(3-57)
◆
『うわあああああああああああっ!?』
戦場は、混沌の極みに達しようとしていた。
致命的なダメージを被ったノルンティ・ノノルンキアが自暴自棄になったように見境なくかつ莫大な力を振るい続けては地形を混ぜ返す。
攻撃の対象は定期的に極大攻撃を刺してくる術士本陣、束縛の元である〝黒帝〟、そして近接してチクチクと攻撃を繰り返す前衛を、入れ替わり立ち代りに。それと同時に発作か引きつけでも起こしたような唐突さで全周囲に解除不能なほどに荒れた情報乱流と〝邪黒色〟の放出。最後に、結晶魔人の放出、だった。
あまりにメチャクチャな力押しの乱れ撃ちにはさすがに計算され尽した前衛も容易に近寄ることがままならず、攻撃の手数が減り、進攻する魔人たちさえかまわず巻き添えにする攻撃が混沌に拍車をかける。魔人封殺の陣は必然と後退を余儀なくされ、大きく部分部分のエリアを明け渡す形で縮小。押し合い、入り乱れる両者の陣容は嵐にかき混ぜられる大海原の、異なる二層の汽水域のようであった。
〝台本〟も、途切れた陣形各部の物資その他循環はあきらめて、作戦本質を学んだ各エリアの各個判断と本陣指揮陣に大きな流れを委ねるようになっていた。
それだけ敵戦力の混沌が増大して『読み』に割く頭脳のリソースが圧迫されているということだ。
会戦から、二時間が経過していた。
未来からの先行データによるところの魔王エグゼルドノノルンキア召喚が果たされるタイム・リミットまで、およそ半分が費やされた。
魔王使徒の本体が引きずり出されて人類側の消耗度が倍化したことを考えれば、ここが勝負を分ける分水嶺のギリギリ手前であることを、だれもが焦げつく背中に感じていた。
全力防御もすでに二回消費し、残りはあと一度が限度だという試算が出ている。
正念場だった。
『四次〝素材〟回収隊、後退を確認しました。輸送班への引渡しを完了』
『魔王使徒、活性、上昇中』
『前衛密度を設定ラインまで引き上げ、開始。輸送路の守護強度を最優先で維持してください』
「っ……」
膝を落とし、スフィールリアはその場に息をつく。
「大丈夫かっ?」
「平、気……」
スフィールリアたちは再び〝黒帝〟のいる教職員棟を目指し移動をしていた。
と言っても、自分に預けられた〝素材〟回収の指揮を放棄するわけにもいかなかった。これを放置すれば作戦が勝利の方向に進まず、前回と同じ結果になってしまう。結論として、突入準備が整いしだいに〝素材〟回収へと向かいつつ、徐々に西の方面へ進むという方針を採っていた。
が、その分だけ疲労も大きかった。
『〝黒帝〟側との臨時データ・リンク報告です。回収〝素材〟の作戦遂行見込み値が、概算で40パーセントに到達しました。もう少しです。皆さん、がんばってください』
回収班に向けられた労いの言葉。専用チャンネルで互いによろこびと励ましを交わすやり取りを耳にしながら、スフィールリアは自分の声を聞いているはずの者に呼びかけていた。
「……エーデルリッツァーさん」
『なんだ』
「センパイが……応答してくれないんです。センパイは、どうしていますか」
『別段問題は生じていない。目標の注意牽引も最適化が進んでいるので攻撃も減っているし、作業進捗は上昇し続けている』
「団長さんは、センパイのバイタル値もチェックしていますよね。なにか変化は分かりませんか」
『チェックはしているが、そちらにも問題はない。それ以外のことで言うなら……なにぶん、わたし以上に気難しそうなヤツだからな。つき合いが短いので細かな変化は分からん。すまないな』
「……」
『分かった。君が心配しているので応答ぐらいはしてやれと伝えておく。君も現在〝黒帝〟の下に向かっているのだろう? スケジュールは調整するので、直接見て、君の目で判断してみてくれ。それぐらいの働きはしてくれていると思っている。それまでは作戦に集中してほしい。正念場だぞ』
「……分かってます。ありがとうございます」
『いいのだとも。なにかあったらまたいつでも言え』
「……」
「大丈夫なのか、スフィールリア? 俺はどっちかってーとお前の方が心配だぜ……」
「そうよ。すごく体調悪そう。あの〝黒帝〟君の根性ならわたしたちも知ってるし、そう滅多なことじゃ倒れなさそうよ」
「ああ。だがさすがに手一杯なのかもしれないし、変に心配して気を回させるよりは、任せておいた方がいいんじゃないか?」
スフィールリアはそれでむしろ足に力を込めて立ち上がった。
「すごくいやな予感がするんです。大事なこと、気づいていないような。今センパイに会わなかったら、もう二度とたしかめられない気がする」
顔を見合わせたアイバと聖騎士たちは、ため息混じりにうなづいた。
「……分かった」
「でも、魔王使徒の暴れっぷりはどんどん激しくなってきてる。〝台本〟の本筋から離れた行動を取るなら、下手な近寄り方をすれば危ない」
「〝黒帝〟に接近するタイミングや歩き方については、俺たちの指示に全面的に従うと約束してくれ。俺たちも死にたくないしな」
スフィールリアもうなづき、頭を下げた。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
『結晶体射出、第六波、きます』
『ええい、バカスカ乱れ撃ちしおってからに! どこまでうっとうしい!』
『後衛迎撃稼動中。事前撃墜見込み値は20パーセント。結晶体・分布偏向度のマップ更新は六十秒後を予定。総員、参照を願います』
『〝台本〟より回収班へ。第五次〝素材〟回収決行に変更はない。〝黒帝〟もすでに召喚掌握式の仮組みに入った――このまま断行するぞ。班員は所定のラインまで進んで待機のこと』
アイバが、スフィールリアの肩を持つ。
「いこう」
しかし、新手の魔人射出によってまた変化した戦場の分布は、スフィールリアたちの目指す進路を阻むものだった。
いい加減に手馴れた戦術と連携で一気呵成にまた数体の魔人を屠り、しかし踏み留まらざるを得ない。
「敵の密集度がだいぶ高い。このメンバーと装備じゃ厳しいぞ! 一旦下がろう!」
「……ダメだ。一旦じゃない。この先、1時エリアに通じる道はさらに結晶体の密度が上がる。封殺線を下げて〝将〟も手駒を持ってるから、難易度はケタ違いになる。この道は使えない。大きく迂回するが、なんとか手薄かつ支援を受けられる方面を探そう」
「……」
言う通り、〝黒帝〟がいる教職員棟に通じる区画には魔人がひしめいていた。術士本陣が提供する全体マップが、それを示している。
理由としては、元々〝黒帝〟に敵の攻撃を届けるつもりが毛頭なかったこと、同時に彼の護衛を節約する意味合いも込め、そのエリアは戦力を置かずとも高い防衛力を発揮する構造にしてあったことが挙げられた。強固な教職員棟に施した防御処置に加え、魔王使徒の遠距離攻撃を防ぐ〝盾〟の役割として、装甲処理を行なった学院建造物が多く残してあるのだ。
選択的に配置した装甲遮蔽構造体は一種の迷路のような効果も発揮し、密集した魔人たちを阻みつつ進攻方向を誘導する。そこへ後衛などからの術攻撃で一斉に叩き、隣接するエリアの戦力で、敵の切れた〝尻〟を叩く。そういう趣旨のあしらいが第1エリアなのだ。
聖庭十二騎士団要員の交代度合い、そして換装用装備や物資をこしらえ続ける後方工房の稼動値がすでに許容量を大幅にオーバーしているため、度重なる魔人展開に対して百パーセントの戦力充当ができなくなっているのだ。そのため、戦力を節約するなら〝黒帝〟のいる1番エリア――そういう必然的な戦術判断だった。
そのことが、こんな形で自分たちへの壁となるとは。
自分たちをあざ笑われているような気がして、スフィールリアは歯噛みする。
だが、約束に加えて、彼女の焦りを引き留めて余りある材料もあった。
「ルーキー、大丈夫か」
「大丈夫、ッスよ、これくらい、地獄の研修に、比べりゃ、」
アイバは膝に手を着き大粒の汗を落とし続けていた。聖剣も横に突き立て、余裕がまったくない有様だ。
「主力とは言え、さすがに負担をかけすぎたな。どの道、回復薬も心許ない。彼を休ませる意味合いもコミで、一旦下がるしかない。スフィーちゃん」
「は、い」
無念の思いで、スフィールリアもうなづいていた。
その前に、辛そうに頭を振ったのは、また〝力〟の振幅に揺れそうになったせいだ。
もし自分に制御力があれば、あんな戦力さえ蹴散らせるかもしれない――そう考えただけで、途方もない深みから引っ張られるような錯覚に襲われたのだ。
だけど、今は、怖さしかなかった。先はとっさに〝力〟の位置をずらせていたのかもしれないが……次は、分からない。いや、少しも自信がなかった。さっきだって、漠然と……本当に漠然と思い出せるていど『願った』だけだった。力の方向性をイメージしたり、具体的な構成を編んだわけでもない。それなのに、あの強大な魔王使徒を瀕死においやってしまった。
もしそんなはずみで魔王使徒を倒してしまったら、テスタードはいったいどうなるのか。それをたしかめる前なのに。それに、今度は、勢い余って学院全体まで巻き込んでしまうかもしれない。
いや。
それ以前に制御自体に失敗して暴走したら……。
なにもかも保証がない。あいまいな雲の上に立っているようなものだ。少し歩き方を忘れてしまえば、その瞬間に、落ちる。歩けない。
そんな危険を踏んでアイバたちを巻き添えにしてしまうぐらいなら、騎士たちの最初の提案通り、なにもしない方がよい。
「センパイ……」
口惜しく、教職員棟の輪郭を仰ぐ。
「――! スフィーちゃん! 結晶体が集まってきてる。後退ルートも塞がれつつあって、急がないとマズい。今すぐ動いてギリギリだ。辛いだろうけど、走れるね!」
「っ、はい!」
その時だった。
『――斬り込みの武器が必要か?』
同時に、前方の結晶魔人の壁の向こうで、爆発のような衝撃が立ち上がった。粉々に砕け散った魔人の破片が、何体分も、高く高く巻き上げられている。普通の攻撃力ではない。
インカムに割り込んできた声は、固有チャンネルへの呼びかけではなかった。周辺範囲の声を拾う連携および状況把握用の周波帯。つまり、近接するだれかの班の。
こんな突出した場所に。しかもあんな密集した魔人の群れを突っ切って。いったいだれが。
と思うところなのだが、声には聞き覚えがあった。なにより、あんな派手なことができる人物に、スフィールリアはひとりしか心当たりがなかった。
また同様の衝撃。魔人たちがバラバラになりながらかち上げられる。そして――
『壁を突破しそうですわね。あとは一掃いたしますわ』
『頼む』
スフィールリアは叫んでいた。
「アリーゼルもっ!?」
呼びかける間もなく、今度こそ目前の魔人の〝壁〟が膨れ上がった光と熱と衝撃の中に消える。こちらにまでゴロゴロと転がってくる魔人の破片を聖騎士たちが慌てて確認する。コアの残存する再生可能体がいればとんだとばっちりだからだ。
「あ、あ……」
一方で、スフィールリアは目の前に釘づけになっていた。
もうもうと立ち込める粉塵の中を歩いてくる、人影たちに。その正体は。
『まったく、やれやれですわね。そんなフラフラよろよろの体で尻尾を巻く寸前だなんて――わたくしのライバル役の自覚がおありですの?」
「……アリーゼルーーっ!!」
スフィールリアは即座に飛びかかって、抱きついていた。煙を出るタイミングで髪を払って格好よく決めようとしていたアリーゼルの行動が終わる前に。
「ちょっと!?」
「うわぁー、ほんとにアリーゼルだよお。ちっちゃい、やわらかい、なつかしい、金髪ふわふわ……お上品なニオイの中にちょっとの汗くささが絶妙の調合いたたたた痛い痛いいだーーー!」
がぶーーー! と上着の上から二の腕をかまれて離れると、涙目で威嚇の息を漏らす小さなアリーゼルのうしろに、三倍ぐらいはあるんじゃないかという巨大な影がかかる。
「キアスさん」
影の正体は、言わずもがなキアス・ブラドッシュだった。
「かなりはっちゃけているな。通信で活躍を聞くだにヒヤヒヤしていた」
三倍は言いすぎだが、彼の身を隠せるぐらいの超大剣を持ち上げて運んでいるので体感ではもっとあるように思える。
そのうしろから、さらに顔を出した人物に、スフィールリアはまた声を上げた。
「お助けに上がりましたよ、スフィールリアさんっ」
「無事でよかった……」
「エイメール、フィリアルディ! な……なんで、みんなっ?」
近寄って腕など持ってくる彼女らとキアスを見ると、四人は皆まで言うなというような笑みで答えてくる。
「細かい経緯は保留するけど、あなたが心配になって。きたの」
「だいたい、同じ教室の一員としてもスフィールリアさんを助けない理由なんてないんですよ! だから命令違反してきちゃいました!」
「エイメール……キャロちゃん先生が。目玉の攻撃に。今、安否不明で。あたし、確認してる余裕がなくって、怖くて、」
スフィールリアが声を沈ませると、彼女はきょとんとしてからこちらを安心させるように笑みを見せてきた。
「キャロちゃん先生なら無事ですよ? 今はお怪我した教室の仲間たちに付き添って医療陣に。ただ、一緒にいたみんなと周辺の人を守ってご無理をしたみたいでタペストリー領域が閉塞しちゃって。一時的に言葉が出せなくなってムームー言ってましたよ」
それを聞き、見る見るスフィールリアの相貌から張り詰めたものの気配が退いてゆく。
「そっか……よかった……」
「それにしても、本当にお会いできましたわね。真反対から戦場をまっすぐ突っ切るだなんて正気の沙汰じゃないと思いましたけど……まるで未来の姿でも見えているかのよう」
「そうだね、それぐらいできるのかも。……あんなすごいもの見せられたら、そう思うよ」
思い出した風に会話しているふたりに疑問符を投げると、少し離れた位置にいるアリーゼルが気づいて、肩をすくめてきた。
「途中でこのキアス様にお会いできたのが幸いでした。もっとも、それさえ彼には分かっておられたのかもしれませんが」
「……?」
さらに分からず、視線はキアスへ。彼はどうしてここに、という疑問も込みで見つめると、彼は背越しに担いだ超大剣を揺すって強い笑みを見せてきた。
「そろそろ、セオリー通りの闘争は潮時だと思ってな。そんな時は君が動き出すのではないかと、はせ参じたわけだ」
「キアスさん……みんな」
同じように強く笑いかける仲間たちの姿に、スフィールリアは凝っていた胸の中心がどんどんと解けてゆくのを感じていた。
〝力〟からの呼び声が、遠ざかってゆく。
「情けないですわよ! こうだと決めたらテコでもバクダンでも災害でも譲らないクセに、今さらご自分に怯えてガタついてる場合ですの。いざとなったら引っぱたいてでも目を覚まさせて差し上げますので、さっさといつものトップスピードに入るですの。敵も生半可じゃないですわよ!」
「わたしは叩いたりしませんよ。でも、一緒に大暴れしましょう! 全力でサポートしますよ。キャロリッシェ教室のメンバーとして」
最後に、フィリアルディが手を取ってくる。
「わたしにできることなんて少ないし、足手まといかもしれないけど……それでも、あなたをひとりにはしたくないの。一緒にいさせて?」
スフィールリアはかぶりを振った。
「そんなことない……すごく、すごくうれしい。お願い、力を貸してほしい」
そんなやり取りを横に、キアスが、アイバの前に立っていた。
「少し『変わった』か?」
「ええ……? いやまぁ、バテバテ、へとへと、ボロボロっす、けどね。正直、ありがてぇ助っ人ですわ」
「助っ人か。たしかに彼女を助けにはきたが、君も含めていいのか? まあ、今さらものの数ではないし、いいのだがな」
む。とうなったアイバに、キアスは先とはまったく別種の笑みを浮かべた。高みから落とした大きな影と一緒に、放射して圧するような。そんな笑みだ。
「君とわたしの戦い方は似ている。薔薇の彼女とは違うなにかを手渡してやれるだろうとは思っていたのだ。……ああ。主力の温存、護衛対象の目標確保もかねて、先陣はわたしが請け負うさ」
「……」
「このような状況での戦い方を、ひとつ、見せてやる。君がなにかを学び、自分のものにできるかどうかは、君が選び取ればいいだろう」
アイバの目の色も変わっていた。うなづき、顎の汗を払い落とし、膝から手を離していた。
「……うっす! いっちょ、お願いいたしやす! 大センパイ!」
「うーわー、大先輩ときたか。ホントに大先輩だなー……」
「え、いいの? あの人とかこの人とかじゃなくて、わたしたちがまず一緒に作戦行動なんて」
「絶対あとからチクチク言われそうだが……俺たちも、なにか学ばないとな」
全員が、互いを、向き直った。
「ではいくか。目標は第1エリア、教職員棟。次の〝素材〟回収に向けて前衛エリアギリギリの敵結晶体の密集陣地を力押しで突っ切り、最短距離で護衛対象を目標地点まで送り出す」
うなづく戦士たち。
「物資もたっぷり準備してきましたわよ」
「かっさらってきたんですよね!」
こんもりといっぱいになった鞄を掲げて、術士組も応じてゆく。
「いきましょう!」
最後に視線を集めたスフィールリアがうなづき、そして――
膨れ上がった爆裂に、彼らすべてが叩き伏せられていた。
「うおわぁ!?」
魔王使徒が、再びスフィールリアの頭上に迫り、敵意に満ちた眼差しを注ぎ込んできていた。
「うう……」
なにより先に周りを見れば、仲間たちは全員が打ち倒されたままに地に転がっている。
キアスが怪物じみた〝気〟の出力と瞬発力でかろうじて威力を軽減してくれていたが、彼の武器は質量が凄まじいだけで特別な能力や耐久付与のない単なる鋼鉄の塊だ。超大剣は表面が泡立って変形してしまっている。疲弊していたアイバはとっさのことで力を出せなかった。
〝ギィィア……カァアアアア!〟
大口から、怒りと苦痛のままのうなりが漏らされる。
致命傷の再生は済んでおらず、そこに人類側からの度重なる攻撃を受けてズタボロという体。
装甲の亀裂から絶えず血をこぼし、赤く染まった単眼には余裕の色がまったくない。
そんな中、最脅威であると認めた彼女の姿を見つけて、なりふりかまわず仕留めにきたのだ。
しつこい。どこまでもしつこい。スフィールリアの脳裏に怒りの熱が再燃する。
視線に、力が、注ぎ込まれる。
スフィールリアの瞳も、応じるように〝金〟の輝きへ――
「こ、のっ……!」
「やめなさいっ!!」
魔王使徒へ腕を上げかけ、届いたアリーゼルの叱咤にビクリと止まる。
その機を逃す魔王使徒ではない。瞬間の差は絶対の優勢となって、問答無用の力が空間に注ぎ込まれる。
神のような魔王という存在。それらが世界に上塗って敷く運命の線には、しょせん自分たちなど抗えはしないのか。
「っ……!」
したくない覚悟を決め、目を閉じたスフィールリアたちの耳に破滅の焦熱の炸裂音が轟く。
しかし、その熱は彼女たちを焼き滅ぼしてはいなかった。
「立って」
涼風に揺れる、鈴のような声。
顔を上げた時、彼女の前に立っていた。
「ミルフィ、スィーリア……」
魔王使徒自身を覆い隠す巨大な爆裂華にフタをかける障壁を頭上に戴き。絹のような黒い長髪と長衣を爆風にはためかせ。
手に黒き長大な『縫律杖』を携えたミルフィスィーリアが、這いつくばるスフィールリアを見下ろしてきていた。
黒き輝きに満ち満ちた『縫律杖』は、スフィールリアへ誇るようにその全容を晒している。
杖の先端に在る台座に座る長い髪の乙女像は、今は両の腕を捧ぐように天へ向けている。その腕に抱くよう、多重の円と巡る星々が織り成す天球儀が開いていた。
圧倒的にして静謐な輝きは、その全機能と容量を、彼女が完全に従えていることを伝えてきている。
魔王使徒の攻撃を単身で防ぐという荒業を見せても、彼女の顔は普段の通り、涼しい。
それらの事実が、無言の視線が、スフィールリアへなにかを訴えてきているような気がした。
そして。
「立って」
もう一度、短い要求の声。
手を差し伸べることもせず、近寄ってくることもなく、ただはるかな高みから、その姿を見せつけるままに。
「……」
「立って。負けては、ダメ。あなたは、こんなところで手折られるために、わたしと出会ったんじゃ……ない、から」
「なにを……?」
アリーゼルたちが訝る顔をしている。
だが、一番近いスフィールリアには見えていた。轟然と立ちふさがるような彼女の瞳には、逆に祈るように真摯で懸命な光の揺らぎがあることを。
「そうじゃないと……わたしとあなたの、あの人の……」
「……」
相変わらず一聞では分かりづらい言葉。しかし今は、なんの、だれのことを言っているのか、分かるような気がした。金のバングルがかすかに震えている。
スフィールリアはそちらを見、次に彼女の『縫律杖』を見て……やがて、自分の力で起き上がった。
「分かったよ、ミルフィスィーリア」
億劫に服をはたき、肘を伸ばしてから、笑いかけて、
「そうだよね。こんなことで負けてたら、あの人に自信を持って会いになんていけないもん。もうちょっとがんばってみるね」
「……」
うなづいてくる彼女の瞳には、たしかにやさしい揺らぎが見えたとスフィールリアは思った。
「なんだかよく分かりませんけど、遠回しに照れ隠しなさったというのは理解しましたわ。助けていただいてありがとうございます」
同じく起き上がって集まってきたアリーゼルの皮肉にも気づかず、素直にミルフィスィーリアはうなづいて、一行が進もうとしていた第一エリアの方角を指差した。
「ここはまかせて……先にいって」
「え。でも……放ってなんかいけないわ。一緒にいきませんか?」
「……」
ところが。
本当に心配そうなフィリアルディの提案に、ミルフィスィーリアは、
「なあに、こんなの……わたしひとりで、充分、なので。すぐに追いつきます、ので」
「え? でも、この辺りは結晶体もいっぱいで」
そこで魔王使徒から再びの攻撃の予兆があり、ミルフィスィーリアは一旦頭上に杖を掲げて再防御に専念する。強化された障壁にまた爆焔が平面に遮られてから、向き直って、再び同じ方向を指差した。
「えっと。あんまり長く、持たないので。早くいってください。でも……なあに、わたしがひとりで倒しちゃうかもな。的な、ええと」
「矛盾してません?」
エイメールが首を傾げ、キアスがスフィールリアの肩を持った。
「持たないと言うなら、早くこの場を離れた方がいい。好意はさっさと受け取って、お互い離脱の機を逃さないよう努めるべきだ」
これには本気でありがたがる気配で、ミルフィスィーリアがうなづいている。
「分かった……いくね、ミルフィスィーリア。ここはよろしく!」
「まかせて…………あ、」
背を向けて慌しく走り出したスフィールリアたちは、次の言葉で盛大につんのめった。
「この戦いが終わったら、わたし……結婚、するので……」
「だれと!?」
心底ぎょっとして叫び返していると――すでにそれなりの距離になっていたミルフィスィーリアの華奢な身体がベシャリと地面に叩き伏せられた。魔王使徒の新たな攻撃が炸裂し、障壁にかかる圧と連動しているような動きだった。
絶句していると、その際に彼女の懐から転がり出てきたリスが、スフィールリアに「ねえこれ見てよ!」とでも言いたげな懸命さで一冊の本を掲げ上げてきた。
受け取り、表紙を眺めてみる。
『人づき合いを円満にする100の処世術大全 ~死亡フラグ編~』
「……」
『シリーズ禁断の書がついに登場! 本書シリーズの強大な力を借りてもなかなかお友達が増やせないアナタに捧ぐ。死亡フラグを効果的に駆使して明日からあり得ないほど絆が深まっちゃうかも!? ※使用は自己責任であり、細心の注意と、なにがなんでも生き残るという覚悟をお支払いください。万が一なにか起こりましても当書房は一切の責任を負いかねます。 王都人類文化学相関心理分類研究社書房出版』
帯の煽りはそんな感じ。
なんなのこの書房とスフィールリアは思った。
足元でリスがおいおいと泣いているのが痛ましい。
「とりあえずね、ミルフィスィーリア」
「……」
ざっと見た本をパタンと閉じ、
「結婚とか軽々しく言っちゃダメ!」
大きくバツ印を作って見せると、彼女は起き上がりながら、コクリとうなづいてきた。非常に素直だ。
だが、本当に分かっているのだろうか?
続いて、離脱を始めたスフィールリアの姿を見て怒りの咆哮を上げた魔王使徒からさらなる攻撃が降り注ぎ、そのたびにミルフィスィーリアが『縫律杖』を叩きつけるようにして壁を張って立ち回り始める。
「ああもう、いきますわよ! 死んだらおしまいですの! 生き残ったら結婚だろーが婚約破棄だろーがなんだってすればいいんですの!」
「う、うん。分かった。…………ありがとう、ミルフィ!」
「!」
目に見えて分かるほど震えて、彼女は振り返ってきた。
「あたしのこともスフィーって呼んでね! 終わったら一緒にごはん食べよ!」
「……」
コクコクとうなづき、また、立ち回り始める。
スフィールリアたちも走り始めた。
横からアリーゼルが不機嫌そうな声を投げてくる。
「よく分かりませんけど、それこそナンチャラと言うのでは?」
「うん? あたしもよく分かんないけど……でもアレは大丈夫じゃないかな」
ちらと振り返った背後の光景に、だれもが納得した気配を醸した。
障壁からのフィードバックで何度も転んだり吹っ転がされたりしてはいるが、攻撃自体の威力はまったく彼女に届いていない。それどころか魔王使徒の巨影は徐々に押し戻されつつある。凄まじいタペストリー密度、そして構成力だ。
術士ひとりが作り出す光景ではなかった。実際、戦士たちの漏らす息には畏怖の色さえある。
だが、頼もしい。暖かい。
独りじゃない、と、新たに実感が満たされてゆく。〝力〟に寄りかからなくても、進んでいける。背負い込まなくていい。
まるでひとつの美しい式が完結した時のように、今度こそ、胸のうちに開いていた穴が閉じる感触を覚えた気がした。
「まぁたしかに。規格外でありそうなのは分かっていましたけど……それにしても、ふん。ミルフィさんに、スフィーさんですか。ふん。どうしていきなり飛び越しで仲が深まってるんですの。わけが分からない人たちですの」
「えー? あ。よかったらアリーゼルもそう呼んでくれていいよ」
「……ふん。ついでのお目こぼしありがとうございます。けっこうですの! スフィー・ル・リ・ア・さん!」
「えー? アリーゼルなんで怒ってるの? 呼んでよー」
「いー、やー、でー、すぅーー!」
「えーー。アリーゼぇ~」
「馴れ馴れしいですの! 走りながらじゃれつかないでくださいな! しっし!」
…………という場違いに明るいやり取りを見て。
「……もう、大丈夫そうだな」
「……っす!」
キアスと彼女らを挟み後衛にいるアイバは、聖騎士と微苦笑を交わしていた。
そして、手始めの術士組の攻撃が魔人の壁に最初の突入口をこじ開けていった。
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