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スフィーと聖なる花の都の工房 ~王立アカデミーのはぐれ綴導術士~  作者:
<3>魔王鳴動と開催前夜の狂争曲の章
102/123

(3-45)


 先頭の聖騎士が瓦礫を押しのける。安全を確認したのち、隙間から続々と班員が這い出してくる。


「げっほ。マジで危なかった。スフィーちゃん、ほら手」


「ど、どうも……」


「ちょっ……スフィーちゃん、大丈夫!? 血、血! すっごい出てる!」


 言われて気がつき、スフィールリアは自分の上着の右肩口を持ち上げた。ぐっしょりと紅く濡れていた。頭から首筋にかけて生ぬるい感触もある。


「うあ。ありゃ。今ので頭切ってたみたいです。でももう止まってるんで大丈夫ですよ」


「ほんと!? あたしが押し倒したからかも! ほんとゴメン!」


「隊長に報告だわ……」


「やめてよ!?」


「あはは……大丈夫ですから」


「まぁ冗談はさておいて。本当に大丈夫か? 頭を打っていたなら油断しちゃ駄目だ。思い出せる範囲でいいから、打っていたかもしれないなら言ってくれ」


「いえ、本当に大丈夫ですよ。真っ暗になった時に身をよじって瓦礫に頭こすった感触があったので、それだと思います。かばってもらったおかげで強い衝撃はなかったです」


「そうか、ならひとまずいいが……」


「よ、よかったぁ……!」


「それはそうと、これからどうする?」


 提起に、周囲を見回す。

 インカムからは再びの結晶魔人射出の報も告げられている。


「まずはこの場の救助だ。次の指示がくるまでな。今のでかなりの損害が出たらしいし、都合よく応援の期待もできないだろ。この状況で連中の襲撃があったらひとたまりもないし、これ以上の状況悪化は避けるべきだ」


「賛成」


「さ、賛成です!」


「了解。従うぜ。――しかし。マズいよな、この状況は」


「ああ。――いや。ちょっと待ってくれ。スフィーちゃん、本陣からの指示だ」


 リーダーから渡された正式な呼び出しに応答すると、オペレーターではなくフォマウセンの声がいきなり切り出してきた。


『スフィールリア。ごほうびと言ったけれどお仕事が先になりそうなの。まず最初にあなたに伝えておくと、必要となる素材数が導出されたわ? その数は三億超』


「三億ぅっ!?」


 情報共有のために同じ回線を開いて聞いていた聖騎士三名も目を引ん剥いている。


「ちょ、ちょ、学院長、なにかの間違いですよねぇ!? 無理ですよそんなのウソですよね!?」


『もちろん、ウソよ。ただしそのウソをついているのはわたしたちではなくあの目玉の方。こちらを欺瞞するなんらかの仕組みにより、今のところはどう計算してもこういう数字にしかならないという話。この具体的な数字は全体の士気維持のために秘匿情報としているため、あなたたちだけに渡しておく情報であることを忘れないで』


「わ、分かりましたけど……でもどうして?」


『そう。そうね。ここからが申し訳ないところなのだけれど……いいことスフィールリア? 現状では魔王使徒から抽出できる現物としての素材――正しいパズルのピースを集めることでしか、真の召喚術式を導出する手段はない。そこでわたしは、あなたに賭けたい。魔王使徒の攻撃の本質を見抜いたあなたの〝勘〟に。魔王使徒の中にある、真の召喚式の〝素材〟を見つけてほしいの』


「……」


『これから素材回収班にはかなりの回数のアタックをかけてもらうことになる。その(かなめ)にして筆頭チームとして、あなたを推すことが満場一致で賛成された。もちろん拒否権はあるわ? わたしが認めさせた。だからその上で伝える、これはわたしからの個人的依頼になる。報酬はのちほど相談。どうかしら?』


 しばらく、考え。

 スフィールリアは、うなづいていた。


「わ、分かりました」


『いいの?』


「正直あたし自身にもよく分からないことなので、期待されても困りますけど……やれるところまでは、やってみますよ!」


『……すまないわね。では魔王使徒直下への侵入経路の確保ができしだい連絡します。待機していてちょうだい』


 通信が切れる。と同時に、次はテスタードからの呼び出しがかかった。


『おう助手。俺だが、今の話のことだ。いざとなったら全部放っぽり出して逃げろ。無理に連中の命令に従う必要はねぇ。お前だけは絶対に逃がしてやる。以上だ』


 一方的に、切れる。

 一度、騎士たちと顔を見合わせてから、呆れた心地で外したインカムを見下ろした。


「お前だけはって友達とかセンパイ置いて逃げられるわけないじゃないですか……!」


 はたと気づき、あたふたと騎士にも向き直る。


「もちろんアレンティアさんも、みなさんもっすよ!?」


 にっかりと笑い、騎士三名が拳を合わせて出してきた。

 スフィールリアも自分の拳を合わせた。

 それは、一緒に死んでくれるという宣誓と同じことだった。



 魔王使徒直下にたどり着いたスフィールリアが収集作業を開始してから、すでに六分間が経過していた。


「スフィーちゃん、まだかっ。こっちはけっこうキツい!」


「すみません、もうちょっと! 今、向こう岸の作業班の誘導をしてて……あと、三分!」


「おう、弱音じゃなくてガッツを見せようや。ヘバると副長にドヤされる」


「保たせて……やるよお!」


 横なぎの一閃が、数体の結晶魔人を一度に吹き飛ばす。

 が、すぐに起き上がり向かってくる。追加で駆けつけた魔人と合流しながら。


「持ちこたえろ! さっきナイショで隊長に応援頼んだから!」


「何人くるって!?」


「三人!」


「そりゃすごい。倍になるって。倍だから百人力だぞだから百倍!」


「〝将〟がきた! 気合入れろ!」


 などなどというやり取りをうしろに。

 スフィールリアは彼らから見えない身体の前に隠した手元に〝金〟の絶対色を現し、強制的に魔王使徒の情報を探る強攻策を取っていた。

 彼女の〝金〟の素養の特性のひとつとして、情報改変の固有制限を受けないというものがある。それを利用して、適当にピックアップした情報片を、テスタードたちが導出した素材の値に書き換えてみるのだ。すると、現実そのものまでを書き換えられる行ないではないので……本来存在しないもの(・・・・・・・・・)は、そのまま崩れ散ってゆく。


 そうして三億という想定の中からどんどん『ハズレ』の『芋づる』を導定してゆき、『アタリ』を引くのを待つ。というのが、絶望的な状況の中で彼女が選んだ方法だった。

 だが、それでも三億という数字は多すぎた。

 消えてゆく。消えてゆく。莫大な情報の滝をかいくぐり、書き換える端から手にした重みが消えてゆく徒労感。


(なにこれ……)


 さらに、『当たり』と思われた情報も、多くは最初から幻であったかのように消えていってしまった。かと思えば、さっきは消えてしまって『ハズレ』だと思っていた情報片が復活して使い物になったりする。まるでわけが分からないデタラメだ。学院長の言葉が思い起こされた。敵は嘘をついている。

 なので想定よりも少し長く情報を維持せねば見分けがつかず、そのために〝金〟の力も長く現していなければならなかった。

 普段は世間から隠すためにほとんど使うことがない〝金〟の素養は、使用に少なくない疲労をともなう。全能すぎるゆえに、有限である自己の認識との落差、感覚の振幅に、精神が磨耗しやすいのだ。


 加えて今、スフィールリアは自分以外の作業者に担当させる素材候補の導定を優先していた。自分と同じく死地に送られた彼らは、しかし自分のように成果を見込める強硬手段を持たないからだ。

 持ち帰れる有効な素材が増える分だけ全体の生存率も上がる。

 その代償として、彼女の消耗は他の数倍の数倍に跳ね上がっていた。

 前髪を汗でべったりと張りつかせながら、スフィールリアは最後の素材候補情報を仲間に送信する。


「三班へ。今、有効そうなひもつきのポイントを……送りました!」


『感謝する。……しかしアンタ、どうやってるんだ? 教えてくれれば負担も減らせるんだが』


「そうしたいんですけど……教えてどうなる類のものじゃなくて」


『そうか。分かった、すまない。……今、準備が完了した』


「――それじゃあ、全班、一斉に始めます……捜索式、ラン!」


〝柱〟に取りついた全メンバーが同時に素材の捜索と回収、照合を開始する。

 一斉に抜き取り、一斉に離れるのだ。だれかのチームを魔王使徒が狙っても、その間にほかのチームが逃げて素材を届ける。全員を囮にする作戦だ。


『二班、当たりだ! すごい、さっきは全然からっきしだったのに』


『三班、こちらも当たりを引いた。けっこうサイズがデカくて、もう機材の結晶化が始まってる。これ以上は無理そうだ』


「こっちも……なんとか! 怪しいけど当たりっぽいものを引きました」


『四班はまだ! ごめん!』


「退きましょう! ……五班さんも、もう充分です。停留限界を三倍もオーバーしてますし、一旦離脱して、」


『いや、もう少しだ! せっかくここまでしてもらったんだ、きっともう少しで本物が引けるはずだ。先に当たりを引っこ抜いたアンタらの方が危ない。先にいってくれ!』


「でも、本物に触れてなくても長く敵に触れてるだけで危な――」


 その、瞬間だった。対象との通信が途絶した。遠目に見える実体の姿ごと、蒸発して。

 見上げると。

 大きく反転して地に単眼を向け、魔王使徒の巨大な視線が覆いかぶさってきていた。


『……ひっ!?』


『走れ! みんな、散れぇーー!!』


 叫びと同時、弾かれるように、スフィールリアも機材を引っつかんで立ち上がっていた。

 持ちこたえてくれていた騎士たちに体当たりをかます勢いで駆け寄ってゆく。前方にはまだまだ魔人がひしめいているがそれどころではない。


「っ……! 退きます! 撤退です!」


「応よ!」


「いくわよっ!」


「ひゃあ!?」


 まさにぶつかる勢いのまま身体を抱えられて、そのまま高く飛び上がる。

 大型魔人の拳を危うくすり抜け、肩を踏み越え、頭を蹴り飛ばし――先頭をゆく二名はいくらか攻撃をもらいすらしながらスフィールリアを抱えた女騎士を守り。まさしく崖でも転がり落ちてゆくように死地を駆け抜けてゆく。


 だが、そんなのはぜんぜんマシだ。

 すぐうしろで、さっきまで自分たちがいた地面ごと……結晶魔人たちが蒸発してゆく。魔王使徒の視線にすり潰されて。魔王使徒はどれかひとつにターゲットを絞らなかったようだった。手当たりしだいに爆撃を受けてゆく。そのたびに土が掘り返され、逃亡支援に立ちふさがった前衛戦力たちと魔人が吹き飛んでゆく。


「ひゃあああああああっ」


「口閉じてなさい噛むわよ!」


 敵味方の光線が入り乱れる戦場を、ただ駆ける。

 二度目の全体攻撃の予兆を、通信回線が告げていた。



 一度目よりは幾分かの余裕を持ち、人間勢力は全体攻撃を乗り切った。結晶魔人への対応も慣れが働き、疲労の蓄積度は変わらないまでも、効率よくいなして魔王使徒への攻撃と防御に専念しつつあった。何度か〝黒帝〟が直接攻撃を受けて強固な教職員棟が傾くといった危うい場面はあったが。

 そして、今。

 三度目の回復術式が発動しようとしていた。

 その兆候が告げられる中、術士本陣のフォマウセン学院長が立ち上がった。


「ギリギリで――できた! 循環型の回復妨害式。結界側からダメージ回復の上書きを阻害するわよ!」


 結界を改変する情報パッケージを封入した特製の『メモリー・キューブ』を作業員に投げ渡すと同時、軍人たちから歓声が上がる。


「お、おお!」


「これで、敵の絶対的な優位性が覆るのですなっ?」


「――あくまで、理論上は、ですわ。魔王使徒が存在している現界レイヤー……つまり実体と周辺世界そのものに制限をかけた。これが効かないならあの魔王使徒は実在していないことになる」


「あり得なくございましょう。現にああして、傷つき、こちらも傷つけられているのですから!」


「そうだといいけれどね……」


 表情厳しく見守る中……回復術式の発動が告げられる。


「発動します」


 魔王使徒の〝目〟が、開き切る。


「! 結界に反応値ありました! 干渉しています!」


 歓声が上がる。

 傷つき、膨大な血をこぼしながら地に落ちてゆく魔王使徒は、その全身にノイズを走らせながらブルブルとなにかに抵抗するように震え……しかし、先までとは違って瞬時のリセットが働かない。

 そして。


「お、おお……!!」


 崩れ散った。黒茶けた膨大な塵となって残りの高度を落ち、地面に折り重なってゆく。粉塵が上がった。

 歓声は、沈黙へ。

 すぐに、熱狂へと変じた。


「……おかしい!」


 だがフォマウセンは長卓に身を乗り出して焦りを露わにしていた。うしろのタウセンからも息を呑む声が聞こえてくる。


「うるさいっ! 静かに!!」


 フォマウセンは怒鳴りつけ、腕すら振って場の狂乱を制した。


「滅ぶはずがないのよ! 召喚式は!?」


 怒鳴る勢いのまま問いかけられたオペレーターが怯えつつ機材に意識を戻し……引きつり声を上げた。


「止まって……いません! 生きています!!」


「なんだとう!?」


「馬鹿な! アレのどこが生きているというんだッ!!」


「見ろ! 消えたぞ!」 


 じっと魔王使徒の残骸を凝視していたフォマウセンも、その瞬間を見ていた。

 山のごとく積みあがった塵。それが、唐突に――消失したのだ。

 そして驚く暇もないまま。

 現れていた。傷ひとつない魔王使徒の姿が。どこかからテレポーテーションでもしてきたかのように、突然に。

 すべてがあまりに唐突すぎたため、だれもの反応が一拍以上は遅れていた。


「だから……」


 一番最初に、フォマウセンが机を叩いた。


「……なぜそうなる! おかしいでしょ!?」


 勢いのまま振り返っていた先のタウセンが、困り顔でなだめてくる。


「落ち着きを……全体の士気に関わります」


「……」


 一拍、震えて。


「……失礼。成果を出せなくて申し訳ない」


 片手を上げながら彼女が席に着き、ぽかんとしていた一同も、ようやく状況にコメントができる体勢が整ったようだった。


「く、くそったれぃ……!」


「部隊の再展開は済んでいるかっ!? 仕切り直しだ! 結晶体が再射出される前に負傷者を――」


 致命的な一打だった。

 魔王使徒の回復(リセット)を止められない。今まで目を逸らしてきていたその絶望感は、今、たしかに明確な楔となって彼らの心に打ち込まれた。

 それでもそのことをだれも口にはしなかったし、フォマウセンもあきらめるつもりはなかった。


(せめて、わたしが自由に動ければね)


 トリックの正体を見極めるまで、何度でもすり潰してやるものを。

 という衝動に近い願望も、口には出さなかった。

 代わりに、タウセン教師に決然と告げる。


「魔王使徒はあの場にはいない(・・・)。いろいろおかしいけど……そういう前提で探ってみましょう? 結界全域にアクセスして、折りたたまれている空間がないか、しらみ潰しにしてみる。悪いんだけど『オーロラ・フェザー』の制御を一時預かってくれるかしら?」


「お忘れじゃないでしょうが、相性が悪いんです。多少あなたの知覚を引っかいてしまうと思いますが、我慢してくださいよ」


「でもうまくやってちょうだい」


「やれやれ……お気をつけて」


 このままでは、勝てない――

 だれもがその確信に近い思いを抱いたまま、決定的な有効策を見出せず、数時間が経過していった。



 魔王使徒、四度目の回復術式が発動する。


「……またダメかっ!」


「くそっ、何度繰り返せば力尽きるんだ!!」


 日はすでに沈みつつある。

 開戦から、すでに五時間が経過していた。

 魔王使徒本体による強烈な攻撃。ランクAからSにおよぶ強固な結晶魔人による作戦の妨害。それらをかいくぐって行なう複雑な連携。全体攻撃によりかならず生じる損耗。さらに――すべてのダメージをリセットする回復術式。

 疲弊。落胆。徒労。

 そして、魔王召喚へのタイムリミット。

 それら絶望の欠片が、確実に全体の士気を蝕んでいた。


『活性異常値! 全域攻撃、きます!』


「っっ――――!!」


 最後の全力防御が使い果たされる。

 魔王使徒の召喚式が放射する圧力も、臨界点を迎えようとしていた。



「魔王使徒、召喚式、臨界域です! 作戦地域を中心に情報球面が無限方向に落ち込んでいきます!」


「虚現世界値の世界基底域(プレ・ガーデンズ)が形成。全情報量のMys・bit変換開始にともない下位情報が無価値化、エントロピー・キィの常界域オルムス数が維持できません。全術的物品が使用不可になっていっています! ワイヤード・ネットも間もなく途絶します!」


「さらに、総体が加速して……開いていきます、格納次元野が! 現在の次元値、6……8……11……を、突破! 時間流消失! 無限次元域に向けて加速していきます。常界域法則すべてが、架空性に入れ替わってゆく……!」


 徐々に。

 高まってゆく召喚式の圧力に比例するように、空間が白く染まり始めていた。

 遠も近もない。すべてが等しく。まるで眼球が濁ってしまったかのように。

 上級軍人たちがうろたえた声を上げている。

 フォマウセン自身も腰を浮かせ、舌を打つ。次に己が取るべき行動を決めつつも。


「間に合わなかったわね……!」


「フォマウセン殿、こ、これは、いったい! 敵の攻撃でしょうか!?」


 冷たいほど静かに、フォマウセンは絶望的な状況を口にする。


「敵の仕業であることに違いはないわね? これは魔王召喚の兆候。現象としては〝霧〟に近いわね? でも真逆のことよ。世界がすでに描かれた絵画であるならば。その世界すべてが、新しい白紙の紙で埋め尽くされようとしている。それが今の状況ね」


「そ、それはつまり!」


「なんでも描ける。世界がまっさらなキャンバスになったあとには、召喚式――とわたしたちが呼んでいたものによって、魔王の姿が上書きされた世界になっている。そういうことね」


「っ……!」


 軍人が泣きそうな顔を浮かべる。が、状況は止まることなく歌われ続ける。


「区域内物質の世界霊基水化が開始。召喚式に巻き込まれて実体化していきます。|超・全次神霊子化環状雲ヘブンズ・ホールが形成されます!」


「――もはやこれまで。総員に退避勧告!」


 叫び、フォマウセンは自身の縫律杖を掲げた。背後の教師に振り返る。


「出るわよ、ミスター・タウセン! 少しでもヘブンズ・ホールからの魔王の現出を遅らせる」


「了解しましたよ」


 ネクタイの戒めを解き、タウセン教師とともに前へ出る。


「お、お待ちくだされフォマウセン様、あなた方が動かれますと、結界の完結性が維持できませんが!!」


 取りすがってくる上位軍人を振り払い、フォマウセンは転移の式を編みながら大声で、全員に伝わるよう状況の終わりを告げた。


「もはやそのようなことは無意味! 作戦は失敗。結界も魔王を押さえ込むのに限界まで維持したら解除します。今はそれまでの間に、少しでも多くの人を結界外周まで逃げ延びさせて! その後は各自の判断で逃亡! 可能なら王室にも退避勧告を! ――ミスター・タウセン! いくわよ!」


「は」


 地に杖の先端が叩きつけられ、ふたりの姿が消える。

 直後。

 魔王使徒のいる方向から、白み始めた空間さえ塗り潰す莫大な光の瞬きと衝撃が立て続けに起こり――

 そして。かろうじて発信された退避勧告により、全体の撤退が始まった。



「スフィーちゃ――」


 とっさにこちらへ手を伸ばした聖騎士たちの姿が、消えてゆく。閃光と土砂の奔流の中に。

 スフィールリアもまた衝撃波にもみくちゃになって吹き飛ばされていた。


「きゃああっ!? ――きゃうっ、あうっ、ぅあ!!」


 何度転がったのか把握もできない衝撃が終わり、激しい鋭痛が全身を襲ってくる。


「っ……」


 耐えながら顔を上げ……当然だが、護衛の聖騎士たちの姿はなくなっていた。なんとか逃れたのか、巻き込まれてしまったのかも分からない。

 代わりに彼女の視界に映ったのは――大型の結晶魔人。〝将〟が見下ろしてきている姿。

 告げられた退避勧告に、周囲は混乱している。逃げる者、仲間を探す者、仲間を逃がす者……入り乱れて、だれも彼女の姿を認識していない。


「あ、くぅっ……!」


 痛む身をよじり、ポーチから武器を取り出そうともがく。だが、圧倒的に遅い。動きそのものがだ。だいたい、なにをつかんでいるのかもよく分かっていない。まだ意識が朦朧としているのだと、今になってようやく気がついた。


「…………ィィイイイルリアーーーっ!!」


 だから、突然〝将〟が真っ二つになったのも、なにかの幻覚かと思っていた。

 だが違った。

 巨体を割って現れた姿には見覚えがあった。そろそろ慣れ親しんだと言ってもいい。『世界樹の聖剣』を担いだアイバ・ロイヤードの姿に。


「間に合ったぜ! ギリギリセーフ!」


「アイバ!」


 立ち上がり――よろめいて。スフィールリアはアイバにすがりついていた。


「……平気か。泣いてるのか?」


「……護衛の。アレンティアさんの隊の人たちが、」


 と、ようやく意識が覚醒して、改めて取りすがった彼の顔を見上げていた。


「なんでここに!?」


「お前が心配で抜け出してきたんだよ! それよりヤバそうだ、今すぐにこの場を――」


 言う間にも、どんどんと空気内の密度は高まっていっていた。

 地から湧き立つように、光の粒が立ち昇ってゆく。

 空間中が塗り潰され、徐々に白く染まってゆく。


 ぱきん――

 かしん――――


 薄氷を割るような音。歯車がかみ合うような音。

 明確になにかの限界を伝えるそれらが、耳元と遠くから同時に全身を叩いてくる。


「間に合わ、ないの……?」


 足元から闇が立ち昇る。白く染まりつつある視界の中で、薄っすらとした、純黒の闇が。

 間欠泉のように。津波のように。

 吹き上がった闇が直上の魔王使徒を捕まえ、包んでゆこうとしている。だがそれも、完全な真っ白に近づきつつある視界の中から消えうせようとしていた。


「スフィールリア!」


 かばうようにアイバが彼女の肩を抱く。

 スフィールリアは、見た。その時ブレた視界の中に。捉えた。

 芝がない。魔王使徒が芝に落としていたはずの影。それが今、完全なる闇となり――――その中央に、巨大な〝眼〟が現れて、魔王使徒を見つめていた様を。


「まさか――――!!」


 そして。



 魔王召喚式が実行される。すべてが白に染まる。

 まず、結界が千切れ飛んだ。吸い込まれ、次に膨らみ、弾けて。

 発生した雷撃と衝撃波が、天は暗雲を、地は学院を……に留まらず周辺すべての被造物をもなぎ倒してゆく。次に王城を叩き、さらに広がってゆく。広く、広く、広く……。

 ねじ伏せられてゆく。都が。世界が。呼び出されたものの巨大さ、そして、偉大さに。

 それらすべての光景が、城からはよく見えていた。

 立ち上がり、ふらふらと……歩み出して。


「あれが。魔王……」


 生まれながらの貴族である王子は、真の高き者を認める。

 すべての者が見ていた。

 起き上がり、都を睥睨する――巨大な影を。


「――不死大帝」


 この日、この時を以ち、王都は壊滅した。


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