につき合ってもらおう≫


 言葉の通り、領域を抜け出すための流路が閉じられているのが分かった。今はまだこの眠りから目覚めることはできない。

 テスタードは吐き捨てるように笑い、再び全身の力を抜いて闇に横たわった。忌々しいことだが、ここは魔王の領域。逆らうことは無駄でしかなかった。

 かといって魔王の意思通りに話とやらを始められるのも癪だったので、自分の方から話題を振っていた。

 魔王は、特にはかまわないようであったが。


「役目、だと?」


≪そう。貴様は我が〝目〟としての最初にして最重要な役割を果たした――細き封印の網目を抜け、我が姿をこの現世(うつしよ)に映すという役割を≫


「……」


≪我らは、始原の束縛により、この姿を自由に貴様たちが言うところの実領域……世界へと現すことができぬ。我らを恐れた者たちが、我らを縛り、遠ざけているからだ≫


 魔王は、目を細めたようだった。


≪……貴様ら小さき存在には分からぬことであろうな。盲しいた者と光ある者の世界は同一ではない。観測すらできぬ世界は無存在に等しい。貴様らが意識もせずに平然と謳歌して歩いている〝世界〟は、我らにとって、『もしかしたら、そんな世界もあるのかもしれない』というていどの夢想にも等しいほど、はかなく、遠く、遠く、遠き世界なのだ≫


 テスタードはこれまで自分が集めた情報、そして今までに起こったできごとを脳裏で反芻して、結論に至る。


「つまりは……お前はあの目玉野郎(ノルンティ)に俺という因子を植えた上で俺の存在を実領域に放し、いつか俺を通して、お前にこの世界を〝観測〟させることが目的だった。そういうわけなのか」


 魔王から、笑みを深めた気配が伝わってくる。


≪その通りだ≫


 それを聞き、彼の心にどうしようもない感情と笑い転げたくなる衝動がこみ上げてきた。


「くだらない――くだらない!」


 その通りに、テスタードは吐き捨てていた。


「そんなこと、そんなことのためにアイツらは皆殺しにされたのか!」


≪それも、貴様には分からぬこと。それがどれほどの意味を持つのかなど≫


「知るかよ」


 最後には怒りを保つことすらできず半笑いな声しか出なかった。

 どれだけの沈黙が続いただろうか。やがて、魔王が圧を変えぬまま言ってきた。


≪ひとつ、間違いを正す≫


「……」


≪貴様は貴様の同胞が滅び去り、貴様ひとりだけが残ったと思っているようだが、それが間違いだ。あの時点で貴様()一度死んでいるのだからな≫


「なんだと?」


≪貴様の存在情報はあの時に貴様の同胞たちと同じように分解された。そしてわたしの撒いた〝因子〟たちの統合を行なっていた術者としての貴様が、総体としての〝中核〟として振る舞っていたことで、周辺(・・)因子を取り込んだ上での再収束を開始した。貴様が作り上げようとして保有していた因子統合のモデルが、離散した雨雲を集めて氷雪を形成するかのように核となり、モデルの実体が再現されようとしたのだ。わたしはそれに割り込み、我の力と我が眷属の一部の情報を貴様に組み込んだ上で、そのままでは不完全な存在の〝再構築〟の手助けをしたまでにすぎない≫


「俺が……死んでいた?」


≪そうだ。それが我と貴様の最初の邂逅にあった真実だ≫


「はは、は……そいつは……。それじゃあ俺はなにか? あの時に死んだ『テスタード』という個体のコピー品にすぎなかったってことかよ」


≪そうであるとも言えるし、違うとも言える。より正しくは『元の』貴様自身の完全純正なコピーではない。貴様という核を元に、周辺因子のすべてを取り込んだ上で統合モデルとしてより理想化された、集合総体ではなくひとつながりとしての一個体――それが、貴様である≫


「ふっ……ふふ、はは、は…………」


 テスタードは、ただ笑う。己の愚かさ、ちっぽけさを。


≪我が言、理解できたか? お前はお前だけが残されたことで同胞たちに対し常に負い目を感じていたが、それは成り立たないのだ。お前もあれらと同等のものをすでに支払っていたのだから。その点におき、お前とあれらは対等である≫


 魔王の言っていることを理解し、彼の中ですべてが線としてつながった。


「はは……みんなを生贄にしていたのは……みんなの存在を『食った』のは、俺だったってことか」


 あの時、あの場にいたすべての人間は死んでいた。

 その中核であった『テスタード』という個体の情報を基盤(ベース)に、それらすべての存在情報を集めて、こねくり回して、再構成された新しい個体。


 それが、今の自分。

 テスタード・ルフトゥムだと思い込んでいた、禍々しい模造品――


≪いかにも。お前という存在の総量が通常の人間のそれを逸脱しているのはそのためだ。〝帰還者〟と言ったか? ――欠損空隙による架空純粋情報領域の取得。それだけではお前の容量は到底成り立たないし、そもそも我が望む〝役目〟を課すにはあたわず。当然のことであろう≫


 魔王の言葉などもはやどうでもよかった。役目など。くだらない。


「なんだよ……なんだ。俺は土台から、戦う相手すら間違ってたって言うのか…………道化にもほどがある。なんだ、それは、はは、は……」


 魔王は哀れみすら込めた〝声〟で彼の言葉を否定してきた。いや、問いかけてきた。


≪そうだろうか? むしろわたしは、それとは真逆のことをお前たちに対して思っている。戦う相手――罰するべき相手とは、お前自身。お前は、本当にその考えでよいのか?≫


「なんだよ。うるせえな。こっちは今、自分を笑ってやりたくてしょうがねぇんだよ……しょうがねぇだろうが……」


 魔王はかまわずに続ける。


≪わたしは、意思こそが知性の持てる本来の〝生〟質であり、輝きであると思っている。なぜあの時にお前を核とした収束現象が起きたのか。お前はそのことについてなにも考えないのか? 考えずに、お前に寄り添うものの意味を閉じ、消失させるのか?≫


「なに……?」


 意味が分からない。自分が持っていた統合モデルに因子(なかま)たちが引き寄せられた。魔王はそれを利用した。先ほど魔王自身が解説したことではないか。

 だが魔王は、今度は侮蔑すら込めた〝声〟で断じてきた。


≪愚か、である。ただそれだけのことで、あれほどの量の因子が貴様に引かれたはずがなかろうが。わたしの撒いた因子にそのような集合性質はない。――与えられなかったのだ。細き封印の網目を通すためにはな。だからこそ、貴様も人為的に因子の統合作業を行なっていたのであろうが? 一時的に形成された因子情報雲の中核にそのようなモデルを置いたとしても発生する結晶は極めて微々である。――そして。もし『それだけの分』でしかなかったのであれば。わたしは貴様に着目し、リスクを負い再構築を手助けまでして役目を与えようとは思わなかったであろう≫


「だから……なにを言っている!」


 激発した苛立ちとともにテスタードは吐き捨てる。

 しかし次なる魔王の言葉は、その激情すら塵のように吹き散らかすほどの力を持っていた。


≪貴様の同胞たちが、貴様を生かそうとしたのだ≫


 ――空白が。

 問答無用な思考の空白がテスタードを支配する。なにも考えられない。そのこと以外のなにも。言葉と、その意味と、仲間たちの顔が頭の中いっぱいになってぐるぐると巡って収拾がつかなくなる。


「はっ――」


 魔王は、静かに、見定めるように、テスタードを待っていた。


「なにを――馬鹿なこと――お前みたいな、野郎、が――」


 結局、理論らしいことはひねり出せず、否定にもならない愚図が漏れるだけだった。


≪分からぬのか? ほかになにがあるというのだ? お前は、お前たちは、常に互いの扶助と存続を望み合っていた。その願いが偽りなき本物であったということだ。その願いが、意思が、絆が。お前の下に因子を引き集めた。統合モデルを保有し、もっとも助かる可能性の高かったお前を生かすために、お前の同胞たちは自ら存在をお前に捧げたのだ≫


「だまれ……」


≪――それが〝意思〟だ。ある方向へ向かい、目指し、存続し続ける性質だ。お前は託されたのだ。わたしはそこに通常ではない輝きと可能性を見た。だからお前だったのだ≫


「だまれよ、キレイごと――戯言を! お前のようなやつが!」


≪事実だ。――100%なのだ。わたしは貴様らを超越せし存在もの。その我が、『あの時』におけるあらゆる可能性世界を走査しても、100%同様同等規模の収束現象が起こるのだ。それを意思と言わずしてなんと言う? 輝きであると言わずしてなんとする?≫


「貴様が、貴様のクソみてーな目的のために、言葉で俺を存続させようとしているだけだ。アイツらを苦しめていたお前が――アイツらを――語るな!!」


≪――しかしお前がそれでは、お前の存続を願ってすべてを託したあれらも浮かばれなかろうな。つい先ほどに、貴様はあれらの一部と話をしたはず。それが幻や妄想であったかの区別さえつかぬか?≫


「――」


 なにを、と言われなくてもテスタードの脳裏にはすぐに答えが浮かんでいた。

 再会のひと時。

 あれは、幻などではなかった。

 今になって、ようやく、リスティアの言葉が浸透してきていた。再会の最初の――そして『あの時』最後の瞬間に聞いた、あの言葉が。

 理解する。


≪――その介入に気がつけなかったのは、さすがに我も驚かされたがな≫


「……」


 己のうちに吹き荒れていた衝動も萎えていた。

 しょせんすべては自分ひとりの情けない独り相撲にすぎなかった。そんなことは分かっていた。しかし――


「生きろって……言うのか」


 すべて、すべて、理解した。

 あの時、リスティアのあの言葉がなかったなら。自分はきっともっと前の段階で折れて自分から道を閉ざしていただろう。この原動力があったから、自分は磨り減りながらも邁進し……彼女と出会った。

 そして、この解答に行き着いた。


 清算するのではなく。帳消しにして、なかったことを目指すのでもなく。

 あったことを。今までともに在ったことを。最後の最後の瞬間まで捨てず、含めて…………彼らのすべてを背負って。


「そう、か」


 それが、一緒いるということ。

 もういなくなってしまった人たちとともに在り続けるための、方法。過去にしてしまわず、忘れず。いつまでも引きずりながら前に進んでゆく――

 それが、彼女なら選んでいた回答ということなのだろう。

 普通なら未練がましく、おこがましく、その果てになにもかも無駄にして潰れて死んでしまうしかないような解だが……相手の同意(・・)があった場合のみ、それは有効な手法だ。


 彼女が、連れていってくれたのだ。

 時と、条理を超えて――


「そう、か…………!」


 テスタードは、顔を覆って、なにもかもが込められたように息を漏らした。

 呪いが、(ほど)けてゆく。

 彼を、絶望の水底につなぎ止めていた枷。自らに課した鎖。それが、今。今度こそ。

 内側に在る重みだけは変わらずに。ただ、(ほど)けてゆく。


 だが。

 そんなテスタードの凪の心をあざ笑うかのように呼気を鳴らし、魔王は思いもかけなかった方向から聞き流せない言葉を投げてくる。


≪よいのか? せっかく長らえた生、同胞の意思を放棄してしまっても? 貴様は新たなる同胞を守護すると決めたのだろう?≫


「……なんだと?」


 ざわり、とうごめくものを感じてテスタードは顔を上げる。

 だれのことを言っているのかなど分からないはずがなかった。同胞。そんなものは、ひとりしかいない。

 もう、この世に、ひとりしかいない。


「まさか」


 競り上がってくる黒い予感以上に深い暗黒が、目の前にはある。その全面を支配し、魔王は笑う。


≪実に面白い――美しい花だ。あの輝きを手にすれば、世界をも制することができると思わんか?≫


「貴様……貴様ァ!!」


≪ハハハ――!≫


 なぜ、彼女が。という疑問よりも前にテスタードはもがき、吼えていた。


「まだ俺から……奪うのか! どれだけ、どれだけ奪えば気が済む! 貴様の身勝手な目的だかなんだかのために、あいつらを、アイツを……使うなァ!!」


 テスタードは焦燥と憎悪にまみれた顔で激しく吼える。魔王はいっそう楽しげに哄笑を高めるだけであったが。

 罵る声。笑い声。それらがない交ぜになってゆく。

 やがて。


「…………」


 テスタードは急激に力を抜いて、魔王へ向き直っていた。しょせん、どこを向いてもすべてがそうではあっても。


「もう……させねぇよ」


≪お前ごときが我を止められるとでも? のぼせ上がらぬことだ≫


「知るかよ」


 それだけで存在ごとかき消されそうな巨大な嘲笑をやりすごし、テスタードは、ただ笑う。


「できるかできないかなんて、そんなこと知るか。てめえの言葉を呑み込むわけじゃない。それでも、アイツらが生かしてくれたのが俺で、それに気づかせてくれたのがアイツなら……俺にはもうそれしかねえだろうが。だからやる」


≪……≫


「それだけだ。てめえのデカさだとか、俺のちっぽけさだとか、そんなこと知るか。かならずやり遂げてやる。なめてんじゃねーよ」


≪よかろう≫


 不快を催した様子も、反抗心をへし折る示威もなく――魔王はうなづく。


≪ならば、貴様には新たなる役目を与えよう。金なる花に寄り添い、守護する役割を。我がその下に降り立つ日まで。大役、見事に果たして見せるがよい≫


 ぎり、と歯を食い締めてテスタードは魔王を見据える。

 その彼に魔王が巨大な指を向け、輝きが点った。


≪貴様に我が権能の一部を解放する。小さきとは言え、我が依り代としてのその身であれば扱うこともできるであろう。有効に使え。かの花、奴らには決して渡すな≫


 テスタードは握り締めた拳の中に決意だけを固持する。

 そして、相対する者の名を呼んだ。


「かならずだ。魔王……エグゼルドノノルンキア」


 その返答に、魔王は深い満足を覚えたようだった。


≪魔王とはいかなる存在か。その意味を、貴様は考えたことがあるか?≫


「……」


 答えは、知るか、だった。しかしテスタードは答えない。もはや彼にとって目の前のこの存在は、ただ憎しみをぶつけていればよいだけの存在ではなくなっている。

 考えなくてはならない。これが何者で、なにゆえがあってスフィールリアに目をつけたのか。


 だが魔王はひとまずこの場では返答を要求するつもりはないようだった。

 ただ、立ち去る気配だけを濃厚に、言い残してゆく。


≪我は魔王なり。その真の意味にたどり着いた時、貴様の魂がまだ折れず、あの金の花のそばに寄り添っているのであれば――≫


 魔王は、そこでひとたび言葉を切る。

 様子を見るような気配で圧倒的な視線が注ぎ込まれてくるのを感じながら。

 頼りなく浮かぶ真闇の中、テスタードはただ魔王を見据えていた。

 その顔に満足を覚えたように、一段、魔王の貌なき相貌の笑みが深められた気がした。


≪――また、まみえよう。〝黒帝〟テスタード・ルフュトゥム……託されし者よ≫


 魔王の気配が遠ざかってゆく。


「……かならずだ」


≪クク――≫


 魔王は、より深い満足を感じさせながら。

 あまりにも巨大すぎる姿はいつまで経っても見失うことはなく。それでも、ただ確実に、遠ざかってゆく。

 その空隙に舞い込んでくる嵐は、新たなる戦いを告げながらも彼の身を巻き込み、吹き荒れてゆく。


「会いにいくぞ……絶対に! お前の好きには……させない!」


≪ハハハハハハ――≫


 やがて魔王がいなくなり。

 膨大な闇と彼の知覚すべてを、嵐が塗り潰していっても。

 決してそれだけは消せない意思の声で、テスタードは唱え続けていた。


「かならず!」




 次に目を覚ますと、そこは白い、知らない部屋だった。


「お目覚めですか」


 ベッドから身を起こすと、いくつもある最新鋭な検査機器の影から白衣の女性が顔を出してきた。その表情は明るい。


「深くお眠りでしたし、ちょうどよかったので、取り急ぎ検査をさせていただきました――あ、ここは王都の検査機関ですよ。暫定の速報ですが、魔王因子活性は陰性。魔王使徒の反応も照合に合致はナシ。でした。よかったですね!」


 心の底から祝ってくれるような声に偽りはない。

 これでひとまずだが、彼に眠る直接の危険性は払われたのだ。

 テスタードは無言で己の手のひらを見つめ、先ほどまで見ていた夢――魔王との邂逅のことを思い出していた。


「……」


 しばらく無言でいると、歩み寄ってきた女性が白衣のポケットからメモ書きを取り出して手渡してきた。


「それと、学院と王室から使者の方が参りまして。こちらと、伝言が。『例の件』が正式に受領されたので、お目覚めしだいに最終確認と合意の会を<クエスト掲示板>前にて、とのことだそうです」


 テスタードは目を通した紙片をにぎり、ため息混じりの笑みとともに、立ち上がった。

 その顔は、学院の一角に君臨する〝黒帝〟のものだった。


「ええ――分かりましたよ」



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