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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~  作者:
<3>魔王鳴動と開催前夜の狂争曲の章
105/123

(3-48)


 不安定な地形と化した学院を駆ける。


「<近くの森>のもっとも古い〝奥地〟に、小さな遺跡があるのは知っているかい」


 ラシィエルノが示した『学院の秘宝』正規のルート入り口は、学院東方面に存在する<近くの森>だった。

 森が意外と奥まで続いているのは知っていた。しかし、学院生が最初に挑むことになる再初級採集地が、最上級の秘宝へと至る入り口であることは意外と言うしかなかった。

 一同は今は隊列もあまり考えず一心に駆けている。一応は斥候と戦闘班、物資や装備を運搬する班には分かれている。『召喚機』も適当な材木でくくりつけて聖騎士四人がかりで担ぎ、高速で走っている。


「そこは、いつだれが作ったのかも定かじゃないゲート機能が備えられている。一説では学院創始者であるフィースミール師が『学院の秘宝』を隠すために作ったのだとも言われているが」


「おそらくそれは違うわね? わたしはフィースミール師から学院のすべてを支配する『鍵』を預かっているけれど、あの施設はこれには反応しない。どちらかというと王城と王室に関わる、あるいはそれに連なりもっと古いシステムだとわたしは睨んでいるわ?」


 奥地に入ると森の雰囲気が少しだけ変わるのは事実だ。森のもっとも古いこの部分は植生も少し違うし、大半を支配して分布している『コケコックル』たちもこの領域には入ってこない。

 特別に獣の危険度が変わるわけでもない。だが、ここにあるなにかを恐れるかのように。


「ここだ。――ゲート起動準備! みなさんはすぐに入ってください!」


 二十分ほどで到着する。森の中とはいえ元より比較的開けた土地であったこと、ラシィエルノたちが最短の道を心得ていたし、魔王使徒の圧力で獣たちはなりを潜めていたこともあり、ほとんど障害なくたどり着くことができた。

 木立が少し開けた場所に遺跡はあった。苔むし、いくつもの樹木に絡みつかれ、崩れかかっている。

 構造はシンプルなもので、内部は一間取りきり。円形の、なにかの集会か儀式場のような石室となっていた。そこへわらわらと慌しく全員が駆け込んでゆく。

 装備の確認をすること五分。真っ先に中央の石柱へ取りついてタペストリーを編んでいたラシィエルノたちが、全員へ振り返った。


「起動します。ここから場所が切り替わって、別の森に出ます。〝地上〟へ着いた時から戦闘に備えてください」


 騎士たちの顔に了解の気迫がこもり、術士たちが装置を起動させた。

 石室の壁の闇が消える。

代わりに現れたのは、空。そして、柱だった。

 驚きの声が少なからず聞こえる。

 全体的には紫色で、しかし水彩画のようにすべての色の境界がぼやけていて、奇妙な色合いだ。それが歪みながら延びて、円形の地形の縁に結びついているようにも見える。

 柱に見えたのは、よく見れば大樹の幹である。

 広大な空間をドーナツ状に切り取るほどのとてつもない大樹。梢は見えず、紫色の空へと溶け込んでいる。

 総じて閉塞感を覚える空間だった。外という感じがしない。地下、というのはある意味で正しいのかもしれなかった。学院の地下にこんな広大な空洞はないはずではあるが。

 その地上には、くすんだ色合いの森が広がっている。自分たちが立っている石床は中央の石柱に光の一本線を渡し、エレベーターのように垂直かつ高速で下降していた。


「あの、向こう側に見える遺跡のようなものがダンジョンの入り口です。ほかの方向の建物はすべて『ハズレ』。森全体が防衛機構として働きますが、時間を考えるととてもではないが相手にしてられません」


 その一点、大樹の根元を指して、ラシィエルノが入り口の場所を伝える。石製の建造物は空から見れば分かりやすく突出しているし大樹が大まかな目印にはなるが、森へ入れば正確な位置を見失いそうではあった。


「分かった。警戒輪で露払いしながら強行突破しよう」


 アレンティアが即断して素早く班分けを開始する。その間にエレベーターは地上へと到着した。

 飛び出し、まず目指す遺跡の方角へ照明弾を撃ち上げる。

 光が弾けるのを合図に動き出した。


「散会!」


「走れ、走れ!」


 一斉に森へと入る。


「気配が変わった!」


「これは、敵意だ。あからさまだな!」


「森が……」


 比喩ではなく、ざわざわと森がうごめき始めた。


「うおっ!?」


 蔓が、枝が。

 針のように鋭く一行の前衛部隊へと襲いかかり、地面に突き立った。

 同時、木立を数枚隔てた向こうの森からも爆炎が噴き上がる。


『警戒輪三班、会敵した! 樹木のバケモノと獣のモンスター! 大型も小型もいて厄介だぞ!』


「『ワイヤード』が使用可なのは助かったが!」


「おい、あれのことじゃないか!?」


 ちょうど、うごめいていた樹木のいくつかが、足でも引っこ抜くように地面から太い根を持ち上げるところだった。

 信じられないことに、そのまま、歩いて向かってくる。

 よく見れば動く樹木はほかの樹木とは質感が違った。樹木と同じ性質の外皮を鱗のようにまとい、内部には動物に肉に近い組織がうごめいているのが見える。

 目の代わりということだろうか。音を立てながら梢を揺らし、ひゅんひゅんと常に蔓を振り回しながら的確に隊を狙ってきていた。


「応戦ー!」


「〝央根〟を狙え! 火は足止めにはなるが効かない! こちらが窒息するぞ!」


「薬品系は温存しろ!」


「無理に倒そうとするな! 隊が通る道を作ればいい!」


 ラシィエルノたちからの情報提供もあり、一見して危なげなく対応してゆく。

 しかし問題は物資。そして時間だった。

 一般的に考えて死者の復元・蘇生に関わるタイムリミットは最大で半日、多くは六時間以内だと言われている。それ以上をすぎれば物質的な修復を果たしても精神、魂と呼ぶべきものが戻らない。あるいは無理に肉体の生命活動を復帰させればまったくの別人になってしまう事例もある。


 時空の圧縮も厳密に言えば復元にあたる。

 完全な意味で時間を巻き戻すのではなく、記録に従って全物質配置を再構築するだけだ。すなわちこのタイムリミットをすぎれば物質だけ戻せても〝壊滅〟という状態は回復できない可能性が高い――。

 ひとつごとの障害にかまけている時間はなかった。


『こちらも会敵した! 敵影多数! わんさと集まってきてるんじゃないか!?』


『警戒輪を維持できるか分からない! 可能な限り足止めはする。中央隊は先にいってくれ!』


 加えて、森そのものが敵になるという事実はなによりも厄介さを伴って彼らの焦りと疲弊を誘う。

 森を構成する樹木が動く。森が動く。地形は変わり、足は鈍り、方角も定かではなくなる。

 照明弾の効果が生きているうちに駆け抜けなければならない。


「走れ走れ! 一気に駆け抜けろ!」


 うしろに流した残存敵性体は一定引きつけて術士勢の攻性アイテムがなぎ払う。退路を一切考えていない者だけにできる決死行だ。

『召喚機』を持つ中核本隊の周辺に斥候・警戒兼、露払いの戦力が周回して安全域を確保する警戒輪の陣。これを維持しているからどうにか進めている。

 が、文字通り包囲制圧を受けている図では長く保たないことは分かってもいることだった。


「うおわっ!?」


 地面が丸ごと盛り上がり、土中から、ひとつながりになった無数の根が隊の一部を絡め取ってゆく。『召喚機』はギリギリで護られた。


「いけぇ! ここで食い止めるっ!」


 大量の樹木に絡みつかれつつ同時にかじりついてもいる聖騎士らの姿にアレンティアが振り返ったのは、一瞬だった。文字通り即断し、走りを再開する。


「いくよ!」


「でも、アレンティアさん!?」


「どのみち三班の合流が難しくなってた。警戒輪も限界! こっからはがむしゃらに走り抜けるしかない! 足止めも必要! わたしたちが失敗すれば全部無駄になる! いくよ!」


「っ……!」


 是非を問う間も許されず、走る。振り切った後背の景色からおびただしい爆炎の柱が上がる。

 だが、走る。走る。迫りくる森を強引に切り開きながら。


「一班、応答途絶!」


「四班応答途絶!」


「二班より伝言――『あとは任せた』! 警戒輪全滅!」


 やがて中央隊だけになり、周囲からの戦闘音も聞こえなくなる。一気に静まり返ったように思われた。

 物量が違いすぎる。


「丘陵に出る! 折り返し地点だ!」


「――――!!」


 木立が開け、見晴らしのよい道に出る。

 そして、見えた。

 大樹の向こう側の遠景に、森を押しのけて生え出してきている巨大な樹木のモンスターが――三体。

 どれも百メートル高以上はある。

 巨大な根で大地から光のようなものを吸い出し、腹(?)の文様へと注ぎ込みながら、ゆったりと歩いてくる。

 その頂点には、いびつな四重の光輪が輝いていた。

 駆け抜けながら、目などないというのに明確に視線が合致する感覚を味わう。


「暫定最大脅威対象を目視。ランクは不明」


「ありゃあヤバそうだ」


「情報はっ!?」


 ラシィエルノが首を振った。


「すみません、調査段階では遭遇したことがありません。未知のモンスターです」


「ヌシってところだな」


 よく見れば、光を吸い上げるほどに周辺の木々が枯れ果ててゆく。比例して、巨大樹の文様の輝きは高まっていっていた。


「あれ、遠距離攻撃じゃないのか? あの距離からこっちをなぎ払えるなら本当にヤバい」


「のっけからこんなに意地悪づくめだなんてね。――しかたがないわよね?」


 走りながら、フォマウセンが、縫律杖『オーロラ・フェザー』を顕現させる。

 その乙女の像の頭頂へ、光とともに亜空より解凍された素材品が溶け混ざってゆく。ガラスか水晶の共鳴のような澄んだ音を高め、高め、急速に完成へと至ってゆく。

 やがて、姿を現したのは、みっつの輝く立方体だった。


「『レベル70・キューブ』」


 輪郭さえかすんで見えるそれらを、フォマウセンが縫律杖ごと、みっつの化物へと振り向けた。


「いけ」


「――――」


 直後。

 地形が変わってゆく様を、一番よく見える場所から、一同は目撃した。

 みっつの方向へと目がけて飛翔してゆく『レベル70・キューブ』。その軌跡に空間という空間をねじって巻き込みながら進み、あまりに広大な範囲で森が抉れ、消失してゆく。

 やがてたどり着いた、巨大樹モンスターの直前で炸裂した。

 立方の輝きが溶け、渦を巻きながら膨れ上がってゆく。ゆっくりと静かに、だがたしかに破滅を感じさせる圧力をともなってどんどんと巨大になり、ついには化物を覆い隠すほどの光になってから――

 爆発した。

 それぞれが一キロ径はある巨大な光の柱が噴き上がる。モンスターと、モンスターの背後の森。そしてその周囲にあるすべてが殴り倒され、掘り返され、すり潰されて、塵に帰ってゆく。

 その破壊の総範囲は目測だけでも百キロメートル四方に及んだ。


「ッッッ…………!!」


 当然ながら余波だけでこちらまで吹き飛ばされかねないほどの衝撃が届き、それが収まるまでたっぷりと数分間、必死にこらえながら走る。が、それでもフォマウセンが杖でかなりの広範に渡る緩和壁を張ってくれているらしかった。


「見たかスフィールリア。なんて威力だよ!」


「これが学院長殿の力の一端か……」


 森は見渡す限りが抉れ、地表が露わになっていた。これが通常の採集地であるなら環境そのものの死滅となっていたことだろう。


「この先なにがあるか分からないから、できれば力は温存しておきたかったのだけれど。しかたないわよね?」


「どちらにも同感です」


 ラシィエルノがうなづく。たしかに、まだダンジョンにもたどり着いていない段階だ。フォマウセンの力はあらゆる場面で切り札となり得るジョーカーと言うべき存在だ。できれば最後の場面まで切らずに取っておきたいのが全員の本音だろう。この光景を見たあとならなおさら。

 ダンジョンの入り口へ至る距離も、『キューブ』が空間ごと巻き込んで突き進んだおかげでかなり見晴らしがよくなっていた。

 これなら前半ほど苦労はすまい。

 そう思い始めた時だった。


「あら、まぁ」


 驚きの声は、全員から上がっていた。

 彼方の景色にうずくまっていた膨大すぎる噴煙が薄らぎ始め、そこに、巨大樹モンスターの

影が見え始める。

 二体は大半を消し飛ばされて生きているかどうかも分からない。が、一体はどういう手段でかこらえ切ったらしい。こちらから見て右半分の幹の大半を滅ぼされつつも、再び文様への光の供給を開始している。


「ちょっとプライドが傷ついたわ? もう一発ぐらいいっとく?」


 ぎょっとした一同を代表して、ラシィエルノが遠慮がちに声を上げた。


「頼もしいですが、今は最短時間で駆け抜けることを優先しましょう! 先生のお力はこの先かならず必要になると思われますものでっ!」


「分かっているわよ。ちょっと冗談。ね?」


 疑わしかったがそれは口にはせず、丘陵を駆け下りる。


「森が――」


「復活するのか!!」


 比較的平坦な荒地を選んで一気に駆け抜けようとした一同を引っぱたくように待ち受けていたのは、あまりにも急速に再生してゆこうとしている森の木立の光景だった。


「急げ!」


 結論はシンプルだった。少しでも楽なうちに駆け抜ける。

 が、まだ低い森に入りかけた途中で、唐突にスフィールリアは立ち止まった。


「ばか、スフィールリアっ!?」


「近づいてんじゃねぇぞ!!」


 アイバとテスタードが血相を変えて引き返してくる。

 だがスフィールリアはそれどころじゃなく、駆け寄った若木の一本に手を触れさせていた。この木はモンスターではない。

 知っている感覚だった。


「この木…………なんで!」


 蒼導脈を通じて心と力を通わせた瞬間、木に――光が灯った。

 一斉に。触れた木だけではない。再生途中の森の果てまで、淡い桜色の光が花弁か実のように灯って、一行に〝道〟を示した。

 それだけではない。目指す遺跡が寄り添う大樹の幹も同じ色に発光している。

 驚いて見上げたフォマウセンが声を上げていた。


「世界樹!! ここは王城の地下領域だったのね!」


 追いついてきた怒り顔のテスタードたちに弁明するように、スフィールリアは解説した。


「この木……桜の木なんです。ウチのお庭に生えてる桜のおじぃちゃんとおんなじ!」


「あ、ああ。言われてみれば同じ木なカンジだな、こりゃあよ……」


「よく見たら今までの主流の木と違うね」


「上から押さえ込まれてたのか、今まで。樹木のバケモノどもに」


 桜の樹と『つながった』時の感覚で言えばおおむねその通りだった。深い地下の領域は桜の根が支配しているが、その上からモンスターたちの層がかぶさって力を吸い取っていた。

 光の道を指差して、


「『こっちだよ』って……教えてくれてます! 木のバケモノが生えない〝道〟です! いきましょう!」


 どのみちあらゆる点で時間はない。うなづき、走りを再開した。

 どんどんと高さと威圧感を増してゆく森の中で、桜色の光が示す道だけは、たしかに樹木のモンスターが生え出してこないようだった。一度掘り返され、土地に対する桜の支配力が戻りつつある。


「こんな『正規ルート』が隠れてたなんてね……」


 そのスフィールリアを複雑な表情で見やりながらの、ラシィエルノのつぶやきが聞こえた。


「ほしいな」


 という言葉は、ひとまず聞き逃したフリをした。

 とはいえモンスターは移動できる。

 彼女たちを発見してたちまちに襲いかかってくる〝森〟を、もはやなりふり構わず彼女たち自身も窒息しかけながら焼き払って進んでゆく。

 かなりのペースで進み一時間前後で、ついに遺跡の姿が見えてきた。


「走れ!」


 何度目か分からない合言葉とともに足を速める。

 その瞬間、広場に出ようとした一行の足元が津波のように盛り上がった。


「――――」


 大地を割り、巨大な桜の根の網さえ押しのけて、別の根が荒れ狂ったように持ち上がってくる。

 大樹のモンスターだ。地面の下の再生を優先させ、桜の根よりも深く潜り、ここまで回り込んできていた。

 あまりにも巨大な樹木が生え出してこようとしている。その中で、隊のうしろ半分ごと『召喚機』が絡め取られる。

 ――直前に、アレンティアとウィルベルトが動いていた。取りついていた根を切り払い、強引に前へと蹴り出す。

 結果、『召喚機』はスフィールリアたちと一緒に遺跡前の広場に投げ転がされることになった。


「アレンティアさんっ!?」


 だがアレンティアたちは遅れた。伸び続ける大量の根に足などを絡め取られて、はるか頭上へと持ち上げられてゆく。


「いって!」


 あらゆるものを斬り裂く『薔薇の剣』を持つアレンティアなら脱出が可能ではと思ったが、どういう理屈か根は絡みついた『薔薇の剣』の刀身に一体化して、侵食を始めているようだった。まとっていた薔薇の鎧も剥がされていた。

 なにも言わず、だれかがうしろから肩を引いてくる。強く。スフィールリアは抗った。


「アレンティアさんっ!!」


「あとはお願い! うまく生き返らせてね!」


 逆さまのまま、軽快にウインクをした(かもしれない)姿が――消えていった。

 津波のように増殖して押し寄せた根に押し潰され、飲み込まれて。


「――」


 その瞬間の感情をスフィールリアは理解できなかった。ただ、ぞわりとした感触だけを覚えている。


「き、え、」


 その、瞳に、〝黄金〟の輝きが瞬いて――


「ろォオッッ――――!!」


 声さえ裏返してスフィールリアが叫んだ瞬間に。ごっそりと――消えた。

 百メートルを超えようとしていた巨大な幹、根、それを伝い、遠方でつながっていた大樹のモンスター――――すべてが。

 なんの脈絡もなく、抵抗も衝撃もなく、存在を消失させた。


「んなっ――――!」


 だれかの驚きの声は騒音にかき消される。根に持ち上げられていた大量の土砂や森の構築物が降り積もってゆく。

 遺跡方面に下がりつつ数分、呆然としながら見守っていると、土砂の一角から「ぷはっ」と声を出しながらアレンティアたちが顔を出す。

 スフィールリアは転がるように駆け出していた。

 土砂のふもとにたどり着く前に平衡が分からなくなってふらつき、駆け下りてきたアレンティアに抱き留められる。


「アレンティ、さ、ん。よかっ……た……!」


「スフィー、目が、その光…………大丈夫?」


「……?」


 わけが分からずスフィールリアが取りすがるように彼女の瞳を見上げると、その瞳の中で、小さな輝きが薄らいでゆく。それと同時に、アレンティアの表情も和らいでいくのが分かった。


「……消えた。ありがと。また助けてくれたね」


 スフィールリアは自分がなにを言いたいのかも分からず、目尻に涙を浮かべて、ただ首を振っていた。


「今のはいったい……どちらかがなにかを?」


 遅れて駆け寄ってきた面々に、アレンティアはスフィールリアの肩を支えながらかぶりを振った。


「細かいことはいい。まだ同じのが出てこないとも限らないでしょ。早くいこう」


 うしろの土砂からも同意顔をしながら残存メンバーが降りてくる。怪我をした者は多いが、奇跡的に死者は生じていない。やわらかい土砂が緩衝材になってくれたようだった。

 反論の余地もないことだったので、ただちにそのようになった。

 遺跡の内部へと入り、三十メートル大はある巨大な門扉の前に出る。


「ここで一度『偉大なる鍵』を使いますが……不完全であるため、開くかどうかすら分からない。開いたとしても、正しい道につながるかどうかも未知数です」


 ラシィエルノたちが扉を開くアイテムの準備をしている間に負傷メンバーに最低限の治療を施し、なりゆきの上だけでの短い休息を取る。

 この時点でメンバーは三割が減り、持ち込めた回復薬も半分を消費してしまった。

 薄暗い広場の一角で、アレンティアはおぶっていたスフィールリアを降ろして息をついた。


「すみません……」


「大丈夫。大きな力を使って疲れちゃったんだね。目的の場所まで、今度はわたしが助けてあげるからね」


 実際、アレンティアの言葉が正しいのだろうとスフィールリアも思った。あの瞬間――〝金〟の力を暴発させていた。自分でもあんなことができるだなんて思っていなかった。

 自分の中にある〝黄金〟の素養。師が言及した〝全能〟の力。

 その広大すぎる能力の範囲に、自我と呼ぶべきものがついてゆき切れなかった。消失しかかった。結果として膨大な喪失感が疲労に置き換わって残ったのだが、廃人にならずに済んだのだから僥倖と言うべきなのだろう。


「その〝力〟で、一番の大仕事が残ってるんだからね。気にしないで、寄りかかっててよ」


 その〝金〟の素養が持つ特性――〝全能性〟とでも呼ぶべきものが、鍵になる。以前の解析機でテスタードもその〝力〟の一端を知り、今回の作戦を思いついた。

 万能、全能であるから、あらゆる術式・すべての事象に対する〝無干渉〟も可能となる。

 なんの抵抗、一切の障害もなく、時間逆行の中でも存在できる。異物による術式失敗のリスクもぴったりゼロにできる。

 巻き戻った時間を認識するのは、スフィールリアの役目だ。

 アレンティアへ、うなづきを返す。

 彼女も承知したように「うん」と笑い、次に、息をつきながら周囲を見渡した。


「しっかし、この時点で実質壊滅だねぇ。スフィーがいなかったら半分以下だったけどね」


「こっからが本番なんだろ、大丈夫なんかよ……? どんぐらい広いんだ?」


「もしも王城のダンジョンと同類なら、理論上は無限の広さを持つことも可能だわね? 下手をすると出口を失って永久に彷徨うことになるわよ?」


 学院長の答えに、アイバが「うへ……」とうなだれて疲労の息を吐き出す。

 気持ちはだれもが同じだろう。

 だが、学院長は軽快に片目を瞑って先行きを保障した。


「反則技を使ってやるわよ。そのためにいるようなものなんだから。あるていど構造を把握したら強制的にショートカットできる。一気に目的地近くまで飛ぶわよ」


「おぉ……!」


「まぁ、反発でわたし自身とこの場の全員がダンジョンごと爆散する可能性もあるけれどね?」


「うへ……」


 ほどなくラシィエルノたちが『偉大なる鍵』の準備を終え、号令とともに全員が扉の前に集合した。


「『無駄撃ち』はできない。一発で決めるよ」


『はいっ!』


 ラシィエルノを筆頭に、泥だらけの女子たちが気勢を上げた。

 彼女の手のひらに浮かぶ半透明の光で構築された角錐型の立方体。それを見たアレンティアが微妙に苦い顔をしている。

 ともかく、『賢人の茶会』の面々が鍵を起動する。特別に目に見える予兆が起こるわけでもなかったが、扉は反応した。

 地響きを立てながら両開きに開いてゆく。


「いこう」


 振り返ったラシィエルノがうなづきかけると同時に、扉の隙間から一斉に入り込んでゆく。


「……」


 扉に入った直後の地点で、地下サークルの首領が立ち止まっているのが目に留まった。彼の前には、柱にもたれかかるようにして座り込む一組の人骨の姿がある。

 その大柄な背中へ、止まらぬまま、ラシィエルノの声がかかる。


「目的達成ということで別れてもいいが! この先が真の道なのだろう!?」


「……クック。小娘め。分かっているわ!」


 遺体へ深く一礼をし、首領も再び駆け出して今度は先頭を追い抜いてゆく。


「ゆくぞ、我が同胞はらからたちよ。秘宝を真っ先に目にするのは我らである!」


 黒ローブたちが呼応し、たなびくマントに追従してゆく。


「ああもう、隊列考えてくれって! ……前出るぞぉ! 貴重な術士を死なせるなー!」


 毒づきながら聖騎士たちも混じってゆく。

 柱が続く広大な霊廟の終端に続く大階段を下り、『学院の秘宝』を閉じ込めた迷宮(ダンジョン)の攻略が始まった。

 石製の四角い通路の角から無数の影が駆け寄ってくる。


「狼型モンスター! 数多量!」


 前に出ていた術士勢が『キューブ』や『コメット』を始めとする攻性アイテムを投げて第一陣が実質壊滅する。が、続けて次々と増えてくる。


「ほらもう術士は下がれ! 対応できねーぞ!」


 四足を使って人間とは違う動きで飛びかかってくる獣の類は術士が特に苦手とする相手だ。同時に、格闘役を担う戦士への補助の重要性が高まる最凡例でもある。


「ちぃっ、うっとうしいな! 数が多い!」


「てか、どこに住んでんだコイツら! どう見ても生息適正環境じゃないだろーが!」


「それを言うならなんで襲いかかってくるんだ。だれかに飼われてんのかな!?」


 戦士たちが引きつけ、叩き払って一箇所に集めた段階で術士が攻性アイテムを叩き込む。ランクは高くなく、危なげなく対応できている。

 が、森の時と同じだ。こんなに時間をかけてはいられない。

 フォマウセンが最前衛寄りまで前に出た。


「自動生成タイプね。倒しても無限に沸いてくるわよ」


 縫律杖に光を灯しながら、


「一匹か、少数だけ残してこっちに回してちょうだい。押さえ込むわよ」


「り、了解!」


 やがて指示通り、道を開けた聖騎士たちの間を残った少数の獣がフォマウセン目がけて疾駆する。

 それを正面から待ち構え、大きく振りかぶったフォマウセン学院長が――獣の脳天に縫律杖を打ち込んだ。


「消えなさい」


 通路に光が満ちて。

 全員がかばった目を開けた時には、モンスターが消えていた。

 彼女に向かっていた個体だけではない。事前に倒していた分の獣の姿も、すべてだ。


「……?」


 怪訝にうかがう面々に、フォマウセンが背筋を伸ばしながら解説をつけた。


「発生モンスターの元情報を消したのよ。これでもう、この種類のモンスターは永遠に出てこないわ?」


 また、簡単につけ加える。一同はなにも言えなくなった。


「ただし、迷宮の管理機構に対する権限は持っていないから、干渉したのは世界そのものに対して。この種と近親種はこの世から絶滅してしまっているけれど、術が取り消されれば元に戻るし、今は勘弁してもらいましょう?」


「……」


 ともかく、走りを再開した。

 その後も出会うモンスターは手当たり次第に学院長の術で『消して』ゆく。歩を進めるほどに行進は軽くなっていった。

 学院長ももはや遠慮の文字は脱ぎ去っていた。ダンジョン構造がもたらす困難の度合いが予想以上であったことが大きい。すでに数百種類ものモンスターを『消して』いる。世界の生態系は今ごろ大惨事になっているかもしれない。

 成否を分けるタイムリミットも迫っていた。ここからは切り札も含めたリソースの消耗戦になる。すべてが尽きる前に強引にたどり着くしかない。

 だからこそ言える。彼女の〝力〟はまさに実もふたもないと称するしかなかった。


「まさに反則技だね。この記憶も消えるというのならよかった。これを知ったあとではすべての苦労が無駄に思えてしまうから!」


「クックック。すさまじいよな。もうあなたひとりがいればよいのではないか? ……と、思わされてしまうほどに」


「そう言わないでちょうだい。これでも貴重なストック放出のオンパレードなのよ? まぁそれに、迷宮自体に干渉すれば肝心の『秘宝』とやらにも影響を与えかねないしね? 無茶は少ないほどよいのよ?」


「たしかに。ここのモンスター生成の元情報も『学院の秘宝』から汲み上げてる可能性は高い。さすがの『召喚機』も存在しないものは呼び出せねぇからな。たどり着く前に崩されちゃたまったもんじゃねーぞ」


 いくつ目かの大階段を下り、大広間と言える階層に着く。枝道などはない。完全な行き止まり。

 広大な円形室内の中央に、なにやら巨大な甲冑のようなものが大剣を抱えてうずくまっている。

 その暗い甲冑の内側に、ふたつの赤い眼光が点る――瞬間に。


「時間節約」


 甲冑が内側から大爆裂した。自分の力でというより、爆発の反動でバウンドするように立ち上がってから再び膝を着く。

 あまりのことに、決戦の予感を前にして身構えていた一同が、杖を突き出した姿勢の学院長を見る。

 その彼女、特にこれといったコメントもなく下半身だけになってギチギチと動こうとしている空洞の甲冑に歩み寄り、杖の先端をコツンと当てた。

 光の粒子となって甲冑と残骸が消えてゆく。

『消された』のだ。


「生物ですらないし、同じ個体が出てくるか分からないけど、一応。ね?」


 駆け寄りながら。


「やっぱトンでもねぇな」


 アイバのぼやきには全員が無言で賛同していた。

 さて。消えた甲冑がいた中央部に、黒い石製に見える台座が競り上がってくる。

 さっと情報面から手を触れたラシィエルノたちが分析を話し合う。


「転移ポータルの類のようだ」


「<封印書庫>と似たような構造か。これを繰り返して構造の〝本質〟までたどり着くってわけだな。あっちはこっちの構造が漏れ出した天然で、こっちは明確に制御された封印構造だな」


「クック……キリがないではないか。ご丁寧に用意された道を通っていたのでは到底間に合わんぞ?」


 当然、再び視線を集めたのは学院長だった。注目された彼女はしかりとうなづき、一同の期待そのままの言葉を口にした。


「ダンジョンの構造自体が自動生成される仮想領域よ。暗号の解除のように、散りばめられたフラグメントを拾い集めた者がこうしてポータルにたどり着く。その中核を成す最小の構造以外はすべて後づけ。――強引に短縮するわよ」


 とはいえリスクはある。『学院の秘宝』と密接な関係にある、あるいは『秘宝』そのものとさえ言えるかもしれないダンジョン構造への強引な干渉はダンジョン構造そのものの崩壊を招くおそれもあり、そうなれば『学院の秘宝』へ至る道自体が失われる。反発でどんな予測不能な障害が発生するかも分からないし、なおかつ、完璧にすべてを短縮できるわけではない。


 だが一行にほかの選択肢はなかった。ポータルに割り込んでの不正転移を強行する。

 もちろん、本来踏むべき手順を踏まずに短縮しているのだから先へ進むほどに難度は増し、転移効率は落ちてゆく。ダンジョンの構成情報もいびつになり、出現するモンスターのランクも入り乱れてデタラメになっていった。


 それでも一行は進む。時にモンスターの異常発生、そして無理がきて(バグ)だらけになった迷宮に足を取られ、ひとり、またひとりと脱落者を生じさせながら。学院長の体力、素材在庫、術式に必要となる最低限の人数……まるでそれらのリソースが尽きるまでの削り合いであるかのように。

 そして、何度目かの転送にて。


「割り込まれた! ――いえ、引き込まれた(・・・・・・)わよ!」


 空間復帰直後に、警戒を促す学院長の叫びが響く。

 そこは今までの被造物や自然物を模した階層ごとに画一的な迷宮構造とは趣きが異なっていた。円形であることと広さは今までのポータル部屋と同じ。しかし壁一面が巨大な樹木の根に覆われたようであり、中央にはやはり巨大な根の集合が内側に光の珠を宿して鎮座していた。

 その、光の中から。転送されてくる。

 樹木の表面にも似た鱗を持ち、全身から大小の梢と緑を生やした、百メートル大の――ドラゴン。

 その頭頂に、輝く多重の光輪が現れる。ひたすらに神聖で、まばゆく、数を知ることはできない。


「…………」


 その姿を目にしただけで聖騎士を始めとした多数の人員が糸の切れたように膝を着き、意識を失っていった。


(とこ)つ地の〝緑〟》


 名乗りということなのだろう。悠然と翼を広げ、投げかけられたのはシンプルなひと言のみ。そして、断罪の宣告であった。


《あなたたちは資格を失った。友の盟約と古き制約に拠り、不当に『万地の書』へ触れんとする者へ、滅びを》


「あなたのご同類を知っているわ? 顔見知りのよしみということで見逃していただけないかしら? 世界のためと言ってもダメ?」


 返事はなかった。

 ただ、光が収束してゆく。


「ッッ――――!!」


 フォマウセンが叩きつけるように振った縫律杖の先に見えない壁が発生し、それ以外のすべてが閃光に包まれた。

 光が収まる前に、さらに杖で床を突く。輝きが倒れていたメンバー、意識は持っていたが動けなくなっていたメンバーへと伝播し、内側から暖かで力強い活力が湧き上がってくる。

 起き上がり、すぐに全員が戦闘態勢へと以降してゆく。

 その最前列に立ち、フォマウセンがスフィールリアと『召喚機』周りにいる術士たちへ叱咤じみた声をかける。


「鍵を!」


 はっと顔を上げたラシィエルノが、反射のように『偉大なる鍵』を学院長に投げ渡していた。彼女の頭上で、即座に『オーロラ・フェザー』の輝きに溶けて混じる。


「むしろ好都合! 最低限の人員だけに絞って最後の跳躍をかける! この最大管理権限者を押さえ込んでおくから、その間になんとしてもすべての術式を成立させなさい!!」


《不完全なようですね。不正に『万地の書』に触れることの意味。全員無事では済みませんよ》


「あら、いいのよ? 最初からそんなこと、考えていないもの」


 言い合いながら、おそろしい速度で転送式が構築されてゆく。強引に、突き刺し、引き裂き、砕いて開くような攻撃的な術が。ともすれば迷宮を丸ごと押し潰しかねないほどの。

 なけなしの防御付与を受けた聖騎士たちが次々と飛びかかり、打ち倒され、後衛役に出た術士からの攻性アイテムが入り乱れる。開始十数秒ではあるが、そのどれもがドラゴンに傷ひとつつけられてはいなかった。

 代わりに、ドラゴンからの攻撃も学院長の防御によって『召喚機』までは届かない。ダンジョンの最奥へとかける術式を編み上げながらであるから、まったく尋常でない制御力だ。

 号令とともに、『召喚機』の周囲へと術士勢が集まってゆく。

 そんな中でスフィールリアを降ろし、アレンティアが数歩分前へ駆けてから、彼女を振り返ってきた。


「今度こそこれを言うべき場面だね。……あとは、頼んだよ!」


「まぁ、俺たちがアイツ倒す方が先かもしんねーけどなっ!」


 駆けてゆく。アレンティアとアイバ。ふたりの『ガーデンズ』保持者が。スフィールリアはふたりの名前を叫んでいた。

 代わりに肩を引いてきたのは、テスタード上級生だった。そのうしろには『召喚機』とラシィエルノ、スフィールリアを送り出すための術者たち。


「正念場だぜ。俺たちはこれから全員死ぬ。お前だけが過去という未来へつなぐべき糸だ。――いくぞ」


「っ、はい!」


 うなづく。それと同時に、予兆も衝撃もなく視界が暗転した。



 数十棟の建造物を突き破りながら転がり、最後に膝を着いた体勢で、タウセン・マックヴェルはどうにか慣性を中和して止まった。


「く……」


 コンディションのチェック。同時に、起き上がろうとして――身体が動かないことを悟った。


「これまで……か……」


 肉体と言わず背広と言わず、己の構造物が塵となって散ってゆく。

 見上げたはるか頭上で、魔王エグゼルドノノルンキアが魂の底までを貫き渡すような圧力を以って、一瞥を投げかけてきていた。


《わたしは、収蔵できなかったようだな。だが、タウセン・マックヴェル……なかなかに面白かったぞ? 先約がいなければ、我が臣下に迎え入れてやってもよかったほどにだ》


「なにを……抜かすか…………」


 苦笑とともに、そのまま、散り崩れていった。言葉にすらならなかった思いを残して。


(無駄に終わらないことを願う、スフィールリア君)


 思い浮かべていたのは、なぜか最後に奢ってやった食事の光景だったが、それを知る者はだれもいない。



《さて。残るは貴様だけである……ルインヒュトラウム》


 うふふ、と、エストラルファ王は微笑んだ。


「その名で認識していただけるのは身に余る光栄。しかしわたくしめは次代へとつなぐ者。その名は我らの始まりの名であり、であるならばその名を継ぐのは、我らの終わりを見る者であるべきなのですよ。……あなたの称号と、同じようにね」


 魔王の笑みの気配が強まる。


《ほう……雌雄を決すると。そういう決意でよいかな?》


 具体的には答えず、王は、ゆったりと両腕を回し、また分厚い胸の前にぴたりと止める。だが、満ち始めた気迫こそがなによりの返答であった。


「これより先は、わたくしから贈れる最大のおもてなし。魔王陛下殿のお心に届きますように」


 そして、膨れ上がっていった。

 自らを押し潰すと思えるほどに力み、反面、あふれ出すように膨張してゆく。筋肉の爆発。


「今、わたしにできるっ、最大の……おもてなしをぉおおおおおおおおお!!」


《このような不完全な条件下で最大権限を果たすつもりか……? 思った以上に熱いやつだな》


 よいだろう――。

 そう言い、笑って。

 魔王は両腕を広げて待ち受ける構えに入った。

 圧力か、ただ王がそこにおわすだけで地上の残存構造物が押し潰されてゆく。

 大気が、空間が、ひび割れてゆくようだった。



 視界が暗転して。

 代わりに現れたのは薄闇の石室だった。今までのポータル部屋とまったく同じの。

 ドラゴンと、根と、ほかすべてがきれいさっぱりと掃除されてしまったかのような唐突さに、スフィールリアたちは数瞬状況が分からずに瞬きを繰り返した。

 やがて。


「失敗した――!?」


「やはり、鍵が不完全だったから――」


「いや――ある(・・)


 悲壮なざわめきが上がりかけたところでテスタードが中央の虚空へと手を触れさせて、たしかなひと言で周りを静めた。


「あるぞ。不完全な鍵に対応して用意された架空の領域だ。実際、かなり〝手前〟に実体化しちまったが――ある。ここは間違いなく『学院の秘宝』が格納されている領域だ。ここでやるぞ!」


「感触が返ってこないなら完全に手探りでやるしかないが。領域自体が不完全だから完成まで空間が保つかも分からない。失敗も確認すら一切できない――一発勝負になる」


 そう言っている間に、数名の姿が、闇へと消えた。ろうそくの灯火を吹き消すように、唐突に。それを見ながらテスタードは『召喚機』を引きずって部屋の中央へと運び出した。


「はっ。一発勝負は最初からだ。術を発動させるまでの間だけ保てばいい。やるったらやるんだよ!」


「是非もないか!」


 どのみちこれ以上打てる手はない。テスタードを手伝って『召喚機』が石室中央へと配置され、さらにその上にスフィールリアが立たされる。

 装置の動力が入れられ、球形の情報投影領域に、スフィールリアは包まれた。

 これといって合図もなく、逆行式の構築が開始された。


「ヤバい情報量だ。<封印書庫>のがかわいく思えてくる。フィルタの構築も追いつかねぇから、それっぽい情報を強引に抱き込むしかねぇな」


「つらいなら手伝ってやろうか、〝黒帝〟殿?」


「抜かせよ。俺の足だけ引っ張らなきゃいいぜ。それでようやく上出来だ」


 ひとり、またひとりと、『召喚機』を囲んだ人員が消えてゆく。排斥されてゆく。反比例して、編み上げられる式の速度は増していっていた。


「センパイ……みんな」


 消えてゆく。空間ごと。暗闇に支配されてゆく。

 その中で、『召喚機』とスフィールリアだけがたしかな光をともなって存在している。


「ここにくるまでの間に組めるだけ組んだ目玉野郎の情報を、お前に託す」


 スフィールリアは、手の中の感触をたしかめた。受け渡された『メモリー・キューブ』は彼女を包む〝金〟の輝きに、たしかに包まれている。


「俺たちがたどった歴史を持ち帰るのはお前だけだ。なんとしても説得して、納得させて、なんとかしろよな」


「まったく。どういう理屈で君だけにそんなことができるのか分からないし、ロクに説明もないままここまで走らされてきたが。まぁ、わたしの目がたしかだったということで手打ちにしておくよ。わたしが渡したアドレスは忘れてないよね。では、過去なる未来でまた会おう」


 消える。ラシィエルノの姿も。

 残りは正面に立つテスタードと、スフィールリアだけになった。


「……」


「こっから先は制御力の問題だな。どんだけ正確に式を組めたかで勝負が決まる。あとは頼んだぜ」


 消える――直前に。


「――」


 彼が残した口の動きが自分の名前だったような気がして、スフィールリアは身を乗り出した。

 そのころには彼女が乗る『召喚機』を残してすべての空間は消えうせていた。



「ふぅううううううううう…………!」


 長大で、膨大な熱量を宿した息を吐き。

 膨張し切った王が、にっこりと微笑んだ。


「お待たせいたした。それでは、始めましょう。わたしにできるおもてなしを。わたしたちの宴を」


 だが、魔王は笑うだけだった。


《いいや――これまでだ》


「はい?」


 す……と。骨の指を差す。その方角は王のうしろ。王城……ではなく、そのふもとにある<王立アカデミー>であった。

 そこの空間が、歪み始めている。いや、どんどんと歪みを膨張させ、収縮し始めている。


「おや――おやおや?」


 その様子を数拍、見守ってから……

 王は魔王へと顔の向きを戻し、しかたがないような笑みをこぼした。


「これはこれは……困りましたな」


《急いだ方がよかろうな? 早く元に戻らねば不完全な条件すらかき消えて、どんな反動が襲うか分からぬぞ?》


 そのころには、歪みの波は彼らの下にまで及んでいた。


《では、今しばらくの間――さらばだ。地の王。ルインヒュトラウム、いや、エストラルファ王よ》


 そして、歪みは王都全域まで及び、まるで津波の前ぶれのようにすべてを引き込んで、収束して、消えていった。



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