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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~  作者:
<3>魔王鳴動と開催前夜の狂争曲の章
103/123

■ 9章 不死大帝(3-46)

 温かい。


「…………ぅ」


 小うるさい風の音で、スフィールリアは目を覚ました。

 顔をつけている地面は、硬くはなかった。やわらかい。温かい。湿っている。次第に焦点の合ってきた視界に見える地面がすぐ横に見えなかったことで、スフィールリアは、自分がなにかの上に乗っているのだと気がついた。

 起き上がり……その正体が分かる。


「あ、いば……?」


 アイバは、スフィールリアを抱き込む形で意識を失っていた。左の腕だけで。


「……」


 もう片方の腕は、なくなっていた。さっきまでつけていた自分の顔をなでる。ぬるりとした感触を返した手を見やれば、自分のものではない真っ赤な液体がへばりついていた。


「アイバ」


 思考が働かない。真っ白な頭のまま、真っ白な言葉で。彼女はアイバの胸を揺すって呼びかけていた。


「アイバ、アイバ、」


「う……ぐうっ、」


 やがて寝起きのそれとは明らかに違う形で彼が激しく顔を歪め、彼女はビクリと震えて両手を離した。


「ス、フィー……?」


 彼の上から退()くことも思いつけないまま。頭を抱えて起き上がろうとする彼を、スフィールリアは恐れとともに上体を反らしながら見守っていた。


「お、おう、スフィールリア。無事だったか――あづっっ!!」


 笑いかけ、また、激しく歪める。

 そして、とっさに残りの手をやった箇所に気づき……一瞬、呆然として。

 アイバは彼女の様子を見てから、しかたないように笑った。


「はは……いてーと思ったわ」


 決壊するまま、涙がこみ上げてあふれ出してゆく。

 スフィールリアはアイバの胸に取りすがっていた。


「ごめん……ごめん! あたしをかばうために……!」


「い、いでで! ちょっと待、すまん、振動が響ぐぅんっっぃぇ!」


「ご、ごめん!」


 慌てて、身を離し。


「ほんとに…………ごめん…………!」


 スフィールリアは顔を覆って本格的に泣き出してしまった。


「お、おい、泣くなよ。気にすんなって。大丈夫だから……」


 激しくかぶりを振る。


「そんなの無理に決まってる! 大丈夫なわけない、これからだったのに。アイバの大事なものも未来も奪っちゃって……あた、あたし、もう…………ダメだ…………!」


 あとはもう、頭を振ることしかできなかった。

 彼のためになにをすべきか考えるべきなのに、どうしても感情に塗り潰されてしまって駄目だった。


「……」


 直接見ていないのに、彼の方がいたましい顔をしているのが分かった。


「大丈夫だ。顔上げろって。なんかお前が大げさにしてくれたおかげで、本気で怖くなくなってきたわ」


「……」


 アイバは彼女の手をどけてから肩に手を置き、実際に拍子抜けした風な笑みを向けてきた。


「気にすんなってのも本当だ。気にすんな――俺がやりたいからやったんだ。お前を死なせちまってたら、俺だってもう駄目だって思ってたよ。お前と同じだ。守れてよかったぜ」


「……」


 次にアイバが見せたのは、強い笑みだった。力を流し込むよう、つかむ手にも力をこめて言ってくる。


「お前の力になりてーんだ。――そう思ったから、もう一度この道でやってこうって思ったんだ。手伝うつったろ。――だからこんなの当たり前で、大したことねーんだよ。なのに先頭にいるお前がやめるつったら、俺もセットでダメになっちまう。お嬢様たちもだ。……だから、もうダメだなんて言うなよ。俺もまだやれるぜ」


「……」


「まだ全部は終わってないさ。するべきことがあるんだ……そうなんだろ?」


 言葉ごとに揺すって、締めくくって……なおもしばらくアイバは、彼女の肩を持ってくれていた。支えるように。

 暖かかった。

 抑えた涙の圧力のまま、胸の奥で震えていたスフィールリアだが……やがて。


「……」


 無言で小さく、ひとつ、うなづいた。


「うっし! やるか! 状況が知りたいんだが……いいか?」


「……あ。うん、ごめん……」


 あんまりしっかりしたアイバの様子に取り残され、若干呆けていたスフィールリアは、言われるままに彼の上からどいた。

 手を貸しながら、立ち上がる。


「しっかしひでぇ有様だなこりゃ……よく生きてたわ」


 見渡した学院敷地は、そのひと言がすべてだった。

 おそらく、魔王使徒自身を爆心地とし、敷地は放射状に抉れ飛んでいた。

 遮蔽体に使っていた講義棟も、樹木も、街灯もモニュメントも……すべてが打ち崩され、倒され、吹き飛んでいた。膨大な土砂の山がそこかしこに積み上がり、地形そのものが変わっている。それでもなんとか元の学院の形から記憶と照合すると、自分たちはかなりの距離を吹き飛ばされてきていたらしい。


 生き残りは自分たちだけではなかった。退避勧告が効いていたのだろう。自ら大なり小なりの傷を負った者たちが、互いに指示を飛ばしながら積み上がった土砂や建材を掘り起こして救助作業を慣行し、辺りは悲壮な喧騒に包まれていた。

 そのうちのひとりか、よろよろと進んでいたひとりをアイバが強引に呼び止めた。


「すまん。ほんと悪い。状況が知りたいんだが。……あれから、どうなったんだ? バケモノはどうなった? 魔王とかいうのは?」


「…………」


 学院生であろう青年はアイバの状態を見て驚いてなにかを言いかけたが、次には血と泥に汚れた蒼白な顔をさらに暗くし……ある一方を指差した。

 アイバは礼を言って学院生の腕を離した。


「分かった。ありがとう」


 スフィールリアは、歩み出そうとする学生を呼び止めていた。


「あの、待ってください! 後衛の医療陣はまだ生きてますか? 彼の治療をお願いしたいんですっ」


 が、それはアイバの方が止めてきた。


「いや、待ってくれ。俺はいい。今休んだらもう動けなくなっちまいそうだ」


「だったら!」


「そうなっちまう前にせめて状況だけでも知りたいんだ。……そんな場合じゃないかもしれないだろ」


 言いながらアイバは、手払いして学生を歩ませてしまう。聞き入れてくれそうにはなかった。

 スフィールリアはまだわめきたい頭を必死に働かせてポーチの内部を漁った。魔王召喚の影響でほとんどの回復薬は〝死〟んでしまっていた。


 ようやく見つけ出した無事な『しびれ薬』と『水晶水・緑』を取り出す。

 両者をフラスコの中で振り混ぜながら、スフィールリアはここだけは退かないという強い眼差しを彼に送り、言った。


「せめて応急処置だけでも、するから。そのままじゃ失血性でショック死しちゃう。そんなんでアイバが死んだら、あたしも死ぬから」


「わ、分かったよ。こえぇ顔すんなよ……」


 急場で編んだタペストリーを宿してほのかに光るフラスコの口を、座ったアイバの断面に宛がう。


「塗布面の血管と筋肉を収縮させるの。一時的な止血と痛み止めになると思うけど、効果は長くないから……。それと沁みると思うけど、我慢してね」


「お手柔らかになぁ……?」


 怖がるアイバの傷口をフラスコの口でなぜるように、薬品を回しかける。アイバは歯を食いしばって叫びを漏らした。……が、すぐに「……お。引いてきた引いてきた」と笑顔になっていった。

 立ち上がる。


「……いこう」


 うなづき、スフィールリアは、アイバを支えながら歩み出した。




「あれは……」


 打ち崩された<アカデミー>外壁の縁。そこからは、王都の景色が一望できる。

 集まってきているのは彼女たちだけではなかった。傷を負い、疲れ果てた彼らと同様に目の前の光景を見果て、スフィールリアはうめいていた。

 普段であれば無数の灯を点して壮麗である王都。今は薄闇に落ち、衝撃にところどころが崩されている。

 その都のただ中に、巨大なものが鎮座している。

 ――光の繭。

 百メートル高はある、巨大な塊。光の粒子が尾を引きながら幾万幾億と舞い踊り、複雑なタペストリーを描きながら〝繭〟のような形状を保っている。

 その内部に、『何者』かがうずくまっているのが見て取れた。


≪……なるほど。そういうことであったか。それで……『この地』か。これは。おもしろい因果につながったものだ≫


 ――声。

 遠く近く、あるいは魂の奥底から呼びかけてくるような。耳を塞ごうとものがるること許されぬ、それは絶対者の声だった。

 足がすくむ。身体が軋む。

 動けなかった。

『それ』が『何者』であるのか、だれもが分かっていた。


≪……≫


 光の繭が――破ける。弾けて、散って、消える。

 内部にうずくまっていたものが、立ち上がった。折りたたんでいた〝足〟を広げて。

 まさに、そびえ立つ威容。睥睨する君臨者。

 『それ』は一旦は王都、そして見定めたように王城を一瞥するが、唐突に……

 ――こちらを向いた。

 スフィールリアを見て、


≪よいだろう≫


 ニヤリと、笑った。〝貌〟なぞないというのに。そんな気配があった。

 間違いがない。明確に、〝目〟が合っていた。


「――」


『それ』はスフィールリアから視線を外すと、虚空へ向けて〝腕〟を掲げた。


≪往くがよい≫


 ザァ――!

 と、音が聞こえてきそうな勢いで。

 地から天へ突き上げるように白い津波が沸き立ち……崩れていった。

 地上へと散らばったそれらは、うごめき、ただちに進軍を開始する。

 津波の正体は、骨だった。無数の生物の骨。獣、人、竜……種類も数え切れないさまざまな骨が、まるで生きているかのように動いて地の都を舐めてゆく。

 地獄の釜の蓋が開き。〝死〟があふれ出したかのような。

 その、おぞましい光景に。だれも声を上げられぬ沈黙の中へ全員の悲鳴が投げかけられたような気がした。


≪――世界よ≫


 死の軍団をばらまいた『それ』が――〝腕〟を広げた。

 世のすべてに知らしめるように。あるいは、すべてを(いだ)き込むように。長大な四本の腕を。

 戦慄が(ほとばし)る。停滞が支配する。

 見よ。と命じられたかのように。釘づけになり、ほかになにものも目に入らなくなる。


『――――――――』


 見よ。

 見よ――見よ。


≪わたしこそが魔王なり≫


 その姿は四眼四腕の、ヒトに似てヒトにあらざる骸骨の王であった。

 頭蓋から突出した無数のねじくれた角はまるで恐るべき鬼の首領のみに宿るそれのようであり、猛悪無比なドラゴンのそれのようでもあり、神に祝福された偉大なるヒトの王が(いただ)(かんむり)のようでもあり、はたまた禍々しい花が開いたようでもあり、あるいは…………

 それらのすべて、であった。


≪終焉の約束。最果ての魔王≫


〝前腕〟二本はヒトの形状に近く。肩にかけるようにして折り畳んでいた〝後腕〟の二本は、広げるとまるで竜の翼の骨格のように長く広い形状をしていれども、紛れもなく〝腕〟であった。


≪――終結する世界に救済をもたらすもの。奪われし泡沫の嘆きを届けるもの也。約束しよう。我は、汝らすべてを救済しよう≫


 神聖ささえ感じさせる闇深い長衣は内側に本物の星々の煌きを宿し、その下には戦士を思わせる鎧をまとっている。鎧に走る幾筋もの輝きは炎のように赤く、深く。内部に秘められた〝力〟の暴性を現しているかのようであった。


 その頭頂に……輝きの光輪が現れる。

 光はひとたびとして同じ色、同じ形を示すことはない。七色に変じ、変じ、時に闇となり、時に消え。激しく明滅と拡張収縮を繰り返しながらも幾何学的でいてかつ不定形の、何百・何千重にも折り重なった輝く〝光輪〟をその(かんむり)の頂点に(いただ)く。


≪わたしこそ不死大帝――――エグゼルドノノルンキアである≫


 四つの眼窩に光が点る。


『………………』


 だれも、なにも、言えずにいるうちに。

 王都の北方面、市壁付近から巨大な構造物が競り上がってくる。五百メートル辺はある超巨大な立方構造物が。


≪……うん?≫


 家々を突き上げ、なぎ払い。回頭させた砲塔をピタリと魔王に照準し。

 閃光の瞬間、魔王の顔横に大爆発が起こった。

 夜闇を激しく塗り変え、十数キロは離れているここにまで猛風を届ける圧倒的な威力に、威圧に呑まれていた面々からもさすがに悲鳴が上がる。

 天雷の轟きのような余波の中、爆炎が上層気流によって急速に吹き払われていって。


≪神さえ害し得る力――面白いおもちゃだ。<グランド・オブジェクト>から〝力〟を汲み上げているな?≫


 魔王は、果たして無傷であった。(かし)いでさえいない。

 したことと言えば、ただその場で前腕を組み、後腕を畳んだ。それだけだ。

 腕も、指一本さえ向けずに。

 巨大構造物が爆裂した。いや、爆裂したと思わせるほどの勢いで、塵芥(ちりあくた)へと変えられてしまった。周辺数十キロメートルの市街と市壁をも巻き添えにして。

 辺りは、くすんだ灰の海になってしまった。


≪ひょっとして、これは都の四方に配置されているのかな?≫


 視線を投げた――のだろう。その方角が順次に爆裂して、灰の津波が噴き上がる。

 王都の壁四方に空からでも分かる巨大さで大穴が開く。

 この時点で、広大な王都面積の三十パーセントが失われてしまった。

 暗雲が吹き払われた夜空が一瞬だけ歪んで……正常に戻る。結界が張られていたようだった。結界路にもなっていた市壁に大穴が開いて、維持できなくなったのだ。魔王を都に閉じ込めるつもりであったらしい。


 その目論見が文字通りあっけなく破られてか。

 次の手を王室が打つ。

 王都のそこかしこから塔のような構造体が競り上がってくる。先ほどに比べれば小粒のようなものだ。王城付近、そして学院内の敷地からも突出してくる。


「な、なんだ――コレ!?」


 だれかの、うろたえた声。こんなものがあるとはまったく聞かされていなければ驚くのも当然だろう。

 その入り口が開き、内部から、無数の〝人型〟が歩み出し、飛び立ってゆく。

 全高二メートル以上はある――<クファラリスの森>の奥地遺跡で見た『スプリガン』に似通った形状の機械人形だ。

 どんどんと数を増し、数を増し、あっという間に十数万もの軍勢にもなって、まだ増えてゆく。


≪ハハハ。次から次へと。飽きさせないおもちゃ箱だ。歓迎してくれるのか?≫


 人形たちは進軍する骨の軍勢たちを蹴散らし始め、あるいは魔王周辺空域を飛び交い――魔王に攻撃をしかけようとする。

 しかし――


≪死ね≫


 命じた。

 ひと言。それだけで。

 ばらっ……と。王都の空を埋め尽くそうとしていた人形の光点の一角が、唐突に――消えた。

〝死〟んだのだ。動力を失い、ごっそりと穴が開くように、一斉に落ちてゆき……

 爆発した。

 次々と地上の市街へ目がけて落下し、あるいは落下しきらないうちから爆散して骨を吹き飛ばしてゆく。エネルギーを加えられたからというのではなく自爆しているように思われた。

 ともかく。ただひと言魔王に命じられただけで、数万にも及ぶ軍勢が落とされてしまったのだ。

 それでも機械人形の軍勢は増え続ける。

 さらに、次の瞬間。


≪おのれらがぁあああ!!≫


 初撃の砲台よりはだいぶ近い位置――魔王の背後で爆発が膨れ上がった。

 いや、それも爆発そのものではなく、爆発的にその場に発生した白金(しろがね)色の巨体である。

 ――ドラゴン。

 体高百メートルはある。全身が白金(しろがね)の金属と刃の塊で構成された、異様な巨竜の姿。


≪陛下のぉお! 王都をぉおおア! 俺たちのォオ! 貴様らがぁあああッ!!≫


 それが、爛々と赤く燃え滾らせた双眸を、魔王へ向けていた。


「な、今度はなんだありゃっ!?」


 アイバが驚きの声を上げた。

 答えて、彼の隣に並んできたのは大男。王宮で見た、聖騎士団長の男性だった。


「おう、ありゃよ、アルフュレイウスだ」


「う、うお。……えっとそれって、第一の聖騎士団長の」


「ああ。『剣鱗』を開放したんだ」


 その言葉を受けて、呆然と状況を見守っていた面々の顔に夜明けへの気づきのような明かりが灯る。

 立ち上がった――立ち上がってくれたのだ。王都が誇る最高戦力。最強の第一聖騎士団長アルフュレイウス・ディウヴォード・パルマスケスが。

 彼らの表情に反して、第二騎士団長ガランドールは顔色を暗くしていった。


「アルのやつ、キレやがったな。あっちの方角は……〝家〟だな。……ダメだったかよ…………」


 翼か尻尾かはたまた触手か。判別がつかない、身体から伸ばした無数の〝剣〟が、抑えきれぬ暴性の発露のように暴れ回って地上を叩き、大小問わずに建造物をみじん切りにしてゆく。


≪万死! 断罪! 鉄槌!! 絶死!! 貴様ら千片の肉片を冥府に叩き落して! 奈落の底からすべての者に詫びさせてや、≫


 そこまでだった。

 すべての剣を魔王に向けて突進させようとした瞬間に。


≪…………≫


 肩口あたりが消失するほどの位置で。竜の胴体がごっそりと消失していた。

 竜は、ゆっくりと己に開いた大穴を見やる。そして、


≪き、さ…………≫


 血は出ない。

 だが、倒れていった。広範の市街を巻き添えにしながら。

 そちらをちらとさえ見ずに、かけられた魔王の声。


≪――エルハルシャンティ・ノノルンキア≫


≪は。御身の側に≫


 …………。

 ただ、それだけだった。


「…………」


 だれも、なにも、言えなかった。

 やがて。


「ダメだ……」


 だれかが、言った。

 時間が、動き出していた。

 多くの者は呆然とし、またはくずおれて各々のつぶやきを漏らしている。


「――――っ」


 魔王に見つめられた緊張の糸が切れて、硬直していたスフィールリアの身体は一歩を下がり、よろめいた。倒れようとしたところをアイバが支えてくれて、ゆっくりとへたり込む。

 周囲を見渡し、アイバは不味そうに顔をしかめた。


「くそっ、ヤバいぜ。使徒とかいうのが死んだと思ったら、もっとトンでもねぇヤツが出てきやがったな……!」


 彼が振り返った先に……魔王使徒ノルンティ・ノノルンキアの〝死骸〟が転がっていた。

 使徒の形状は開戦時とは異なっていた。『コンペイトウ』のようにトゲが突出し、どこか洗練された外郭のうしろにハリネズミのような結晶の山を背負い、長大な〝尾〟を持つ姿に。

 その異様は、今……真っ白な灰となり、崩れかけていた。

 スフィールリアも疲れたような心地でそちらを見やり、事実を告げた。


「〝影〟の中に……いたんだ。あたしたちが相手をしていたのが幻灯の影だったの。あの〝本体〟の目が再観測していたから、何度倒してもすぐ復活してたんだ……」


「マジかよ。わけ分かんねぇ……!」


 汗を垂らす、アイバの言葉に。


「まったくだよ。こんなのは……反則だ。到底受け入れがたい」


 同意とともに現れたのはラシィエルノ上級生だった。声こそ平静を繕っているが、負傷した仲間に肩を貸して自身も泥だらけであり――なにより、テスタードと対立していた時にまとっていた凛とした空気は、ない。


「ラシィエルノ先輩」


「やぁ、アーテルロウン。無事だった……とは、言い切れないね。君の仲間の惨状を見ると。わたしも同じだよ」


 ラシィエルノは耐え切れない重圧にさらされ続けているかのように脂汗を流し、気疲れを感じさせる表情で、弱く微笑んできた。

 続いて、


「よりにもよって封鎖結界が(あだ)になったわね?」


「学院長、先生」


「〝本体〟の格納域が結界構造の層に織り込まれてしまって、特定の機会を失ってしまっていたとは。こちらの初撃が見抜かれたのもそのせい」


 学院長とタウセン教師が並んできていた。最後は魔王召喚の直前までノルンティ・ノノルンキアと直接対決していたはずだが、さすがというか衣服が多少乱れて汚れているていどだった。


「これは、わたしの失策。失われたすべての犠牲に、申し訳なく思う」


 学院長は自棄ぎみに肩をすくめ、沈痛にうつむいた。なんて言ったらいいかスフィールリアが分からずにいると、あくまで冷静なタウセンが口を挟んだ。


「とは言え、結界による圧縮がなければ太刀打ちさえできなかったでしょう。戦闘の被害も無尽蔵に広がっていきましたし、転移で逃げられれば軍の即時追跡も困難。結界は必要でした」


「……ま。しゃーねぇですわな」


 第二聖騎士団長も肩をすくめる。


「そうね……ありがとう」


 数秒、かみ締めるように瞑目し……双眸を開いた学院長は遠方の魔王を見据えた。


「さて。これからわたしたちがすべきことは、だいたい決まってしまったわけですけど? ねぇ、ミスター・タウセン?」


「直接決戦、ですか。たしかにもはや条約がどうだのと言ってはいられない状況です。全力を出すしかないでしょう」


 そこまで言ってから……重たそうに肩をすくめる。


「まぁ、見込みはほぼないでしょうが」


「そうね」


 簡単に、うなづく。

 スフィールリアは飛びつくように声を上げた。


「そんな! いやですよ、それなら先生たちも一緒に逃げましょう!」


 だが、ふたりは彼女ほど悲壮ではない表情で冷静なことを言ってきた。


「落ち着いてちょうだい? 作戦立案者としての、最後までの責任は果たそうというだけだわ? 残存人員を逃がすための時間稼ぎは必要でしょう?」


「つけ加えて、今すぐ飛び出していこうという話でもない。敵との力の格差がどれほどかを計ってからでなくては、それさえできずにまったく無駄死にすることになってしまうからね。それなら出ない方がマシだ」


 スフィールリアがほっとしている間にも、ふたりは空の状況を見つつ相談をしている。


「さて。その戦力を推し量るための定規役……この軍勢が役に立ってくれるといいんだけれど」


「どうでしょうかね。王室との連絡も途絶したままです。可能性としては低いですが、最悪これは王室全滅後に発動するよう仕組まれたオートメイションなシステムである可能性もあるわけです」


「それはなさそうだけど……しかしこんなシステム自体、聞いていなかったわね?」


「役に、立たねぇよ、あんなもんが何十万飛び回ろうが……な」


 さらに。

 彼らのうしろから割り込んできたのは、テスタードの声。


「センパイ!?」


 振り返り、スフィールリアは悲鳴を上げた。

 テスタードは上半身の衣服が袈裟がけのように破けて、自らの血液で真っ赤に染まっている有様だった。

 そのむき出しになっている方の肉体は、右肩から先がなくなっていた。蒸気なのか煙なのか分からないが、音を立てながら激しく靄を発している。


「はっ……このザマ、だぜ。崩れて、瓦礫に身体半分押し潰されて……な。おかげで動けるまで再生するのにやたら時間が、かかってっ……ぐ! へへっ……」


 慌てて先と同じ応急処置薬を用意しようとした彼女をテスタードは断った。


「だ、大丈夫なのかよ。俺が言うのもなんだと思うけど」


 アイバの惨状を見てテスタードは「たしかにな」と笑う。

 魔王を睨みつけ、


「俺は不死なんだよ……ヤツのおかげでな。どれだけ傷ついても死ねない。これくらいならほっとけば再生、する……へへっ、いっそ丸ごと消し飛んだ方がマシってのが、な。くそったれな点だ」


 話の中で、ラシィエルノが、はっとしてから複雑な表情を見せた。


「……」


 次に、学院長たちと同じく空を見上げ、毒づいた。


「くそが……こんな戦力があるなら、最初に出しとけってんだ」


 とは言え、である。同意の気配を見せつつもだれもそのことに対して明確な追求をしようとしないのは、やはり、どう見てもこの状況、この〝軍隊〟の様子が異常であったためだろう。ディングレイズ国が、公式はもちろん、非公式にでも他国にこれらの存在を知らせていたとは思えない。

 そして、もうひとつ。

 王城が、光っている。

 まるでこの事態に呼応するように、増えてゆく人形の戦力と連動しているかのように。壁と言わず塔と言わず、全体が淡く発光しているのだ。王城の壁材にそのような性質はない。――はずだ。

 キレやがった。という言葉が思い返される。

 王室もついにヴェールを脱いでいるのだろう。ひょっとしたら普段は発動したくてもできない制限などがあるのかもしれない。

 ともかく。

 テスタードが言いたいことのもうひとつの本質にも皆が気づいていた。そちらの方が重要ではあるということも。


「――勝てねぇ。このままじゃ傷ひとつつけられずに、全滅する」


「……」


 だった。

 再び、魔王を見やる。正確にはその周辺の空域を。

 そこだけが、壁でも張られているかのように人形たちが飛んでいない。

 特攻をかけてはいるのだ。しかし、ある一定の範囲に入ると、それだけで人形たちは力を失って死んだように落ちていってしまうのだ。命じる言葉すらない。

 まるで、魔王の周辺に〝死〟そのものが満ちているかのようであった。


 森で見た『スプリガン』が推定Aランクであったことを考えると、あれらも同等――いや年代も違うしメンテナンスを受けていたであろうこちらの人形の方が上と見るのが妥当なのではないだろうか。

 証明として、人形たちの頭上には光り輝く『魂の威光(ソウル・リング)』が発露している。上級モンスターの規格外固体と同等の力を持っていると見てよいはずだ。

 それらが、触れることさえできずにいる。

 話になっていない。


「できていることと言えば、地上の軍勢を足止めすることぐらいだけれど……あまり興味はないみたいね?」


「ていうか、あのホネども。こっちに向かってきてませんですかねい。おいおい、まだここに用があるっていうのかよ」


「というより、目標は王城なのではないかな。もっとも。魔王がこの国の王を狙うというのも、分からない話ではあるが……」


「と、とにかくっすよ。いずれにしろこのままじゃ、『ここ』が巻き込まれるぜ」


 アイバの言葉で。


『…………』


 一旦は彼を。そして、学院の様子を、一同が見渡す。

 そしてまた、アイバを見た。アイバはたじろいだ。


「い、いや……なんか、すんませんっす」


「いいえ? その通りだわ?」


「おうボウズ、いいこと言うじゃねーか」


「骨のモンスターの力も未知数です。今の状況のここの人員が襲われればひとたまりもないでしょう」


 今度こそ全滅する。

 まさか死の権化である魔王だから、一匹たりとも生命は逃さないつもりであるなどということはないだろうが……。

 もう一度、学院を見た。

 足を引きずりながら級友を誘導している者がいる。涙を拭いながら仲間の亡骸を掘り返している者がいる。

 敗北したのだ。

 それだけが、唯一見えているたしかな現実であり、未来だった。

 ぎり、と、テスタードが表情ごと歯を食い締めたのが分かった。


「冗談じゃ……ねぇ、ぞ! へへ。俺はこんな光景を見るために、シャバに出てきたんじゃねえよ……」


 そして痛みと疲れから丸めていただろう背筋を伸ばした。伸ばして、学院長に向き直った。


「学院長」


「なにかしら?」


 言った。

 全員が、顔を見合わせるような言葉を。

 それは希望と言うにも無茶苦茶で、野蛮で、荒唐無稽な話であったと言わざるを得なかった。


「起死回生の案がある」



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