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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~  作者:
<3>魔王鳴動と開催前夜の狂争曲の章
107/123

■ 10章 そして、あしたへの扉を開いて(3-50)

(3-50)『fioritura-〝b〟』



「キュゥゥウウウウウウウウ――――――!?」


 ノルンティ・ノノルンキアの絶叫が響き渡る。

 魔王使徒はひたすら困惑したように辺りを見回し、瞳孔を見開いて打ち震え、大粒の涙をこぼしながら慟哭している。

 知ったのだ。

 己の努力すべてが引っくり返される反則が行なわれたことを。

 それでも、主たる魔王であるならばそんな反則技も、意にも介さずに跳ね除けられたはずだ。

 なぜ、なぜ――

 魔王使徒の嘆きの声には、主に対するその問いかけまでをも含んでいるように思えた。


「な、なんだ、これ――!」


「なんでいきなり夜になってるんだ!?」


 周囲にいた人間たちも異変に気づいてざわめき出している。

 時間はおそらく、およそ五時間前。最初の結晶魔人が射出された直後のあたりのようだった。

 突然のモンスター散布とその脅威度に度肝を抜かれていた場面。巨大な拳に応戦しようとしていた図から、両者ともに混乱して戦闘への気もそぞろにという瞬間が、今だった。


「え、あれ? わたし、ここ、違う……あ、あの、あの! ここどこですか……!?」


「配置が変わってるぞ――」


「敵の攻撃――!?」


「気を抜くなァーー! くるぞぉーー!」


 異変からいち早く立ち直ったのは敵・結晶魔人だった。元より〝兵〟は大した思考を持たされておらず目の前の敵に向かってゆくだけなので、標的が突如消えたり入れ替わったりしたことに戸惑っただけだろう。

 また、一斉に衝突してゆく。


 時間点はたしかに巻き戻った。だが、完璧ではなかった。

 相次ぐイレギュラー、急場の構築とリソース限界、そして術式に対する最大の障害にして異物である魔王の存在。さらに綴導術士の総本山たる<アカデミー>には時間逆行に対する耐性の素養を持つ者も少なくはなかった。それら要素の影響は受けざるを得なかった。


 結果、人員の配置も微妙に変わっているようだった。自分も元いた位置とは違うし、護衛の聖騎士たちの姿もない。今ごろは自分の姿を必死になって探しているのだろうか。

 戦場は混乱の極みにある。

 どうにかその場にいる戦力で連携を取ってこの急場を乗り切ろうと、互いに指示を投げ合う声や通信が、戦闘音にも負けぬ勢いで交わされている。


「みんなに……伝えなくちゃ!」


 ふらつきそうな足で、学院の芝を踏みしめて立つ。今まで重力の制約を受けていなかったことを実感する。

 ただちに学院長とテスタードに連絡を取ろうと耳元のインカムに指を触れようとして――その感触がないことに気づいた。

 愕然とする。装置がない。

 そうだ。あのインカムは『学院の秘宝』迷宮攻略にあたって改めて現場で調達されたものだった。『この時間』につけていたものは魔王召喚時の衝撃で紛失している。

 こんなところまであべこべなのかと絶望する。

 急いでだれかを捕まえて、インカムを貸してもらわなければならない。

 ――と。そこまでに思い至ったところだった。

 スフィールリアは、いつの間にか自分が周囲の喧騒から切り離されていることを察した。


〝……〟


〝……〟


 彼女を囲うように、複数の〝兵〟と〝将〟、結晶魔人が集まりつつあった。

 すでに、包囲されている。無言にて、まだ、増えてゆく。


「っ……!」


 あと退る。

 詰めてくる。

 円形の包囲の中で下がり続ければ別の壁に捕まるだけだ。どうしようもなく、スフィールリアは中央で立ち止まるしかなかった。

 やがて隙間が埋まり、外の戦場が見えなくなるまで狭まったところで魔人たちも止まった。

 ほかの〝将〟に合図を送るように手を挙げながら、一体の〝将〟が、円陣の内部へ歩み出してくる。

 その巨体の頭上には――憎悪に満ちた単眼を引き絞ってこの場を見下ろす、魔王使徒の威容が。悟る。ここは処刑場か。


「……だれかーっ! 助けてください! だれかーー!!」


 大声を張り上げるが、外側のだれかが反応した気配はない。だれもが今の状況にいっぱいいっぱいだった。

 しかたなくスフィールリアはポーチからなけなしの『キューブ』を取り出そうとする。こんな戦力では蚊が人間に与えるほどの戦果も期待できないが、戦闘音に気づけばだれかが駆けつけてくれるかもしれない。

 しかし、取り出したものを見てまた愕然とする。彼女の手に取り出されたものは『キューブ』ではなく単なる素材品の『クラン石』にすぎなかった。

 これも、後衛陣の緊急工房で作られたものだ。この時間ではまだ作成されていない。


「そんっ……!」


 さらに、漁る。漁る。素材品。素材品。成立せずに崩れ散った塵。武器にもならない『水晶水』――――

 スフィールリアの装備は、ゼロだった。


「…………」


 やむを得ず、唯一の武装であるシェリーから託された短剣を引き抜く。

 魔人は向かってきていた。

 六メートルには及ぶ高みから振り下ろされる両拳は彼女の体格からすれば猛悪そのものでしかなかった。


「っきゃぅあ!!」


 受け止めることなど考えることもできずに横へ跳ぶも、その巨体に比してもかなりの径を持つ拳を避けるには紙一重になりすぎた。

 すぐ真横で爆裂した土砂と衝撃に、スフィールリアは見えないもうひとつの手ではたき倒されたように吹っ飛び転がされて円陣の壁に打ちつけられた。


「がふっ」


 円陣を作る魔人から凶悪な足を叩きつけられて、再び中央付近まで蹴り出されてから。彼女は一斉に全身から沸き出した痛みにもだえた。

 この時点で、スフィールリアの体力はほぼ底を尽いてしまっていた。

 蹴りつけられた側の感覚はまだ戻らない。だが、起き上がらなければならない。


「……だれか! 助けてください! ここにいる…………だれかーー!!」


 叫びながら、ゆったりとなぶるように詰めてくる魔人の攻撃を必死に避けながら――

 スフィールリアは喧騒から切り離された処刑場を、ひとり、まろんだ。

 しかしやはり声が届いた様子はない。

 どういうわけか一箇所に固まって手を出してこない一団がある。この混乱の中にあっては好都合なことでしかなかっただろう。たとえ不自然や違和感があっても優先順位は落とさざるを得まい。しかたのないことだった。


「だれか――」


 そして、一瞬の判断が遅れた。側面から迫る一撃を避けられないと悟る。否応なく、極限・最大限のコントロールで受け流そうとして――そこで終わった。


「ッッ――――――」


 ほんの少し、かするていど、手を触れさせただけのはずだった。

 それだけだというのに彼女の全身はまるで坂道を全力疾走で転がり落ちてきた馬車に衝突されたかのような衝撃に見舞われて、きりもみをして宙に舞っていた。

 一瞬にも満たない間に何度も視界が暗転して、痛みを感じる間さえなく何度も他人事のような衝撃音と振動が身体を伝わってくる。スフィールリアは再び円陣の壁にぶつかって蹴り出され、地面に転がっていた。


「……」


 痛いのか、痛くないのか、寒いのか、熱いのか。よく分からない。自分がどこを見ているのかも。全身の感覚がなく、視界が暗い。許容量を超えたダメージに身体が意識を落とそうとしている。だが、立ち上がらなければ――


「ぐっ!!」


 頭が状況を把握するよりも前に、〝将〟の手のひらが押し包むように彼女を地に押さえつける。

 徐々に、力が込められてゆく。


「っかは……ん、ぐ、……だれ……かっ!」


 スフィールリアは抗った。感覚の戻らない腕に頭の指令だけで力を込め返して。

 身体能力増幅の指輪は機能している。だが、まったく問題にならない。

 相手は聖騎士をして最低ランクSと言わしめるモンスター。特別な能力こそ見られないものの、ひたすらフィジカル面に特化している。

 太刀打ちなど、できるはずもない。

 分かり切ったことだった。屈強な護衛もなく、その能力の媒体となる品もなければ……綴導術士とは、こんなにも弱い。


 悔しかった。

 弱い自分が。いつだってだれかに頼り、寄り添って生きてきた。フィースミールに助けられ、師に育てられ、友人の存在にすがりついて。学院にきてからもそうだ。学院長のやさしさに救われ、多くの人たちの助けを借り、フィリアルディたちにも救われて、ここまできた。

 しかしひとりになればとたんに弱さはむき出しになる。もろさが露呈する。非難もなく、悪意もなく、ただ、望みを蝕んでゆく。

 ここまできたのだ。ここまできたのに。もう少しで望む未来へたどり着けるかもしれないのに。

 ――ここにあるのだ! みなで立ち上がり、まとめ上げた希望のひと粒が!


「アレ、ティア、さっ……」


 だから、それでもスフィールリアは、頼るべき人々の名を呼んだ。


「キアス、さ……!」


 だが、だれも駆けつけてくることはなかった。真っ白になりつつある視界に浮かんでは消えてゆく。

 そんな幻像をかき消すように見えてくるのは、自分に覆いかぶさる魔人の無機質な目玉のような模様だった。

 そして、もうひとつ。

 そのさらに直上からこの場を見つめる、魔王使徒の巨大な目が。


「…………かふっ」


 スフィールリアから、息と、力が、一斉に抜けていった。元より大した力は込められておらず、魔人の手はなんら変化を受けた様子もなく、彼女の身体を地面へと押し込み続ける。

 視界が暗転する。感覚ももうなかった。ミリミリと自分に加えられてゆく圧力の音を、他人事のように聞いている。


 もしかしたらすでに自分は意識を失っていて、夢の中で半端に現実の続きを見ているだけなのかもしれない。そうだとするならば、肉が割れ、血潮が噴き出し、骨が飛び出すさまを自覚せずに済むのは幸いとは言えないだろうか。いや。そうではない。意識を復帰して、助けを呼ばなければ――

 混濁しきった泥のような意識の中で、彼女はまだあきらめていなかった。千路に消えうせようとする目的をつなぎとめるよう、必死になって思い出せる人々の名を呼び続けた。


 だけどそれももう保たない。もうすぐ本当の闇になる。無駄なあがきだったのか。今に消える。もう――

 その、思考とも言えない思考の終端で。


『もうダメだなんて言うなよ。俺もまだやれるぜ』


 聞こえてくる声が、あった。


(アイバ……)


『お前の力になりてーんだ』


 どこかで聞いた言葉。風景が。

 次から次へと。

 一斉にあふれ出して、走馬灯であるかのようにない交ぜになって流れてゆく。


『そういう危ない橋渡るんだったらまず絶対俺んとこにこいよ。そのヘンのヤツらなんざに任せておけるか』


『すまん……その日はムリだわ……ほんとすまん……』


『見て見てスフィールリアー! 面白い柄のカエル拾ったー!』


『危ないことするんだったら俺を呼べつったろ!!』


『すっぽかしたりしたらタダじゃおかねーからな!』


『なんだよまたやっかいごとかよ? いーぜ?』


『手伝うつったろ』


『まだ全部は終わってないさ』


『先頭にいるお前がやめるつったら、俺もセットでダメになっちまう。お嬢様たちもだ』


『そうしなきゃ、ダメなんだろ。そうしたいんじゃない。絶対に必要なことなんだろ』


『うまくいったら笑えばいい。嫌われたら一緒に笑い飛ばしてやる。借りは、返すぜ』


 だからこんなの当たり前で、大したことねーんだよ――


「!!」


 瞬間、意識が復帰する。白んでほとんどなにも見えない視界に、目の痛みだけを感じる。

 しぼり尽くされる手前の最後の意識のひとしずく。

 それが落ちきる前に、スフィールリアは、意味なども考えず残った最後の息で叫んでいた。


「お願い、アイバ…………あたしを…………助けてッッ!!」



「!!」


 戦場の一角にて。

 その異常な聴覚器官に知った声を捉えたような気がしたアイバは、虚空へ向けて顔を上げていた。

 無数の結晶魔人に組みつき、組みつかれ、がんじ絡めになった状態で。


「ロイぃ、もうダメだぁ~! どんどん集まってきてる!」


「筋肉の限界っ……も、ダメ……俺は死ぬんだ……」


「ちきしょうこんなところで俺は! 俺の愛を届けるまではっ! 師匠っぉ~~オォン!!」


 仲間たちの情けない声も届いてくるがそれはけっこうどうでもいい。それどころではない。

 殺人的アスレチックジムのようになった魔人の檻の中で、アイバは、不穏に鳴る自分の鼓動の音を聞いていた。


「スフィールリア……?」


 今のは、たしかに彼女の声だった。いや、悲鳴(・・)だったのではないか?

 彼女を探して焦る己の声が聞かせた幻聴か。

 だが、もし、なにかあったとしたら。


 いや――アイバは首を振る。今は妄想に駆り立てられている場合ではない。仲間を連れて持ち場を離れた自分がすべきことは、まず着実にこの場をなんとかして、それから着実に彼女を探して、合流することだ。そもそも彼女には自分などよりはるかに経験高く優秀な護衛がついている。


 だが。

 なんらかの理由ではぐれていたとしたら? ひとりかもしれない。それでも彼女は並の術士じゃない。ひとりでもかなりの力を発揮するし、そのしぶとさは相当なものだ。なめてかかれば痛い目を見るのは敵の方だ。


 だが。

 うまく動けない理由があったとしたら? この混乱で怪我をしたかもしれない。怪我をしただれかをかばっているのかもしれない。なんらかの理由で装備が使えない状態だとしたら?


「…………」


 不吉の音は、どんどんと高まってゆく。緊急を要すると叫ぶ自分と冷静でいいのだと諭す自分とがごちゃごちゃに入り乱れた。冷静になるべきなのだ。そうだ。さっきの教官だって言っていたではないか。冷静沈着な判断こそ正解である。お前は正しい、と。


 毒を吐くところしか見たことがないあのサド教官(やろう)が、だ。そうだ。規律を守り、セオリーに準じ、冷静さを貫いて手順を崩さなかった者こそが正しい勝ち筋をたどる。当然のことだ。自明の理だ。


『当然ながら、そのようなことはありはしない』


 また、別の言葉が――


「…………」


『お前は護衛職希望だったな? ならばわたしは、お前を評価はしない』


(なんだ? 俺はなにを見落としてるんだ? 俺は、なんのために出てきたんだ?)


 また、ぐるぐると混乱が加速し始める。

 なんのために出てきたのか。当然、彼女の力になるためにだ。だというのに彼女が無事でなければ意味はない。


 冷静に、最優先に置くべきこととはなんだ? もっとも恐れるべき想定とはなんだ? もしも今考えた通りのことが起こっていたとしたら?

 彼女は今も戦っているはずだ。あの時(・・・)のように、まただれかのために。


 あの小さな身体で。その小柄な身体の前に。この、バカみたいにデカくて暴力のかたまりみたいな巨体が立ちはだかる。

 あの時のように。

 屈強な護衛も、魔法のように便利な品の数々もなく。それでも彼女は立ち向かい、どうしようもなく傷つき、叩き伏せられて――


『護れよ』


 また、どこかで聞いた言葉が呼びかけてくるようだった。

 思い浮かべよ、と。

 アイバへ、致命的なミスをしようとしている馬鹿者へ、命じてくる。

 ――思い浮かべろ。


『お前が護りたいソイツが悲鳴を上げているぞ!』


 ――思い浮かべろ。


『お前の護衛対象がここにいたらすでに百回は死んでるぞ!』


 ――思い浮かべろ。思い浮かべろ!


『そうだ! 助けを求め――』


「う、」


 思い浮――


『お前の目の前でズタズタに引き裂かれて、死んでゆく様をなぁ!』


「――――うぉあああっ!!」


 それまでだった。彼の中から噴火のようにこみ上げて押し上がって噴き上がった感情が、焦燥も鼓動の音も、すべてを押し流して消し去っていった。

 魔人たちの姿もろともに。


 光の柱が上がっていた。

 広大に、長大に……結界の天蓋にまで届いて渦巻きながら広がる、大樹のような光の柱が。

 その光の奔流に巻き込まれて、魔人たちだけが消滅してゆく。


「ろ、ロイぃ、おま……?」


 光の正体は、あまりにも膨大な〝地気〟。

 大地に根ざした巨大な生命力のネットワーク。結界により集められ強調されていたそれらがまとめ上げられ、今、『世界樹の聖剣』を突き上げたアイバの下へと集っていた。


《アーキテクチャーモード、同調率、300パーセント》


(これだ……)


 当たり前にできるはずで、今までどうしてもうまく噛み合わせられなかった歯車。それが完全に噛み合った感触に、アイバ・ロイヤードは打ち震えていた。


根情報海遊航櫂羽セラフィック・セイバー、完全状態にて待機中。全能力使用可能》


 分かる。聖剣は無敵の能力を六つまで同時に行使することができるという意味だ。


(これだ……!)


《光霊炉コンディション、完全。供給率、完全。実領域への実体還元率を10パーセントに設定。変換率・通行料に問題なし。高次暫事(マイソロジカル・)象自由記(ディスクライブ・)述機関(マニューバ)、完全。固有絶対全次天球儀(プレ・アーキスフィア)の構築と仮想憑観測依擬人格OS、完全。全機能接続、完全。神霊炉の構築を試行、失敗――――》


 分かる。分かる、すべて。聖剣のことが、自分のことが、分かる。

 では他者に分かるように説明せよと言われたら無理だが。


(俺がセリエスに合わせようとしてたからダメだったんだ。いつだってセリエスが俺に合わせようとしてくれてたんだ…………なんちゃらモードって、俺のことだったんだ!!)


 光が、収まって。


「ロイ……?」


 アイバはきっぱりと仲間を振り返った。


「すまん、先いく!」


「え? あ、って、え?」


「あとは追ってくるかどっかの隊に合流して撤退するか、そんなんで頼むぞ!」


 そして、その姿がかき消えた。

 ように、見えたことだろう。彼らの視点からは。

 その通り、アイバ班の面々は口をぽかーんと開けたまま、彼がいた場所をしばらく見つめていたのだった。




《『時間流先行』『オーラブースター』、起動中》


「スフィールリアアーーーーーー!!」


 すべてが停止した戦場を駆ける。

 もはやすべてがクリアーだった。力の出し方も、力への疑問も、意義も、すべての問いと濁りは吹き払われて彼の味方になっていた。――この〝力〟の使い道。そんなものはとっくのとうに決まっていた。

 彼女の下へ。彼女が呼んだかもしれない方向へ、ただ、ただ。

 いなければ、探せばいい。見つかるまで、届くまで、手を伸ばし続ければいい。それだけのことだった。


「……! あそこか!」


〝………………〟


 停まった風景の中で。ただひとつだけ、自分と同じように動いている者の姿があった。

 魔王使徒ノルンティ・ノノルンキア。不自然に地表に近づいてなにかを覗き込むような位置にいたそれが、厳しい様子で引き絞った単眼をこちらに向けてきている。

 同時に、それまでは停まっていた結晶魔人たち。アイバの目指す進路上にいたそれらすべての文様が一斉に輝き、使徒と同じように動き出す。すべてが同時にこちらを向く。


「邪魔だぁああああああああああああ!!」


 すべてをアイバは蹴散らしていった。

 地を蹴り、人を避け、総合的にはイカヅチのようなジグザク線を描いて、軌道上にいた魔人たちが最初からそうであったかのように砕き散らされてゆく。爆発的な〝気〟を用いた力強い前進は教官のそれそのものであり、地に足を固定して人や障害物を迂回する動き・技術はアレンティアのものにも似ていた。今まで出会い自分を育んだ力、あふれ出す活力を止められる者などいはしない。


〝……ギ!〟


《警告!》


「ちぃ!」


 敵意と警戒に満ちた視線に、否応なく急制動せざるを得ない。たった一歩分の停滞。それだけで怒りが世界の総量を上回るようだった。ダンと力任せに聖剣を肩の上に置く。

 視線に、力が、集まってゆく。


「邪魔だって――」


 兆候なく瞬時にアイバの目前で発現した〝力〟は、聖剣により発動直前の情報段階で所有者情報を消し去られ、書き換えられ、絡め取られていた。


《『画一掃討翅』『強攻先頭子』》


「つってんだろうがッッ――――!!」


 丸ごと掌握した力を振るった聖剣で叩き返す。瞳の前で起こった大爆裂に魔王使徒が悲鳴を轟かせながら、高度を上げて退避してゆく。今はどうでもいい。

 走りを再開する。結晶魔人は硬く、一体ごとを葬るに要するエネルギー消費も激しいが、そんなことも問題ではなかった。なにも問題はない。砕く。砕く。目指す領域にたどり着くまで。彼女に肩を並べられる、その場所まで――


 そして、いた。

 固まって群れていた魔人をもどかしく踏み越えて、最後のひと跳びをした先に。

 戦い、傷つき、理不尽な力に組み伏せられ、力尽きようとしているスフィールリアの姿が。

 その瞬間、アイバの感情は振り切れ、途切れ、まっさらになった。

 わけがなかった。


「――なにやってんだ!!」


 力任せの一閃が〝将〟の巨体を斬断し、最後の障害は取り払われた。



 叫んだ――その瞬間に。

 なにが起こったのか、スフィールリアには即座の判別ができなかった。

 魔王使徒に大爆裂が覆いかぶさり、光の線のようななにかが降りてきて、頭上の魔人がまっぷたつになった。ただ、それだけのことなのだが。


「――――」


 まっぷたつに割れた魔人の中央に立ち、美しく長大ななにかを担いだ背中を見ていた。

 背中の人物が、ちらとだけ自分を見た。


(危ない!)


 その瞬間、円陣を作っていた数十体の魔人たちが一斉にその人物へ踊りかかっていた。これを切り抜けられる者はそうはいまい。だというのに、剣を担いだ人物は、


「ごめんな。もうちょっと、待っててな」


 ひどくやさしく、悲しげな声でそう言い残した。それこそがなによりも優先して果たすべき使命であったとでも言うように。

 そして、ふっと、仰向けの彼女の視界から消えていった。直後に、一転してけたたましい騒音がうろんな意識へ届いてくる。

 硬いなにかが砕ける音。地面を叩きつける音。硬いなにかが砕ける音。ひたすらに砕ける音。そして、咆哮。らしき声。


「っ……」


 自分を押さえつけている魔人の手のひらは残されたままだ。もどかしい思いでスフィールリアは身をよじって、どうにか顔だけを傾けた。


(アイバ……?)


 だった。見覚えのある影は。

 すでにそこかしこに積み上げられた黒結晶の破片の向こう。突進してきた複数の魔人を聖剣で受け止めている。


「……ふん! ぬっ! ど! っらあ、あああああ…………!」


 そこへ、さらに二体三体と同時に突進魔人が追加されてゆき、複数対一の相撲取り(レスリング)のような様相を呈してくる。さすがのアイバの足も押し込まれ始めている。

 そこへ、今度は彼の真横から殴りかかる〝将〟の姿が飛び込んでくる。バカみたいな構図は決して伊達でも冗談でもなかった。敵の狙いは、足止め。そして彼が馬鹿正直に真正面から受け止めていた理由は、自分を護るため。

 あぶない、とスフィールリアは再度の叫びを上げようとしたが、声が出なかった。出す間もなかったが。


「……おい」


 代わりに聞こえてきたのは、ため息のような声。

 アイバは、真横からの一撃を、差し出した片腕だけで止めていた。正面の魔人の群れを片腕だけの聖剣で受け止めて、踏ん張って。

 魔人の〝将〟は何度も力を込め直している。だが、びくともしない。身をもって体験した、あんなにも凶悪な一撃を。まるで、上から子供の手を押さえつけているみたいに。


「おい。お前らどぉおーーも分かってねぇみたいだから言うんだけどな。俺はな、今な」


〝――――〟


 だけではない。彼の指は魔人の結晶体を砕いて、食い込んで、つかんでいた。力を入れているように見えた〝将〟は、引こうとして引けていない図だった。

 その、拳が、ひび割れてゆく。

 腕全体へと広がってゆき、ついには……砕けた。


「もんのすげぇえ、怒ってんだよォおおおおおおおおッッッ!!」


 嵐が発生したとしか彼女には分からなかった。彼の正面にいた魔人の群れが文字通り砕けながら吹き散らされてゆく。真横の魔人も。

 大気そのものをかき回すように大きく聖剣を乱れ振りながらアイバが再び駆け出して、そのたびに精強な魔人たちが複数ごと砕け散ってゆく。バラバラと降り注ぐ破片が彼女を釘づけにする巨腕の手の甲に跳ね返り、ようやくスフィールリアは手だけが残されている意味を知った。アイバはそんな彼女の周りを周回するように駆けている。もはやこうなっては彼女に近寄れる魔人などいはしない。


「……」


 そこでスフィールリアは今度こそ力尽きて、上げていた頭を落とした。

 なんだ、これは。夢か。――まだ身体の感覚は戻っていないが、自分は笑っているのではないかと思った。それだけ現実感がまるで感じられなかったのだ。

 最後に思い浮かべていたアイバの姿がある。これほど都合のよいことが起こるものだろうか。自分は今、夢を見ていて、だから彼が妄想から実体化して自分を助けてくれたのだ。


 そうだとしても、うれしかった。最後に見る夢が悪いものでなかったこと。たとえ夢の中でも、助けにきてくれたことが。

 そして、夢でよかった、とも。

 たしかにアイバはそういうヤツだったろうなと信じられる。こんな、あまりに危険で過酷でむごたらしい場所にだって、飛び込んできてくれるような。だけどあんな思いはもうしたくないと、心底から思ったから。

 なにも分からない闇の中、胸のうちにたしかな暖かさだけを感じながら、スフィールリアは眠りの闇に落ちていった。そして――




 そしてもう二度と目覚めることがないと思っていた暗闇に光が差し始めていることにスフィールリアは気がつき、困惑していた。


「……フィー! スフィー!」


 声が、聞こえる。最後に聞いた声。なつかしき声が。


「スフィー! 頼む、目を開けてくれよ! スフィイーーイ!!」


 目を……開ける? 身体なんてとっくになくなっているはずなのに?

 少し、いやだ。せっかく暖かい気持ちで眠ることができたのに。死後の世界とかいう場所は死者に一時の安堵さえ許さずに行動を急かすのか?


「飲んでくれよぉ……反応、ぐすっ、してくれぇ~え! 死ぬな、死ぬなよ、スフィィイルリア~~~~~~あ!!」


 飲む、とは。飲めばまた寝かせてくれるのか。でも……なにを? いやその前に、死ぬな? 帰れとでも言うのか。まさかの天国門前払い。では地獄にでも落ちるのだろうか。それもいやだ。言うことを聞くのでよきに取り計らってほしい。いやでも、師匠も間違いなく地獄に堕ちると思われるので、待ってあげるなら地獄の方がいいのか。いや死ぬなってそういう意味か? いやその前に飲むってなんだ? なんだか口に違和感が……あと微妙に苦しい…………違和感、苦しい…………感覚?


「……ごぶ!!」


 のどに詰まっていた液体を盛大に押し返して、スフィールリアは起き上がっていた。


「げぼごぶごほエホごふゲッホゴッホ!!」


「スフィー!!」


 ついでに口いっぱいに詰め込まれていた回復薬の小瓶を四本ほど、吐き出しながら、


「要救助者が、嚥下できない…………または意識がない状態っ、ではっ…………ふりかけてもいいヤツ…………これっ……………………!!」


「うおおお~~~~~ん…………!」


 さらに二分ほど、涙混じりにむせ返ってから。


「……アイ、バ?」


 イモ畑の土から我がもの顔でイモ型のダイコンが出てきたような心境で、スフィールリアはきょとんと目を瞬かせていた。

 そのアイバはと言うと、一回ぐっとなにかをこらえるように身を乗り出しかけて、やっぱり止めて。


「すまん……遅くなって」


 と、頭を下げてきた。


「……」


 周囲には魔人の残骸がおびただしいほどに転がっている。こうなってはしばらく近寄ってはこられないのだろう。さらにその外側では、いまだに戦闘が続いていた。

 それらの光景が、頭に浸透してきて。

 眠る前に見たアイバは夢ではなかったのだとスフィールリアは理解した。


「どうして……!」


 ゾッと冷えた胸のうちのまま、青ざめさせた顔をスフィールリアは向けた。


「どうして、こんな……ところに。死んじゃうかもしれないのに。あの時みたいに……!」


「お前が死んじまうよりよっぽどいいさ。護れてよかったぜ」


 だが、アイバはそう言って笑うだけだった。


「どうして」


 繰り返す。ぽろぽろと涙をこぼしながら。彼女自身でも分からない二度目の問いをどう受け取ったか、アイバは笑って彼女の涙を拭い、ほがらかに答えてきた。


「なんだよ、前も言ったろ。――お前の力になりたいんだ」


「……」


「手伝うつったじゃねーか。俺がそうしたいからそうするんだ。俺のため。だからこんなの大したことじゃねーんだってさ。あれ? いつ言ったんだっけか?」


 そこまでを言い切ってから、小首を傾げ、すぐに「まぁいっか」と自己解決する。

 また、顔を向けてくる。少しの疑問も、迷いの余地もない顔で。


「呼んでくれたんだろ。俺が呼べつったんだから、それでいいんだよ。何度だって呼べよ。何度だって手伝ってやる。俺がそう決めたんだ。どこにいたって駆けつけてやる!」


「……」


「どこにいきたい? なにがほしい? ――どこにだって俺が連れてってやる。なんだって取ってきてやるよ。お前がいきたいトコ見たい風景、それを邪魔するヤツ俺が全部張っ倒してやる! そしたらみんなで乾杯だ……そいつが楽しいんじゃねーか! 俺はそのためにもう一度この道いこうって思ったんだからよ! だからつまんねー遠慮なんかしてがっかりさせんなよな! なぁ、スフィールリア!!」


 スフィールリアはしばらくなにも言えなかった。

 ただ不意とまぶしすぎる光に当てられたように、目を細めて、停止して。

 そして言葉の前に一度、触れるよう軽く、彼に抱擁していた。


「ぅお、お、おい……!?」


「ありがとう、アイバ」


 うろたえる胸の服をつかんだまま、スフィールリアはその場から顔を上げ、決然とした眼差しを彼へ送っていた。

 告げる。


「連れていって、あたしを。センパイのところへ」


 彼女の、願いに。

 一時きょとんとしたアイバは、やがて、赤らめさせていた顔を力強くにやりとさせた。


「いいぜ。やってやるよ。今、なんだってできそうな気分なんだ」



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